はてなキーワード: 以下ネタバレとは
万が一傑作である可能性に賭けて一応読みましたが、そのギャンブルは失敗に終わりました。よくこんな話を恥ずかしげもなく世に出せたものだ、というのが率直な感想です。
【以下ネタバレあり】
あらすじは「高校時代にできた男3女2の仲良しグループからあるとき絶縁された男がずっと鬱々と暮らしていたが、36歳になってやっと気が合うセフレにめぐり逢い、昔のトラウマを解決するよう言われ渋々腰を上げたと思ったら全員にノーアポで会いに行き近況と当時の真相を聞いてまわる話」。
電話やメールやFacebookであらかじめ連絡を取れや何を眠たいことやってんねん阿呆か、と思うタイプの人にはこの小話はまったく向いていません。
鬱々とした心情描写が延々と続き、全然ストーリーが進まないため5ページ読み進めるごとに強烈な眠気との戦いに都度勝利する必要があります。
「午前四時前だよ」
「やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな」"
といった気が利いてる風の間抜けな会話
「シベリウス、アキ・カウリスマキの映画、マリメッコ、ノキア、ムーミン」とつくるは思いついたことを並べた。"
この、「俗物の非インテリである貴様には知りもしない文化的なことがフィンランドにはこんなにあるし、それを当然俺は知っているし、さらにもっと深遠な目的が俺にはあるのだが貴様には到底理解できんだろう」という衒学趣味の受け答え
悩み事があるからと、それが無上の理由であるかのように罪悪感の描写もなく自分で注文した料理をしゃあしゃあと残す思い上がり
…全編このような愚にもつかない内容で構成されておりいちいち上げつらうと宇治十帖よりも長くなってしまうのでこのあたりで切り上げるとして、根本的に気に入らないのは、自分の力で人生を切り開く気概が主人公に無いことです。
改めてネタバレを含めてストーリーをかいつまんで言うと以下の通りになるわけです。
2.でもなんとなく死ねなかった
3.孤独ぶってたら妙に男の後輩Zに懐かれ仲良くなるがある日急に去られて寂しい
4.幸運にも向こうからグイグイくるセフレXができて人生がマシになった
5.セフレXに「昔のトラウマにきちんとケリをつけてから改めて私との関係を構築せよ」と言われ旧友たちの連絡先を取りまとめて渡されて初めてやっと重い腰を上げる
6.「そうした方がいいと思った」という曖昧な理由によりノーアポで旧友男A.男Bを尋ねてまわるが、かつて若々しい夢にあふれていた彼らも今やくだらない仕事をしており無常を感じる
7.なんとなくの想い人だった旧友女Cが主人公にレイプされたと虚言を吹聴していたことが主人公が絶縁された理由であったことを知る
8.その旧友女Cは何者かに殺害されもうこの世に居ないことを知る
9.旧友を訪ねてまわる最中、セフレXが別の男と心底楽しそうに街を歩いてるのを見かける
10.主人公のことをなんとなく好きだった旧友女D(人妻)にフィンランドまで出掛けて行って会い、改めて事件の内幕を聞き、さらに昔は好きだった的なことを言われて恥ずかしげもなくハグしてエモい気持ちになる
11.過去の話に一応ケリがついたので改めてセフレXが寝盗られてたことを思い出し「とくに理由はないけどほかに好きな人がいるんじゃない?」という声の震え丸出しクソダサ詰問を朝四時に電話で仕掛けるも「いやお前、いま早朝だし後日な」ともっともな事を言われて訳知り顔で引き下がる
ね?わかるでしょ?
IQが3ポイント以上ある人ならどなたでもお分かりだと思いますがこの本、最初から最後までクソダサ男のヘナヘナ日記帳でしかありません。この本を読んで得られる人生の真実は何一つありませんし、後に残る感想といえば「だから何?」に尽きるというものです。この文章を参考にして青春時代を過ごそうという若者が居たら絶対に制止したほうがよろしい。この主人公のような受け身の精神性では、貴重な若い日々を無駄にすること請け合いだからです。友達に絶交されて酒飲んで寝て起きてなんとなく暮らしてたらワンルームマンションと都合のいいセックスフレンド(EDでもまったく気にせず優しくヨシヨシしてくれる)が手に入っていた、なんてことは通常起こりません。「押し入れから巨乳の美少女が出てこねえかなあ…」というニートの妄想とレベルが同じです。かかる程度の低い思考回路をさも深遠高尚であるかのような描写に仕立てて凡人の無能さ・非積極性を肯定し甘やかすことは若者を含めたほとんどの人間に対し悪影響であり、社会経済上、および文化芸術の発展からして害悪であると言わざるを得ません。
以上の理由により本来は星0つですが、言論出版の自由、また「くだらない内容であるにも関わらずレビューは高評価である」という事実から導き出される「人間は雰囲気で物事を判断している」という気付きを与えてくれたことに敬意を表して星1つです。
しかし最後になりますが作者の翻訳したほかの作品群は本当に素晴らしい。それらを見るに作者は読解力と文章力は抜きん出た人物であると見受けられます。したがって、本当は彼には物事の真実を見抜くセンスがあるはずです。いつの日かこのような茶番で自己承認と小銭を稼ぐのをやめ、今の自分の軛を脱し、人生の真実を描き出す傑作を上梓してくれることを願ってやみません。
けっこう期待して観に行ったのだが、こんなにも中身のない映画だとは想像もできなかった。
従軍写真家・ジャーナリストの視点から、近未来のアメリカ内戦を描く映画ということらしい。
IQの低い自称ジャーナリスト連中が、ロードムービーのような構成で、馬鹿っぽいセリフと行動で、頭の狂った兵士に殺されかけたり、立ち寄った街のブティックで写真家たちが試着して、それを写真に収めたりして、これは何を表現しようとしているのだろう、俺は一体何を見せられているのだろうと自問する時間が少なくなかった。
タイトルにある「内戦」勃発の経緯も、何が問題なのかも、どこに向かっているのかも不明である。メッセージ性が全くといっていいほど見当たらなかった。
強いていえば一点、これから大統領に返り咲くであろうトランプへの脅し映画だということはわかった(トランプ再選の可能性が高いのだということもわかった)。
ただ、事前にどんな映画なのかを知らされていたならば、決して観ることはなかった(映画評論家のレビューは意味不明な賞賛であふれている)。わざわざIMAXで、安くない対価を支払って観る価値のある映画ではなかった。
(以下ネタバレ含む)
西部軍事勢力が、ワシントンD.C.に侵攻して、ホワイトハウスで大統領側近たちと大統領を虐殺する映画である。
ラストシーンが、銃殺された大統領の遺体の周囲で兵士たちが笑顔で記念撮影をするというもの。イスラエル兵士のパレスチナでの振る舞いを思い起こさせた。
大統領側近(報道官?)が兵士どもと交渉しようとする場面がある。それを兵士は聞く耳持たず撃ち殺す。その流れで大統領を銃殺する。その大統領がトランプに似せられている。
ここまであからさまなヘイト映画をつくる監督とは一体どういう人間なのか。アメリカの映画産業には、トランプを忌み嫌う(殺したいと念願する)勢力が、浸透しているのだとわかった。逆に言えば、トランプはこれほどまでに既存勢力から嫌われているあたり、悪くない大統領候補なのだろうと感じさせるものがあった(実際、トランプ任期中は、戦争狂いのアメリカが新たな戦争を始めなかった。FRBに好き勝手することも許さなかった)。
後で知ったのだが、この映画をつくった監督(アレックス・ガーランド)が、日本で行われたインタビューで、作品に込められたメッセージとは、と問われて答えたのが、「トランプには投票するな」であった。
見たけど、よくわからなかった
話の内容が、というわけではなく制作意図(?)がわからなかった
以下感想
アニメーションの出来が素晴らしい
日本の従来の商業アニメ的ではない表現、演出なので外国の映画賞とかとりそう
普通、アニメで、高校生で、アマチュア寄せ集めで、そっちの方向性にはいかなくないか?
そしてミスチルはクソ
以下ネタバレ気にせず感想をかく、良かった点と悪かった点、疑問点、腑に落ちない点を書くのでだれか答えを教えてくれ
ざっくりいうと邦画っぽい
邦画あまり知らないけどなんていうか岩井俊二的な、岩井俊二をアニメ化するとしたら山田尚子に任せたらよさそう的な感想を持った
ちゃんとアニメとして成立している、邦画っぽいけどやはりこれはアニメなのだ
また、邦画っぽいというのは、エンタメではないという意味も含む
たとえばこの映画が君の名はのように大ヒットして何百億円も稼ぐとはとても思えない
人によっては心に染み入るような、人によってはあくびが出るような、そんなタイプの映画
なぜそう感じるのか?
改めて考えたがこの映画は緩急に乏しい
たくさん登場人物が出るし、エピソードもたくさんあるがどれも平凡
心に刻み付けられる名ゼリフもなければグリグリ動く神作画もない
良かった点
その選曲とパフォーマンスで客がそんな風にはならんやろと思ったり
なんでこの子達がそんな曲作ろうと思うん?だったり
その点、このアニメはよかった
文化祭であんなセンスのある演奏されたらそらああなるし、そういう演奏になる理由も作中で描かれていた
悪かった点
1 ミスチルを起用すんな
単純にあってない
作品の完成度を落としてると思う
いやおそらく「今」なんだろうが、現実の「今」とこの作品の中の「今」、ちょっと違う、いやかなり違うよね
いかにもアニメアニメしたアニメならご都合主義として無視できるのだけど、キャラデザも演出もリアルに、邦画に寄せている分、どうしてもリアリティのなさ、時代の曖昧さを感じてしまう
上の方で岩井俊二っぽいと書いたけど、岩井俊二は時代を切り取るのが上手い
『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』を見れば90年代の小学生のリアルがそのまま伝わってくるし
『リリイシュシュのすべて』を見ればゼロ年代の中学生のリアルに心が苦しくなるはずだ
彼女ら、彼らは、本当に、令和の、2024年の、日本の今を生きる高校生なんだろうか?とてもそうはみえない
作劇に合わせて都合よく作られたフィクショナルなキャラクターに見える
そのちぐはぐさが不快で不満
疑問点
エンタメではなさそうだ
いやもし売れる映画を目指してたなら単純に失敗だ
パンチが足りない
では作家性の強い映画、メッセージ性のある映画をやりたかったのか?
作風的にはこっちの説のがしっくりくるのだけれども、そうだとするとこの作品のテーマがよくわからない
自分には伝わらなかった
わかった人がいれば教えて欲しい
きみの色は結局何がしたい映画だったの?
子どもの頃から手のかかるヤツだったのは間違いない。でも、ここまでは来れた。一応は一人で生きている。
本筋だけど、昨日の土曜日の出来事で、ちょっと思ったことがある。昨日、とある増田日記を読んで、自分も書いてみようと思った。
今朝起こったことなんだが、その時は自宅の山の近くを散歩してた。田舎の道路だ。
うちは田舎なのだが、近年、イオン系列のスーパーマーケットとか分譲地とかニュータウンみたいなやつが進出してきてる。
その分譲地の前を通った時だ。当方と同じ、40代半ばの男が道路を歩いていた。焼酎学校の同級生だった。高校も一緒だった。黒いジャージ姿だったかな。
顔はまあまあで、中肉中背だけど精悍な感じがする。性格とかキャラはよく覚えてない。どっちかと言うと自信家だった。昔から雰囲気は変わってない。
曾祖父の時代から地元の名士である。先祖大体、この市町で公務員勤めをしている。もちろんアイツも地方公務員。高校を出る時に公務員試験に合格して、クラスメイトからは「あいつコネじゃね?」とか言われてたけど、自分は違うと思った。確かに苗字は相当珍しいけど、でもあいつが性根が腐ってるとか、そういうやつじゃないのは知ってる。
それでさ、自分がいつもそのニュータウンの前を通る時、幼稚園くらいの女の子が兄妹とかと遊んでる。3人くらいで。その時も、いた。やはり姉妹3人で水遊びとかしてた。
その子達は、月に何度か散歩中に見かける。姉妹仲よさそうに遊んでる。お互いに存在は認識してる……くらいかな。いや、やはり向こうは俺を認識すらしてないと思う。子どもだし。
さっきの道路の場面に戻るけど。その同級生がさ、その女児が遊んでる分譲地の、住宅の端っこあたりを通ったのだ。俺もすぐ近くにいる。すると、その女児がさ、「こんにちはー!」って大きい声でその同級生に挨拶をしてた。
駆け寄り気味な感じだった。同級生も、「こんちは~」って感じで挨拶を返してた。よくない癖だとは思ったけど、その女児の顔を見た。そしたら、満面の笑みだった。俺は、女の子でも女性でも熟女でも、こんな眩しい笑顔を向けられたことはない。
あんな5才くらいの幼い子でもさ、「アルファオス」というと悪い言い方になるけど、そういうのがわかるんだよな。いい男性の区別がつくのだ。この年代でも。増田で言うところの、『強者男性』というやつだ。
あー、ちょっと気が滅入ったわ。5才ほどの子にすらモテるってことは、きっと若い子にもモテるんだろ? あいつは。正直、羨ましいわ。自分も、一度でいいから女の子にモテてみたい。
こんなこと思ってもしょうがないけど、男だったらやっぱり、女の子にモテたいって思うじゃん。俺も、仕事でいい成果とか出せたら、女性が寄ってきたりするのかな。だったら、頑張りたいな。
俺のところにも、メフィストフェレスが来てほしい。
『ファウスト』っていう作品があるんだが、ドイツにファウストっていう黒魔術の怪しいおっさんが住んでいて……悪魔メフィストと出会って、死後の魂の服従を交換条件として、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を交わすのだ。
それで、ファウストはグレートヒェンという町娘と恋をして、子供を身籠らせて、それで……なんかもういろいろあって、スゲー紆余曲折を体験して、最後は満足して逝くのだ(「時よとまれ お前は美しい」)。
魂は悪魔に引き渡される約束だったけど……以下ネタバレなので省略する。
日曜日に、こんなぼやきをしたくなる程度には、衝撃的な出来事だった。
子どもにだって、自分にとっていいモノもいいヒトもわかるんだよなって感じて、思うところがあった。
お目汚しをすまない。ちょっと思ってみただけだ。
ネタバレあり。
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オッペンハイマー、まず理解するのにアメリカ人の伝記物なので当時のアメリカの歴史を知っておく必要がある。さらにノーランのあまり説明せず、時間軸をぶった切るスタイルがすごいのでよりわかりづらくなっている。
話の流れとしては、1954年(カラー)と、1959年(白黒)の話の二軸になっている。
1954年、当時のマッカーシーの赤狩りでオッペンハイマーがソ連のスパイ容疑かけられて狭い部屋の公聴会で責められて、最終的に公職追放されるまでのところがメイン。その中でオッペンハイマーが自分の過去を回想するという形で原爆開発の流れが示される。
そして、ややこしいのは白黒で示されるストローズの話。あの白黒の場面は1959年のことで、オッペンハイマーは出てこない。当時ストローズが商務長官に任命されそうになり、公開の公聴会がひらかれている。アメリカでは長官に任命されるときに公開の公聴会が開かれてどうするか決めるというのを知っていないとあのシーン自体が何をやってるか全然わかんないんだよな。そしてその公聴会でストローズはオッペンハイマーを陥れたことを追求され、反対が多く長官になれなかったということが表現される。
このオッペンハイマーとストローズ2人が一番絡まるシーン、湖の畔でストローズがアインシュタインに無視されるところってのは映画では一番最初に出てくるが、戦後の話だってのもまぁわかりづらい。
それで、そういうことを知った上で見直すと、映画オッペンハイマーはオッペンハイマー自身と、ストローズという二人のキャラの話を混ぜているとわかる。
オッペンハイマーは天才で破天荒な女性関係が滅茶苦茶なのかとか、自分がどういう立場なのかわかっていながら共産主義関係者を積極的に絡ませたり…それこそ弟誘うの駄目だと思うんだけど…とか、そういうの。自分が大学院のころに世話になった教授が似たような超天才型で、それに振り回された経験があり、あー天才ってこういうところあるよね…自分勝手に好きにやるよね…って思った。そういうのもあって、本人に感情移入しづらかった。
そして、オッペンハイマーの原爆への後悔は、確かに後悔しているんだけど、後悔している自分に酔ってる、可哀想な自分が可哀想てのを表現している感を感じてしまった。これは愛人が死んだときの態度で表現されているようで、あそこも自分のせいで人が死んだこと自体は後悔してるけど、こんなに後悔してます!自分が悲しくて泣いちゃってます!慰めて欲しい!っていうオーラがすごい。
でも、自分かわいそう感の強さにうーんって思ってたら、作中でもトルーマンには馬鹿にされて、ストローズには後悔なんてしてないっていわれて、奥さんからも殉教者になる自分に酔ってるだろみたいなこと言われてるから、意識的に表現してるんじゃないかな…と深読みした。
それで、正直、オッペンハイマー自身よりも、ストローズの方がすごく魅力的に感じた。RDJの演技がすごい。まぁ政治家って時点で普通の人間ではないのだけど、人間性がずれてる天才と比べる形で一人の人間を表現していた。小物さ、狡猾さ、天才とは違う尊大さ、そういうところを会話や態度で表現していて、とても魅力的だった。もう一人の主人公…というか主人公が2人いると思ったし、この映画はオッペンハイマーを舞台装置にしたストローズの話なんじゃないのかって思った。
とにかく、すごい作品だった。見て良かった。
「女は子孫繁栄のために男の不倫を許していくべき」ってyoutube動画は凄すぎた。
だけど、フェイクドキュメンタリー好きが見たい全てが詰まっている。
軽薄な感じの討論番組。
タイトルからして、軽薄だな〜って感じで。これもフェイクドキュメンタリーでよくある感じ。
夫婦が出てきて、ご主人が自分の主張を捲し立てる。いわく、「男はみんな不倫したいんだ、女は不倫したら子供わからなくなるけど、男は不倫したら子孫繁栄だ!」と。
男の妻も出ていて、「子供のことをまず考えてくれ」と主張。周りのコメンテーターたちも妻のことを考えろと夫の主張をたしなめる。
討論が進んでいくと、妻がいきなり、「そもそも、あなたとの子供じゃないから、不倫してできた子供だから」と言い出す。
コメンテーターたちも、「夫の方は、不倫するって言ってたけど、こう言うことじゃん」と言い出す。
最後の方は、インテリ木取りっぽいコメンテーターも、平静を失って唖然としてしまう。
いやあ。全てが面白い。
こっからの混迷ぶりも、フェイクドキュメンタリーみたいなノリ。
まさか、ガチな番組でこんなフェイクドキュメンタリーみたいなノリが発生するんだとびっくりした。
出来の悪いフェイクドキュメンタリーは、フェイク的なことが起こってからは、安いノリでどんどん被害拡大してシラけるが、この番組はガチなので、これがガチでそう言う感じ。
ついでに、「親友のパパ活をやめさせたい まともな生活をしてほしい」もやばい。
親友のパパ活やめてくれって内容の、同番組の相談だが、中盤、衝撃の事実がわかって、議論がどんどん混迷していく。
[追記]
原作未読。
以下ネタバレあり注意。
とりあえずこれ。
「スマホは?」
なんでスマホ持ってないの?
中学生でしょ?
携帯ゲーム機は持ち込んでるのに。
あと、半年以上みんなで過ごしたら、話噛み合わなくて気付くんじゃないの?
テレビとかYouTubeとかTikTokの話とかするだろう普通?
不学校の話もせず、家庭の話もせず、何話してたんだ?
謎すぎる。
あと、狼の少女。
芦田愛菜の演技がキツいのもあるけど、なんであんな上から目線なの?
どういう立場なの?偉いの?
どうやってそんな能力手に入れたの?
「時間が過ぎたら狼に食われることになってる」とか、狼少女の上に誰かいるの?神?
原作読めばわかるの?
いきなりバツ印が墓標とか言われたり、手に集まったり階段出てきたりするのも、意味不明。
狼に食われない限り、謎解き不可能だったのでは?
なんで君らいるの?狼に食われたんじゃなかったの?
とにかくあらゆる設定がガバガバで、感動が薄れた。
ルーズソックスの時代ってポケベルなの?携帯じゃないの?とか。知らんけど。
よかったところ。
あれをよく乗り超えたよなって思うし、泣きそうになった。
現代的な問題を扱ってるし、学生や過去にそういうトラウマ持ってる人には刺さるだろうなって感じた。
ただ、なんか全体的に古くない?
絵とか、演出とか。
構図も単調だし、動きもぎこちない。
前半がだるく、終盤に謎解き集め過ぎて、ちょっとバランスが悪い。
それならもう少し前半スピード上げてほしい。飽きる。
でも伏線はそれなりに回収してて、そういう細かい部分を気にしなければ良作だと思う。
原作読んでみるのもいいのかな。
100点満点の82点。惜しい。リメイクしてほしい。
ゴジラみた。
感想。
面白かった。
戦中戦後をほどほどに知っているからか、各人のセリフや舞台、話の展開に違和感がすごいあった。
(以下ネタバレを含む。)
だって当時の日本人の玉砕せずに逃げたときの負い目は本当に壮絶なものだったし、特攻に子をやる両親が「生きて帰ってこい」などというはずがないし、45年12月の東京は瓦礫の山ではないし(東京大空襲から半年以上経っている)、
米ソ対立がまだそんなでもなかった47年に米軍が軍事行動を避けたいっていうの変だしそれを理由に軍艦を返すのは無茶苦茶だし、てかまだ東京裁判中だし誰がその船動かすんだって話だし、
朝鮮戦争前の碌な産業がなかった当時に女性が銀座で事務で働けるわけないし。
まあその辺りは枝葉末節なのでいいんだけど。
戦後間もない人たちが「いのちだいじに」が基本指針なわけないじゃん。
戦後復興のためにどれだけの人間が命を賭して頑張ってきたと思ってるんだ。
東海道新幹線、首都高速、黒部ダム、その他数多くの現代社会を支えるインフラは戦後の人たち、戦争を生き残った昭和の人たちの犠牲の上にある。
というかほんとつい最近まで命より仕事の方が大事だったじゃん、KAROSHIは戦前の言葉じゃないよ?
メンタルは戦前戦中のままに武力に費やしてたリソースを経済活動に全ツッパして走り抜けたのが昭和という時代だよ。
なのにゴジラをまえに全員助かるつもりで戦おう!みたいな?おまえらみんな令和からタイムスリップしてきたのかよ、ってくらい現代的な価値観で物事がすすんでいくので現実日本とのギャップをどうしてもすごく感じてしまった。
でもその違和感を感じない状態、つまり自分が日本のことをうっすらとしか知らないアメリカ人にでもなったつもりでこの映画を見たとしたらかなり楽しめたと思う。
映像頑張ってるし、歴代最高レベルでゴジラカッコいいし、音楽のタイミング最高だったし、展開はベタベタだけど綺麗に終わったし。
これは大変だと思って、夫にジャンプ買って帰ってあげた。
普段は月曜すぐには読んでないみたいだけど、
You Tubeは結構見てるし、日を跨ぐとどこかで目にしてしまうかもしれない。
流石にこれは読む前に知りたくないだろ、と思って一目散にコンビニに寄った。
玄関に置いておいたら帰宅した瞬間に「何かある!」とテンション上がってた。
ご飯のあとに「録画見る?」というから「せっかく買ってきたしジャンプ読んでいいよ」と勧めたら素直に読んだ。
読み終えて、「たいへんなことになった」と言った。でしょうね。
「前回、「五条先生の勝ちだ」で終わったんだよ…!」といってソファに伸びてた(正確なセリフはちょっと違うっぽい)。
しばらくして、ぱら…と開き直して「グロい…グロいよ…」と悲しい声を出していた。
良いことをしたのか悪いことをしたのかよくわかんない感じになっちゃった。
(吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は未読なので、そこからの引用があったらごめんなさい)
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いやね、まったくダメってわけじゃないのよ?最終的には得意の異世界冒険活劇に着地させるし。そこは熟練の技。
ただ、セルフオマージュをしたいがための意味不明な設定や展開が多すぎて、全然ストーリーに乗れないの。
父親が(多分)軍用機のキャノピーを作る工場を経営してて、主人公はいいとこの子、って設定、なにかに生かされた?
あ〜「風立ちぬ」っぽい!ってシーン以外、ストーリーに絡んでなくない?
主人公が引っ越す旧家も延々歩く描写があるわりに、結局主人公が暮らすのは離れの洋館だし、舞台はほぼ塔の建物と異世界。
結果、和の旧家はばあやがたくさんいる、という描写のためだけにでてきた形。
■謎展開
そのたび
「ついてこい」「わかった。ついていく」で状況説明するもんだから主人公の主体性isどこ?ってなる
最近会ったばかりの父の再婚相手(しかも距離感微妙)を救うために冒険しなくない?
助けるモチベーションを問われて、何度も「父が好きな人だ」って説明する羽目になってる。謎動機。
あれ、いつの間にか救われてる。じゃああの描写いらないじゃん。
そもそも後妻はなんで異世界で子供産もうとしたのかも語られない。
ほかにも「母親の病院が火事だと聞いて家を飛び出すも、一旦家に帰って着替えるシークエンス」「弓矢を作るシークエンス」など
無駄なシーンが多い。その時間で主人公の動機をもっと作ってあげればいいのに。
■ヴィランの不在
宮崎アニメの魅力はやっぱり悪役だと思うんですよ。カリオストロ伯爵しかり、ムスカしかり、カーチスしかり。
インコ大王は悪役ってほどもなかったし。アオサギ?彼は何がしたかったの?
で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?
にも関わらず「産屋に入ったのが禁忌だった」ってまさかの後出しタブー!聞いたことねえよそんな作劇!
■結論
「塔状の建物を上に逃げる悪役を追う展開はカリオストロ!」「森のトンネルはトトロ!」「崩壊シーンはラピュタ!」「幻の船団は紅の豚!」
みたいな楽しみ方はできるけど、それだけなんだよなあ。
まるでシナリオ第1稿をそのまま映像化してしまったような、すごくもったいない作品。
出したけど聞き入れなかったのかは分からないが、
これが宮崎駿の遺作になるとしたら残念でならない。
小3の娘が見たい見たい言うので連れて行った
どんなポリコレ映画なんだろうと身構えて見てたけど、ポリコレ的な部分が意外なほど気にならなかった
というのはこの映画、ポリコレ要素はアリエルの肌の色だけに限らず、ありとあらゆる物に世界中のものを持ってきている、文化のごった煮映画だったからだ
ここまで振り切れると真面目にポリコレについて語るのもアホらしい気持ちになった
以下ネタバレも含む
人魚の王は、7つの海を統べる海の王なので、7つの海にそれぞれ娘がいる設定みたいだった
娘をそれぞれの海に派遣してるのか、それぞれの地域の女に子を産ませてるのかは知らん
が、とにかく7つの海をイメージするような人種の人魚7姉妹が出てきて、幹部会議?閣僚会議?みたいな会議をしていた
あー、そういう感じで人種たくさん盛った意味の説明すんのね、なるほどね、とは思ったけど、白人の父が各地の人魚人種に子を産ませてるとしたらポリコレ的にはなかなかな事態だし、しかし娘たちはハーフ顔やなくてもろに中国人やインド人などだし、なんかそういうわけでもないんだろうなと解釈した
じゃあきっと、人魚には人種とかなく、色んなバリエーションの子が同じ親から生まれ、人間からするとそれが人種に見えるみたいな?感じなんかなと思った
いや、知らんわ
アリエルと王子がデートするシーンも、アジアの市場のような?ヨーロッパの市場のような?南米のような?とにかく文化をモリモリに盛った架空の市場が出てくる
とにかくごった煮なんだよ
真面目に考えてないこれ!
とにかく色々、なんでも、雰囲気で詰め込めるものは詰め込んだよ!ファンタジーだからね!くらいしか思ってないな!!
しかし、娘の感想が、思ったよりアリエルの顔が汚かった、だったので、なんて説明というか教育というか、すべきかわからなくなったよ
ブレワイで感じてた不満点があまり解消されてなかったな
もちろん、面白いところもある
でも結局同じことの繰り返しで作業ゲーになって飽きてくる
以下ネタバレ注意
・マップが広い
地上と同じ広さのマップが空と地下に追加されてめっちゃワクワクした
あとマップ使いまわしてるのに探索したい欲が溢れてくるのはとてもよくできてると感じた
・過去作由来の服が手に入る
あの服が手に入るんだ!って一人で興奮してた
・賢者が出てきた
時オカじゃん!って一人で興奮してた
強いて言えば、崖登りめんどくさいから壁の中を自由に移動できたらよかったなあ
・矢がたくさん手に入る
・キュルンキュルンが観測所にいてくれた
上移動でめっちゃ便利
・各地の神殿に向かうまでの道中
炎の神殿は微妙だったけど、各神殿に行くまでの道中が楽しかった
前作はマジで魅力ゼロだったけど、今作はちゃんとデザインしてくれてよかった
カラカラバザールで「街は問題なさそう」みたいな会話を聞いてたから初めて街入った時のあの廃墟な感じがかなりグッときた
人外好きな性癖はないんだけど、なんかゾーラ族ってかわいく見えるんだよな
なんでだろ
・ゾナウギア関連
戦闘ゴーレムそんなに見つけらんないし武器節約したいから戦いたくないしでガチャの素材全然集まらない
あと操縦棍の操作性悪くない?
Googleのオススメ記事みたいなやつでティアキンのクラフトがすごいみたいなやつが流れてきたから見たけど、確かにすごかった
よく作ったと感心したし、そういう遊び方ができる人がうらやましい
あるダンジョンで手に入るアイテム(スキル)を使用してゲームを攻略する要素がない
例えば、過去作では弓や爆弾はもちろん、フックショット、ハンマー、ヘビィブーツなど後半でなければ手に入らないアイテムもあった
それらのアイテムを用いてダンジョンを攻略したり、各地の「今は取れない」アイテムを物欲しそうに眺めていたはずだ
そういうリンクができることを増やす要素がブレワイ以降ないように思える
そうなると謎解きがほぼ同じでつまらない
・料理がめんどくさい
①火が付いた料理鍋を用意する
②メニューを開いて素材タブへ遷移
④メニューを閉じたら料理鍋の前へ移動して「料理する」のアイコンが出たらAボタンで料理開始
回復アイテム作るのにこれ繰り返してたんだけど俺が知らん効率いい方法あるの?
最終的にめんどくさくなって低体力になったらこまめにセーブしてデスループしてた
・武器が壊れる
武器集めめんどくさい
今作はそれに加えてクラフトしないと弱い
何が強いのかよくわからんかったから敵が落とした強そうな武器を貯めておいてボス戦で使ってた
・雨
カワズ装備揃わなかったし、薬つくるの面倒だよね
みんなどうしてんだろ
強制ではないんだけどなんかやらなきゃいけない使命感に駆られるんだよ
マップが広すぎてイベントとか用意しきれないからとりあえずヤハハア置いとけばいいと思ってんだろ
しかも今作から友達のところに行きたいと遠回しに言ってくるヤハハアが各地に出没してイライラした
・馬
リンクで走るよりは速いけど操作性悪いしちょっと段差あると登れないし乗ってるとき物拾えない
口笛吹いたら遠くても来てくれるようになったけど、マジで走ってくるんだよな
近くまでワープすればいいのに
・服
着替えが面倒
暑い寒いところ以外では虫とか捕まえやすい&夜間スピードアップの忍びセットしか使わなかった
・祠
各地にハートのかけらが落ちてると思えばありなんだけど、毎回謎解きやらされるのが面倒
・敵が固いだけ
敵の種類が少ないのを色違いで補うのは100歩譲っていいけどさ、ただ固いだけで武器を無駄に消費させるのはやめてほしい
・眺望台
移動が面倒なので眺望台とか目的地近くの空の祠にワープして落下移動が多かった
ルージュ以外全滅でもよかったのに
・龍が湧かない
今作はいつ出てくるのかよくわからなくて龍の素材集めがめんどくさかった
消せることに気づいて速攻消した
・ゼルダ姫
え?せっかく救ったのにどこ行っちゃうんですか?
またあなたを助けるんですか?
以下ネタバレあり。
==== =====
ぶっちゃけこの映画の本編は、スピンオフ漫画の『真の安らぎはこの世になく -シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE-』だと思う。
「あの謎設定なんだったの?」と消化不良を起こした人は、この漫画を読めば腑に落ちると思う。たぶん。
この映画の登場人物の多くに共通する特徴は、自分で考えることを放棄していること。
主人公は「自分は持ってる力をちゃんと行使したいんだ!」という点を除けば、るり子の意思で行動してる。
穿った見方をすれば大義名分は他人に考えてもらい、暴力を振るうことが目的化しているとも言えるやべーやつ。
一方黒幕サイドも「他人に考えて貰う」という点では似てるけど、逆に『力のバトン』が引き継がれてる。
ショッカーの創設者はAIに「世の中を良くしてくれ」と判断を丸投げして退場し、
AIは一部の人間をピックアップして力を与え、どのような行動を取るか観察している。
思うにAIがやってるのは、人間を使った強化学習なんだと思う。
この作品に出てくる怪人は、ゴジラやウルトラマンと違って結構弱い。
「こういう思想を持った怪人がいるけど、人類の皆さん、どう思います?」と観測気球を揚げている。
それが受け入れられなければ「やっぱり違うか~」と別の極端な思想の怪人を繰り出す。
AIの目論見としては、何体か怪人を世に放った末に「この怪人は良いやつなんじゃない?」と受け入れられる怪人が出てくるのを待ってるんだと思う。
そう考えると、仮面ライダーは「代わりに守ってくれる存在がいるのは幸福」という価値観を試すための怪人とも言える。
映画の作中では人類は仮面ライダーをうまく利用しつつ自らの武力も放棄してなかったけど、そのうち「仮面ライダーがいるから自分たちは戦わなくていいや」と思うようになるんじゃないかな。
毎年この時期になると「ドラえもんの映画が酷い」というブログなり増田なりが流行るんだが
それにしても今回のは酷かった
個人的には南極が9点とすると、宝島が2点、月面探査機は8点、新恐竜は7点、宇宙小戦争は9点ぐらい
そして今回の理想郷は3点ぐらいだろうか
史実の織り交ぜや散りばめられた伏線などなかなか良作の期待感が抜群にあった
「これは良い感じで本編に絡んでくるのでは?」
という感じにも見えたし凄く良かった
ただ一切関係無かったわけだが
割と早々に理想郷に辿り着いてしまったので「あれ、これヤバイかも」とは思ったが
と思って期待してしまった
ただ中盤がダラダラしていたせいでめちゃくちゃ眠かった
周りの未就学児童とかもこのあたりでザワついていた
結局、宗教的批判だとかはなく、伏線は回収されたけれど史実介入的なのは無し
22世紀の科学者が小学生に説教されてぶち切れて全部ぶっ壊すとかいうどうしようもない展開
というかボスの野望はなんだったの?
日本誕生のギガゾンビは分かりやすく人類支配しようとしてたけど、のび太の街を支配してどうするつもりだったの?
そんなこんなで理想郷が崩れていくけれど、バトルシーンも脱出シーンも特に見所は無しで、もうひたすら眠い
宇宙小戦争にあったようなカタルシスも無いし、伏線回収も「まぁそうだろうね」というぐらいでしかない
おまけに最後はアルマゲドンオチでのお涙頂戴で、もうどうしようもなくダメダメだった
映画はアレだったけれど子供達はそこそこ満足してた(過去2番目ぐらいらしい。いつもは1番と言うのに。)
まぁ推しのグッズは買えるときに買っとけということでグッズ売り場行ったらメインキャラのソーニャのグッズが全く無い
どうやらソーニャ役はジャニーズのキンプリの誰かが演じていたらしく
ファンどもがグッズをイナゴのごとく買い漁って売り切れてしまってるとか
どことなくイケメン風のキャラ設定、序盤の中途半端な役回り、中盤での空気的扱いを経てからのやっつけ的なアルマゲドンはそういうことか、と
完全に想像だけど最初はソーニャはドラえもん映画にありがちな普通の役回りだったのに
それだと見せ場が全然無いってことでジャニーズの横槍が入って最後のアルマゲドンを適当にくっつけたんじゃなかろうか
いやぁ、そんなことないと思うけどね
最後に意味不明に自己犠牲で話を終わらせるのは罰金刑にすべきだと思うんだよね
まぁやるとしても、生死不明ぐらいの演出にしてほしいわけですよ
ああいうのが許されるのは
のどっちかの場合だけなのよ
分かったか、ペル?お前もな?
簡単に命が捨てられていく
違う僕らが
見ていたいのは
希望に満ちた光だ
昨日見に行って来た。
封切りから間もないのにもう上映回数が日に2回だけ。人気無いにも程がある。
トーキーが生まれる前、映画館がニコロデオンと呼ばれた時代。業界の好況に浮かれる映画スターと業界人を土台に、その時代イチのスターとしてブラッド・ピット演じるジャック、そのスターの座に駆け上がろうとする新星女優にマーゴット・ロビー演じるネリーが登場する。でも本当の主役は気の優しいメキシコ移民の青年のマヌエル。彼ら3人と映画業界の移り変わりを軸に話は展開して行く。
映画の作りはララランドの雰囲気を踏襲しつつサイケとドラッグとセックス、そして暴力的なシーンと絵作りを加えた感じ。
騒音と静寂。光と影。栄華と失墜。堕落。退廃。二度と戻れない転換点。
映画と音楽への溢れんばかりの愛情を描きつつ、嫌な面の描写が続くので見ていて結構辛い。これが3時間以上続く。
1つ、
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2つ、
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3つ。
ではネタバレの話。
最後は全員幸せは訪れない。ジャックはトーキーの時代の観客に受け入れられず自殺。ネリーも時代の波から溢れ落ち、這い上がろうとするも失敗続きで失踪の挙句に死亡。心優しい青年マヌエルも愛するネリーを助けようと奮闘するも自らの身を滅ぼす事になり、遂にはギャングに命を狙われる。
最後のシーンはLAを命からガラ逃げ出したマヌエルが20年近く経った後に家族と訪れる場面。彼は家族と離れ、1人映画館へと足を運ぶ。スクリーンに映し出される歌と踊り。そこから過去から現在までの様々な映画のシーンが登場する。そして涙するマヌエル。光の三元色の激しい点滅(映画鑑賞前に「てんかんに注意」の説明必要なんじゃないの?これってほど)。そして終劇。
見終わっての感想としては「最後は何じゃこりゃ」。悪いとは言わない。人間模様の描写は悪く無い。業界の退廃具合もこうだったんだろう。でも最後への持って来かたとラストシーンのサイケへの振り具合、酷すぎない?
地上波で流せる内容と尺じゃないのでTVで見る事は無いだろうけど、もう一度サブスクか何かで見るかと言われれば自分は見ない。一度でお腹いっぱい。
原作未読。
主題歌が優里くんなので観ることにした。
以下ネタバレあり注意。
とりあえずこれ。
「スマホは?」
なんでスマホ持ってないの?
中学生でしょ?
携帯ゲーム機は持ち込んでるのに。
あと、半年以上みんなで過ごしたら、話噛み合わなくて気付くんじゃないの?
テレビとかYouTubeとかTikTokの話とかするだろう普通?
不学校の話もせず、家庭の話もせず、何話してたんだ?
謎すぎる。
あと、狼の少女。
芦田愛菜の演技がキツいのもあるけど、なんであんな上から目線なの?
どういう立場なの?偉いの?
どうやってそんな能力手に入れたの?
「時間が過ぎたら狼に食われることになってる」とか、狼少女の上に誰かいるの?神?
原作読めばわかるの?
いきなりバツ印が墓標とか言われたり、手に集まったり階段出てきたりするのも、意味不明。
狼に食われない限り、謎解き不可能だったのでは?
なんで君らいるの?狼に食われたんじゃなかったの?
とにかくあらゆる設定がガバガバで、感動が薄れた。
ルーズソックスの時代ってポケベルなの?携帯じゃないの?とか。知らんけど。
よかったところ。
あれをよく乗り超えたよなって思うし、泣きそうになった。
現代的な問題を扱ってるし、学生や過去にそういうトラウマ持ってる人には刺さるだろうなって感じた。
ただ、なんか全体的に古くない?
絵とか、演出とか。
構図も単調だし、動きもぎこちない。
前半がだるく、終盤に謎解き集め過ぎて、ちょっとバランスが悪い。
それならもう少し前半スピード上げてほしい。飽きる。
でも伏線はそれなりに回収してて、そういう細かい部分を気にしなければ良作だと思う。
原作読んでみるのもいいのかな。
あとはやっぱり優里くんの歌が最高だった。これだけはファン目線で申し訳ないが、映画のエンディングに合っててよかった。
100点満点の82点。惜しい。リメイクしてほしい。
中学・高校バスケ部、下手くそで全然試合出れずずっとベンチ、スラダン全巻保有の人間の感想。
オープニングの湘北が1人ずつ歩いてくるやつ、かっけ〜!!テンション爆上がり。音楽もよい!
(一本、そーぉれ一本!ピッピー!とか、ディーフェンス!ディーフェンス!とかそういうやつ)
試合の合間にコートの隅にいるモッパー(モップ係。選手の汗が落ちてると踏んで滑るから拭きます)の猛ダッシュ懐かっし〜!!リアリティがやべ〜
オフィシャルも懐かしいよ〜ファウル数えたりタイマー止めたりタイムアウト言われて試合止めたりすんだよ〜あれ他のチームが順番にやってんのよ、試合出ない人が。(全国大会は違うかもしれぬが)
審判の「オフェンス!チャージング!」の身振りの大げささとか、「バスケットカウント!ワンスロー!」の力の入れ具合とか懐かし〜!あのグレーの審判服も懐かし〜!審判、人によっては動きがコミカルだったり、やたら力入ってたりとか面白いんだ。
冒頭の湘北のアリウープ、漫画だと結構なギャグシーンだけど映画だとサラッとやっててよかった。
桜木がゴリにカンチョーして殴られるのとかはやるけど、魚住の大根桂剥きは無かった。別に無くていいけど。
途中の桜木の成長振り返りシーンで一瞬牧とか仙道とか出てくるのもテンション上がるわ〜
絵が上手すぎるんだよ。絵の演技がすげぇよ。
台詞じゃなくて絵で語ってた。
妹ちゃんのカラッとした感じがよかった。
やさぐれる前のミッチーのキラキラ感がやさぐれ後との落差で笑えるほどだった。
見終わった感想としてはめちゃくちゃ良かったけど原作未読の人は多分意味分かんないんじゃない?と思ったんですが、原作読んでないけどよかったと言っている人がいたのでそんなことないのかもしれない。
原作読んでなかったらあのキラキラボーイがミッチーだとは分からない気がするが、どうだろう。
映画本も買った。
単行本未収録のリョーちんの沖縄時代のエピソードが載っているというやつ。
漫画は自分一人のフィーリングで描けるけど、映画を作るには大量のスタッフに意図を伝えるために言語化をせざるを得なかった話とか、
漫画なら小さいコマでチラッと載せられるエピソードも、映画は全コマ見開きみたいな感じで難しい話とか。
苦労が伝わった。
見た??!!
最高だったんだけど!!!
マンガは大ファンで、スラムダンクきっかけでスポ少入ってたし、
結論、最高だったんだけど!!!
声優は正直気になったけど、こんなの子どもの頃に見たものの刷り込みとの差分だから、あって当然。保留。
それを置いておいて最高だった。
3Dを使うところもよく考えられてたし(違和感はあったけど、必然性は感じた)
何より、内容に適した演出が極まっててヤバかった。汗、時間の感覚、細かい動き。すばらしかった。
内容も良かった。
自分の家も親が早くに逝ったり、離婚してたりで、弟が辛そうにしてた時、バスケを支えにしてた。
そう、バスケって人を支えてくれるんだよな…!って思い出した。
バスケにかける理由は様々だけど、それらがきちんと解像度たかたかで描かれてて震えた。
言いたいことは山ほどあるけど、
とりあえず
ここでの「セカイ系問題」とは、二人の関係性を選択した場合に社会が甚大な被害を被る場合に、関係性と社会のどちらを選択するのかといった意味の造語である。
その問題に対する「すずめの戸締まり」での解決方法は、ちょっと驚きだった。
前作「天気の子」の鮮やかな選択を知っているだけあって、今作での本問題に対する結論は、かなり驚愕であった。
以下ネタバレになるが、今作ではファンタジカルな第三者が現れて、その問題を解決するという解決方法だった。
いや、第三者が現れて「セカイ系問題」を解決すること自体は、根本的に正しい。
多くの作品で子供として存在する主人公が、その対立問題を一手に引き受ける必要などみじんもない。
そこを例えば、大人である私たちが導くなりカウンセリングするなりして、問題の糸を解いていくのは、本当に根本的に正しい。
「すずめの戸締まり」では、その役割をファンタジカルな存在に投げてしまった。
ファンタジカルな存在が解決するということは、社会が何も手助けしないというのと同義だ。
新海誠は、本作を多くの人に届く作品にしたい旨の発言をインタビューでしているが、そうすると、こういう展開が社会の多くの人々が望む展開なのだろう。
すなわち、「セカイ系問題」みたいな個人的かつ社会への影響が大きな問題には、社会はコミットしないけれども、
社会が甚大な被害を被るのも許容しない。ファンタジカルな第三者が現れて、その問題が解決されることを期待する。
という、ふざけた解決方法を社会の人々はきっと望んでいるのだ。
いや、これは作品を描いた作者が悪い訳ではない。
それを、社会に受け入れられる展開として描かせる社会の器量の狭さこそが悪いのだ。
逆説的に言えば、「すずめの戸締まり」のあの解決方法は、社会の本当の宿痾みたいなものを暗示している。
前半は、人々の寛容みたいなものをひたすら示すロードムービー的展開だっただけに、その隠された社会の人々の不寛容がかなり心に突き刺さり、驚愕の声が出てしまった。
「すずめの戸締まり」観ましたけど、わからないところがたくさんあるので教えてほしい。筆者は難癖増田ではなく、不明点を解消したい増田です。こんなこと記名で書いたら叩かれるから、増田にしか書けないのです。
<<以下ネタバレ注意>>
⇒和魂として長年信仰されていた神が、信仰を忘れたことにより荒魂と転じた? 巫覡(シャーマン)のすずめを気に入り、邪魔者である男を祟った? そもそもなんでネコのかたちを取るのだろう?
⇒人身御供として捧げられたものが神と転じた可能性あり? ネコの神様はマイナーなだけで先行事例がないわけじゃないし。
・あんな自宅のカギ以下のペラペラなカギで、タタリ(みみずのことです)が漏れ出すようなヤバい扉閉められるの? 神器でもなんでもなさそうなのに。カギの救急車あたりに大金積んで、もっと立派なやつをつくってもらったほうがマシでは? カギの救急車がイヤなら伊勢神宮でもいいよ! あそこなら建物だけじゃなく道具も定期更新を行っているから、ノウハウ貯まってるよ!
あの白衣はりかけいのおことである証なの? 神主の資格が取れる國學院大學か皇學館大学であたりで修行して、もっと装備を調えたほうがよくない? 劇中でもケガしてたし、腕にシルバーでも巻いてみたらどう?
・主人公のすずめは天の岩屋戸説話に登場するアメノウズメから名前を取られたらしいけど、やってることは天手力男のほうでは? センシティブ極まりない踊りをするほうではなく、力ずくで天の岩屋戸の戸をこじ開けた天手力男のほうが主人公の名の由来にピッタリとあてはまるんじゃないかしら。
⇒このことは企画会議中に指摘がなきゃおかしいけど、そのまま通った理由がわからないし、知りたい。タイトル変わっちゃうけど。
・すずめは映画のラストで常世に行く。常世といえば大国主神と国造りを行ったスクナヒコナがお隠れになった場所でもあるけど、あんなに燃えててOKなの? スクナヒコナ死んじゃうよ?
⇒常世は映画独自の解釈かも。地名(?)が同じだけで、Apple Store 銀座があるほうの銀座と戸越銀座ぐらい違うとか。燃えてる銀座はヤダなあ。