「歌の力」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 歌の力とは

2024-04-25

君たちはどう生きるかってさ

米津の歌の力でなんか良い映画だったってところまで持っていった映画だったよな

2024-01-22

他人に心を揺さぶられたくない

友達に連れられて観に行ったライブ村岡由太 という青年の唄を聴いた。

ヒョロヒョロの体から想像できないような、魂の底から絞り出すような歌声だった。

一気に彼の世界観に引き込まれて、心を揺さぶられてしまった。

 

この人すごいな、歌の力ってすごいな、と思った。

それと同時に、強い拒絶反応も感じた。

私の心を揺さぶらないで。今は揺さぶられたくない。

 

私の心は私のもので、誰かの悩みや誰かの怒りや誰かの魂の叫びによって揺さぶられたくない。

それはあなたの悩み、あなたの怒り、あなた魂の叫びであって、私のものではない。

村岡由太クンは悪くない。私が魂の不意打ちに対応できなかっただけ。そんなふうに心を揺さぶってくる人が出演することを知らずに出かけた自分が悪い。

 

だって心が揺さぶられる体験はしたいけれど、自分の心を揺さぶものタイミング自分で選びたい。

それは仔猫たちを守る母猫の愛だったり、美しい夕焼けだったり、絵画だったり、もちろん音楽だったりもするわけだけれど、いつ・どこで・何によって心を揺さぶられるかは自分コントロールしたい。希望制御された揺さぶられであってほしい。

 

人々は「全米が泣いた胸を打つストーリー」に殺到するけれど、なんで泣かされるとわかってて観に行くのか。

泣いてしまうほどの心の動揺は、本来、強いストレスのはずである。わざわざお金を払って心に負荷をかける人の気が知れない。私の心が脆弱なのか。

正直、戦争地震ニュースも見ていられない。苦境にある人々を思うとつらいからだ。子を亡くした親、親を亡くした子、みんな可哀想だ。だめ、むり、ってなってチャンネルを変えてしまう。めげる。

 

母猫が仔猫の頭を舐めてあげてる映像だけ見ていたい。

2023-10-24

anond:20231024140011

星街すいせいがVtuberであることとかお気持ちポエムを事前におしゃべりしたいとゴネたそうだけどモーション班が歌だけで勝負しろと押さえ込んだとも書いてた

めっちゃ悪し様に書いてて草。

以前、星街すいせいさんがTwitterスペースでもお話していたんですが、歌い出しの前に少しセリフを入れたいというアイディアもあったんです。ですがそのまま歌い出して欲しいとリクエストしました。それは、自分が星街すいせいさんの歌の力を信じていましたし、歌と映像の力で全員を納得させてやる、という気持ちが強かったからです。

ぜんぜんニュアンス違うやん。これ言ってる人、ホロライブ側の人やろ。

2023-10-01

[]9月30日

ご飯

朝:なし。昼:ナポコーンスープ。夜:ピザ。間食:あめ。アイス

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

○ ワールズエンドクラブ

・はじめに

全国の小学生の中から落ちこぼれけが集められたガンバレ組に所属する11人の男女が、生死がかかった奇妙なゲームに巻き込まれることから始まる、トーキョーゲームスが開発した青春アクションアドベンチャーゲーム

打越鋼太郎小高和剛、中澤工と言った僕が度々高評価を付けている作品スタッフが関わっており、期待度は高めで遊んだが、僕は楽しめた。

実は発売当初に悪いインターネットで無遠慮かつ粗雑なネタバレを読んでしまい、それが記憶から消えるまで熟成していたので遊ぶのが随分遅れてしまった。(ちゃんと忘れれた)

テキストを読むパート以外にも2Dアクションパートもあるが、そちらはあっさり目で難易度もイージーを選べば難しくはない。

所謂初見殺しの要素が多いためゲームオーバーにならないわけではないが、覚えてリトライすればチェックポイントの間隔も短いので苦戦することはあまりなかった。

落ちこぼれガンバレ組が天下無敵になっていく過程演出としては悪くはなかった。

登場人物たちの仲良しシーンが良き

開幕の状況からは考えられないぐらい、登場人物達の仲良しなシーンがたくさん楽しめる。

途中参加のキャラも含めて12人の色々な組み合わせでエピソードがある。

視点人物は概ね無口な男の子れんちょが務めるものの、要所要所では視点人物が切り替わる群像劇スタイル

まだ小学生ながら恋愛っぽいエピソードも幾つかあるのもいいアクセントだった。

三角関係もあるもののギスギスせず、明るい雰囲気最後まで楽しめる。

喧嘩したりもするけれどパッと笑えばまた友達に戻る良い意味で引きづらない良い子ばかりなのがイイね。

協調性に欠けるキャラもいるにはいものの、各々の事情解決していくに連れてどんどん仲が深まっていくのも王道面白さ。

何を信じて何を疑えば良いのか難しい展開も多い中、このガンバレ12人がずっと一緒であることだけは疑う余地のない大前提として物語が進むのが心地よかった。

個人的には天才プログラマで少し幼く明るいバニラと、途中参加の記憶喪失不思議娘の雪の組み合わせが好きだった。

お互いどこか白っぽいという謎な共通点意気投合し二人だけのニックネームを付け合うのが良かった。

サプライズ重視の展開

スタートのデスゲームに始まり、さまざまな驚きが待っていた。

ゲームでの表現を利用した演出や、メタフィクションのような展開に、信頼できない語り手など、小学生達の仲良しエピソードが主ながら、各ライター過去作品に負けなぐらいサプライズ展開が待っている。

設定が開示されていくにつれ、ガンバレ組の根底を揺るがすような展開もあるものの、この世界が終わってもガンバレ組は一緒だと思えるからこそ、その先の奮起が早く読みたくなった。

絶望感が無いのは良い意味過去作との違いがハッキリして僕は好きだった。

この辺はシリアス度が足りないと否定的な人もいるのも納得いくので、この辺のバランス感は難しそう。

小学生レベル下ネタ

なにしろ、いつもの小学生レベル下ネタは健在なのだから

登場人物小学生なんだから小学生レベル下ネタで盛り上がることは理にかなっているだろ? と言われるとグウの音がでないが、いつものやつを今回も楽しめる。

ちんこ」と言うだけで人が笑顔になれると信じきっているライターの信念が伝わってくる。

歌の力はすごい

今作の名シーンはどこでも「ガンバレ組のテーマ」が流れている。

というと流石に大袈裟だが、歌の力はすごい。

おちゃらけ歌詞だがメロディシチュエーションが合間って泣かせにくる。

クライマックスでの使い方も最高に決まっていて大好きな楽曲だ。

・さいごに

明るい仲間たちの友情エピソードに、びっくりする驚きの展開、そして泣ける楽曲

製作陣の過去作と比較するとテイストはかなり異なるものの、面白ゲームだった。

ただボリュームの薄さと、アクションゲームパートのとってつけた感は否めない。

特にボリュームの薄さはアクションゲームパートの水増し感も相まってかなり感じた。

余韻が残るラストテキストで読みたいと思う部分が多かった。

ただ、良いところがいっぱいある好きな作品だ。

ガンバレ組は不滅だぜ!

2021-11-26

anond:20211125155108

キャラデザはなんでキャラ原案の人を置いたのか謎なくらい別物になってる。

何かのミスか?と思ったけどキャラデザの人はベテランだし、全編にわたってあのデザイン統一されてるから作品としては正しいみたい。

個人的には紀伊カンナの方が柔らかだし表情豊かに思える。

  

シオンの歌で皆が救われていく というのが話の筋だけど、なぜギクシャクしていたカップルが仲直りするのか?なぜ本番に弱い選手試合に勝てたのか?

という部分が歌の力で強引に進めているように感じる。お話の仕掛けとして何か理由が欲しい。

このあたりで序盤は置いていかれて楽しめかなった。

  

終盤からラストまでは割と楽しめた。

「付き合って欲しい」という申し出を誤解するシオンエピソードとかようやくシオン可愛いと思える瞬間だった。

「しあわせ?」を連呼させるよりもこういう楽しいエピソードが欲しい。

2021-06-30

anond:20200726113748

いまはスターラッパー集めた方がインパクト強いとおもう。昔よりも相対的歌の力は弱まってるかもね。

2021-06-02

anond:20210602122745

真面目な話、最後歌の力帰結するからダイジョーブ。AIの作り出した歌が、人とAI架け橋となり未来危険回避されたのだ…的な着地だよきっと。

Vivy -Fluorite Eye's Song-を見ている

歌姫AIっていうから歌の力物事解決していくんだなって思ったら軍人みたいな筋肉質ボディでフィジカルの力で全部解決していくからびっくりしている

2021-05-08

fffに込められた上田久美子氏のメッセージ

芸術の力、すばらしさ(コロナ禍の中で)、みたいな話をチラホラ見かけるけど、自分は全くそう感じなかった。

ただの、ナポレオンゲーテと同時代を生きたベートーヴェンの話。

上田自身は、芸術基本的にはなんというか虚業だと思っていると思う。でもこの時代に生まれ人間として文化芸術を愛していて、作る側・守る側になる道を選んで。守るために、意義あるものにするために、と考えて作っているんじゃないかと思っている。

音楽の力」「音楽でやる」っていうのは、今考えてみると歌でトップの座に上り詰めた望海さん自身のことのようにも思えてくる。頭身バランスや華やかさではなく、歌でやる、歌の力

2021-02-26

プロとそうでない人の違い(歌手編)

徳永英明の歌がスーパーでかかっていたのだが、

わりと最近若い主婦などもポーッとして聞き惚れている感じだった。

歌の力ってすげえなあと思ったと同時に、

「あ、これフレディマーキュリーに影響うけてるな」と今更きづいた。

そういえば学生時代バンドとかやってた人は、それなりに巧い人はいたけれども、

エアロスミスなりボンジョヴィ「風」に歌ってる人はいたけれども、

けっきょく工場の深夜派遣とかパン運送業をしている。

もったいない才能だなあと思ったけど、徳永さんとの違いはなんだろうと思った。

徳永さんがデビュー前にやめていたら、「クイーン風じゃん」で終わってたと思うし。

彼とほかの人1:n(=数百万人)のちがいって何だろうと思った。

2020-07-28

三浦春馬が死んで1週間と少し経った

自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力いね

私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしかたことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近ミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。

訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースミュートしてる。)


訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内映画館に観に行った。

別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。

というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ

死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。

開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。


彼を「30年で完成した完璧作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。

と思ってしまうほど、ライトファンイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。

そんな「完璧三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。

でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)


今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。

でもこの世に三浦春馬存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。

今、世界が美しいとは私には思えない。そんな美しくない世界に、美しい彼はもったいない。仕方ないね

書いてたらちょっと落ち着いてきた。読んでくれてありがとうございました。おやすみなさい。

2019-03-15

マクロスフロンティア劇場版を見た(後)

anond:20190315022042 の続き。

劇場版マクロスFサヨナラノツバサ

ストーリー

本当にTVからガラッと変わった。途中まで、ギャラクシー侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前髪型クーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島まさかここまで有能であったとは。TVから反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島死ぬけど。

そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカシェリル役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルメインヒロインに固定された。

劇場版役割と設定が整理されストーリー単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリルシェリルに惹かれるアルトスターダムを駆け上がるランカから終盤への流れ(シェリル行方不明ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!

ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリルアルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーロウイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。

ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルト恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。

バルキリー

冒頭のバジュラの巣の攻略大気圏内でのマクロスクォーターサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーセオリー様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロス様式美否定するような非常に地味ないぶし銀描写がよかった。

三角関係!決着!

TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、

思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!

ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……

初見ときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリル脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトシェリルのことを愛している設定でTV世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。

そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。

サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリアからまり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しいGet it on光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーロウ」、そしてエンディングお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまたことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティ教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。

それから見ていて気になったのがライブ演出演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワークカメラ歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田PCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分ライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。

そしてもう一つ気になったライブアルカトラズ刑務所での「星間飛行からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカリー星間飛行を聞きたいのならばCDPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロス伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。

増田理解としてはマクロスメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大人間奇跡を起こすことができる。そのリアリティSFをコアに持つマクロスメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。

この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶTV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れたゼントラーディ部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説ライブである。このライブ演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘Get it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)

蛇足マクロス7のこと

増田マクロス7のサウンドブースター演出違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器ビーム兵器バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道マクロスフォーマットストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまたことも同様。作品テーマとして武力否定ラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。


最後になぜ増田シェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。


次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。

マクロスフロンティア劇場版を見た(前)

anond:20180903115144 の続き。

NHKで全マクロス投票(https://www.nhk.or.jp/anime/macross/)が開始されましたね。えっご存知ない?そんなあなたはこんな文章を読む暇があるなら今すぐ回れ右して魂の一票を投じましょう。ちなみに増田複数票なら初代とプラスも入れるのにと作品フロンティアキャラクターは真っ先にシェリル投票してその後に悩み抜いた末、もっとも印象的だった人たちであるカムジン文化の負の側面を体現してみせた)と熱気バサラ歌の力のみで世界を救った)に投票しました。

以下ネタバレ全開の感想。なお、三角関係の項が相当気持ち悪いので注意。

追記。視聴環境バンダイチャンネル劇場版マクロスFイツワリノウタヒメ〜(HDクオリティ)」(https://www.b-ch.com/titles/3414/)の7日間視聴コース。540円なり。

劇場版マクロスFイツワリノウタヒメ

ストーリー

冒頭の新曲ライブでいきなり劇場版クオリティを見せつけられたのだが、正直前半はTVからの流用が多かったので、間違い探しをしている気分だった。しかしそのせいで新規カットは圧倒的にシェリル関連であることに気がついてしまった。後半に入ったら新しい映像ほとんどになったのだが、TV版と展開の違いは無かった。一番大きなTV版の違いはアルトに託したシェリルイヤリングが無くならなかったことかな。イヤリングシェリルの手元に一つアルトの手元に一つ……つまり……。

個人的には人間関係を積み上げる日常パートも好きなのだが、劇場版でやっている暇ないよな。ちなみに一番好きなシーンは、自由落下中にシェリルの髪が風圧で直毛になるところと、オズマガウォーク変形で地上回避をやってみせるところと、事故アルトにのしかかられたシェリルが焦って思いっきりグーパンチアルトに叩き込むところ。

バルキリー

VF-25は相変わらず超かっこいい。そしてTV版の感想で不満点として挙げた待望の地上戦が最高の演出で追加された!フロンティアの街という市街地舞台重力異常というフレーバーを加えたことで、ビルの合間を漂う瓦礫回避しながらバジュラを撃墜するというものすごく映える状況が生まれた。高速で移動をするバルキリーが浮遊する瓦礫をマニューバやガウォーク変形で回避しながらピンポイント射撃を行い再びファイターで加速する。すなわちバルキリー様式美。そしてその高速機動を行うバルキリー追従するカメラワーク。最高アンド堪能である

前回のマクロスプラス感想で、現代戦闘機マニューバはプラスゼロで濃密に描かれているので、それらを超えるドッグファイトを描くのは難しいのではないかと書いてしまったが、完全に誤りだった。疑ったことを深く反省する。シチュエーションさえ違えば十分に新鮮なドッグファイトを作れるのだ!それから戦闘中に操縦桿やペダル操作をしている部分を描写するのはリアルさを感じてグッド。

三角関係

まず最初にこれだけは書いておく。 (祝)シェリルさまがメインヒロイン! いやもうデート日常パート新規カット追加や、劇場版でのランカシェリルポジション変更(ランカは初対面から後輩に、シェリルトップアイドルから怪しいトップアイドルへ)、失われなかったイヤリングにより名実ともにメインヒロインと言って良いだろう。特にシェリルデートパート新規に書き起こされたのに対して、ランカは歌の道へ歩む大事きっかであるアルト紙飛行機幻視に変更された。TV版と同じくランカがフォルマで what 'bout my star を歌い出すきっかけとなるのはアルト紙飛行機なのだが、劇場版ではアルト紙飛行機飛ばしていない。だからランカの見た紙飛行機は空へと溶け込み、(今後を暗示して悲しいが)幻想だったことが分かるのだ。

TV版では、シェリルランカの歌うことに対する気持ちというのは、シェリルはただ一つだけの自己表現手段であり、ランカはみんなに歌を届けたいと思っていたけど実はアルトに聞いてほしいというものだった。TV版でランカ三角関係一角を占めていたのは、この気持ちが育つ段階があったからに思う。だからランカが以前からアルトに淡い気持ちを抱いていたという劇場版の変更は、ランカフラグしか見えなかったよ。劇場版関係性の中でアルトランカを引っ付けようとするなら、シェリル強制退場するしかないよなーなんて思っていたら……サヨナラノツバサへ続く。

新曲を含め劇場版でも好きな曲はいっぱいある。OPから鮮烈なビートを叩きつけてくる「what 'bout my star」、を耐えたと思ったらいきなりの新曲アンドグリグリ動く劇場版クオリティ3Dモデル言葉も出なかった「ユニバーサルバニー」、悲しすぎるニンジン再びの「スターライト納豆」とランカの変形(とキメ顔)含めてメロディアス名曲であるダイナム超合金」、雪降るシティに寄り添うような歌声の「そうだよ。」などなど語りたいことは大量にある(そうだよ。の歌詞、サヨナラの伏線だったのかな)。

しかしながら劇場版増田が一番好きな曲は「pink monsoon」。この曲はアルトシェリルデート流れるロウな曲調かつ大人っぽい歌詞の曲なのだが、個人的にこの曲以上にフロンティア街角流れるのにふさわしい曲は無いと思っている(次点でwhat 'bout my star)。シェリル・ノームがトップアイドルアルトランカ学校バイト毎日過ごしている、そんな平和な街の日常テレビラジオからこの曲が流れている。そんな感覚を呼び起こすような曲だ。pink monsoonを聞いていたら、マクロスフロンティアという作品が好きな理由には魅力的なキャラクターや歌があるけれど、坂と路面電車、街中のSFガジェット中華飯娘々やゼントラモール、そんな近未来感とノスタルジーに溢れたフロンティアの街そのものがすごく好きなんだなって思った。魅力的なフロンティアがあるからこそキャラクターたちも生きてくるのだな、と。

ところで「pink monsoon」の歌詞があまりにも曲調にマッチしているから、作詞家Gabriela Robinって誰なのか気になって調べたら、菅野よう子さんの変名だと知った。菅野さん、作曲センスだけでも才気爆発しているのに加えてアレンジまで手がける超人だと思っていたら、さら歌詞まで書けるのか。もしかして菅野よう子さんって天才では?

それから音楽演出で感心したことがあったのでメモ。後半の「ライオン」の時に気がついたのだが、歌ありの曲は全て劇中に音源があり、しか音源状態が音に反映されている。例えば「ライオン」であれば、ランカセリフを喋るのはシェリルが歌っている間で、シェリルが喋るのはその逆。そして二人が喋るときは間奏など歌詞が無い時。また、サヨナラノツバサになるけど、ビルの壁スクリーンからダイアモンドクレバス」が流れる時はスピーカー品質が良くないので音が割れる(ひび割れた歌がギャラクシー非情作戦象徴するという演出効果)。気にする人はそれほど多くないかもしれないが、このような劇中歌整合性に対する細かい演出は非常に好感が持てる。歌が作品の柱というだけのこだわりであると思う。というか自前の歌でストーリーを回せてしまうのって冷静に考えたらすごいな。

サヨナラノツバサまで入らなかったので次:anond:20190315022241

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.13 『Treating2U~ふたりラストショー』

■その1。

 久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。

 ……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気ハートフル人情もの志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクター個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリー相対的に弱く、物語バランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。

 しかも、この作品場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。

 しかし、登場人物たちとの交流恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマ主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。

 あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢方向性が似たものが多く、プレイヤーストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。

■その2。

 この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的AVGシステムで作られているので、その辺の違和感最後まで気になってしまった。

 全体としては、ストレート物語志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。

 冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。

 また、[エロゲー主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。

 また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近エロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。

 先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。

 霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。

 その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。

 看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオ最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。

 しかし、諦観怨嗟交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。

 [生を肯定すること]をテーマに据え、病院舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。

 総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。

■忍び寄る総括。

 個人的意見。えっ、紅葉ラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん