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被爆の実態を国内外に伝え続けた半生だった。元原爆資料館長の高橋昭博さんが2日、亡くなった。「原爆犠牲者の声なき声を後世に伝えるのが生き残った者の責務」。最後に取材した3月、言葉は途切れ途切れながら強い意志を感じさせた。病が進み証言活動が困難になっても、核兵器廃絶への執念が衰えることはなかった。
あの日、爆心地から1.4キロで被爆し、生死をさまよった。戦後、広島市役所に勤めながら被爆者運動に心血を注いだ。
原爆被害の非道を訴える一方、対話を重んじた。1980年、原爆投下機エノラ・ゲイの元機長ポール・チベッツ氏に米国で面会。「いまさら恨みつらみを言うつもりはない」と握手を求め、文通につなげた。「核兵器なき世界」を唱え就任したオバマ米大統領には広島訪問を要請する書簡を何度も送った。
オバマ大統領が被爆地を訪問する際に謝罪するべきかと問うたことがある。高橋さんは「謝罪というハードルを突き付けるばかりでは廃絶へ進まない。ずっと同じ場所にとどまるのは未来志向ではない」と答えた。
だが、別れ際に「昔は謝罪するべきだと思った。本当は今でも原爆を落としたアメリカが憎いですよ」と苦渋の表情も浮かべた。長年、核兵器廃絶を訴えた理想と非人道兵器による惨劇を忘れられない内面との葛藤を垣間見た思いがした。
長年苦しんだ末にたどり着いた「和解」の訴えは重く、高橋さんが目指したゴールははるか遠い。その遺志をどう引き継ぐのか、被爆地に問われている。(金崎由美)
(2011年11月3日朝刊掲載)
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20111104131802632_ja
まあ複雑ってことで