はてなキーワード: 昭和20年とは
日本国憲法24条は文化的に未発達な国家が定めた野蛮な憲法なので注意が必要。
家庭をつくることと性愛や性癖をまぜこぜに語るのは混乱のもとである。
そもそも、性愛や性癖をしっかり議論できていなかったのが大問題。
両親の性愛や性癖などよりも重要なのが子供の権利のはず。昭和20年代なら家制度の残滓があったのでそれがそこそこ機能していたのだが、令和の現在にはそれはまったくない。両親の性愛性癖に基づく家庭に大事な子供を預けるのは危険。
性愛や性癖の実現のために婚姻を利用するとか。不純なんだよ。家をつくる覚悟がないものは婚姻するな。ぼけ。パートナーとの権利関係のためには別の制度を用意すればよろしい。養子制度を発展する形で。
原爆死没者は「汚れなき小羊の燔祭」であり、
ということになるのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E7%87%94%E7%A5%AD%E8%AA%AC
もちろん、福島で「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。」「マスク不要、外遊びOK、セシウム摂取も全く問題なし」「私が死ぬ頃には県民の皆様の命の責任はとれませんが、私達は国が定めた基準に従う義務があるのです。結果がわかるころには私は死んでいます。」と暴言を連発したあの山下だ。
原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています。原子力という科学の光、力を利用してより良い世界を作って行くべきだ、ということを彼はその当時既に書いているのです。
簡単に言うと、戦車送っても全部ぶっ壊してる。夢見てるんじゃない、ということ。
☝🏼フィナンシャル・タイムズが発表した英国のラダキン国防参謀総長によるロシアが失った軍装甲車についての評価に関しては、ロシア軍が『戦闘能力の半分』を失ったという主張とともに、その嘘のスケールの大きさに驚かされるばかりである。
この背景には、他の英国軍幹部やベン・ウォレス大臣さえをも嘆かせる状況がある。すなわち、ウクライナの『反転攻勢』のために送った英国軍の備蓄兵器や何百という軍装備が、『戦闘能力を失った』はずのロシア軍と接触した際に『予期に反して』燃え尽きたという、ひどい惨状があるのだ。
過大評価されていた巡航ミサイルストーム・シャドウによる民間インフラ直撃の事例は増える一方で、一般人の間にも犠牲者が出ている。さもなければ落下しても炸裂することなく転がって、その『攻撃』でステップ地帯の小動物を怖がらせている。
👉🏼英国がキエフ政権に提供したこうした金属くずはすべて、鋳直し加工した後に、新たにロシア領となった地域で復興作業の悪くない資材となってくれるだろう。
❗️ラダキン参謀総長による英国議会でのプロパガンダ的発言の論理と目的はあきらかだ。ウクライナに送ったガラクタの代わりに軍隊が新たな兵器を購入できるよう、逼迫している予算から資金を引き出すことにある。
☝🏼ウクライナ軍が戦場で何の成果も得られない中、今やその展望においてさえロシア軍の 『戦闘能力の喪失』というファンタジーを描くしかなくなったことが、一層明白になったのである。
俺のおじいちゃんは昭和20年8月10日に亡くなった。戦争で。この前押入れから出てきた、国から送られてきた通知書?に書いてあった。
ビルマで戦死だって。ビルマだったんだ。インパール作戦なのかな。てか戦争終わるまであと数日じゃん。あともう少し生き延びてたら、生きて帰ってこれたんじゃないの?
実は俺の父親は、おじいちゃん(自身の父親)と会ってないんだ。俺のおばあちゃんは父親を身ごもってたんだけど、生まれる前におじいちゃんが招集されてしまい、ビルマに行ったんだ。辛すぎるよ。
通知書と一緒におじいちゃんからのハガキも出てきた。絵葉書だ。達筆過ぎてちゃんと読めないけど、子供は無事生まれたかとか、元気で帰るとか、帰ったらみんなで遊ぼうなとか、そんなことを書いてあった。戦場で書いたのかな。まじで辛いわ。
戦争が終わって、元気で帰ってくるのかと思ったら、その通知書だけ送られてきたって聞いた。遺体を回収することもできず、遺骨もなし。悲しすぎる。
その後おばあちゃんは一人で父親を育てた。女手一つで大変だったろうな。再婚もしなかったし。
そして、父親は元気に成長し、一般企業に勤めた。そして職場結婚し、俺が生まれた。おばあちゃんは俺が生まれてそりゃ嬉しかっただろうな。
ただ俺は、おばあちゃんのことほとんど覚えてない。俺が生まれてすぐ亡くなったから。俺を抱っこするおばあちゃんの写真だけが残っている。
それで、俺の父親もさ、去年亡くなったんだよ。
正直言ってあまり父親と遊んだことがないし、話もあまりしてないんだ。
きっとさ、父親はおじいちゃんが戦死したから、父としてどう振る舞ったいいのか分からなかったんだろうな。
今ならそういう気持ちがわかる。戦争で父親亡くして、寂しい思いをして、いざ自分が父になったら、どう振る舞っていいかわからないよな。そんな中、よく育ててもらったと思うよ。
それでさ、俺にも息子がいるんだよ。3歳の。
親になってやっと分かったんだよ。俺だって、父親にそこまで遊んでもらったわけじゃないからさ、子供とどう関わっていいか分かんないんだよ。
これって、言ってみれば、戦争でおじいちゃんが亡くなったのが原因のひとつなんじゃないかなって思うんだよ。誰のせいっていうのではなく、父親を亡くした負の連鎖が続いてるんじゃないかって。戦争なんて関係ないと思ってたけど、こうやって連鎖してんだなって思った。
でもこうやって、日本が生き残って、命が繋がれて、俺が生きている。そして息子が生きている。奇跡としか言いようがないよ。
戦争の招集前におばあちゃんが俺の父親を身ごもってなかったら。おばあちゃんが懸命に俺の父親を育てなかったら。俺は存在しないし、息子も存在しない。本当にすごいよな。
息子が大きくなったら、この絵葉書を見せて、色んな話をしてやりたい。お前の命はどんなに大切な命かってこと、伝えたいんだ。
↑に色々お返事的な物書いておいたよ。はてな記法よくわからないので読みにくかったらごめんなさい🙇
一連の事件で、創価あたりと一緒に佼成会の名前もでてきてるのでさすがに一緒にされるのは厳しいなーと思ったので軽く。
俺本人は無神論者だが、祖母が一世母が二世。子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出したくらい。
会員綱領の「立正佼成会会員は本物釈尊に帰依し、在家仏教の精神にのっとり云々」とかはうろ覚えかな。
基本熱心ではない会員として時々参加してただけなので、その範囲で。
大正生まれの祖母はまさに佼成会が拡大した昭和20年代からの信者で支部長とかもしてたらしい。会員ではない祖父の葬儀には100人以上の会員の人がきて、3間ふすま取り払ったぶち抜きにも収まらなかったくらいだったかな。
で、金と政治に関して。
まず会費は月100円。あと親は教会に行くたびにお布施袋という、なんか祝儀袋の簡素化したやつに100円入れてたな。団参といって本部へ行くときは1000円だったかな?まあ、身施ていってお金ではなく働くこともあるけど教会やらの当番やお役、あと本部に団参行ったときに婦人部で本部にある食堂の手伝いとかなので、フルタイムで働かせてとかはないよ。
お経やらのグッズも普通に売店で買う感じ。値段はむしろ安い感じで、実質販売なのに寄付扱いにするとかない。家の仏壇にご本尊をお迎えするとかも、まあ1万とか2万くらいとかかな?基本、金額はお気持ちということでいくら以上とか、教会関係者が献金を強く求めることはないよ。ましてや、家や土地、あるいは金を借りさせて寄付なんてありえない。まあ、会員数はそれなりいるから関係者すべてがそうだとはいわないが、会の方針としてはそうだよ。50年代とかは色々やらかしてたみたいだが、その後改善したみたい。
資産家の老人が高額な寄付をすることはあるだろうし、家族にとっては相続するはずの財産が目減りして悲しいとかはあるだろうけど、本人の意思に反して寄付を求めるような事はしてないよ。
政治に関しては自公政権成立前は自民べったりで選挙期間に教会へ行くと、これでもかと議員のポスターがはってあったよ。で、自公政権以降は野党に肩入れが強くなったよ。
自民支持だった親が、普通に立憲支持してて、今回の選挙では俺の所に白しんくんの選挙のはがき送ってきてもいいかきいてきたよ。
普通に検索すればでてきたけど会員専用のページだからほかの人には秘密ねってページなんでリンクははらないけど今回は比例は白真勲と藤末健三、選挙区は立憲候補を応援しますとかあるよ。
ただ、今回は本部レベルではなく、一部の地域だけだったみたいで、得票数はかなり減ってるね。そこあたりの判断はどうなされたかまでは知らないよ。
あと、佼成会=立憲と思っている人もいるみたいだけど、自民の議員も政治思想によって応援してるよ。
ボランティアや、応援演説の動員はするけどいやなら別に参加しなくてOKで、その結果退会させられたり、村八分にされたり、非難されるようなことはないよ。献金もそうだけど基本ゆるい。
投票所へ車で送るとかはやってるかもしれないけど、日常的に教会へ行くときに会員が自分の車に他の会員を載せてとかやってる延長で、つよく投票先を指示まではしないんじゃないかな?
そういえば一緒に住んでる時も特に選挙でどこに投票してと親にはいわれなかったな。
あと、教会の新年の行事に、管内の市長や隣の市長が挨拶に来てたりはしたな。
https://www.kosei-kai.or.jp/%e6%9c%ac%e4%bc%9a%e3%81%ae%e8%80%83%e3%81%88/
を見れば分かるけど、政治的立場は中道左派くらいかな?基本平和主義、人権尊重で、靖国問題も信徒個人が行くことは問題ないが、総理大臣の参拝は問題だという立場。
他の宗派やキリスト教やイスラームなどの他宗教とも、仲いい感じ。ただし、創価は敵。いや敵と言っても今はそこまで敵意を持つ人は多くないかもだが、「だが、てめーはダメだ」くらいかな?
共産党はソ連の手先だから絶対駄目だと言っていた祖母は、同じくらい公明党もダメだと言ってたな。まあ祖母の世代だとライバルとしてバチバチやりあってたからね。
普通の日本人「日清・日露は悪い列強と戦った良い戦争。調子に乗った日本軍がどこかで断層を越えた。暴走をはじめた軍部により日本国民は戦争に巻き込まれ南の島で餓死者が続出し全国的に空襲され原爆を落とされ戦後悲惨な暮らしを余儀なくされた」
”普通の日本人”「真珠湾攻撃はアメリカに責任がある。大東亜戦争は西欧諸国に支配された植民地のアジアを開放する良い戦争。日本国民はコミンテルンの陰謀によって戦争に巻き込まれ、南の島で餓死者が続出し全国的に空襲され原爆を落とされ戦後悲惨な暮らしを余儀なくされた」
歴史に詳しい人「日清・日露戦争で帝国軍がやらかしていたことから考えれば、支那事変も南洋諸島のあれこれも満洲もただ延長線上のできごとですね」
山崎猛 - 第38代衆議院議長、運輸大臣、自民党幹事長、経済審議庁長官、水戸市長 明治39年卒
佐野学 - 戦前の日本共産党委員長、元早稲田大学教授 明治43年卒
与謝野馨 - 元通商産業大臣、元自民党政調会長、元経済財政担当大臣、元官房長官、元財務・金融担当大臣 昭和33年卒
佐藤観樹 - 元自治相、元国家公安委員会委員長 昭和35年卒
谷垣禎一 - 元自由民主党総裁、元金融再生委員会委員長、元国家公安委員会委員長・食品安全担当相、元財務相 昭和38年卒
丹羽雄哉 - 衆議院議員(自由民主党)、元厚生相 昭和38年卒
中川雅治 - 参議院議員(自由民主党)、元環境相、元環境事務次官 昭和40年卒
中川昭一 - 元経産相、元農水相、元財務・金融担当相 昭和47年卒
鈴木俊一 - 衆議院議員(自由民主党)、元五輪担当相、元環境相 昭和47年卒
そもそも社会主義者や共産主義者を牢屋から出したのは、第二次大戦後に日本を占領したGHQなんだが、これがかな~りマズかった。
合衆国は一応、自由を標榜してたし、日本の行き過ぎた軍国主義をどーにかしたかったんだろうが、連中、共産主義を舐めすぎ。
戦前から狂信してるレベルの筋金入り社会主義者たちに、ソ連で抑留・洗脳された人々が加わり、次第に手が付けられない勢力になっていく。
実際、パヨクが日本社会全体に急速に拡がっていったのは、今から半世紀以上前、昭和20年代から30年代にかけての話。
とりわけ若い連中が学生運動とかに取り込まれて行って、ヤバいことになった。
当時は、マンガはごく一部を除きお子様向けという社会的位置づけだったし、大人の鑑賞に耐えられるようなアニメなんて影も形もない時代。
当然、異世界転生も魔法少女も進撃してくる巨人も忍者も現代吸血鬼も世紀末覇者も宇宙世紀も何にも無ぇ。青狸ですら昭和44年連載開始だ。
そんな社会環境で中二病を発症し、こじらせると『オレの右手が』じゃなくて共産主義って島に行き着いたりしたワケだな。
んで社会をより良くしよう、社会革命しようとか本気で考え始めたのはいいが、結論から言うと洗脳された迷惑人間爆誕。
共産主義革命のためなら敵対する相手をポアしてもいいとか、オウム真理教の狂信者あたりとやってることはまったくおんなじ。
頭に洗脳ケーブル自分で刺して歩いているのに気づいてないのは当人のみ。馬鹿なの?死ぬの?生きてて恥ずかしくないの???
その後就職先を無くすという厳しい現実を前に、反省した者もいたが、メディア関係やら共〇党やら教育関係やらに入って更に悪化した奴もまた多い。
パヨク活動に漬かり切った当人たち、もう若くても60代後半とかだ。いまさら半世紀くらい前から自分が間違っていたなんて、とても言えない罠。
そればかりか社会から相手にされないため、今度は自分たちの言いなりにならない社会を憎んだり、壊そうとか考えたりする。
そんな連中に、お隣の儒教国家がはした金を与えて、手先に使っている模様。それで共産主義という島は息してるらしい。
あと家族による洗脳もまた強い。そこらへん、某学会と基本構造は似ており手口はカルトと一緒だ。数は少ないが、そうやって再生産されてるケースもなくはない様子。
ちなみに我々が被る迷惑については、例えば国を売って一儲け企む人間は、確かにパヨク界隈は圧倒的多数だが彼らに限ったことではなく、実は自民系にもそれなりに居たりする。
キューピーのユが大文字なのに書き方が間違っている!と指弾する人がいるので説明するが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2021/09/15420359.html?p=all
「ュ」などの小書き仮名を捨て仮名というが、これは以前は登記に使えなかった。そもそも昭和63年までは法律、行政文書に捨て仮名を使うことができなかった。
時系列順に並べるとこんな感じ
明治:公文書でカタカナを使う事が決まる(平仮名は大量の変体仮名があったため)
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法令、行政文書には小書きカナ不可、故に屋号、商号登記への小書きカナも不受理
この為小書きカナを大書きしたり、小書きを使用しない表記が一般化する(例:キューピー→キユーピー、ディーゼル→ヂーゼル)
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戦後昭和20年代後半くらいから擬音などで小書きを使うことが一般化していく
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末期には見出し:小書き仮名不使用表記、記事本文:小書き仮名使用という混在状態
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昭和63年(1988年):昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』
「法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記については,(中略)昭和六十三年十二月に召集される通常国会に提出する法律(中略)から,小書きにする。」
これにより行政文書などにも準用されて小書き仮名が使用されるようになり登記も可能になる
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これ以前はローマ字をカナ書きした表記(例:YKK→ワイケイケイ)にしたり数字を漢数字にして登記する必要があった
こういう経緯なので昭和63年以前に登記した会社は「キュ」などの小書き仮名表記は商号登記に使えなかった。
だからそれが正式表記かというと法的制約によるものなのでちょっと違う。YKKの正式名称がワイケイケイかと言えばおかしさが判るだろうか?
キューピーの社名の元はキューピッドの子供読みで-yを付けた人形なので一般的な「キューピー」でいいはずだ。
登記上の制約で商号の一般認知と商号登記が違う、NHKと新聞だけが登記上の商号を使うという状態は嘗ては当たり前だったので、今も昔のままの商号を使う会社の「正式名称」に事更に拘るというのはナンセンスかと思われるよ。