はてなキーワード: いちことは
勝手に取るには
「本当に取ることが正しいか?」
次に所得税というのは一年間に得た収入のうちの一部を税金として納める仕組みです
という感じで税金を納める儀式が確定申告です(他の税金もこのタイミングで一緒に払う)
ちなみにこの収入額の合計から税額の計算は「納税者本人」が計算して自分で記入します
税務署は計算してくれたりしないので、自分でちゃんと間違わずに計算して税額を入れましょう
今は便利なツールがあるので収入の金額入れたら確定申告書まで全部計算して入れてくれますけどね
「払わなかったらどうなる?」→上記に書いたように強制的に徴収されます
「収入を少なめに言っても分からないんじゃ?」→あなたにお金を払った人は「必要経費」として申告してるのでバレます
上記の収入というのは、何かしらで貰ったお金から「必要経費」を差し引いた額になります
死ぬ気で働いて10万円貰ったけれど、その仕事をするのに2万円かかってるなら収入は8万円になります
税金を払うぐらいなら必要経費にした方がマシなのでみんな必死で必要経費にします
そこで必要なのが「領収書」で、ちゃんと物を買ったりサービスを受けた証拠があれば必要経費になります(ならないのもある)
加えて企業も税金を払いたくないのでしっかりと従業員に支払ったお金は必要経費として計上します
仮にあなたが自営業をしていて、何かしらお金を受け取った場合、お金を払った側は領収書を使ってしっかりと必要経費にします
サラリーマンを始めとした一般人にとっては生きていくのに必要なお金が「必要経費」です
いちいちこの必要経費がいくらだったかを計算するのは面倒なので、ざっくり年間で50万円までは必要経費でいいよ、という感じなのが「基礎控除」っていうやつです
他にも「生命保険は普通入るよね」「個人年金とかも積み立てるよね」という感じで「必要経費にしていいよ」といういろんな控除があります
「パートで働いてる妻と子供がいるんだけど」というのが配偶者特別控除や扶養控除になりますし、他にも医療費や住宅ローンなんかも控除されます
こういう各種控除を受けるために保険に支払った額や家族状況などを申告して税額を決めます
一年働いて給与総額を計算し、控除なんかも計算して確定申告すると
「税金をこれだけ払ってください」
という感じで催促されますが、世の中の大半の人は貰ったお金をすぐ使うので手元には無いことが多いです
お金を持ってない人からはどう頑張ってもお金を徴収できないので国としては困ってしまいます
そこで考え出されたのが
「毎月少しずつ徴収しよう」
という考え方です
ただ、毎月請求書を送っても世の中の大半の人はそれを無視してしまうので
「だったら支払われる給料(お金の源泉)から差し引いてしまおう」
ちなみに給与から差し引くのは給与を支払う企業で、企業は徴収した税金を翌月10日までに国に納めます(中小企業は半年に1回まとめてで良い)
このときの源泉徴収される税額は、単純に支払われた給与のみから計算されるので各種控除や前の月の収入なんかは気にしてくれません
毎月同じ額の給与を貰っている人は源泉徴収された額がピッタリ税額と一致しますが
残業したり休んだりして収入が変わる場合は毎月の源泉徴収だと総額と合わなくなります
なので12月の源泉徴収で一年の給与合計を計算して源泉徴収額を調整します
1年を通じて払いすぎてた人は12月の源泉徴収額がゼロになったりマイナスになって返ってきたりしますし
逆に払えてない人(基本的にはいない)は徴収額が増えることになります
このときに各種控除も一緒に申請してくれるので、企業は年末調整のときに「保険の支払い証明書出してね」などと言ってきます
ただ、一部の控除に関しては年末調整で出来ないので確定申告をする必要があります
企業からお金を貰ってるサラリーマンじゃない人(自営業)とか、年末調整で控除しきれてない人、会社には言ってないけど他にも収入がある人なんかは確定申告します
ちなみに「ほんのちょっとだけ控除の申告忘れてた」っていう人は、確定申告したら戻ってはきますが、微々たる額なのでやってもやらなくても別に良いです
一方で「ほんのちょっとだけ収入の申告忘れてた」って言う人は絶対に確定申告してください(マジで)
さて、上記で「収入を過少申告しても絶対にバレる」と言いましたが、実はあんまりバレません
なぜかというと企業間の商取引や個人への売買を全部把握できるはずがなく、経費として計上されても確認するのが大変面倒だからです
そのため、税務署は一部の怪しい申告に対して「本当に経費として支払ったか証拠(領収書)見せて?」という感じで取り調べを行って証拠がなければ税金を払わせます
この手の見せしめを行って他の納税者にも圧力をかけているのが税務署です
ようやくこのイヤな感じの正体がちょっと掴めそうな気がしてきたんだけどまだまだハッキリとはしてないんだけどまあこんな感じなのかな。
SDGsって持続可能なナンタラの大義名分ためにこまけーことで人の一挙手一投足を規定していこうっていう裏の意思みたいなものを感じるんだ。
ざっくりとした思想をダイレクトにこうしろや!みたいなのはむしろあんま感じなくて。
いちいちこまけーことで色々言ってくるあの圧に俺が俺である意味が削られていくような気がしてる。
「レジ袋は一番でけーので頼む!割りばしは2つおつけして!弁当1個しか買わんけど!」みたいな人間が仮にいたとして、SDGs的にまあアウトよりのアウトなんだろうけど
でもその人間のそのひとつひとつの要求こそがその人間がその人間であることを社会に刻印していく行為に他ならないんだよな。
就活で自分を一言で表現してくださいみたいなのはあんなのは嘘っぱちなので。
人間は一言では言い表せないしモノに例えることはできないし動物に例えることもできないし絶対に潤滑油ではないよな人間は。
レジ袋(大)のような一つ一つの傲慢さやプレイリストのクセとかサブウェイの注文の仕方や時には社会なるものに立小便をひっかける各種行為(女性なら座りション)の積み重ねが
パズルのピースのように人間を少しずつ形作っていくしそれは「このようにあろう」みたいな意識高い中身アホみたいな領域ではほぼなくてほとんどが無意識だったりプライベートだったりすることのほうが多いんだよ。
SDGsというのはそれらを一つ一つ矯正してくる試みなんだよな。
人はなにかしら大義名分を得た途端に水を得た魚のように人を縛りだす。
ハハーンそうくるのな、の見本みたいな醜悪さで。
パワハラはあったんだろうと思う。
おそらく全国の報道のほうが盛り上がっているだろう。
臭いものに蓋をしたいのかという話ではなく、論点は前知事に遡る。
世間的に話題になったのは大河ドラマ「平清盛」で汚いだのなんだのボロクソに言ったことだろうか。
記憶では定期的に失言しており、コロナ禍では介護職に補助金を出す必要なんかない的な話をして炎上したのが最後くらいだったか。センチュリー?
大阪との間に壁を作るとか東京に地震が来たときがチャンスとか、震災後の知事とは思えなかったが、震災復興(経済は落ち込んだが)に尽力した(と言うしかないだろう。実際は県民の後悔と防災意識が高まったせいではないか)という評価で長期政権を築いた。なお更にその前の知事が震災でやらかしているし権力で地震の可能性への指摘をスルーしたり色々あったので、前知事の初選挙は盛り上がったのだろう。
なぜ長期政権が続いたのか理由は色々あるのだろうが、これを実力とは言いたくない。
兵庫県知事選挙は昔から立候補者が少なく、出てくるのは芸能人とか変な人。自民党と公明党がしっかり手を組んで、前知事を祀り上げて長期政権をさせるように導いていた。そもそも公明党が強い占拠区であったはず。
前知事が失言を繰り返す中で出てきた若い人、それが現知事である。実績なんか誰も知らない。そもそもなかったのかもしれない。
前知事と全く違う人を県民は望んでいただろう。とくに現知事が選挙戦で派手だった記憶もない。でも他の候補者も酷いもんだったので、結果的にそこに投票するしかなかった状態ではあった。
さて結果的に告発をされ知事のパワハラが問題視され死者までだしてしまった県政なのだが、月日を考えてもおそらく県職員たちは前知事から大きく変わっていないだろうと思う。
県民的に疑問は大きく3つ。
「前知事はパワハラ気質ではなかったのか?誰から見てもそうだったが」
「物品をねだったり知事の権力をふるっていたのは前知事からの慣習という話」
「パワハラで堕ちた明石市前市長がいまだにメディアで活躍している状況」
誰と話しても現知事をかばう気は一切ない。ただよく知らない人で、全然よくわからない人だ。
まぁ年寄りにパワハラ振るわれるより歳下にパワハラされたらプライドが傷つくのもよくわかるのだが…。
ただ、兵庫県政は少なくとも1980年代に腐っており、自民公明と前知事が蜜を吸わせた職員が今幹部に居て現知事を批判したということ。そしてその腐敗は現知事が辞めても続くということだ。(辞めなくていいという話ではないさっさと辞めろ)
よく元不良が更生して社会貢献する姿を見て
陰キャが「元不良のくせに偉そうにするな!コイツに苦しまされた被害者のこと考えたことあるのか!」なんて言って、得意げにこち亀の両津が元不良に対しての説教する画像貼ったりするけど、
それよか叩いてる陰キャはこの元不良より世の中に役立っているのか?想像だけど何もやっていないと思う。
だから誰からも評価されず悶々とした日々を過ごしている時に元不良が評価されているのを見て
「俺は真面目に生きてるのに誰からも評価されず、何で不真面目だったコイツが評価されてるんだ!」と不満を持つのかと。
陰キャでも現状評価されてる立場にいればいちいちこんな事で目くじら立てないだろう。
何が言いたいかと言うと、
「世の中に役立つ元不良」VS「世の中に役に立ってない真面目な陰キャ」
きのうはクリスマスだったのでおにいちゃんがしごとがえりにケーキをかってきてくれました。ショートケーキとチョコのケーキがふたついっしょにはいってるやつです。はにとてもわるそうとおもいながらぼくはショートケーキをたべました。いちこがすっぱくてクリームがふわふわでした。まよくよりしあわせになれました。ケーキだいすき。それでほかにクリスマスらしいものをたべたかといわれればなくて、ほかにぎょうざとかカレーとかたべたけどクリスマスとはいえないよね。
えっくすのタイムラインではフォローしてるせいじかがけんかしててちょっとかなしくなりました。つぎのせんきょでとうひょうしたくなくなるのでなかよくしてほしいです。でもあしたはやすみだからとおくへいくのちょっとだけたのしみ
やってることは実はそんなに複雑じゃなくて、
4. 1と2と3から、目的地は自分から見てどっちの方向にあるかを推論する
(1→2ベクトルのなす角度から角度3を引くと角度4が求まる。)
たとえば。
地図上で、現在地から見て目的地が右下にあったとします。方向は右斜め下向きの矢印です。(↘)
周りの建物の配置や道路の向きなどのランドマークから自分が今「真南」を向いていることがわかりました。方向は下向きの矢印です。(↓)
↓を基準に↘を見ると、目的地は左前方にあるとわかります。(↖)
ここ数年、15年前に離別した父親に連絡を取るべきかどうか定期的に悩んでいる。
両親の離婚に絡んだ話で周囲の人には話すのもはばかられ、誰にも相談できないのでよかったら聞いてほしい。
ここへ投稿するのは初めてなので、読みにくいところがあったらごめんなさい。
※昼頃に投稿したんですが間違えて消してしまい、迷ったのですがせっかく書いたので上げ直しました。すみません。
・父:70歳。生死含め現在は何をしているか不明。離婚当時は大手企業部長。激務で平日はほぼ顔を合わせることはなかったが、私は割と父に懐いていた。おとなしいオタクタイプだが時々激昂することがあった。
・母:65歳。飲食業正社員。離婚当時は専業主婦。父がほとんど家にいないため、家のことは全て母が仕切っていた。普段は天然でのほほんとしているが、かなりの気分屋。教育ママで過保護だったが、私が社会人になってからの関係は良好。
・私:アラサー女。私大卒業後、社会人をしている。昨年結婚。離婚当時は高校生。
両親は15年前に離婚した。
父は仕事が忙しく、物心ついてから一緒に家族旅行に出かけた記憶もない。大手企業で出世していたため、比較的裕福な生活は送らせてもらっていた。
夫婦仲はあまり良くなかったようで、表立って喧嘩するところはほとんど見たことがなかったが仲が良さそうに見えることもなく、父がいない時に母から父の陰口を聞かされることも時々あった。
けれど、オタクタイプの父と私は気が合うところもあり、一緒に海外ドラマのDVDを深夜まで見たり、カメラを買いに連れて行ってもらったりと、私個人は父に懐いていたし父のことは割と好きだった。
逆に、教育熱心で過保護でわがままで時々ヒステリックな母に対しては委縮してしまうことも多く、学生の頃は母の言いなりになっていた私はむしろ母のほうが苦手だった。
母は度々熟年離婚するつもりと言っていたが、当時の私はまさか本当に離婚するとは思っていなかった。
事が起こったのは私が高校1年生だった頃のように思う。
夜中に両親が大声で言い争うことが増え、母が父の陰口を言うことが増えた。
ある日、「お父さん不倫してるみたい」と母が言い出した。
父の車にあった口紅のついたペットボトルを見せられたり、母が突き止めた不倫相手の職業などを聞かされたり、不倫相手の家を見に行くという母に一緒に車で連れて行かれたり、「2人のことはお母さんが守るからね」と母に泣かれたりした。
結局、母いわく「早く離婚しないと共有財産を使い込むと脅された。早く離婚したかったから不倫の話は出さなかった」とのことで、詳細は分からないがとにかく離婚となった。
正直、当時は母がいちいちこういったことを話してくるのでそのたびに傷ついていたし、不倫して私たちを捨てる父を心底憎んでいたし、辛い現実から逃げたかったのであまり関わらないようにしていた。
父が出て行った日のことも全く覚えていない。
父がいなくなってからは、私は受験で荒れていたし、弟は不登校になるしで大変だった。
父が出て行ってからは、3度だけ連絡があった。
1度目は、父が出て行った年の私の誕生日に誕生日カードと図書券が届いた。私を捨てたくせに今さら何なんだと思い、特にお礼は言わなかった。
2度目は、私が大学に合格したときに、おめでとうとメールが来た。その時も、父を殺したいくらい憎んでいたので無視した。
3度目は、大学3年生のときに母と大喧嘩をしたときに私からメールをした。実家を出たいからお金が欲しいと連絡して、父は心配する返信をしてくれた。結局母とは和解して、父には特に連絡しなかったように思う。
その後、いつ頃か忘れたが父から母あてに間違いメールがあり、どうやら再婚したようだった。
母から見せられたそれは再婚相手の連れ子あてのメールだったようで「父の日のプレゼントをありがとう」という内容だった。
それで本当に、父はもう私の父ではなくなったのだなと思った。
父のことは関わりが少ないながらも好きだった。
けれど、母の言うことを鵜呑みにして「父は私たちを捨てた」と思っていたし、好きだったからこそ裏切られて辛いし自分がかわいそうだと思っていた。
精一杯育ててくれた母には勿論感謝しているが、自分が大人になってから、夫婦としての母は未熟だったのだろうなと感じることも増えたし、離婚したくなる気持ちも分かるようになった。
そして、母の一方的な言い分だけを信じ、父からの精一杯の連絡もことごとく無視していた自分はなんて愚かだったのだろうと後悔するようになった。
正直、父のことを思うと未だに複雑な感情がわき上がってきて泣きそうになる。
母との関係は現在良好ではあるけれど、調停の内容も離婚の条件も一切知らないし、私のなかでは未だに離婚の話題はタブーなので聞くこともためらわれる。(母はあっけらかんとしており、私も気にしていないと思っているようだが…)
母からは、私が父に連絡を取るのは私の自由だと以前から言われている。
昨年に結婚もしたので、その報告もしたい。
その一方で、母の言っていたことが本当だったらどうしようと思いや、父は私のことなどもう忘れてしまっていて、連絡などしたら逆に迷惑なのではないかという思いもある。
自分に冷たくしてきた実子より、新しい家庭の方が大切なのは当然だと思うので。
連絡は取ろうと思えば取れる。Facebokで検索したら本人が出てきたし、それで連絡が取れなくても戸籍を辿ればいいだけだ。
このまま父が死んだら後悔すると思う一方で、もう傷つきたくない。
ここ数年ずっと悩み続けている。