はてなキーワード: 牢獄とは
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日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、
明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対するものであり、
これに断固として異議を唱えます。
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《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが
情報公開の制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。
必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
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イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)
イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動に適用することは、学会の目的に適う実践的行為と判断し、
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菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民に
理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員の
一員として、政権を批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。
学問は国家に従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、
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学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類に資するものである。与党に資するものだけを学問研究と
みなすことは大きな誤りである。学問研究によって得られる利益は人類全体に寄与するものでなければならず、
判りやすい例を挙げれば、日本は西洋から数学や物理・化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵を無償で受けた。
万有引力定数や相対性理論を発見したのは日本人ではない。その恩恵と利益を受けながら、その使用料は払っていない。
なぜなら学問成果は全人類の共通善として無償で開放されているからである。
日本国には受けた恩恵を人類に返すべき義務があることは言うまでもない。
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国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である。
公務員は政権の《しもべ》ではないからである。公務員は国民全員の利益のために働く。
政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員の義務である。
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古代の中国では臣下が君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。
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翻ってイタリアの地、古代ローマの時代には、時の政権の勝手な振る舞いから国民を守るための公的機関である
護民官が設置されていた。現代の公務員に匹敵する護民官は、時の権力を批判・牽制するために作られた
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次に、菅首相は憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味を理解していない。「学問の自由の保障とは、
学者が学問的良心に従って行なった言動の評価は、まずは学者どうしの討論に委ね、最終的には歴史の判断に委ねるべきであり、
間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授)
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1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会は検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と
ガリレオはローマの異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。
ガリレオは自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究を放棄するよう宣誓させられた。
そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。
教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力の判断によって封殺された。
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「今回、菅首相は、特定の学者の言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》
について自分の権限で判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民に理解され
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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、
そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなのである。
にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の
ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の
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私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである。憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、
国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官)
と見解を示している。
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しかし、菅首相は官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法を無視してきた。
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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官に就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、
元老院議事録と国民日報を編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル」20)
それまで国民は元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。
議員が私利私欲で談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録が速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、
貴族の権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったからである。
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一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書は改竄・捏造、削除され続けてきた。
確かに、日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、
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おそらく安倍・菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。
紀元前 5 世紀のアイスキュロスの作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。
この劇は二人の登場人物がプロメーテウスを連行する場面から始まる。
プロメーテウスは絶対君主であるゼウスの意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、
暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。
この時、彼を連行する 2 人の登場人物の名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。
二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言も言葉を発しない。
ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である。
ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力や強制を意味する。
ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである。
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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される
(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。
その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、
ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。
逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、
また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。
これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分が逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民は心理的に権力によって完全に支配される。
つまり、《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。
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こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。
説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。
たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。
ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。
しかし、問題の本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。
科学分野の基礎研究の予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、
また軍事研究に手を染めない学術会議の方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。
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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣・自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、
国立大学や都道府県教育委員会、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。
国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。
かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである。
(文責:藤谷道夫)
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ナチスが最初、共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
私は声を上げなかった。
ユダヤ人が連れ去られた時、
私は声を上げなかった。
そして彼らが私を攻撃した時、
私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。
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通常の娯楽に加えて、(古代)ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、
凱旋式があった。
(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。
将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆の面前であげつらうのである。将軍が高慢にものぼせ上って、
自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである。
例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人の奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!
あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代の独裁者たちに対しても同じように言うことが
できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。
(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)
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「犬儒派(キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、
《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」
でっかい箱物作ってモノ集めてそこにわざわざ人間が移動して見るってバカバカしくないか?
縄文土器の360度映像とかモナリザの4K写真アップすればいいだろ どうせ見るだけなんだから
学芸員の解説もプロが映像編集してクオリティの高いものをYoutubeにでもアップすれば一回ですむよね 何度も何度も同じ話をするために人間雇うとかアホすぎ
そんな施設にアクセスすることもできない貧乏人や田舎者が払った税金が都会の文化資本豊かなエリートや暇なジジババのために使われるのは逆再分配
どうしても生で見なきゃ臨場感がないとかいう贅沢な人は税金ではなく民営化して自分の金で楽しんでください
図書館も小学校の図書室レベルの所蔵しかないド田舎と日本で出版された書籍の全てが納められる国会図書館に行ける東京とでは格差ありすぎだし全部ぶっ潰して電子書籍化したデータをインターネットで見られるようにしたほうがいい
公共の福祉とかなんかの特例で著作権なんて無視してスマホから見られるようにすれば、地方民や貧乏人、忙しい社畜にとっては今よりはるかに文化や知識にアクセスできるようになる。しかもローコストで。
これで困るのはリアルの箱物に文化や知識を閉じ込めておかないと税金で飯が食えない役人や学芸員、そして都会の施設にアクセスできるという特権を失ってしまうエリートぐらい。
金持ち個人のコレクションではなく国が集めて国民に公開するというのはその時代にとっては画期的ですばらしいことだったんだろうけどさぁ、いつでもどこでもインターネットで簡単に情報にアクセスできる現代では、その美術館だとか博物館自体が文化・知識の牢獄になってるんだよね
あと大学も原則すべての授業をYoutubeにアップするよう義務づけよう。国立大学はもちろん私立も膨大な助成金で経営してるところはすべて公開すべき
さすがにYoutubeで学位を付与できるわけないから大学を潰せとは言わないけど
ついでに田舎者や不登校引きこもりのためにスタディサプリみたいな感じで小中高や予備校の授業もアップしよう 東京でお受験して超進学校に通ってる子供が受ける教育と治安の悪い地域の公立動物園は全然同じじゃないしな
A「たとえ世界を敵に回しても」
B「おれ達は絶対に」
C「負けるわけにはいかない!」
D「いかないんだァー!」
A「たとえ世界を敵に回しても、おれ達は絶対に負けるわけにはいかない! いかないんだァー!」
BCD「ウオオオオ!」
C「なんと! あの捕虜40万人を生き埋めにしたことで有名なBが」
D「1000年間誰1人破ることができなかったレベル4の牢獄を破るとは」
A「Bが脱獄したらしい」
C「なんと! Bが」
D「ほげー」
A「話は終わりだ。じゃあな」
B「あっ、おい! もしもし、もしもーし。切りやがった」
A「話は終わりだ。じゃあな」
B「あっ、おい! もしもし、もしもーし。切りやがった」
A「何だよしつこいな」
A「なにッ、必殺剣をよけられた! やられる!」
B「てめえの首、もらったぜ!」
A「!」
B「キエーッ!」
探せば普通にあるよね?都区内でも都区外でも。
無いです
正確にはカビや虫がヤバい1階かつ牢獄みたいな狭さで壁薄いか、
駅から遥か遠い・都外で築30年以上かつ牢獄(ry ならあるが、
メンタルよわよわは騒音・衛生に敏感なのでマジで住む場所には拘りましょう
※都内に住民票を移してじゃら非正規の仕事を決め、その状態になってから賃貸申し込んで欲しいと口々に言う。まず都内に住民票を移すアテが無い。
まずはバイトを決めてください
なお入居するまでネカフェとビジホにいたよ
こんなの ↓
自立支援ホーム(精神障害者グループホーム)ピュアルトとは?
ソーシャルワーカー、そして社会保険労務士としても10年以上経験を積んだ、専門の心理相談員が常駐しています。 お一人お一人に合った生活スタイルを送っていただくために、 企業への就労支援をはじめ、趣味や好きなことから始める在宅ワークなど、自由な働き方を支援しており、 仕事だけでなく日々の暮らしのご相談も大歓迎です。 一言で"自立"と言っても様々な形があると思います。そんな皆さんお一人お一人の"自分らしい生き方"を 身近で支えるホームでありたいと思っています。
○特徴1.自室で自分だけの暮らしと安らぎを
自立支援ホーム ピュアルトは、県内でも少ない完全ワンルームタイプのホームです。集団生活には自分は自信が無い、自分一人の時間が欲しい、誰かの目があると眠れない、などの不安を解消し、自分一人の時間を確保し、一人暮らしに限りなく近い環境を提供します。
○特徴2 .新築の綺麗なホームです
2018年4月開所の新築ホームです。お部屋は洋室で、お風呂・トイレはセパレイト(別)、オール電化でIHキッチンや浴室乾燥機を備えている他、モニターインターフォンなど嬉しい設備が備わっています。
○特徴3.生活家電付き!
収納、冷蔵庫、洗濯機など完備しているので、身ひとつで入居できます。
○特徴4.保証人不要!
○特徴5.初めての一人暮らしをしっかりサポート
専門ソーシャルワーカーが常駐しております。 食事の提供(希望者のみ)や服薬管理、生活面での指導など、個々の状況に応じてご要望にお応えする事ができますので、生活リズムが整い、 自分らしい生き方、安定就労に繋がってきます。 生活のこと、自分との向き合い方、お仕事のことなど、何でも相談してくださいね。
ここは、藤子・F・不二雄を二次会に連れて行かないと出られない部屋。
一次会で帰ると主張する藤子・F・不二雄をどうにか説得して二次会に参加させないと、部屋から出ることができない。この部屋には藤子・F・不二雄の他に38人の人間がいる。彼ら彼女らは藤子・F・不二雄の説得に失敗し未だに部屋から出られない囚われの身だ。一番最初にこの部屋に入った人が閉じ込められてから今年で16年目になる。その間に外の世界の価値観は変化し、二次会への参加を強制することに違和感を抱く人も増えた。現にここ2、3年でこの部屋に入った人は藤子・F・不二雄への説得を早期に諦めている。このままこの部屋は永久の牢獄になるかと思われたが、ここで転機が訪れた。zoom飲み会だ。二次会への参加に否定的な藤子・F・不二雄も、新しいテクノロジーには興味を示している。このままいくと、藤子・F・不二雄の二次会参加も時間の問題かもしれない。
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
ただ、自分が納得するまで仕方がないこと。
困ったことに、自分が変わるための解が自分が変わるしかない、というトートロジーのみで形成されている。
思考の牢獄から抜け出す手法はそれぞれなので、ぶっちゃけ他人に勧められる方法なんて一つもない。
例えば一つの境地である、いかなる時も自分を俯瞰視する、という成功者の視点も答えがあるのみ。
そこに至る解き方は人それぞれ。単純化すると自分が変われば「諦」が発生し、諦=客観視に繋がる。
では諦に至る冷静さはどうすればいいの、と大体の人は思う。
ないんだよね、そんなの。
人によっては体調不良だと病みやすいから運動した、だから運動が一番だといい始める。
人によっては友達に相談したら解決したので友が最大の解だという。
人によっては哲学書を読んで理屈を理解したので自分の悩みはちっぽけだという(まあこれ、メンタルの足しにはならないけど)。
人によっては自己啓発を読んで(以下略:だいたい足しにならない。実体験が伴ってない)
人によっては占術書を研究して原因究明を求める(運命のシステムが分かるだけで、悩みの解決にはならない)。
人によっては心理学を読んで納得させようとする(幼少期の親の起因が多すぎて今更どうにもならない)。
諦を生みやすい手法は一つだけあって、漫画家のサイバラみたいに全力でその場から逃げること。
学習性無気力が発生してその場から逃げる気力が失われても、嫌々一歩逃げ出すことを考える。
一度抜け出してしまえば、あの荒波の戦場は一体何だったのだろうという思考の隙間が発生する。
逃げる権利は人間だけでなく全生物が持つ特権だ。これを使わない手はない。
特に低学年の頃なんて、5分で覚えられるような内容を1時間かけてやったり10分で読み終わって意味もわかる文章を3週間かけて読んだりしてて苦痛だった記憶がかなり強い
まあ俺が中学でも学年トップ層に行けるくらい利発だったのに対して小学校のクラスメイトが全員児童養護施設出身の不良・バカだったっていうのもデカそうだけど…
正直いまの小学生が羨ましいや
暴力的なバカに囲まれて低レベルな授業(バカが騒ぐことで輪をかけてレベルが下がる)を受ける牢獄のような暮らしを送るよりは絶対家でゲームでもやってるほうがマシ 教科書のおんなじ文章を5回読まされる時間でずっと違う文章を読んでられるからな…
恐らく前半から中盤にかけてははグラフカリバーは計画的に使う必要がある。
例えば8章外伝のボスなどグラフカリバーがあった方が良い場面がある。
他の専用武器は恐らく温存は不要でどんどん使って構わないはず。
特にドラゴンランスは室内では使いようがなく、ディーンの加入が遅めなので、ドラゴンランスはショートランスやはがねの槍の変わりに使っていいくらい。残りHP1の敵に対して使って構わない。
リブローは好きに使って構わない。
リワープは使うのだが、多めに手に入るはずなので、ある程度本数を取っておいて(最終章で移動に融通をきかせるため)、あとは経験値稼ぎの為に使って構わないと思う。
ウインド・・・使いやすい。それよりブリザードをアスベルに使わせるために武器レベルを上げる必要があり、必要。手に入れたらアスベルが優先的に使う。
炎の剣、エリートの剣・・・特殊効果を得るために少しは回数を残す必要あり。
次にとうぞくのかぎ。
※このゲームでとびらの鍵不足となった場合は、その章で敵から奪うなどする必要がある。
鍵不足で詰まる事は無いが、不便さはある。
もしキルソードをシヴァから奪っていたらこれも牢獄に持ち込むと良い。
なお、ミスは確率が低く、2回連続でミスするまでリセットするのは現実的ではない。
1章につき1回でOK.
あとはライブとかを使いまくる
これは、本来は、マスコミ&ジャーナリストが徹底的に取材して、安倍政権・官僚組織が既に解決しているべき問題ですが、深刻かつ巧妙な仕組み・構造になっているため、現在に至るまで、ほぼ「問題として提起されることさえ無い」状態が続いています。
それでは、「隠れソフト奴隷問題」とは、そして、「隠れソフト奴隷」とは何のことでしょうか?
例えば、若い社会人女性が、学生時代に性的な暴力を受け、また、その際にスマホ画像や動画でハメ撮り画像・動画を撮られたとします(以前、スーパーフリーの様な問題がありました)。
その画像・動画をネタにして、加害者側が、被害者の女性が社会人になった後も性的に搾取し続ける、あるいは、金銭的に揺すり続けられている(性的・金銭的な搾取)様な場合、被害者女性は「奴隷に近い状態」におかれているのであり、しかも、証拠(弱み)があるために被害を申告できない状態に陥っているので、「隠れた奴隷」であると定義することができます。
更に、一応は社会人として生活することができているので、すくなくとも牢獄で鎖に繋がれているような奴隷ではない。
その様な構図であるため、この種の人々を、今回は「隠れソフト奴隷」と表現しています(本人はソフトだとは感じていないかも知れませんが)。
上記の構図の、若い女性(学生・社会人)が弱みを握られて性的・金銭的に搾取される、あるいは売春の様な仕事をさせられる、だけど、それが問題として一向に表面化してこない様な事例は、山のようにあります。
それは、被害者の女性が画像や動画で弱みを握られて、脅されて、お上(警察)に訴え出ることが出来ないからです。また、「本物の奴隷」よりは縛りが弱い(隠れソフト奴隷な)ので、被害が表沙汰になって、現在の仕事などの社会的な地位を失うよりも、隠れソフト奴隷である続けることを選択している結果であるわけです。
現在行われている、若い女性の性被害についての報道は、氷山のほんの一角でしかありません。水面下には何十万・何百万の「隠れソフト奴隷」女性がいる一方、弱みを握られているために一向に表面に揚がってこない様な事態が現在進行形で継続しているわけです。
安倍政権・官僚組織は、そのこと(問題の本質)をしっかりと認識して、根本的な対策を立てなければならない。
しかし、また、実は私は、この事(問題)だけを問題だと考えてこのことを書き始めた(タイピングし始めた)訳じゃないのです。
実は、私は、“安倍政権と官僚組織自身が隠れソフト奴隷だ”、ということを告げるために筆を執った(タイピングし始めた)わけです。
正確には、政治家と官僚組織の一部が「隠れソフト奴隷」であることは間違いありません。
この主張を耳にして(読んで)、「こいつ何言ってんの?」と感じる向きもあるでしょう。
以前、スーパーフリーの事件が社会問題化しましたが、これは早稲田大学のイベントサークルのメンバーが若い女性を集めて輪姦、直後に被害者女性が笑顔でピースをしている写真を撮って和姦だと主張していた、その様な性犯罪事件を次々に犯していたという問題です。
それで、輪姦された女性は「ソフト奴隷化」し、その後、新しい女性が輪姦のための飲み会に参加する(性被害に遭う)ようにナビゲートする役をこなしていくような仕組みになっていたわけです。それは、本人が望もうと望まざろうとやらざるを得ない。
一方、スーパーフリーのメンバーは「キングとして振る舞っていた」かというと、そんな事はありませんでした。ケツ持ちとして別の人物・組織が存在し、いわば、中間管理職的な性犯罪者・性的加害者として機能していたわけです。また、性的加害者として秘密を共有しているので足抜け出来ない。
実は、スーパーフリー問題の様な構図はかなりの程度ステレオタイプ化していて、学生社会に深く浸透していますが、(前記の若い女性の問題と同様に)ほぼ水面下で動いているので社会問題として表面化してきていません。
私の学生時代に、実際に「ソフト奴隷化」している知り合いが(男性も女性も)いましたので、学生時代における実感を基に推定すると、女子学生全体の1割以上、男子学生も1割以上が、学生中に「隠れソフト奴隷」となり、彼らが社会人になった後も問題として表面化せずにくすぶり続けていると考えられます。
そして、「男子学生が隠れソフト奴隷とはなんぞや?」とも感じませんか?
一例を挙げると、その際は創価学会(学会員)主催でしたが、渋谷円山町のクラブスペースで、あるイベントが行われていました。
しかし、そのイベントは、普通のクラブイベントとは異なる印象を与えており、また、そこでは異様な光景が現出していたわけです。
具体的には、ホール全体の中で、10人くらいの若い女性が程よい距離感で立っていたわけです。それだけなら違和感ありませんが、異様だったのは、それらの女性の前に、男たちが大挙して列をなしていたことです。
そこは確かに円山町のクラブスペースでしたが、誰も踊ってなんかいませんよ?
10人くらいの若い女性が立っていて、そのそれぞれの女性の前には、劣情丸出しの大勢の男たちが並んでいるわけです。
要は、宗教団体の力を借りて、スーパーフリーのバリエーションを摘発されない形で行っていたわけですが、この様なことは学生・社会人を対象として星の数ほど行われてきているわけです。
私が通った大学でも、似たような事をしている連中がいましたが、「ヒエラルキーの頂点に暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者がいる」という点ではどこも大小同異ではないでしょうか。
円山町のクラブイベントに話を戻すと、加害者の男性側も「ソフト奴隷化」します。
当たり前ですよね?
そういうイベントに参加して、若い女性を輪姦したという事実自体が参加者男性の弱みになるわけです。当然、参加後は脅されて、社会人になった後も、ポイントポイント、節目節目で(スーパーフリー事件で被害者女性がナビゲート役になったように)言うことを聞かなければならなくなるわけです。
表現を変えると、男子学生や男性社会人本人が「得をした」とでも感じて、鼻の下を伸ばして、ギラギラした目つきで、ヨダレを垂らして、劣情丸出しの表情と心理状態で、ある種のイベント(乱交・輪姦)に参加したところが…
実はそれは、倫理・道徳観に問題のある男性をターゲットにした罠だったのであり、そのイベントで被害者女性や美人局的女性とセックスをした後は、そのネタで脅され続け、また、ゆすられ続け、つまり、搾取され続ける「隠れソフト奴隷」としての生涯を送ることを強いられることになります。
そして、指示を出しているのは「暴力団関係者・半グレ集団・カルト宗教団体狂信者(幹部)」なわけです。
つまり、スーパーフリー事件というのは見せ物のようなもので、あの事件が済んで万事解決のような空気がなきにしもあらずですが、実際は「んなこたあない」、学生・社会人のコミュニイティで深く長く浸透し、本人は、弱みがあるだけに警察に相談することも出来ず「隠れソフト奴隷」であり続けているわけです。
無論、霞ヶ関官僚の中に「隠れソフト奴隷」がいます(ロボット化した人材と混在しています)。本人が名乗り出ないので、わからないわけです。
もちろん、地方公務員にも、企業の会社員の中にも「隠れソフト奴隷」はいます。男性の中には加害者としてワークしてしまった人材が多くいますので、脅され、職や社会的な地位を失うことを恐れて黙っているわけです(その方がマシだとの判断です)。
政治家にも「隠れソフト奴隷」がいて、彼らは、「ハニートラップにかかった政治家」と似たような状況におかれています。
安倍晋三総理、麻生太郎副総理、そして霞ヶ関官僚の諸君におかれましては、この問題を解決するために少し時間を割いていただきたい。
この日本社会における「隠れソフト奴隷」の問題は、ある意味で、「失われた三十年」と表現されるような、ここ30年間における日本社会の腐敗と没落の結果として生じた現象の一つだと考えられます。
ある大学生と一部の人の「中流階級」という言葉の定義の違いからその大学生のTwitterが小さく炎上している。
その学生は東大学部入学式の祝辞と今年の入試の現代文の文章を引用し、自分が恵まれていたことを振り返っている。
その際、自分の生まれが東京の中流階級であったという発言をし、その後の恵まれていた環境が多くの人の中流階級の定義から逸脱するようなものであったため、炎上している。
その後学生は自分の定義として社会学者の定義を引用し、批判の一部を反論を述べず晒しあげ、同調する人にのみリプライをした。
また、リプライの表示設定をよりプライベートなものにするという提案のリプライに賛同している。
以下ではこの件について意見を述べる。当該学生を攻撃する意図は全くない。むしろ私がハラスメントを受けているようにすら感じている。
=====
祝辞と現代文で扱われた文章のメッセージについて、今回の話に関係する範囲については、次のように捉えている。
祝辞、努力したら報われるという思考は恵まれた環境で育ったからこそ与えられる。それを忘れるな
入試の文章、現代では教育を媒介として格差が再生産されるが、その仕組みは一見平等に見える
当該学生は自分が恵まれていることに自覚的であることは重要であると解釈して、その旨を説明していると私は捉えているが、
多くの批判は学生が自信を表現した「中流階級」という言葉の定義の差から生まれているようであった。
言葉の定義の差なので当該学生のツイートになんら誤りはないが、学生が世間知らずとして批判されている。
祝辞や入試で扱われた文章から多くの人が連想すると考えられる、一部のインテリの自分の努力への自信や他者への誇示(努力マウンティングと呼ぶことにしている)の原因として、
世間知らず(自分の社会階層での位置を知らない)が強い要因であることは間違いないと考えられる。
学生の「中流階級」の定義の引用元については、おそらく20年以上前の社会階層を元に定義されていて、
現在の社会改装で「中流階級」を定義し直せば世論を反映するような、全く異なるものになるであろう。
ここ20〜30年程度の中流階級の喪失などはインテリなら一度は耳にしたことがあるだろうし、それを想起すればそういった使い方はしないだろうが、学生は知らなかったのであろうか。
学生が後からツイートで定義を付け足す様子は強引に見えるし、本来なら世間一般の定義を用いるべきであろう。
もし私が祝辞や入試問題の背景、さらに当該学生の意思を正しく捉えられているなら、
当該学生はまさしく祝辞や入試問題の背景にあるような世間知らずのインテリなのかもしれない。
また、中流階級の喪失がインテリの「世間知らず」をさらに加速させるのは明らかで、この不適切な定義の使用も皮肉なものであるように自分には感じられる。
「現代の著名な社会学者」という、内容ではなく発言者の権威で自分の主張の裏付けをとるような引用の紹介も、一応理系であった自分には不適切に感じられる。また、自分は学生より無知であるのは強く痛感しているため、むしろ小馬鹿にされている印象も受けた。
批判のツイートを、(裕福な家庭に生まれ、ゆがんだ社会構造の下で集められた税金で提供される高度な教育を受けた人間が当然義務を有すると考えられる)
理論的な反論をなしに、感嘆詞のみで引用リツートしているのも、意地悪さを感じてしまい、憤りと悲しさを覚える。
加えて、不愉快な批判リプライを表示しない設定を勧められ、その実施を宣言している。議論を放棄しているようだ。
こういった態度が、インテリへの不信感を生み、民主主義における反知性的な政治家の台頭を助長しているのではないか。
自分はこの20年ほどで先進国、特に日本やアメリカでは富裕層と貧困層の分断が進んでいて、それが人類の次なる悲劇に繋がるのではという悲観論を持っている。
そのためインテリによるこの分断を促進するような発言を強く嫌っている。
また学生の炎上に対して、学生を励ますようなツイートも見られ、それらの多くは学生の元々の認知の差について言及せず、嫉妬は放置しろなどといった態度も見られる。
自分の判断する限りそれらのツイート主も、分断の上側に属しているようだ。
このような分断を感じさせるやりとりを以前にも見た記憶がある。東京大学ミスコンテスト(東京大学でこのような催しが未だに行われているのは理解しがたい。ブサイク・ブスで東京大学に勉強をしに来ている学生の気持ちを考えて欲しい。テニスサークルの男女差別より遥かに重要性が高いと思う)の候補の学生があまりのハイスペックに炎上した(のだったと記憶している)際に、多くの東大生が、嫉妬は気にすんなよとリプライしていた。
また、学生はこういったツイートをすることで自分が努力をしていないと考えらえるのは嫌と感じるとしている。
私が例の入試の現代文の文章を読んだ限りでは、努力の因子も環境から与えられるため、努力やその能力は他人に対して優劣をつけるものではないと解釈できる。
ただ、私が文章を読んで思ったのは、負の環境も努力に正に働きかけ、しかしその中での努力は精神的に相当な苦痛を与えるであろうから、その苦痛の中での努力に対しては同情的な賞賛を送ることができるかもしれないということだ。
もちろん私はアメリカの素晴らしい大学院に合格していないし、勉強も全くしてこなかったため、私の推測は間違っているだろうし、推測も論理構成も正しくても、私は誤っているだろう。
なお、学生に対して、嫉妬は気にせず頑張れよなどとリプライを送っている人々に対しては、
私の考える範囲では、インテリに限り、どうして批判が殺到しているのかを理解していない場合は愚かだし、理解している場合は指摘するべきだ。
一応自分もこういった人たちと同じような大学を卒業しているが、こういった発言をインターネットで衆目の前で行う人間と同じ大学卒としてラベリングされるのは非常に苦痛だ。
なお、私は中流と下流の間くらいの家庭(過小評価している可能性は多分にある)で育ち、貸与・給付奨学金を利用しながら大学に通った。
経済的な理由で、家族の泊まりの旅行が5年に1回程度しかない家庭だ(海外旅行は20年で1度だけあった)。
進学実績のある高校に入学した時も、裕福な家庭出身の学生の多さに驚いたが、東京大学に入学した時の驚きはそれ以上であった。
裕福な家庭出身で、仕送りを沢山もらって一人暮らしをしていたり、お小遣いをもらいながら実家から通っている学生が多くいるように見えた。
彼らと同じように青春を謳歌しようとしたが(当時の自分はサークル活動や恋愛へのコミットに強迫観念を抱いていた)、家事やアルバイトの手間が多く、勉強がおろそかになった(文章から滲み出る頭の悪さからご理解いただけるだろう)。
理系だったので学年が上がるにつれ忙しくなり、しかしついぞ一度も集中して勉強することはなかった。
牢獄とも呼ばれる三鷹(場所が悪く通学時間が長い)にある大学の寮で、裕福な学生に対する嫉妬や自分の惨めさを日々感じていた。
都内の一等地に住む学生から、前年度に親が休職していたため、授業料免除の収入基準をクリアすることができた、と聞いた時には本当に気分が沈んだ。
就職活動においても、裕福で勉強に集中し、高い能力を身につけた学生に幾度となく遭遇し、格差を実感し、嫉妬と悲しみを覚えた。
貧しさが原因で、留年したり、退学したり、失踪したりする学生を何人か見た。例えば貧しい地方出身の学生が、家事やアルバイトをこなし、貸与・給付の奨学金を適切に申請し、その上で勉強に集中するのは、私には非常に難しいことに思える。
炎上した学生は違ったようだが、私にとって東京大学はまさしく教育を媒介として格差が再生産されていることを強く教えてくれる場所だった。
GDPが世界3位の資本主義国家の、最も優れた大学である東京大学は、当然教育を媒介とした格差について詳しく調査し、国内外に発表する義務があると思う。
私が知らないだけで、学生にアンケートをとって学生の家庭の親の年収や資産を調査したものなどが公表されているのだろう(道義的に公表しないはずがない)(追記:公表されていました(https://anond.hatelabo.jp/20200304112604]))。
多様性を謳い女子学生の増加に日々努めている東京大学は、私が知らないだけで貧困な家庭で育った学生の増加にも日々努めているのだろう。
(本件とは関係ないが、現役の東大生が東大における女子学生の少なさと貧困について考える にて女子学生の少なさと貧困が語られている。私の推測では、東京大学では学生の家庭の経済状況の分布が性別でかなり異なっている。私より貧しい家庭出身で、在学中苦しんでいた男子学生を私は何人も挙げられるが、女子学生については1人も思いつかないのだ。(追記あり))
一部のコメントへの返信
美醜以外の要素でも争っていると思いますが、賢さは争っていないように見えます。
でも格差が再生産された結果大学に入れずキモくて金のないオッサンになってしまった人は自己責任であると決めつけ叩いてもいいんですよねわかります
そういう自己責任論を否定する理論が、祝辞や現代文では展開されていると捉えています。
ID:IthacaChasmaって奴は鶏並みのバカなのかな? この増田はこいつみたいな奴に対する批判に読めたけど。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4682255784618895810/comment/IthacaChasma
元記事を読みましたが、大学入試が才能と努力量の掛け算の下で公平であること、また格差を生み出す元であるより良い教育を得るため頑張る価値があることは間違いではないと思います。
しかし入試で求められる才能(努力できる才能も含め)、努力できる環境の全人口への配分は明らかに不平等になっています。
東大生の親の資産を調査したものがあるかどうかは分かりませんが、世帯収入については学生生活実態調査で調査されているのでリンクを貼ります。議論の参考になればと思います。
ご教示いただきありがとうございます。こちらの資料(学生生活実態調査(2018年))
の39〜42ページに出身地や世帯収入、家計支持者の収入が、男女別も併せて記載されていますね。
このようなデータがあることを知らずに上のような言及をしてしまったのは間違っていました。
東京大学は入学した学生の貧富の調査・公表を私の価値観の範囲では正しく行なっています。
世帯収入と出身地について、2007〜2008の間に特異的な変化があるものの(リーマンショックの影響でしょうか)、基本的にはより裕福な学生、首都圏に住んでいる学生が増えているようですね。
特にその傾向は女子で顕著であるようです。そういった傾向を反映してか、東大が以前に女子学生向けの住まい支援の施策として新たに「月額家賃の一部を補助(月額30,000円)」を実施していました。
当時の私としては、その傾向を理解できてはいたのですが、それはすなわち男子学生の方が在学中に貧しい生活を送っていることを意味しているため、非常に悲しい気持ちになりました。
努力のできる才能を持ち、努力のできる環境で育ったような特に恵まれた人間には、勉強をする義務があると考えています。そういった人間の不勉強については反射的に批判してしまうのですが、もしかしたらその態度は間違っているのかもしれません。
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
https://t.co/voTomoxJ4L 日本ユニセフという時点で信用してはいけない。連中は児ポ法で漫画やアニメを規制することには熱心だった。漫画やアニメファンの子どもを牢獄にブチ込むことに、何の躊躇も良心の呵責も感じなかったんだ。— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年12月24日
当時は本当にこいつらが大暴れしていたからね。
本当に本当にそれでうんざりさせられる事ばかりだった。
それでこれらに非難や指摘があったら、裁判だの警告だので逆に一般人に対して、その看板で脅しをかけたりしたのもあって、世間から嫌われたのもあると思う。
そもそも児童ポルノ問題にしても反対派の予算をつけるべきと言う指摘を無視して、規制の強化ばかり喚き散らしていた事実もあるしね。
今、山田太郎が子供庁作成に奔走しているのはある意味ではお前らの尻拭いをさせられているからだよと。
何より当時、例の中3がやらかした脅迫ではアグネス氏がそれを通報して、未成年を家宅捜索させた件は世間からもとても印象が悪かったと思うよ。
何にせよ、あんな豪邸に住んでいるのならば、その金を募金しろよと言われるのも当たり前だと思う。
そう言えば当時2割ピンハネの話題の時もそこまで取っていないだのそんな事実はないだの今でも当人たちはデマだの言っているけど、これに関しても支出金が不透明だからこそ、この手の話が言われた事実があるんだよね。
しかし一時期から月々3000円だの遺産相続プログラムだの言い出して、随分と金に執着しだす様になったなと思ったりする。
またこの頃から日本ユニセフに限らず、ユニセフや国連は本当の意味で信用を無くして、落ち目に入ったと思う。
これと例のブキッキオの援交13%(訂正前30%)の件で、日本では世間的にも国連の信用が一気になくなったのも事実だと思うけどね。
そしてその後何よりこれら児童ポルノを利用して、規制強化ばかり謳っていた国連やキリスト系団体が児童買春で逮捕される話が割と多かったり、キリスト内部で性的虐待の報道が多発した事も一気に信用を無くす結果を招いたのも事実だろうしね。
また彼等の言う漫画やアニメなどの創作物規制をした国々が捜査の手を割かれてしまい、実在児童の虐待等が変わらなかったor逆に悪化した事を見ても以下にこれ等の規制が問題しかなかったと言う結果もその後露呈する事になったからね。
実際アメリカだと実在児童虐待が増加して、捜査の手が足りなくなっていると言う、ある種の捜査の破綻をしてしまったと言うニュースもあるし、イギリスのBBCではフィリピンに白人が児童買春に来ると言う報道をしていたりするわけだしな。
今でも子供の権利委員会は暴走していて、条約違反を指摘されたにも関わらず、ガイドライン変更を強行したりしているけどな。
ただ何にしてもこれで日本ではこいつら信用度が落ちたのは事実。
それと国連の各国の支出金不払いもこいつらの増長も嫌っての事もあったりするのもその一端の一つではないかなと思ったりもしているよ。
そもそもホテルとか旅館とかそういうものが好きで、部屋の良し悪しにかかわらずテンションが上がる
ホテルでエレベーターから降りて廊下に出て、手元の札の部屋番号を探して歩く時間とかすごい好きだし、旅館の広縁なんてたまらない
でもゲームだと宿屋の扱いって結構雑なんだよな まあ内装までしっかり作り込んだところで骨折り損だろうから仕方ないんだけど、受付で金払って暗転して終わり じゃちょっと味気ない
ブレスオブザワイルドは割とよかった 個室が全然ないのが残念だったけど、ちょっと金を出してふかふかベッドを選べばボーナスが得られる みたいなフレーバーも効いてた
フォールアウト4もよかったな 「部屋まで案内します」て言われて部屋までついていくシークエンスがあってかなり感動した 牢獄みたいな部屋だけど
ポケモン剣盾もなかなかだったな 自分で自由には泊まれないけど、ロビーの雰囲気とかちゃんと廊下があるところとかすごくよかった 駅もそれっぽかったしああいう現代の街並みをデフォルメした感じの描写はいいなあ
フェミニストが最初ロボメイドAIイラストを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私はその学会の人間ではなかったから
キズナアイが牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私はVtuberに興味がなかったから
ナチスが最初小西議員を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
「国民の敵」「気持ち悪いんだよ」と罵倒された小西議員が明かす、3等空佐との会話
https://dot.asahi.com/wa/2018042100018.html
安倍晋三記念小学校の籠池が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが沖縄県民たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は土人シナ人ではなかったから
【沖縄「土人」発言】で露呈した大阪府警の問題体質 威嚇、罵倒、侮蔑はなぜ繰り返されるのか
https://biz-journal.jp/2016/10/post_16994.html
「黙れシナ人」沖縄県高江で公務中の大阪府警の機動隊員が反対派を差別語で罵倒
https://www.youtube.com/watch?v=tM_J-2FQzr8&feature=emb_title