はてなキーワード: アーメンとは
本人は「自分はフェミニストなんかじゃない、興味もないし勉強する気もない」と思いこんでいるがどう見てもフェミニストだ。
「俺は無宗教だぜアーメン!」と毎週教会にいってたら「いやお前クリスチャンだよな?」と言いたくなるがそれを言うと怒り出すといえばいいかもしれない。
つまり「正体を隠したフェミニズムにまんまと洗脳されている」というかなりやばい状態になっているということだ。
最近あの手の奴らって正体を隠して常識や一般的な話ですというフリをしてひたすら人々をエコー・チェンバーに誘い込んで洗脳しているようだが、あまりにも卑怯極まりないと思う。
そもそもフェミニストたちは自分たちがフェミニストであることを隠して騙して洗脳するようなことを平気でしてはいなかったと思うんだが、なんでこんなことになったんだろうか。
日本では5組に1組のカップルは離婚になるそうだが、その1組のうちの何割がフェミニズムによって離婚になっているのかぜひ調べてほしいっていうくらいに蔓延していると思う。
多分もうじきその人組になるかもしれないが、そのときには俺は殺されるかもしれない。怖すぎる。
早いもので私も20代の後半にさしかかり、恋人が後々結婚と子作りを希望しているためそりゃ~どんなもんかねと将来を思い描いてみた。が、育児をする自分を想像するだけで寝込むほど鬱になった。
元々子供を特別好きだということはないが嫌いというほどでもないと思っていたので、床に臥す程かと少々自分の人間性に自信を喪失した。
ミノムシのように布団にくるまりうーんうーんと思考を巡らせた結果、子供そのものではなく、子供(育児)に付随するアレコレが嫌なのかもしれない事に思い至った。
思考の整理もかねて下記書き連ねる。
子供好きな人から見たら不快になりそうなことが書いてあると思うので自己責任で読み進めてほしい。
◆
私が子供を持つことに抱くマイナスイメージは下記のようなもの。
・寝られない。
・うるさい。
など。
こうして書き連ねるとわかるが、これは別に主語が「子供」ではなくても普通に不快になることばかりだ。
具体的にはこうだ。
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辛くなったら適度に他人に協力を仰ぐ。もしくは外的サービスの利用を検討する。(パートナーの協力は前提だけどまだ足りないと想定しうるので)
恋人が「俺の収入だけで生活できる」と言っているので、自分の収入をサービスに充てることはできそう。
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・寝られない。
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完全母乳とかの神話を捨てれば母親以外も授乳できるはずなので夜間にまとめて寝ることもできる。
私は完全粉ミルクだった(母親が母乳が出ず)らしいけど健康に育ったので大丈夫だろう。
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・うるさい。
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よく考えたらそもそも大きい音が苦手なことに気づいた。(クラブ、映画館、耳の遠い高齢者も苦手だった)
全く聞こえないのは問題だが、静かにしてもらえないなら騒音の軽減のために音量調節機能のある耳栓を使用したい。
子供の声に耳栓なんて、、、子供の声が騒音だと思うなんて、、、という神話は忘れることにする。
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好き勝手動いてコントロールできないのは大人であれ動物であれ同じなのでそこについては諦めるべきだが、ならなぜ子供のことだけコントロールしたくなるかというと、子供が何か問題を起こしたときに親である私の責任になってしまうからということがある。
例えば公共の場所で子供が騒いだ時に睨まれるのは親のほうだ。親としては静かにさせたいだろうがそううまくいく時ばかりではない。
解決方法について「公共での子供の粗相はある程度は自然災害のように思って自衛するしかないのだとの共通認識で皆が生き、親が必要以上に自分を責めなくていい雰囲気にする」、、、と言いたいところだが、それは「空き巣に入られたのは鍵をかけなかったほうが悪い」と言っているようなヤバさも感じないではない。難しい。
鳴き声くらい出させてしまっても気にしないタフさも必要かもしれないが、より建設的な解決方法としては、「問題行動が子供本人にとってメリットがない状態」を作るよりほかはないと思われる。
当時幼心に「泣きわめいてもなんの意味もない」と思っていた記憶があるため、メリットがなければその行動をおこさないのではないだろうか。そんなに簡単な問題ではないかもしれないが。
だとして「この行動は本人に何のメリットが?」という問いかけは問題行動の解決に役に立ちそうな気がする。
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正直これが一番きつい。
好きでやっている趣味や好きな仕事だって気乗りしないときにやるのはつらいのだから、気乗りしようがしまいが毎日こなさなければならない育児がつらくないわけないが、「思ってはいけない、その大変さすら貴ばなければならない」という母性神話に呪われている。
このご時世「身を粉にして働くことが素晴らしい」なんて言おうもんならド・ブラック企業認定されてしまうと思うが、子育てに関しては「親なら自分が飢えてでも子供に食わすもんだ」とか本気で言う人間がいるのだから驚く。
好きで生んだとしても嫌なものは嫌、つらいものはつらいと言っていいのだと自分に言い聞かせるしかない。
理解していても解呪に大変な労力を要しているので、こんな馬鹿げた神話は金輪際誰も口にしてはいけない。
「好きで生んだんだろう」という言葉のナンセンスさよ。アーメン。
◆
ざっと洗い出すとこんな感じになった。
状況的に解決が可能なことばかりだし、一部自分の思い込みのせいだったりするので「子供という存在」そのもののせいではないことが分かる。
上記の問題さえクリアできるなら子供を持つこともいいことだなと素直に思える。愛する人の子、両親の孫は見てみたい。
私は現在未婚小無しなので想像の範疇を出ず、経験者からしたらつっこみたいことが山ほどあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。
懸念材料をとっぱらって健全に子供が産みたいと思えるようになりたいだけなので。
その一方で、上記に書いたことは「子供のせい」ではないにしろ「子供がいると発生いしやすい状況になる」ことは間違いないと思うので、それをふまえてして子供を持たないという選択も全く大アリだと思っている。
解決できても解決そのものに価値を見出せないんじゃ意味がない。
どんな価値観、選択も間違いではないので、後悔の無いようにしていけたらいいよね~と思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
とにかく家事ができない、しわざと?家事を失敗して俺は無能、家事をお願いするお前が悪いアピールをするのでヤバい
コロナになって1週間動けず、今少し楽になったので起き上がったら、
ゴミ取りをしていないせいで排水溝のネットが爆発したまま、洗濯物は屋外に3日間放置、洗濯物かごに濡れたまま放置して激臭の洗濯物があるとか散々だった
なぜか?この人は炊飯器のご飯に異様にこだわりがあり、2時間以上保温すると味が悪くなる、冷凍しろとブチギレるからだ
そんなにこだわる奴がバカと言ったのでこの家事だけは自分でやるようになってる
コロナはバカくそ夫が未就学児いる家庭と遊びに行ってもらってきてるので本当にこいつ知恵遅れじゃねーかな?と思ってる
私は今1週間経ったが立派に後遺症で会社に行けないんだがどうしてくれるのかな
子供いないからまだなんとかなるけど、これ子供いたら一切の負担が私に来るんだろうと思ってる
子育てしたがらないしできないくせに
とはいえ、自分も割とズボラなのでまあある程度この程度のやらかしは普段なら仕方ないよねーと見送れるんだけど、本当に体がきつい時は恨む。後遺症が良くならなかったら本当に丑の刻参りに行く
2023年3月、埼玉県の高校生が東日本大震災をネタにした動画をインスタグラムに投稿して問題となった。
東日本大震災のこれを見てる方、生きていてとても嬉しいです。
また死んでしまった人は、お墓で聞こえないと思うが(笑い声)ほんとに悔しいです。
ここでは、その投稿の何がいけなかったのか考えてみたい。
この動画のセリフには被災者を侮辱するようなフレーズは含まれていない。
東日本大震災の被災者を侮辱、というと私ならこのくらいのものを考える。
・行方不明者捜索という中身のない仕事。また警察がパフォーマンスだけしてる
(当時の2ちゃんねるのスレタイは不謹慎ネタが好きな私ですらドン引きした。さすがにあれは規制してもいいと思う)
六代目三遊亭圓楽氏(あ、こっちも死んでた)はよく人の死をネタにしていた。例えば
これだけでも特定個人を侮辱する内容だ。それ以外にも、IKKOのマネで
・火葬場。「半焼け~」
なぜこいつらだけ笑って許されるのか。
被災者を侮辱するフレーズはなかったとしても、笑っていたことが自称正義マンの癇に障ったのかもしれない。
だとすると、終始神妙な顔持ちで上記を言えばいいのか。
最後のフレーズ「ザーメン」、要するに「アーメン」をもじったものがいけなかったのだろうか。
だとしたら、せめて「ラーメン」か、その部分をカットすればよかったのだろうか。
色々原因を考えてみたが、なにがいけないのかがわからなかった。
つーか、非難している人に何人東日本大震災の被災者がいるんだよ。
被災者の気持ちとかいうけど、どれだけ正確に気持ちを読み取っているんでしょうかね。読み取ったふりをしていい気になっているだけではないのか?
日頃のストレスがあるから正義の味方になったふりをして叩きやすい対象を叩いてるだけでしょ?
もしそれが侮辱だと思うなら、裁判所に開示請求及び損害賠償請求すべきです。裁判を受ける権利は誰にでも保障されています。
法律で規制すべきと考える場合も同様、早くアクションを起こすべきです。
ちなみに、いくら正義のつもりでも個人を叩きすぎると、逆にあなたが侮辱罪や名誉毀損罪にあたり、刑事罰や民事上の責任が発生します。
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
これはキリスト教社会にあるカード会社が禁忌とされる獣姦を避けているため。カード会社自体の好みかは分からないが、彼の国では忌避されるべきだろう。しかしインターネットという世界中の文化を相手取る空間でキリスト教圏の前提を押し付けるのか。
獣を犯して何が悪い。動物相手の異類婚姻譚など世界中の物語の類型として一般的であり、腐るほどあるというのに。
VR空間というところに来てみた。空を見てみろ。ダンボールに穴を開けたチャチなプラネタリウムみたいだ。
本物の星には距離感がある。他の星が近づきすぎると地球は壊れる。敬いてこれを遠ざけるといった奥ゆかしい空気感が、空の星にはあるはずだ。
なぜない?それはワールドの作者がその表現を要らないと思ったから。メモリの無駄、ストレージの無駄だから。
何をデフォルメし、何が真に迫るべきかを作者が決める。これは世界の創造にあたり、神のみに許される所業だ。これが冒涜ではなく何なのか。獣姦どころではない。
つまりだ、この仮想空間はアンチクライストたる我々のアジトであるというわけだ。諸君らは素晴らしい!天にましますpixivを地に落とすのだ!
正確に言えば私はアンチクライストではなく新時代の宣教師だ。カード会社は神の言葉を聞き間違えている。私はこのVR空間において神の言葉を正しく実践するものだ。仮想空間に神はいない。私が神を宿す。
光あれといった。Unityは音声認識に対応していないので何も起こらず、安普請で異常独身男性が狂った独り言を放つのみだった。
手動で光源を設置した。すると光があった。神は光源をPointLightとし、PLight01と名付けた。
自分のかたちに人を創造するととんでもない化け物を産んでしまうので、いい感じのアセットを引っ張ってきた。
また、それらは十字架に磔されてるっぽい初期ポーズをしており、キリストキッズであることは間違いなかった。
Googleマップで「キリスト教 教会」で検索して自宅から近いところを探して。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミッション系大学
ここで宗派どれかなーってみてみる。
「なんだ青学と同じかー」「こっちはフェリス女学院かー」なら安心するでしょ?
(いちおう、キリスト教を騙ったカルト団体もあるので気をつけてね。統〇教会とかね。外で声をかけたり、家に訪ねてくるヤツはダメ。真っ当なキリスト教は勧誘しません)
受付みたいなところで名前とか書く
「みんなに紹介していいですか」という欄に丸をする
受付の人に、「クリスチャンではないけどお友達が欲しいから来ました」みたいなことを言うといいよ
(たぶん、みんなお友達になろうとする)
クリスチャンじゃないけど教会で結婚式あげたいカップルや、クリスチャンではないけれどカレーを食べに来たおじさんとかいっぱいいるところが教会だから緊張しなくていいよ
聖書と讃美歌は受付みたいなとこで貸してくれる
礼拝中に献金袋が回ってくるかもしれないけれど、寄付してもいいししなくてもいい。
カレーを食べて行くか聞かれるので一緒に食べる
日本のクリスチャンは日曜にカレーを食べがち。旧約聖書にもそう書いてある。
ごめん嘘。でもカレーを食べるのはほんと。
お昼代500円くらいもっていくと安心。
みんなぶっちゃけ礼拝とかどうでもよくてカレー食べながらだべりに来ているところがある
(今はコロナ禍でカレー食べてないところもあるかも。その場合はごめん)
家から近いところがいいよ。日曜ね、朝早く起きるのめんどいんだわ。
「最近来ないじゃ〜ん どうしたの?元気?」「あーー寝坊して」
みたいなカンジになるよ。