はてなキーワード: 共同体とは
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。
リスク取って起業している創業者の思想 (第二の家族で在りたい、すべての人が活躍できる場を作りたい等)を体現する事ついても咎める気はまったくないが、
ブクマカやブクマカを兼ねてそうな増田や生きづらいちゃんってほんとうにアットホームな職場が好きね
中小・ベンチャーで定型業務やらせてるだけなのに、公私混同の馴れ合いでマネージメント崩壊していて、育休が公務員並みにとれる職場が好きだよな
自分の望みには自覚的になって職選びして、その結果をちゃんと受け入れて欲しいね
身内とか、友達とか、皮肉ではなく文字通りの意味での家族的な仕事仲間とか、
俺私がボスだからお前ら祝えとかなら、産休アピプリントや自分の子どもをプリントして配るのわかるんだけど、
どーもそーじゃないみたいだからな
これも職場で怒鳴る・泣く・1対1で部下/後輩を飲みに誘うと同じラインにある話でしょうね
逆張りネタならもっとわかりやすくやってくれ。下記の一派かと思ってしまう
ブクマカ:職場で泣くのは当たり前!配慮しろ!子育て中の人のサポートをしない人は辞めて自営業しろ!媚びて早く結婚するのは無能の戦略!私は発達障害だからー
anond:20240417232852 anond:20240418114405 anond:20240418131515
LAとかマジでテスラだらけなんだけどテスラが売れたのってアメリカ人の信じられないレベルの同調圧力のせいだよ
日本の同調圧力がすごいみたいなこと言うやつよくいるけどアメリカはその比じゃないから
同調圧力ってのをもっとわかりやすく言うとロールモデルみたいなのがめちゃくちゃ明確で
だからアメリカ人は体鍛えてデカイ犬飼って髪の毛は絶対下ろさないし聞く音楽なんかもロールに制限されてる
まともな社会人の男がジャスティンビーバー聞いてるなんて公言してみ?マジでそれ以降バカにされるか避けられるから
その結果生まれたのが自分で考えないでリベラルなセレブがやることをただ真似する頭空っぽの連中で
そういう奴らがEVを買い支えてたりするまあテスラはもうそのタームは超えてるけど
日本はルールやマナーを守ることに関する厳格さとそれを破る人間への忌避感はすごい高いけどそれってルールの下に運営される共同体として健全だし
男女のジェンダーの問題はあるけどアメリカほど強制的なライフスタイルもない
なんで多様性多様性って言われるかってそれがアメリカに無いからなんだよ
多様性は確かに大事だけど今のアメリカの多様性の考え方をそのまま日本に輸入してもマジで意味ないよベースが違いすぎるから
アメリカの進歩しねーなって思うのは多様性を実現するために多様性を実現するためのパッケージができてそれに当てはまらないものを許さなくなってんの
だから本当の多様性は生まれなくてパッケージが規定する多様性が広がってるだけのアホにしか思えない状況
ただそれが効率面でいうと良いのは間違いないとも思う
結局効率ってのを突き詰めるとビジネスと同じでアホには考えさせないで
こうやれこう生きろってマニュアル化してそれ通りに動かすのが手っ取り早いのよ
京都の水族館の研究室がバイオハザードのアンブレラ社っぽい、っていう話の画像の中でスタッフが関西弁云々ってのがあって、「この設備で関西弁って面白いな」となんとなく思った。
関西のラボが関西弁なのはよく考えたら当たり前で、そこに面白さを見出したのは、(特にマッドな)ラボのスタッフは標準語を話す、というステレオタイプを持ってることの現れだろう。したがってここでおかしいのはラボではなく自分の認知である。
とはいえ、ラボの標準語っぽさはどこから来るのか。「自閉症は津軽弁を話さない」という研究からすると、ASD者の特性が有利なマッドサイエンスでは標準語に偏りそうな感じもあり、なんとなく理系より文系の方が方言が強い感覚がある。(とはいえ私の通った大学は理系もみな関西弁だったから、ラボ=標準語というのはまるっきりテレビの世界の話だ。)
そういうわけで、方言を話すマッドサイエンティストというキャラを作るのは面白いかもしれない。
その際、単に方言を話させたり、そのお国のステレオタイプを塗り付ける(例:軽薄な関西人、寡黙な東北人など)のでもそれなりに面白そうではあるが、ここにさらに「自閉症は津軽弁を話さない」の理論を踏まえたそこのラボで方言が使われる理由のようなものを付け足しても良いかもしれない。
自閉症が津軽弁を話さないのは、ASD者は会話よりメディアから言葉を覚えるからだという。
そうすると、そのマッドサイエンティストは組織に育てられ組織のメディアで育ったのかもしれない。
組織は、言葉が違う=地域共同体的な側面があることからすると、政治経済を支配する中央から冷遇される、「南部」とか「少数民族」とかであろうか。
しかしそんな組織の中だけで高度な先端科学者を育成するのは難しいから、その科学者は英語圏か中国に留学したのだろう。だから母語は標準語に汚染されず、組織の使う方言のままになる。
何となくだけど、組織の設定も込みで、「方言を話すマッドサイエンティスト」キャラが出来てきた。
(余談だが、ASD者が方言を話さないのは会話よりメディアから言葉を学ぶからという理屈からすると、ネットメディアから言葉を学べばネットスラングに染まったASD者が発生しそうだ。理系研究室、会話でネットスラング使いがち問題の遠因だろうか。)
職歴の多い人って、ギャンブル好きの男みたいな印象のレベルだよね
なんだろう
金がかかるとかかからないとかではない、その手前で忌避感がある
「あー、こいつ会社に危機が迫ったら、気安く捨てて他の会社に行くんだろうな」
「あぁ、私はどこに行っても生きられるんだ!狭い会社内で生きなくてはいけない理由はないんだ!」
それは勘違いでもあり、転職者にとっては勘違いではないというか、
雇用者に対しては「一企業でしか働いたことがない方にはなかなか理解していただけませんが、実際会社に途中入社したら人脈やスキルの再構築もあるし大変なんですよ。」って言えるんだけど
被雇用側だとけっこうなんとかなっちゃうと思うんだよな。(当人が優れているという理由ではなく、労基法パワーで)
そういう共同体への帰属意識?を弱める力がジョブホッピングにはあるのではないだろうか
おわり
海外旅行好きの女って、ギャンブル好きの男みたいな印象のレベルだよね
なんだろう
金がかかるとかかからないとかではない、その手前で忌避感がある
「あー、こいつ日本や俺(共同体としての家族)に危機が迫ったら、気安く捨てて他国や他の男のところに行くんだろうな」
「あぁ、私はどこに行っても生きられるんだ!狭い日本の世界で生きなくてはいけない理由はないんだ!」
それは勘違いでもあり、女性にとっては勘違いではないというか、
男に対しては「客として訪れただけでなに勘違いしてるんだ。実際住んだら差別もあるし大変だよ。」って言えるんだけど
女だとけっこうなんとかなっちゃうと思うんだよな。(女性が優れているという理由ではなく、マンコパワーで)
そういう共同体への帰属意識?を弱める力が海外旅行にはあるのではないだろうか
おわり