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2019-05-25

高圧送電鉄塔萌え、高圧送電鉄塔観光ってないのか?

日本では「高層ビル」「高層電波搭」「巨大大仏」は観光資源になるが、高圧送電鉄塔って「風景邪魔物」扱いで完全に公害扱いだな。

何故?

純粋構造物として眺めたら、せめて「工場萌え」「ダム萌え」程度には観光扱いされても不思議じゃないのに。

ウィキペディアに「日本の主な高層建築物」なんてカテゴリあるが、高圧送電鉄塔は「無かったことにされて」いて、殆ど掲載もされてない。

高さ100m以上の高圧鉄塔日本全国に多分1000本はあるのに、ウィキペディア無視されてる。

高圧送電鉄塔を「観光客に開放(地上100mまで登れる)」したり、コンビナートみたく「夜間ライトアップ」すれば、嫌われモノの高圧鉄塔も、観光資源として評価されないか

2019-05-09

信号無視歩行者を轢きそうになった

数日前、雨が降った日の夕方。片側二車線と広めだがすぐ近くにライトアップ中の城があるためか、外灯が少ない薄暗い道でのこと。信号無視して横断歩道を走って渡ろうとした歩行者を間一髪で避けた。雨に濡れた暗灰色の傘の水がちらっと光って気づいた。もし左側車線を走ってたら、歩行者が傘をさしてなかったら轢いてたかもしれん。怖。

あとでドライブレコーダーを見たら、その歩行者は俺の車が時速50kmで15mくらい先まで近づいてくるのを見てあえて信号無視で飛び出してんだよね……自殺とかじゃなくて、この距離なら走ればいけるだろう、万が一間に合わなくても車が止まるか避けるだろうな、と一瞬で思ったみたいな。リアカメ確認したら、俺の車が去ったあとやっぱり信号無視して渡ってた。

こういう人を轢いてもやっぱり車の責任なんでしょ?やってらんねーよ。

2019-01-03

過去の思い出に囚われてる

22歳女。社会人になってもうすぐ一年つのか。早いね

友達ほとんどいなくて彼氏もいない陰キャだよ。

過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。

どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。

結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。

毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。

すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。

修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。

オープンキャンパスに行ったとき真夏日差しギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。

大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。

初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。

一人で初めて旅行もした。奈良燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。

卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授感謝気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。

去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味社会人になってからやってない。

感情の起伏がなくなった。大人になるってこういうことなの?

自分以外の人間がすごい充実して煌めいて見える。

過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。

2018-12-29

どうして『ゲーミングパーツ』や『ハイスペックパーツ』はやたらパリピみたいな事してるんだ

なんかPCの高級部品やゲーミングをアタマに付けたパーツってやたら光るんだ。
ゲーミングブランドなら大抵は自分たちイメージカラーに光り輝いてる。(Razerなら緑、Logicoolのゲーミングなら青って感じね。)

そうじゃないなら虹色に光る。グラボも光り、ファンも光り、CPUクーラーも光り、そのCPUクーラー水冷なら液体までライトアップ
キーボードスピーカーマウスも光る。ケースも光る。
光らないパーツはディスプレイぐらいじゃないかと思う。最も、ディスプレイはその特性上画面が光るんだけど。

いや、なんで光るんだ。なんで光らせるんだ。俺は陰キャラだぞ。パリピとは無縁だぞ。やめてくれ、眩しすぎる。
ってワケで光らないパーツを探して光らないパーツでまとめてる。

でもなんで高級部品やゲーミング仕様って光りまくるんだろう。

2018-12-04

結婚式終わった(式場選定~予算見積もり)

先々月やっと終わって、新婚旅行も終わって、

冷静に鳴って思い返せば「あの時こうしておけばよかった」があるので備忘。

とは言え全体で30万ぐらいは費用を抑えることができたつもり。

式場決めのポイント

ゼク○ィカウンターとか、ハ○ユメ、みたいな仲介のところにいった。

事前にポイントを絞って優先順位をつけていた。

1.アクセスが良い

遠方参加者が多いため。

あと単純に神戸異人館だの、ディズニーだの、USJの隣だの、

から遠いと移動だけで疲れたり、2次会で更に移動だので疲れることが嫌だった。

特に親戚が縁がないとJRから私鉄への乗り換えすらNGポイントだった。

2.料理が美味しい

自分が参加した際に何を見るか、そう料理の美味しさだ。

基本はどこでも美味しいけど、レストランウェディングとか、

オープンキッチンで温かいまま食べれるとかはやっぱり魅力。

試食して美味しかったところにした。

3.スタッフ対応が良い

何かたまにやけに手際の悪いやつとか、お酒パンサーブ全然してくれないとか、

写真撮ろうとしたとき絶妙邪魔なやつとか、いたりする。

最終的に決めたところはバイトがいなくて全員社員

というところだったのでそこにした。

4.式場/チャペル雰囲気

これはもう、3つで迷ったら、という程度。

とは言え、甘々でお姫様、みたいなところはやっぱり見て違うなってなった。

式場めぐりと決定まで

4箇所予約して2週間で見た。大体の確認点としては上のものと、

・式場で推しているポイント演出

スクリーン位置(ムービーとかが見やすい)

お酒の持ち込み

とかを確認した。

式場によっては、チャペルライトアップ演出とか、

導線が短く、新郎新婦ゲストと会わない工夫とか、

直営農場から仕入れた素材を料理に使っているとか、

そういう推しポイントがあるので(聞かなくても言ってくるけど)

それが自分たちのやりたい結婚式に合うかどうかを確認した。

それぞれの式場で比較して1箇所目と2箇所目なら1箇所目、

1箇所目と3箇所目なら3箇所目…みたいな勝ち抜け制にして決める。

*料金設定(値切り)

もともと仲介のところを使うと最大100万円根切り、みたいなのがあるけど

あれはどこを使っても絶対に同じだけ安くなる。

サービスによって違うことはほぼないはず。

キャッシュバックとか家から近いとかそんなんで決めればいい。

今日決めてもらえたら」は絶対存在するので

なるべく最終日に良さそうなところをまとめるか、

から「あの時言ってくれた当日割込ならここに決めます」を出せば良い。

急かされるけど、検討余地が残っているなら決めない方が良い。

逆に途中でももういいかな、と思えばその場で決めてしまうと良い。

金額交渉

仲介サービス使っているといくつか値引きされた状態にはなるが、

それよりもどんどんと下げていく必要がある。

というよりも、もともと仲介のところで「予算は300万」とか言うと、

・もともと300万円くらいのプラン

・割引を使ってかなり安くなって

結果的オプションいろいろついて300万を少し出るくらい

結婚式に落とされる気がする。

なので、最初の時点で少し安めに言っておくと良いと思う。

で、この時に出されるプラン基本的に全部本当に「最低限」のものしかない。

物によっては最低限ですら無い(ウェディングドレスが15万とか、見せられるカタログにはなかった)。

結局「結構割引されて、もともとの想定予算より安くなったねー」と決めてしまうと、

結果的に差額がどんどん積み上がって当初予算を超える、というのが奴らのビジネスだ。

あと、この時いろんなところに、

例えばどこどこのお花からいくらウェディングドレスからいくらカラードレスからいくら

というような割引を提示されるはずだが、これが大きな罠である

例えば、ドレスなんかは提携ドレス以外で自分レンタルドレスを見つけて、

持ち込み料を考慮してもそっちの方が安くなるからこっちにしよう、とかになる。

そうすると「本来ウェディングドレス適用されるはずだった割引はなくなってしまう」のである

故に、花代(チャペル、メイン、バンケット)やら、衣装(ドレスカラードレスタキシード)やら、

記録(アルバム前撮り映像)やら、小物やら、ペーパーアイテム(招待状、席次表、席札)やらは、

一度ここで割引を使ってしまうと、必然的に利用せざるを得なくなるのである

逆に「事前にここは自分たちで準備する」というものがあれば、

この辺のところへの割引を外して別で下げろ、という話がしやすくなる。

できるのかどうかわからないけど、全体からの総額で引いてくれって言ったらどういう顔するんだろうな。

「後から気がついてやっぱり自分金額を抑えます」をさせないためだけの割引と当時は気づかなかった。

見積もり時点では絶対こちらの予算を下回るように作ってくるので、

料理はこだわりたいので2ランク上げてほしい

お酒を飲む人が多いのでドリンクオプションをつけたい

ケーキは3段の派手なものにしたい

乾杯シャンパンを少し良いものにしたい

・お花が好きなので、高砂バンケットテーブルのお花はある程度豪華にしたい

というところで事前に予算釣り上げておくことが重要だと思う。

//ちょっと追記//

何でこのへんで予算釣り上げておくかというと、

から減らせる(安くできる)数少ない項目だからである

500円のワイン飲み放題プランを外す、ケーキを1段にする、料理を1ランク下げる、は

「このプランをなしに(減額に)できない」ということはないはずである

お花は基本予算に入っている金額では超絶しょぼくなるので

予めメインやテーブルのお花は盛っておくべきだと思う。

(どれだけ下げてもメイン10万円、テーブル1万円(*テーブル)はかかるはず)

//追記ここまで//

なぜ上記5項目で書いたか

それはこれらが「外部に委託できず、必ず発生するもの」「恐らくほとんど割引が適用されないもの」だからだ。

正確にはお花は少し割引されると思うが、割引が「外部を使われないようにする保険であるならここに割引をつけても意味がないのだ。

逆に、以下の項目についているもので「自分で用意する予定」があるなら

最初見積もりが出てからそこについている割引は

「考えていないので意味がない」「別のところにつけてほしい」という話をはっきりとすべきである

ドレス

・記録

・ペーパーアイテム

引き出物/記念品

ドレスまでは考慮が及んでいなかったがそれ以外はガッツリ使わないつもりであることを伝えた。

最初見積もりが出た時点でついていた割引について、

「ここは自分たちで用意するつもりなので」という形で他のところで下げてほしいとした。

もしこの記事に1件でも反応があれば、事前準備編や総額編みたいなのを書くが、

それ以外のものはかなり自分たちで準備することで対応した。

特に引き出物!「引き出物 宅配」などで腐るほどサービスが出てくるが、

こいつらは式場の引き出物いかにボッタクリであるかをよくわからせてくれる。

ある程度の人数がいれば送料が無料になる上(式場だとかかる)、割引率も高い。

引き出物に割引がつくと、これが使えなくなるので絶対に落としておくべきだと思う。

両親への記念品も全く同じものがA○azonとか楽○でもっと安く買える。

式場のスタッフが「上司とも相談してもうこれ以上は」って言われるまではOKしない。

他のところはどうだった、ということをチラつかせて下げるまで下げろ。

ここから先上がることはあっても下がることは絶対にない。

「いやー、でも予算がなぁ…どうせここから上がるし…」でギリギリまで下げろ。

個人的には最初見積もり、ある程度希望を伝えて2回目、

いらないもの不要と伝えて3回目、上司に伝えて泣きの1回の4回くらいは下がると思っている。

この時点では予算-80万くらいになっていたが、結果的には総額で+50万くらいになったからな。

(列席者美容とか前撮りとかもいれた本当の総額だけど)

最初に「だいぶ予算より安くなったねー」とか言ってると泣きを見るぞ。マジで

2018-11-21

2018-11-19

[]【5】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119222040




海の生き物と山の仏


本殿を参拝した後、茶室テラス席で甘味を頂いたり、宮島散策したりしていたのだが、少し寒くなって来た。

少しだけ屋根のある休憩所で一休みしたあと、案内に沿って宮島水族館を訪れることにした。

水族館とはいえ、館内は快適な温度だろう。


エントランスを潜って館内に入ると「癒し足湯」の文字

ここでに足湯とはなんと気の利いた事だろう。

そう思って近づいたが、すぐに「水族館で水に足を突っ込む施設」がある事の意味理解した。

ドクターフィッシュだった。

テレビなどでその存在は知っていたものの、自ら進んで魚に角質を食わせたいと思った事はない。

しかしせっかくなので体験してみることにした。

ぬるま湯を気ままに泳ぎ回っている彼らは、足を突っ込むや否や一瞬の逡巡もなく群がって角質をついばみ始める。

痛くはないがくすぐったくてしかたない。

トルコドイツではこれが肌の健康の為に医療行為として認められているそうだが、ゴツい大男(偏見)が魚に足をくすぐられてどう言う顔をするのだろうか。


ドクターフィッシュの他にも種々の海獣ペンギンカワウソ、色とりどりの魚やクラゲなど、意外と言っては失礼なくらい見所の多かった宮島水族館を後にして、周囲を散策すると「宮島ロープウエー」の看板が。

普段なら「一人で登っても」と思うところだが、島の位置関係体感できそうだったので乗ることにした。

ロープウエー乗り場への道すがら、坂道に建つ旅館の前に設けられた、今度こそ本当の足湯でひとときリラックスして、乗り場に向かう。

出発の紅葉谷から展望台のある獅子岩駅まで往復で1,800円。

小型のゴンドラを中腹の榧谷駅で大型に乗り換えて、展望台にたどり着くと、薄いミルク色がかった青空の下、瀬戸内海に浮かぶ島々が眼下に広がった。

こう言った光景は見た事がないので、興味に従って正解だった。


多少物足りない気もするが、眼福だったし戻ろうかな、と獅子岩駅に戻ると、傍に「弥山山頂」への掲示が。

小一時間で往復できるという。

下山ロープウエーの最終は17:30。

スマホ確認した時間は15:45、十分だ。

ついでに弥山山頂までのトレッキングを楽しむ事にした。


ボルダリング趣味にしてる割には登山はそれ程得意ではないので、アップダウンの多い山道は意外と応えるし、足を踏み外したらなどと思ってしまってちょっと怖い。

気をつけながら歩いていると、斜面のヘリ登山道を隔てるロープの外にある一枚の看板に目が留まった。

平成17年9月6日台風14号土石流により、歩道流出しました。立 入 禁 止」


弥山本堂までたどり着いて16:50分。

弥山山頂の展望台はもう間に合わない時間だし、折り返しの山道を焦って走りたくなかったので、すぐ傍にあった聖火堂で今度はやや自分に関する割合の高いお祈りをした後、獅子岩に引き返す事にする。

再びアップダウンの多い細道を歩くこと30分ほど、17:10、最終便には少し余裕を持って乗り場に到着した。


まだ数本あったものの、最終に近い大型ゴンドラは満員で、おそらくこういったすし詰めに慣れてない(いや、慣れているのもどうかという話だが)外国人が駅員に詰めて乗る事を促されていた。

こういう時に外国人と話す機会があったらどういうのがいいのか。

「Easy, japanese anybody love raid in crowded car.」

とでも言おうか。

なぜか英語で話すとき事態盛ることを想像してしまう。

外国人ジョークを求めている筈だという無意識思い込みがあるのかもしれない。

降りのちょっといくらいの絶景を見ながらロープウエーに揺られ、紅葉谷駅で降りる。

歩き通しでさすがに少し疲れていたので、すぐ近くのバス停から桟橋付近まで送迎してくれるバスに乗った。

もちろん満員だった。


大鳥居を見て帰るだけなので昼過ぎには帰って暇を持て余すかな、と考えていた宮島だが、行ってみると見所は多く、帰りのフェリーに向かう頃にはすっかり日も暮れている。

フェリー乗り場のある桟橋に向かう途中、夜の水面にライトアップされた大鳥居が朱に輝いていた。


【6】2018 晩秋、広島・博多・別府 4日目|4日目 慣れてしまえばどうって事ない へ >>

2018-10-24

原作にあって映画にないもの映画にあって原作にないもの

原作にあって映画にないもの
原作からなくなった要素を別要素で復活させたもの
映画にあって原作にないもの

こうしてみると、ピンふり寄りの上方修正が意外と目立つ。監督脚本家か、やっぱりピンふり推してるな。

2018-10-14

[] 【7】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181014195141





Good night, and good luck.


夕食のアテならある。

ホーチミンでそこかしこに見かける飲食店Pho 24 だ。

店の多さといい、お一人様歓迎のライト雰囲気といい、日本で言うところの丸亀製麺の様な店だろう。

折角異国に来てチェーン店かよという人も居るだろうが、自分は食感のヌメッとしたもの以外であれば、大体において「美味い美味い」と言って食う人間であり、メンタル不安があるこのひとり旅では、店の気軽さこそが重要だった。

Pho 24 を目指し通りを歩くと、やがてフォーならぬ、丸亀製麺ホーチミン店が見えて来た。

見知った店とはいえ、流石にここでは食わない。

しかし、日本企業のベトナムローカルメニューというのは気になるもので、店外の大判メニューを見てみる。

トンコツうどんと、坦々味噌うどんがあった。

物の本で知ったのだが、中国進出したラーメン店で、当初醤油ラーメンが全く売れなかったらしい。

どうも中国感覚では、トンコツに比べて醤油スープは手抜きに感じるらしい。

おそらくは似た事情だろう、アジアにおいて日本麺の象徴トンコツスープなのだ


Google map を見ると、Pho 24 の目と鼻の先に統一教会があったので、まず向かう事にした。

行きすがらにテニスコートがあり、お父さんがテニスを楽しんでいる。

ちょっと動画を撮ったが、もちろんセンターではない。


コートから5分も歩かないで辿り着いた統一教会は、シンとしていた。

当然といえばそうだろうが、ライトアップもない。

まあ宗教施設に夜のライトアップは似つかわしくないわな。

夜の教会を撮ったものか逡巡したが、スマホ写真に収めて、一礼した。


さて夕食だ。

Pho 24カウンターメニューを見ると、なんと練乳で作るベトナムプリンバインフランがあるではないか

コレを食べるのも旅行目的の一つだった。

かくして夕食は牛肉フォープリンという珍妙な組み合わせとなった。

実のところ、フォーの本場は北部から中部であり、南部のここホーチミン象徴するのはフーティウらしいのだが、この際、何を言われてもいい。

直ぐに運ばれて来たフォーは、腰もへったくれも無かったが、不調を抱え不安定な食欲には丁度いい食感だった。

一緒についてくる青菜をどんどん入れる。バジル香りが心地いい。トウガラシは一切れでエライ辛さだった。

食べ終わって少し休んでバインフランを頂く。

エッジがピンと立つしっかりした固さだったが、甘さは優しかった。

それより、流石にあんまりだと思って追加注文したライム茶の方が甘い。

南国の料理を常食すると糖尿病にでもなりそうだ。


ホテルに戻る前に立ち寄りたい所がまだあって、それはスターバックスだ。

グローバル企業ローカルメニューはぜひ見たい。

スターバックスに向かって歩いていると、ホーチミンに来て初めて欧米人に声をかけられた。

長い金髪を後ろでくくった髭の男。

「Are you speaking english ?」

「A little.」

嘘だ。

しかし、言わんとする事は大体わかった。

男はエストニアからやって来て、この通りで財布を落とし無一文だという。

幾らでも良いからくれと。

絶対嘘だ。

だけど笑ってしまったので、少し渡す事にした。

200,000ドン

男は手元に折りたたんで持っていた札束にそれを加えた。

持ってんじゃんか。

「Are you came from ?」

Japan.」

そうさ、これが世界に冠たるお人好しの日本人だ。

男と握手して別れた。

Thanks.」

Good night, and good luck.」


辿り着いたスターバックスではグリーンホワイトティーなるモノを頼んだ。

何が出てくるかと思ったけど、ちょっとリッチ抹茶ラテの様なモノだった。

2階席の端に陣取り、男とのやりとりを女友達Lineしていると、不意に声を掛けられた。

顔を上げると、白いシャツ少女

カードを見せられる。

どうもフェアトレードか何かで革製のアクセサリーを売っているらしい。

手を振ってもその仕草だけマイルド無視されて引き下がってくれないし、手元のドンも多分あと1日半で使い切れないほどある。

1つ買い求める事にした。

「Thank you.」

Good night, and good luck.」

少女が去ったあと、アクセサリーを眺める。

ハートが2つ絡まり合っている。

眺めてまた逡巡した。

50,000ドン位は痛くも痒くも無いが、これが安全だという保証は?

アクセサリーチップを仕込んで跡をつける事だって出来るかもしれない。

荒唐無稽と思えるだろうが、ここ数日で見たホーチミンの発展ぶりならあり得ないという保証もない。

明日の夜は半野外のタンソンニャット国際空港で明かすのだ、危険の仄かな香りさえ纏いたくない。

人が信じられない嫌なヤツだと思いながら、アクセサリースマホ写真にだけ収めて、スタバに置いていく事にした。

こんな手段想像できるなんて、自分には犯罪者の才能があるかも知れない。

いや無理だな。

見え見えの嘘を前に「笑ったから」という理由で金を払ったお人好しに詐欺など務まる訳がない。

少し頭をよぎったのは、俺は彼女に振り回されたのか、振り回したのかという事だった。


ホテルに戻ると、夜もすっかり暮れているというのに、白い制服女学生が車止めの前でたむろしている。

よく学生を見かける旅だな。

通り過ぎてエレベーターに乗り込むと、2組の制服エレベーターのドアにマイルドに挟まれながら飛び込んで来た。

ヤバイよね、私達」

「おいおい、大丈夫か?」

女学生は一瞬戸惑って尋ねて来た。

日本人ですか?」

「そうだよ。」

「えー、なんだか嬉しい!」

「俺もだよ。」

Ground floor から1階までの僅かな会話。

Good luck.」

それだけ声を掛けて、女学生と別れた。

あ、そうだ、彼女達をセンターに収めて一枚撮る手もあった。

まあ良いか

やりたい事は大体やった。

部屋に戻ってシャワーを浴びよう。


ホテルに戻ってシャワー浴び、今日顛末旅行記に書いた後で、例の曲のMVDLした。

ホテルwifiで決済情報のやり取りをすべきでないので、一応レンタルwifi繋ぎ直す。

よくよく考えれば通信業者はZTEで、これが信用できるかといえば怪しいと言えなくもないが、さすがの中国企業も共産党指導個人の決済情報を抜いて金をチョロまかす様な、大胆にセコイ真似はしないだろう。

DLが始まると、レンタルwifi使用量がみるみる増えていく。

DL終了だ。

アップテンポの曲だが、今日エンディングテーマには相応しいだろう。

画面の中に、まだ訪れていない風景や、見覚えのある建物が映る。

そうだ、曲の中に「夕立もきっと来る」というフレーズがあったが、まだ来てないぞ。

4,000年に一度の美少女神通力も、事、天気に関してだけは通じないみたいだ。

残り1日半。

夕立で俺を振り回す事は出来るかな?


【8】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|4日目・5日目 Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City. へ >>

2018-08-16

焼き鳥の串を構える増田寿丸絵馬かを敷く海苔時や(回文

焼き鳥屋のお姉さん、

私が来たとき

いつも最初ビール焼き鳥串盛り合わせ頼むもんだから

店入った途端、

焼く前の串をバルログみたいな爪はめた感じで

目配せして串盛り合わせよね?ね?ってするのやめてくれる?

笑っちゃうわ!

おはようございます

今日からなんとなく

セミ通常営業的な感じなんだけど

セミファイナルをちらほらと見かけたわ。

夜たまに近所の神社にお参りに行くんだけど、

そこのお賽銭箱の前はライトアップされてて明るいわけ。

からその光に集まって

お参りの鈴の紐に虫さんが止まっていたのよ!

もちろん気が付かないから、

むんずとつかんで鈴鳴らそうと思ったら

紐に止まっているセミごとをギュッと掴んじゃったわ。

セミも私もビックリよね。

デデッデー

ちかごーろわたしたちぃは~

いい感じ~ぃ

これが私のセミファイナル!

夏が来れば思い出す~

遙かな尾瀬遠い空~

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドタマサンド

ヒーコーも付けちゃったわ。

今日はパッとやってさっさと店じまいしたいわ。

晩ご飯カレー屋さん開いてるの間に合えばいいなぁ。

デトックスウォーター

水筒旅館に忘れちゃったので、

問い合わせたら着払いで送ってくれるって

とんだヘマよね。

もうやだやだぶっこいちゃったわ。

あんまり渡し忘れものしない舘ひろしなのに、

違う違う忘れ物しないタチなのに、ってことよ。

デトックスウォーター

水出し緑茶ウォーラーが美味しい、

意外と良いのを見付けたのよ。

伊藤園の水出し緑茶パック!

キタコレ級のたぶんグッとくるやつ。

これでサマーな夏を乗り切るわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-08-14

都庁虹色キモイ

連夜、青赤緑紫水色の5色でライトアップしているんだけど正直意図が分からない。

五輪か?

それともLGBTレインボーなのか?

2018-04-26

IHC(国際変態協議会)公認 変態番付

横綱

全裸ネクタイで深夜徘徊し、出会った女性に『僕の肛門臭いかいでくれませんか?報酬は払います

磐田市内の県立高に侵入女子生徒のスク水着て脱糞

女子高生の上履きを盗み、コンビニコピーしたものを見て楽しむ

・「生まれ変わったら道になりたい」。側溝から女性の下着をのぞき見たとして兵庫県警逮捕された通称側溝男」

大関

・19~71歳女性に一瞬で精液をかける18歳少年「早撃ちマック

・改造した釣竿を使い、足掛け30年で500枚もの女性下着を盗み続けた通称釣りキチ助平」

男子中学生に「マスターベーションだ。お前らも見せろ。100円やる」とオナニーを見せ付けた83歳の「マスターじじい」

関脇

ブルマー持参で小学校侵入、「学校ではくと快感

女子中学生が5名でランニング中、「パワーつけろよ。」と言って、下半身露出して走ってきた男(通称 パワーランナー)

・「おしっこ高価買い取り中」などと書いたチラシを女子高生に配り、その場で採取するため三角フラスコやタッパーなどの容器を持ち歩いていた男

小結

・「大便もらしたので、拭くの手伝って」女子学生を車に連れ込み性器見せる

・自宅ベランダ全裸になって腰掛けのような台に乗りライトアップ

破門

10年以上に渡り女児パンツを履いては近隣の家に投げ込んでた男

ストッキング女児パンツを組み合わせる独特の手法にこだわりを見せ、取り調べに対しても悪びれることな

女性の下着は密着感が気持ちいい。」という名言を吐き一気に番付を駆け登る。

しか過去殺人事件や巨額の横領事件を起こしていたことが発覚。再逮捕され、「変態から外れた外道」と非難され破門

2018-04-08

福島の桜

今年も桜の季節が来た。

今の日本で南から桜前線が通過しているのは、ちょうど東北付近もその一帯だ。

私は福島出身だ。

場所沿岸部、幸いな事に津波の影響はなかった。だからこうして、帰省することが出来る。

あれから、7年経ったそうだ。

私は今年、運良く桜が咲きはじめた頃に帰省したので、母と2人でドライブがてら県内の桜スポットを巡った。

久しぶりに母とあちこち行った気がする。

最初に行った公園は私が知らない公園で、桜は5~7部咲きだった。

それでも綺麗だったし、母がこんなところに連れてきてくれた事が意外だったが嬉しかった。

母はちょっと歩いた先に、ヨットハーバーのようなところがあると言った。そこは震災津波被害にあったけど、作り直されたんだと言った。

復興が進んだんだな、とそこを見に行った。釣り場や、ヨットか船の停泊所があり、近くの海辺では子供たちが遊んでいた。

私はその場所を見下ろせるところにいた。震災の時、津波で飲み込まれ映像の地形と似ているなと思った。

それから、新しく某商業施設ができるところを見に行った。

工業地帯で、道路がとても広い。

この商業施設(スーパー)がオープンしたら、この道路もいっぱいになって動かないんだろう、と母が言った。

市内に大型施設ができると道路が混雑したことを思い出した。きっとあの施設オープンしたら同じことが起こるだろうと思いながら、外壁が出来上がったその建物を見つめた。

どうやらこの複合スーパーを作るのに、地元商店街やら何やらから反発があったらしい。どのような着地になったのかはわからないが、1部では歓迎されないと言うのは、きっとどこにでもある問題だろうけど、それはここでも一緒なんだな、と思った。

私はここが、市内の活性化の場になるとか、今まで無かった何かの場になるとか、そんな事を望んでしまった。

はっきり言って市内の人間はこの施設を知らないわけはないし、控えめに言ってみんな楽しみにしているのである

市内に初めてスタバができたあの時の比では無い。

ここでも、新たな復興の形を見た。

隣接するアクアマリンとららミュウ活性化することを見込んだ配置。有難いなと思った。

観光客にはぜひ金を落としていってほしい図式が出来上がっていたので、施設並びに出店店舗にはぜひ頑張って頂きたい。

因みに、市場のようなあれの中で炉端焼きができたりするので観光客の皆さんはアクアマリンに行ったあとにぜひ魚を捕食して欲しいと思ったのでオススメしておく。

その施設工事現場を見に行ったあと、1時間ぐらいか?かけてその場所に行った。

県内、あるいは市内では有名な夜の森公園という所だ。

車でずっと走って行った。途中、山の中では桜の開花が遅いようだった。

夜の森も桜がまだ咲いていないのではと母が言う。そうかもしれないね、と私は返す。

それでも、夜の森の桜に向かった。桜を期待していたのかもしれない母には悪いが、私は咲いていなくてもそれでも良かった。

車で行く途中、母といろんな話をした。

私が子供の頃そこを見に連れて行ったこと、私はちょっとだけ覚えていると言ったこと。昔の話をするにはい時間だった。

カーナビ目的付近だというそこは、確かに並木で、桜のトンネルだった。

ピンクに覆われたトンネルは7部咲きではあっても圧巻だった。

尚且つ、車も通らない。なんなら人も居ない桜並木写真に収めるとなんの邪魔もなかった。間違いなくインスタ映えするだろう。

ただやはり、何かが違った。

その地域に入ったあたりから気づいてはいた。

人が住んでいないのだ。

家があっても、農家だとわかる家やどんなに新築に見える家があっても、人が住んでいる気配が全くない。

それはたぶん、普段生活している中で経験することは無い事だし、あの地域に入ったあの違和感や何かしらを感じるなんてことは不可能だと思える。

まり夜の森原発事故によって帰宅困難地域により、進入禁止にされている地域を含んでいた。

一部しか通行することは出来ず、廃墟となったコンビニか何かがある所には、柵でその先を閉じられていた。

柵の先と、自分今立っている差は、何が違うのかまったくわからなかったが、その柵の先もお構いなく、桜並木は続いていた。

次の週からライトアップされるらしい。

桜が散る前だといいな、と思った。

人が住まない町。アレ以来、何度か訪れた。

家がある。だが人は住んでいない。道すがら、桜はこれから咲くんだよと話した。風景でわかる、普通じゃない景色。私の地元ではないが、それはっきりとわかる。

桜は綺麗だった。

2018-04-01

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さーて今週のお嬢鯖は!?サバスです🦈お嬢鯖が出張で前泊なので観光に来ています🚄寝坊⏰したので行けたのは岡山城後楽園・県立博物館の三本です❗️来週もまた観てくださいねじゃんけんぽん✌️ウフフフフ

締めないでくれませんこと。今日岡山にお出掛けですわ。

二年ぶり二度目ですわ。前回もあまり時間がありませんでしたので岡山城後楽園でしたわ。確か後楽園は夜営業をやっていた時期でしたがライトアップ前に出てしまいましたわ。

今回もまずは岡山城に参りましたわ。黒い天守閣でしたわ。中は博物館みたいになっていましたわ。あまり有名どころの名前がない気がしましたわ。わたくしあんまり日本史に明るくありませんわ。

その後は後楽園に行きましたわ。売店で独歩ビールコイのえさを買いましたわ。矢でも鉄砲でも火炎放射機でも持ってこいやですわ!

コイに餌をあげていると

体が緑でミドリガメ!耳が赤くてアカミミガメ!鯖がいなくてお嬢鯖!わたくしですわ!わたくしですわ!わたくしでしたわ!

あと前回は6時くらいから閉まってしまって見れなかったタンチョウを見ましたわ。他には奥の方の桜が満開っぽかったですわ。ゆっくりたかったのですが博物館に行きたかったのですぐに出てしまいましたわ。

県立博物館は小さい博物館でしたわ。刀と木像が印象的でしたわ。何かが特別展示的なのだったはずですが展示のしかたが特別っぽくなかったのでどれだったかよくわかってませんわ。


食事エビめしを食べましたわ。

鯖は食べませんでしたわ!鯖は食べませんでしたわ!

2018-01-20

深層心理分析が得意な増田たちに読み解いてほしい

強烈なエロ妄想が浮かんで離れない

深層心理分析が得意な増田たちに読み解いてほしい。

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女性アイドルグループライブをしている

アイドルAKBみたいな、ももくろみたいな、モーニング娘のような清楚系

アイマスでもアイカツでもプリパラでもいいよ

沢山の男性ファンステージに熱い視線を送っている

コンサートホールは広大でステージ上のアイドルけがライトアップされている

会場では音楽が流され、アイドルたちはステージ上で歌っている

そこに、観客席から一人の男性ファンステージ上によじ登ってくる

男は一人のアイドルAに狙いを定め駆け寄る

狙われたアイドルAは恐怖に駆られ逃げ出す

江頭2:50分のイメージ

他のメンバーは一瞬驚いた表情を見せるがパフォーマンスを続けている

男は狙ったアイドルAを追いかステージ中央で捕らえる

どうやって?それはわからないが、さしたる抵抗を受けることなく男はアイドルA性交する

周りのメンバーは惨めな姿を晒すAをよそに、何事もなかったかのようにパフォーマンスを続行する

アイドルAステージ上でする性交の様子がステージ背面のモニターに映しだされ、観客に見せつけられる

テレビ中継もされているのかもしれない

全国のお茶の間が凍りついているのかもしれない

性交フィニッシュが近づく

アップになった結合部や紅潮した表情が交互に映しだされる

アイドルAの手から床に落おちたマイクが組み伏せられた彼女自身の喘ぎ声を拾ってしま

嬌声、そしてねっとりとしたディープキスの音は増幅されコンサート会場に歌声とともに響き渡る

ファンは動揺するのか、怒りをあらわにするのか、わからないがざわついている

それでも歌、踊り、パフォーマンスは続いている

男はアイドルAに密着したまま数回短く痙攣すると、規則的な腰の動きを止める

すべてが満たされた男は、静かに立ち上がるとゆっくりステージ袖へ立ち去っていく

アイドルA性交を終えたそのままの状態でぐったりと寝そべっている

男の背中にはすべてが満たされたという満足感といと仕事終えた達成感が感じられる

流れていた曲が終わり、アイドルたちはステージから去っていく

しかし、アイドルAは放心状態でその色白の肌とつやつやの黒髪ステージ上に横たえている

スポットライトステージ上に取り残されたアイドルAを照らしだし、ステージ上に垂れた大量の体液をキラキラと輝かせ強調してている






2018-01-08

LED発明により植物を使ったライトアップ安全に行えるようになった

っていう話をイルミネーション見ながらする人のことどう思いますか?

2017-12-13

先に誤っておきます楽しい話じゃないです、ごめん。楽しくないどころか、大いに気分の悪いことを書きます。読まなくても特に問題ないことしか書いてないので、読まないのも推奨。読むと決めたら注意して読んでください。

#世界一クリスマスツリー というプロジェクトがあります。ひょっとしたら情熱大陸で知ってる人もいるかも。このプロジェクト時間が経つに従ってイベントストーリーが追加されてて、怒りが増していっているので、自分でも自分が当初どう感じていたかからなくなりそう。わからなくなる前に書き留めておこうと思いたった。ただそれだけの記事です。怒りポイントは大量にあって、それぞれの人がそれぞれ怒っているので、私の場合も書いておこうと思った。読まないのも推奨。大事な事なので二回書きました。

最初記事

この話題に一番最初に触れるきっかけは、神戸新聞記事の紹介だった。

港に樹齢150年の巨木でXマスリー 神戸全長30m(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201710/0010612425.shtml

神戸メリケンパークに今冬、全長約30メートルの生木のクリスマスツリーを立てる計画が進んでいることが3日、関係者への取材で分かった。珍しい植物を追い、世界中を回る「プラントハンター」の西畠清順さん(36)=川西市=が企画世界的に有名な米ニューヨークロックフェラーセンターのツリーと同規模になるという。12月の約1カ月間ライトアップし、神戸港開港150年目を華やかに締めくくる予定だ。(上杉順子久保田麻依子)
西畠さんが率いる植物コンサルティング会社「そら植物園」(川西市)が開港150年目の記念イベントとして主催神戸市が後援する予定。
リーにする木は富山県氷見市山中に生えている推定樹齢150年、推定重量40トンのアスナロ。約2年前に西畠さんが見つけて掘り出す準備を進め、クリスマスツリーとして立てる場所を探していた。
神戸市側との協議を経て、「阪神・淡路大震災から復旧し、開港の大きな節目も迎えた街に立てたい」と神戸港での設営を決心。震災犠牲者をしのぶ「神戸ルミナリエ」とも開催時期を重ねることにした。
木は今月中旬に根ごと掘り出し、輸送可能状態にまで枝を圧縮した後、11月初旬に氷見を出発。トレーラー富山県内の港に向かい神戸港まで海路で運ぶ。同月中旬メリケンパークに到着するという。
会場では大きな鉢に植樹し、反射材入りメッセージカードに観覧者の夢や目標を書いてもらい、飾りとして木に結ぶ。観覧無料で、ツリー周辺でマルシェ音楽イベントも開かれる。
西畠さんは「巨木を立てることは古来、鎮魂の意味があり、やるなら神戸しかない。生まれ育った兵庫から震災の傷痕が残る東北熊本希望を届けたい」と意気込む。

この時点での感想


次の記事

次に目にしたときは既に非難の声を集めた記事だった。曰く「醜悪すぎる」

http://buzzap.jp/news/20171120-xmas-tree-kobe/

いろいろ読み進めると、主催者側は様々なストーリーを追加していたようだった。

「今回のプロジェクト面白いところは、ロックフェラーセンターのツリーよりも大きなクリスマスツリーを立てようというプロジェクトと見せかけて、みんなでギネス世界記録を狙うというところ」

え!!ロックフェラーのような賑わいを作るのは実はどうでも良くて、記録を作る企画すり替えるの?それは騙す気まんまんということ?最初からそう言えばよかったんじゃないの?それはサプライズにはならない、みんなと同じ方向を向いて進んでいないと、おかしくなる。賑わいを作ろうと頑張ってたスタッフ気持ちを、どこかに捨てることになる。最初から記録更新目標なら、みんなでそこに向かえばいいのに、どうしてこんなことをするんだろう?

フェリシモが加工して販売するだって畏敬の念へったくれもない。それじゃぁ、150年の樹木という意味すら必要なくて、それだったら「単に大きな樹を用意して、みんなで楽しみました。楽しんだ記念グッズを販売します」で良かったんじゃないの?関係者ごとに違う話を吹き込んで回ってたりするのか?そもそも移植じゃなかったんだ。この先も敬っていくものとして扱うのではなくて、材木ってことね?

「輝け、いのちの樹。」だって意味がよく分からない。全く共感できない。輝いているのは電飾でしょ?命が輝くというのはそういうことじゃない。賑わいを作り出して祝う場合だって、輝くのは私たちの命であって、クリスマスツリーじゃない。

極めつけは「ヒノキになれない落ちこぼれの木がこのプロジェクト世界一に輝くことを目指す」ですよ。これは、なぁ、もう、ダメだ。完璧に。敬う対象としての木が、材木になるのは、100 歩譲れたとしても、この投影ダメだ。「落ちこぼれ」とか人間らしすぎる。人間投影されてしてしまっている。これはシャレにならない。この木が弱って、材木として加工されていくという過程を、この神戸の人たちに見せようというのか。例えば自宅が燃えていくのを、なすすべもなく見ることしかできなかった人。あるいは、親や子供がれきの下から救出できずに、なすすべもなく失った人。そういう人達が住んでいる、この神戸で。ただの材木ならまだよかった。この投影によって、樹がそういう意味を持ってしまう。過去の辛い思い出を引き出されるのは、それだけでも相当辛い。さらに、その樹が輝くことを目指す、ですよ。もう一度何が投影されているかを考えてみてください。これがどれほど傲慢で不遜な行為に映るだろうか。まさに魂に対する冒涜ですよ。これは駄目です。人の道を外れています

それでもここまでなら、何かを盛大にこじらせた自称アート作家の事案で済んでいたかもしれない。

次の記事

神戸港巨大ツリー 催事伐採生田神社鳥居に」

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010779156.shtml

この記事は、さらに踏み込んできた。

ここまで命を弄んだ挙句に、それを町のシンボルたる生田神社に持っていくなどとは、さすがに許しがたい。断じてNOだ。持っていくにしても十分な手続き必要だ。まさに鎮魂をしなければ受け入れられない。生田神社のコンセプトは命の女神なんですよ?

「ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」という発言、これ意味わかりますか?これまで私たち公園だった場所ですよ?ツリーは見たくないに決まってるじゃないですか。過去の傷がえぐられるのを分かっていて、どうして見に行く気になる?そういう前提で、見に来なければいいというのは、公園を奪ったということなんです。私たち土地を奪ったということなんです。これは明確な神戸市民に対する攻撃だと、はっきりしたんです。攻撃されて黙っているとでも思ったんですか?怒って当然でしょうが

2017-10-08

旦那が車を買い替えた

付き合ってた時に乗ってたのはこだわりの四駆スポーツカー

結婚してからハッチバック車のスポーツタイプ

数年後異動になり車を売る仕事についてからハイブリッド車スポーツタイプ

それから最初車検の年の今年、最新のハイブリッド車に。月末近い夕方LINEで「買い替えないといけないかも…」二時間後「買い換えることになりました」で。

車好きの旦那で、酒タバコはしない。パチンコもしない。たまにG1競馬で二、三千円遊ぶ。

子供の世話も割とする方だと思う。(割との基準によるけど。だから買い替えの時好きな車のことは確かに好きにしていいと言ってきた。新車を買って長く乗ろうって言うスタンスで行こうって話してた。

理由自分の今月の目標台数に達してないから。今回買い換えれば、自分店舗目標達成するから

…いやまだ乗って三年目だよ…

これが先月に話で今月の納車されてきたんだけど。

トミカや車大好きな息子は大喜び。娘はまだわかんないみたい。

私はというと不本意まりないので全く好きになれない。

いうと車種がバレるだろうけど

後部座席の取っ手すごいところにあるしやたらゴツゴツしてるしむだなサイドミラーライトアップ。後部座席の窓はやたら小さい。

買い替え時私が起こった態度だったからだと思うけどまたスポーツグレード。(多分高い)

どうせまた三年で買い換えるんだろうからいいもの買わなきゃいいのにって言うと多分次売る時グレードも高い方が高く売れるからって言うよね。

わかってんだけどさあ!

納得できなくて未だまともに旦那の顔がまともにみれない…

300万くらいの買い物だもん…はあ…

2017-09-29

保毛尾田保毛男は「問題ではない」のか

まず始めに。

僕は高校生であり、ゲイである

その事は一部の友達しか話していない。

さて。

いま、Twitterトレンドに、保毛尾田保毛男とある

僕はまだ高校生なので、このキャラクターのことを知らなかった。

からその名前エゴサして、初めて知った。

保毛尾田保毛男、彼は昔、お茶の間を沸かしていた架空人物だということ。

当時、彼の真似した人が大勢いたこと。

そして、多くの同性愛者含むLGBTQの心を密かに痛めつけていたということ。

僕の率直な意見は、「フジテレビはなんてことをしてくれたんだ」だった。

確かに今から30年前と言えば、同性愛者らにそう言った「負のイメージ」が付き纏っていた頃だろう。「ホモ」という言葉も、「オカマ」という言葉も、テレビで平然と流れていて笑われていた、そんな時代

しかし、今やこれらは「蔑称」として扱われ、少しずつ使われなくなっている。

今回の件で問題だったのは、「30年前、『蔑称』で取っていた笑いを、今の時代地上波で流してしまった」ことなである

見た目もそうだ。

彼の姿を見た人なら分かると思うが、あれが「ホモなのだと扱われたら、どうだろうか。

僕は中肉中背の何処にでもいるような男だ。言わなければ、ゲイだと疑われることはない。

人間がそうであるように、ゲイだってみんな違う顔であるし、違う喋り方であるし、違う姿をしているのだ。

あのような「『イカニモ』なイメージ」で作り出された見た目に、僕は不快感を覚えてしまった。

さて、僕はこれまで、保毛尾田保毛男に対する自論を述べてきた。

あくまでこれは「ゲイ総論」というわけではなく、僕という人間の一意見である

エゴサーチを掛けてみれば、保毛尾田保毛男を擁護する声も、沢山見受けられた。

「保毛尾田保毛男は保毛尾田保毛男というキャラクターであるから同性愛者を差別しているわけではない」

「すぐ差別だと言われて自粛してしまう、これだから日本テレビはどんどんつまらなくなっていく」

等々。

中でも僕が目を引いたのは、「それなら禿げている人をネタにするのはどうなのか」という意見である

これは個人的見解であるが、コンプレックス的な部分を「当事者が」自虐的な笑いを取るのは問題ないと思っている。

しかし、そのコンプレックス当事者ではない人が、当事者であるような立ち振る舞いをして笑いを取るのは、些か問題があるのではないかと考える。

その場合、「客観的に見た」ものしか作れないのだ。

当の本人がやれば、同じような境遇の人が味わった、表面的ではない主観的意見表現することができる。

しかし、第三者がやれば、偏った表面的な部分しか理解できていないのだから、ただの独りよがりになってしまう。

実際、保毛尾田保毛男は、あくまで「ホモ疑惑」という設定ではあるものの、偏った意味合い視聴者に持たせてしまっているのではないか

今、やっとLGBTQは日本で陽の目を浴び始めている。

今回これらを放送したフジテレビも、LGBTQのイメージカラーであるレインボーライトアップをしたと聞いている。

少しずつ偏見が無くなりかけていた、そんな時期に、フジテレビは保毛尾田保毛男を登場させてしまった。

そして、「ホモ」という言葉を、再び地上波で流してしまった。

もし、テレビ自分コンプレックスな部分をネタにされた内容が流れたら。貴方はどう思うだろうか。どう感じるだろうか。

保毛尾田保毛男というキャラクターの今回の登場は果たして問題ではないのか。

保毛尾田保毛男というキャラクターは、見た目やその内面名前、全てにおいて笑えるものなのか。

差別でとる笑いは本当の笑いなのか。

身体的特徴、性的指向、それらをネタにして作り出した笑いは果たしてお笑いと言えるのか。

フジテレビには、適切な対応を求めたい。

拙い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございました。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-04-03

雨上がりの艶っぽい夜の中、成城学園前駅からグーグルマップを頼りに随分と歩いた。

静かな住宅街の中、突然漏れ出した煌々と眩しい光に夜空を見上げて思わず声が出た。満開のオオシマザクラが迫り出すように空を覆っていた。

世田谷区大蔵にある、ここ妙法寺は廻る大仏で有名だが、この時期は夜桜ライトアップをしている。

知人を誘ったけれども、明日告白するから早く寝たいんだと、ベッドイン前提の酷い理由で振られたのでおっさん一人境内を歩く。

ゆっくり歩きながらオオシマザクラ、枝垂れ桜と堪能した後、腰を落ち着けたくなって開放されていたお堂の中に入った。

椅子に近い座椅子腰掛けると、硝子越に満開の桜達‼それから四十分、ほとんどの時間を独り占めして過ごした。

感動が過ぎると桜を見た感慨をあてつけのように、LINEに連投した。

世田谷妙法寺おるんやけど、泣けるくらい素敵な枝垂れ桜。

お座敷を開放しとるのやけど、ちょっとした仏壇香りが畳のい草に混じっていつまでも香っていたい。

素敵、ねぇ、ほんとに素敵‼‼

その後、お孫さんを連れてきた三世代のご家族がいらっしゃって、カメラシャッター音とお孫さんの何かに駄々を捏ねる声を残して、去っていった。

じぃじ、お孫さんに全部敬語だ。自分の前を腰を折って通られたばぁばも品が良さそうだし、深窓の令嬢って親の親から違うのかな。

ばぁばどこ?という幼い声、とてとて襖の間を歩く拙い足音が耳を離れられない。可愛い

照明は非常口を知らせる緑の看板以外付いてなくて、真っ暗。大きな窓から桜の照り返す明かりが、お庭のせせらぎともに静かに入ってきて、静けさの中によく響いた。

延々とお庭の池に流れおちる少滝のせせらぎが柔らかい春雨にも似て、優しい音だ。

RainyMoodみたい、眠い

寝た。

羽織ったままだった外套背中にもぞったので外して膝掛けにすると、妙にそこだけ生暖かい

先日お世話になったお嬢さんの膝もも裏も同じような暖かさだったな。

見た。立った。帰る。

最後まで既読は付かなかった。

夜中に情緒不安に駆られて八千文字を分けて送っても読んでくれたので、

ほんとに見てないのだろう。

今を一緒にしたかったな、と残念は、またやってしまったと急速に後悔へ変わってゆく。

帰りは一段と寒さが増していた。

2017-02-13

ぼーっと

激怒という名のホッカイロ、キサマの救済は火傷するんだ、ど、どうせ自由不自由も愛せはしないのだ、だ、だみ声ウォーカー、カー、カーチャンにやつあたるその前に、に、似たぬいぐるみを部屋に飾って、、て、手足口のその化物と、と、とおせんぼした世界の、の、除け者である自分を、を、折り、り、リスって賢くなってるよね、ね、ねこはそのままの気がするよ、よ、よかれと思うこともなく、く、くるおしきライトアップ、プ、プリント捨ててごめんなさい、い、いまにいたる、る、流浪、う、生まれたのは、は、はじめから間違いだった、た、たとえば、ば、バベルの塔の、の、のまれる午前、ん、ん、牛。あ、間違えたあああああああああああああああああああああああああ。

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