はてなキーワード: アセクシャルとは
真面目にカウンセリングする気あるなら
ホワイトニング(日本人エナメル薄いのにな)してジムでも行ってランニングして
なによりもデミセクシャル・アセクシャルの相談所参加は弾くと思うし性意識の確認はしておくと思う
アドバイザーの仕事は金を巻き上げることで成婚させることじゃないぞ
そもそも結婚できると思っていないし結婚させることが仕事じゃ無いし
福祉並みに病む業界だと思うよ。スポットでお手伝いしただけだけどな
スクールビジネスはそれ10分の1以下の費用で学習出来るぞ?とかあるけど役には立つ
一方、婚活ビジネスは完全に金をドブに捨てさせるだけだし勘違いも植え付ける。業の深さが半端ない
死ぬほどどうでもいいぞ
とりあえず自称既婚者のブクマカなどはやっぱヤベーし(相変わらず不安になるクマ🧸は気持ち悪い)、
自称婚活増田(本当にしてるの?)は男女とも結婚する気ねーなってなりました
思うんだけどちょっと余裕があるなら婚活サービスを受ける側じゃなくて
そもそも結婚できると思っていないし結婚させることが仕事じゃ無いし
福祉並みに病む業界だと思うよ。スポットでお手伝いしただけだけどな
スクールビジネスはそれ10分の1以下の費用で学習出来るぞ?とかあるけど役には立つ
一方、婚活ビジネスは完全に金をドブに捨てさせるだけだし勘違いも植え付ける。業の深さが半端ない
若者がデートしてねぇ的なニュース見てふとデートの定義が気になった。
デート(英語:dating)は、交際中又は互いに恋愛的な展開を期待していて、日時や場所を決めて会うこと。男女でのお出掛けでも、どちらか片方でも相手を完全に異性の友達として認識している場合など、約束の段階で既に「恋愛的な展開を期待していたのは片方だけ」という場合、デートではないとされる[1]。相思相愛の男女が人目を避けて会うことは逢い引きと言われる[2]。
交際中に二人で出かけること、はわかるが「互いに恋愛的な展開を期待していて」って結構難しくない?
増田アロマンティックアセクシャルだから、誰かと二人で会うときは(同性・異性に関わらず)恋愛的な展開にならないことを期待しながら会うし、交際相手以外とデートしたことないかも
ていうか交際相手も「交際している」というステータス上デートしなきゃだよね何も起きてくれるなよ…という義務感で会ってたからデートじゃなかったかも
むしろそれ、アセクシャルはマイノリティでも何でもなく実際はマジョリティってだけじゃ?
「正しい人間は恋愛するものだ」と言う幻想が広がってるからその幻想になじめない人をアセクシャルというマイノリティだと名付けたけど
数年前、かなり偏った人選でアセクシャル系のツイッタラーをフォローしてた時期がある。
アセクシャルは恋愛感情はあるけど性行為はちょっと……な人を指すらしい。
だから、その界隈ではアセクシャル系の話題が出ると色んな意味で盛り上がる。
誤解しないで欲しい、という意味の主張なのだろうけど、個人的には喧嘩売ってるようにしか見えない。
増田はチキンなこともあり、そんなカッカしないでよ……穏便に行こうよ……とか思ったりして、結局その方々とはアカウント削除により関わりが無くなり申した。
もともと一方的なフォローだったから親密な間柄でもなかったけど、ずっとそんな世界に身を投じられる彼らは強メンタルなのかもしれない。
正しくないことを指摘するのをやめろ、というわけではなく、指摘するのであれば、誤解されるような言い方をやめたほうがよいのではないかという話だ。
恋人いない=年齢な時点で、容姿も中身も不相応だという大前提はある。
が、恋愛って外から見る分にはキラキラしてるけど、己もその道を歩きたいかと問われると、特に希望はないと答えざるを得ない。
これは年齢によるものかもしれないけど、でも小学生のときからアラサーになるまで「恋人ほしー」とか思ったことない。
生物としての末期だ!
というか、そもそも人と交流を持つのって自分が他者に興味があるから始まるわけで、会話してても人の顔を見ずに、背後にある戸棚に目線を向けて相槌をうつような人間が人に興味を持てるわけが無い。
最近知ったけど、人の顔が認識しづらい相貌失認というものがあるらしい。
自分が人の顔を覚えられないのは視力悪いとか他人に興味関心がないとかだと思ってたけど、こういう可能性も考えられるのかと心底驚いた。
点数がひどすぎるからADHDなんじゃない?と話してる方がいた。
今どきはネットが発達したおかげで、あらゆる「普通じゃない」方々がにょきにょき生えていらっしゃる。
それを見てると、普通っていうのはある種の特別なんだなあと思ってしまうのだ。
話を戻すが、増田はアセクシャルかなあと思ってる反面、それは非モテ言い訳の十八番だろとも思ってる。
知り合いたちの結婚ラッシュを見て、早めに死にたいなあと思うくらいには、自分は生物としての責務も果たせないゴミだという自覚はある。
会社の歯車となって働くという点では大なり小なり社会に貢献出来ているのかもしれないけれど、フルリモートでもない環境だとふとした世間話に場違いだなという思いを抱いてしまう。
とは言え、結婚してても愚痴吐きマシーンと化してる主婦らがいるのを目の当たりにすると、このモヤモヤって何なんだろうと更に沼る。
腐女子がプラットフォームの仕様を理解していない&SNSとインターネットの仕組みを理解していないのは
『知的な困難を抱えている人物』or『禅でも極めているレベルで物を考えない人物』だからで終わる話なので言及しない
(その見本のブクマカたち → https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220206222214)
>もしかして女性SNSユーザーは他人のことを自分の摂取する情報を自分でコントロールする能力がないゾンビかトロールか何かのように思っているんだろうか?
腐女子たちはあらゆる自己選択・自己責任から逃げているので "嫌なら見るな" だってもちろん出来ない
彼女たちにとってあらゆる情報は自分自身が取捨選択するものではなく、自分以外の何かに無理矢理見せつけられる物なのだ
児童福祉と親の教育の権利に配慮してゾーニングを徹底しようという意識から "無理矢理見せつけられる" 発言が出てくるならまだわからないでもないが、
基本的に腐女子たちは共同感覚が欠如していて海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
(ちなみにジャンプは過去にはスポーツ漫画の公式スピンオフを同作品のbl描いていた(る)同人作家に描かせていたりもする。
もちろんポルノファンタジーの対象になっていたキャラは"未成年"だ)
日本を代表する出版社ですらこの有様なので App Store も女性向け男性向けともにヤベーことになっており、
英語圏なら 17+であってもキックされるゲームが日本ではまさかの全年齢でリリースされている
Apple が lazy なのは今更指摘するまでも無い事だが、
金に物を言わせてレーティング無視するパブリッシャー(アニプレックスなど)の倫理観の無さもなかなかどうしてである
人類は所構わずセックスちんこまんこってやってる個体を積極的に淘汰してきたし、
お布団の中のこと(性癖)は男女ともお外では口にしないのは人権が生まれる前からの暗黙の社会ルールである
この暗黙の社会ルールを親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然に学ぶことができないとして、発達障害(特にADS) 向けの支援サイトなどでは、愛情・性愛表現を公開して良いシーン、ポルノの取り扱い方を明示的に示していたりもする
・・・にも関わらず、なぜ腐女子は大手を振って差別的なポルノファンタジーであるBLを愛好しているとネットで表明出来たり、オフ会や同人誌即売会に参加して自らの顔を第三者に晒す事が出来るのか?
社会インフラが発達し生活にゆとりが生まれ子育てコストが下がったので社会全体が性に寛容で奔放になった?
もちろんそんな事はない
今もなお子どもが成人するまでのコストは高く、子どもの人権が守られる国ではお気軽にセックスしてポコポコ作れないし、
児童福祉と親の教育の権利に配慮し、性表現には年々厳格になっていっている
性衝動は男女とも持つもの、女もBLなどのポルノ・ツールを使って積極的に自己解放すべきという一種のウーマンリブ?
もちろんそんな事はない
もしそうならポルノの公開・共有の仕方はともかくまだ救いがあるが、
腐女子たちはポルノファンタジーを愛好しておきながらオナニーに使わないと言って憚らないだけでなく、
『わたしは性欲を持っていない』と言って憚らない
ちなみにこの『性欲を持っていない』というのは、
アセクシャル・デミセクシャルなどのセクシャルの話でも、生物における性欲とエロ(eros)は違うといった類いの話でも無い
腐女子らにとってセックスは、自己決定で望んで楽しくするものでは無くて、
"恋人" や "妻" という肩書きを得る為に、直球で "(理解ある彼くん等に) 養って貰うために"
だから腐女子らはキスやボディータッチやセックスのいずれかを必ず描写する。なにせ彼女たちにとっては肩書きを得るための義務だからだね
そして義務なのでわたしが望んでやった事ではない=性欲は無いという事だそうな
ここから既にコケている逃げているのに女性の社会進出もなにもねーのである
実際、はてブでヤベー言動をしている腐女子ブクマカを眺めていると、当たり前のように男に縋るしか無い思考であり経済レベルもヤバければ自己実現も他者任せだ
自己選択を楽しむ・責任を持つという発想がなく、当たり前のように化粧をすべき・化粧を強いられているとかならやっている
幼い頃の将来の夢は幸せなお嫁さんだった。
周りの友達のお母さんもみんな専業主婦だったし、それが普通だと思っていた。
社会に出てうつ病になってしまったこともあり、毎日8時間働くだけで精一杯。
急に働けなくなったり、無理して働いてミスしまくって、首になったり……
正直、自分一人を食わせるだけで精一杯だ。
マッチングアプリをはじめたこともあったけど、平日はメッセージの返信すらできないから恋が始まることもない。
たまにマッチングしても、メッセージを数週間単位で放置してしまい、先に相手に逆ギレされて終わる、の繰り返しだった。
低賃金だからデート代も捻出できないし、平日はぐったりしているから連絡を頻繁に取れない。
お付き合いだけでも消耗してしまうのに、共働きが前提の結婚なんて無理だ。
さっきつわりがひどい女性の妊娠レポ漫画を読んで、改めて妊娠なんてするものじゃないなと再認識した。
子育てだけじゃない。リフレッシュしたい連休には旦那の実家へ行かないといけないらしいし、
親戚付き合いは増えるし、血のつながってない相手の介護まで待っている。
そもそも、私がなりたかったのは、お嫁さんじゃなくてお気楽専業主婦だったと
29年生きてきてやっと自覚した。
主婦は無理、でもかと言って仕事に生きるキャリアウーマンも厳しい。
手取り20万も無いキャリアウーマン、仕事に生きる女なんて、笑い話にもならない。
男尊女卑のこの社会で、私みたいな弱者女性が生きるには、余りにも厳しすぎる。
もうどうすれば良いんだろうか……
以前に何度か女性とお付き合いしたことはあるが、どうも相手を騙しているような気がして、
周りの友人が結婚していく中、
と思い、
最近よく聞く「性の多様化」とか「セクシャルマイノリティ」とか、
その辺りのキーワードで検索したら「アセクシャル」「アロマンティック」といった言葉に行き当たった。
「アセクシャル」は、
みたいな感じで、
みたいな感じらしい。
なるほど自分はアロマンティックなのだな、と思い、ふんふんと納得しながら読み進めて行ったが、1つ違和感を覚えた。
ので、アロマンティックとアセクシャルの違いが明確にされてない。
これは当事者会で話すべきディープな内容なのかな、と思って調べると、参加者の大多数は女性だ。
自分は今まで誰とも付き合った事がなく、告白したこともされたことも無い。小学生の頃に好かれていると耳にした事はあったが、実際の所どうだったのかは知らない。
当時は少女漫画が大好きで、母にねだって買ってもらったちゃおを、何度も何度も繰り返し読んでいた。漫画の中の彼らと同じように、自分も恋愛をして結婚し、子供を産むんだと当然のように信じていた。
けれど今は、その"ふつう"がとても遠くに感じる。
同性だけに恋愛感情を抱くという訳でもないし、異性が苦手という訳でもない。アセクシャルでも、性嫌悪でもない気がする。
自分じゃなくなるみたいに感じてしまうから。自分で制御しきれない感情に満たされるのが、ものすごく怖いから。
ドラマや映画を初めとしたフィクションに加えて、世の中に蔓延る噂やスキャンダルを見て、恋愛感情というのはなんて衝動的で破滅的なんだろうと打ちのめされた。そして世の中の多くの創作物が、それを美しいものとして描いていることも気味悪さに拍車をかけた。
コントロールしきれない感情に振り回されて他人もろとも自分を傷付けるならば、はじめから無い方がいい。他人に近づきすぎるのも恐ろしかったし、どんどん依存してのめり込んでしまいそうという予感もあった。
その誓いの一方で、心の中に閉じ込めてきた秘密の自分を見つけ出して手を差し伸べてくれる救世主を、ずっと探し求めている。どうしようもなく辛くて悲しくて涙が止まらない夜を、眠りについたまま目覚めなければいいと願って布団に潜る夜を、それでも大丈夫だよと、自分も知らぬままにできた深い傷をあたたかく癒してくれる存在を、ずっと求めている。