今日は、洗濯物を干した。その前に、洗濯機を回した。服のタグの「ネット使用」か「弱」か「ドライ」かなどを見ては、応じて洗濯機に入れたりよけたりするのだ。それからエマールをはかりいれて、スタートを押すのだ。
冬場、洗濯物は特に冷たい。日があたたかいと大変うれしい。今日は良かった。
それからたんぽぽハウスに着ない服を持っていった。300円になった。私が着ないものを誰かが着るようにできる上に、お金が入るのでこれも大変うれしい。
「アルジャーノンに花束を」のような気分だ。午後に自分がしていたことが分からない。私は大学の図書館で、とある本(ネットなのでタイトルを伏せる)を読んで、文章を書いていた。でも、その続きができない。
たぶんそれは、カフェインのせいだ。午後、とあるカフェインの入ったものを飲んでいたのだが、図書館を出るときに残りを一気に飲み干してしまった。それから分からなくなってきたのだ。あるいは、図書館を出たせいだ。あるいは、とにかくなにか、私に起因することのせいだ。
それからどんどん分からなくなって、しばらく立ち尽くしていたのだが、とりあえず帰宅した。家。家は何をするところなのだろう。衣食住の住。身を守るため?マズローの一番下だっけ?だんだん信じられるものが減っていって、産声のように、本棚を見ながら泣いていた。産声が聞こえた。足をゆすると止んでいった。私は私の面倒を見ることができるのだ。まずは私を信じて、信じられるものを増やしていくのだ。すべては神だ。すべてはことばだ。ことばは神なのだ。だから神はことばにするのだ。