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2019-12-29

子供インフルエンザにかかった

もうすぐ3歳になる子供がインフルエンザにかかった。近所の小児科が軒並みワクチン切れで、予防接種を諦めてしまったのは痛恨の極みだ。

昨日の昼まで元気に家の中を走り回って、クリスマスプレゼントプラレールを眺めて遊んでいたのに、夜になったら39度近い熱が出た。

まだ自分の半分にも満たない小さな手が、父親の手を求めて延びてくる。普段からおぼつかない言葉が、より一層意味不明に断片的に漏れ出てくる。

の子が生まれから、突然何かが起きて小さな命を失ってしまうんじゃないか想像しない日は無かった。

七つまでは神のうち

どうか早く、また元気に走り回る姿を見せて欲しい。

2018-10-03

anond:20181003151312

ぜひお墓を建ててください。こんだけのネコチャンがここで死にましたよってことを示す墓標です。中身は空でもよいでしょう。

初めは丁寧に組んだ十字架、次第に手抜きになってきて角材や廃材、やがては太めの棒っこ、ついには不自然に草の禿げた土饅頭…という変遷があるとリアルでよいですね。

極めつけに一際大きな土饅頭を作っておきましょうね。あたか体重60キログラムはあろうかという大動物を埋めたとでも、いうのだろうか…。

それを投棄者が見て引き返すかどうかはかなり怪しいですが、小さな命運命をはっきりと認識する事になるでしょう。

2017-11-12

保育園乳児預けるな

少し前に

保育園落ちた日本死ね

なんて言ってた人がいますけど

郊外保育士してる私からしたら

かに政治家には不満はあるけど

あなたも1回考え直せと言いたい。

20代の1人の女の独り言です。

活躍できねーじゃねーか。

活躍しなくていいです。

だってお母さんでしょ?

小さな命ひとつ生みだしたのに

どうして欲張るの?

どうしてひとりだった時のように

働けると思ってるの?

お母さんにもなりたい。

でも仕事でこれまで通り成果も出したい。

欲張りだとは思いませんか。

働くなとは言わないけど

これまで通りは無理です。

子ども子どもなのは今だけ

お母さんはあなただけ。

あなた人生も一度きりかもしれない

でも子ども人生だって一度きり

あなたと親子になるのだって一度きり

子ども保育園で寂しそうにする姿を

目の当たりにする私達としては

そこまでして手に入れなくてはいけない

栄光なのかな?名誉なのかな?と

疑問に思います

わが子が初めて歩く瞬間よりも

仕事が大切なのでしょうか?

屁理屈に思われるだろうけど

世の中には色んな事情

子どもが産みたくても産めない人もいます

その人たちにはあなた幸せ

感じることはできません。

じゃあその人たちに少し譲っても

いいんじゃないかな。

私が働く保育園都内ではないことも

あってか、本当に仕事をしなくては

食べていけないような家庭は

園内の半分いるかいないかだと思います

平均より少しいい生活がしたい

自分キャリアのため

自分活躍のため

そんなお母さんが多いです。

もちろんわたしプライドを持って

仕事しているので

保育園での生活が悪い訳では

ないと自信を持って言えます

ただ、保育士努力すればするほど

母親、家庭の力には及ばないと

痛感するのです。

それでも、

休みの日にもリフレッシュ休暇を

取り続ける母親たち。

週に5日みっちり働いて

平日休みの1日くらい

リフレッシュ休暇取りたいと

思う気持ちは分かります

毎週毎週リフレッシュして、

じゃああなたの子どもはい

リフレッシュするのでしょうか

私の職場はそれほど悪い環境では

ありませんが、

保護者への対応が1番大変で

気を遣い、疲れます

辞めたくなります

人に死ねだなんていう前に

自分自身を振り返るべきなのでは。

保育士としては失格かもしれませんが

乳児保育に反対です。

それで保育士仕事が減るとしても

それくらいでちょうどいいのでは

ないでしょうか?

2017-06-14

ロリコンとか痴漢強姦願望が全くなくなった

小学生の頃から世代の異性に興奮して、対象はそのままに自分けが歳を取っていった。中高生になって回りが恋愛を始める頃でも、同世代以上の女性には興味もわかなかった。自分が人とは違うかもしれないと感じ始めた頃から、周囲が女優アイドルの話で盛り上がる中、怪しまれないように好きでもない誰もが好きそうなアイドル名前を出してはその場をしのいでいた。社会に出てからも、表向きはどこにでもいるような流行りの女性が好みだと吹聴しては、周囲には絶対に気づかれないように振る舞い続けた。

自分理想とする相手とはまともな恋愛セックスまでのプロセス通用するわけがない。だから行為に至るためには痴漢強姦という選択肢しかなかった。もちろん実際にそんなことをしてしまったことなんかない。そうならないために、漫画やそれ風のAVなどで処理をしてきた。

そんな自分にも、子供がほしいという願望はあった。それは間違っても性処理のためというわけではなく、純粋自分の子孫を残したいという願望だ。適齢期を過ぎかけたころ、見かねたから提案された見合いに乗っかってすんなりと結婚し、さらに何事もなく子供まで授かることが出来た。見合い相手のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ、子供を生んで育ててくれそうだという理由だけで結婚した。性的にも全く興味は沸かなかったのだが、お互い未経験同士だったこともあり気持ちが一向に高まろうとしないことを緊張という言葉で置き換えることができたのは幸いだった。

妊娠後、数回目の通院で生まれてくるのが女の子であろうことがわかった。このときは正直不安になった。この子が程よい年齢に至った時、自分からの愛が親からのものであり続けられるのだろうか。自分の子自分の子として見続けることができるのだろうか。出産が近づくにつれてその不安は強くなる一方だった。そうしていよいよ出産の日。陣痛より前に破水してしまったことで慌ただしいままに病院に行き、そのまま大騒ぎのうちに産声を聞くことになった。あまりの忙しさと、陣痛促進剤によってあれよあれよと野生を露わにし始める妻を前に、つまらない不安を思い返す余裕などなくなってしまっていた。

看護師の大げさに芝居がかった「おめでとうございます。」という言葉とともに、赤黒い顔に拭いきれない鮮血が着いたまま精一杯に泣き叫ぶ赤子が手渡される。両の手でその重さを実感した途端に、全く意図していなかったにも関わらず目から涙が溢れた。自分の命をかけてでもこの小さな命を守らなければならない。そして、自らの命を危険晒してまでこの生命を産み落としてくれた妻に対して、いままで持ち得たことのないような気持ちが沸き上がってきたことがわかった。

その日を境に、自分を苦しめ続けてきた児童性愛願望はさっぱりとなくなってしまった。むしろ自らの娘がそうなってしまうことを想像しようものなら胃袋ごと口から嘔吐してしまいそうな焦燥感に駆られるようになってしまった。自らの子供を愛するという気持ちは自らの娘を性の対象として見てしまうかもしれない不安をいとも簡単に一蹴してしまものだということがわかった。それから数年経ち、娘は小学校に通うようになった。娘の周りには、かつて自分欲求を刺激してやまなかった年頃の女子たちで溢れている。しかしそれを目の当たりにしても、かつてのような邪な衝動は一切湧いてくることはなかった。むしろ自らの娘を見るのと同様に、彼女らが安全に、健全に育つことを願うようになってしまった。

自らの性的嗜好を棚に上げるつもりはない。しかし、自分性的対象は気付いたときにはすでに決まっていたものコントロールできるものではなかったのだ。今だに過去自分を憎む気持ちとどうしようもなかったと同情する気持ちとが葛藤を続ける日々を送っている。世の中の同じような境遇人間自分と同じことが当てはまるかはわからないが、少なくとも児童性愛に対して嫌悪感が芽生え始めていることは確かだ。かと言って自分普通に女性を愛せるようになったかと言われるとそうではない。いうなれば、児童性愛がなくなると同時に性の対象のものがなくなってしまったのだ。自らの遺伝子を受け入れ命をかけてまで産み落としてくれた妻には今でも変わらぬ感謝と、一緒に生活をしてくれる家族としての深い愛情がある。しかしそれ以外の感情が一切湧き上がってこない。そのことを妻はこれからも受け入れ続けてくれるのだろうか。

2016-10-17

「優しいね」っていう言葉無意味さ凄い

人は誰しも生まれながらに親切心や利他心を持っている。「蜘蛛の糸」のカンダタのような極悪人ですら、ふとしたときに温かい感情を起こして小さな命を慈しんだりするのだ。そういう意味ではまったく優しくない人なんていなくて、程度の差はあれ誰もが「優しい」のだと思う。

「優しいね」という発言がなされる場面では、たまたま発言者が親切にされるなどの経験を通じてその人の「優しい」側面を見ているだけだといえる。これは他人がお弁当を食べているのを見かけて「ご飯食べるんだね」と言うのと同じである。ご飯は誰だって食べる。そのときたまたまその人の「ご飯を食べる」という側面が見えているだけだ。

このように考えれば、「優しいね」という言葉情報としていか意味を持たないかがわかるだろう。「変わってるね」についても同様のことがいえる(誰だって多少はふつう人間と違う特異な面を持っているのだから!)。こういううすぼんやりした言葉無自覚にホイホイ使わないよう気をつけたいものだ。

2016-10-06

息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。

息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。詳しく話を聞いてみると、男児らがよってたかって虫をいじっていて、最後に息子が触って死んでしまったらしい。でも半ば息子が殺した扱いになっていて、幼稚園先生からは「もっと命の大切さを教えてあげてください」とか妻が指導されたそうな。

いのちのたいせつさ」…? そんなことは常日頃から口を酸っぱくして教えているし、息子は毎週『ダーウィンが来た!』を見ているし、人並み以上には小さな命に親しんでいるし、人並み程度には小さな命の死を悲しむ情緒は持っている。しかし、虫の命が大切、一寸の虫にも五分の魂、というのはどうやって教えたものか、これは難しい。人は、自分から類が遠くなればなるほど、その生き物に対して親近感を覚えなくなるからだ。例えば、人が人を殺すのは絶対的禁忌だ。場合によっては死罪になる。犬や猫などの哺乳類を殺すのも明らかにヤバい鳥類も無理だ。しか爬虫類になると、殺す場面を見ても「残酷な…」と目をひそめる程度で終わってしまうかもしれない。これが魚類になると、むしろ「3枚におろすと美味しそうだ」に見えてしまう。サンマなどは、泳いでいる状態でも塩焼きの図が頭に浮かんでしまう。そして、昆虫だ。

冒頭の話があったその日、家にゴキブリが出現した。妻の悲鳴で駆け付けた僕は、妻子を退避させて、ゴキジェットとビニール袋を片手に退治に乗り出した。この家で唯一のテラフォマーズたる僕は、家族を守らなくてはならない。ここは寝室なので、ゴキジェットを撒き散らすわけにもいかないので、ティッシュビニール袋で素手で捕獲しかる後に殲滅だ。

さて、捕獲したところではたと気づいた。昼間「虫といえども命を奪ってはいけない」と教えた父が、その舌の根も乾かぬうちに夜に殺生を行なうのか?

ビニール袋ごしにゴキブリを掴んだまま、しばし逡巡していると、息子が退避部屋から出てきた。「おとーさん!どう?」

廊下ゴキブリをつまんで佇む父。ゴキブリを初めて間近で見た息子は、目を丸くして、「カッコイイ…」と感嘆の声を漏らした。

ゴキブリを手で捕まえる父がカッコイイと思ったのか、ゴキブリの黒光りするフォルムをカッコイイと思ったのか、どちらかは分からない。しかし、一瞬油断して手が緩んだすきを突いて、ゴキブリはファサササ…と飛んで逃げた。

僕はそれを追いかけて捕まえ、外に出てから殺した。

じょうじ…

2016-04-14

なにが猫だよ

http://mainichi.jp/articles/20160414/k00/00m/040/058000c

JR広島駅電車の上に「猫がいる」 遅れも「怒れない」 - 毎日新聞

怒るわ。

そもそもなんで野良猫放置されてんだよ。田舎地域猫として飼うならまだしも都市部野良猫を放っておく必要はないだろ。

勝手に癒されてる奴は可愛いところだけ見てるから良いだろうが、どこかで毛や糞尿の被害にあってる人だっているかもしれないんだぞ。

だいたい猫を捨てたり放し飼いしてる奴がいるか野良猫になるんであって、そんなのは処分するしかないだろ。

別の記事でもトラックが猫を避けて民家に突っ込んで良かった良かったってなんだよ。

物は壊れましたが小さな命が助かりましたってか?仏かよ。道徳時間かよ。

頭の沸いたようなブコメばっかりしやがって。

2015-06-26

アレルギーと猫のハナ

私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。

ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。

話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。

でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。

最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。

そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間ほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。

ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。

命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。

ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。

でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。

**

アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います皮膚科血液検査しました。

いぬうさぎチンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。

2015-06-25

Fate SN UBW 20メモ でもにっしょん

昔、ある出会いがあった。

おそらくは、一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。



その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と

その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー

やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ



本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな

わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは



HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………

アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ出会いの強さがしんみりと来たぜ

……だからこそ、歯痒いものを感じる

セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!



この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。

守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。

本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。



問おう、貴方が私のマスター

カットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて

本編アーチャーの過去編だったよね。

セイバーの表情もとても良かった。



そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。

何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲーム製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。

でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲーム製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。



新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。



一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…

原作やったのがだいぶ昔でアーチャー言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。

あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな



挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな

偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった



ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。



理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う

衛宮士郎幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと

だから誰を救うのかも定まらない

それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い

自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う

じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど



今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。

数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。



エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。

自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。

「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。



士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった

今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった

これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど

今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた

今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?

そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい

ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした 



Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備

もう一つ便利機能があるがこれは別の話

アーサー王物語にて、策略でアーサー王決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき

鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった

と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある

もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も



上手く言葉に出来ないけれど、ダイバーのようだった。

忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。

Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。

でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fate真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。

次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!



ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね

個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。

服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。



凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」

20話視聴後の感想はまさにこの心境だった

衛宮士郎というキャラクター創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん



違うアーチャーも言ってただろ

「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる

普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由存在する

でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう

でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ

間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている



総てを見通す魔術師は、選定の剣に手を掛ける少女に忠告した。

「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」

地獄を見てきた男は、荒野を目指す少年忠告した。

「おい、そこから先は地獄だぞ」

剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ



元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。

切嗣への憧れから始まってるから「所以が」借物だってだけ。

これ、普通物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど

そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」

までぶっとぶのがUBW。

「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通キャラにとっては深刻なんだけど

衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから

話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。

「笑いたかっただけ」は作中である意味投げっぱなしだから

そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。

それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。

原作にそんな描写どこにもないんだけど。



士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、

それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を

士郎が元々持っていないと始まらない。

それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。

アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。

「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉

鵜呑みにしたって始まらない。

それよりは

>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。

> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」

> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。

の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。



UBWの荒野は、アーチャーが辿り着いたものの象徴だから

 どうやら相手は、自分の記憶を流し込まれているらしい

→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう

っていう意味じゃないか? UBW展開は。

「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。

あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから

多分answerが凄いことになる。

UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。

まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が

演出上の最強のカードになろうとは。



某動画サイトでのコメントアーチャーセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。

あそこのシーンのセイバーアーチャー言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。



ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。

SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから

そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。

虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。



士郎って、熱血少年ぽいパーツそろったデザインだし、

たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、

パッケージイラスト起用でも戦闘系だしで、

「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど

基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから

実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。

しろ「静」が本質って気もする。

その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?

今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で

「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。

自分はこれが見たかったんだよね。



とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。

士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。

> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、

> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。

> ……あの日の前に戻れて。

> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。

一度心が死んだってフレーズが印象的なんで、

マジで大火災が0才状態と思われてたりするけど。

士郎って割と元々ああよ。



衛宮士郎アーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い

アーチャー自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する

士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする

幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする

自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな



今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉

あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。

余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と

いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。

だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーレトリックに過ぎない。

「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも

助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。

ここら辺、原作やってても勘違いちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。

なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。



価値観っていうと語弊があるのかもしれないが

とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは

押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。

災害中の描写から、衛宮士郎連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。

っていうか、原作描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが

今回アニメ描写って気もする。



んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。

だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと

極論すると、士郎以外の誰であっても

上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。

実際問題、それは非常に考えづらくないか?

なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら

やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と

涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、

そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。

「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」

を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。



VSって原作時からして情報量凄い上、

大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ

「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。

よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。

読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で

「借物」が「心がない」と誤解されたり

「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、

ある意味衛宮士郎の誤解の発祥源でもあったわけだが

今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。

始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい



思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。

嗚呼、あの当時原作プレイした俺は幸福だった。



今回は素晴らしかった。

なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ

人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ

士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる



一応補足しとくけど、兄貴ディルでは置かれた状況が全く違うから

兄貴ディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ

そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに

仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし

もし兄貴ディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか

それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディル兄貴同様、立派なケルト英雄だと思うけどなぁ



士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。

でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロ人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロ人助けをしたかったんだろうな。

そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。

なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。

大河になってアーチャー馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっき抱きしめたい



俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった

士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね

だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも

分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは

本人に自覚が無くても無意識にそう感じていたのかな?と思った

だからあのゲリラ少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって

指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分家族が食べていく為だったりするし



>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

>原作ではこう

>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。

>>いけないのか。自分気持ちではないから、それは偽物なのか。

それ、別に矛盾しなくない? 

士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」

っていう願いを持ってた。

でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて

意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)

そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、

「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、

士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では

抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。



SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・

会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)

これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう

後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?

虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に

ナタリアとの別れによる正義への絶望故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな



横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。

・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写

・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。

「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」

スマホからだと書きにくいな…



俺は

「たしかに、始まりは憧れだった」

「けど、根底にあったものは願なんだよ」

「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」

って解釈した

根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた



コメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。



車の傍の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

トンネルの中の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

荒野の木の周りの死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

世界との契約

暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。

という事?



そうじゃなくて、

地獄を見た。

地獄を見た。

地獄を見た。

――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。

ってこと。



いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。

実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー

そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。

セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。

だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。




セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。

彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。

士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャー気持ちセイバーは理解できるだろうしね。



挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチック気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、

Dustは赤く燃えるStardustから零れる欠片=士朗

Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー

Judasエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想

として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。



士郎自身は無自覚だけど、彼の行動がひたすらトライアンドエラーを繰り返して道を探すやり方だからじゃないかな?

普通の人は Permalink | 記事への反応(2) | 14:43

2015-06-16

心臓移植のために寄付を!小さな命支援の手を!

国内外災害があったりした場合は、自分比較寄付をする方かもしれないけど、

この「小さな子供先天的に云々」のために寄付する、というのにはなぜか抵抗がある。

もちろんかわいそうだとは思うけど、「この子一人を救うための金額で、いったい

何万人の子きれいな水が飲めたり学校に行けたりするんだろうか」と思って

しまうんだよなぁ。

2012-05-29

産婦人科視点から生活保護を語る

せっかくなので産婦人科視点から生活保護を語ります

産婦人科看護師として働いている嫁からの伝聞なので、所々違うかも知れませんが、話の筋はあってるはずです。

特定を防ぐため若干の脚色を加えます。そしてなぜかラノベ風。

----------------

病院の玄関前に高級車がとまる。

からは化粧をバッチリきめ、長い爪にネイルをたくさん盛り、デコりまくったケータイでなにやら話しながら降りてくる女性

運転手は男性女性を降ろすとどこかへ行ってしまった。

玄関を抜けそのまま受付へと来る女性

ブランド物のバッグと財布から出されたもの

生活保護の受給証明である

「なんか~、できちゃったみたいでぇ~、育てらんないし、堕ろしたいんだけどぉ?」

唖然とする受付担当モードを切り替え、事務処理だけに徹する。

診察室に呼ばれても、女性の態度は変わることが無く、幾度となく新しい命を取り上げてきた産科医も、イライラを隠しきれない様子。

それほどまでに自覚がなく、堕ろすことに対する罪悪感など無いように思える。

「では、来週のこの日に処置をします。自己都合ですので25万円の前払いです。払えない場合は堕ろせませんのでご理解ください。」

「はぁい。」

つの間にか現れた高級車に乗り、女性は帰っていった。

生活保護を受けていて、25万円なんて大金あるわけ無い。しっかり産んで育てて、少し態度を改めたら?)と、医師の隣で話を聞いていた嫁は思ったそうだ。

ところが、そうはならなかった。

市役所生活保護担当から電話、これから来訪するらしい。

「やっぱりか。」

何の用件なのか、先生は分かっているらしい。

訪れた担当者は、菓子折を手にもっていた。

「大変申し訳ないのですが、堕ろす事由を、自己都合ではなく、流産処置という形に変えてはいただけないでしょうか。」

(はあ!?

何を言っているんだ、明らかに自己都合だ。流産などでは決して無い。どう考えたって医師も断るに決まっている。

・・・分かりました。」

(えぇ!?どうなってるの?)

後で調べて合点がいった。自己都合だろうと、流産処置だろうと、彼女負担は0なのだ

ただ、流産処置の場合は、保険適用となるので、お金の出所が変わってくるし、金額も抑えられる。

から市役所担当はわざわざ菓子折をもって、直々にお願いをしに来たのだ。

いずれにしたって、税金なのに。

そして、彼女のカルテを見てもう一つ分かったこと。

「え・・・

同じ記載が、これで5回目なのだ。ここ2年で5回も処置をしている。

彼女自己負担額は0。罪の意識などあるわけ無い。

ブランド品のバッグ、財布はカレシからプレゼントだろう。

巧妙に生活保護を受けつつ、貢がせている訳だ。

そして、いくら小さな命を宿そうとも、彼女は堕ろすわけである

税金で。

きっと、また数ヶ月後に彼女はやってくるだろう。

そう思うと、何のための生活保護なのか、分からなくなってくる。

----------------

極端な例ですが、これ、どうにかして止められないのでしょうか。

何が悲しくて人の快楽の後始末を税金でしなくてはならないのでしょう。

困っている人に確実に届くよう、運用方法を見直して欲しいな、と感じました。

2011-06-14

許容すること

3歳男児餓死。15キロ程あるはずの体重が5キロ母親から聴取…千葉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110608-00000009-mai-soci

こうゆうネグレクト虐待ニュースがあると

”産んだなら最後まで責任もって育てるべき!”

ってゆう意見が多いと思うんだよねぇ・・・・

や、実際にそれは正論やし、それが理想なんだろうけど

親には親の事情もあると思うのさ。

(てか、あって欲しいとゆうか・・・)

出産に関しては望まなくても産まないといけなくなったケースって

色々思いつくよね。

金銭的な問題や、精神的な問題・・・・旦那さんの虐待ってのも。

誰もが選択できる環境で生きている訳じゃないし、

そもそも産んでしまってるんやから、そこを責めたってなんにもならないでしょ。

問題は育てられなかった場合

日本って国は倫理観が強いというか、型にはめたがるというか・・・

「こうでなくてはいけない!」ってルール結構多くって

それに外れた人達を排除する(いわゆる村八分)傾向にあるような気がします。

産んだら責任もって育てろ・・・そりゃそうだ。それが正しい。

でも、それができない人が育てようとするから

こうゆう事件が起こっちゃうんやないかなぁ・・・

育てられない理由が、金銭的にせよ、若さにせよ、性格にせよ、

「できない」ものは「できない」んでしょ?

そこを無理しようとするから歪みが起きちゃう。

人には得手不得手、向き不向きがかならずあって

どうがんばってもできない事ってのが十人十色にあると思うんですよね・・・・

この人達には「子育て」ができなかった。

要はそれだけの事。

でも、それは周りの人には受け入れられない。

「できない」って言ってしまった時点でどんな目にあうか・・・・

田舎なら尚更)

で、進むも戻るもできなくなった結果がネグレクト。って事かもしれませんよね。

努力は必要です。でも努力した結果「できない」と思った時は

素直に諦める勇気も必要なんじゃないのかな?

子育てができない!ってのが努力した結果なら

それはそれで仕方ないでしょ。

でも、自分ダメでも子供にはチャンスを与えてあげないと。

親が居なければ可哀そうかもしれない。

捨てられた傷は一生消えないかもしれない。

でも、自分が恥を忍んで手放し、誰かに託せば

少なくとも子供は生きられる。

非行に走るかもしれないし、

対人関係を築けずに引きこもりになるかもしれない。

でも生きてる。

生きてさえいれば、どうにでもなる。

産んだら育てなければいけない。そんな事ない。


私は子供を育てています

でも産んだ責任として育てている訳じゃない。

私は子供を育てたいと思っているから育てている。

この子達と一緒に生きていきたい。

成長をこの目で見ていたいと心の底から願っているから。

そうでないなら育てなくていい。

無責任だがやめてしまえばいい。

ただし、勘違いしてはいけない。

子供の命や人生まで奪ってはいけない。

子育てをやめるのは勝手だが、児童福祉施設でも他人の玄関の前でも

とにかく、子供を他の大人に託す。

それが、子供を産んだ事の責任であり、親として最低限の義務でしょう。

そして、子育てができなかった親を受け入れる。

そんな社会を作れれば、不幸な子供達が少しでも減るのではないでしょうか。

努力していきたいですよね。

育てられない親の為でなく、

生まれてきた小さな命の為に。

2010-03-03

 「捨てるなら保健所にもっていった方がいいですよ・・・猫にとっても」

 「殺すなんて残酷じゃない!」

残酷という言葉を口にしながら女は飼っていた猫をあっさりと捨てた。肌寒い初秋の山の中に。

産まれてからずっと人間に飼われていた猫が野生に放り出されて生きていけるわけないのに。

 「だって引っ越すんだもの。しょうがないじゃない?」

女の目の端には涙が浮かんでいた。

山中に唐突に捨てられた猫はかつての飼い主を見ている。

いや、猫にとっては今もなお飼い主のままなんだろうが。

女は手を小さく振りながら鼻をすすった。「バイバイ・・・」

謝罪に何の意味があるというのか。謝るぐらいなら最期まで面倒をみるか、保健所に連れていけばいいのに。

きっと、その両方が嫌になったのだろう。それが本音に違いない。

女は車に戻った。背後で猫が鳴いた。

 「早く乗りなよ」 女は俺にそう促したが、俺は「いやいいです。歩いて帰ります」と言った。

 女は怪訝そうな顔をしていたが、結局車を走らせて去った。

 女は引っ越すから猫を捨てると言っていた。引越し先がペット禁止の建物なのかと言えば、そうじゃない。

 何故なら女の運転する車の後部座席には室内用の小型の犬が乗っているからだ。

 つまりそういう事なのだ。欲しくなったら気軽に何も考えずに購入し、飽きたら捨てる。愛玩動物とはよく言ったものだ。

 無知なる愛誤の認識なんて所詮その程度。残酷だから保健所に連れて行かないとか、片腹痛い

 これから冬を迎える山の中に捨てられた猫がどんなに残酷な末路を迎えるかあの女は少しでも想像できるのだろうか?

 女は知らないだろう。野良猫の最期の惨めさなど。そんな野良猫を捕らえては楽しく虐待する人間が居る事など。

哀れな猫を抱き上げる。腕の中が小さな命が発する体温で暖かくなった。

人間に慣れきった猫は媚びるように鳴いた。

捨てる神あれば、拾う神あり。

そうある意味、命を自在に弄ぶ神に等しいのかもしれない。猫にとって人間は。

生かすのも、殺すのも。飼うのも、虐げるのも。

家路を辿りながら、頭の中で猫をどんな風にしてやろうかと考える。

せめて寒さとは縁遠い、暖かさの中で死なせてやろうと思った。

2010-01-04

20代前半、学生妊娠しました。

妊娠してしまったことは、正直に言うと凄く後悔しています。

快楽を追求するあまり、安易に中出しをしてしまった事、

私が危険日(厳密に言えば、性交渉がある限り毎日が危険日になる訳ですが…)を

深く考えていなかったこと、時間が無いという理由でアフターピルも飲まなかったこと。

結果、望まない子を妊娠するという結果に至ってしまった事。

年齢や未収入であるという問題、将来のキャリアへの影響を考慮し、中絶を選択しました。

自らの見通しの甘さ、お腹の子にも申し訳なさ、一般的な倫理観にも反する「堕胎」への罪悪感…

正直、後悔の連続です。


そして、私の中絶への意志を悟ってからでしょうか。

数日前から腹痛が続いています。

まだ胎児とも呼べない(医学的には胎芽と呼ぶそうです)ほどの小さな命が、懸命に「生きたい」と言っているかのように聞こえます。


お腹にいるのは、最愛の彼との子です。

この小さな命を…あなたは何も悪くないのに、大人たちの独善的な判断でお空に返してしまうこと。

明後日までの命のあなた。

生まれてくるはずだったあなた。

本当にごめんなさい。

頭の悪いお母さんでごめんね。

今度生まれるときは、皆に望まれて、祝福されて、幸せになってください。


そして最後に。

彼氏彼女のいる…特に、現時点では妊娠を望まない貴方。

性交渉は仕方ありません、でも避妊は確実に行ってください。

望まない子を妊娠する、そして堕ろす。

相当精神的に圧し掛かってきます。一生後悔します。

それが全てです。

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208071006

予想以上のブクマがついてしまった。それにホットエントリにまた関連エントリが入ってるし。ちらっと見たけど、基本グダグダになってるのでこのまま収束して、別の話題でまたどつきあいをし始めるだけではないかな。というわけでブコメの返答の続き。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091208071006

Arturo_Ui おいおい, ぬるい! 「なんか、ひどいですよね」<それは君が「はてサ」を呼び捨てできる理由にはならん//「もうあからさまにバカ扱い」<単に論理展開に隙が多いから。「俺の作品は取り締まるな」という主張と見なせば平仄は合うんだが。

あはははは。他のレスでも僕がNaokiTakahashiさんを持ち上げてるみたいに見られてるけど、ちょっと違う。某所ではその一派とか言って敵視されてるのがね、そこまで言うかと呆れてます。呼び捨てにしてるのは、単にはてサが嫌いだからに過ぎません。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049

kowyoshi (略)読解力あまりない自分だが、エントリーから「はてサ憎い」という怨念しか伝わらない

はてサ憎いことはないですよ。そんな怨念を抱くような個人的経験もないし。ただはてサが嫌いなだけですね。ってか、サヨクの人ってなぜかすぐそういうこと言い出しません? 嫌悪憎悪の区別がつかなくて、俺に反論する奴は全部けしからん、みたいな。被害者意識が強いというか自意識過剰というか。妙にエスカレートする理由は、そこにもある気がしますよ。

kei_mi シンプル世界観を適用して細部を切り捨てちゃうのはもったいない

それは許して。

fromdusktildawn この件に関しては説得力のあるブコメに☆をつけるというより自説への応援ブコメや自説を危うくしかねないブコメを貶めるブコメなら少々論理が怪しくても☆を付けまくる一部集団がいたな。数希を応援する信夫的。

たぶん、そこがはてなの問題というかきついところというか。たいてい中身は問題にはならない。この件だけじゃないと思いますよ。

NATSU2007 婆さんの繰言を本気にして「ほら女だってこう言ってる。だから自衛しない方が悪い」と鬼の首盗ったように吠える奴がいる以上、老害の言説を利用されないように叩き潰すも1つの道。

こういう意見が出てくると思った。これだけの短文でも突っ込みどころが色いろあるんだけど(ぱっと見て三つくらい)、はてサでもネトウヨでもいいですが、ネットである言説を「叩き潰」そうとするから碌な事にならんのだ、とは言っておきたい。無茶なこと言って自己正当化するのはやめた方がいいです。

NATROM はてな 「片方が小さな命題をチョロッと言うと」。曾野綾子の主張は小さな命題ではないと思う。

分かって書いてるんだろうけど、漫才のところから言われてもな。ようは、バランスの問題、程度の問題。

tatsunop 呆けた婆さんの戯言でも、トンデモスルーせずに突っ込む人は必要。極論をベースに論点を構築するとぐだぐだになって徒労が大きいというのは同意できるけど。

なにがなんでも必要かどうか分かりませんが、相手の仕方も程度の問題だと思います。

cheapcode 何を今さら。こういうのに積極的にからんでうだうだくねくねするのがはてサ醍醐味だろが。俺様意見を一方的に主張してはてブ界隈で注目されたいだけで、そもそも誰も”議論”なんかしてないんだよ。

あははは。ごもっとも。

parallel-world 『題は「用心するということ」』/水伝「良い言葉を使いましょう」、ゲーム脳ゲームばかりしてはいけない」が、本来のお題なのだと信者は言ってるよね。ニセ社会学やニセ犯罪学は勘弁してくれ。

曽根綾子のエッセーのダボラぶりは僕は擁護してませんよ。その手の信者と並べられるとちょっと困る。それに曾野綾子社会学犯罪学の見かけを借りて論じてるわけでもないので、ニセ社会学・ニセ犯罪学というにも当たらない。それ以下。

uheh 無駄じゃないと思うけどなぁ。自分の場合、いままでジェンダー食わず嫌いだったけど、この件でちゃんと本読んでみようと思ったよ。

これは良かったですよね。いや、皮肉じゃなくて。

gouk 確かに戦後すぐってのは生活のためにそういう格好してああいうところうろうろしてた人がいたんだよ。しかしそれを、今の犯罪に当てはめるのは無意味。しかし真に受ける存在がいるから彼女らがピリピリする

まあ、真に受けるアホは軽くいなして鼻で笑っておけばいいと思うんですよ。しつこいけれども、程度の問題といわざるをえない。

chousuke7 「はてサ」は、彼ら独自の文法と文体で話している。

彼ら独自の「文脈」もありますよね。

hygienic 徒労と言いながらちゃんと整理するとはwww(略)

ああ、受けた受けた。本論よりも、そこが受けるととっても嬉しい。これが一番気に入ったブコメだ。ありがとう。

2009-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20091207105341

あのネタには絡まない方がいい。整理するだけ徒労。

まず前提は、曾野綾子政治的に右派で、保守的なばーさんだということ。保守的作家保守系産経新聞に書いたテキストを、良く言えばやや極端に、悪く言えば意図的に誤読するところから議論が始まってるわけ。

http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091129

曾野綾子の議論で問題になりそうなのはこういう部分。題は「用心するということ」。

 基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界常識を学ぶことができなくてはならない。

太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。

これをどう読むかだけども、フェミはこれをセカンドレイプの線で読んだ。つまり、自分で刺激的な服を着ておいて不用心な女がレイプされるのは女も悪い、と曽野は言っている、と。

やや極端な読み方だというのは、前提や但し書きを重ねている点。「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」「『男女同責任だ』と言えるケースがあると認める」と、限定を重ねている。

また、この文章の趣旨が、題名で分かるように「女たるものそれなりに用心せよ」と女が言っている、つまりババアがネーチャン共の服装を見て説教しようとしているわけで、逆に言うとただそれだけのものでしかない。それに、産経の読者にはそういう意見を好ましく思う人もいるだろうから、それほど突飛な文章とは言いにくい。むしろ、曾野綾子なら、産経なら、そういうことを言うよねえというもの。

もっとも、曽野も放言が過ぎていて、「午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない」のはそうかもしれないが、レイプされて殺されることとは無関係だし、「ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、(略)」というくだりは曾野綾子の周辺のお上品な連中にはそう見えるというにすぎないなど、突っ込みどころがありすぎることも事実

さらに話がややこしくなったのは、単にフェミのネタにしやすい文章だというだけでなくて、曾野綾子政治保守産経保守系だということで、左派(ここでははてサ)の格好の目の敵になった。現に、着火して煽ったのがはてサシートンだ。つまり、思想的思惑込みでポジション取りをしてるので、議論がかみ合わなくなる。

それに、はてサに反論してる一人がNaokiTakahashiさんで、NaokiTakahashiさんは以前からはてサと議論してて対立してるので、それで余計に議論がもつれた。

議論の対立は基本的にこういう事。フェミ・はてサ曾野綾子の言ってることは時代錯誤セカンドレイプということになる。それ以外は曾野綾子の放言は認めても、単に用心しろといってるだけで、そんな議論することかと言っている。

そこで「自衛厨」にむけてはてサ・フェミが言い出したのは、「曾野綾子の『用心』を正当化するなら、男は刺されてもいい・予防拘禁されてもいいじゃないか」という「レトリック」。もちろん、何もしてないのに刺されたり、捕まったりしてはいけないので、それは違う。したがって、曾野綾子の「用心」は正当化できない、と結論付ける。Aが正しいとしたらBということになるが、Bは間違っているのでAではない、つまり一種の背理法だね。「男は獣」云々もその流れ。

理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しいのだけど、よくよく考えたら、もともとの文章が突っ込みどころが多いとはいえ単にババア説教でしかないので、それに対して「なら男を刺してもいいのか」「予防拘禁だ」という極論から背理法に持ち込むのは、明らかにバランスを失している。

たとえば、法律として女性の服装を規定しろとか義務化しろとか曽野が言ってるなら、この背理法もまだ意味を持つんだけども。

すぐ例が思い浮かばないが、こういうレトリック漫才で使うと思う。片方が小さな命題をチョロッと言うと、それに対してもう片方が話を大きくふくらませて言って背理法に持って行き、だからオマエの言ってることは変だという。「誰もそんなことまで言うてへんやないか」とツッコんで客席は爆笑。中田カウスボタンっぽいネタなんだけど、うーん、適切な例がすぐに思い出せない。でもありがちだと思うね。

ただ、左翼はもともとこういう背理法を使った踏み絵をよく踏ませた。古臭い例で、改憲→即戦争→だから護憲!みたいな。はてサはそのやり方を真似てる。たぶん、戦後学生運動で、相手を洗脳しながら議論に勝つやり方の劣化バージョンが未だに生き残ってるんじゃないかな。根拠なく言ってしまうけど。

長くなった。そういうことで、あのネタは議論として無意味になっている。いつものように、自分たちが論理的に正しいとはてサが信じ込んでいるので、こうなるとまともに議論が成立しない。議論に付き合う人はやればいいけど、ただヲチするために整理したいんだったら、無駄なのでやめておいた方がいい。どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。

2008-05-21

子どもに「かわいくないマスコットはなぜいけないの?」と聞かれたら

マスコットキモいからと見た目のかわいい別のマスコットを創り出すという

その別のマスコット候補の選定は着々と進んでいる

そのうち名前も公募するのかな?

でもなんかアレだよね

俺は、マスコットだってみんなで育てていけばいいんだと思うんだよ

マスコットだからと言って、名前まで決められたものを見た目で全否定するのってなんかすごくイヤだ

みんなで寄ってたかって醜いマスコットを殺そうとしているように感じるんだよ

ある種のおぞましさを感じるんだ

なんというか、教育上ものすごくよろしくないような気がするんだよ

子どもが怖いと泣くんです」って、なぜ見た目で判断しちゃダメだよって言えないんだい?

そんなこと言ったらマスコットが悲しむよって言えないんだい?

マスコットだって生きている

そういう情緒教育が理想なんじゃなかったのかい?

前にピカチュウ虐待するサイトみたいなのがあったよね

そこで行われていたこととなんら変わらないような気がするんだ

もちろん選考過程が問題だからとマスコット自体を殺す必要も無いよね

それは全然別の問題だし

幼い子を持つ親として、小さな命に対する倫理的な視点と子どもに対する教育的な視点でもって感じたことを率直に書いてみた

・・・って、やっぱり自分は考えすぎというか感情移入しすぎか??

別に自分はせんとくんがめちゃめちゃ好きってことは無いよ

2007-08-16

チェーンメール

分かってはいるのだけれどひっかかる。

先ほど、たまたまテレビを見た。TBS徳光和夫感動再会“逢いたい”」らしい。その最後、「メールが救った小さな命」だ。

心臓移植の必要な三歳の息子のため、渡米による移植費用1億を募金する話だ。

その中でチェーンメールが出てくる。もちろん良い事ではない。悪い事だ。

しかし、番組では肯定的に扱っている。タイトルにある割には小さな扱いであるが、肯定的に扱い、しかも「チェーンメールを送る事は悪い事である」という事は一切表現されていなかった。

なんだかんだいってもテレビマスコミの影響は今だ大きい。そのマスコミがそういった扱いをする事がやはり気にかかる。

この番組も、なにもチェーンメールの事をだす必要もないのに、と思う。しかも、出した本人の出演である。まあ、悪い事であるという認識がないのだろう。

しかし、なんだか、終り良ければ手段を選ばず、という様に思えてしまう。

いや、それが普通の感覚ではない、という事は分かっているつもりである。しかし、だからこそ「チェーンメールを送る事は悪い事である」という視点にたって欲しかった。

啓蒙しろ、とまでは言わない。ただ、扱わなければ良かっただけの話なんだ。しかしそれがなされない現状に、少し悲しくなる。

2007-08-08

ダル&サエコ“でき婚”今秋にも

ダル&サエコ“でき婚”今秋にも

8月8日6時5分配信 スポーツニッポン

できちゃった婚”をするダルビッシュ(左)とサエコ

 スポニチ本紙報道で交際が明らかになった北海道日本ハムファイターズのエース、ダルビッシュ有(20)と現役早大生の女優サエコ(20)のカップルが結婚することが7日、分かった。サエコ妊娠しており、2人は親しい知人らに「結婚するつもりです」と報告済み。早ければ、シーズン終了後の今秋にもゴールインする。

 交際が明らかになったばかりのダルビッシュサエコ。このまま一気に“できちゃった婚”という、150キロの剛速球もビックリの超スピード婚になりそうだ。

 本紙の交際報道があったこの日、サエコ所属事務所マスコミ各社の取材に「交際は事実。いいお付き合いをさせていただいています」とコメント。ともに20歳という若いカップルだけに「温かく見守っていただければ」と話し、交際を認めただけでなく今後の2人の人生についても応援していく姿勢を見せた。

 一方、ダルビッシュが所属する日本ハム球団広報も「プライベートについては本人に任せています」と交際を否定せず、静かに見守る構えだ。

 わずか交際3カ月足らずの若いカップルを、周囲がこれだけ慎重に見守る姿勢を明らかにしたのには理由がある。

 サエコの“おめでた”が分かったのだ。妊娠3カ月目に入ったばかりで、愛の証の小さな命が宿ったことに2人はとても喜んでいる。

 それぞれ、親しい関係者や知人にはこの日までに「結婚しようと思っています」と報告。結婚の具体的な日取りなどは決まっていないが、ダルビッシュが生まれ故郷大阪サエコを両親に紹介するなど段階を踏んでおり、シーズン終了後の今秋にもゴールインすることになりそうだ。

 ダルビッシュは、最新号の女性ファッション誌「an・an」のSEX特集で表紙&グラビアに登場。フルヌードを披露している。インタビューでは「(SEXで)愛情を実感すると、彼女のために頑張って投げようって思える。勝って喜ばせようという気持ちが強くなるんです」「うまくいってるカップルを見ると、その女性キレイで穏やかになってたりしますよね。自分の場合も…そう変わってくれたらうれしい」と恋人への深い思いを明かしており、サエコとの婚約を自ら堂々発表する日も近そうだ。

 サエコはこの日、映画ガチボーイ」のロケ先の札幌から帰京し、都内で仕事をしていたもよう。ブログでは、北海道とうもろこしをゆで、ダルビッシュ故郷大阪名物の「お好み焼き」を作ったことを書き込んだ。「お料理って楽しいね」と新婚生活での手料理も準備万端の様子だ。

 ◆サエコ(さえこ)本名は非公開。1986年(昭61)11月16日、宮崎県生まれの20歳。01年、日テレドラマ「ゼニ ゲッチュー!!」でデビューTBS学校へ行こう!」のレギュラーで人気を博し、映画バックダンサーズ!」などに出演。06年4月、早稲田大学人間科学部(通信制)に入学。趣味ネイルアート。1メートル57、血液型O。

 
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