はてなキーワード: 国内外とは
なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、
安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭に真榊を奉納したというニュースが流れている。
参拝は見送ったとのこと。
例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜に配慮なんかするな、戦没者の慰霊がなぜいけないのか、などと
最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、
まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミの仕事なのだから、取り上げてあたりまえである。
自分は、靖国神社の存在について、神道の伝統にしたがえばきわめて特殊な神社であると思う一方、
なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である。
というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。
英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。
先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月を最後に靖国を訪れることなく崩御された。
先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社がA級戦犯を合祀したことに対して不快感を持ったれており、
それが親拝されなくなった理由だという説がある
今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在の陛下のお立場から考えて、
少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、
「もし、今の状況で陛下が靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。
そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。
となれば、現在、行政の最高責任者である安倍晋三のなすべきは、
自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下を差し置いて靖国に赴くことではなく、
陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、
それは間違っている。
たしかに、先帝陛下は昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、
敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて
その御心を示された方である。
軍服に威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツとソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、
望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。
もしかしたら、庶民的な君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ、挙句は若くして病に倒れた父君
国籍や民族を問わず、先の大戦の悲劇を語り継ぎ、その犠牲者を慰霊することを
自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。
先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本の天皇というのは
英国の王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、
現在、我が国の天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、
我が国の事実上の軍隊である自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣であるから、その地位にあるものが靖国神社を参拝すれば
現行憲法下で今上陛下が靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。
もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相の仕事であろう。
首相自身が靖国に行かないことで近隣諸国の懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。
にもかかわらず、無用に近隣諸国との緊張を高め、陛下を差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、
それは、本当の意味で皇室を敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである。
そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社や天皇陵を親拝されているし、
宮中では、日夜、神道の形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。
もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家の私的な行事としてであって、
その区別は厳格にすべきだろうが。
皇室を敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相の靖国参拝実現」を声高に叫び
結果として陛下の靖国親拝への道を遠ざけ、英霊の御霊の安らかなるを妨げるものは、
愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。
表現の自由至上主義で他人を傷つけるのが表現の自由なのだと言って憚らない御仁だ。某SNSを久しぶりに見てみたらあまりに遠くに行かれてしまったものだと感慨に耽った。
この戦線で少しでも後退を許せば後は全面突破されるのだと、そういう危惧があるのだろう。その危惧はわかる。俺もオタクだから。自分たちの好きなものが取り締まられるのは嫌だから。クジラッ○スを読んでるだけで訴追される世界になんてしたくないから。
だが、戦線をヘイトスピーチにまで広げるべきじゃなかった。そこも「後退できない戦線」であり、差別発言を撒き散らす自由もまたあるのだと(自分はそれに反対するというエクスキューズをつけた上であっても)言ってしまった段階で、彼は越えてはならない一線を越えてしまったように思える。もちろん彼が差別に反対していることは疑わない。だが俺には、その行動は差別者を側面からアシストしているようにしか見えなかった。
ヘイトスピーチ規制派の理論武装はかなりしっかりなされてる。日本国刑法に侮辱罪や名誉毀損罪があり、それらが民事裁判で争われることもある以上、もとより(国家があらゆる表現に介入しないという意味での)完全な「表現の自由」など日本にはなかった(というか世界のどの国にもない)。侮辱罪や名誉毀損罪も適切に運用することができるのだからヘイトスピーチも法体系の中に適切に位置づけることができるはずだ、という主張はもっともで、ヘイトスピーチ規制消極派・反対派は漠然とした不安しか挙げられていない。というか、規制反対派だってガチガチのレイシストを除けば差別を肯定しているわけではなく、特に表現規制問題から手を広げた論客にとってはあくまで副次的な戦線だろう。彼らにとって本丸は別にあって、本丸防衛のためにヘイトスピーチ規制という戦線を死守しようとしているだけだ。
だが。ヘイトスピーチ規制派と表現規制派は同一ではない。表現規制に積極的な自民党の議員がヘイトスピーチ規制に慎重姿勢を見せ、ヘイトスピーチ禁止法に積極的な共産党が表現規制反対を掲げてきたことを思えば、むしろヘイトスピーチ規制派と表現規制反対派が共通の土俵で戦う可能性はあっただろうし、実際そういうスタンスで動いているひとも一定数いる。
しかし彼の目には、そのふたつは通じているように見えたのだろう。レイシストに対抗する姿勢を示す一部の人びとの中には、積極的に俺たちの趣味を、俺たちという存在を侮蔑し、キモオタと罵り、レイシストと同列であるかのように扱う連中がいる。俺は彼らと同じ戦列には立ちたくない。彼らを批判したくなる気持ちもよくわかる。だが彼らへの批判も度を過ぎれば同じ穴の狢だし、何より、同じ戦列に立つことは拒否しても別の場所でレイシストに対抗することはできたはずだった。けれど彼は、レイシストの主張も言論の自由の範疇なのだとはっきりと言ってしまった。
彼がそう表明するに至ったプロセスについては、よく〈理解〉できる。表現規制は嫌だ。一部のオタクに敵意を示すヘイトスピーチ規制派は嫌だ。ゆえに「表現の自由」を錦の御旗に掲げ、たとえレイシストのそれであっても「表現の自由」は守りぬかねばならない。ヴォルテール。その判断を導き出した理路はわかるのだが、しかし。
「○○人を殺せ」なんてものを「表現の自由」の名の下で正当化したら、「表現の自由」そのものが敵と看做されるのだと、「表現の自由」を掲げる陣営の信用もまた毀損されるのだと、そこに気づくべきだった(本当はこういう「陣営」を一緒くたにした雑な戦術指南なんてしたくないんだけど、そういう雑な括りでの戦術指南に基づいて反レイシスト運動側をdisっていたのはいったいどこの誰だよと)。加えて、彼は「差別」を軽く扱いすぎた。彼がレイシストという批判については、当たらないと俺は思う。でも彼の論理がレイシストに対して極めて甘く寛容なものになっていたのは事実だ。
そしてその甘い論理でヘイトスピーチ規制派に論争を挑むのだからもう目も当てられない。彼の行動はTrollでしかなかった。「表現の自由」全ツッパ。それもいいだろう。だが俺はそんな戦列には加われない。
「お前たちは結局表現の自由と言いつつてめえのズリネタが守られればそれでいいんだろ?」――こんな揶揄を何度も目にする。腹立たしい揶揄だ。俺は、もちろん出発点は非実在青少年ではあったけれど、そこから色々と手を広げて国内外で表現の自由が脅かされているニュースはチェックし続けていたし、少しは声も上げてきた。だからこそこんな揶揄を目にする度に、違う、そうじゃない、と言いたくもなるし、腹立たしいから全ツッパもしたくなる。でも、残念ながら、本当に残念ながら、そこに一点集中してしまっている人というのは一定数日本語圏のインターネッツに存在しており、一点集中するだけならいいがヘイトスピーチ規制論議に殴りこみをかけたり性差別が問題になっている局面で敢えて逆張りの論陣を張ってみせたりする。「○○人は嘘つきの劣等民族」と喚き散らして何が表現の自由だ。ポスターに抗議が殺到して取り下げに至ることのどこが表現規制なんだ。
表現規制反対派に向けられる主語の大きい揶揄には、繰り返すが個人的には大いに不満がある。でもそう揶揄されるに足るだけの人材がこちら側の陣営に大勢いらっしゃるのも事実だ。敵の不行状は全力で嘲笑えばいいが、味方の不行状はどうすればいいのだろう。なるほど、確かに俺は関係ない。しかしそうやって切断処理するには、俺の忠誠心は固くその陣営に結び付けられてしまっていて、結果的に「同じ反対派がすいません」という羞恥と「俺はそんなこと言ってねえだろ!」という憤りを半々の割合で抱えて画面の前で悶々とするしかないのだ。
そうやって悩むのはもう疲れたし、疲れたから「表現規制反対。なぜなら規制は不当だからです。Q.E.D.」で全ツッパしたくなるときもある。でも少なくとも、そういう悩みの元となっている、困った規制派とは縁を切りたい。同じ側にいるけど、違う戦列にいるのだと言い逃れたい。
あと「貰った素材をそのまま使っただけ」ではなくて、
「制作会社からデータで頂いたものを、昨年から順に使わせてもらっています。のうりんの舞台だということで、国内外から美濃加茂に訪れる方がたくさんいて、その一つの観光誘致の切り口としてやっています。これを前面に押し出しているというわけでもないんです」
ネット上では「これでは子ども連れや家族で参加できない」などの声も上がりましたが「実際にスタンプラリーに来られるのはのうりんのファンの方々になるので、一般の方が来るという前提ではないんです」と話しています。
だろ。
要するに「大々的なPRとしてやっているのではないオタク向けのイベントポスターが大々的に広まってしまった」ということで困惑しているのであって、
「貰った素材を使っただけだから俺たち悪くないもーん」という話じゃねえよ。
別にそんなに気にすることでもないかもしれないし、大したことでもないので気になる人だけに。
・テクノロジー(PC、インターネット、IT、ケータイ、ウェブデザイン、デジタル、ネットコミュニティ)
また、カテゴリ変更におけるガイドラインとして以下のようなものがある。
http://b.hatena.ne.jp/help/entry/guideline_category
以前にアニメとゲームカテゴリの名称がおかしいのではないかという増田を書かせていただいたが
それ以外にも幾つか不明点、不満点が存在するため合わせて併記する。
・世の中と政治経済の内容が一部被っているために分類しづらい部分がある。
政治系の話題は世の中のエントリとかぶってしまっているように見える(経済はあまりかぶっていないかな?)
・テクノロジーの中にネットコミュニティという分類があるが紐づきづらい分類のため一見わかりづらいエントリーが含まれる。
例えば以下である。
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151028/1445970600
かといって他の分類には当てはまるわけではない。
アニメとゲームという名前にもかかわらずかなり広範にわたった内容が含まれる。
内部分類はゲーム、アニメ、漫画、ライトノベルだが、他にもニコニコ動画などのサブカル系動画サイトの話題
pxivなどのイラスト関連、声優(アニメに含まれるのは分かるが厳密には芸能である)、SF小説(おそらくライトノベル関連で入ってしまっている)、フィギュアetc
等々、名称と関連性が薄いように見えてしまう内容が大量に含まれる。
・おもしろ
正直よくわからん。
内容の不一致を引き起こしすぎるとブクマが伸びづらい等の弊害が起きかねないと思われる。
INTERIOR
TRIP
BEAUTY
GIRL'S BLOG
でも細かくて逆にどこに含んでいいかわからない内容も散見されますね。
http://bkuma.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151027-00050080-yom-soci
これがインテリアかよw
※追記
シロクマさんと青二才さんがオタク系の記事も書くからだと思う。
あのへんの連鎖反応でたまに入ってくる。
高額な本をAmazon等を利用し流通させているようにみせかけた上で
国立図書館に納本し,代償金をせしめているのではないかという問題について。
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/preservation.html
納入される資料は「毎週」1万点以上であり,どう考えても精査は不可能です。
また、出版点数が少ない学術書などで定価が万を超えることはザラであり,
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/qa05.html
「社史・団体史等の自費出版でも、相当の部数を作成し配布されているものは納本の対象」という規定が既にあります。
具体的な数字を決めてしまうのは柔軟な運用を困難にするため,このような改善は不可能であると考えられます。
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/qa05.html
「ホチキス止めなど簡易綴じのもの、広く一般に公開することに支障があるものなどは、納本の対象とはなりません」とあるように,
同人誌であれば,ISBNを全てに振っている暗黒通信団の資料があるということは有名です。
国立国会図書館の使命は,国内外の資料・情報を広く収集することです。
罰則があるにも関わらず,大手出版社であっても納本されていない資料というのは
資料が集まらなくなるようにする方針は前述の使命と反しており,そうできるものでもありません。
そもそも現時点でも納入漏れが多く,督促事務に多くのコストが割かれているのが現状です。
自分が好んで参加するイベントと,国による納本は同じレベルで語れるものではありません。
「国による搾取だ」といった反発が頻発することが容易に推測できます。
当該の出版社に支払った金額の返還を求めるという」という方針はあるそうです。
周りの凸によって当該者が根をあげるかどうかが肝とは考えられます。
安保法案が話題となっているので、自分の憲法に対する意見を書きたくなった。
憲法論議を見ていて、憲法9条に対する検証が不十分だと感じている。
護憲派は「憲法9条には、日本を戦争から守る力がある」と主張する一方、
改憲派は「憲法9条のせいで、日本が戦争・侵略の危機にさらされている」と言っている。
しかし、
というのは飛躍がある。
・憲法9条がある→○○という結果となる→△△という結果となる→……→日本が平和・危険
http://okwave.jp/qa/q8610114.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070226/263272/
そのためには憲法9条が、
「憲法9条によって、重大な危機にさらされている(さらされる可能性がある)」
ただし、
「憲法9条があってもなくても、国民の生命・国家の存立にそれほど影響がない」
憲法9条があってもなくても大差ないのであれば、崇高な理想である憲法9条を「外交宣言」として掲げ続けたほうが日本の名誉となる。
http://shuchi.php.co.jp/article/1905
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45328
http://www.article-9.org/whynot9/sb/log/eid15.html
しかも、今回の安保法案によって「憲法9条のせいで日本は危険」という主張の説得力が弱まったのではないか。
http://blogos.com/article/123562/
一方、「憲法9条によって、日本は戦争から守られている」という結論でも、
「憲法9条があってもなくても、国民の生命・国家の存立にそれほど影響がない」という結論でも、
なぜなら、中国や北朝鮮に対して国民が少しでも不安を感じたら、すぐに改憲派に傾くからである。
(改憲派が危機をあおっているだけという主張もあるが、それだけでは世論が納得しないだろう)
したがって、「憲法9条があるからこそ、中国・北朝鮮の脅威から守られる」
もしくは「憲法9条があっても、中国・北朝鮮に対処できる」と、
※自民党政権のせいで、憲法9条がこれまで活かされてこなかったという主張もありえよう。
「憲法9条を活かして○○と、△△と、□□と、…をすべきである。そうすると、、
・●●に~~影響というを及ぼす
・▲▲に~~影響というを及ぼす
・■■に~~影響というを及ぼす
(中略)
という因果関係をもたらす。」
のように、憲法9条を活かした外交・防衛政策の案を主張し、さらにそれがもたらす因果関係をシミュレーションすべきである。
このシミュレーションには、戦後70年において憲法9条が果たした役割に関する検証結果が必要であろう。
長々と書いたが、結論は「憲法9条が日本を平和にしているのか、それとも危険にしているのか、きちんと検証してほしい」ということである。
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
ある日突然どんな難病も直してしまう薬や、画期的なエネルギー源が発見されたりすることはない。
科学系のニュースは、見えない場所で予算獲得の駆け引きが繰り広げられている時期などに、
今日は国内外の爆発事故だとか、株価暴落がトップニュースに来るはずなのに、
問題の多い国際リニアコライダーのニュースが大きく取り上げられていた。
これは景気の悪いニュースをなるべく小さく見せて希望のあるニュースを前面に出したもの。
加速器ってものすごく電気を食うんで原発からの潤沢な電力供給が前提なんだが、
分かってないんだろうな、、、。でも一般の人の理解は其の程度だよなとか。
知らなかったキーワードをウィキペディアで調べるだけでもかなり勉強になるし、
被爆の実態を国内外に伝え続けた半生だった。元原爆資料館長の高橋昭博さんが2日、亡くなった。「原爆犠牲者の声なき声を後世に伝えるのが生き残った者の責務」。最後に取材した3月、言葉は途切れ途切れながら強い意志を感じさせた。病が進み証言活動が困難になっても、核兵器廃絶への執念が衰えることはなかった。
あの日、爆心地から1.4キロで被爆し、生死をさまよった。戦後、広島市役所に勤めながら被爆者運動に心血を注いだ。
原爆被害の非道を訴える一方、対話を重んじた。1980年、原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ氏に米国で面会。「いまさら恨みつらみを言うつもりはない」と握手を求め、文通につなげた。「核兵器なき世界」を唱え就任したオバマ米大統領には広島訪問を要請する書簡を何度も送った。
オバマ大統領が被爆地を訪問する際に謝罪するべきかと問うたことがある。高橋さんは「謝罪というハードルを突き付けるばかりでは廃絶へ進まない。ずっと同じ場所にとどまるのは未来志向ではない」と答えた。
だが、別れ際に「昔は謝罪するべきだと思った。本当は今でも原爆を落としたアメリカが憎いですよ」と苦渋の表情も浮かべた。長年、核兵器廃絶を訴えた理想と非人道兵器による惨劇を忘れられない内面との葛藤を垣間見た思いがした。
長年苦しんだ末にたどり着いた「和解」の訴えは重く、高橋さんが目指したゴールははるか遠い。その遺志をどう引き継ぐのか、被爆地に問われている。(金崎由美)
(2011年11月3日朝刊掲載)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20111104131802632_ja
まあ複雑ってことで
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
その知らせを受けて、多くのFacebookユーザーのプロフィール画像が国内外を問わず、
虹色にフィルター加工された。そういう画像加工の機能が公式に提供されたから、よく広まった。
と冷ややかに見ていた。
そりゃ確かにどんなセクシャリティを持った人も同等に、結婚という法の恩恵に
あずかれることは良いことだと思う。まったく反対しない。
支持か不支持かと言われたら支持するよ。
つまり、声高に支持するほどのことでもないんじゃなかろうか。
人狼ゲームの詳しいルールは割愛するが、プレイヤーには役職が与えられる。
どちらかが人狼(悪役)に食い殺されるか、
村人(悪役じゃない方)の合議で処刑されて死んでしまった場合、
どうしても相方をカミングアウトしなくてはいけない状況になった。
ぼくはふざけておどけて、男性の名を呼んで言った。
「あのう、実はおれ、◯◯と付き合ってんだ」
場はどっと沸いた、よく沸いた。
笑顔の中には、Facebookプロフィールを虹色に染めている奴の顔もあった。
「同性愛を嗤っていい、しかも面白い」という、このパラダイム、
狭い観測範囲だが、確信がある。きっとこのパラダイムは広い地域と世代に共有されているだろうと。
そしてそれはほとんど何も変わっていないし、
たぶんまだ変わらないなと思った。
ここまで読んでくれてお分かりの通り、
むしろぼくはこれからも同性愛を嗤うし、嗤うので、きっと同性愛者にとって
これ見よがしに虹色に加工したその顔で、平気で同性愛を嗤うそのツラの皮の厚さ。
あたかも性愛による差別から解放されたような風潮のなか、たしかに変わった法律と、
そしてそれを悲しく思っている当の自分が、同性愛を揶揄している事実。
いや、人は本当、業が深い。
読んでくれてありがとう。
恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。
ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。
彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対、安倍辞めろ、その他諸々、駅前で毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。
変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである。
その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市が伝統的無形文化遺産として指定するかもしれない。
それはそうとして。
実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。
そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。
僕個人としても立憲主義プロセスを無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。
しかし。
果たしてこの現代版踊り念仏が政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。
「迷惑」と「聞き飽きた」。
ただでさえ混雑していた四条が行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸や川端、果ては堀川辺りまで波及する。
『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人に負担掛けてまでやらんといて』と。
その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。
これが良いことであるとは僕には到底思えない。
重要なのは政権批判そのものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。
左派には民主主義、国民主権を叫びながら国民に主権があることを忘れて政権そのものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。
『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。
この違いこそ日本のリベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。
より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。
彼らは先述のようによく政権批判の演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。
またこの手の奴か、と。
普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。
これが大人しい田舎なら話は別だ。
ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。
その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。
こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。
重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。
と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方のサムライ・マチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。
しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである。
報道によるとこのデモは若者が主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。
彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。
ブログはあるけれど、書いてもスターがつくわけでもなく、PVが増えてもアフィが無いのでここに書く。
いわゆる身の上話の日記帳だが聞いてほしい。
俺は今、社会人2年目として働いている
特に仕事が切羽詰まってるわけでもなく暇な時ははてブなどを覗いてるわけだ。
就活中、親は「県外でも海外でもどこでもいい、好きなところへ行け」と言っていた。
実際、面接では「国内外いたるところに異動があるかもしれないがいいか?」と聞かれる事も多く
親は内定を喜び、独り立ちする事を祝ってくれた。
初任給をもらう頃にはもう後悔していた、
そう「実家に帰りたい」と
自分自身に問わなかったんだ、本当に県外でいいのかと、
家族と別れるという儀式をせず、年度末には自然な流れで引っ越し、一人暮らしを始めていた事に。
親も祖父母も若くはない、あと何回も会えないかもしれない
いくら車飛ばせば3,4時間で着くとはいっても物理的に遠いものは遠いんだ。
親に子育ては成功とは言わないでも失敗してなかったと思ってほしい、
実際これは俺の自己満足かもしれない、
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
入学前参考にした覚えがあるので
ひとり暮らしはしてなかったし
その1 医療費補助を申請しよう
http://www.waseda.jp/student/hoken/gojyokai/iryokyuhu-p01.html
新歓期はアルコールパッチテストなどを実施しているありがたい団体
ご紹介したいのは、ここでは日常生活でかかる医療費を補助してもらえること(上限年間6万だったかな)
事前に本人名義口座を登録して、学生証と領収証を受付に持っていけば数カ月後に
かなり助かるので是非使うべきだと思う
http://www.wul.waseda.ac.jp/imas/
図書館の使いこなし方や論文・文献を見つけ出すノウハウみたいなものは
ログインしさえすれば1970年代からのほぼすべての記事を検索できる
自分の興味あるワードで検索すると見出しがずらっと出るから時代ごとの変遷が見て取れて
就活シーズンが近くなったら企業名や業界のワードで検索してみるのもいいかも
その3 映画を見よう
本を読むの大学生の特権?だけど 映画も時間のある大学生ならではだと思う
テーマを設けて国内外のいい映画をやってるから時間を見つけて行くといいよ
2本立てとかを見終わると日が暮れてたりして愕然とするけど笑、不思議と松竹で見た映画は印象に残るよ
図書館でもミニブースで映画は見れるから、授業の間が空いてたらいくのもあり
その4 運動しよう
学生会館の地下には、かつて小島よしおも通ったというジムがあって
http://ameblo.jp/wasedanosusume/entry-10228174332.html
年間2000~3000円で綺麗な設備を使える 授業の合間に行きやすい
ガーデンプレイスでヨガとかやってるから女子はそれもいいと思う
戸山キャンパスの文カフェの地下にはプールがあって、初めて見つけた時は目を剥いたけど
http://waseda-sports.jp/news/34832/
バルセロナ水泳とかに出ちゃうレベルのガチボーイが隣のレーンに泳いでたりするので
参考にもなるし、マンモス校のはずなのにやたら空いているのでおすすめ 1回100円
全学部生が聴講出来るオープン科目というものがある 語学、教養、IT、ボランティア、スポーツとか
それらを余裕のある曜日にとるのも、楽しく運動不足解消・友達作りも兼ねてということでいいかもしれない
その5 工作しよう
ろくろからレーザー加工機まで 多彩な設備を使わせてもらえる工房がある
http://www.koubou.sci.waseda.ac.jp/
中々有意義な時間を過ごせる DIYとか興味がなくても、行ってみればムクムクと
その6 ピクニックをしよう
残念ながら早稲田はICUみたいなばか広い芝生があるキャンパスではない
http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/file15_03_00011.html
暖かい日は、お弁当かサブウェイのサンドイッチでも持って行くと気持ちいいよ
その7 就活どうしよう
入学式で、「早稲田に入ったあなたが出世するかどうかは保証できないが、あなたの友だちが出世することは確実だ」
みたいなこと言われたけど、卒業する今まわりの進路を見るとなるほどねって感じはする
さて、あなたがこれから日本で就活ゲームに乗るかどうかは自由だけど、もしやるならキャリアセンターは足繁く通うといいと思う
waseda net portalのキャリアコンパスコーナーに、内定先ごとの卒業生の就活振り返り記みたいなのがあるんだけど
これは参考になるし読み物としても中々面白いので、就活どうしようかなってときはここを読むことから始めるといいよ
その8 その他おすすめのお店
http://www.yelp.co.jp/biz/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E5%8D%93%E7%90%83%E5%A0%B4-%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA
映画版「ピンポン」に出てくるような昭和館溢れる卓球場 馬場近くの栄通りにある
やたら上手いミャンマー人たちのカットマンぶりを見られるかもしれない
・早美舎
http://www.sobisha.com/shop.html
レポート提出間際、パソコン室のプリンターは混んでてアテにならない
そんなときはここに駆け込むべし 若旦那が神の如き手捌きでUSBからPDF印刷してくれる
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13006270/
親戚のおばちゃん家きたみたいな感じを味わえる韓国料理屋さん
ここらはかなりエキセントリックな体験が味わえるので
1年生のうちに友だち誘って挑戦して、
後輩ができたらご馳走しに連れてってあげると面白いかも
自分は生協加入しなかったけど、結構電化製品とか色々売ってるし本が安いし
amazon代わりに使ってたら結構お得だったかなと思わないでもない
やたら新入生にゴリ押ししてるパソコンは買わなくていいよ レッツノート自体は性能いいけど
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
もっと色々書きたい気もするけど
さて、
新入生はいい友だちできるといいね
ひとりでも楽しめることは、上記以外でも沢山あるし
先日、立て篭もり事件などで10余人のフランス人が殺害されたが
これはイスラム国からの見せしめ、あるいはフランス政府の自作自演かもしれない。
フランスは人質解放という名目で多額の支援金をイスラム国に投じてきたが、
国内外で反イスラムの機運が高まってきた事と相俟ってイスラム国に支援してきた事が
明るみになると危惧した政府が自作自演の立て篭もり事件を行ったのではないか。
イスラム国と繋がった理由は、概ね国内の増大しつつあるイスラム人およびイスラム教徒の存在を危ぶんでの事である。
翻意ではなかったかもしれなかった、少なくとも当初は反テロリズムで動いていたが、
これをビジネスに結びつけたのがいけなかった。
それが分かっているイスラム国あるいは内通者がリークする事によって露見したため、
イスラム国への背信行為と看做された挙句の立て篭もりテロだったのかもしれない。
いつでもフランスを攻められるぞという脅しは効果抜群だったようで、今後も現地のフランス人が拘束されては
法外な身代金を脅し取られていくに違いない。
大人気ないというか、どんだけ党本部動揺してるんだよ
あんな経済制裁したり会合に出席させないイジメ染みた、まるでパククネや習近平のような露骨な嫌がらせをすれば
ましてや沖縄選での大敗は地方を顧みない中央集権の弊害なわけで、寧ろ落ちるべくして落ちた。
自民党が今後やるべきは何処の誰であろうと公平に期すべきで、器の大きさを見せる事で、
前の選挙を反省して次の選挙では必ず自民系に入れようと県民にアピールできるチャンス。
逆に経済制裁なんてチンケな事をしては県民を余計怒らせて収拾が付かなくなってしまう。
ましてや日本国の代表たる総理大臣が一地方選で見せる一挙手一投足に皆が注目してる中で
子供じみた、とても総理大臣の器に見えない凡庸さを見せると国内外に示しが付かないじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20141128102439
jsとIPの方の調査がお見事だったので、便乗して自分がテキスト読み込んで気になった点を。
結論から言うとこのテキストは政治家もしくはその身内が書いたものだと8割くらい確信してる。
日本は、技術者、研究者、経営者は世界のトップレベルだと感じますが、政治家はそれらに比べてひどく質が落ちるという感じは否めません。
記者質問の場で人目を憚らず号泣したり、大臣でもあった有名女性2世議員の政治資金をめぐる対応を見ても、その質の低さを痛感いたします。
ここの結び。
これって、書き手が政治家自身じゃないと筋が通らない文章構造なわけ。
あと、「痛感」って自分の身が痛いってこと=反省しているときによく使う言葉、だよね。
つまり
を直訳風に書き直すと
「自分は、身内の質が低いことについて、あなたに対し反省し恥じています」
「政治家である自分は、同族である政治家の質が低いことについて、あるじたる国民のあなたに対し反省し恥じています」
となる文なわけ。
謙譲語って「身分の低いわたし」から「身分の高いあなた」つまり書き手と読者が別集団に属する場合に使用する言葉で、「国民が国民に呼びかける」って文の建付けと、真っ向から対立しちゃう。主語を意図的に省略した文を書いたのに、いつもの「有権者様に対してへりくだる癖」が出たとしか。職業病だね。「政治家カテゴリ」に野々村議員も小渕議員も筆者も含まれる&議員は常に客体である国民より下の身分というタテマエが刷り込まれているため、こういう書き方になる。これも主語サイズ問題の一種。
納得出来ない人は逆のケースを、もうちょっと一般的に考えてみよう。
あなたが同僚に対し、買ってきたケーキがまずかった話をするときどう言うだろう。
「ケーキの質が低いです」または「ケーキの質の低さが際立ちます」くらい?
「ケーキの質の低さを痛感いたします」とはまず言わないでしょ。
じゃあケーキ店オーナーが、実食した自店舗のケーキがまずかったことを客に詫びなければならない時は?
半信半疑だった自分が「あ、これ決定的にあかんやつかも」と判断した最大のポイントはそういうこと。
2カ所目は
誰に入れていいかわからないのは、政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っているということの表れでもあります。
弱いけど、「痛感いたします」を踏まえた目で見ると傍証として。
「政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っている」という言い方は、やはりあまりに書き手が政治家側に寄りすぎている。「もらおう」謙譲語、「努力を怠っている」わがこととして反省しすぎ。
一般人が書くなら
「政治家が政治への関心を呼び起こそうとしなかった怠慢の表れ」
くらい?
上記2つの論点以外の+1としては、全体に「てにをは」が滅裂&説明不足の慣用句多すぎという、文章の素人っぷり。
これは、自己主張やアピールによって、政治的リーダーになることが原則の民主主義においては 、「能ある鷹は爪を隠す」「沈黙は金」といった風潮の我が国では 、どうしても優秀な人材が後ろに控えてしまう傾向があります。
↑「は」何回使うねん。
そんな慣用句知らん。カーライルは「この国民にしてこの政府あり」と書いたけど。渡辺美智雄は言い間違えて「この国民にしてこの議員」って言ったんだって?
(ちなみにこういう言い間違いは、ネット探偵の重要な手がかりだったりする)
グローバル化する世界で 、国家間のせめぎ合いが増してゆくなかで 、国内外において、外交、経済にとどまらずあらゆる分野において優秀な政治家の必要性は、ますます高まってきています。
↑「で」何回使うねん。
あと「国内外において、外交、経済」は「国内外において」が不要だし、「代々の政治家系の世襲議員」とか重複表現が多すぎる。
これテキストをちゃんとしたライターが書いてたら、絶対にリテイク食らうレベル。
つまりそれがないってことは、書いたのはずいぶんと偉いひとっつーかクライアントの直筆なんじゃねーの、という(サイトの社長直筆テキストとかにありがち)。+1のこっちはこじつけ感もあるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20141025152426
これは資料にある通りですね。NHKの取材に応じた自治体職員の言葉に端的にあらわれている。
『
わが町を身の丈に - NHK クローズアップ現代 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3418_1.html
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。
町の集約化を進めなければ、今後さらに負担が増していくと警告する専門家がいます。
林さんは、各地の都市を500メートル四方に分けて道路と上下水道の総延長距離と人口から1人当たりのインフラ維持費用を調べています。
例えば名古屋市とその周辺の場合、中心部の年間の平均維持費用は1人当たりおよそ1万6,000円。
一方、郊外の中には80万円近くかかる場所があることが分かりました。
今後さらに郊外の人口減少が進むと、中心部と郊外の維持費用の格差は最大180倍にも広がると林さんは指摘しています。
』
地方で子育て?地方ほど通学路の歩道等子供を守るインフラ整備も不十分で、自動車への規制取り締まりも甘く、子供が危険に晒されるわけですが?
親も親で自動車運転で誰かを死傷させて刑務所に入ったり、自身の死傷で家族に迷惑をかけるというのに?
子供のことを第一に考えましょう。そうすれば都市部が第一候補になる。
自殺のすべてが金だと主張するならば、生活保護制度の周知徹底を議員に要請しましょう。
地方財政にとっても、自動車が必要な地域でひぃひぃ自動車を運転されて、そのためのインフラを維持しなきゃならないより
都市部に移り住んでもらったほうが財政的に健全化ができるんですよ。『自滅する地方』で検索してその仕組みを調べてみてくださいね。
都心にいて「都心に自動車が必要ないから入ってくるな」というのは全くもってエゴ?果たしてそうでしょうか。
『ロードプライシング』『自動車 都市 流入 制限』で検索してみれば、気付きがあるでしょう。
『ゾーン30』『ライジングボラード』はいかがですか? 『交通静穏化』は?
交通の鉄則は弱者保護弱者優先。都市部という人口密集地で自動車のわがままを許していては、害のほうが大きいんですよ。
http://livedoor.3.blogimg.jp/himasoku123/imgs/9/5/952362b2.jpg
http://www.tkz.or.jp/con13.html
特に自転車は省スペースで、健康効果も高く、排ガスも騒音も出さず、小回りも利くため、世界中で活用推進機運が高まっている。
自動車乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生 渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
金がないなら生活保護もいいでしょう。その権利があるのですから。
もしくは東京でなくても他の都市、たとえば中国地方の都市部や福岡、名古屋、大阪、他にも候補があるでしょう。
意外とね、自動車がなくても安くで暮らせる地域ってのはあるもんですよ。東京にこだわる必要もない。
都心を脱出しても、そこは将来に渡って安心なところかよく考えてみることです。
自家用自動車前提の立地というのは、地獄ですよ。自分の身がいつまでも健康だと思わないことですね。
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
http://www.city.kamagaya.chiba.jp/kakuka/toshiseibi/atmkamagaya/imawatasi.htm
『野蛮なクルマ社会』
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/Yaban.html
http://melma.com/backnumber_16703_5796048/
自転車側が第一当事者の割合はたった15.4%であり、自転車より悪質な自動車運転が蔓延しているのが日本の交通実態だと明らかになった。
思いを紡ぐ: 危険な通学路、全国に6万か所
http://tomosibi.blogspot.jp/2012/09/6.html
http://uemuraakifumi.com/sub7_teigen_numazu.html
自動車害 暴走自動車により地域の劣悪化、危険化が蔓延している 自動車害の深刻化と共に進む過疎化
http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51557653.html
県内初「ゾーン30」 車両速度30キロに規制 和歌山市高松地区で設置
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130315/wky13031502110004-n1.htm
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/120512_01.shtml
http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110
http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/column/2008/column200810.htm
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4001.htm
なぜ日本人ドライバーは法を知っていながら交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外で道路を危険化するのか
制限速度・・・守らない!深刻な騒音公害と危険をまき散らしても知ったことか!→自動車規制取り締まり強化&交通刑務所服役へ
横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道で歩行者や自転車を加害し逮捕、交通刑務所で懲役生活へ
横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。
歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者、自転車、を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
歩道&車道&自転車レーン・・・違法駐車で事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ!自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者等妨害?知るかボケ!
上記交通犯罪はすべての道路で日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!
交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を市長や知事、議員等に要請しつづけよう。
あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトなまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省