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2021-07-25

雑誌映画秘宝』の記憶(57)

 小山田圭吾や元ラーメンズ小林賢太郎の仕出かしたことの影響で、俄に「90年代サブカル業界には、悪趣味鬼畜カルチャームーブメント存在した」或いは「90年代サブカル業界には、露悪的なワル自慢を行うのが格好良いとする風潮が有った」と云う主張が、注目を浴びて議論を呼んでいます。これに伴って「サブカルとは何か/何であったのか?」が問い直されているようです。

 町山智浩Twitterで、自らが悪趣味カルチャーに関与していたことは認めていますが、それと同時に「あの頃は」と強調することによって「今の自分(町山智浩)は、あの頃とは違う」と印象操作をしようと画策しています

 "今の"町山智浩は、悪趣味鬼畜系とは違う?果たして、本当にそうでしょうか?

 つい最近ですら町山智浩は、映画ボヘミアン・ラプソディ』公開の際に、殊更に同性愛者を揶揄するような「主人公フレディが首のネックレスに掛けていたのはペニスリング」と云うデマ発言をしていました。このことは、まだ皆さんのご記憶にも新しいことでしょう。

 町山智浩が「女が急にマニアックなことを言い出したら、それは彼氏の影響」と、まるで女性主体的自律的思考能力を持たないと言わんばかりの、森喜朗に勝るとも劣らない女性蔑視発言をしたのは90年代出来事ではありません。

 そして、例の高橋ヨシキの妻(※当時)の胸を揉んでキスをした性的強要搾取事件を、吉田豪とのインタビューで笑いながら面白おかしく語ったのも2011年のことでした。このインタビューは、当に小山田圭吾彷彿とさせるものです。

 また、町山智浩が、奥さんに着いて米国移住して以来、現在に至るまでずっと、非都市部に暮らす非富裕層白人を「アイツラ土人からw」と呼んで差別嘲笑し続けてきたことも周知の事実です。

 これらは90年代出来事ではありません。また、町山智浩自己正当化の為に言い出した「電通ホイチョイフジテレビ文化に対する対抗意識を持っていた」と云う主張によって正当化できることでもありません。

 町山智浩は、一貫して現在に至るまで、同性愛蔑視差別発言女性蔑視差別発言セクハラパワハラ行為を行い続けてきた"本物"の悪趣味鬼畜系です。そして、町山智浩のような"本物"の悪趣味鬼畜系の人間は「オレたちは露悪的なことをしてワルぶっているけれど、本当はイイ奴なんだよ」とアピールすることを好みますが、それは全くの嘘八百であって、"本物"の悪趣味鬼畜系の人間たちは矢張り中身も"本物"の鬼畜なのです。

 そして、そんな町山智浩のような人間を「流石、町山サン!」と褒めそやして、現在に至るまで長年に渡って野放しにし続けてきたのが、我が国サブカル業界人たちなのです。町山智浩及びその取り巻きと、小山田圭吾及び『QJ』の間には、何ら本質的な差はありません。したがって「アレは本物の悪趣味鬼畜系ではない」とか「過去サブカル現在と違って」等と弁明することは、全くの無意味であり、彼らの自己満足に過ぎないと言えるでしょう。

 小山田圭吾や『QJ』界隈と、町山智浩や『映画秘宝』界隈との間に差が有るとすれば、小山田メディアを通じたイメージ操作によってオシャレでイケてるイメージ演出し、モテ系だったのに対して、町山智浩デニムオーバーオール象徴されるように、ダサ系/非モテ系だったことです。

 そして、この非モテ系として町山智浩が抱き続けた怨念すなわちミソジニー思考こそが、町山の言う「電通ホイチョイフジテレビ文化に対する対抗意識」の本質です。町山智浩が本当に対抗(攻撃)しようとしたのは、電通ホイチョイフジテレビではなく、それらに踊らされている(と、町山智浩勝手に思い込んでいる)「女性」なのです。また、同性愛者を執拗差別し続けるのも、町山智浩にとって同性愛者とは「男のくせにナヨナヨしていて『女性的』な存在」だからとも考えられます

 この投稿は以上です。次回も、小山田圭吾障害者虐待と、町山智浩女性同性愛差別を取り上げるつもりです。

2021-07-23

雑誌映画秘宝』の記憶(56)

 元ラーメンズ小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺ジョークネタにした事が発覚し、この情報海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪閉会式総合演出担当を解任されましたね。

 小山田圭吾障害者虐待世間一般に広く認知された結果、小山田東京五輪閉会式音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味鬼畜カルチャー存在を許されていた、時代の空気存在して云々」と小山田擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾悪趣味鬼畜系とは無関係(だから自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。

 では、今回の小林賢太郎の件については、どうでしょうか?

 ラーメンズ悪趣味鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩パイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯批判反省を行うことを忌避する道を選びました。昔からサブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明性的強要搾取ダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。

 ラーメンズお笑いコントの中でナチスユダヤ人迫害虐殺ジョークネタしたことに関して、擁護として「米国サウスパーク英国モンティ・パイソンジョークネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間枢軸国側の人間では、それをジョークネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークネタにするのは、被害者親族が言うならまだしも、加害者親族が言ったらアウトになるのと同じです。

 一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツ同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だからナチスドイツポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います

 さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制映画秘宝』に1名いますナチス強制収容所ネタエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。

 もちろん、高橋ヨシキ存在布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズネタ公表よりも、高橋ヨシキ布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズネタ世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかフィクションネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在たからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺と云う出来事が"エンターテイメントコンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います

 「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。

 SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺ネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩SWCに対して「悪趣味鬼畜カルチャーをやっていたのは、電通ホイチョイフジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。

 それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去町山智浩自身他人に対して「オマエのことSWC通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。

 この投稿は以上です。

2021-07-22

雑誌映画秘宝』の記憶(55)

 いつもの如く町山智浩Twitterで、自分を棚に上げています

引用ここから

橋本さん自身が無理やりキス事件してるし……

(投稿:午後00時30分・2021/07/22)

引用ここまで=

 橋本聖子のセクハラ非難する町山智浩は、自分高橋ヨシキの妻(※当時)の胸を揉んでキスしたことについて、被害者に対する謝罪と償いを済ませたのでしょうか?

 辞書の「厚顔無恥」の項目に使用例に使えると思いますよ。「例:町山智浩自分自身セクハラを棚に上げてーーーーである」と。

 以下、引用します。

引用ここから

町山智浩高橋ヨシキ君の前のカミさんがすごいオッパイ大きかったんだけど、ヨシキ君が「俺、町山さん大好きだから、うちの嫁の乳揉んでいいですから」って揉ましてくれたから、俺、揉んだよ!「キスしていいですから」とか言うからキスもして。

(吉田豪インタビュー人間コク宝」吉田豪x町山智浩、ただし単行本には未収録、雑誌『BREAK Max』に掲載、前編は2011年12 月号、後編は2012年1月号)

引用ここまで=

 もう一度言いますが、町山智浩は、自分したことについて謝罪と償いは済ませたのでしょうか?

 この投稿は以上です。

2021-07-21

雑誌映画秘宝』の記憶(54)

 この投稿では、町山智浩の言う「90年代当時の社会状況や、悪趣味系・鬼畜カルチャーに携わっていた自分たち(町山智浩根本敬村崎百郎ら)の想いを知らない人間が、悪趣味系・鬼畜系を批判するな!」と云う主張に対する、私の批判を述べます

 おそらく町山智浩は「自分は、小山田圭吾のしたことを擁護するつもりは無い」と言うでしょうし、その点に関しては実際そうなのだと思います

 にも関わらず町山智浩の言うことは、爆笑問題太田とほぼ同じです。要するに「当時のことを知らない人間/外野人間は、口を挟むな!」と云う論法です。

 ならば私は、90年代当時すでに物心ついていた世代年寄りなので、遠慮なく批判できますね。

 まずは再度、町山智浩tweetから引用します。

引用ここから

悪趣味カルチャー80年代のオシャレやモテ電通文化に対する怒り

カーディガン肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニススキーしてホイチョイの『ヤレる店』読んでナンパして人を『ちゃん付けで呼ぶ』奴らにゲロ死体嫌がらせたかった

・それは電通フジテレビでセゾンでトレンディ一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブル偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だった

根本敬村崎百郎が『日本下品どん底に突き落としてやりたい』と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善ファシズム支配されていた

引用ここまで=

 では批判を開始します。概ね次の4点について述べます

<1> 町山智浩らが90年代当時に何を考えていようが、被害者被害を与えたことは正当化されない。

<2> 町山智浩らは負担他者押し付けている。

<3> 結局、町山智浩は「時代のせい」を言い訳責任から逃れようとしている。

<4> 小山田圭吾事件と同じく、町山智浩事件も「終わってしまった過去の話」ではなく「継続中の現在の話」である

 町山智浩tweetで言っていることは所詮70年代モンド映画が、残酷事件事故の場面を餌にして下衆な観客たちから小銭をカッ剥ぐ目的で作られたエクスプロイテーション映画であることを誤魔化す為に、何か博士っぽい進行役が出てきて「この映画は、様々な社会問題について考える機会を、観客の皆様に提供し、これらの社会問題を解決する一助となるために制作されました」とか、オープニングやエンディングカメラに向かって語るのと同じです。つまり、単なる正当化ポーズです。

 仮に町山智浩根本敬村崎百郎らが何か高邁な意識を持っていたのが本当だとしても、それは町山らの被害者には全く意味がありません。被害者と云うのは、死体晒し者にされた死者と遺族や、電波系と名付けられて笑い者にされた精神疾患罹患者などです。ホイチョイ電通フジテレビ嫌がらせしたいという町山らの欲望と云うか自己満足のために、なんで彼らが踏み台として利用されなきゃいけないんですか?それを正当化し得る道理なんて、90年代も今も有りませんよ。

 それとも、町山智浩らにコンテンツとして喰い物にされた人たちが「高邁な思想の為だから喜んで晒し者になります」「私たちを利用してくれてありがとう」と言ったとでも?

 ここでは、高橋ヨシキの妻(※当時)の胸を揉んだ話の時と全く同じく「実際の負担押し付けられている人間の本人の意思」が無視され、無かったことにされるという蛮行が行われているのです。

 百万歩譲って、町山智浩らによる悪趣味カルチャーによる電通ホイチョイフジテレビに対する嫌がらせ正当化し得るものだとして、ならば町山智浩らは自分たち身体精神犠牲にすれば済んだ話じゃないですか。死体嫌がらせしたいなら、自分死体になるなり、電波系嫌がらせしたいなら、自分が本物の精神疾患になるなり、自分犠牲にすれば良かったじゃないですか。町山智浩は、コンビニに勤務する低賃金労働者に対して、自己犠牲精神窃盗犯を救済しろと偉そうに説教するくせに、本人が負担を引き受けることを嫌う卑怯者ですね。

 村崎百郎場合は「精神疾患罹患者の苦しみをビジネスとして喰い物にしてきた人間が、その報いを受けて悲惨最期を遂げる」と云う悪趣味エンターテイメントを、自らの命と引き換えに提供したのだから身体を張ったと言えるかもしれませんね。もっとも、村崎百郎精神疾患に関しては、ビジネス上の(もしも本物の精神疾患罹患者や関係者から差別的だと抗議を受けた時に「精神疾患罹患者の当事者が書いているので差別ではない」と言い訳するための)フェイク、ギミックだったのではないかと云う疑惑を抱いています。まあ、死ね官軍なので真相は闇の中ですが。

 さて、町山智浩は一連のtweetの中で盛んに80年代90年代は云々と繰り返しています。ここから窺えるのは、自分(町山智浩)たちが過去に仕出かした乱暴な振る舞いは「時代のせい」「そういう時代だったから仕方が無い」と云う、自分勝手な言い訳姿勢です。この言い訳は、本当に格好悪いですね。町山智浩時代のせいにしていますが、それは「周囲に流されていただけで、自分(町山智浩)には主体性が無かった」と言っているも同然だと思うのですが、仮にも自他共に文化人と認める人間がそれを言って恥ずかしくないのでしょうか?

 更に言うならば、町山智浩が盛んに90年代は云々と繰り返しているのは「自分悪趣味カルチャー的なヤンチャ行為をしていたのは昔のことで、今は違う」と印象付けると云う意図も含むものと推察されますしかし、端的に言えば、それは虚偽です。

 では、町山智浩は何故そのような虚偽を言うのでしょうか?

 学生時代小山田圭吾障害者に対して行った暴力行為を伴う虐待が「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」として受け止められているのは何故か?それは、小山田圭吾が、大人になってからも悪びれることなく笑いながら面白エピソードや自慢話のようにインタビューで語っていたこと、そして、インタビューが行われた後、ファンから被害者謝罪や償いをした方が良い」と云う批判忠告を受けても無視し続け、長年に渡って被害者に対する謝罪も償いも一切してこなかったからです。

 この点について、町山智浩小山田圭吾と全く同じです。町山智浩も、自分がした悪行について、説明せず、被害者に対する謝罪や償いをせずに逃げ続けています。だから町山智浩は恐れているのです。町山自身がしてきたことも小山田圭吾のように「終わっていない、継続している現在の話」として批判されることを。

 以下、引用します。

引用ここから

町山智浩高橋ヨシキ君の前のカミさんがすごいオッパイ大きかったんだけど、ヨシキ君が「俺、町山さん大好きだから、うちの嫁の乳揉んでいいですから」って揉ましてくれたから、俺、揉んだよ!「キスしていいですから」とか言うからキスもして。

(吉田豪インタビュー人間コク宝」吉田豪x町山智浩、ただし単行本には未収録、雑誌『BREAK Max』に掲載、前編は2011年12 月号、後編は2012年1月号)

引用ここまで=

 悪びれもせずに饒舌に語っています。この件に関しては、町山智浩小山田圭吾と全くの同類です。

 ここで町山智浩質問

 これは西暦何年の出来事か?これも時代社会のせいにするのか?

 町山智浩高橋ヨシキの妻(※当時)にした事は"本物"の悪趣味なのか?電通的・ホイチョイ的な文化に対するアンチテーゼとして、正当化可能ものであるか?

 町山智浩高橋ヨシキの妻(※当時)にしたことは、大手広告代理店宴会芸として新入社員らに対して行われるパワハラセクハラ本質的に何が違うのか?

 町山智浩は、被害者に対して謝罪や償いを行う意思は有るのか?何か具体的な行動をしたのか?

 この投稿は以上です。

2021-07-20

雑誌映画秘宝』の記憶(53)

 まず町山智浩の一連のtweet(投稿no.52で引用したもの)による主な主張を、総合的に解釈します。

解釈ここから

(1) 90年代には、確かに悪趣味カルチャー鬼畜カルチャー存在した。

(2) と言うか、町山智浩自身悪趣味鬼畜をやっていたと云う自覚が有る。

(3) 小山田圭吾村上清を含めたQuick Japan(以下QJ)のいずれも、悪趣味系でもなければ鬼畜系でもないと町山智浩は考えている。

解釈ここまで=

 動機に関する話や「当時を知らない人間悪趣味系・鬼畜系を批判するな」と云う町山の主張に対する私の批判は、別の投稿で述べます

 (1)と(2)に関しては、私は個人的異論は無いです。

 問題は(3)です。

 今回の小山田圭吾炎上に関する報道の動きや、著名人らの反応などを追っていらっしゃる方々はご存知だと思いますが「90年代には、悪趣味カルチャー鬼畜カルチャーが持て囃されていたと云う、時代の空気存在して云々」と言い始めたのは、小山田批判する側の人間ではなく、小山田擁護しよう乃至は小山田に加えられる攻撃を弱めようと意図した側の人間です。

 だから町山智浩責任(例えば「小山田のような人間を生み出したのは悪趣味系・鬼畜系の奴らだ!」と糾弾されるような事態)を避けたいが為に「小山田圭吾QJは"本物"の『悪趣味系・鬼畜系』ではない。したがって、小山田らが仕出かしたこと(イジメ)に関して、90年代当時に"本物"の悪趣味鬼畜カルチャー担い手であった自分(町山智浩)たちには責任が無い」と主張したいのでしょう。

 確かに責任に関して言えば、小山田圭吾らがしたこと責任は、小山田自身が取るべきであることに異存ありません。本人が仕出かしたこと責任を、本人以外に押し付けるべきではありません。

 しかし、それとは別の話として、です。この「彼らは"本物"である自分たちとは違う」と云う類いの主張は、例えば、少数派のベラマッチョ過激派宗教原理主義者による無差別殺傷テロ事件等に対して、非信徒・異教徒を含む社会全体との折り合いを付けつつ、慎ましく平和的に共存しているような多数派のベラマッチョ穏健主義者が批判する時に言ったと云うようなケースならば、私も耳を傾けると思います

 しかし、町山智浩ら"本物"の悪趣味系・鬼畜系は、小山田圭吾らと何が違って、実際のところ何をしているのでしょうか?

 高橋ヨシキが「オレ、町山さんのことが大好きだから」と言って妻(※当時)の肉体を差し出し、町山智浩が喜んで彼女の胸を揉み、それを吉田豪とのインタビュー面白おかし武勇伝っぽく語り、オトモダチの『映画秘宝』界隈は口を噤んでいると云うのが"本物"の実態です。

 これ、"本物(町山智浩高橋ヨシキ)"と"紛い物(小山田圭吾)"の間に何か本質的な差が有りますか?

 例えば、性犯罪者が「アイツは『本物』じゃない!アイツは被害者を殺したが、オレは殺していない!せいぜい殴っただけだ!」と言ったとしたら、量刑判断する司法の場で言うならまだしも、一般社会で言えば「目くそ鼻くそ」と思う人の方が多数派ではないでしょうか?

 雑な語りで自分が携わっていたカルチャーを論じられたくない気持ちは分かりますが、小山田圭吾とは無関係に、町山智浩たち自身が「悪趣味系・鬼畜系の奴らはロクなもんじゃねえな」と云うイメージ世間に広めてしまった張本人なのです。

 再度言いますが、小山田圭吾批判している人たちは、そもそも小山田悪趣味系・鬼畜系に該当するか否かを問題にしていません。また、小山田圭吾が非悪趣味系・非鬼畜系のクズであるからといって、町山智浩ら"本物"の悪趣味系・鬼畜系が小山田とは違って悪いことをしていないと云うことの証明にはなりません。

 この投稿は以上です。

宇多丸意識高いこと語ってるけどまだ信用できない

https://miyearnzzlabo.com/archives/75427

じゃあ宇多丸文京区出身巣鴨高→早大。父は高名な精神科医)は先輩に嫁の乳揉ませてた高橋ヨシキ新宿区出身暁星高→早大。父は東大教授)や自らせがんでその乳揉ませてもらってた町山智浩千代田区出身。早高院→早大)は断罪しなくていいの?

上級国民仲間のオトモダチは例外

2021-06-29

雑誌映画秘宝』の記憶臨時復活

 高齢男性コンビニで148円相当のお菓子を盗んで逮捕されたという、佐賀県で起きた窃盗事件報道に対して、町山智浩が「コンビニ店員自分ポケットマネーで代金を立て替えて、犯人逮捕されないようにするべきだった」と店員批判して、物議を醸していることをご存知の方も多いと思います

 事件のものに関する意見として傾聴に値するようなものは、他の方々によって既に概ね出尽くしていると思いますので、それについて浅学非才の私が今さら付け加えることは、特に有りません。

 ここで私が一時的に復活したのは、勿論、町山智浩について書くためです。

 かつて、某有名国際映画祭取材した町山智浩は、その様子を『映画秘宝』に記事として書きました。スピーチをするために招かれて登壇した某有名女優が、彼女自身の出演作品とは丸っきり無関係なことを喋り出して、挙句の果てに「世界平和を!」等のアジテーションを繰り広げた有り様について、面白おかしく書いた記事でした。その場に居合わせ海外メディア関係者町山智浩が「アレは●●をやってハイになってるねw」「●●をやってる奴って、何故か突然『世界平和』とか上から目線説教したがるよねw」と笑い合って、話が盛り上がったというようなことも書いていたと記憶しています

 ここで私が言いたいのは、今の町山智浩自身が、件の『映画秘宝記事の中で揶揄していた「御高説を垂れていた某女優」と五十歩百歩の状態に在るのではないか?ということです。町山智浩が●●をやっていると言いたいのではなく、現在の町山は他人から嗤われているということです。

 地方在住者の方には実感してもらえると思うのですが、佐賀県という土地を考えると、当該のコンビニで働く店員の時給は高々数百円と思料されます。そのような待遇で働くコンビニ店員にとって、自腹で148円を立て替えて払うということは、並大抵のことではなく、相当な痛みを伴う行為と言っても過言ではありません。コンビニで働く店員仕事が、如何に(時給に見合わないほど!)大変なものかを、町山智浩理解していないのでしょう。低賃金労働者の苦境には思いを巡らせず「ポケットマネーによる自己犠牲を払え」と彼らに説く、町山智浩の高邁な精神は甚だ見上げたものです。見上げたもんだよ屋根のフンドシ、見下げたもんだよ蛙のションベン(※ここは『寅さん』の渥美清の口調でお願いします)。

 そんなに自己犠牲精神を説くのが好きならば、高橋ヨシキから「町山さんのこと大好きだから、俺の妻の胸を揉んでも良いですよ」と言われた時、なぜ町山智浩は、高橋に対して「奥さん負担押し付けるな!俺の機嫌を取りたいなら、お前が身体を張れ!お前の身体を俺に差し出せ!」と説教しなかったのでしょうか?そうすれば少なくとも、高橋の元・妻の女性だけは被害を免れることができたでしょう。ホモソーシャル大好き男たちの自己満足のために、女性一方的犠牲を払わねばならない道理が有るでしょうか?

 現在町山智浩が、アメリカ西海岸の、それなりに治安環境が良い地域や家で生活していることは、皆様もご存知のとおりです。しかし、その町山のアメリカ生活可能なのはアメリカ企業バリバリ働いている町山智浩奥さんの稼ぎに依るところが大きいのです。これは、町山智浩自身公言している、周知の事実です。そうです。ここでも、犠牲になっているのは女性なのです。

 そのような、女性(この場合町山智浩奥さん)の犠牲の下に成り立つ、恵まれ環境生活している町山智浩が、低賃金労働者に対して「自己犠牲を払え」と偉そうに説教するとは、一体何の冗談でしょうか?自己犠牲を払って弱者を救済する人は、確かに称賛と尊敬に値すると私も思いますしかし、そのような尊い行為は、自分が率先して行うならまだしも、他人に対して行えと強制することではありません。ましてや、それが出来ない他人非難することもできません。そんなことも考えず、自己を省みず偉そうな御高説を垂れていれば、某女優と同じく他人から嗤われても仕方が無いでしょう。町山智浩奥さんからすれば「アンタこそ私達(妻子)に苦労ばっかり掛けずに、私達の為に自己犠牲精神を発揮したら?」と、嫌味の一つや二つを町山に言っても許されるのではないかと私は思います

 ギンティ小林パトリック・マシアス等に対して行ったパワハラ高橋ヨシキの元・妻である女性に対して行った性的搾取、長年に渡って繰り返し同性愛者に対して行ってきた差別発言他者尊厳を露ほども顧みない町山智浩所業については、これまで何度も書きました。そんな町山が高邁な自己犠牲論を説く姿は、はっきり言えば「醜悪」の一語に尽きます。例えば、心にも無い愛国心を唱えながら、庶民に対しては酷薄政策を執る、自称保守政治家のように。例えば、自分自身が陰では黄色人種差別発言をしていたにも関わらず、訳知り顔でドナルド・トランプ非難していた、ビリーアイリッシュのように。私が挙げた以外にも、これを読んでいる人たち各自が思い浮かべることの出来る「偽善者」がいることと思います。耳に心地良く響く、良い言葉を唱えることで、己を実際の己よりも大きく高く他人に見せようとする偽善者が。そういう偽善者たちと同じく、町山智浩は「醜悪」です。

 最近は、一部の町山ウォッチャーたちが「近頃、言うことがオカシイぞ。町山は●●でもやってるのか?」と揶揄するという場面をネットでは見かけます。某女優揶揄した因果が巡り巡ってという感じですが、しかし、現在町山智浩が高説を垂れるのを説明するのに「●●をやってるから」と●●原因説を立てる必要は有りません。

 近頃になってから急にオカシクなったのではなく、ずっと昔から町山智浩の言う事やる事はオカシカッタのです。ただ昔とは異なり、オカシイことはオカシイ気づき忖度せずにそれを指摘するように、町山智浩の周囲が変化しただけのことなのです。その変化の一つは、町山が脚本担当した実写版進撃の巨人』が駄作に終わったこと、映画に関する町山の過去著作発言が掘り起こされて複数のガセ情報的外れ批評が含まれると指摘されたことなどにより、一般人町山智浩能力に対して疑問符を付けるようになったことです。別の変化としては、恫喝DM事件対応失敗で『映画秘宝』を追われたこから、町山に忖度してくれる子分たちが存在するような、町山智浩にとって居心地の良い聖域が失われたことです。

 こうして町山智浩に向けられる第三者から評価は、以前よりも低く、厳しくなりました。しかし、町山智浩自己評価どうでしょうか?

 『映画秘宝』読者ならば知ってのとおり、町山智浩は、自身ダメさ加減を自嘲的なポーズと共に語るという手法を取り続けてきました。しかし、そういう語り口とは裏腹に、実際の町山智浩には「あくまでもポーズだよ、ポーズ!本当の俺はダメじゃないよ!」という自意識自己評価が有るであろうことは、誰の目にも明らかでした。それを如実に示すのが「若い女は物を知らないから、大人の男であるオレが教えてやるよ」という、町山智浩マンスプレイニング体質でした。要するに、町山智浩自己評価は「本当のオレは凄い」というものでした。

 しかし、このように町山智浩自身は高い自己評価を持つにも関わらず、現在の町山に対して現実一般人から寄せられる評価は大方「映画脚本ダメ映画について語ること書くこともダメ町山智浩の言うことは信頼性の無い眉唾で、マジメに聞くに値しない」といった低いものです。とすれば、町山智浩の内部で「高い自己評価」と「第三者による辛い評価」が齟齬を来し始めているのは想像に難くありません。そのような齟齬を埋め合わせる為に、今からでも堅実に努力を始めれば良いのですが、実際に町山がしていることといえば、Twitterを通じて何かしら社会派ぶった発言を繰り返すことです。それによって、手っ取り早く世間の注目を集めたいのでしょう。それと共に「さすが町山さん!」と言われて高い評価を得て、有識者的な何かにポジションチェンジする一発逆転を狙っているのでしょう。とはいえ本業映画関連の仕事でさえも「いい加減で信用ならない」と思われている人間が、幾ら社会派ぶった発言をしたところで、如何ほどの価値が有るものでしょうか。

 社会派発言に何らかの説得力を持たせることが出来る人がいるとすれば、それなりに時間と手間を掛けて学びを重ねて、知性を真摯に地道に積み上げてきた人でしょう。町山智浩がそんな真摯人間だと思いますか?知性に限らず、人間が何かを地道に積み上げようとするならば、己自身ダメさと真剣に向き合う必要があります。けれども、何かあれば「オイラボンクラからさあ」を言い訳女性立場が弱い人間に甘えて、負担他者押し付け続けて生きてきた町山智浩が、己のダメさと真剣に向き合ってきたとはお世辞にも言えません。つまり町山智浩社会派ぶったつもりの発言が頓珍漢なものになってしまうのも、これまでの町山が他人に甘えて己自身ダメさと真剣に向き合ってこなかったこと、何も積み上げてこなかったこと、それなのに付け焼き刃で何とかしようと手抜きをしていることの帰結に過ぎません。分かり易く言えば、かつての唐沢俊一と同じく、町山智浩も中身はカラッポだったということです。

 現在の御高説を垂れるTwitter芸人町山智浩説明するために「●●の影響でハイになっているから」と考える必要は有りません。高邁な御高説を垂れる町山智浩は「ハイになっている」と言うよりも、むしろ「甘えが通じなくなって追い詰められて、切羽詰まっている」という状態なのです。

 町山智浩は、ツケを払う時が来ました。

 とりあえず今回は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-13

雑誌映画秘宝』の記憶(48)

ロックの魂とは?】

 コメディ映画スクール・オブ・ロック』(03年)が公開された当時、この映画肯定的評価するか否か、「有りか無しか」を巡って賛否両論となったこから映画秘宝』誌面では、少しばかりの論争が起きました。

 ご存知ない方のために粗筋を説明すると「ロックバンドをクビにされた主人公が、ひょんなことから坊ちゃんお嬢ちゃんたちばかりの通う小学校にニセ教師として潜り込み、生徒たちに『ロック音楽スピリッツ』の教育を施した末に、筋が良い生徒たちをバンドメンバーに従えた主人公が再びステージに立つ」という、ファミリー層向けコメディ映画です。

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 当時の否定派の論調は「『反逆精神』が拠り所であるロックが(たとえニセ教師によるものとはいえ)、学校教育で身につくわけがねえだろ」とか「コメディとはいえ大人が『ロックは素晴らしい』と、特定価値観子供押し付けるのは正直いかがなものか」とか「ガキごときロックができてたまるか」とか、まあ大体そんな感じだったと記憶しています

 しかし「ひょんなことから『未知のカルチャー』に触れた子供若者が、その魅力に思いがけず目覚めて『カルチャー担い手』として育っていく物語」あるいは「大人側の視点で、色々な思いを抱えたり紆余曲折がありつつも『カルチャーの教え手』として年下の人間たちを育成していく物語」は、良くも悪くもありふれたものに過ぎず、そこまで腹を立てることだったのかと今でも疑問です。例えば、労働者階級の家庭に生まれ子供バレエの魅力とか宇宙ロケット打ち上げの夢に目覚めるといった物語が「有り」なのに、この映画がそんなに否定される必要はあったのでしょうか。それとも学校以外の場所舞台だったら許されたのでしょうか。こうして考えると、論争と呼ぶにも非常に掘り下げ不足であったように思えます

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 そもそも否定派の気持ちの根っこには、特定カルチャーの愛好家が陥り易い「選民思想」が有ったのではないでしょうか?何しろ「女『子供から映画を取り戻せ!」が旧体制の『映画秘宝』の合言葉だった訳ですから否定派には「『ガキ風情』しかも『裕福な部類のお坊ちゃんお嬢ちゃん』が『オレたちの』ロックに手を出すこと自体我慢ならない!」「ファミリー向け映画ロックをイジるな!」という気持ちも有ったことと思います

 もう既にお分かりのように、ここに見られるのは要するに、いい歳したオッサンたちが、いつまでも上の方に居座って「このカルチャーはオレたちだけのモノだ!」「コレは『本物』ではない!」「それが理解できん若い者たちは、まだまだオレたち(=オッサンたち)に及ばんな!」という態度をとることによって、若い世代から敬遠されてジャンル全体の衰退を招くという、非常にありふれた「『本物の✕✕』とは何か論争問題」「サブカルチャーにおける老害問題」の1バリエーションです。

 しかし、この映画が公開されて長い年月が経過しました。今や音楽活動を始める若者たちの中で「バンド形式から/ロックから始める人」が占めるパーセンテージは、昔のように多くはないだろうと思われます外国でも事情は似たようなものです。今ではおじいちゃんになってしまった外国の大物ミュージシャンたちと、日本アイドルBABYMETALが共演した際には、馬鹿にされたり嫌がられたりするのかと思いきや「孫みたいに若い子供たちが、ワシらの音楽に興味を持ってくれた!」と、むしろ喜ばれたと聞き及んでいます若者子供にとって、この映画に出てくるようなロックが既に「何だか知らないけど、お年寄りたちが聴いている懐メロ」となってしまった今日では「映画スクール・オブ・ロック』は有りか無しか論争」をしていた『映画秘宝』編集者ライターたちは、実に贅沢な悩みに基づいて議論していたと言えます

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 無論、あの頃に「ロックカルチャー担い手ファンの『高齢化』が問題になる」などと未来予測ができた人間は少なかったでしょうから現代人の立場で彼らの論争を「贅沢な悩みだった」と批判するのは酷と言われるかもしれません。

 しかし、未来予測とは違い、当時の人間でも『映画秘宝』の関係者や読者であれば、容易に気づくのが可能だったはずのことが有ります

 それは「当時の旧体制映画秘宝』と映画スクール・オブ・ロック』の主人公は、していることが『悪い意味で』五十歩百歩だった」ということです。

 旧体制の『映画秘宝』が「切り株映画は、世界真実を描いている!ヌル作品なんか観るのを止めて、切り株映画を観ろ!」とアジテーションする姿と、この映画主人公が「ロックが最高の音楽だ!ヌル音楽なんか聴くのを止めて、ロック名盤を聴け!」と生徒たちを『洗脳』する姿との間に、果たして本質的な違いが有ると言えるでしょうか?

 そうです。この映画主人公がしていることは「洗脳」です。もちろん「何らかのカルチャーの愛好家が、非・愛好家に対して自分の好きなものを紹介する」という行為は、大なり小なり「洗脳」の側面を持つものです。だから、単に「ロックは良いぞ」と他人に薦めるだけならば、何も批判される謂れは有りません。しかし、もしも「ロックを知らないのは不幸だ」とか「ロック以外のツマラナイ音楽聴くやつは馬鹿だ」とか説教をかまされたらどうでしょうか?そんなことをされたら「うるせえ」「布教するために他人価値観を踏み躙るな」と言いたくなりませんか?そもそも「『反逆精神』を拠り所にしてるくせに、上からモノを押し付けるんじゃねえよ」という話です。

 実際、この映画には、生徒たちが普段どんな音楽を聴いているのかを質問した主人公が、その回答を聞いて嘆息するという場面も出てきます。これを単に作品を彩るギャグとして軽く受け流すのか、見過ごせすに腹立たしく感じるのか、それは観る人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、仮に主人公批判する感性の持ち主ならば、同じことをしている旧体制の『映画秘宝』にも批判的な感情を抱くのが当然と言うか、それが「知的な誠実さ」というものではないでしょうか。仮にも批評活動生業にしている人間たちが雁首を揃えて「この描写は、自分たちみたいな(=若者世代に『本物のカルチャー』とは何かを教えたがる)オッサンのことを風刺しているのではないか?」という可能性に思い至る「内省視点」を少しも持たなかったのでしょうか。そうだとすれば『映画秘宝』関係者は「知的怠惰」と言わざるを得ません。

 まあ、可能性としては「映画主人公の行動と『映画秘宝』の行動は五十歩百歩」という事実に気づいていたけれども、センパイの機嫌を損ねるのを畏れて忖度して言わなかったというのも考えられますね。

 馬鹿なのか、忖度体質なのか、どっちにしても「批評活動を行う人間」としては「致命的な欠陥」だと思うのですが、そういう人たちでも業界デカイ顔をしていられる現状は、いかに本邦の映画ライター業界人材不足なのかを如実に物語ると言えるでしょう。

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 ちなみに映画スクール・オブ・ロック』には、主人公が「ロックの反逆精神とは何か」を生徒たちに実地に教えるために「『権威』に逆らえ!教室では教師、つまりオレが『権威』だ!オレを罵ってみろ!」と命令する場面が出てきます。すると、生徒たちは素直で良い子ばかりだから、色々と頑張った末に「デブ野郎!」という火の玉ストレートを投げてしまい、自分で反逆を命じたのに「オイお前、後でちょっと職員室に来い!」と主人公がマジ切れするというギャグ場面が出てきます。(なお、主人公を演じるのは、ぽっちゃりコメディアンのジャック・ブラックです。)これは「『反逆精神』を『教育』する」という根本的な矛盾表現した、秀逸な場面と言えます

 町山智浩高橋ヨシキてらさわホークも、一度「権威に逆らえ!オレたちを罵ってみろ!」と若手ライターたちに呼びかけて「反・権力/反・権威精神とは何か」を教えて上げたら良いのではないでしょうか。パワハラ説教マンスプレイニングかますよりも、よほど後進の育成に寄与できると思いますよ。

 まあ、センパイの機嫌を取るためにパートナーの肉体を献上する人間、それを享受して面白おかしく語る人間嘘八百解説を書いて間違いを指摘されたらそそくさと逃げる人間には、到底「権力に逆らうとは何か」を若手ライターに教えることなんて無理な話でしょうけど。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-11

雑誌映画秘宝』の記憶(47)

【サタニストの美学とは?】

 高橋ヨシキがサタニストを自称していることは、よく知られています

 田野辺尚人は、恫喝DM事件に対する対応において「責任能力が無い」と見做された有様ですが、最近ちくま文庫から再刊された高橋ヨシキの著書『悪魔が憐れむ歌』に解説文を寄せていることから、今だに田野辺高橋の結び付きは固いことが窺い知れます

 田野辺尚人解説に拠れば、サタニストとしての高橋ヨシキが影響を受けたとされるのはAnton Szandor LaVey(米国The Church of Satanの設立者代表著書『The Satanic Bible』)であるとのことです。

 さて、このSatanismにおいては「9つの罪」が定義されていると言われています

 そこで今回は、この「9つの罪」を挙げて、旧体制映画秘宝』陣の実態と照らし合わせて見ていきたいと思います

(1) 愚鈍さ:恫喝DM事件で「アカウントを乗っ取られた不正操作だ。自分(=岩田和明)は事件に関与していない」と虚偽の弁明で岩田が逃れようとした際に、この無理が有る岩田の言い分に安易に乗った田野辺尚人は、この罪に該当していると言えそうです。

(2) 虚栄:本質的には女性蔑視同性愛差別思想の持ち主であるにも関わらず、それを知らない人間たちの前では「我々は差別と戦う」と正義ヅラ有識者偽装することから旧体制映画秘宝』陣は、この罪に該当していると言えそうです。また、非モテ過去を無かったことにして「大人の男の恋愛論」を語っていた町山智浩は、虚栄の典型と言えます

(3) 唯我主義:「町山智浩が大好きだから」という理由自分女性パートナーの肉体を献上した高橋ヨシキと、それを享受して面白おかしく語った町山智浩は、明らかに女性自身の意志人権尊厳などを微塵も考慮していません。自分たちの快楽欲望だけを優先しているのですから、間違い無くこの罪に該当していると言えそうです。高橋ヨシキが力を持つ旧体制映画秘宝』で切り株派が依怙贔屓によって優遇されていたことも理解せず、体制変化に伴う優遇の終了に不満を漏らしたナマニクも「唯我」の例と言えそうです。

(4) 自己欺瞞:悪い意味子供じみた言動に終始していて、明らかに大人になりきれていないにも関わらず、自分自分に「オレ(たち)は『大人の男』である」と言い聞かせる。あるいは、自分たちが繰り返し差別を行っているにも関わらず、自分自分に「『映画秘宝』は社会不正義や不公正と戦う雑誌」と言い聞かせる。そうして、自分自分に吹き込んだ「嘘」を信じ込もうとするのは、この罪に該当していると言えそうです。俗に言う「詐欺師自分自分の嘘を信じるようになる」と云う状態なのかもしれません。

(5) 群れに従うこと:ホモソーシャル集団病理として「身内が絶対正義」と云う考えに凝り固まり自分たちの身内にだけは異常に甘い態度を取るので、間違い無く旧体制映画秘宝』陣はこの罪に該当していると言えそうです。町山智浩の『実写版進撃の巨人』の失敗に対する批判の声を不自然なまでに小さく控え目にしたこと柳下毅一郎が吹いた犬笛に侍功夫が逸早く反応して付き従う姿勢を見せたことなど、その実例には事欠きません。

(6) 見通しの欠如:切り株映画至上主義者は『映画秘宝』を私物化して「自分たちの価値観けが常に正しい」「自分たちの好みに合わないものには価値が無い」と盛んに吹聴し、閉鎖的な態度を取り続けてきました。これが、将来の幅広い読者を開拓・獲得することを阻害して、雑誌未来を閉ざす結果に繋がると理解していなかったことは、この罪に該当していると言えそうです。(「少し考えれば馬鹿でも分かる」ようなことを理解していなかったと云う意味では(1)にも該当すると言えそうです。)

(7) 過去の正統の忘却ムック形式時代の『映画秘宝』は「予算芸術性や出来の良し悪しに関わらず『好きな映画は好き』と云う気持ちだけは平等だ」と云う基本理念を示していました。それを忘れ去り、異なるジャンル価値感の間で優劣を付けるように悪い変化を遂げたことは、この罪に該当していると言えそうです。

(8) 非生産的プライド:「オレたち男と違って、女たちは『ユー・ガット・メール』を見て喜ぶような馬鹿どもだから、オレたち男は女よりも偉い」と云う男尊女卑思想。「オレたちストレートの男は、同性愛者よりも立場が上だから、奴らを嘲笑してもよい」とする同性愛差別思想。「オレたち切り株映画ファンは悪いことをしないが、萌アニメが好きな奴らは犯罪者予備軍だから叩いてよし」とするジャンル間の優劣思想。「若い奴らや女は物事を知らないから、何でも知っているオレたち大人の男が教えてやろう」という説教願望。旧体制映画秘宝』陣は、肥大化して歪んだ自尊心の持ち主の見本市ですから、確実にこの罪に該当していると言えそうです。これだけ社会多様化が進めば「オレ(たち)は何でも知っている」という仮面を被り続けることは無理があるのですが、それでもその仮面を手離さないのは、他人から「物を知らない」と思われることに堪えられないというチンケな自尊心に囚われていることの顕れでしょう。てらさわホークが『マン・オブ・スティール』について嘘八百を書いた際、自分よりも知識豊富人間から間違いを指摘されて逃亡したのも、チンケな自尊心の持ち主だからと言えるでしょう。

(9) 美意識の欠如:間違いや過ちを指摘されても目と耳を塞ぎ続ける自分たちの振る舞いが、客観的に見れば非常に格好悪いということに気づいていない、もしくは気づいていないフリをし続けていることは、この罪に該当していると言えそうです。ロマン優光言論反論できないか誤植に赤丸を付けるというみみっちい行動に出た柳下毅一郎は、その一例でしょう。

 ざっと見てきましたが、もしもSatanismに価値説得力を見い出し得るとするならば、それはイズムの信奉者を自認する人間が「内省を伴う批判精神」の持ち主であればこそでしょう。

 自分たちホモソーシャル集団にとっての「敵」と見做した他人執拗に口撃するのは大好きで、自分自身や身内には異常なまでに甘いという高橋ヨシキらが、そのような「内省を伴う批判精神」の持ち主であるか否かは、誰の目にも明らかです。

 「論語読みの論語知らず」という諺は、高橋ヨシキ旧体制映画秘宝』陣の実態形容するのに、実に相応しい言葉と言えるでしょう。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-08

雑誌映画秘宝』の記憶(46)

 島田紳助一派の過去所業告発されましたが、それと同じようなことを『映画秘宝関係者はしていた訳です。罪を償わずに知らんぷりを続けるならば、たとえ何度でも声を上げて批判します。

引用ここから

 町山智浩高橋ヨシキ君の前のカミさんがすごいオッパイ大きかったんだけど、ヨシキ君が『俺、町山さん大好きだから、うちの嫁の乳揉んでいいですから』って揉ましてくれたから、俺、揉んだよ!『キスしていいですから』とか言うからキスもして。」

引用ここまで=

 目上の人間の機嫌を取る為に、自分パートナーである女性身体を献上する人間。それが高橋ヨシキです。

 それを嬉々として享受し、悪びれる様子もなく面白おかしく話す人間。それが町山智浩です。

 自分たちの欲望の為には、立場が弱い者を踏みつけにする。それが彼らの本質です。

 上記の話の出典は、次のとおりです。

=出典=

 H23年9月17日吉田豪町山智浩に対して行ったインタビュー人間コク宝」吉田豪x町山智浩(※単行本には未収録)。雑誌『BREAK Max』に掲載(前編は2011年12 月号、後編は2012年1月号)。なお、単行本には未収録(記録として残るのを町山智浩が嫌がったため)。

2021-04-07

雑誌映画秘宝』の記憶(43)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】(承前)

 前回の投稿では、町山智浩高橋ヨシキ旧体制映画秘宝』の「女性に関する話題」には「女性(を含めた他者)と『対等』で『一対一』の関係を構築した話に乏しい」ということを指摘しました。

 一応フォローしておくとすれば、奥さんの方から転がり込んで来たり、何回も結婚したりするぐらいだから、彼らも「ある時点では」「何らかの魅力」が有る/有ったのでしょう。

 ただし、離婚したパートナーから離婚してよかった」と言われたり、Twitter芸人状態家族から放置されたりしている姿を見れば、一対一の対等な関係を維持できるだけの「継続的な」「本物の魅力」に欠けている/いたのではないかという疑いを抱かざるを得ないというのが、一読者としての率直な感想です。

 人間というのは愚かで弱い生き物なので、私生活が上手くいかないことは往々にしてあります。その失敗をどのように受け止め、どのように対処していくかで、人としての最終的な価値は定まるのだと思います

 町山智浩高橋ヨシキらの旧体制映画秘宝』が、彼らの抱えるこの「一対一の対等な関係を構築・維持できない」という不満や鬱屈を、誌面作りにぶつけていたことは確かです。そのこと自体別に悪いことではないのですが、問題は「ぶつけ方」が悪かったことです。「一対一の対等な関係忌避する」傾向が、読者に対しても同じように発揮されてしまったのです。 

 学生時代部活動をしていた経験の有る人には「卒業して既に何年も経つのに、やたら部活動に顔を出しては、在校生部員相手に偉そうにしたがる『OBオッサン』」に遭遇した経験を持つ人もしるのではないでしょうか?今にして思えば、あのウザいオッサンたちは、現実社会で「他者との対等な関係を構築して居場所を作る」ことができず、そんなオッサンたちが唯一「『下の人間』に対して『デカイ顔』をすることが可能場所」だったから、卒業して何年も経つのに母校の部活動に頻繁に顔を出していたのだと推測されます。早い話が、あの「ウザいOBオッサンたち」は、彼等に気を遣ってくれる在校生部員に甘えていたのでしょう。

 私が言いたいのは「現在町山智浩高橋ヨシキてらさわホークらは、何だかこの『ウザいOBオッサンたち』にとても似ている」ということです。

 旧体制映画秘宝』陣が映画について語る時、まだムック形式の頃には「好きなものについて、お互いに同好の士として語り合おう」という純真さや、誌面と読者との間に対等な関係を保とうという姿勢が有ったと思います。だからこそ、熱狂的な愛読者を獲得できたのです。

 しかし、雑誌化・大型化してから特に切り株映画世界真実を描いている!」とか言い出してから露骨に「君たち『若いモン』は物事が分かっとらんだろうから、オレたち『大人のオジサン』が教えて上げよう」という「マンスプレイニングによるマウントの願望」をダダ漏れさせるように変化しました。

 「切り株映画への偏愛」は、親兄弟学生時代の級友たち、その他の一般社会には好意的には受け入れてもらえなかったことは、想像に難くありません。その「切り株映画への偏愛」を卒業しなくても許され場所しかも、それを好きなだけ吐露しても許される場所。それが高橋ヨシキ切り株派にとっての『映画秘宝』だったのでしょう。

 しかし、本来それが許されていたのは「予算とかジャンルかに関わらず『好きな映画は好き』という想いだけは、お互いに等価なんだ」という映画ファンとしての「お互い様主義」の前提があったればこそです。

 ところが、高橋ヨシキらの切り株派が主導権を握るようになると、彼らが誌面を私物化して「オレたちが好きな切り株映画には価値が有る!しかし、軟弱なオタクどもが好きなアニメ作品なんぞには価値は無い!そんな物を好きになる奴は馬鹿だ!」と自分たち好みの特定価値観だけを押し付けるように、悪い方向へと『映画秘宝』を変化させたのです。

 譬えるならば、ウザいOBオッサンたちが部活動に顔を出し続けるうちに勘違いして、頼まれもしないのにコーチ気取りとなり、在校生部員たちに体罰パワハラ無意味筋トレ等を強制し始めたようなものです。在校生部員にもウザいOBオッサンたちとウマが合う奴は存在して、そういう奴らにとっては楽しいのでしょうが、そうではない部員にとっては地獄以外の何ものでもありません。町山智浩柳下毅一郎の覚えがめでたい高橋ヨシキは「ヨシキくん/さん」と依怙贔屓されて持て囃されていた一方で、ギンティ小林軍隊格闘技ブラジリアン柔術体験取材地獄を見ていたことを思い出して下さい。

 いずれにしても、長きに渡って『映画秘宝』の誌面では、特定ジャンル肯定的に扱われて優遇される一方で、また別の特定ジャンル否定的に扱われて冷遇されることとなり、多様性が失われてしまいました。

 しかし、こういう「ウザいOBオッサンたち」が偉そうにできるのも、学校部活動が存続していればの話、在校生部員オッサンたちを受け入れればの話です。

 若い者に対して説教をしたり価値観を否定したり押し付けたりすることを好むような、ウザいOBオッサンたちが居座っていることが広く知れ渡ったら、一体どうなるでしょうか?入学や入部を希望する人間の数も、減っていくのではないでしょうか?

 それと似たようなもので「たとえ切り株映画は好きでも、それを肴にして若者の上に立ちたがるような、イイ歳をしたオッサンたちのことは好きじゃない」と考える読者からすれば、よほどのマゾヒストでもない限り、町山智浩高橋ヨシキてらさわホークらの自己満足的な説教に付き合う義理は有りませんから、避けたくなるのが人情というものです。

 さらに、現代若い人たちは「ウザいOBオッサンたち」が若かった頃の何倍も学んで勉強して、物事をきちんと考えています人権平等に対する問題意識も、ウザいオジサンたちよりも遥かに高いのです。口先では「反・権力」を唱えながらも、現実では女性パートナーの肉体をセンパイに献上したり、それを享受したり、同性愛差別発言女性蔑視発言を繰り返すようなオッサンたちの「底の浅さ」や「欺瞞」など、直ぐに見抜くのではないでしょうか。

 要するに「若い奴らには説教必要だ」なんて、勘違いしたウザいオッサンたちの自分勝手な思い上がり、それ以外の何ものでもないのです。

 それでも、侍功夫(samurai_kung_fu)のように犬笛で馳せ参じる忠義心に厚い子分や、「恫喝DM事件で『映画秘宝』を批判しているのは、仕事を貰えなくて嫉妬している奴らだ」とかトンデモ説を唱え出すようなポンコツ子分が出来る可能性も無くはないので、なかなか勘違いを改められず、OBオッサンをやめられないのかもしれません。

 さて、パワハラ四人衆は既に『映画秘宝』を放逐されました。これは、上下関係や力関係を利用した「特定価値観の押し付け」が、今までのように簡単には出来なくなることを意味しています。そんなフラットな条件下で彼らは、彼らを称賛してくれるような読者を上手く新たに獲得できるのでしょうか?

 そんな彼らの今後を占う、こんな話があります

 実はかつて、『映画秘宝』はウェブ掲示板を開設したことがありましたが、最終的には閉鎖されてしまいました。その閉鎖理由は、掲示板利用者である読者と、掲示板管理者である映画秘宝関係者との間に、意見の相違による激しい論争が掲示板上で発生したことでした。

 もう少し詳しく言えば、この時に『映画秘宝関係者が第三者を装って「第三者の目から見れば『映画秘宝』側の意見が正しいと思う」と自作自演書き込みをしたという疑惑が生じてしまい、弁明ができなくなったために掲示板を閉鎖したと言われています

 この話を記憶している人間には、今回の騒動で『映画秘宝』を放逐された四人衆が、今後のフラットな条件下で読者を獲得できるか否かについても、ある程度の予想がつくのではないかと思います

 町山智浩高橋ヨシキは「大人の男」ぶることを好み、自分たち価値理解できない作品ジャンルファンのことを「幼稚なガキども」と口汚く罵って攻撃します。また、彼らは「いつまでも思春期に囚われた、大人になりきれないガキのような大人」も盛んに攻撃します。

 しかし、上で述べたように、町山智浩高橋ヨシキらは「いつまでも部活に顔を出すウザいOBオッサンたち」であり、つまり町山や高橋らこそが「思春期(の劣等感)に囚われたまま、大人になりきれないガキのような大人」に他ならないのです。

 自分趣味他人から好意的に受け入れてもらえなかったという思春期屈辱的な記憶、あるいは、社会において女性を含めた他者と対等で一対一の関係を構築できないという負い目にいつまでも囚われ、それらを晴らすために『映画秘宝』を私物化してしまいました。

 しかも、そのような私物化可能にするためには、裏側では「町山さんが大好きだから」と言って、女性パートナーの肉体を献上するという、他人犠牲を強いた上で媚び諂いの態度に出るという、おぞましい行いが為されていたのです。

 こんな愚かなことは「幼稚なガキのまま大人になりきれていない大人」でなければ、しない/できないことなのです。

 さて、『映画秘宝』を追われた彼らは「本物の大人」になれるでしょうか?

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-05

雑誌映画秘宝』の記憶(42)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】

 枕から始めますが、世の中には「勝ち負け」を付けたがり、その基準として「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉を持った異性の人数(の多寡)」を持ち出したがるタイプ男性存在します。

 一つの例を挙げます

 某男性お笑い芸人は、過去に「オレのことを批判したり嫌ったりしている人間よりも、オレの方がいっぱい女たちを抱いとるねん!」という主旨のことを著書に書いていました。つまり、これを言うことによって「オレよりも異性との性交渉経験人数が少ない奴には、オレを批判する資格が無い!」と彼は言いたかったわけです。他にも似たような物言いで「オレを批判する人間は、オレよりも金稼いどるんか?」等も有りましたね。そのように言いながらも、彼とは段違いと言っても過言ではない『才能が有って、しか興行収入の実績も有る映画監督』のことを「この監督は『映画の基本』が分かってませんねえ」と批判していたのだから面白いものです。5本目の映画は撮らないのでしょうか?

 ところで、その某お笑い芸人は、自身が司会を務めていた音楽番組の場で、番組ゲストミュージシャンたちから以下のような暴露トークをされて、全国放送電波で流されました。

 曰く「後輩芸人たちがセッティングした合コンの場で、その某お笑い芸人が『お持ち帰り』の対象として狙いを定めた合コン参加者女性を、後輩芸人たちが複数人で囲んで『✕✕さんに抱かれたいと思ってんのやろ?!』『✕✕さんに抱かれたいて言え!』と囃し立てる」(※飲食店で、その某お笑い芸人合コン現場を目撃したと云う、番組ゲスト男性ミュージシャン)

 曰く「劇場出待ちをする女性ファンたちの間では『中学生ぐらいがストライクゾーン』と云う噂が共有されていたから、自分(=音楽番組ゲスト女性ミュージシャン)も中学生の頃に、その某お笑い芸人からナンパされるのを狙って劇場出待ちに行った」(※番組ゲスト女性ミュージシャン)

 そういえば、その某お笑い芸人番組に度々ゲスト出演していた梅宮辰夫が、若い頃の話として「狙っている女性がいた時は、自分の所有するプレジャーボートに乗るように誘い、逃げられない沖合の海に連れ出してから行為に及んだ」と語っていましたね。梅宮辰夫は「面白おかしい話」として語っていたようですが、私は「身の毛もよだつ、おぞましい話」と思いました。

 こういう「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉の人数(の多寡)」を矢鱈と持ち出したり、面白おかしく語りたがり、自慢したがる人間には、警戒した方が良いと思います。それは兎も角。

 この手の男性は「『経験人数』や『経験場所』や『風俗店遊んだ話』などを自慢したがる一方で『紳士的な方法で異性と距離を縮めていった過程』を話さない/話せない」と云う特徴があります

 彼らが何故それを話さない/話せないのかを考えるに、彼らが「女性と『対等な関係』の下で『一対一で向き合う』ことを怖れている/避けている」もしくは「女性と対等な関係になることは『男としての恥/屈辱である」と云う考えの持ち主であることが理由ではなかろうかと、私は推測しています。おそらく「上下関係」や「力関係」が介在しない場では、彼らは自力女性口説くことも満足にできないのではないでしょうか?相手が「弁えない女性」の場合には特に

 さて、長い枕から本題に移ります

 はてな匿名ダイアリー引用するために『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』その他を読み返し始めたところ、町山智浩らが話す「女性に関する話題」に関する『或ること』に改めて気づきました。

 曰く「ラムちゃんみたいに、奥さんの方から転がり込んで来た」

 曰く「高橋ヨシキが『自分女性パートナーの胸を揉んでいい』と言うから、揉ませてもらってキスもした」 

 曰く「女性から聞かされた話を(聞かされたことも忘れて)、その女性当人に対して上から目線で教えようとした」

 曰く「どこそこの風俗店が云々」

 曰く「誰それのオコボレを目当てに、後から着いて行って云々」etc.

 このように、町山智浩らの周囲から出る「女性に関する話題」には「『対等な関係』として『一対一』で女性と向き合った話」が乏しいことに気づきます。聞かれてもいないのに、わざわざ自分の方から女性に関する話題」を持ち出しているのにも関わらず、明らかに乏しいのです。「奥さんが転がり込んで来た」という話も、要するに「棚ボタ」なのであって、決して「自ら主体的能動的に動いた話」ではないことにも注目して下さい。

 おそらく、町山智浩自身にも「自分たちは『きちんと一対一で対等に女性と向き合った』と云う経験に乏しい」という自覚と、それに伴う「劣等感」が有るのではないでしょうか。そのことが、目下の者や読者に対して頻りに「オレたち『大人の男』ってのはさあ」という『説教』をかまそうとする町山智浩らの動機になったように思えます

 しかし、いくら説教をかまそうとしたところで「経験していないこと」や「体現できていないこと」を語るのは土台不可能なわけですから、いずれどこかで無理が生じます

 一時期の町山智浩は、頻りに「恋愛論」を語っていました。あれだけ『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等で自ら何度も「若い頃はモテなかった!モテなかった!」と書いていたのに「今さら正気か?」と私は感じたものです。それでも町山智浩は、自分に都合が良いように捏造/美化した記憶を語って流布させることで「過去を上書き改変すること」が出来ると考えていたのでしょう。

 しかし、某地方映画関係者などから情報漏れ出した途端、町山智浩は「恋愛論」を語るのを止めたようです。おそらく、自分実像を知る人間から情報暴露をされたら、薄っぺらい「恋愛論」による目眩ましなど一溜まりもないことを理解たからだと考えられます

 例の騒動の時には「女性から教えてもらったことを、その女性に教えようとする『マンスプレイニング』の気質の持ち主である」ことをも示唆されていましたが、このマンスプレイニング気質も、根本に「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」という気持ちが有ることの顕れだと思います

 この「女性(を含めた他者)との『対等な関係』を構築することができないのではないか?」という疑いは、高橋ヨシキてらさわホークについても同様に向けることができます

 現在高橋ヨシキてらさわホークは、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家ヒップホップミュージシャン等とばかりつるんで配信に勤しんだり、あるいは、自分たちよりも知識が乏しい人間が集う『共感シアター』など「上から安心してマンスプレイニングすることができる場」に閉じ籠もってばかりいますが、これは何故でしょうか?

 私はこれも、結局は彼らが「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」ことの顕れだと推測しています

 対等な関係に堪えられないから、自分理解できないコンテンツ/ジャンル自分女性パートナーが楽しむ姿に我慢ならず、その価値観否定したり、馬鹿呼ばわりしたりするのです。

 そんな高橋ヨシキ著作悪魔が憐れむ歌――暗黒映画入門』が、ちくま文庫から目出度く再刊されました。同書に田野辺尚人が寄せた解説を読むと、高橋ヨシキは「魂の自由を重んじている人間」とのことです。

 そんな「魂の自由を重んじている」人間が、自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上したところを見ると、高橋ヨシキは「女性には魂が無い。したがって、女性の魂には自由が無い」と考えていると見ても、さほど間違いではなさそうです。

 よかったら皆さんも一度、高橋ヨシキの本を読んでみて下さい。

 長くなったので、とりあえず今回はここまでにします。

 ヘイル・サタン

2021-04-03

anond:20210403125900

 高橋ヨシキてらさわホークの共著には「差別的言動咎められた人間が『表現の自由』とか『昔は批判されなかった』と言うのは『昔は自由差別ができて良かった』『差別する自由が欲しい』といいたいから」と書いていますよ。

 同じ本には「Me Too運動による過去の悪行の告発に『行き過ぎ』は無い」とも書いていますね。

 貴方批判しないのですか?

anond:20210403125900

(1) まず、一点確認しますが、貴方は私の書いた「キャンセルカルチャーであるという批判への反論文」を読みましたかYESかNOで答えて下さい。

(2) 「キャンセルカルチャー蔓延を怖れる」「議論が萎縮しないか心配だ」と本気でお考えならば、私の書いた投稿をろくに読まず、前提も理解しないままに頓珍漢なことを書くのを、いい加減に改めたらいかがですか?

(3) まるで私が「議論しない人間であるかのように貴方は言いますが「議論しない人間」とは、私のことではなく、批判の声を黙殺し、口を噤んだまま逃げ回っている町山智浩高橋ヨシキらの方です。

 貴方が「批判議論をすれば良い」と言うならば、私に対してではなく、町山智浩高橋ヨシキらに対して「疑惑批判から逃げ回ることを止めて、自らの口で説明をして、議論を始めて下さい」と言えばいいじゃないですか?「言論人として、批判に向き合え」と。

(4) 読めますか?「げんろんじん」として、と私は、何度も、書いていますが?なぜ、貴方は、私が、書いたことを、読まないまま頓珍漢なことを書き続けるのですか?

(5) 「自分の好きな作品が燃やされるかもしれない」のが怖いですか?

 「自分たちが気に食わない作品を燃やそうとしている/していた人間」は、私ではなく、高橋ヨシキてらさわホークですよ?「公共の場から萌えイラスト』を排除したい」と彼奴らが言った時、貴方はいったい何をしていたのですか?どうせ「あの人たちは問題発言を売りにしている人たち『だから』」と、批判もせずに傍観者でいたのでしょう。今の貴方を見れば想像がつきます

(6) そのくせ、今になって「自分の好きな作品が燃やされるかもしれない」と言い出して『被害者しぐさ』ですか?恥ずかしくないのですか?

(7) 町山智浩高橋ヨシキらが自分たちの方で「説明」や「議論」の場から逃げているのに、貴方は『ずっと』私に対してだけ「議論が萎縮する」と言い続けるのですか?差別的発言セクハラパワハラ疑惑被害者を置き去りにしたままで?

(7) それで、貴方自身の行動は、差別セクハラパワハラを無くすことに、どのように寄与するとお考えですか?

(8) 貴方は「私が貴方の考えを決めつけた」と書きましたが、決めつけをしたのは貴方自身でしょう。私が投稿する目的は「個人的な溜飲を下げる」のが目的であると匂わせる書き方をして。自分したことも覚えていないのですか?

(9) 「影響力が小さいから」とか「他にもやっている人間もいるのに」とか言うことが、差別セクハラパワハラを無くすことに、どのようにして寄与するとお考えですか?

雑誌映画秘宝』の記憶(37)【※追記有り】

リーが伸びたら読まない人もいるので、投稿番号(31)で「興味がある論法」「なぜ『映画秘宝』ばかり批判するのか論法」「『映画秘宝』や町山智浩らに影響力は無い論法」を言い出した人に対する返答を、ここに転載します。【※2021/04/10さら追記島田紳助一派の悪行を告発した女性に対して「なぜ今ごろになって言い出すのか、その動機の方が気になる」と言う人間たちがいますが、ここでの「貴方」も同類だと私は思います

=以下、転載

貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。

【私】それは、差別的言動セクハラパワハラ的な言動被害者存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的言動セクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています

貴方】端的に言えば、はてな匿名ダイアリー町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者過去発言をあげつらうことが、どのように差別セクハラの解消に寄与するのかということです。

【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言セクハラ事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています問題解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。

追記ここから

「あげつらう」という表現を用いていることからも、この人物が、表面的には差別発言セクハラパワハラ被害者のことを考えているように装いながら、本心では加害者の側に立っていることは明白です。

これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?

追記ここまで=

貴方】町山氏の差別体質が現在進行形問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)

【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?

貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?

【私】おそらく貴方は、他の社会問題批判俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。

貴方キャンセルカルチャーコールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。

【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。

貴方差別ハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います

しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?

現実には差別ハラスメント糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう

【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩高橋ヨシキが、自分たち自身同性愛差別セクハラパワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?

貴方】私に「差別セクハラ被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。

【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。

貴方現実に「差別セクハラ被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います

【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実貴方身の回りで起きた差別セクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?

もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。

貴方】ですからはてな匿名ダイアリー告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。

【私】恫喝DM攻撃個人情報漏洩をするような人間集団批判するならば、批判手段匿名化せざるを得ませんね。

貴方最初に述べたように、どのように差別セクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。

【私】上で述べたように、問題解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。

貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります

差別発言セクハラ発言問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田告発説得力を持つのではないか愚考するものです。

【私】たぶん貴方は、戦前戦時中日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺アジア地域への侵出、南京虐殺従軍慰安婦問題戦時暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。

 「大した影響力が無い」という馬鹿言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小零細企業で発生したパワハラセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないか世間への影響は小さい」とか言うんですか?

貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別ハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。

【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして個人特定」を試みようとしているのでしょうか?

貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、

私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。

少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品プライベート距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。

しかし、差別ハラスメント問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています

もちろん、こんな表現けしからん批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人自由ではないですか。

【私】個人自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別セクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分もやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います

貴方】町山の本は差別的表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。

【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。

感想:やっぱり「釣り」でしょうね。

anond:20210402120556

面倒臭いですが回答します。※追記あり

貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。

【私】それは、差別的言動セクハラパワハラ的な言動被害者存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的言動セクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています

貴方】端的に言えば、はてな匿名ダイアリー町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者過去発言をあげつらうことが、どのように差別セクハラの解消に寄与するのかということです。

【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言セクハラ事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています問題解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。

――追記ここから―――

「あげつらう」という表現を用いていることからも、表面的には差別発言セクハラパワハラ被害者のことを考えているように装いながら、貴方本心では加害者の側に立っていることは明白です。

これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?恥を知れとはこのことですね。

―――追記ここまで―――

貴方】町山氏の差別体質が現在進行形問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)

【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?

貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?

【私】おそらく貴方は、他の社会問題批判俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。

貴方キャンセルカルチャーコールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。

【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。

貴方差別ハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います

しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?

現実には差別ハラスメント糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう

【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩高橋ヨシキが、自分たち自身同性愛差別セクハラパワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?

貴方】私に「差別セクハラ被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。

【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。

貴方現実に「差別セクハラ被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います

【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実貴方身の回りで起きた差別セクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?

もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。

貴方】ですからはてな匿名ダイアリー告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。

【私】恫喝DM攻撃個人情報漏洩をするような人間集団批判するならば、批判手段匿名化せざるを得ませんね。

貴方最初に述べたように、どのように差別セクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。

【私】上で述べたように、問題解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。

貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります

差別発言セクハラ発言問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田告発説得力を持つのではないか愚考するものです。

【私】たぶん貴方は、戦前戦時中日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺アジア地域への侵出、南京虐殺従軍慰安婦問題戦時暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。

 「大した影響力が無い」という馬鹿言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小零細企業で発生したパワハラセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないか世間への影響は小さい」とか言うんですか?

貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別ハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。

【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして個人特定」を試みようとしているのでしょうか?

貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、

私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。

少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品プライベート距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。

しかし、差別ハラスメント問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています

もちろん、こんな表現けしからん批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人自由ではないですか。

【私】個人自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別セクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分もやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います

貴方】町山の本は差別的表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。

【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。

感想:やっぱり「釣り」でしょうね。

2021-04-01

雑誌映画秘宝』の記憶(35)【※訂正あり】

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.11)

 性犯罪被害者に対する二次加害発言です。(過去投稿と重複しますが、未読の方への周知を図るために再度ここで引用します。)

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者:発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p113]

【※】カンヌグランプリロマン・ポランスキー監督作品戦場のピアニスト』もアカデミー賞の授与は無理だろうと云う話題から。(※訂正:songsfordrellaさんのご指摘のとおり、最初投稿では『海の上のピアニスト』と誤記していました。お恥ずかしい。お詫びすると共に訂正いたします。)

 町山:ロマン・ポランスキー十三歳の少女との淫行事件でやっぱり授賞式には来れないの?

 柳下保釈中に海外逃亡だから自動的逮捕されちゃうんですよ。逃亡期間中時効も停止してるし。

 町山:でも、ポランスキー少女レイプしたわけじゃないし。

 柳下合意のうえなのに相手未成年だったか強姦扱い。そもそもあの娘は札付きだったしね。

 町山:ポランスキー、ハメられたな。ハマったというか(笑)

 柳下ロブ・ロウと3Pして隠し撮りしたビデオを売った少女とか、みんなもういい年だと思うけど、何してるのかな?全員集めて同窓会やってほしいな。

 町山:この手の地雷女はいろんなところに隠れてるからな。あ、この場合地雷少女か。

 柳下地雷少女オタクアニメヒロインみたいッスね(笑)

【※】「(笑)」をまじえながら被害者を「札付き」、「地雷女」呼ばわりしています

【※】投稿(30)の引用で、過去性犯罪被害を訴え出た水沢アキ荻野目慶子のことを嘲笑バッシングしていた時と同じ「性犯罪被害を訴える人間厄介者扱いする」と云う町山智浩柳下毅一郎思考が、ここでも認められます

【※】「男尊女卑思想」の持ち主でなければ、このような非人道的発言は出ないと思います。要するに、町山智浩らは森喜朗佐々木宏同類であり、性犯罪被害を訴える女性町山智浩らにとって「弁えていない厄介者」なのです。

(初出『映画秘宝』03年vol.41)

感想

 この「そもそも被害者の方にも問題が有った」論法は、恫喝DM事件が発覚してから映画秘宝』関係者町山智浩高橋ヨシキの信奉者が用いていた―――と言うか、今でもネット上で被害者バッシングし続けている―――手法です。彼らの思考は変化していないことが分かります

 町山智浩らの女性蔑視的な言動は、決して『済んだ過去の話』ではなく『現在も続いている話』なのです。

この投稿は以上です。アーメン

追記】2021/04/01の午前十一時〜十二時ごろ5ちゃんねる上に「はてな匿名ダイアリーの新作が投稿された」と書き込みがされたようですが、その投稿は私ではありません。既に件の投稿はてな匿名ダイアリーから削除されたようですが、一応お断りしておきます

追記その2】以前の投稿に対して、なんJっぽい言葉かいで絡んで来た人間がいました。それと同一人物か否かは不明ですが、現在匿名掲示板ちゃんねるの『映画秘宝』関連スレでは、私の「―――」を使う文体を真似して書き込みを行う人間がいるようです。瑣末な話ですが、5ちゃんねるに私は一切の書き込みをしていないこともお断りしておきます

雑誌映画秘宝』の記憶(34)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.10)

元『映画秘宝編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらうために、引き続き頑張ります。出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p108]

【※】シャーリーズ・セロン主演『モンスター』の話題から

 町山:林真須美特殊メイク藤原紀香やらせるようなムダ。ていうか、美人がブスまで演じるのって独占禁止法違反じゃん!

 柳下美人はブスになれるけど、その逆は無理だもんね。

[p111]

【※】アカデミー賞獲得工作話題

 町山:これでわかるように、アカデミー賞なんて根回しと調整の副産物であって、公正で厳密なコンテストでもなんでもないんだ。くだらねえ。

 柳下ミラマックス社長ハーヴェイ・ワインスタイン必死から。98年に『恋に落ちたシェイクスピア』で大金投じて接待やら何やら大々的な票稼ぎして強引に作品賞奪取してさ、あれから恥も外聞もないオスカー戦略が始まった。

 町山:『恋に落ちた〜』こそブッシュ大統領当選匹敵するインチキ作品賞だった。その後の映画史に何の影響も与えていない。

【※】その「くだらない」イベント解説で小銭を稼いでいるのが町山智浩です。

【※】そのハーヴェイ・ワインスタインと昵懇の仲だったのがクェンティン・タランティーノで、そのタランティーノを「オレらの仲間」扱いしていたのが『映画秘宝』です。

【※】そして、タランティーノが「演技指導」の名目ダリル・ハンナハードコアポルノを見せると云うセクハラ行為をした話を、タランティーノから聞かされて一緒に笑っていたのが町山智浩です。

【※】「ワインスタイン-タランティーノ-町山智浩映画秘宝関係者」と云うセクハラ人脈の系譜

(初出『映画秘宝』03年vol.41)

感想】ここで『恋に落ちた〜』の評価に関して町山・柳下が話していることは、高橋ヨシキてらさわホークの共著で模倣されていて、本当に「センパイの真似」が好きなんだなと改めて思いましたね。

この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-03-31

雑誌映画秘宝』の記憶(33)

【「これはキャンセルカルチャーなのか?」について】

 鷲と獅子合成獣の人に、まとめの手間を取らせてしまって申し訳ありませんが、まだまだ投稿は終えられそうにありません。

 これまで私がはてな匿名ダイアリー投稿した一連の文章において、過去町山智浩高橋ヨシキらが残した「差別的/セクハラ的な言動」を批判していることに対して、他のhatenaユーザーの方からキャンセルカルチャー典型である」と見なす声を頂戴しました。

 そこで今回の投稿では、これについて返答したいと思います

 結論から先に言いますが、私自身は「これはキャンセルカルチャーではない」と考えています

 そのように答える訳を、以下で述べます

 端的に言えば、町山智浩らが自分たち思想/意見/姿勢の「変化」―――或いは、もしも変化していないのであれば「変化していないこと」―――について、明確に自分の口/筆を用いて『説明』をすれば済むだけの話です。何故ならば、町山智浩らは「言論人」なのですから

 仮に町山智浩らが説明をするとすれば、様々な選択肢があり得ます。「元々の自分たち差別的人間である。したがって、これからも変わらず自分たちは、差別発言セクハラも続けていくつもりだ。文句あるか」、「著作物に記録された自分たち過去言動は、差別セクハラにはあたらない。したがって批判を受ける謂れは無い」、「過去自分たち著作には、明らかな差別発言セクハラも含まれる。けれども、それを補って余りある価値が、これらの著作物には有る。その価値とは斯く斯く然々のものである」、「昔の自分たちは、確かに差別的だった。けれども、いついつ頃、斯く斯く然々の経緯があって、反省して自分を改めた。同じ過ちを繰り返さないように、斯く斯く然々のことに気をつける。また、当時の発言で傷つけた人たちに対しても、斯く斯く然々と謝罪する」等々。

 どのような説明を採択するのか、それとも説明放棄して頬被りを決め込むのか、それは町山智浩高橋ヨシキ自身選択であって、それによって他者から納得を得られるのか、新たな批判を招くのか、それも彼らの責任と言えるでしょう。

 現代の我々が入手・閲覧することができるような、過去の何者かによって執筆された様々な書籍出版物の中には、執筆された時代社会的趨勢の影響から逃れ得ず―――したがって、不可避的に―――、今日の我々の目から見れば「差別的表現」と捉えられかねない箇所を含むものが少なからず有ります。それらの書籍出版物が、そういった部分を含むのにも関わらず、何らかの現代的な価値を見出されて現在出版継続されているのは何故でしょうか?

 それは、これらの書籍出版物が、現代人の目や考えに基づく批判プロセスから『逃げずに』それを引き受けると云う洗礼を経ているからです。決して、現代である我々が「批判の手を控えている」から、これらの出版継続されているという訳ではありません。

 もちろん、執筆者が既に故人となってしまって本人が執筆意図などを説明することが叶わない、つまり『逃げようが無い』と云う書籍出版物存在します。しかし、それらについても結局は、執筆者が込めた意図を見抜いたり、或いは、執筆自身執筆の時点では思いも寄らなかった現代的な意義を見出したりする人間たちが存在し、これらの人間執筆者の代理人となって書籍出版物価値や意義の「説明」を行うことで、やはり批判プロセスを経ているのです。

 これに引き換え、町山智浩高橋ヨシキらは存命なのですから自分たち著作物の意義や価値について「説明」することは、弁明の機会も与えてもらえない故人となった執筆者に比べれば、遥かに容易であり、恵まれ境遇にあると言っても過言ではないと私は考えます

 であるならば、はてな匿名ダイアリーに私が投稿することを「キャンセルカルチャーだ」と評して喰い止めようとするよりも、むしろ町山智浩らに対して「沈黙を止めよ。批判から逃げずに説明せよ」と言うべきなのです。

 それとも、私の投稿を止めようと試みる人たちは「町山智浩高橋ヨシキには『説明』の能力が無いのだから批判するのはカワイソウだ」とでも言いたいのでしょうか?しかし、それでは余りにも町山智浩高橋ヨシキらを馬鹿にし過ぎではありませんか?

 なお、2020年出版された高橋ヨシキてらさわホークの共著には「Me Too運動による『過去の悪行』を追求する動きに『行き過ぎ』は無い」「臭いものに蓋をするのは良くない」「被害者しぐさをするのは良くない」と云う主旨の、素晴らしい言葉が記してあります。皆さんも買って読んでみて下さい。

 高橋ヨシキてらさわホークには、是非とも言行一致を求めたいものです。くれぐれも「世間の厳しいバッシングに曝される、カワイソウなオレたち」などといった『被害者しぐさ』に逃げるのだけは、絶対に止めて欲しいものです。

 もしも、言論人としての矜持も持たず、自力での説明も無しで、なし崩し的に「暴言セクハラ差別を行うのが大好きな人間」から社会不正義や不公正と戦う正義人間」へと変節することを、町山智浩高橋ヨシキらが画策するのであれば、これを座視するべきではないと私は考えます

 喩えて言えば、ナチス戦犯たちが、戦時中の罪を償わないまま、顔や名前を変えて戦後の追求を逃れて名士に成り上がろうとしているのに似ています

 また、元・女性パートナー発言奈良さんが被害者となったパワハラ事件などを見れば「かなり昔の話」ではなく「比較最近現在の話」として、彼らは女性立場が弱い人間に対して威圧的な態度を取り、抑圧者となっている疑惑も有ります

 これを喩えて言えば、カトリック司祭説教壇の上で立派な説教をしながら、裏では平信徒女性児童に対して性的強要搾取をしているのに似ています

 貴方ならば、それを黙って見逃しますか?

 過去の行いにしても最近の話にしてもそれらを「反省」して「償う」と云うプロセスを経ずして、町山智浩高橋ヨシキらが「良い人」を偽装することを、見逃したり許したりするつもりは私には有りません。

 結論を言えば、私の行動は「キャンセルカルチャー」ではなく「発掘」なのであって、あまり人に知られずに埋もれていた町山智浩高橋ヨシキらの蛮行を「表から消し去る」ことではなく「世間に知らしめて人々の記憶と記録に残す」ことが目的なのです。

 これで「私の投稿は、キャンセルカルチャーではない」ということを理解していただければ幸いです。ただし、評価については読まれた方にお任せします。

 この投稿は、以上です。アーメン

2021-03-29

雑誌映画秘宝』の記憶(32)

 高橋ヨシキの元・妻の一人とされる女性SNS上で「離婚してよかった」と明言していること、そして現在彼女は、諸々のアニメ作品の視聴を「心置き無く」楽しんでいることを知りました。

 件の女性が―――別に私の知り合いでも何でもない赤の他人ですが―――、誰に気兼ねすることも無く趣味コンテンツを楽しめるようになったことは、とても良いことだと思います

 例えば貴方が、小説なり漫画なり映画なり音楽なり、何らかの創作物コンテンツを鑑賞して楽しんでいるとします。そんな時に、もしも貴方パートナーが横からアニメなんてものには何の価値も無い。そんなもの好きな人間は馬鹿だ」「女は馬鹿だ。アニメ好きの男はもっと馬鹿だ」「女には『ユー・ガッタ・メール』でも見せておけばよい」などと偉そうに口出しして、価値観を全否定する説教―――所謂マンスプレイニング―――をかまして来たとしたら、貴方ならばどう思いますか?

 パートナー趣味に対して余計な口出しや説教をしたり、ましてや価値観を頭ごなしに否定したりする人は、何故そんなことをしても自分は許されるのだと勘違いするのでしょうか?

 もしも「切り株映画なんて何の価値も無い。そんなものを楽しむ人間馬鹿だ」と他の誰かに言われたら、自分ならばどう思うのかと、想像力を働かせたりはしないのでしょうか?根本的に、高橋ヨシキは「女性に対して甘えている」のではないかと、私には思えます。そう考えれば、高橋ヨシキ森喜朗によく似ているとも思います

 最近明かされたロマン優光氏による証言によれば、ロマン氏の友人に対しても高橋ヨシキは「威圧的/パワハラ的な言動」を取っていたとのことです。おそらく、この情報氷山の一角に過ぎないでしょう。まだまだ今後も、高橋ヨシキに関する同種の話が出てくる可能性があります

 これまでに出た話で、高橋ヨシキ強気の態度に出た相手は、いずれも「(高橋ヨシキの目から見て)強そうな人間『ではない』」と云うことを記憶しておいて下さい。今後出てくるであろう話の被害者も、きっとおそらく「強そうではない人間」であろうと予想されるからです。

 そもそも映画秘宝』周辺から漏れ聞こえる高橋ヨシキに関する話は―――高橋に対して好意的/肯定的な話ですらも―――、町山智浩柳下毅一郎などの上の人間から「ヨシキくん」と呼ばれているか下の人から「ヨシキさん」と呼ばれているか、つまり上下関係」が前提となっているものばかりです。対等な人間関係の話題は、ほとんど見られないのです。

 私は、これらの高橋ヨシキに関する情報に接するうちに、はてなブックマークで時々話題に上る「『自分弱者男性だ!』と声高に主張し、己の鬱憤の捌け口として『女性/性的マイノリティ/異文化に属する人間etc.』を標的に選んだ上で、攻撃的な問題行動を取る一部の男性」の存在を思い浮かべるようになりました。

 そして、次のような「仮説」を考えました。

 【仮説ここから

 ひょっとしたら高橋ヨシキ自身が、親兄弟教師、先輩、学友など『高橋自身は逆らえない人間から、同じような仕打ちを受けた屈辱的な経験―――自分趣味嘲笑され、価値観を否定された経験―――を持つのではないか

 高橋ヨシキは、実際に自分に酷い仕打ちをした人間たちに対しては、復讐をすることが叶わなかったのではないか

 その「晴らせなかった屈辱」に対する代償行為として、自分よりも非力な―――と高橋ヨシキが見なした―――女性パートナーに対して、彼女趣味嘲笑ったり否定すると云う行為に及んだのではないか

 町山智浩の寵愛も得て『映画秘宝』の内部に「切り株作品の愛好者」の派閥形成することも出来たので、自分たちに歯向かって来ることが無さそうな―――Jocksとは正反対と思える―――アニメオタクを攻撃の標的に選ぶことで高橋ヨシキも「攻撃する側の人間」に成ることが可能となり、それによって若き日の「晴らせなかった屈辱」に対する代償行為としていたのではないか

 【仮説ここまで】

 まあ、単なる仮説に過ぎません。しかし、古株の『映画秘宝』読者ならば、この私の仮説を聞いても「突拍子も無い想像」とも感じないのではないでしょうか?

 マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』で取り上げられたコロンバイン高校銃乱射事件話題や、アメリカ映画の中で度々描き出される「スクールカースト」の話題に触れる度に、高橋ヨシキらが中核メンバーであった旧体制映画秘宝』が繰り返し「Jocksどもに対する怨念憎悪」を剥き出しにしていたことは、古株の読者にとっては周知の事実です。コロンバイン高校銃乱射事件現場に行った彼らが、笑顔記念写真を撮ったと云う話もありますね。

 さて、その上で質問しますが、そんな彼らが「現実に彼らを苦しめたり嫌な思いをさせたであろう、当のJocksなど『強者男性』に対して、果敢にリベンジを挑んだ」と云う話を聞いたことがある人はいますか?そんな人いないでしょう。

 既に我々は知っています旧体制映画秘宝』の中核メンバーは「彼らの目から見て『弱そう/反撃をしてこなさそう』に見える相手だけを選んで、ヤンチャに振る舞って見せる」と云う事実を。おそらく、高橋ヨシキからパワハラ被害を受けたとされるロマン優光氏の友人も、高橋の目から見て弱そうに見えたであろうことは、我々にも容易に想像ができます

 先に私は「『弱者男性』を自称して、女性/性的マイノリティetc.を標的に選んだ上で、攻撃的な態度を取る一部の男性」について触れました。彼らもまた「現実体育会系/ウェーイ系強者男性」に対しては、攻撃的な態度を取ることはしない/できない傾向にあります。それと同じことです。

 要するに、旧体制映画秘宝』は、本物のJocksなどの『強者男性』に対しては復讐を挑む勇気を持てないので、その鬱憤アニメオタク叩きに勤しむことで紛らわしていた、只それだけに過ぎないのです。

 町山智浩の機嫌を取るために女性パートナーの肉体を献上するような人間が、本物のJocksに対してリベンジマッチを仕掛けるような気概を持ち合わせている訳がありませんので、皆さんも納得されることでしょう。

 冒頭で触れた、高橋ヨシキの元・妻の一人とされる女性が、屈託なくアニメ作品を楽しんでいることには既に触れました。そのことを知った時の私は―――事実関係に関しては知る由も有りませんが―――「何だか精神DVから解放された人を見ているようだ」と思ってしまいました。

 しかし、この女性は次のようにも述べています

 「映画が好き『でした』」と。過去形で。

 いったい何が、彼女映画に対する感情を「過去形」に変えてしまったのでしょうか?

 恫喝DM事件が発覚する直前まで、旧体制映画秘宝』は誌面で「『劇場版鬼滅の刃』は絶対に観ない!」とアピールをしていました。しかし、件の女性が楽しんでいるアニメコンテンツに『鬼滅の刃』が含まれていると知ってしまった後では、この「観ない!」アピールも、既に袂を分かって別の―人生を歩んでいる元パートナーに対して「幼稚な嫌がらせ」をしているように思えます

 もしもそうだとしたら、この女性はまだ「解放」されていないのかもしれない。そして、解放されていないからこそ、解放されるために「映画が好き『でした』」と過去形で記したのかもしれません。

雑誌映画秘宝』の記憶(31)【※FAQ

【Q_01】

 この増田は何がしたいのか?

【A_01】

 旧体制映画秘宝』の中核メンバーであった町山智浩高橋ヨシキら、それに加えて、彼らの影響を強く受けていると推察される秋山直斗(またはナオト、元『映画秘宝編集部員)が流布した、町山らにとって都合が良い「美化された旧体制映画秘宝』像」の誤りを指摘することを主な目的とする。

 すなわち端的に言えば、恫喝DM事件が発覚した直後に当時の編集部員の一人であった秋山直斗(ナオト)が発信した「『映画秘宝』は社会不正義や不公正と戦う雑誌」という自画像は、全くの『虚偽』であるということを示すためである

【Q_02】

 増田が二十年近く前の書籍から町山智浩らの昔の言動」を持ち出して、現在価値観批判するのはアンフェアではないか

【A_02】

(1) 最初に「記憶」を元にして投稿を開始したことから「出典や実際の文章を示せ」という批判を一部のブックマーカーから頂戴した。これには一理あると考えたこから現物が手元にあるのを発見した『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判1・2』から引用に着手した。

(2) 関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺戦前日本によるアジア地域への侵出・支配従軍慰安婦問題戦時暴力犯罪など、あるいは日本以外の国や民族、はたまた国家以外の人間集団も含めて「昔の人間」が犯した『過ち』が批判される際に、それへの反論として「当時の価値観事情があるのだから現代人の感覚批判したり裁いたりするべきではない」という主張が為されることがある。しかし、少なくとも私個人は、この『反論』には与しない。

(3) 従って、同様の論理を援用した「増田引用する町山智浩らの言動は『過去』のことだから現在価値観批判するのはおかしい」と云う擁護にも、私は与しない。

(4) これまでに町山智浩自身日本米国欧州等々の国々・人々が「過去に行った行為特に『過ち』とされるもの」を、言論人として批判してきた。そうである以上、町山らもまた言論であることのケジメとして、過去自分たち言動に関する批判俎上からは逃れさせるべきではないと、私は考える。

(5) 二十世紀前半という昔の話ですら―――いや、それよりも更に昔の話ですら―――、批判反省必要であるならば、それを我々は躊躇うべきではない。そうであるならば、高々「約二十年前」という『ごく最近』の話を「昔の話」として、簡単に片付けるべきではないと私は考える。

(6) 事の軽重は異なるが、ハーヴェイ・ワインスタインの起こした一連の事件が明るみに出た時には「『昔』のことだから現在価値観批判したり裁いたりするべきではない」と町山智浩らも言わなかったはずである

(7) もしも現在町山智浩らが「現在自分たちは、人権尊重し、女性/同性愛者/異なる文化に属する人間等に対する差別には断固反対する」「現在自分たちは、性的強要搾取セクハラパワハライジメに対して反対するし、それらの行為を行わないし、看過もしない」と主張し、かつ、その主張が虚偽ではないとするならば、町山智浩らは言論人として、下に示すような数々の疑問に対しても明確な返答を示すべき『義務』が有るものと私は考える。すなわち:

―――まず、旧体制映画秘宝』内部で、女性蔑視や同性愛差別の風潮が蔓延っていたことを認めるか?

―――その旧体制映画秘宝』における女性蔑視や同性愛差別の風潮に関して、自分たちには責任が有ると思うか?無いと思うか?

―――自分たちのことを、女性同性愛者への差別意識を持つ人間だ(った)と思うか?

―――自分たちの考えを「反省」するなり「改める」なりしたのか?そうだとすれば、それは、いつ頃、どのようにして為されたのか?

―――少なくとも、『サウスパーク』のトレイパーカーとマット・ストーンが手掛けた映画チーム・アメリカ』が公開された当時は、高橋ヨシキらは「現在(=公開当時)のアメリカに広がる『ポリコレ的な趨勢』に対して『クソくらえ!』という姿勢を見せている」として「肯定的」に評価して「反・ポリコレ姿勢」をこそ称賛していたはずである。この過去は、無かったことにしているのか?覚えていないだけなのか?

―――仮に、考えを既に改めたものとして、現在自分たちの目から見て、過去自分たち言動をどのように評価するのか?

―――差別表現に満ち溢れた『サウスパーク』や『チーム・アメリカ』等の「過去自分たち肯定的評価していた作品群」に対して、現在町山智浩らによる評価はどうなっているのか?

―――過去自分たち暴言を吐いたり、差別したりした相手に対して、謝罪するつもりは有るのか?

―――死んで欲しい奴ベストテン等の誌上で実施した煽動企画によって「作品の結末や出来ばえに不満を抱いた観客が、監督脚本家役者等に対して『度を越した激しい怒りや憎悪』をぶつけるという、世間の悪しき風潮」を作ることに、自分たちも加担した責任が有ると思うか?無いと思うか?

―――過去の誌面において、非・都市部居住者、非・富裕層高等教育の機会に恵まれなかった人間等に対して行ってきた、自分たち差別的な言動(例:○○県では残酷殺人事件が起きているから○○県民野蛮人!と言い立てる。切り株映画ファンは悪いことをしないが、アニメオタク犯罪者予備軍である!だからお上通報しよう!etc.)を、現在自分たちの目から見てどう思うか?

―――高橋ヨシキ女性パートナーの肉体を町山智浩に献上した事件を、町山智浩高橋ヨシキ自身、あるいは柳下毅一郎てらさわホークら周囲の人間は、どのように評価しているのか?これは、謝罪批判が求められるような「悪いこと」だと考えているのか?それとも、謝罪も弁明も必要の無いような「取るに足りないこと」だと考えているのか?

―――自分たち過去の「女性蔑視的な言動」は、前『映画秘宝編集長岩田和明が恫喝DM事件を起こすのにも影響を与えたと思うか?

―――新体制映画秘宝から町山智浩らが排除された後でも、恫喝DM事件被害者へのバッシングが相変わらず続いている。2021/03/28に、はてな匿名ダイアリーにも「被害者を殴りたい」と書いた投稿が為されていた。恫喝DM事件の発覚直後に発信していた「被害者へのバッシングを止めろ」という注意は、今でも継続して行われるべきなのに、今は何故それをしないのか?本当は心の中で「被害者が悪い」と考えているからではないのか?町山智浩高橋ヨシキの「被害者に寄り添う姿勢」や「再発防止の姿勢」は、見かけだけのポーズに過ぎないのではないのか?

etc.

【Q_03】

 ファビュラス・バーカー・ボーイズは「お笑い芸人」のようなもので、元々「暴言を吐くこと」を目的としているユニットでは?

【A_03】

 これはお笑い芸人がよく用いる典型的な「言い訳」と同じである他人に対して暴言を吐いたお笑い芸人が「いや、自分たちお笑い芸人から」と言う、あの言い訳のことである

 しかし、この「言い訳」は実のところ、全く論理的な回答になってはいない。

 お前たちがお笑い芸人から?『だから』何だ?

 「お前たちがお笑い芸人であること」は、お笑い芸人ではない私(たち)にとって「暴言を吐かれても無条件にそれを受け入れねばならない義務」が生じる理由になり得るのか?例えば、お笑い芸人と、それ以外の人間との間には、何らかの「お笑い芸人自由暴言を吐く権利保証する契約」が締結されているのか?

 お笑い芸人が、自分自身の頭髪の薄さや太り具合など、私生活での不幸などを、自分自身自由意志に基づいて、漫才コントの中でネタとして利用するならば、彼らが「自分たちお笑い芸人から」と言うことにも意味は有るであろう。しかし、お笑い芸人が「自分たち以外の『他人』の性質や不幸をネタにすることを許される」と云うような特別な「権限」を付与されたと云う事実存在しない。

 『他人』に対して暴言を吐いて批判された際に「自分たちお笑い芸人から」という言い訳をするのは、喩えて言うならば『他人』の敷地にある畑から野菜を盗もうとして見つかった人間が「自分は『八百屋』だから」と言い訳するようなものである。「八百屋」だからといって『他人』の畑から野菜を盗む権限が無いのと同様に、「お笑い芸人」だからといって『他人』の尊厳侵害する権限は無い。

【Q_4】

 昔は、お笑い芸人などが暴言を吐いても許されていたのに。

【A_04】

 上記のA_03で述べたとおり「許されていた」と云う事実は無い。

 お笑い芸人暴言も同じであるが、昔でもそれを批判する人間存在した。しかし昔は、情報の発信と流通手段マスメディアがほぼ独占していたこと、マスメディアにとってお笑い芸人コンテンツとして利益を生んでいたこから批判する声をマスメディア黙殺していたのに過ぎない。

【Q_05】

 恫喝DM事件被害者にも問題が有る/有ったのでは?

【Q_05】

 被害者問題が有る/有ったとは私は思わない。

 恫喝DM攻撃したこと正当化したり、あるいは同情したりできる要素は一切無いと、私は考える。

 そのような物言い二次加害である

 このような「意見」がいまだに出ること、そして町山智浩高橋ヨシキがそれを止めようともしないことは、実は町山智浩高橋ヨシキが同じように考えていて、世論がその意見同調するのを願っているからではないかと私は推測している。

とりあえず以上です。

2021-03-28

雑誌映画秘宝』の記憶(30)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.09)

出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

〈警告!〉レイプ面白おかしく語る箇所、差別発言セクハラ発言などの引用が含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります

引用ここから

[p072]

【※】シャマラン監督作品サイン』の話題宇宙人地球に来た理由が、子供を食べに来たと云う説明について。

 柳下:人食い土人ですか(笑)

(中略)

 町山:もう一つは、本当にタダの人食い土人という説。

 柳下土人がどうやってUFOを?

【※】例によって「土人発言を連発。

(初出『映画秘宝』02年vol.35)

[p077]

【※】「アジア大会北朝鮮応援団喜び組について、韓国で街頭インタビューを受けていた中年男性美女たちに鼻の下を伸ばしていた」と云う話題から

 柳下:男なんてそんなもんですよ。だって大韓航空機爆破した金賢姫だって求婚者が殺到したんだから

 町山:美人だと何百人殺しても許されるのに、林真理子だと息してるだけで死刑になるとはな。

【※】ルッキズムに基づく暴言

[p082-083]

【※】リチャード・ギア主演の怪作『プロフェシー』の話題から重要な話が転がり出ます

 町山:オレさ、生まれてこの方一度も女にモテたことがなかったんだ。

 柳下:そうでしょうね(笑)

 町山:ところが、今のカミさんはいきなりあっちから転がり込んできたんだ。

 柳下ラムちゃんみたいに(笑)

 町山:いや、マジで。けっこう可愛かったんだよ。サンスポ記者時代南野陽子の『追いかけたいの』ってトレンディドラマモデルになったくらいで。それに内田裕也とか安原顕に言い寄られてたりして。

 柳下:どうでもいいけど、凄いメンツですね(笑)

 町山:内田裕也場合は、マネージャーから新幹線チケット渡されて、「裕也さんが京都ホテルで待ってます」って誘われて、「どうしよう」ってオレに聞くから、「行ってこい!そしたらオレは裕也さんとロックンロール兄弟だ!」って言ったら怒られた。

【※】この話は―――真偽はさておき―――単なる馬鹿な話にとどまらない「町山智浩高橋ヨシキが中核となっていた当時の『映画秘宝』内部の病理」を読み解く上で、重要な手掛かりです。

これまでにも言及した「高橋ヨシキ自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上した」と云う話を思い出してみて下さい。

私の推測ですが、高橋ヨシキ町山智浩から、この「自分(=町山智浩)の妻に『他の男性に肉体を差し出せ』と命じたエピソード」を聞かされて、それを真似したのではないでしょうか?おそらく、町山智浩の行動を模倣すれば「町山イズムの継承者」と認められて、町山のお気に入りになることが出来ると、高橋ヨシキはそう考えたのでしょう。

いい歳した中高年男性が、悪ぶって破天荒っぽく振る舞っているだけでも呆れますが、それすらもオリジナリティー皆無の「単なる猿真似なのだと思うと余計に呆れます中高生ヤンキーと同レベルであり、しばしば彼らが自称する「大人の男」であるとは到底思えません。

(初出『映画秘宝』02年vol.36)

[p084-085]

【※】以下は「レイプ面白おかしく語る」と云うとりわけ不謹慎な箇所の引用になります。やや長くなりますし、読まれた方が気分を害される可能性も有りますが、いまだに邦画演劇業界マスメディア業界の内部に残る「女性蔑視」「女性被害者となる事件のことを軽く考える」と云う体質の記録として重要である判断し、ここに紹介します。

 町山:いやあ、水沢アキ、すごいね

 柳下森本レオレイプ処女を奪われたって告白

 町山:機関車トーマスなんて、ちょっとスピード出しすぎただけでトップハムハット卿に怒られるのに。レイプ犯の声を子供に聞かせたくないぞ。

 柳下:あのソフトな語りでレイプってのが意外だよね。

 町山:しかし、水沢アキも難儀な人生だなあ。前の外人ダンナテレビで「奥さんのどこがお好きですか?」って聞かれて、「BODY」って叫んでたし(笑)

 柳下水沢アキジャッキー・チェンとは和姦だったってさ。

 町山:そこにも愛はないな。なにしろジャッキーって巨乳アイドル河合奈保子もつきあってたじゃん。どう考えてもジャッキーの関心はBODYだけだな(笑)

 柳下肉体派スターですから

 町山:しかし、この件でいちばんショックを受けているのは『ファイナルファンタジー』(01年)の坂口博信監督だよね。

 柳下:わはは。水沢アキファンなんだよね。だからファイナルファンタジー』のヒロインはアキっていうんだ。

 町山:要するに、150億円かけて水沢アキへのファンレターを作ったわけでしょ。それで会社まで傾けて、責任とって副社長辞任してさ。

 柳下:彼の壮大なファンタジーも、森本レオレイプ一発でファイナルってやつですか(笑)

 町山:水沢アキの他にも女優告白流行ってるんでしょ?

 柳下荻野目慶子が本人出したんだよね。その中で『いつかギラギラする日』(92年)の撮影中に深作欣二監督にヤられたって書いてある。「マッサージしてくれ」って呼ばれていったら、いつのまにか攻守交代していた(笑)

(中略)

 町山:オギノちゃん、すでにあの時点で不倫監督一人自殺させてるんだからさ。

 柳下しかし、深作監督も期待に違わずやってくれますね。

【※】先ず確実に言えるのは、町山智浩柳下毅一郎には「事件被害者に寄り添う姿勢」は微塵も無いということです。彼らの語り口の端々からレイプ被害なんて大した話ではない」「後になってから被害告発する女は面倒な存在である」と云う思考が見て取れます

【※】『映画FF』の坂口監督についてのくだりは、要するに「憧れの対象である人間が『レイプ被害者であると判明したら、ファンタジーが損なわれる」と言っている訳です。つまりレイプ被害者ケガレと見なす思考と言えます

【※】水沢アキが魅力的な肉体の持ち主であることや、荻野目慶子不倫相手自殺したことを、わざわざ持ち出した町山智浩の『意図』は何でしょうか?

それは、町山智浩が心の中で「男の欲情をそそるような女はレイプ被害にあっても仕方が無い(=誘惑する女が悪い)」「不倫するような女の言うレイプ被害の話なんて、まともに取り合う必要は無い」と考えているからです。

【※】邦画演劇業界に古くから蔓延っていた「権力勾配を利用した性的強要搾取」を、批判するどころか「期待に違わず」と評する町山智浩柳下毅一郎は、深作欣二の「間接的な共犯者」と言えます邦画演劇芸能業界に強く残る「才能が有る人間、業績を残した人間ならば、他人尊厳を踏みにじることが許される」と考える体質は、マスメディア業界にも受け継がれているのです。

【※】上記引用のように面白おかしく語ることは、実際のレイプ被害者被害を訴え出ることを躊躇させることに繋がるので、悪いことだと思います

(初出『映画秘宝』02年vol.37)

感想】読み返していて、胸が悪くなりました。

今回はここまでにします。

2021-03-26

雑誌映画秘宝』の記憶(28)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.07)

元『映画秘宝編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも不正義や不公正と一緒に闘ってもらえるように、引き続き頑張ります。今回から、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)となります発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

 なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります

〈警告!〉差別発言などの引用が含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります

引用ここから

[p022]

【※】『ブラックホーク・ダウン』の話題で『スターシップ・トゥルーパーズ』と比較。これら欧米作品で描かれる「多勢に無勢の戦闘」場面の原点はズール戦争に関する欧州人記憶イメージだとした上で、以下の発言が出てくる。

 町山:南アフリカ侵略したイギリス軍が、原住民ズールー族と戦争になったんだけど、とにかく槍持って押し寄せてくる原住民鉄砲バンバン撃ち殺して、もう英国兵一人あたり百人くらい殺すんだけど、死体の山を乗り越えて、無限に押し寄せてくるの。土人が。

【※】町山智浩は「土人発言も好みます

(初出『映画秘宝』02年vol.29)

[p033]

【※】『ビューティフル・マインド』の主人公モデルとなった経済学者ジョン・ナッシュ話題

 柳下映画でのラッセル・クロウ数学に夢中で女性に興味がなく、そんな彼の純粋さに惚れたジェニファー・コネリーとの純愛物語になってるけど。

 町山:女性に興味がないどころか、男性にも興味があった。

(中略)

 町山:しかも、男性恋人とおおっぴらにキスするのを研究者仲間が多勢目撃している。

(中略)

 町山:キチガイってのは迷惑存在なんだよ。

【※】町山智浩の語り口は、まるで「同性愛は恥ずべき罪である」と言わんばかりです。その上、精神疾患患者迷惑存在と断言します。

(初出『映画秘宝』02年vol.30)

[p037]

【※】『スパイダーマン

 町山:しかし、ピーターってホントイラつくぜ。キルステン(・ダンスト)におどおど「ち、ちょっと、しゃ、写真撮らせて」って頼むときのナヨナヨした声!いつも口元から消えない卑屈な笑い。

(中略)

 町山:うー、ムカつく奴だ!目の前にいたらぶん殴ってやる!あいつ、スパイダーマンになったあともナヨナヨ声は変わらない。「僕はあなたの親愛なる隣人」って言うときも、「ぼ、僕はあなたのしあいなるゆうじんでしゅー」って感じ。

【※】改めて思ったのは「本当は、町山智浩たち自身が、Jocksの一員になりたかった(そして、弱い者イジメを楽しみたかった)のではないか?」と云うことです。

【※】他者に対する攻撃手段として「ナヨナヨした喋り方の物真似をする」と云う手法をとるところが、いかにも「パワハラ常習者」っぽさに溢れているように思いますイジメっ子気質が有る人は、この手法を好むような気がしますね。

【※】そもそも俳優の演技にオーケーを出したのは監督なのだから文句を言うならば監督に言うべきでは?

感想パワハライジメで思い出しましたが『映画秘宝』界隈の一人である中原昌也は、Cornelius小山田圭吾と仲良しです。その小山田圭吾は、高校時代イジメ加害者グループ内部で「いじめの発案者」の役目を担っていたと、悪びれもせずに自らインタビュー面白おかしく語ったことでも有名です。

高橋ヨシキとの共著『嫌オタク流』の中で、中原昌也執拗アニメオタク攻撃していたのも、中原昌也の中に有る「イジメっ子精神」をアニメオタク存在が刺激したからではないでしょうか?

町山智浩中原昌也小山田圭吾…と「類は友を呼ぶ」のかも知れませんね。

今回はここまでにします。ヘイル・サタン

2021-03-24

雑誌映画秘宝』の記憶(24)

現在町山智浩について】

 これまで町山智浩ツイートで展開してきた発言から彼の言い分を要約すると

(1)謝罪を出し、その上で真相を究明するつもりだった。

(2)謝罪と共に引退宣言するつもりだったが止められた。

と言いたいようです。

 それが本当だとすれば―――といっても町山は言うことがコロッと変わることが度々あるのですが―――、町山智浩らが描いていた絵図面は、次のようなものだったのではないでしょうか?

 「町山智浩らは(何が悪かったのかを理解してはいなかったが)取り敢えず謝罪文を発表することで形式的な幕引きを図った。それと共に、外部に向けては引退宣言することで、恰も責任を取って『映画秘宝から離れたかのように見せかけて、逃げようとした。その上で、“真相の究明”を口実にすることで新体制映画秘宝編集部に介入して「院政」を敷くことで支配体制を維持しようとした。」

 しかし、その目論見が上手くいかなかったことが不満なのか、町山智浩新体制となった『映画秘宝編集部に対して「(※庵野秀明の密着ドキュメントを観た感想として)後から入ってきた知らない人たちにそれを横取りされる気持ち、よくわかる。」「やしきたかじんの後妻みたいな人って、けっこういるんだな」等と、攻撃的なツイートを盛んにしています

 町山智浩お気に入りである野辺が働けない分をカバーするために、これまで不安定非正規雇用フリーの条件で働いて頑張ってくれていたのが、他ならぬ現在新体制を担うことになった編集部員たちです。しかし、町山智浩は、その彼らのことを「知らない人たち」「後妻業」呼ばわりし始めたのです。

 パイ投げ暴行事件を起こして日本に居られなくなってアメリカに逃亡した町山智浩に「知らない人たちに横取りされた」とか言う資格がありますかね?

 恫喝DM事件後の対処で混乱を招いたのが、編集長から権限を移して代行できる人間を置くような体制を整えていなかったことが原因だとするならば、その原因を作った(放置した)のは町山智浩らに責任が有るのではないですか?

 恫喝DM事件被害者は、経緯の説明と再発防止を求めています

 再発防止に関して言うならば、先ず「発生の原因」を明らかにすべきです。その原因はと言えば、そもそも岩田和明の中に「女性蔑視」の考え方が有ったからと云うことは明らかです。

 では、そのような女性蔑視の風潮を、旧来の『映画秘宝』内部で育ててきたのは誰かと言えば、それは町山智浩柳下毅一郎高橋ヨシキらを中核とする派閥なのです。それは彼らの過去言動を見れば明らかです。

 であるならば、町山智浩柳下毅一郎高橋ヨシキは「新体制の『映画秘宝から遠ざけられた」とか「袂を分かった」などと四の五の言い訳したりせずに、先ず過去自分たち自身の「女性蔑視」の言動を振り返って「あれは過ちだった」と反省を表明するべきではないでしょうか。それは『映画秘宝』を離れた後でもできることでしょう。しかし、町山らはそれをしようとしないのです。

 

 町山智浩ツイート使用された「後妻業」と云う言葉から推測すれば、現在町山智浩攻撃対象としているのは、おそらく奈良さん等の「新体制映画秘宝』の女性スタッフ」でしょう。

 おそらく町山智浩は、今でも「女性蔑視」の考え方を捨ててはいないのではないでしょう。つまり町山智浩には、再発防止意識が無いことになります

 新体制映画秘宝』と「袂を分かった」高橋ヨシキにしても同じです。旧来の『映画秘宝』内部で女性蔑視の風潮が蔓延る原因を作った人間の一人には、明らかに高橋ヨシキも数えられるはずです。「町山智浩が好きだから」と言って女性パートナーの肉体を差し出すような行動を見せることで、後進の『映画秘宝関係者にも「女性尊厳を踏みにじることが『映画秘宝』内部では許される」と勘違いさせたのです。

 しかし、高橋過去言動を振り返って反省被害者への謝罪の弁を述べた形跡は有りません。

 新体制の『映画秘宝』への評価とは別に町山智浩柳下毅一郎高橋ヨシキ過去に行ってきた女性蔑視言動に対する彼らの責任は問われるべきでしょう。

 この投稿は以上です。アーメン

【2021/03/24誤字等を修正しました。】

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