「戦争反対」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 戦争反対とは

2020-09-01

ロリコンショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さ

https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7

 

ロリコンショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。

上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。

小児性愛は「性的嗜好である性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターン性的アイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。

かに小児性愛」はアメリカ精神医学会WHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。

しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。

現在小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画悪書として校庭で焼いたであろう。

同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?

である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである

 

上記note筆者は「小児性愛」の対象社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。

なぜ同性愛の達成は罪ではなく、小児性愛の達成は罪なのか。

相手子どもからだ。

当たり前だ。

ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的接触を行うことは、明確に児童人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。

人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本刑法規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。

騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別である

 

そして極めつけはこれである

小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこら大人より児童人権配慮する」姿勢必要ではないか

 

黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる

https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7

 

差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である同性愛者だから黒人から、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。

こういうことを言うと、同性愛者や黒人小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。

しか未成年との性交ただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。

そしてかつては元服11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会科学の発展によって子ども社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛病気とされていたように、社会常識観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか

 

小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。

2020-08-24

anond:20200824101258

戦争反対とか言ったら基地内で格闘訓練名目リンチで殺されるから

出てくるときは白骨

2020-08-23

anond:20200823193723

そうはならんやろ

感想文は感想と言いながら正解が存在するから

 

戦争反対感想文はウケるけど

戦闘機カッケー軍服カッケーの作文はウケないでしょ

あらゆる社会問題においてそう

 

もちろん、世の中のお約束は知っておいた方が生きやすくはなると思うし、

わかった上で反発するのが小学生から中学生だと思うけど(お約束クソ喰らえ)

世の中にはわかった上で「無視をする」「反発する」じゃなくて素で理解していない人もいるので

そういう人向けになら読書感想文できる場があってもいいね

まぁ本来は親の役目だと思うけど親が期待できないからそうなるのだろうし

いや原爆もひどいけど

なんでそんなに最近戦争?の悲惨さばかり語られてるの?

いやね、私も広島原爆に怒りを覚えるように義務教育内で刷り込まれてきた人だから戦争反対だよ。だけどさ、第二次世界大戦以前の戦争だって十分ひどいと思うんだよ。やっぱ人殺しはよくないよ。だけど、それをたんたんと扱ってる歴史の授業とか受けてると、第二次世界大戦とかも百年後には日本がただ負けただけの話になってしまう気がして怖い。

2020-08-16

残酷戦争体験をうちの子供に聞かせたくない

この頃になると、テレビネットでも戦争体験を語る記事がいっぱい出てくる。

でも、中には内容が残酷すぎて、聞かせるには子供がかわいそうに思うものもある。

子供を守るために、ノンフィクション同様に、戦争体験も内容に応じてR12みたいな指定をしてほしい。

せめて「子供には相応しくない表現があります」くらいの注意書きは必要かと。

戦争反対自体には、うちの子供のためにも全く異論がないが、でもその子供にはそういうトラウマを植え付けたくない。

2020-08-15

日本がこれから戦争をしなくて済む3つの条件

この3つの条件をクリアすれば、戦争をしなくて済むし巻き込まれなくなるはずだ。

1.在日米軍撤退させる。

アメリカ本土戦争を持ってこないために海外戦争を仕掛ける暴力国家アメリカ日本にのさばる限り、日本は大なり小なり戦争の肩を持ち続けることになる。これをキッパリと辞める。

日本焼け野原にし核実験を行った罪を償うことすらしないアメリカ人。世界最低の人種であることは明白なので早く手を切るべきだ。

2.中露に太平洋へのアクセス保証する。

大陸国家であるこの2カ国に、太平洋へのアクセス確約する。中国ロシアシーレーンの関心は強い。太平洋への自由アクセス保証することが、平和につながる。日帝幻想払拭するためにまずは、沖縄北海道を租借させ、最終的には日本支配下から分離して、情勢に委ねるのはいかがだろうか。江戸時代沖縄北海道日本だったのか?なくなったところで、どうということはない。日本本来のあるべき姿に戻るだけだ。

3.食料と燃料を含めあらゆるもの自給自足を目指す。

海外から輸入する豊富な食料、化石燃料依存した、浪費を重ねる生活を改める必要がある。

日本国土にあった生活を目指すべきだ。より質素生活を営み、公共サービス医療についても人間本来生命力だけを生きることにすれば十分やっていけるはずだ。国家間の通商を最低限にすれば、世界の歪みに付き合う必要もない。

  

さあ、戦争をやりたくないと声を高らかに叫ぶみんな。我々の生活は、米国核の傘に隠れ、西側諸国の金に物を合わせて、弱者を食い物にする政治に加担し、世界中の貧困や戦乱を利用して成り立っていることを忘れてないか

戦争反対と叫び、そのことを本当に理解しているのであれば、拝金主義をやめ、豊かさを捨て生きていく覚悟があるのだろう。

国際社会の流れを捨て、農業や漁労に勤しみ、代償はきちんと払った上で自然感謝しつつ慎ましやかに生きていこうではないか

2020-08-11

戦争反対とは、あの太平洋戦争経験した人たちは実は誰も言っていない

彼らは別に戦争するなとはいってない

「勝てない無能のくせにイキって戦争なんかたいそれたことするな」ということを左寄りの識者からかつて自民党の超タカ派だった中曽根さんも同意見で言ってる

究極的に言えば、勝てるのなら戦争すりゃいい

だが、日本の今の公務員官僚レベルの低さでは、戦争したってまた惨敗したり狂って警察国家にして自滅するだけだからみんな反対しとるんじゃ

素晴らしいけど残酷

香港民主主義活動家が捕まったの、「旗の色」が違う例えになってしまうが、日本で言えば「戦争反対基地反対!」だとか「やめちまえ!」デモを会場警備で済ますところを主催者ガッツリ捕まえてく、言論思想の統制を警察組織が実行に移してしまったというヤバさ全開の事例だと考えている…

(日本でも似たようなことやられたじゃないか!という反論はあれど、その辺は届くまでにバイアスかかってたりメディア操作も考えられるし、思想思念を踏みにじるほどではない軽微な例ぐらいしか最近は聞かないので…)

「統制がされない」というのはある意味当たり前ではあれどいい具合に守られてるのは素晴らしいと思う。ただ、市民は「ヤバそう」と感じたら徹底的に忌避するのも日本なので、寛容さと残酷さが共存している

2020-08-07

anond:20200807071031

仮に あべが 口では戦争反対と言いつつ じつは 戦争をおこそうとしていたとする。

その場合 戦争反対のばあいは 口では戦争反対という アベにはとうひょうせず

くちでは戦争しようという人に投票するだろう

口でなんと言っているか重要だが 実際なにをするのかはおっと重要から

そうするとはんあべ派は、アベに投票するという逆転現象が起きる

2020-08-06

戦争」が悪いんじゃなくて「人が傷つく」とか「資源無駄遣いされる」とか「自由が無くなる」とかがダメなんだよね

そういった要素を全て内包しているか戦争が駄目なわけで。

そして、戦争教育本質って「戦争反対!」というプロパガンダ刷り込みではなく、そういった「人の尊厳や豊かさが踏みにじられる」ことを回避する必要性理解にある。

でも今日本で行われている教育にとっては、そういった「奴隷自分たち奴隷であることに目覚めてしま行為」を嫌っているから、ただひたすらプロパガンダを繰り返させたがる。

そのプロパガンダの繰り返しに対して、もうちょっと踏み込んで他の物事にも応用できんじゃないかって意見が出てくると、教育邪魔だと袋叩きにあう。

その光景は、戦中における非国民扱いと全くそっくりで、ついさっきその非国民扱いは酷いよねと教えていた教師が今まさにその相手非国民として罵りだす。

マジでそういうの見てると、ああ日本教育って支配者の都合のためにあるんだなあと改めて思うわけよ。

本当に酷いもんだ。

こんな国が先進国であるけがねえよ。

精神性が封建時代から変わってねえんだもん。

2020-07-25

anond:20200510011246

今更だけどすごくわかる。

まずディズニーとかウォルマートロゴとか他人作品を使ってネガティブ作品を作るの大嫌い。

好きだから描くファンアートとは違う訳だし、政治的意図自分で作ったオリジナル作品で伝えたら?って思う。

多分バンクシー自身はそういうことされても平気なんだろうけど、見ててちょっとディズニーとかウォルマートに同情してしまう。

確かどっちも訴えたりしてないし、宣伝にもなるから放っておいてるのかな。

 

あと「今更そんなみんな知ってることでムキムキされても」って感じもしてる。

戦争反対とか資本主義限界とか動物愛護とか、そんなこた知ってるんだよ。

知ってて改善もすべきだと思うけどなかなか方法が見つからなかったり難しかったり、それでも皆生きるなかで少しづ努力して変えていってるのに、なんでそんな怒るの。

じゃあ具体的にどうすればそれが実現するか?って希望がない。

ただ怒ってるだけ。

うるせー知ってるよ出来ることはやってるよ。じゃあ何か現実的アイデアあんのかよ。出来ることしかできないよ。そんなに怒らないでよ。お前も同じだろ。

 

一番嫌なのが犯罪者なのに逮捕されてないって所。

遊園地とかホテルとか作ってるし、警察絶対逮捕できるだけの情報持ってるだろ。

でも価値のある芸術作品を生み出す芸術家からお目こぼしされてるんだろうなって思う。

上級国民批判みたいな事してるけど、お前こそ犯罪犯しても逮捕されない、権力保護されてる上級国民じゃねーか。

それ一般市民なら普通に逮捕されるからなって、権力批判なんてお遊びだなってすごく思う。

 

今更だけど、本当にバンクシー嫌い。

道路落書きもっとバンクシー呼ばわりされろ。

2020-06-29

いずも空母化って平成中期くらいまでの反戦非戦で大衆マスメディアでギャーギャー言ってたノイジー勢が黙ってない暴挙だと思うんだけどどうなんだろうな

俺は空母ぐらい持ってても良いかなと思うけど金食い虫だしドローンとかの時代から意味あんのかなって程度の認識だけど。

先っちょだけ入れたと思ったらがっつり妊娠させるみたいなやつじゃん?戦争反対勢力は怒っていいのでは?そういうの下火なのかな?爺婆みんな死んじゃった?

そもそもチャイナ様のご意向でキレるかキレないかしかいから静かなのかな

ということはチャイナ様もいずも空母化にご興味ない?

今はネタが多くてそれどころじゃないから思い出した頃に騒ぐのかなぁ

2020-06-26

anond:20170809013919

マスコミは1937~1941年もっとスポットあてるべき。

ほんとそれ

原爆がどうとか硫黄島がどうとかじゃねえの

戦争反対とかクッソどうでもいいの

制 御 不 能 な 戦 線 拡 大 に 対 す る 反 省 は ど こ 行 っ た ?

2020-06-17

戦争はいつ始まるの?

戦争が始まった時点の基準あいまい気持ち悪い。

国境係争地域中国インド兵士を殺した。

これでも戦争としては扱われない?

死んだ兵士戦死ではない?

現実としてはあえて言葉意味あいまいにしておいて、後になってこの時点で戦争が始まっていました、と歴史書に書かれるだけ?

それだと戦争反対しようがなくない?いまこの時点で戦争が始まっていない保証なんてないんだから

2020-06-15

SNS不適合な自分

安倍が悪い、野党が悪い、小池都知事が悪い、共産党が悪い、トランプが悪い、・・・・・

一体誰を「排除」すればこの世界社会は良くなるのだろう?

木村花さんも、この「排除」の考え方で死んだのである

言い方を変えると「差別である

僕は徹底的に、この排除あるいは差別をされる。

社会じゃない、匿名世界ネット上で、だ。

何故かと言うと、僕はおそらく、「共感」しない人間からだろう。

感情がないわけじゃない。むしろ喜怒哀楽に弱い人間で、感動ポルノ号泣してしまうくらい幼稚な感受性の持ち主だ。

但し、誰かがこうこう言ったから、という理由では共感しない。

要するに、あの人気のある人がこう言っているから、とか、これこれで有名な人がそう言っているからという理由などお構いなしなのである

からネトウヨであろうがはてサであろうが、ツイフェミであろうが、イケハヤであろうが、はぁちゅうであろうが、そんな名刺には一切拘らない。

そうは言っても流されそうにはなる。名刺判断したほうが楽だから

でも、大抵はそうした大勢から叩かれるような人の意見でも、「ほんとに間違ってるのかな?」と何処かで疑問を持つ。

そんな人間から、その逆もする。

Twitter党派性の塊があちこち存在し、フォローフォロワー、或いはRTいいね曖昧に支持しあっている。

から、「あんな人をフォローしたりRTしたりしてるんだ」と思われると、極端な場合ブロックするという行為が頻繁に行われている。

絡んだことすらない、言及したこともないような、まったく知らない人からブロックされることは日常茶飯事だ。

僕はそんなの気にしない。僕は意見を支持したり反対することはあっても、人それ自身を支持したり反対することはない。まぁ余りに自分にとって迷惑そうならブロックはする。

すると、フォロワー或いはフォローは変なことになる。

はっきり言って無茶苦茶特にフォロワーは、完全に対立する人からフォローされていたりすることもしばしばある。

そして、不用意にその対立する人へ対立するツイートを流すと、しばしばブロックされるのである

これが地味に困る。その人から情報遮断されてしまうからだ。

他にも、僕はそうした「名刺」に拘らないから、例えばアンチフェミ賛同するようなことをあっちで言い、そっちでは和やかにツイフェミと話したり、酷いことを言うオタク批判したり、矛盾したことを言うツイフェミに疑問を投げかけたり、そういう人から見ると全く矛盾したことをするので、どんどん孤立してゆく。

僕の意見自体もそうした党派性を帯びない。フェミ表現規制共感を示すようなことを言いながら、表現の自由に対する侵害だ、だんなて平気で言う。

最近では、割と親しかったツイフェミの人に、女性専用車両に無理に乗り込む男性団体は酷いなー、と言いながら、女性専用車両はやめるべき、だなんて言うもんだからブロックはされないものの口も聞いてくれなくなった。

 

まぁそんなこんなでどんどん孤立していくわけである

自分自身党派性を示さないということは、党派性人達から見ると排除するしかない人になっていくのである

当たり前の話だ。人で判断しないというのは、自分も人として判断してはもらえないということになる。

SNSは人と人とのつながりで成り立つ社会である

僕は人と繋がれないのである

SNSには、こうした決定的な矛盾がある。

人と繋がれない人はSNSには不要である。そんな仕組みなのだ

から、極端に言えば敵対関係個別の仲良しな党派があるだけになる。

僕はそのどちらにも属することは出来ない。

 

長いことネットをやってきて、やっとこの自分SNSに向かないということの理由が見えてきた。

僕はある種の反社会性人格なのだ

からも認めてもらえない孤独自分けがいる。

なのにどういうわけか寂しいと思わない。

僕にはそういう共感性がまったくない。

SNS不適合人格

 

多分、あまりにも素直過ぎるのかも知れない。

ある会社にいた時、そこの社長からよく言われた、君は素直すぎると。

「これが正しい」と言われたら、何も考えずに受け入れてきた。

あちらに、戦争反対狼煙が上がれば、それが正しいのだと盲目的にそう思い

こちらで、自分の親父がそんな事を言うサヨクけしからんというと、そんなもんなのかなーと思い

全く相反する矛盾した考え方を、どういうわけだか自分の中に許容してしまったのだろう。

世の中には相反する考え方が無尽蔵にある。

 

そんなのを素直に受けいている間に、自分で気づかないうちに、自分社会に相反する人間になってしまった。

でも繰り返すけど、寂しくはない。

そんな共感性は僕にはないから。

社会には従うけど、人には従わない、それだけだ。

2020-06-02

anond:20200602001302

「開戦してしまたからには勝たねばならないので戦争反対とか講和しろとか言ってる奴は非国民な」というメンタリティ

ポリティカルポルノアディクションって保険適用しても良いと思うよね?

日本語でいうと何だろ?正義依存症?

たぶん馴染みなさそうだから簡単に言うけど、依存症の一つで、他人ミスや考え方の誤りが許せなくて攻撃的になることらしい。

潜在的には人口の三割が考え方の違いを許容できず、トラブルを起こしてしまうんだそう。

よく言う「政治宗教野球は話すな」ってやつ。正義の怒りを我慢できない人が三割いる。スゲー数字だよね実際。アメリカ差別反対の規則を入れるまで、大卒白人差別是正されないことを理由退職するなんてのもいた。

その割にデモ参加者が少ないのは、その三割の人たちも自分の興味のある分野しか反応しないってことだね。

身近なこと、あるいは身近に感じられることが舞台になる。

日本ではアベガーとかネトウヨとかで本気になってる人たちか。

昭和にも少し話題になって「チャンネル回すパチンコ」なんて言ってたけど覚えてる人いる?

アメリカではかなり昔から認知されてた。黒人公民権運動過激に阻止しようとする連中を、白い目(比喩)で見てた人がポツポツでたらしい。リベラルからノンポリからも、白人至上主義者からすらも。

まぁ当然で、当時の黒人家畜ではあっても敵じゃない。黒人平等は嫌だけど、それはそれとしてやり過ぎ、ということらしい。

日本では戦中の「敵性語禁止」があげられる。日本正義依存ピアプレッシャーと密接な関係があるね。昭和天皇の喪に服すとしてあれこれ禁止されたの覚えてるかな。

タバコ迫害の狂想曲も大きかったね。分煙増税は良いにしても、喫煙所撤廃や昇任の評価にいれるなんて不合理なとこまで行った。

過剰な取り締まりを行おうとする末端の憲兵暴走としては、西側よりもむしろ東側で良く見られた。

微小なものなら日常で色々経験すると思う。

こうした正義依存症の特徴はいくつかあるけど、DSM何とかによると「否定による合意を取ろうとする」ことが大きいんだって。ちな孫引きな。

ピンとこないよね。俺もこない。

戦争反対」「差別反対」「人権侵害やめろ」「ノーヘイト」「ストッ環境破壊

パッと見て、現状の否定ばっかなのわかる?

平和普及」「平等推進」「人権保護」「グッドラブ」「環境保護」でも良いはずだし実際にあるんだけど、怒ってる人は「反対」がどうしても多い。環境保護をうたってるひとも怒ることくらいあるけど、あくま依存症の人ね。

具体案を出すと当然ボロが出るから、完成品を否定する。「予めこういう基準で作れ」ってめったに出さない。

あくま否定することが本丸で、具体案を提案するとまとまりがなくなる。

この依存症の厄介なことは、本人はもちろん周りにも依存症って意識がないこと。正しさはアルコールより良く回る。

あと本人が不快なんだよね。不快なことって依存しうるわけ。DVする伴侶から離れられない、わざわざDVする人を恋人に選ぶ、なんてのもある。身近だと辛いもの好きとかかな、辛さって単に痛みらしいよ。美味しいのに。

不快なことを探しにいっちゃうあたり、本人にも苦痛なわけよ。アダルトショップまで行ってラブドールに怒ったり、「R18 真空パック」とかでググったりね。

何より信条が違うともう親の仇。ギャンブルドラッグ依存症って、集まると居心地良い。でも正義依存だと同じ正義じゃないと厳しい。政治系だと比較的集まり易い。現政権否定すればとりあえず一緒に怒れるからね。

不快でたまらないことを不快になりに探しにいく。んで怒り狂うわけ。

怒るということも快楽から脳内麻薬とんでもないけどやっぱ精神衛生上よろしくない。

依存症重要になるのは、快楽の強度じゃなくて快不快の落差なわけよ。タバコニコチン中毒で禁断症状から解放されるから中毒になる。他にも依存の形があるけど一つの理由ね。

不正義を探して怒る、これは本人の精神衛生にもよくない。怒りたいが為に支離滅裂な主張になることも多いし。っていうかほとんどの人間は理路整然と何かを主張できないよ。自分価値観を補強したいだけ。

正義感の強い人って大概がこの正義依存症なんだよね。とくに不正義に怒る人。正義と怒りは本来別なのに、不誠実に対して怒ることの快感に屈してる。

あと結構いるのが「自分が怒ってるのは不正義が存在するから」ってタイプね。

下手すると機嫌が悪いだけで周囲が間違ってることになる。俺みたいなぺーぺーならどうでも良いけど、部下をもつ上司だとヤバいよ。子供オムツ上手く替えられなかったから、書類不正義があるはず、ソースは勘、みたいな。

でもこういう人の治療には保険適用して良いと思うんだよ。

だってアニメから小説から漫画から道徳から、みんなして悪に怒れって教育するわけじゃん。

「怒るほどの悪ではない」って話はたくさんあるよ。創作では増えたよね。でも悪なら怒って当然ってことになる。

いや怒って良いんだよ。人は理不尽不愉快なことに怒って良い。

でも怒らなくても良い。怒るか怒らないか自分の都合で決めて良い。探しだして正さなくて良いのね。

他人や世の中じゃなくて、感情っていうのは自分表現するためにあるんだから

生真面目な人ほど、怒るべきって強迫観念かられてる。んで怒りすぎて依存症だよ。世の中って不正義で溢れてるからね。

さすがにこれは社会のせいでしょ。

少なくともパチンコよりよっぽど本人悪くない。

病織がまずないし、投薬やカウンセリングで必ずしも治るわけじゃない。でも治療しないよりマシ。

どう思う?やっぱ正義だし仕方ないと思う?

  

思ったより長くなっちゃったけど読んでくれてありがとう

ちなみに全部俺の創作から真に受けないでね。

💩プリプリ

追記

難しい😣

いくら修正

それっぽさを増すよう協力しろクズども。

2020-05-10

anond:20200510161215

阿部やめろ

太鼓どんどん

阿部やめろ

戦争反対

自衛隊反対

阿部もやめろついでに

太鼓どんどん

anond:20200510160743

デモ無意味なんじゃなかったの

言論パワーなんて意味ねえよと言ってるんならじゃあ放置しとけよ

太鼓をどんどん鳴らして阿部やめろ自衛隊やめろ戦争反対といったところでダメージを受けてる奴はゼロなんだろ

だったら放置しておけよ

2020-05-04

anond:20200504200951

リベラルに取って憲法聖書

戦争反対平和憲法には触るべからず。

疑問に思う君には憲法9条の読み合わせからスタートだ。

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-11

anond:20200311075548

これなんだよなあ

自分自分の肩入れしてる奴が傷つきそうな時だけ暴力反対戦争反対差別反対とか言って、そうでないなら誰が抑圧されても「あああれは国内問題ですから」と冷たい顔をしちゃう

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-01-17

anond:20200117103340

意見を言ったりバッシングをしたいなら明確に齟齬がないように言わないとバカがなんか言ってるって思われるだけになるぞ。

けがわかんないのは「『反対したら戦争全般がなくせる』」とかい認識のほう。

戦争反対」とか言ってる連中ってのは「反対したら戦争全般がなくせると思ってる」連中とはぜんぜん違う

愛国精神」持ってる連中と「愛国心があれば北東アジア人を殺して良いと思ってる」連中くらい違うから、そこらへんを伝える努力ちゃんとしないと、それに誤解を与える文章を書いたならそれを謝らないと。

時の権力者無意味な参戦しようとするのに反対するのはいいよ。

軍備の存在自体とか抵抗の戦いに反対するのは意味わからんだろ。

歴史に学んでいたら、戦わなかった国家がどうなったか知っているはずなんだ。

誰が「軍備の存在自体とか抵抗の戦いに反対」してんだ

「何の抵抗もせずに」ってのは事実と違うって言ってるし、戦果の出ないことがわかっていた特攻攻撃肯定するために「抵抗のための戦い」を理由にするのはナンセンス過ぎるよね。

指摘をするとすれば「シベリア抑留など奴隷にされた例はいくらでもある」とかだよね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん