はてなキーワード: ダンテとは
こうして見るとエヴァ以前の作品は哲学性の平均レベルが現在のアニメとは比べ物にならないぐらい幼い事がよく分かる。
エヴァが出る前にもイデオンのように哲学的な問いかけを投げかける作品があるにはあったけど、あれらが結果的にブレイクしてあとに続くものが出ることもなかったということがよく分かる。
せいぜいアメコミのスーパーマンと同じ程度にしか葛藤しない熱血ヒーローモノばかりであり、等身大の主人公が巨大な現実に立ち向かっていくダンテやゲーテのようなスタイルの作品はオタク界にはほとんどなかったと言えよう。
そこにエヴァが風穴を開け、そのあとをウテナが続いたことで、業界の中に様々な鬱アニメ・哲学アニメが溢れ出したことで混沌の時代が巻き起こり、そこを抜けた先でアニメ界全体の哲学レベルが二回りほど大きくなったわけだ。
機動戦士ガンダムのブームがヒーローモノの勧善懲悪に疑問を投げかけたように、エヴァンゲリオンという実験的アニメが業界に広げた波紋の大きさの強さが分かる。
20年ぐらい前にイーガンの「順列都市」という小説が一部で超持ち上げられてて読んだのだが、
メインっぽいアイデアの部分(計算の分散をいくらでも拡散してけば無限に計算できるよね)が
「あれ? こんなん幼稚園か小学校の頃に脳内妄想するような話じゃね?」(少なくとも俺はそういうのやった)
ってなって全くピンとこなかったんだけど
まあ、あれはそういう与太話に乗っかって金持ちが全員カモられてめでたしめでたしって話なんだなと納得していた
だって、あんな穴が丸見えのアイデアで順列都市に移住するって、バカにも程があるじゃない?
まあ小説設定的には既にAI移住済みの人格だから現実世界に関与するあり方と順列都市住みの違いに大差を感じなかったってことなんだろうけど
(ただ、「イーガンすげー」って誉め方してる人はそういう受け取り方してるようには見えなかった)
で、時は過ぎ現代
AIが現実世界(というか株式市場)でもてはやされるようになり、
小説の与太の前提(金持ちが死後も自分の人格をAIに移行して、自分は死んでない人格は維持してると主張して金をガメ続ける)が
ところが、順列都市の都市の中で超もてはやされそうなNFTは総スカンくらうし、AIバブルは始まって一瞬で終わりだし、メタバースは始まる前から終わってるし、
まあそらそうだよなーと当たり前の結論になるんだけど
結局、順列都市って何が良かったんですかね
ダンテの煉獄っぽいところ? でもそのへん適当に付け足した感なくない?
わからんわー
たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべき。当たり前でしょ?
ふつうのとの違いはバージルがデフォで使えたり、ロード高速化だったり、敵ワラワラモード。
1秒で終わる
ps4版だとロードの不満がすんげー多かったけど、これだと全然気にならない
プレイ時間わかんないけど、たぶん15時間くらいかな 1周イージーでストーリークリアで
REエンジンのせいでグラフィック、バイオっぽさがかなりあった
右手の義手の武器もなんかやたらたくさんあるし使い分けもしづらいし消耗品だしでもーめっちゃ使いにくいっつか使う気になれない
移動も遅い
ミニマップもないくせに似たような景色つづく立体的なダンジョン進まさせられるからすげーストレス
ムービーだとすげースタイリッシュにいろいろやってるけどいざ自分で動かすとすげー地味でつまらない
謎解きっつかギミックが最小限だったのはよかった
つかもう謎解きなくていいレベルだった
ダンテはVほどじゃないけどネロほど無能でもなくていろいろできた
英語音声と日本語字幕でやろうとしてたけど字幕が少なすぎて伝わらんとこ多いから日本語音声にした
いやps4版買っちゃってたっけ?まあいいや
お姉チャンバラと同じ感じだなー
ストーリー短めでクリア後のコンボやら成長やらのやりこみ要素が多いパターン
ストーリーだけなら、まあ社会人がさくっと遊ぶにはちょうどいいかなって感じ
5作目なんだし5人プレイアブルいてもよかったんじゃないのーみたいな
結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよって思ってしまう。
これに加えて土地探しもしてたけど、長くなるので割愛する(地盤シールドマップは役に立つよ!)
みんないい家建ててね。
いろんなYoutuberいるけど自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいいと思う。
“ダクト内部を自力で掃除できないので、空気が汚い” 業務用エアコンのタイプの全館空調は空気清浄もするからダクトは汚れないし空気も綺麗。水道管直結で加湿できるタイプもある。メンテも楽。
いくらフィルタの掃除してもダクトは汚れちゃうんだよねー。カビなんて生えたらもうどうしようも無い(気づくことはできないけど)。あと加湿タイプってどうなんだろ、よく知らないけど結露が心配。
結構気になってコメントくれてる人がいるが、地鎮祭には大工の安全を祈願する目的もあるし、終わった後は営業と近隣住民に挨拶回りもある。地鎮祭がなくても営業が挨拶回りはしてくれるらしいが、施主が次に近隣住民に挨拶するのは引っ越した後だから、だいぶ間が空いてしまう。工事中に何かあったら最終的には自分も関わってくるので、一応早めに挨拶しておいた方が良いかなと思った。
ここだけ文章のテイストが変わっているけど、あまり深い意味はないです。ちなみに地鎮祭をやっている人は全体の半分ぐらいらしい。
あと自治会には入ってないです。
この手の人の、更に後悔ポイントを集めて建てたが、それでもなお家造りは難しい。まあ、何千万もかかるのだから当然の話で、面倒なら賃貸にしといた方がいい。中間層、角部屋以外、複層ガラスで十分な断熱環境だし。
結局のところ最適解は個人で大きく変わるので、めんどくさいのが嫌なら賃貸でもいいと思う。巷では「家は3回建てないと満足しない」と言われてるけど、ちゃんと勉強すれば1回で80点は取れると思います!
賢い買い物する為にはちゃんと知識つける必要があるって事なんだろうな。 “結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよ”
その通りです。高い買い物だからこれくらい調べて当たり前と思いがちだけど、マンションとか建売はあっさり買っちゃう人が多いんだよね。多分だけどああいう人たちの優先度は、土地(立地)が一番高いんだろうなと思う。
一戸建ては趣味の世界なので、お気に入りの建築家に発注する注文住宅以外はアホだと思っている。まずは一流の建築家と知り合え。
庶民には無理だと思うなー、コスト的に。出会ったとしても一般住宅を建ててくれるかな?ヤマダホームズに一流建築士が建ててくれる商品があった気がする。
「今日の昼は1日中晴れていたが、日中はエアコンなしで行けた」住んでる地域、県によりそうだけどどこ住みなんだろ 差し支えなければ教えて欲しい
関東1都3県のどこかです。ちなみに夜中の12時に21度のリビングのエアコン消しても、朝9時に16度までしか下がってなくて(前の家はもっと下がっていたと思う)、そこから太陽の光でまた気温が上がっていく感じです。
家を建てる=性能のいい箱を作る方法ばかりになるのがはてなっぽい。もちろん大切だけどこういうの以外にも大切な要素はたくさんあって家づくりは楽しい。
やっぱりショールームは楽しいよ!家を建てたあともエコカラット選びでまたショールームに行きました!性能にこだわるのは普段からそういう仕事をしてるからかもと思ってました!
どうしてYoutuberのことをみんな信用してしまうのだろうか。年間数棟レベルの工務店がやってる住宅系Youtuberよりも、何万棟も建ててるメーカーの言うことを信用してあげればいいのに。
鉄骨メーカーの営業が気密の話を自分からする訳ないんですよ(木造に比べて構造上どうしても気密は劣ってしまうので)。
なのでメーカーのしがらみなく公平に評価してくれる人の方が信頼できるんですよ。
もちろん契約してからは正直ベースでガツガツ自分の知識をぶつけて行った方がいいとは思います。
ちなみに参考にあげたYoutuberもいわゆるYoutuberだけじゃなくて、一級建築士さんやハウスメーカーやめた元営業とかもいるので、出身母体を調べて満遍なく見ていくのがいいと思う!
これはブクマカもな。ドヤ顔でサッシばっか叩いてるけど殆ど何も知らん奴が大半やろ。 "自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいい"
ホントそう思う。
いちいち引用はめんどくさいので箇条書きで。
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
『自由主義だから人を殺す自由も認めろよ』ということは当然にない。そこで重要なのは他者危害の概念だ。
殺人は生きる権利を奪うから罰せられ、窃盗は財産を奪うから罰せられる。今の犯罪はそのように考えられている。
そう考えた時、たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだとリベラルは主張しているの。
像や彫刻を飾るのも当然に表現の自由だ。ましてや私有地ならばなおさらだ。
たとえば人口の2%のみを占める『マイノリティA民族記念館』があり、その記念館の入口にA民族を代表する彫刻の『A民族の子孫繁栄を願う彫刻』があることについて、
「露出が多いわけでもないし性器や乳房が強調されているわけでもないが、子孫繁栄という時点で性的な要素を感じて不快になるから撤去せよ」とマジョリティの大半が言い出しても撤去されるべきではないのは明らかだ。
だが一方で、ネオナチの金持ちが町の至るところに土地を買い、その土地に誇示するようにヒトラーの銅像をあちこちに設置して、そのことへの不快感をユダヤ人たちが訴えても、市長や市議会議員もネオナチではないにせようっすらと反ユダヤ的な考えを持っていて「そうは言っても私有地に設置されている私有財産ではどうにも」とのらりくらりと躱し続けたら。それは事実上の「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであり、不当である。条例で撤去させない町は差別主義の町である。
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」というメッセージになる。撤去させない方が不当である。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になるから差別そのものになる。
やっとお目当ての漫画を買えたし、Kindleでセールもやってたしで、ほくほくした気分で今月のお小遣い残金を一気に遣い尽くした。
あるところに、森の魔女に生贄として女の子を捧げる風習のある村があった。魔女ハンターのゴルダは村の青年に雇われ、魔女を狩るために森に入った。ところが、ゴルダの被る赤頭巾を見た魔狼達が、ゴルダを魔女の一味と勘違いして襲いかかる。
ゴルダは魔狼のリーダーであるフェンと利害が一致していることを知り、フェンに共闘を申し出るが……。
これは、シリアスストーリーと見せかけて、頭空っぽにして読む系のエンターテイメントwww 赤ずきんゴルダのキャラデザがとてもいい。性癖ぶっ込み過ぎなのに『魔法少女 俺』になりそうでならないところがいい。
BLには珍しく、攻めと受けと狼たち以外の殆どが女性キャラ。ゴルダ周りの女性キャラ達のにぎやかな掛け合いが面白い。
ストーリーには全然難しいところがない。とにかくゴルダのエッチで(胸ボタンが)弾けるワガママボディと人の心が無さすぎる言動を楽しむ漫画だった。ガチムチ好きな助平な人向き。
読みごたえがすごい(ページ数多い)
どうやら『アラジンと魔法のランプ』がモチーフであるらしい漫画。上下巻。
新井仁は東京の大学に行こうと思っていたが、受験に失敗。仕方なく地元の大学に入学した。高校時代まではいじめられっこだったが、大学に入ってからは痩せて髪も染め、パッとしないながらも平穏なキャンパスライフを送っている。
ところがある夜、通りがかりにふと目にとまった車のトランクから、どう見てもその筋の人っぽい、ガタイのいい男が飛び出してきた。男の腕にはガムテープで拘束された跡。どう見ても怪しい男に仁は財布を取られ、貯金も奪われ、家に居つかれてしまう。
しかしこの、「まーくん」と名乗った男、なかなかのスパダリで……。
朝田ねむい作品大好きと言いつつ、ずっと読むのを後回しにしていた、朝田ねむい先生の代表作。朝田先生は商業BL界のなかでメジャーかマイナーかといえばマイナーな方なんだけれども、本作は異常に人気があるので気になっていた。
読んでみてその人気に納得。まーくんのアントニオ猪木みたいな見た目とのギャップが凄まじい、スパダリ力のバリ高さがすごいのだ。朝田作品にしては珍しくハッキリとBLって感じだし。
スパダリといっても大枚をはたいてゴージャスな世界を見せてくれる系というよりは、朝ご飯に鮭を焼き夜ご飯には唐揚げを作ってくれる、そしていつの間にか液晶テレビを1ランク上のでかい液晶テレビに買い換えてくれていたり、部屋の掃除もしてくれるという、実力派のスパダリである。地に足の着いたスパダリ・まーくん。一周回って夢がある。
しかし裏では何をしているのかよくわからない、怪しい所がまたいいし、仁君に「おいていかないで」と泣かれて戻って来るのがまたいい。
まーくんの元彼の存在感が濃くて、下巻では現受けの仁君よりも元彼の方が前面に出てきがちなので、攻めの元彼絶対許さない系の人には向かない。
タイトルは一周回って「最高の」っていう意味になる系のスラング。竜人×人間 のバディもの。
亜人のアルフォンスは警備業界最大手「ライフディフェンス」社の本社総務部で働いていたが、休日に遭遇した銀行強盗事件を単身で解決してしまったことで左遷されてしまう。
左遷先は、社内でも回されたくない部署ナンバーワンと言われている「特殊害獣対策室」だった。だが室長のダンテはアルフォンスを亜人だからといって差別せず、バディとして対等に接してくれる。自由奔放で人たらしながら、繊細な気配りも見せるダンテに、アルフォンスは惹かれていく。
バディもの。現場でのお仕事シーン(害獣退治)は少なめ。それよりはオフィスでの同僚達との会話シーンとか、アフター5とかのシーンが多め。設定はファンタスティックだけど、正統派オフィスラブっぽい感じ。
これまたキャラクターデザインがとてもいい。アルフォンスのデザインは特に凝っている。
ダンテのお姉さんみのあるお兄さんなキャラクターがとてもよく、そんなダンテにアルフォンスが惹かれていくとこがすごくいい。
表紙絵からはそんなに甘々な印象はないし、電子書籍サイトやTwitterで無料公開されている第1話にはラブ要素が全くないんだけれども、2話以降はアルフォンスとダンテは始終イチャイチャし続けている。しかも「※付き合っていません」という注釈付状態で、これで付き合っていないだと!? という驚愕のイチャつきぶり。そしてアルフォンスの悩みっぷり。
これ、商業BL好きの腐女子向きというよりは、二次創作BL好きの腐女子向き。
「※付き合っていません」なのに果てしなくラブい……これ重要!!!!!
二次創作でBLを覚えて商業BLに手を伸ばしてみたものの、なんか思ってたんと違ってがっかりしたという腐女子におすすめの1冊。
本編もボリュームがあり、おまけ漫画まで沢山ついて来るので、お腹一杯になる。
が! この設定とストーリーでたった一巻で終わらせてしまうのは勿体ない! ぜひ続きを描いて欲しい漫画。
全くですよね。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になりますよね。
あくまで俺のお気持ち基準であって他人に押し付けるつもりはないが、
ヒトラー、ネイサン・ベッドフォード・フォレスト、レオポルド2世は同意する。
セシル・ローズは実際に撤去されたらしいが、大口寄付者なら撤去はやりすぎではないかと思う。(大口寄付者でなく創設者だが)福澤諭吉も同様。
たとえフェミニストや性嫌悪者が少数であっても公共の場所では配慮されるべきだろう。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になる。
それを我慢させていたら却って多様性の実現からは遠ざかるのであり、そうならないためにも性的なポスターはむしろ積極的に排除していくべき。