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2024-04-12

anond:20240411132520

誰か相談乗って欲しいです。

私、精神的に心が壊れてきてて。

精神科に行きたいんですけど、中々難しくて。

2ヶ月待ちとか、そんな感じなんですよね。

で、バイト決まってたんです。

ちなみにまだバイトシフト?日程は決まってなくて。

オリエンテーション的なのに、今度行くんです。

で、かなり凄く、あれで。

バイトできなさそうで。

サークルは無理やり入っちゃったからあれですけど、バイトはやめようかなとか考えてて。

こういう場合って、まだバイト入ってない状態ではあるけど辞めれるんですかね?

2024-01-29

Mensa会員になって5年ぐらいったったので印象まとめる

自分: 地方でその地域に住んでるMensaの人たちと交流ある程度。公式例会みたいな東京で会員集めて色々決めるみたいなのは行ったことないし、委員会みたいなのもかかわったことないレベル

あんまり変な人はいない

少なくとも変なテスト高得点出した人っていうフィルタをした割にはやばいやつ遭遇率は普通社会と大差ない印象だった。

ただいないわけじゃないし、昔委員会で色々トラブル起こしてる人もいたみたいだし、人間関係トラブルはあると思う。

その辺は人がそれなりに集まればそうよねという感じ、超少数の地方とかでなければ避ければいいだけなのでそんなに問題いかなという印象。

雰囲気理系っぽい?

理系じゃないから知らないけど理系の人が多いし、落ち着いてる人が多い感じがする。

自分体育会系だったので言えるけど、少なくとも体育会系のノリみたいなのはなかった。

意外とコミュニケーション取ってくれる人が多い

例えば県外から出張できたMensaの人を交えて飲み会するとか、定期的にそういう場を提供してくれる人とか。

ただこれはそもそもMensaでの集まりほとんどはMensa運営企画するわけじゃなくて個々人がやることなので、集まるのが能動的に人と関わりたい人になるからかもしれない。

実際オリエンテーションで見かけた人たちの8割ぐらいは見なくなった気がする。

ボドゲ楽しい

自分にとってのMensaはほぼボドゲを遊ぶための場になってる。

個人的ボドゲカフェみたいなところに単身突撃して入れてもらうみたいなのハードルが高すぎるので、ボドゲ遊びたい人にはいコミュニティかもしれない。

連休でみんなで泊まり込みで重めのボドゲしようといっても集まってくれる人がいたりするので本当に助かる。

---

結局のところただの人の集まりしかないので、共通趣味をうまく見つけて遊べたら友達もできるし楽しいという感じ。

Mensa会員という話はリアルでは誰にもしていないし、運営側にもかかわる気はないので、うまく使えば友人が作れたり趣味を共有できたりする便利コミュニティというのが自分の印象でした。

ただ個人的にこれはすごく大きくて、社会人になってから家に遊びに行ったりするレベルでの友人はMensa経由でしかできていないので入ってよかったなと思います

職業の幅も広かったり趣味の幅も広かったりでいろんな話がきけるのもいいです。印象深いのはお坊さんの話と世界一周した人の話かな、研究者の人とかもたまにいるけどむずすぎて何言ってるかわからないという。

2023-12-22

生存バイアスしかない不眠症と付き合ってきた50年

※単に実家が太かったという結論で終わるかもしれない

小学校時代

四年生ぐらいまでのことはあまり覚えてません

5~6年の時は既に寝つきが悪く、朝起きるのがほんとうに毎朝しんどかったです

廊下公園で走り回ったりなどはしてました

食は細かった

9時にはお布団に入らされてました

布団の中で海中電灯で漫画読んだりしてた

起きれてた理由は起きないとしばかれるからです

(起きずにしばかれたことはそんなに多くないが、機嫌が悪いともっと些細な理由でしばかれるので)

中学校時代

小学校時代とあまり変わらず。

学校はずっと楽しかったのでそれも起きるモチベだったか

(というか家にいるのが辛かった)

高校時代

詳細は省きますが、祖父母保護者代わりになりました。

小中に比べたら学校がそこまで楽しくなくなりましたが、友人に恵まれて、行ったり休んだりしてました

小中で無理やり起きていた(起こされていた)延長と、おじいちゃんの優しさで、起きれそうな時は起きて学校に行き

授業中に寝てました

家では夜中はずっとゲーム

おそらく単位は足りてません

追試とかいう話も周囲でも聞いたことがなかったので、

そもそも落ちこぼれが来るはずもない進学校

たまに来たイレギュラー事なかれ主義というか面倒なので色々書類いじって放置卒業できたのかと

大学時代

オリエンテーションかなにかの存在がわからず、あっという間に夏休みになり

バイト教習所に明け暮れている日々で取得単位ゼロ中退

フリーター時代

フリーターという名の半ニート

日雇いで小遣いを稼ぎ、ゲームに明け暮れる日々

おうちに屋根ライフライン各種も、お腹が減ったら食べれる食材もあったので実家の太さと寛容な家族大事

週に一回おばあちゃんが作ってくれたご飯を目の前で食べるくらいであとは完全に自分リズムでの生活

勝手炊飯器ご飯冷蔵庫食材を食べ、

ぶっ倒れるまでゲーム自動的に目が覚めるまで寝るの繰り返し

専門学校時代

このままではいけないと気づき

入学

幸いにして、起き続けるという才能はあったので、とりあえず、寝れそうになかったら置き続けるという作戦で2年間過ごしました

単位?出席日数はほとんどの教科でギリギリ

2/3以上の出席が必要だったので、事前に授業数を計算して常に1日休んでもまだ大丈夫以上の状態を保って、手帳に書いてました

結果分母はわからんが、3つぐらいがほんとにギリギリ、他ほとんどもあと1日~2日休んだら留年レベル卒業

サラリーマン時代

基本的専門学校と同じで、起きれそうになかったら起き続ける作戦

途中から奥さんが起してくれることに。(起きるまで起こしてくれるので100%起きれる)

職種的に、フレックスで9時に起きたら(10分後には電車に乗ってるので)コア間に合うというのもあって、遅刻しても怒られないというのもあって

有給と半休を全消化しつつ、休日出勤で得た代休も利用しつつで

いろいろぶっこわれて、退職して離婚

40歳ぐらい?

眠剤ガチャやらなんやらしつつ今に至る

2023-11-18

anond:20231116212314

爆笑問題は二人とも生まれ階層について嘘ついたり過小申告したり全然してないけど、彼らの昔の思い出話聞いてるだけでもうマジで金には一切困らず育てられたんだなっていうのビンビン伝わってくる

あと日芸なんて行かせちゃ絶対ダメだなと思った。マウント合戦に敗れて4月オリエンテーション合宿中退とか異常空間だろ

2023-10-07

anond:20231004010718

そうやって生存競争場所で選別の場所だって先に言ってくれればいいんだけど

建前上やってはいけないことになってるからモラルに欠ける人間が有利になるという

糞みたいなスクリーニングになってるんだよね

オリエンテーションで明言してみんなが効率よくいじめ戦略を立てるべきなんだよ

バトルロワイアルだって殺し合いですって最初説明したし

2023-09-28

男の人はどうして気が付かないの?


恋愛的な意味になる。男性を見ていて、本当に鈍いと思うことがある。人生でそう何度もあるわけじゃない機会だ。ここで愚痴らせてほしい。女の子不憫すぎる。どうして男の人は気が付かないの?と思ったことがそれくらいある。

若い年齢ではないから、リアルな感じは伝わらないし、違和感もあるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。

これまでに何十回とそういうのを見てきたけど、年代別に3人だけ語りたい。それぞれ、高校生の時とか、大学生の時とか、社会人の時とかいろいろある。

小町とかで書いた経験もない。文章は不足してると思う。読みにくかったらごめんなさい。



一つめは、高校部活での出来事になる。文化系部活に入っていて、社会福祉活動をしてた。今の言葉でいうと、ヒューマンライツ部みたいな名前だった。

ハンセン病とか、人権があやぶまれている人達のために募金活動をしたり、東日本大震災被害者のためにカンパお金を集めたり、署名活動をしたり、あとは非核運動にも参加していた。集めた募金の方は、政党や団体に寄付していた。

書いてるうちに懐かしくなってきた。自慢にはなるけど、実績のある部活動だった。広島県庁からも、文部科学省からインタビュー依頼があったり、賞をもらった。

忙しい時はとにかく多忙だったけど、普段はそこまでやることもなかった。そんな日は、狭い部室棟の一室で、みんなで雑談して盛り上がっていた。その部室で、ある時、当時は高3だった私と、同じく高3の女の子と、高2の男の子がいた。3人だけだった。

私は人権学習資料を読んでいて、あとの2人は楽しげにトークをしていた。ちょっとうるさくて、注意しようか迷ったけど、そういう雰囲気の2人なんだなと思ってやめた。

気がついたら6時半になっていて、もう帰ろうかと思ってたら、高3ちゃんが高2君に話をはじめた。

「ねえ。なべは帰りは自転車だっけ」

はい。坂降りたとこの駐輪場チャリ置いてます

「うちは電車なんだけど、じゃあ途中まで一緒だね」

「途中……あぁ、あの坂が途中で別れますよね」

「なあ、今日いっしょに帰らん? 駅まで。暗いし」

「途中までなら」

「駅まで帰らん?送ってくれん?怖い」

「うーん」

イライラしていた。高2君に。男はここまで愚かなんだろうかって、この時絶対にそう思っていた。高3ちゃんは黙ってたけど、一声を振り絞ったのを覚えてる。

「ねえ。なべー、今日一緒にかえろ?」

「すいません。帰れないです。今日は家まで急ぎなので」

さっきまで、あんなに楽しい調子で話してたのに。なんだったんだろう。だったら、さっさとあなた1人で帰ればいいのに。どうして、ここまできて駅まで送ってあげないの?

どうして、男の人はこんなことをするんだろう。たとえ乗り気じゃなくても、一緒に帰るのがマナーだと思う。高3ちゃんは、性格のいい子だった。外見だって。私から見てもブサイクじゃない。

なんで、高2君はあの時、誘いを断ったんだろう。一般的男子だったら、一緒に帰るものだと思う。

彼のような男性が減ってほしいと願う。高3ちゃん勇気無駄になってしまった。ひどすぎる。



二つめになる。

大学生の時だった。教職課程を取っていた私は、ある難しいグループ講義に参加していた。教育方法学だったと思う。6人でチームを作って、先生が出した課題に沿ってグループ内で討論をして、レポート半年間で4回作って提出する。2・3年生が中心の講義だった。

私が通っていた大学では教職課程最難関と言われていて、まじめに受けても3人中2人しか単位がもらえないという話だった(しかほとんどの人が「可」の評価)。当然必修科目だ。

私が入った講義グループ(チーム)は、3年生が1人、2年生が5人で偏りがあった。講義の初回はオリエンテーションで難しくなかったけど、2回目からは本格的な教育学の討論が入って(エリクソンの発達課題?)、みんな自分意見が出せずに苦戦してた。しかも、2週間後には関連付けたレポートを出さないといけない。

私もぜんぜんわからなかったけど、話の種はなんとか出てきて、ノート記述を書き留めていって……でも、次の回になると課題もっと難しくなった。上の課題が、別の経済問題(非正規雇用とかの多様な働き方)と関連付いていた。

ほかのみんなも黙り込んでしまってどうしよう、となったところで3年生の男の人が口火をきった。なんて言ったかは詳しく覚えてないけど、「先生意図は、どうやったら主体的な学びができる子を増やせるかだと思う〜」という内容からはじまって、経済問題につなげていって、話を終える頃にはグループ全員が小レポートを作れるくらいの論がたまっていた。

講義終了後に、担当講師の人が用意したチーム単位登録制SNSがあったんだけど、そこでも自分の論考をオープンにしていて、みんなその人の意見を参考にしていた。

第1回のレポートを終える頃には、チームのある女の子(大2ちゃん)が、その3年生(大3君)にひたむきな視線を送っていた。

講義中に話をする機会があったら、大2ちゃんはまっすぐに大3君の目をみていた。座っている同士だと、講義机の上に両手をちょこんと載せて、口を結んで彼を見ていた。お互いに立っている時だと、背筋をのばして大3君を見上げるみたいにして、できるだけ近くに寄ろうとしてる。

そういう姿を見るのが楽しみだった。大3君は、見た目はぼやっとしているけど、頭の回転が早くて、堂々としてた。私自身も、いい人だな、ご飯に誘われたらどうしようと思ってた。

第2回、第3回のレポートも提出が終わって、いよいよ最後レポートを出す直前の講義だった。

その講義責任者だった教育学部の教授から言われたのは、「最後レポートを出す前に、お互いを評価あいましょう」というものだった。5点満点で、メンバーがそれぞれ評価を出し合って、平均点が最終レポートに加算されるみたいだ。

その時、6人のメンバーは長机×2にそれぞれ座っていて、その5点満点の評価シートを眺めていた。緊張感があったと思う。人生初めての経験だった。

そしたら、大3君が言い出した。「これは、お互いに満点をつけるために存在しているとしか思えないから、みんなそうしよう」って。

みんなうんうん、と頷いていた。かくして、私たちはお互いに5点を投じ合った。大2ちゃんは、彼のそんな様子をあこがれの視線で観ていた。もう、第三者にもわかるような、それくらいわかりやすかった。

でも結局、彼女の想いは報われなかった。最終レポートを出し終えて、「最後飲み会をしよう」となった時だった。福岡市内にある落ち着いた雰囲気居酒屋で、みんなで六人だけの飲み会を楽しんだのだけど、わたし達は一緒に見計らって、大3君と大2ちゃんをくっつけようという話になった。

席を隣にしたり、一緒に話す機会を作ったり、ふたりがいっしょになるように計らっていた。でも…大3君は、そんな彼女スルーしてた。仲良くする気配もなくて、ただ「そうだね」みたいに呟いてた。

その後、最後のチャンスということで、大2ちゃんが彼をご飯に誘ってみて、一緒にデートしたみたいだった。けど、大3君から特にアプローチはなく。

告白しようか、と思ったみたいだけど、傷つくのが嫌だからやめた方がいいかなって彼女は言ってた。私もそうした方がいいと思って「待った方がいいよ」と、一通り話を聞いた後で助言した。

私が許せなかったのは、その次の年の別講義で私と大3君が同じ班になった時、一緒にご飯に行く機会があったんだけど、彼はその時「実は、大2ちゃんのことが気になってた」と意味不明なことを言ってた。

こいつ最低だと思った。自分の想いも告げないのに、勝手にフラれた気になって、自分からは動かないのに。どうして、男性はここまで自分勝手なんだろう。

2ちゃんが気になってるなら、彼からご飯に誘って、彼からそれとない会話をして、彼から告白して、とにかく想いを告げるのは男性役割だ。



もう過ぎたことだけど、今でもそういう煮え切らない態度の男性を見ると、正直腹が立つことがある。

三つめになるけど、今の職場でいうと、私と同じ齢の30手前くらいの男性がいて、彼は多分、私の同僚の好意に気づいているのに、なにもしようとしない。私はすぐ近くの席で見てたから知ってる。

の子は、彼と目が合いそうになったらすぐに逸らしたり、廊下ですれ違う時に端っこに寄ったり、彼と話をする時にまっすぐ背を伸ばして彼の顔を見詰めたり、話をしている時は声が極端に高かったり、低かったり…そういうわかりやすい態度で示してるのに、その男性は知らん顔をしている。

結婚してる人じゃないよ。念のため。

その男性も、会社飲み会二次会では「あの子が気になるかも」ってトークをしてた。お酒の席だから冗談かもしれないけど、私からすると彼も彼女のことが気になってる。



男性って、どういう気持ちでそんなことをするんだろう。女の子からアプローチがあって、しか自分がその子を気になってるのに…どうしてそんな行動が取れるんだろう。

私にとっては、男性のそういうところが理解できない。悲しい話ばかりになったけど、我慢できなかった。今回は、自分気持ちを正直に言ってみたつもりだ。厳しい意見覚悟してる。一増田意見として読んでほしい。

2023-08-28

F欄の割にはまともな文章が書けてる

私は、Fラン大学出身です。私は、大学入学後、入学式の学科オリエンテーション学部から講義に出とくだけで進級できるとか思わないでください。」と言われました。

これは、おそらく、講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生がいると思ったから、言ったんだと思います

じゃあ早稲田慶應明治などの学生でも講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生は、いるんですかね?

f欄ってもっとボキャ貧爆サイ民みたいな鳴き声じみたワンパターンなことしか書けないのかとか思ってたよ

2023-07-27

anond:20230725153518

レポートの書き方はかなり指導されたけどな

入学直後のオリエンテーションでも『理科系の作文技術』は絶対に読めと言われたし

2023-05-07

anond:20230507141846

ワイも30間近で社会復帰たからギリ大丈夫やろ

プログラム系なら30歳まで無料講習就職まで面倒見てくれるとこあるし

興味本位オリエンテーション参加した事あるけど、バリバリニートぽいおっさん何人かいたぞ

ちゃんと探してんのか?

2023-02-07

見た目って大事だよね

大学入学前のオリエンテーションでさ、目についた同級生がいたのよ

派手な服とか特別整った顔立ちとかではないけどなぜか目についた、お互い

でも話しかけず隣にも座らず、その日は無関係の人のまま終わった

日付が変わって、入学式でまたその子が目についたのよ

また目があって、今度は話しかけて友達になった

15年ほどたった今も定期的に遊んでる

今週末も遊ぶ予定を入れて、それでふと馴れ初めを思い出した

今思えば外見の雰囲気だけで共通するものに気付いて、友達になれそうな気配を感じ取ったんだろうなあ

実際趣味性格は似てるところがあったし(細かく考えると全然違うけど大枠としてはね)

そう考えると見た目って大事

余談だけど誕生日も一緒だったよ

2022-11-28

日本電産忖度文化”の極み

人事部作成「永守会長対応マニュアル

「永守会長へは最高の敬意を込めて対応すること」

「永守会長に『さん』付けは厳禁」

「疲れ知らずの永守会長に『お疲れさまです』と言ってはならない」

 日本電産の内部で、永守重信会長社員対応する際の作法を説く手引書を作成していたことがダイヤモンド編集部取材で分かった。日本電産人事部作成したもので、毎年大量に入社する中途社員に向けたオリエンテーションで使われたという。

 その内容は、永守氏に対する呼称あいつの方法、社内で出会った際の立ち振る舞い、電話メールの受け方、食事会での作法まで多岐にわたり、異様なまでに細かなルールがある。

 1973年創業以降、ハードワークの社風を築いた永守氏。独自経営哲学で競合企業追随を許さない圧倒的スピード経営実践してきたが、時に社員罵倒する強烈な言動には批判もある。

 永守氏は「叱られた社員は私に感謝する。これがパワハラというなら会社はここまで成長していない」と意に介さない様子だが、社員に過度な圧力を掛ける企業風土は、永守氏個人にとどまらず、同氏を取り巻く側近らが組織的に醸成した面もありそうだ。

 ダイヤモンド編集部では、日本電産人事部作成した「永守会長対応マニュアル」を独自に入手した。次ページでは、その内部資料を公開する。中身は時代錯誤ビジネスマナーオンパレード社員に過度な負担を強いて人材疲弊させる異様な企業風土が明らかになった。

https://diamond.jp/articles/-/313403

うーん

創業社長として日本モーターを世界に定着させたのはすごい人だけど、

王朝化しすぎたのかなあ

M&Aしまくったのが一因にあるのは間違いない

2022-10-23

少年自然の家に泊まってきた

家族キャンプイベント家族4人で参加

午後一集合、とりあえず部屋に荷物を置く。

2段ベッド4つの8人部屋を家族で使う。

2段ベッドですでに子供がはしゃぐ。

息子は3回ぐらい天井に頭ぶつける。

オリエンテーションの後軽い自己紹介

娘にやれと言ったらずっと順番来るまで、不安そうな顔でやらなきゃダメ?と聞いてくる。結局俺が喋る。

野外でアスレチック

楽しいけど歩く距離が長いのでアラフィフの俺と妻にはかなりハード

食堂ご飯食べてからかぼちゃジャックランタン作り。かぼちゃも道具も用意してくれる。

娘と息子が道具を取り合いながら完成。

ラウンジで焼きいもと焼きマシュマロ

風呂に入って10時就寝。普段は12時まで寝つけない俺も疲れてたのですぐに寝る。

翌日、朝食も食堂

終わったらメインイベント野外炊飯食材は持参。

薪は用意してあって道具も貸してくれる。

キャンプは全く未経験なので作るのはカレーと串にさしてあって焼くだけの焼き鳥

火おこしは2回失敗したけど3回目で成功

飯盒で炊いたご飯は水が少ないせいで固めだったけど、カレー焼き鳥普通に旨かった。

焼き鳥は鉄のフライパンで焼いたけど、テフロンのやつよりうまい気がする。

道具はきれいに洗って返却。水が冷たいかゴム手袋持ってきてよかった。

4人で一泊2食とアクティティいっぱいでたった9000円でなんかもうしわけないぐらい。

2022-10-17

大人の〇〇ちゃん

今年8月結婚に伴い上京転職した。

転職先はよくある、派遣元正社員になり派遣先で頑張る、特定派遣

転職先には3人先輩がいる。

Aさん(入社6年目)

Bさん(入社4年目)

Bさんが私の教育担当だった。わりと親切に教えてくれていた。

今月から新しくCさんが入ることになった。

Cさんは、私たちより干支1週くらい年上の方なのだ

短期離職を繰り返している人のようだった。

初日オリエンテーションでは前職、前前職、前前前職…の悪口を言う会みたいになっていた。

それ以外にも、業務を教えれば関係ない質問を繰り返し

(ウインドウって×マークしか閉じちゃいけないんですか?とか

改行ってエンタキーじゃないとだめ?それってなんでですか?どういうことですか?←エンタキーの話)

全く進まない。

進んだと思えば「面倒くさいですね」とため息をこぼしながら言う。

それで私以外の2人は(私もだけど)、完全に萎縮。

かと思えば、仕事で使うPCでTwitterや5chまとめサイトなども見ようとしてブロックされ、派遣先から怒られる始末。

それでも「私はやってません!」と言う。←ログを見せても知らんぷり

このCさんへのOJTを先輩2人が拒否し、私がやることに。

毎日この調子で疲れるし、私のOJTに不備があれば、その場に入ってではなくCさんが帰ったあとや居ない時に厳しく言われる。

結構ズタボロな毎日を送っている。

派遣先からクレームがあり、上司が1人ずつ面談

私含めて3人はCさんにとっとと辞めてほしいと思っている。

だが、Cさん本人はやる気に満ちている。

そして、現場を見ていない上司(派遣元)は、Cさんがどうすれば、辞めなくてもいいかを考えていた。

あさっての方向に頑張ってるなという印象でしかないが…その期待も上司はあっさり裏切られた。

上司も来るグループミーティング上司に怒られると察したCさんは、「子どもが熱で…」と早退し、グループミーティングを欠席した。

そして、その日の夜グループミーティングを終えてサイゼリア上司たちとご飯を食べていると信じられない光景が。

Cさんが来た。

しかも夫と、熱の出たはずの子供と、楽しそうに。

席につくなりマスクもせずゲラゲラかい声で笑い、職場いかにぬるいかを喋っていた。

ノーマスクドリンクバーに行くしその場で飲んでおかわりしてるし…

私たちはこれを受けて「やった!!」と思った

上司の心象が悪くなりさえすれば首になる日も近いだろう。

そして月曜日

ミーティング欠席の詫びもなく。いつも通りのCさんだった

上司から信じられない言葉が来た。

増田さんを中心に、Cさんをきっちり指導してください。

やりたくないなら、合理的理由を述べなさい。」というお達し。

…え?

私は小学生の時、ハンディキャップをもった〇〇ちゃんのお世話係を押し付けられて…

まりにも大変で、本人からは癇癪、同級生から応援という名の押し付けあい不登校になった。

今その気持ちが蘇ってきてる。

どうしよう。

大人になってまでこんな目にあわないといけないの…?

私もいい歳であんまり短期離職なんてしたくないのだが。

どうしよう。。。。

2022-10-11

医学部に入ってから誰にも本音を話せなくなった

 医学部入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。

 僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部一般枠で合格した。ちなみに僕の家系医者はおらず、両親は地元会社員である

 入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーション開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIX鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。

 しか入学後の部活新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓セレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。

 とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。

 そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年から解剖学生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味しかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。

 つい最近、W君とCBTに向けてiPadQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部受験したのかと問い詰めた。W君は、一言だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。

 「親ガチャ」というセンシティブワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。

 為せば成る努力は実を結ぶ、と言った陳腐スローガンを掲げてきた地元高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。

 息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。

 そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。

2022-07-23

anond:20220723005653

増田くん、おり、よろしく

「は?」

新人くるから。」

「おりって?」

オリエンテーションだよ、そんなことも知らないのか。」

2022-07-12

原理研究会

自分学生の頃は、ネットは今のように普及しておらず、スマホはもちろん、ガラケーすらもなかった。

そのため、サークル情報は、サークルが配布しているチラシや、先輩や友達から口コミしかなかった。

当然、当時の自分常識知らずだったし、原理研究会統一教会信者運営していることなど知る由もなかった。

自分大学入学時のオリエンテーションで、色々な部活勧誘を受けたが、その中に原理研究会があった。

チラシの内容はよく覚えていないが、世の中の原理原則を探求するようなことが活動方針であったような気がする。

自分勉強けが取り柄の陰キャだったので、入学直後は友達もいなかったし、一人暮らしだったので、情報入手する手段が全くなかった。

実際、自分のような勉強けが取り柄の陰キャからみると、世の中の原理原則を探求する、という謳い文句結構魅力的に思えた。

結局、サークルに入るのは面倒くさそうなので入ることはなかったが、もし入っていたら統一教会勧誘を受ける日々だったのだろうと思うとゾッとする。

自分のように、18かそこらで大学入学して一人暮らしを始めて、陰キャ勉強しか取り柄のない人間はそれなりにいると思う。

そんな人間が、原理研究会に入って、その何割かが、そのまま統一教会に入信するのだろう。

入信のきっかけは寂しさとかもあるかもしれないけど、信者の女の先輩に色目を使われたりとかもありそうだ。

自分男子出身で当時は童貞だったし、恋愛経験も皆無だったので、もし原理研究会に入ってしまい、そこそこ外見の女の先輩から色目を使われたら、もうアウトだったろうと思う。

ただ、自分のような不細工童貞陰キャ男を筆おろししてくれるなら、入る価値はあったかもしれないけど。

(実際は大学卒業前に風俗筆おろししてもらいました。)

2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2022-06-05

非モテの加害性についての認識

結構前になるが以前、おぎの議員出会い目的趣味に入ってくる事に対する苦言をツイートしていた件からあることを思い出した。大学生の頃のことだ。

一部の女性から非モテ男性=「ストーカーになりそう」「性的加害しそう」というイメージを持っている人がいる。

多くの非モテ男性は加害欲求など持たないどちらかというと引っ込み思案でおとなしい人が多いとこれまで会ってきた人たちから実感してる。

私も10代の頃に恋愛するチャンスに恵まれないどころか同種のバッシング女子やその彼氏たちから受けてきたから実感としても分かる。

知人友人の非モテカテゴライズされる男性たちもどちらかというと優しい人間が多い。

だが、その中に稀に迷惑非モテ男性存在があり、白饅頭が言うところの透明化されて存在認識されない大多数の非モテ男性に変わってそのような迷惑非モテ男性強制的女性認知に入ってくることによって悪いイメージを持ち他の非モテ男性が色眼鏡で見られる被害が起こっているのではないかと思っている。

私が体験した例について書くと、私は地方文系大学出身の男。書くのは他学部の1学年下の男学生についての話だ。

彼はこれから書く事によってよく見かけるようになったんだが、会話を数回したことある程度で名前も覚えていない顔見知り程度の間柄。

彼とは大学生協の新入生オリエンテーションを手伝った際に自分担当したことで知り合った。

当時、サークルでの悩みがあり私は大学が設けているカウンセラーが常駐している相談室という場所に通っていたんだ。

そこは訪れる学生同士が交流やすいように待合室が談話室のようになっていて、そこでその彼とも時々顔を合わすことがあった。

多少、引っ込み思案な性格なのかな?という印象を受ける青年最初特に印象に残っていなかったが、回数が少ないながら何回か会っているうちに会話の最中に他の人が喋っている時に小さな声で俯きながら「彼女欲しい」と何度も呟いたり女性芸能人写真携帯に表示してニヤニヤしているところを見てちょっと関わりたくないなと思うようになった。

当時、私は演劇研究会に入っていて年3回の公演があるため、稽古間中は授業やバイト以外の時間ほとんど部室棟の閉館時間まで部室や稽古使用する部屋で過ごしていた。

しばらくたって部室棟で彼を見かけるようになったが、どうやら国際問題について勉強するサークルに入ったようだった。

その頃には彼とは会話をすることはなくなっていたので、興味がないし自分活動で忙しいこともありそれ以外の様子は知らないままでいた。

私の通っていた大学ではキャンパス全体を使った文化系サークルの合同発表会のような行事があるんだが、私の所属していた演劇研究会はその行事で年度最初の公演を行うため観客の呼び込みや各ステージの準備などを行っていた。

隣の教室は例の彼のいるサークル研究発表の展示を行っていた。

受付で作業をしていると突然そこから大きな物音がした。何か起きたのかと様子を見に行くと例の彼がパネルを倒し、壁や備品を蹴るなど暴れていた。

その場にいたのが女子が多かったので助けを求められ、柔道経験者の先輩が止めに入り私が守衛を呼びに行った。

彼は暴れながら「なんで彼女できないんだよ!?」「いっぱい女子がいるのにおかしい!」など言っていて、その場にいた隣のサークル女子が単に暴れている事以上のものに怯えている様子だったのでその段階で何があったのかはなんとなく想像がついた。

その後、対応守衛さんに任せて私のサークルは無事にその日予定していた2ステージの公演を終えることができた。

行事が終わってから隣のサークルメンバーに聞くと彼はディスカッション資料集めなどの活動中にも会話に入らず女子をジロジロ見たり、小声で「彼女欲しい」と呟いたりでかなりサークル内で疎まれていたそうだ。

その後、彼は研究発表を破壊行動によりできなくしたことによりサークルを辞めさせられたとのこと。。

ここで話が終わりになるとよかったんだが、今度は私が関わり合いになるできごとがあった。

当時、私は同じ学部の2学年下の後輩の女子と付き合っていた。2講目の講義で同じものを受講できるものは一緒に受講して昼休みを一緒に過ごすようにしていた。

学内の休憩スペースで一緒に生協弁当を買って食べたりしていたのだが、ある日、例の彼が私達が一緒に過ごしているのを目撃した。

それから私か彼女をつけているのか私達の近くに座ってニヤニヤ私達を見るということを毎日のようにするようになった。

彼女はそれを怖がっていてその場を離れたり、講義後にお互いのアパートでお昼を食べるようにしたりと行動パターンを変えた。

他にも私の学部女子が多いんだが、クラスメイトや同じゼミメンバーと行動するとき女子グループに私一人もしくはもう一人男子が混ざっている状態になることが多々あった。次の授業が一緒で一緒に移動したりすることがあるからだ。

その際にうしろから例の彼がニヤニヤしながら着いてくるということが何度かあり、他のクラスメイトたちは気づいていないものの私はかなり不快に思った。

その後、私のいる演劇研究会に彼が入部希望だとやってきた。

その時は私と部長の二人だったので、二人で対応したがとりあえず暴れられても困るため「話を聞いて検討してからにしてほしい」と前置きしてサークル説明をした。

彼は活動説明は上の空できちんと聞いていないようで「女の子は何人いますか?」「カップルはいるんですか?」などという質問をしてきた。

正直、演劇が好きだったり、入部当初は演劇のものに詳しくなくても創作活動をしたいというモチベーションで集まっている団体だったため興味がない人に来られても困ると思ったため、「次の公演が翌月あるのでそれを見てから検討してください」とお茶を濁して帰ってもらった。

部長は発表会で暴れた所にはいなかったが、見学者リストに書いた名前を見て名前を知っているとのことだった。

彼はあちこち文化系サークル見学にきては同じような質問をして活動内容の説明にはあからさまに興味がないという態度を取るというのを繰り返しているらしく、サークル代表者MTGで注意すべき人物名前が共有されているとのことだった。そのMTGは彼が来た前日のことだったらしい。

サークル見学だけではなく部室棟に出入りしている女子へのつきまといなどもあったそう。

その日、サークル活動を終えてアパートに帰る途中に待ち伏せされてキャンパス内で一人になった時に絡まれた。

「何人もいるんなら一人ぐらい女をよこせ」といった旨の事を喚いた挙げ句、暴れだしたため走って逃げて守衛室に助けを求めた。

その後、学生課にクレームを入れて少なくとも私のいる場所には現れなくなり、彼を見ることはなくなった。

これは私が経験した内容だが、他にも彼と似たような行動をする男が2,3人確認されているとクラスメイトからいたことがある。

彼のような男との同一視による抑圧によって非モテ男性がやってもいない加害行為嫌悪憎悪をぶつけられるのならば大変不幸なことだと思う。

実際に非モテについて話をしている場ではこのような同一視を見かける。Twitterはもちろん、頻度こそ少ないが実生活でも。

非モテ問題に対してよく言われることとして、見た目を整える、自信を持った態度を取るなどのソリューションを白饅頭氏は書いたりしてるがそれは効果があるとは思ってる。

だが、それらの行動を取ることすら許さないほどの抑圧をこのような同一視から受ける事も私も高校までで経験してきたし、見てきたこともある。

このような少数の問題のある人間イメージがある属性全体に当てはめられてそこから蔑視が行われる件について考える必要があるのかなとTwitterの男女論に思うことがある。

同種の状況に困っている男性は大変多いと思う。

最後出会い目的にある趣味活動に入ってくることだが、私自体はあまり肯定的に見れない部分はあるもの否定はしていない。

その人がその場に敬意を持ってその趣味活動を好きになって仲間になってくれるのであれば歓迎してるくらいだ。

私が話に出した彼のようにその場にいる異性にしか興味を持たず場を荒らすのであれば来てほしくないので、リスペクトや仲間になれるかで歓迎するかどうかが決まるという事じゃないかと思う。

ただ、非モテ男性自身のない人が多いため、なにか夢中になれる趣味を見つけそこから自信を身に着けて自己肯定する力をつけるのはとても良いことだと思っている。

私も非モテだあることを悩んでいた頃は異性から嫌悪をぶつけられたが、大学演劇学業にのめりこんでそこから自信を得てから周囲からの見られ方も変わって、デートしてくれる女性やその中から恋人になってくれる女性も現れるようになった。

男性は同性がうっすら嫌いとすもも氏が言っていて理解できる部分もある。しかし、同じ立場から苦境の外へ導く力があるのもまた同性だと思うので個人的には仲間という関係他者と築ける状況が必要かなと思っている。

あくまでこれは私の経験からの実感なので、もしよろしければこの経験マクロ視点から観測可能ものなのかは興味があるが悲しいか知識不足で分からないというのが現状だ。

私にとっても、自身の身の危険と一歩間違えれば彼と同一視されていた可能性があるという両面から恐ろしかった経験だったため、誰かに話してみたいと思って書いてみた次第だ。

2022-05-29

anond:20220528225041

ジェンダーアイデンティティ(性同一性)と別にジェンダーエクスプレッション(性別表現)という概念があるくらいなんだから、「自分を男/女と感じる事」と「男/女らしさを好む事」はまた別の話なんだろう。セクシュアルオリエンテーション性的指向)という概念もある。

「僕は男だからスカートを穿きたくない」は、「僕はスカートを穿きたくないから男だ」ではないし、仮にスカートが男らしいとされる社会だったら穿きたくないと思わないだろう(あるいは「僕は男だけどスカートを穿きたくない」と思うかもしれない)。

ジェンダー存在しない社会においてジェンダーアイデンティティ存在するかは知らないが、ジェンダー存在しない社会なんて非現実的思考実験しかありえないんじゃないか

ジェンダーが固定的に存在しない社会」はイコールジェンダーが流動的にも存在しない社会」ではない。

ジェンダー存在しない社会というのは、「男が口紅差しスカートを穿いてもいい社会」ではなく「男が女と同じくらい口紅差しスカート穿く社会」だし、「高収入の女が低収入でナヨナヨした相手結婚してもいい社会」ではなく「高収入の女が高収入の男と同じくらい低収入でナヨナヨした相手結婚する社会」だし、「男が男を好きになってもいい社会」ではなく「男が女と同じくらい男を好きになりトイレ更衣室も男女で分かれてない社会」だ。

2022-01-21

獣医学部に行って後悔した話

anond:20220114133403

今なら心の整理がついたので、獣医学部に行って後悔した話を書きつづる。

から20数年前、私立大学獣医学部に進学した。

学力的に言えば、国公立のかなりいいところを狙えるくらいの偏差値ではあったものの、思った通りの合格は勝ち取ることは出来ず、とはいえ資格さえもらえればどこでもいいかと滑り止めの私立大学に進学した。

私は世間一般では裕福な家庭だった。ボンボンだ。

もちろん、一握りのすごいお金持ちというわけではないが、安定して世帯年収1千万は超えていて、とくに浪費しない家だったので、私立大学獣医学部学費と、一人暮らし生活費を与えられる幸運に恵まれた。

私は、昔からソロバンをはじいて行動する可愛くない子供だったので、浪人して1年分の年収が失われる損失、10代の1年が受験勉強に浪費されるという損失などを秤にかけて、資格を得られるなら食いっぱぐれることはないだろうということも計算にいれて(入れたつもりだった)、私立大学に進学した。

いや、違うかもしれない。

お金を出してくれるという安心があって、獣医になれれば私立でもまあいいや。と思ってたから、たいして勉強しなかった。

塾にも行ったことがない。

今あの頃に戻れるなら、もう少し勉強して、一浪してでも東大京大かに入っておけと自分に言いたい。

さて、私立獣医学部というのは、学費が高い。

が、医学部なんかとは違って、一般家庭でも出せないこともない額ではある。

私立理系大学学費が120万くらいのところ、200万。高いといえば高いし、卒業まで6年だ。

といっても、理系修士まで進学する人が多いので、獣医以外の理系なら4年で済むというわけでもないかもだが。

さて、入学して早々(正確には入学式の数日前から)、私はまた人生設計の続きを始めた。

とりあえず入学は果たした。たぶん、ストレート卒業できるだろう。さて、卒業後どうする。

思ったよりも動物病院に勤務は待遇が悪い件

求人票をみてビックリしたのが、週休二日社会保険完備が半分くらいだったこと。

社会保険完備だと初任給が数万安く、逆に初任給が高いところは代わりに社会保険が完備されてないか、あるいはボーナスがない。

今考えれば、個人事業主のところに就職するというのは、そんなもんなんだと思うけれども、当時は動揺した。

給与も、全体的に、当時の大卒初任給より1割くらいは高いような気がしたが、正直がっかりした。

そして、卒業を控えたと思われる6年生らの会話を盗み聞き、動物病院勤務医を選んだということは、いつかは独立を考えなければいけないもの(少なくとも当時は)ということを知った。

考えてみれば当たり前だ。動物病院ほとんどは個人事業主で、終身雇用はあり得ない。

この、中小企業サラリーマンより少しいい程度の給与水準で、開業資金が数千万、無理ではないがかなり苦労するのは18歳でも解った。

自分のような奨学金の返済もないボンボンなら十分可能ではあるけれど、やりたいかと言われたらやりたくはない。

公務員という選択肢があるもの

皆が喜びにあふれてるなか、将来への不安悶々として新入生オリエンテーションに参加。

卒業後の進路の紹介として公務員の話を聞く。

実際、知らないわけではなかった。

獣医といっても皆が動物治療生計をたててるわけではなく、公務員として公衆衛生家畜衛生分野で生きる獣医が多いらしい。

そうはいっても、誰がなるんだ?と思っていた。

この記事を読む人にもご存じない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、公務員として獣医が働く先は大きく二つ。

公衆衛生分野

自治体によって部署名称は違うのだけど、農業関係の部と、ヒトの衛生に関わる部のどちらかに配属される。

農業関係の部だと、家畜保健所に配属されて、自治体のなかの家畜保健所を数年ごと点々とする。

公衆衛生分野、つまりヒトの衛生に関わる部で獣医活躍する場所というと、食肉検査所と保健所の二種類。

食肉検査所というのは、屠畜場で流れてくる肉にオーケーを出す仕事

保健所というのは、スーパーバックヤード指導とか、食中毒が出たらその調査とかなんだけど、なぜそこに獣医なのかというと、もともとは、野良犬捕獲仕事が多かった時代に、狂犬病予防員野良犬捕獲の陣頭指揮という肩書獣医の枠が用意されていたことに由来してて。

今だったらコロナでそれどころじゃないんだけども。

さてさて、仕事内容はとにかくとして、オリエンテーションを終えてからさっそくリサーチ

給料はやっぱり高くない。6年出てるのに、修士よりも低い。このへんも自治体によるけども。

またまた落ち込む。

就職氷河期で仕事があるだけで勝ち組みたいなムード時代ではあったけども、なまじ高校時代偏差値に己惚れていたため、

仕事があるだけラッキーじゃねーよ!年収1千万は目指してーわ!

と泣きたくなる。

単純に、親の年収は超えたかったってのもありますけども。親よりは学校勉強が出来た自負があったので。

さてさて、獣医学部卒業しても、思った以上に楽な人生は送れなそうということに気づいて、いよいよ一年次の学生生活が始まった。

続く(まだ本題には入れてない)

2021-11-06

適応障害と診断されてからの記録⑤

適応障害と診断されてからの記録①

適応障害と診断されてからの記録②

適応障害と診断されてからの記録③

適応障害と診断されてからの記録④

〜4ヶ月

退職手続き入社手続きで忙しくなってきた。とはいえ働いていないので、郵送されてきた書類をコツコツと片付けるだけで良かった。休職当初は仕事関係文書なんて全く読めなかったので、よくここまで回復したものだ。

この時点でも眠れない日は時々あったが、日中はだいぶ元気になって、少しは新しい仕事に備えて勉強しようという意欲が湧いてきていた。歩きながら「しにたい」と呟くことも無くなっていた。

退職手続き最後にどうしても1回だけ出社する必要があり、緊張しながら会社に向かった。会社パニック発作でも起こすのではないかと思ったが大丈夫だった。出社

していた人何人かに挨拶をして、オフィスを後にした。感慨深さは特になく、とにかくさっさと去りたかった。10年超勤めてもこんなものかという寂しさはあった。

退職手続き入社手続きも一通り終わり、最後の休暇期間はのんびりと過ごした。だんだん眠れるようにもなってきて、電車で遠出もできた。相変わらず働きたくなかったが、日曜日の夜に「明日会社行きたくない〜」とごねる程度の気持ちになっていた。

〜5ヶ月

ついに新しい職場での業務スタートした。完全に在宅で、最初の一週間はオンラインオリエンテーションのため休憩が長く、定時で上がれるのが良かった。それでもめちゃくちゃ疲れるので、休憩の時はベッドに横になり、夜もぐったりしていた。無理するなと医者に言われていたので、業務時間外に勉強するようなことはしなかった。週5働いてるとか多すぎる、みんなえらすぎる。


週末は疲れを取り戻すように寝ていたが、気持ちの落ち込みはほぼなかった。入社して三週間くらい経ってようやく、体力が戻ってきたような感じがあった。その頃、医者にも通院も服薬もも不要だと診断された。ほんの数ヶ月前は号泣しながら話をしていたのに、あっさりと治療完了したので拍子抜けした。

通院をやめた後もたまに不安になる時があったので2回ほど頓服薬を飲んだが、それ以降は全く大丈夫になった。


〜6ヶ月

気持ちも体力ももうほぼ元通りで、人と会っても冗談が言えて笑えるようになった。食欲も睡眠も元どおりで、朝までぐっすり眠れている。病気だった頃の様子を知っている友人に会った時「顔色が良くなった。あの頃は目が死んでた」と言われるほどだった。

心の病気が完全に治るには病気だった期間の倍かかるという。自分場合いつからいつまでが病気だったのか定義けが難しいが、症状が酷かったのが2ヶ月くらいだったので、概ね合っているのだろう。

もう自分は元通りにはなれないかもしれないと絶望して毎日泣いていたが、ちゃんと元気になって、働けているので絶望する必要はないと思う。とにかく無理をして自分を追い詰めてしまうのが良くない。これから先も20年30年働くのだから、そのうちの数ヶ月休んだってしたことはない(と思えるようになった)。

今でも一番辛かった時のこと、当時の上司に言われた言葉などを思い出して不安になったり悲しくなったりする時があるので、自分の闘病生活区切りをつけるためにまとめておきたかった。次の記事で闘病中に読んだ本や参考にしたウェブサイトなどをまとめて終わりにしようと思う。読んでいる人もほとんどいないと思うが、今悩んでいる誰かの役に立つと嬉しい。

つづく →適応障害と診断されてからの記録 まとめ

2021-10-06

anond:20211006080013

まず全体的な所感ですが、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)と"ふるまう性"(ジェンダー・エクスプレッション)の議論混同されているように思います。フィクトセクシュアルという言葉自体が新興的なもので、まだなかなか定義の定まらないものですが、おそらくは性的指向に近い概念を指す言葉ではあるのでしょう。そこには実際のところ多様なあり方が共存しているものだとは思います。ただ、ここで私が述べたかったのは、フィクトセクシュアル(として概ね括れる文化圏)の人々が持つ、"ふるまう性"に関する独特の文化のことです。

アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」

こんな風に言っているブックマーカーがかなり多く、いた。それはフィクトセクシャル的な分離の考え方ではありえない判断ですよね?

これは全く誤解していると言わざるを得ません。むしろ、「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」という言説こそがまさに、フィクトセクシュアル的な"ふるまう性"のあり方に即したものであると私は思います。フィクトセクシュアルの性のあり方は、単なる「分離」とは異なると思います。私はしばしば「漂白」という言葉を使います。私が以前に書いたエントリが参考になるかもしれません。→anond:20210925104708)

チューバ採用する問題と、職場水着ポスター問題は、前者が「私たち論理」で後者が対人性愛者の論理で捉えられるべき範疇にある。現実水着ポスター問題解決した対人性愛者の論理空想キャラクターに当たり前のように適用するのはフェアじゃない。そうして生じた問題そもそも、野蛮さも危険さもないVチューバとしての自己表現を歓迎するフィクトセクシャル常識では起こらないのだ。

こちらは誤読されているように思います

私たち論理」も、対人性愛者の論理も、適用可能範囲自体には特に制限はありません。私が言いたいのは、その論理が「誰のためのものか」ということです。「AかつBが原因」であるとき、「Aを排除すれば、Bだけでは問題は起こらないのだから、Aこそが真の原因である」と強弁するのは、Bにとっては非常に都合の良い論理でしょう。しかし、Aの立場からすれば「Bを排除すれば、Aだけでは問題は起こらないのだから、Bこそが真の原因である」と強弁することも可能なはずです。そこをフェアに議論して欲しいと言っているのです。

ならば、「助かる」はどうなる。

そこはまず、私が既に述べている

(完全に無垢無謬とまでは言いませんが。)

対人性愛者の論理と、「私たち論理」の使い分けは、時に未熟なこともあるかもしれません。

とした議論の射程範囲でもありますが、全く擁護できないわけでもありません。くしゃみやせきに関しては基本的に「忌避すべきもの」という慣わしがあり、「うっかりミュートできなかった」場合には配信者側が謝るということもしばしばありました。(今もあると思います。)それに対して、「気にしないで」という意味で「助かる」という言葉をかける人も大勢いると思います。そこは一概に括れないところだと思います

問題を起こすのは対人性愛なのだから、対人性愛者用の論理適用されるのが正しいだろう。

そのような話ではありません。「問題を起こすのは対人性愛なのだから、非対人性愛者に迷惑をかけない範囲で、対人性愛者同士で解決する」のが筋ではありませんか?有無を言わさず巻き込まれることになる、本来無関係である非対人性愛者の声を「些末なもの」として排除することを、「必要悪」として肯定することをやめてほしいのです。

2021-08-24

つくば市小学校9月からオンライン授業になるってよ。

さっき緊急連絡メールで以下の情報がきた。

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1 9月以降の対応について

原則、登校はせず、基本的にはオンライン活用した授業・学習しますがプリント等の課題も併せて進めます

保護者仕事等の都合上やむを得ない場合は、登校可とします(自宅での学習と同様)

・家庭にインターネット環境がない場合も登校可としま

・登校する場合は、弁当持参で午後3時頃までの学習します(その後は下校あるいは児童クラブ等)

・近日中に改めて、家庭のインターネット環境の状況などオンライン授業に向けた準備に係るアンケート調査実施します(学校において既に把握している場合は除く)

感染が拡大している中、給食提供することにより、給食の配膳、片づけ時は複数人が触れる食器や配膳器具から感染リスクが高くなることがどうしても避けられないため、申し訳ありませんが給食提供は行いません。登校する児童生徒は弁当持参を原則しますが、夏休み中の児童クラブ同様、業者への弁当注文も検討しています

2 登校について

〇9月1日(水)

・登校日とします(2時間程度で下校)

・配布物、今後の学習の進め方のオリエンテーション等を行います

学習者用端末の受け渡しも行います

感染心配で登校しない場合でも欠席扱いにはなりません

・登校が難しい児童生徒については、電話等で確認の上、個別対応しま

〇9月2日(木)から9月10日(金)までの期間

原則、登校しません

〇9月13日(月)以降について

・今後の感染状況を踏まえて改めて連絡しま

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正直、とてもホッとしている。

まだ親二人とも1回目のワクチンも打てていなかったので、このまま普通に学校が始まるとなると、学校クラスタ子供感染→親感染→詰み だなと戦々恐々としていたからだ。

学習者用端末の普及を前から進めていたからできることなのかもしれないが、同じような端末がある自治体はそうした方がいいと思う。

リモートワークできない親の子供は登校できるという救済策があるのもいい。

うちは片方リモートワークなので、どうにか対応できそうだ。

昼ごはんを一緒につくるとか、運動不足解消にリングフィットやるとか、いろいろ考えないとあかんなとは思う。

とにかく、つくば市、良く決めてくれた。ありがとう

2021-07-17

anond:20210717063509

たとえば、でっかいビル建てたいとか宇宙船エンジン作りたいとか、

お金糸目をつけない超高級な邸宅を作りたいとか、そういうのは一人じゃできないので、

とりあえず大手に潜り込んで置くといいよ。仕事をやめて独立するのはいつでもできる。

最初の1年はつまらない。特に人事総務が仕切るオリエンテーションはかなりつまらない。

そこは耐えてほしい。今はどこのでっかい会社中の人少なくなりすぎて若いうちから

大きな仕事が回ってくる。それで時々泊まり込み徹夜になっても

大手社員の方がデスマーチからも守られやす

若い時にパソコン買って中いじり倒すのも良いけど、

スパコン使い倒すのは会社でないとできない。

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服仕事に捧げた。

年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。

広島田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。

4月はあっという間に過ぎた。入学式オリエンテーションサークル勧誘学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動

楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。

アルバイトである大学生アルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画アニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。

早速、求人情報掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。

その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。

何分間か話した後、「土曜日シフトはいます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。

その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中ガラケー通話ボタンを押す直前に着信が切れた。

もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。

増田処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。

それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなた電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。

私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。

ある日、京都御所の近くにあるコンビニ求人雑誌を持ち帰った。

パラパラと中を覗いてみる。飲食店小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。

大学生場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識言動知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業官公庁NPO法人就職した連中は、リクルート株式会社はてな高島屋アルバイトをしていた。

当時の私は、リクルートはてな高島屋も知らなかった。私の出身広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京府中市出身だったら、リクルートはてな高島屋も知っていたのかもしれない。

さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックキャバクラバーのページが出ていた。

あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。

「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。

あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。

でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。

5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。

マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。

当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。

おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。

扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメン黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。

ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。

さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。

体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。

店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトル緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファ腰かけた。

「飲んでよ」

ありがとうございます

店長とどんな話をしたかはあまり覚えていない。

思い出せる限りだと、こんな感じだった。

広島出身? 俺の叔父さんが広島なんだ」

「いい高校行ってたんだね」

「18才か。若いね~」

柔道強いんだ。2段だって

「いつから来れる? できれば明後日がいいな」

こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。

ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。

①単純な労働力として

多くのお店では、ホールキッチン仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。

②肉壁として

態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。

※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。

お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費請求しないことが多い。

レアドロップ枠として

一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ京都俗情掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。

私が採用された店というのは、実は特殊タイプだった。

当時の木屋町祇園にあったスナックラウンジキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社経営していた。

私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業経営母体だった。モデル女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。

※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーション母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社存在自体を知るはずもなく。

そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。

以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。



大学回生

 キッチンホール仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。

 最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。

 キッチン仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生最初に覚えた仕事は、社会に出てから仕事の縮図だった。

・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く

・途中で別の仕事に移らない

・雑多な仕事はまとめておいて後でやる

 こういった原則ひとつずつ身に着けていった。

 より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチお盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。

 当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。

 最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初トレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。

 でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。

 このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロタイプ人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記もっと細かくつけておけばよかった。

 今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。

 めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます



大学回生

 この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。

 本来大学生アルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくま代打的に割り振られる。原則社員キッチンアルバイトホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホール担当になったかというと……。

 私の社歴が、スタッフ内で真ん中あたりになってきたからだ。

 信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。

 ホールを回る仕事について、思い出せる範囲優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草女の子だとストッキング生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。

 重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。

 思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。

 その主任にこっぴどく怒られたことがある。

 真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。

 さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコース説明した。金額うろ覚えだ。たぶん違う。

 3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。

 その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。

 主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。

 数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補トークを始めた。

「こんばんは。これから何件目ですか」

「2件目」

「どこ行ってきたんです」

居酒屋

「どちらにいらしたんです」

和民

「次は女の子のいるお店にしましょう」

「この店は高いからいい」

「安くしときます

 こんなやり取りだった。話すうち、だんだん相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。

はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口警官だった。

 その場で2名の警察官サンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。

(続きます

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220543

追記

ところどころやたらと鮮明なのは、当時の日記を見返しながら書いているからだ。

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