はてなキーワード: パスカルとは
パスカルの掛けは好きやで。
仕様書を作ってないシステムの概要を資料にまとめて欲しいと言う依頼
その程度であればと思い受けて、数時間でできる程度の資料を作って送る
結局、
あれも教えて欲しい、これも追記して欲しいと工数以上の事を要求される
「何でこんなお粗末な資料を寄越すの?」って言われても、DB設計書も指示書もまとまってないんだから多めに見てくれよ、この程度の工数でやる気なんて出ねえよ
「何でそのままDBのカラム名をプログラムで使わないの?」って言われても、パスカルケースとキャメルケースとスネークケースが混ざっているし、日本語ローマ字だらけのカラム名をそのまま使えるわけねえだろ
と部屋で一人愚痴りながら書き上げて送る
叩き台作らされた上に、修正で手を動かす側にさせられるのは損だなと思いつつ
そういう人で数学の成績がそれほどでなかったり大学で数学を専攻している人というのが少ないのは、根本的に数学に対して能力がないのではなく、数式には文章と違って情感みたいなものがないとかいった理由で愛着を持てないからだと思います。
それで熱心に学ばないからそうなってるだけで、彼らのような類に数学の勉強を強制させたらそれこそ大化けして並みの数学者を凌駕する理解力を発揮するのではないでしょうか?
確かに高校時代まで重視される計算力(速さ)という意味の数学力は読解力とかすりもしない概念でしょう。
しかし大学に入ってまず習う位相や集合の理解にしてもあのページが進むごとに論理的に入り組んでいく解説についていくということについてはまさしく国語で成績を取ってきたのと共通する読解力がものを言うように思えてなりません。逆にあれを理解するのに要する読解力と小説なり評論なりの問題を解くのに要する読解力とでどこに違いがあるのか探す方が難しいでしょう。
双対の原理の事典での説明を私が見ても、パスカルの定理とブリアンションの定理の双対性が、束の外延と内包の双対性が成り立つからその特殊な場合として明らかに成り立つものなんだと言えるという趣旨に対して、束という遥かに抽象的な形式論理のなかで成り立ってることがあの目で見える形で定理の妥当性が明らかな射影幾何の双対性に一般と特殊の関係のなかでどうつながってくるというんだとさっぱり納得感がないわけです。
(というか双対の「原理」とかいっちゃってるけど、それはパスカルの定理とブリアンションの定理が同時に真であるということ公理として幾何学が構成されてるってこと?この場合まだ2定理が真なことは図示したとき直観的に明らかだからまだいいけど双対の原理に沿うように言葉を入れ替えた命題が全て視覚的にも正しいと判断できるような状況になってる保証はどこにもないよね?それをもそれを「真」と認めるものとして幾何学を構成しちゃってるってこと??)
国語において読解力があると知られている人は、そういう言わずもがなの部分も何が省略されているか察知する力に長けているはずというか、往々にしてその力の結果が間接的にも直接的にも「読解力が高い」と人に言わしめるときの「読解力」の構成要素になっているはずなのです。
だから、事典の記述についても私が納得できないのはその記述における「言わずもがな」の部分に想像力が及ばないからだとするなら、読解力の高い人ならこういう数学の高度な概念の解説も読みこなせるのではないかと思うわけです。
そういうわけで少なくとも数学の理論を学ぶという段階だけで見るならむしろ理系ぶってる人間よりも読解力が高い人のほうが驚異的な力を発揮するように思えます。研究の段階になるとそれがそうじゃなくなるんでしょうかね。
まず、今回の問題に解しては「全ての暴力(とりわけ殺人)は悪である」という言明から始めることが不可能であるのはもはや明らかだということをわれわれは認めなければならない。
なぜならわれわれは通常この命題にはある種の「絶対的正論(否定不能なドグマ)」として機能し、対話の土台を提供することを期待するが、今回においてそれが機能していないのは明らかだからである。「暴力は悪である」の後に、いともたやすくわれわれ(少なくとも私は)が「……しかし、」と続けたくなってしまうこと、それがいかに異常であるかを考えなければならないと私は思う。
しかしそれでも、どれだけ山上に同情的な人であったとしても「山上の行為は弱者が福祉を頼るようにその状況下ではベストな行いで仕方なかったから、同じ境遇にある人々は同様の行動にぜひ出るべきである」と思っている人が(山上含め)いないことを私は信じる。私は私の直観を信じるし、他の人の直観も信じている。
だから、もはや私は暴力を暴力であることによって否定する「旧社会しぐさ」を方法論的次元において否定する。
「暴力は悪である。しかし」、人類史上この論法が最も大規模に振るわれてきたのはむろん戦争の際である。そしてわれわれは戦争を例外状態とし、平和(少なくとも非戦争)を通常状態として考えている。しかし同時に、その「例外」が近代以降に限定してさえ実はむしろ多数派ですらありうることも、われわれは何となくわかっている。そのため「暴力は悪である」という命題に対して、われわれは完全に従いながらも、実は腹の底ではどこかしらけた態度を取っている。
パスカルがパンセの中で述べていたように正義と力の関係とは、何が正義かを確定させるためには人類の寿命を超えるかもしれないほどの議論を要するのに対して、誰が力を持っているは誰が見ても明白であるという特徴を持つ。だから「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力である」。そして常に暴力は無力を退けそこに君臨する。だからわれわれは、正義に力を与えるのではなく、力に正義を与えることにした、パスカルはそう主張する。
むろんパスカルはフランス革命について何も知らないので、その点について注意する必要はあるが、それにしても優れた洞察であると思う。われわれは何か正義のために社会を構築した=社会が正義である、というドグマから解放されなければならない。社会=旧社会はリヴァイアサンを鎮めるために持ち出された道具的存在にすぎない。
言論的次元においては暴力に対し積極的にエポケーを行いながら、具体的手段においてはあくまで暴力を否定し続けること、それが私と旧社会の理想が重なり合う正義であると私は言いたい。
ここでキリスト教における基礎の一つ、「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」について考えてみたい。駄洒落以上の意味があるかどうか疑問に思うだろうが、実際それ以上の意味は無い。
山上の垂訓とは「心の貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」から始まる、死後に神の救いを得て天国に行ける人とはどのようなものであるかを説いた有名な部分である。ここでいう「心の貧しい人」とは一般的な日本語の意味ではなく、自分の足りなさを認め神を求める、ぐらいの意味に解釈されることが多いようである。
たしかにキリストは力ではなく正義の側に立とうとした人であったと思う。他方そうであるがゆえに2000年前の現世においては無力であった。しかし、と考えてみたいのだが、キリスト教-山上の垂訓的な倫理は今や明らかに無力な存在ではない。われわれはもはや正義に力を与えることが可能である。
だから私は所与の力に正義を与えんとする「思想-的-テロリズム」については私の正義に基づいて否定するが、正義に新たなる力を与えんと言論の次元に留まる「テロリズム-的-思想」を断じて肯定する。
つまり、組合せを計算する際の分子は必ず分母で割りきれるわけ。
これって、誰も言わないけど、かなり驚きのことだと思う。
例えば、10×9×8×7×6が5×4×3×2×1で割りきれるかって考えてみてほしいんだけど、計算しないですぐわかる?
直感的にはわからないじゃん。でもこれって、10C5の分子と分母だから、割りきれるわけですよ。
他にも、111×110×99×98×97×96×95が7×6×5×4×3×2×1で割れるとか、わからないでしょ。
すごさがわかったよね?
すなわち、組合せnCrって、任意の整数nから下に連続するr個の整数を、r×r-1×…×2×1で割った値だけど、
こんな変な割り算が、自然数nとrがどんな値でも常に整数になるなんて驚き!!
マジすごくない?
マジですごいと思うのに、誰も感動してないから、教養の殿堂たる増田に書き込んでみたよ!
(追記)
ちょっと証明してみるかーと思ったら思いの外手こずった。ググったらパスカルの等式っていうのが出てきてこれがわかれば帰納法でいけるのか。この等式自体もなかなか面白い
なるほど。
パスカルの三角形ってやつで、一番上が整数だから下側は全部整数になるってわけか。
厳密な証明をするまでもないよ。
7個の数字が並んでいたらどこかに7で割れる数字が混じっている。n個の数字が並んでいたらどこかにnで割れる数字が混じっている。
いやいや、重複があるかもしれないじゃん。
この説明もわかりやすいとは思ったんだけど、証明としてはダメなのかな?
ほんとそれ。整数論的にちゃんと証明するにはルジャンドルの定理的な考察が必要。
分からない人は高校数学の美しい物語の記事: https://manabitimes.jp/math/589 を見て、どうぞ。
パスカルよ助かるよ、とかあったな…
https://anond.hatelabo.jp/20210622175812
ストーリー的には1,2周目の後からだから別に3周目でもないんだけど。Cルートが終わった。
アダムとイヴを倒したことで勢いづいたヨルハ部隊が、機械生命体を殲滅しようとするところから始まる。まず思った、殲滅するんだ…って。2周目の時点で人類がもう生きていないのは判明していたし、どうしてもアンドロイドに友好的なパスカルのことが思い浮かぶ。
そんなこんなでいろいろあってバンカー滅んで2Bも死んじゃった。
基地がぶっ潰れちゃったとこでスタッフ紹介入るの第一部完ってかんじでワクワクした。図書館の大魔術師みたいだね。最後の2Bは痛々しかったな。スティックを倒す手にかなり力がこもった。
Cルートのメインは9SとA2。二人を交互に操作していくことでお互いの状況を理解する。そうして最後「塔」の上でどちらを選ぶか?という選択肢を迫られる。
自分は結構即決で「A2」を選んで9Sを倒すことにした。いやだって明らかに9S憎悪にまみれちゃって同情こそすれどもお前と同じ側には立てないから。ていうか俺自身がああいう感情に支配されてる自己中な奴が嫌いということもあって(公務員の息子なので)、これはもう即決だった。そんで選択したあと少ししてからちょっと後悔してきた。A2の一貫している行動理由が分からないことに気がついたから。
9Sの行動理由はすごく分かりやすかったじゃん。バンカーも2Bもいなくなった世界で創造主たる人類も全滅しちゃってるからどうでも良くなっちゃったんだよね。だから破壊衝動を機械生命体や2Bを殺した(と思ってる)A2に向けている。その破壊衝動で塔まで来た。
一方でA2は何?A2は2Bモデルのための実験機の生き残りで、自身を新型のための実験として使った司令部を恨みつつ地球で生活している。←ここまではわかる。A2に関しては特にそれ以上のことが起きていないから、機械生命体やアンドロイドがどうなろうと知ったこっちゃないんだよね。それなのにパスカルの世話を焼くし、9Sを倒そうとしてる。そもそもA2は特に「塔」に来る理由もないんだよね。それなのに「最初に塔に来た方には豪華賞品を差し上げます!」っていう機械生命体のアナウンス聞いてのこのこ来ちゃってる。ちょっとアホの子なのかな?2Bの遺したあとは頼む的な言葉も 「atohatanomu…?」みたいな感じで理解できてないんじゃないの。
みたいなことを9Sとの戦闘中に考えちゃって最悪だった。その後倒した9Sを塔から逃してA2が犠牲になるみたいな描写があるんだけどここも引き続き動機が分からなくてもやもやしてしまった。一貫した目的がないA2はある意味意思を持たない任務に忠実なアンドロイドらしいとも取れる行動をしてCルートは終わった。
9Sを選択した結果Dルートになった。二人は相討ちになって機械生命体は地球から出ていく。Dルートで機械生命体に「ついていかない」を選択するのが個人的にこのゲームでは一番好きなストーリーだな。ニーアの世界は武器の物語とか読んでてもとにかく救いがないbad endのストーリーが多くて、そういった"どうしようもない"感じがこのルートには特に表れてるのが好きなんだよね。パスカルしかり9Sしかりこの世界のアンドロイドと機械生命体には根底に絶望があるから、9SとA2にとってありきたりだが死は救いでもあるように感じる。
どうしようもないこの世界でヨルハ部隊は計画通り全滅し、機械生命体は地球からいなくなり、地球はレジスタンスのアンドロイドの星に。これでいいんじゃないかな。
そんなふうに思っているからEルートはそんなに好きじゃない。機械生命体の殲滅のために作られた3人が機械生命体がいない世界に生きることがhappy endかどうかは疑問だから。掃除機の先っぽだけブラシに変えるように、Dルートの死を生に替えてしまえいいという話ではないと思う。あと弾幕ゲーがパカクソに難しかった。1時間40分くらい挑戦してMなんとかDesignみたいな奴倒したあとにまだまだ中ボスが出てきてポッキリ折れた。普通に助け使ってクリアしたけどあれ使わずにクリアできる人いんのかな?
クリア後に他プレイヤーへの救援設定ができるからonにしようとしたら警告が出る。「セーブデータ消えますがいいですか?」だって。いいわけないじゃん。どうせこっちの覚悟を確かめるためにふっかけてるだけなんだろ?だってセーブデータの消去と他プレイヤーの救援との間になんのロジックもないからね。そう思いつつ一応onにする前にググったらマジみたいじゃん。なんのロジックもないのにまじでセーブデータ全消去されるみたいじゃん。こわ、、、offにしました。
PVに出まくっていたアダムとイヴを早々に倒して第二部のような物語を始めるのは結構新鮮だった。あとはパスカルを殺すか否か等、いくつか気になったところが分岐点としてあるはずなのでそれらを進めようと思う。場合によっては攻略サイトをみて埋めるつもり。
次の日記でNieR:Automataは終わりにする予定。(ここまでプレイ時間41時間
NieR:Automata終わり。
アーカイブ、武器、サブクエストその他諸々100%まで終わった。
魚図鑑だけは50%過ぎで辞めた。カブトムシウオ一匹取るのに3時間位かかって折れた。その他クエスト埋めも武器集めもほぼ作業なので特に思ったこともないかな。
強いて言うならDLC。落ちこぼれ機械生命体のプラトン1728の視点での物語を見ることができる。ただこれの最後、人形を粉砕するシーンはまじで不快感が強くてあまり見れなかった。プラトンのシーンはCGなりなんなり使ってるけど人形壊すシーンだけは多分本当にやって撮影してるんだよね。これDLCだから本編には関係ないんだけど、追加コンテンツでバンドの曲と一緒に人形粉砕しようぜ!って考えた奴やばいなと思った。
3周目終了時と印象が変わったのはA2。アネモネからアーカイブをもらってA2のバッググラウンドが少し分かるようになった。昔は穏やかで結構内気だった様子を見ると今の変わりようがかなり魅力的に映るようになった。
結局、人類の存亡をかけた「ゲシュタルト計画」がどのようなものか全部読んでもよく分からなかったけどこれはニーアレプリカントをやれば分かるのかな?
ルートは数多くあったけど本筋以外のエンドはテキストだけで済まされるから特別なにか感じたこともなかったかな。久々にしっかり作り込まれた和ゲーをやったので個人的に満足。Xbox Game PassのBecome as gods editionでプレイした。総プレイ時間は61時間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20210622175415
2周目(Bルート?)終わった。いややっぱ最後さあ!???????いやまずはシステムから行こう。2週目は基本的にストーリーは変わらないが9Sの視点で進むので1週目とは少し違った目線で楽しめる。ここでこうなっていたのか!と2Bの視点ではわからなかったことがわかるのは楽しい。
一番違うのが戦闘システム。9Sは2Bとは違って戦闘型ではないので基本的に「ハッキング」を使う。これは簡単にいうと相手の思考が読めるようになるので、2周目ではヨルハ部隊の敵である機械生命体の考えやストーリーがフォーカスされる。序盤の遊園地での歌姫は、好きな人に振り向いてほしいがゆえに美しさを追求し続けた成れの果てであるというストーリー。ありきたりっちゃありきたりだけどこういう純粋な望みが報われない、というのに俺は弱い。普通に泣きそうになっちゃった。人類の敵が異星人でありその尖兵であるアンドロイドと機械生命体はある意味鏡写しでどちらも使われる存在なんだよね。2周目ではサブクエストをかなり埋めたけど出会う機械生命体はどれも最後に多くのアンドロイドを殺した罪の意識や機械生命体というものの虚しさに絶望して自らの命を断っていった。2Bや9Sはそうした機械生命体に自分たちの将来を重ねたんじゃないかな。
ストーリー的には特に分岐とかはなく普通に1周目で描かれていない視点が補完されているだけだったな。同じボスと戦うときに「ハッキング」のおかげでかなり時間と手間が短縮されているのはありがたかった。ただ、結局森の国編では何がやりたいのかわからなかった。明らかに今回のアダムとイヴ関係の話からは外れているし、A2に関しても少ししか掘り下げられなかった。
9S視点でストーリー的に重要なのは人類がもう存在しないという事実が判明したこと。じゃあもうアダムとイヴぶっ殺してパスカルを筆頭とする機械生命体とアンドロイドが仲良く過ごせばええやん…とか思ったけどどうもそう簡単には行かない様子。
で、最後。やっぱりまじで2Bが最後あそこまで取り乱す理由がわからなかったし、9Sへの2Bの介錯が相変わらずキモすぎた。普通機械とかの破壊ってなんかコア的なものがあってそれを勢い良く粉砕する、とかが定番じゃん。実際機械生命体の多くは爆破によって破壊するし。ただ例外があって人型の機械生命体のアダムとイヴは腹や顔に刀を突き刺して殺していた。それはまあ…最後爆発してるからよしとするんだけど。問題は9Sの殺し方ですよ。みた???首締めだって。アンドロイドの殺し方、首締めだって。そりゃないでしょ。しかも1周目に書いた通り完全にヤッてんのよ。騎乗位で首締めで殺すわけ。本当に気持ち悪いと思った。アンドロイド首締めで殺さないだろ。もう殺し方が完全にセックスから来てんだよね。セックスありきの殺害方法でほんとにスクエニのちんぽ汁ダラダラデザイナーがまじでキモいと思った。しかもその後秒で9S生きてるのわかるのな。なに!?!?!?!?!?なぜ!??!?!?おまえ(2B)が流した涙もわからんし、あんだけ泣かれておいてしれっと生き返る9Sもわからん。もう俺以外のすべての登場人物が急にサイコパスに思えてきちゃった。俺だけ合唱部に紛れ込んじゃったみたいな(全然思考体系が違って分かり合えないから怖い、みたいなことを言いたい)。
で、エンドロール。9Sからなにかもらって2Bの自室に戻るところで終わるんだけど、ここはまじでヒヤヒヤした。敵の脅威が消えた今、2Bのような戦闘型アンドロイドは必要ないから薬的なもの飲んで自殺するのかと思った。だってほら、機械生命体たちが自害してたからさ。で、そわそわしながら画面見てたら急にエヴァみたいな画面がとともに「予告」の二文字。急に次回作みたいなムービー始まっちゃった。なに?????もうだめだ。スクエニもサイコパスになっちゃった。のっぺらぼうから逃げてきたら目の前にいるやつものっぺらぼう。2B、9Sのサイコパスから逃げてきたらスクエニのサイコパス。
いや2作目って普通1作目が好評でつくるもんじゃん。2作目ありきの1作目ってなに????1周目終わった時点でめちゃくちゃ消化不良だったから、「このゲームは周回前提です」みたいなこと聞いたとき安心したのよ。ああちゃんとやりきれば全部分かるのか。納得させてくれるのか。と。大野智主演のドラマ「魔王」が最終回で続きはDVDで!!!みたいなことやったんだけど十数年越しにその気持ち思い出した。続き確定してんならハリーポッターみたいにNieR:Automata(上)とか書いとけ!!!!!!!
・・・いや違うみたいじゃん。ちゃんとNieR:Automataに全部入ってるみたいじゃん。まだまだルートあるんだね?今ちょろって調べたときにいくつも何ルートみたいな記載見えたから信用していいんだよね???
NieR:Automata1周目(Aルート?)終わった。
チュートリアルボス倒せなくて最初からやり直し。心折れそうになった。
最初にストーリーで「死」を描写して命を感じさせるのが零式と重なってスクエニって感じがした。
まず第一にグラフィック。自分がゲームPC買ってからやったゲームで間違いなくダントツ綺麗だった。最初ムービーで2B 見たとき、ふちがガビガビでビビり倒したけどいざゲーム本編始めて見るとやっぱりイマイチだった。は?と思うかもしれない。グラフィックの綺麗さに気がついたのは中盤辺りだから。いつもonにしてるブルーライトカットの設定切ったらとたんにめちゃっくちゃ綺麗になった。反射が描写されるようになったからだと思う。2B のスカートが急にきらめくようになった。武器もずっと見てられるくらい綺麗に。
そうそう、ビジュアル面で言えば世間は2Bのフェチズムに夢中だけど俺は違う、やっぱ武器よ。特に刀の反り方について語りたいよね。2Bの初期武器は2本とも刀なんだけどやっぱり刀っていいいよね。他の洋ゲーには出てこないだもん。ニーアの刀はちょっとやり過ぎなぐらい反り返ってるんだけどそれがちょうどよくてなんならフェチズムを感じるくらいそりに反ってる。
戦闘に関しては特に惹かれたことはないかな。最近やったゲームはどれもクリアできるまでボス戦を繰り返すタイプだったから、ニーアみたいな回復剤でゴリ押しみたいなプレイは久々だったな。オートアイテムのスキルで回復自動でできたのは便利だったな。そうだ、オートアイテム含めユーザーインターフェースはかなり洗練されていてストレスフリーだったな。
いやさあ?まじで。ストーリーひどすぎない?このゲームのテーマは「ロボット」と「自我」だったり、「アンドロイド」と「感情」みたいなよくあるっちゃあよくあるテーマだ。
こういうストーリーのアンドロイドは最初冷たすぎるくらい無感情で最後に涙が止まらなくなって「あれ…私感情ないのに液体が止まらない…司令官、エラーです…」みたいな感じが定番なんだけど、2B普通に感情あるくない?序盤から9S がうぜえくらいクラスの気になる子にアタックするお調子者みたいなムーブしてるんだけど、2Bもそれにまんざらでもない感じなんだよね。そんな関係で、最後2Bが9Sの介錯をするんだけど、あのシーンで2Bがあそこまで取り乱した理由がマジで全然わからなかったし、共感できなかった。保存していないデータからはアンドロイドを再構築できないため、最後のイヴ戦での9Sの記憶は消えてしまう。代償それだけなのにあんなに取り乱す????今までの出会ってからの記憶全部消えるとかならわかるけど、1時間もないくらいのちょっとの時間じゃん。直前まで9S離脱してたんだし。おめーらアンドロイドはいいよな、データ取っておけば復活できるんだから。こちとら人間様はそうも行かねえから。そんな感じ。
あと9Sの首を絞めるシーン、まじで気持ち悪!!!と思ってしまった。もう完全にヤっちゃってんのよ。スクエニのデザイナーは口からよだれ、ちんこから汁出しながら白目向いてこのシーンのモーション作ったんだろうな。ほんとこういうところにスクエニの”変態エリートが自己陶酔でシコってる”みたいな(俺個人の)企業イメージが溢れ出ていて心底冷めてしまった。
いやヤるのはいいんですけどそこに至る理由が全く共感できなくて、とりあえずセックスで昇華させておくかみたいな思考がキモいと思った。
あと、ストーリー1周目短くてビビったね。起承転結の承くらいでボスの片割れ死んだからビビりちらしましたわ。後半に開放された森とかほぼストーリーで行ったっきり探索してないしね。Life is strangeで学んだように優しすぎるキャラには裏があるから、パスカルホントは黒幕なんじゃねえの?とか思ってたけどそんなん全く挟む隙もなく終わってしまった。
とりあえずまだ武器の最高レベル4も開放してないし、サブクエストもたくさんあるし、なによりこのゲームは周回前提みたいだ。自分の感じたこのストーリーへの失望をどうか次の俺ではうまくやって晴らしてくれ。2周目、行きます。(ここまでプレイ時間14時間)
いまこそ実存主義を再起用するべきだと思うんだよな.(哲学に詳しくないため間違いがあったら遠慮なく指摘してもらえると助かります.)
時代遅れな考え方かもしれないし,そもそも哲学は実際の社会に影響を与えないと言われている感じもある.
だけども閉塞感や虚無感に耐え切れず社会自身が「昔はよかった」と回帰するような社会は決して防がなくてはならないだろうから,その際には特効薬の候補になると感じる.
確かに「サルトルは乗り越えられた」なんて言われて,構造主義へと重心が移り,実存主義はそれこそ歴史の中に閉ざされてしまったわけだ.
構造主義がより正しく思えるのは,フィールドワークを基にした裏付けが取れていること,思想の根底にある偏りを見透かすことができたことだと思う.
この点については,自身が西洋とは異なる文化背景にある日本で過ごしてきたからこそ納得感がある気がする.
しかし時代背景が大きな要因の一つになったと思えて仕方がない.
サルトルがもてはやされ始めたのは戦後の混乱期(平穏が訪れるまでの過渡期)だった.
少年期に戦争を経験して,これまでの規範とは異なった生活,のらりくらりと暮らしていた若者が『実存主義者』だとオトナ達に揶揄された時代である.
そんな中でサルトルは「実存主義はヒューマニズムである」という講演をきっかけとして有名になった.(もっともそれ以前のサルトルは実存主義を自称したがらなかったようだが)
他方,レヴィ=ストロースが「野生の思考」を携えて登場したのは1960年代である.
このときにはWW2から既に十数年経過し,ドイツが明確に西ドイツと東ドイツに分断され,朝鮮半島も同じく南北に分割されていた.
このときにはもう冷戦構造が成立しており,生きる目的や規範と言われるようなものが国家もしくは共同体によって掲示されているようなものであった.
それはざっくりと表現すれば,西側諸国では「東側らしくない振舞いをせよ」,東側諸国では「西側らしくない振舞いをせよ」といった具合に.
そんなような状況下になっていったわけだから,構造主義がより理解されやすく,より勢力をましていったのだと私自身は思う.
別に実存主義に分類される哲学者や思想家はサルトルだけではなく,他の著名な人物にはニーチェやヤスパース,ハイデガーなどがいる.
キルケゴールも忘れてはいけないだろう.場合によってはパスカルも実存主義に分類するそうだ.
この実存主義と呼ばれる思想に一貫しているのは過渡期をきっかけとした点にあると言える.
例えば,目の前の状況に対して挫折するだとか,死へと進み続けることを自覚するだとか,大戦によってこれまでの規範が形骸に近くなってしまっていたりだとか.
そういった既存の規範(あるいは構造,世界観)に綻びが生じた状況において,次の新たな規範が構築されるまでの過渡の段階で実存主義的な発想が生じてくると考えられる.
あいにく今現在の私たちの状況を鑑みるに,私たちの考え方の根底は再び綻びを見せてきている.
新型コロナウイルスもその一つだろうし,資本主義を盾にした新自由主義の挙動もその一つだろう.
この繁栄を盲信することのできない過渡期に生まれたことを悔いても仕方がない.
人間は自分自身で時代を選ぶことはできないわけで,その中でうまくやっていくしかないわけである.