当時私はBLにのめり込む腐女子のひとりだった。私が二次創作に勤しんでいた原作は全年齢向けのジャンルで、最盛期は検索サイトに1000以上、個人のファンサイトが登録されるくらいの規模だったように思う。
男女CP(カップリング)が全体の4割、男同士のCPが6割くらい、私の推しCPはかなりマイナーで、検索してもせいぜい15件程度しか出てこない、供給不足の畑だった。仮にA×Cとする。勿論BLである。
仕方がないので自分でせっせとA×Cを育て草の根運動的に発信を続けていたところ、男女CPジャンルの中でも人気を二分するCP(これをA×Bとする)で活動する人物と関わりができた。それが小池さん(仮)だった。
きっかけはたしか私の方からファンレターまがいのものを送ったところ、先方も私の存在を知ってくれており、オタク気質特有の噛み合うと一気に粘っこく接近していく貪欲さで交友を深めていった。
そのジャンルではそれまでA×BとA×Cの人間同士が派閥の垣根をこえて交流することは皆無だった。A×Bはほぼ公式CPであり、A×C派に人権はなかった。小池さんに接触したことに下心がまったくなかったといえば嘘になる。勿論彼女の創作が魅力的で好意と感謝を伝えたいための行動だったがその裏で、私と彼女の交流がA×BとA×Cの架け橋、ひいてはA×Cの繁栄に繋がるのではないかという野心も恐らくはあった。
小池さんは小池さんで、熱烈な支持者が多い一方で『敵』もなかなか多い、癖の強いタイプだった。母数が多い分色々な性格の人が集っていたからというのもあったかもしれない。A×C派は仲間割れなどできないから細々と身を寄せ合う自助会だった。
群雄割拠の中で戦いながら創作を楽しんでいた小池さんにとって私は、不意に出現した奇妙な動物という風だったかもしれない。小池さんに取り入ることに成功し、コラボ的な創作もして、やがて彼女はA×C特設サイトまで作ってくれ、A×Cは盛り上がった。新規参入も目に見えて増えた。私はほくそ笑んでいた。小池さんのA×Cはご褒美であり、五体投地で享受しながら小池さんを褒め讃え、ささやかながら私もA×Bを発信したりもし、これもニッチな層に受けたりした。恐らく見えないところで、私を疎ましく思っていたA×B派の人間も少なからずいただろう。その頃は界隈でTwitterが今ほど盛んではなく、縁のない個人の不満は耳に届きにくかった。
小池さんからメールがきた。「私のアンチから嫌がらせや、私の中傷が届くかもしれません。もう届いているかもしれない、ごめんなさい。私ともう関わらない方が良いかもしれない」というような内容だった。実際届いていなかったので「届いていません。小池さん側にいたいが、距離をとった方がよければそうする。でもいつでもなんでも、必要な時は呼んで欲しい」みたいな文章を、付けたり削ったりこねくり回してから送り返した。
小池さんは精神的なバランスを崩してしまったようで、創作の発信はなくなり、ブログでぽつぽつ『敵』に対する呪いのような言葉を吐いていたが、ある時サイト自体を閉じてしまった。
A×Cは拡大して、私はA×Cジャンルの船頭的な立ち位置になっていた。A×Cメインじゃないが私の創作を楽しみにしてくれる友人も増えた。だがそのうち、私も気付けば前線から退いていた。
いま、小池さんの当時のペンネームで検索してみても、本人もしくは本人に近いと思われるなにかは見付からず、当時彼女がプレゼントやコラボをした作品の残滓が二、三出てくるだけだった。
当時の界隈では珍しい話でもないと思う。
なんとなく思い出して書いてみた。もう死語なのかもしれないけど本当の意味の「やおい」だ。
また小池さんと連絡をとりたいかと自分自身に問いかけてみてもよくわからない。どちらかというと「NO」な気がする。若気の至りのあれこれが気恥ずかしいというのもあるけど、いま、どこかで穏やかに過ごしているならそれはきっと、当時の出来事を記憶の戸棚の奥の方にしまっているような気がするから。そうであればそれは嬉しいことのように思う。