はてなキーワード: トーマス・マンとは
前作では現実とは異なる層の次元を描写する際、トーマス・マンが意識されていたが、今作はヘルダーリン(の「塔」)が大きな役割を果たしていた。
ヘルダーリンの詩には、20世紀のドイツの状況を予感させるようなイメージも散りばめられているが、この時空を超えるような塔の仕掛けに宮崎駿も惹かれたのではないだろうか(おそらく洋風趣味の大叔父が、かつて輸入したインコが、あの塔のなかで万物の知識と、妄想と、南国への郷愁と、20世紀の戦火と混じり合って、あの大行進のイメージに膨れあがっていったような気がする)。
イメージの氾濫に淫するような、今作の中盤以降の展開には、老人の虚妄の垂れ流しとして呆れる人も多いかもしれない。冒頭20分の、緊張感のみなぎる映像があまりに素晴らしいから、中弛みの印象もあるだろう。でも、あの「ヘルダーリンの塔」に、火とともに亡くなり、火とともに再生する母のエネルギッシュなイメージを重ねるところに、わたし自身は感服もした。
ちなみに、ヘルダーリンと近い世代のドイツ人に、ペスタロッチがいる。かれの考案した「恩物」は、もしかすると、あの「積み木」の発想の源かもしれない。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
勿論タイトルは釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリア(チェコ)人なわけですけど。
独文学というとカフカ、カフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較的ポピュラーな御仁であります。ユダヤ人の家庭に生まれ、生地である現在のチェコ=プラハの言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアスな人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています。
カフカの文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカの作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものをカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリックや暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカの抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカの立場というものが表れているように思われます。カフカは基本的にコミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身の人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。
コミュニケーションという営みは人間と基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分の人生や他人の人生をコントロールしようとします。しかし、そのような一般的なコミュニケーションの立場と、カフカのコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われます。とはいえ、カフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。
つまり、カフカはユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家や国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカは現在のチェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまり、カフカは自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。
カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーションを根本的に支える言語というものは――自身の人生をリラックスさせ、他者との間に健全なコミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種の異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうが、しかしやはりこの視点はカフカを理解する上では切っても切れない重要な点となります。カフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋の異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語やレトリックは基本的に、一種の生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家の国民が土着言語を用いず宗主国の言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語と人格は複雑に結びつき、そして、自身の人格や感情を表す際に、極めて重要な役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかしカフカにおいてはそれは事実ではありません。
カフカの作品群において、カフカは言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語の構成に依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまりは暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカの文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事や物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水が現実の自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身の感情を説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情を説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。
この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マンの文学においても、感情や内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます。感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーションや言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます。言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。
しかしそのコミュニケーションへの失望が結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーションに失望をしていてさえなお、小説をものしたのですから。
何故カフカは文学を書いたのでしょうか? 文学は自己表現である、という一般的な見方と、カフカの文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学は自己から自己への感情の乖離です。いわば自己の自己に対する乖離そのものです。
そのような営みは、恐らくカフカの人間性に淀みを与えているようにさえ思えます。自己の自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊的行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊を目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家や小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命と生活の痕跡を世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまり、カフカの文学はコミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーションや言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。
結論から言えば、カフカが文章を書いていたのは、恐らく乖離を目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己を乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己を省察可能な対象として対置する行為が、彼の文学の目的の一部だったと言えるでしょう。
このような記述は文学における一般論の範疇を出たものではなく、彼の人生や文学の目的は未だもって謎に包まれています。カフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーションの媒体である文字や言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
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・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
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1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
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・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
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1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
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・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
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1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
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1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
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1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
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1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
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1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
『超権威主義的世界文学百選』http://togetter.com/li/138734というランキングを見て、面白いと思いながらも疑問に思ったことがあって、「20世紀の小説ばっかりじゃん!!」ということで19世紀の小説を重視したランキングを作成してみました。具体的には近代文学の始まり「ドン・キホーテ」(1605,1615)からモダニズムの始まりである「ユリシーズ」(1922)までです。つまり近代文学のモダニズム以前、ということになります。小説を選ぶうえで参考になればと。あと、あくまで個人的な基準に過ぎないことを留意してもらえればと。
1.「ドン・キホーテ」(1605,1615) ミゲル・デ・セルバンテス
2.「ガリヴァー旅行記」(1726) ジョナサン・スウィフト
3.「トム・ジョーンズ」(1749) ヘンリー・フィールディング
4.「紅楼夢」(18世紀中頃) 曹雪芹
5.「トリストラム・シャンディ」(1759~1767) ローレンス・スターン
7.「高慢と偏見」(1813) ジェーン・オースティン
8.「黄金の壺」(1814) E.T.A.ホフマン
10.「いいなづけ」(1825) アレッサンドロ・マンゾーニ
11.「赤と黒」(1830) スタンダール
13.「アッシャー家の崩壊」(1839) エドガー・アラン・ポー
15.「虚栄の市」(1848) ウィリアム・メイクピース・サッカレー
16.「緋文字」(1850) ナサニエル・ホーソーン
17.「デイビッド・コパフィールド」(1850) チャールズ・ディケンズ
18.「白鯨」(1851) ハーマン・メルヴィル
19.「死せる魂」(1855) ニコライ・ゴーゴリ
20.「オーレリア」(1855) ジェラール・ド・ネルヴァル
21.「ボヴァリー夫人」(1857) ギュスターブ・フロベール
22.「晩夏」(1857) アーダルベルト・シュティフター
25.「ミドルマーチ」(1872) ジョージ・エリオット
29.「ブラス・クーバスの死後の回想」(1881) マシャード・デ・アシス
30.「さかしま」(1884) ジョリス=カルル・ユイスマンス
31.「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885) マーク・トウェイン
32.「飢え」(1890) クヌート・ハムスン
33.「クォ・ヴァディス」(1895) ヘンリク・シェンキェヴィッチ
36.「シスター・キャリー」(1900) セオドラ・ドライサー
37.「ロード・ジム」(1900) ジョゼフ・コンラッド
38.「ブッデンブロークス家の人々」(1901) トーマス・マン
39.「超男性」(1901) アルフレッド・ジャリ
40.「チャンドス卿の手紙」(1902) フーゴ・フォン・ホーフマンスタール
41.「鳩の翼」(1903) ヘンリー・ジェイムズ
42.「一万一千本の鞭」(1907) ギヨーム・アポリネーム
44.「ハワーズ・エンド」(1910) E.M.フォースター
45.「ペテルブルク」(1913) アンドレイ・ベールイ
46.「変身」(1915) フランツ・カフカ
47.「明暗」(1916) 夏目漱石
48.「ワインズバーグ・オハイオ」(1919) シャーウッド・アンダーソン
49.「われら」(1921) エヴゲーニイ・ザミャーチン
彼の書く文章は往々にして読みやすく、ユーモアに満ちている
つまり、彼の書く文章は往々にしてロクでもないものなのだ。読みやすさとユーモア、その二つさえあればロクでもない文章になるのには十分事足りる。あるいはこう言うこともできるだろう、世間のいわゆるロクでもない文章ではない文章というものは読みにくいし、ユーモアに欠けている。
しかし、私が言いたいのはそういう面において、彼の文章が非常に洗練されているということである
また、ロクでもない文章しか読まない大多数の人間にとって、彼の文章は読むに値するということなのだ
貴方がトーマス・マンのトニオ・クレイゲルなどを読むことを日課にしていないのであれば、私は貴方に村上春樹の文章をおすすめする。
「帰って家族を大切にしてあげて下さい」(ノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために私達はどんな事をしたらいいですか」と問われて)
「やっぱり修行で得た力というのは他人のために使うものだと私は思います」
「・・・傷つき迷える者たちへ・・・敗北とは傷つき倒れることではありません。そうした時に自分を見失ったときのことを言うのです。強く心を持ちなさい。あせらずもう一度じっくりと自分の使命と力量を考えなおしてみなさい。自分にできることはいくつもない。一人一人がもてる最善の力を尽くす時、たとえ状況が絶望の淵でも必ずや勝利への光明が見えるでしょう・・・!」
「何もしなければまさに何もはじまらないでしょう?・・・ジタバタしかできないなら方法はひとつ・・・!!みなさん!ジタバタしましょう!!」
アバン=デ=ジニュアール3世(三条陸(原作)と稲田浩司(作画)による漫画及びそれを原作とするアニメ『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』に登場する架空の人物)
「少年をよく眺めてください。裁判所に悩む人が居なくなれば裁判所は冷たい箱になってしまいます。」
「あなたには少年事件はつまらなく見えるのかも知れない。確かに声の届かない子供達は多い。何も身につけていない絶望的な子供達も多い。しかし長く少年達を眺めていると判ってくることもあります。」
「多かれ少なかれ、みんな虐められた過去を持っている。小さな子は大きな子に。力のある子は頭のいい子に、女は普通の男に、普通の男は強い男に、強い男は組織に、組織はより強い組織に・・原因を辿っていくと尽きない。」
「私は普通の人間です。でも少年法を使えばその連環を断ち切れるかも知れない。貴方は知らないだけですよ。その恐ろしい輪の中から抜け出せた時に、人がどんな顔で笑うかを・・。」
「世界中のことテレビでざっと見てわかった気になったって、そんなのウソだぜ!世界は目で見える姿の何十倍、何百倍も広いんだ!それに比べりゃ怖い夢も、ハデな超能力も、小せえよ!ごくごく一部だよ!」
「ファシストになるより豚のほうがまだマシさ」
「ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなお前と同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」」
ジェイ・ギャツビー(アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年に出版された小説「グレート・ギャッツビー」に登場する架空の人物)
「だが、世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」
今さっきトーマス・マンの「魔の山」を読もうと思って2ページくらい読んだんですが、ふと思い立って皆の知恵(というか経験?)を借りてみようと思った次第です。
とりあえず、今まで読んで面白かったのは
ヘミングウェイ「誰がために鐘はなる」
スタンダール「赤と黒」
チェーホフ「退屈な話」
等々
自分の分析では、「登場人物(一人称小説なら主人公の)の心理描写が丁寧で、ストレート」なものが好き。
で、「登場人物の考えがいまいちわからない」ものが苦手。たとえば、カフカ、カミュ、など(あくまで個人の趣味の問題で別にけなしてるわけではないです)
あと、どうも「あまりにも細かいことについて掘り下げる日本の小説」も苦手。「暗夜航路」がだめでした。(あくまで(以下略))
あ、ドストエフスキー、シェイクスピア、ホメロス、以外でお願いします。既読が多いので。新しい人とか作品が知りたいのです。
です。こんな私にお勧めありませんか?奇特な方、ご教授ください。作品名だけじゃなくて一言何かあるとさらにありがたいです。注文が多くてごめんなさい。
昼間見て気になっていたのでいまさらレスしてみる。
自分は翻訳物ばかり読むエセ文系だ。一応ドストエフスキーとヘッセは大体読んだと思う。あとプルーストとかスタンダールとかアーヴィング(古典か?)とかブロンテ姉妹とかトーマス・マンなんかを点々と。まあ何というか中途半端だ。
でも、頑張って読んでみるとかなり楽しめる作品が古典には多いと思ってる。
最初はドストエフスキーの「地下室の手記」。増田に集まる非モテ(笑)のみんなに読んでみて欲しい。
「地下室の手記」は、引きこもったニートがひたすら恨み節を呟き続ける話だ。非常に痛い。(笑)
俺は本当は凄い奴なんだけどみんな俺をバカにするから俺はみんなをバカにするんだぜ! というような。
で、知人にキレた勢いでソープに乗り込んでソープ嬢を罵倒したりする。
この作品、やっぱり女性にはまったく理解不能らしくて(笑)、女性の訳者さんがあとがきで散々貶したりしたらしい。
読んでてゲロ吐きそうになるかもしれないけど、良いシーンもあるから、どうか我慢して読んで欲しい(笑)。
ドストエフスキーのほかの作品、「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」とか、サスペンスとしてもかなりドキドキできる作品だし、キャラクターも凄く立ってると思う。名前が長ったらしくておまけに何種類も出てきたりしてややこしいけど(汗)、慣れれば大丈夫。
あと、ヘッセの「荒野のおおかみ」という作品が個人的に大好き。
簡単に言えば、オタ中年がビッチな若い女に出会って教育される話だ。
女に命令されてモテ系CD買ったりディスコへ行ってダンス踊ったり女を買ったりイケメンを交えて3Pしそうになったりする。
実際はかなりシュールではっきりいってわけ分からないんだが(汗)、そのわけ分からない部分も含めて面白い。
自分は作中のこんなセリフが気に入った。
「踊ろうとさえしないで、生きるために骨をおったなんて、どうして言えるの?」
「あんたは世間にとっては次元を一つ多く持ちすぎているのよ。今日生活し、生活を楽しもうと思うものは、あんたや私のような人間であってはならないのよ。インチキ音楽のかわりにほんとの音楽を、娯楽のかわりにほんとの喜びを、お金のかわりに魂を、営業のかわりにほんとの仕事を、遊びごとのかわりにほんとの情熱を求める人、そういう人にとっては、この世のはなやかな世間は故郷じゃないわ……」
まあ「荒野のおおかみ」は読まなくても良いかもしれないけど(ヲイ)、「知と愛」(「ナルチスとゴルトムント」?)は本当に凄く面白いので是非読んで欲しい。
修道院のイケメン神学生をやっていたゴルトムントが、ひょんな事から女を知る。それから修道院を抜け出し、各地でヤりまくる、という話。本当にもう命がけでヤってヤってヤりまくる。(全部双方合意のもとでだけど)
単なる女食いイケメンの話みたいに思えるかもしれないけれど、一人一人の女性に対しては本当に誠実だ。というか、常人の域を超えた誠実さを抱えてしまった人間の話なのだと思う。
あと国文学だけど、夏目漱石なんかはかなり不器用な人だったらしく、読んでいて痛いのが結構ある。
「行人」は相当痛かったなあ。お前は俺か! という感じ。ひたすら愛されないことを嘆く兄貴が。(兄貴は既婚なのだが)
「明暗」なんかはリア充っぽい心理が入り乱れていて、小林(登場人物)と一緒に嘲笑できるかもしれない。ただし作者が執筆中に亡くなってしまったので残念ながら未完。
まともな評論とかあんまり読んでいないので色々怒られそうだし(汗)、チョイスもかなり変だけど、予備知識とかなくていきなり乱読しても慣れれば結構面白いよ、という例なので勘弁してください。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。