はてなキーワード: ジョージ・ルーカスとは
増田は結婚したくないけど、結婚を断って自分のQOLが下がる事も許せない正直な人間。
根本的な原因はまず自分の経済力やルックスに自信がないこと。増田がよりどりみどりのモテモテだったら、この人以上はいないなんて思わない。その割に自治体の補助金や支援策、iDeCoとか調べてなさそう。
ウィリアム・シェイクスピアも夏目漱石もスティーブ・ジョブズもジョージ・ルーカスも既婚者なので、作風の陳腐化を恐れるなら永遠にルーティンが続く独身の方がネタ切れに苦しみそうな気もする。
一つ言えるのは、両親がお互いにベタ惚れかそうでないかによって、生まれてきた子供の自尊感情やコミュニケーション能力、対人関係の満足度が雲泥の差になるということだ。
自分の子供が弱者になる芽を摘みたいなら、会うのが毎日楽しみでたまらず、そばにいたら思わず微笑んでしまい、太れば愛する部分が増えたと思えるくらい好みのルックス(女は妊娠時太る)のパートナーを新たに見つけたほうが増田はいいと思う。
話がとてもとてもズレるけれど、
ジョージ・ルーカスにSTAR WARSのEP7→9を作り直して欲しい。
多分ルーカスがつくっても、なんだこりゃ?な作品になるのかも知れないけれど
でも、ルーカスがつくったらなら仕方ないよ、と思える。
なんかね、残念でならないんだ。
ルーカスがつくったEP1→3とかもこれじゃない感がすごかったけど
でも時間経過とともに馴染んでいって歴史の一部となっていったけど
新しいディズニーがつくったSTAR WARSには変な違和感しかない。
偉いなあ、とか作品とは全く関係のないことしか思い浮かばない。
STAR WARSってそういうことではないだろう、と思うんだ。
宇宙世紀の「正史」を我が物顔で「偽史」に塗り替えてしまったからだ。
UC以前の宇宙世紀スピンオフはあくまで「稗史」としての分を弁えていた。
とはいえ、いやだからこそ、宇宙世紀を拡張できたのが福井晴敏だけだという事実も直視せねばならない。
富野亡き後もサンライズはガンダムシリーズを続けるつもりである。
閃光のハサウェイは映像面でのニュースタンダードを示したが、しかし原作は富野である。
次にアニメ化されるのはクロスボーンガンダムだろうか。これも富野原作である。
その次は?
その次は?
誰が新しい宇宙世紀を作り出せるのだろうか。
我々は次の百年も福井晴敏に苦しめられるのか?
新しい路線を貫徹することができず盛大に転倒し、
ガンダムはどうなるのか。
薄らと初代をなぞるだけの模造品など必要ない。
すごい間違っている。
マクガフィンとはドラゴンボールでいうとドラゴンボールのような存在だ。
ドラゴンボールとはなにか?
七個集めれば願いが叶うもの。
それを集めて願いを叶える。
マクガフィンとはこのように最低限度の説明で物語を転がす存在でなければならない。
その神様がなぜそんな物を作れるかと言えばその神様ナメック星というところから来た異星人で……、
「えっ?異星人?神様の話じゃないの?」
具体的にはジャンプを捨ててファミコンで遊ぶことになるわけだ。
ドラゴンボールとは何かということをしっかりと説明してもらっていて
むしろ、その世界観に魅力を感じているのだがそれとこれとは別の話だ。
多分増田が物語を作ったらひたすら設定語りが始まるタイプの物語になるのではないかな。
まあそういうもののほうが受ける世の中なのかもしれないが、
自分はスターウォーズシリーズのそこそこファンだが、ジョージ・ルーカスが作ったもの以外は偽物という狂信者ではない。
(ただ、マンダロリアン最終回を観たジョージ・ルーカスがベイビーヨーダを救うためにEp7~9をスターウォーズ正史から除外すると発言したのは面白かったが)
とはいえ、やはりジョージ・ルーカスが関わらなかったスターウォーズにイマイチ食指は伸びず昨日の地上波初放送までEp9は観ていなかった。
一応昨日観たのでその感想を覚え書き。
何あの最後。
来たと思ったら能力奪われて、吹き飛ばされて落ちて、パルパティーンが死んだあとに登ってきてチューして消えるって。
あそこ、レイと共闘してあともう少しというところまでパルパティーンを追い込んだけど、
不意を突かれてピンチのレイをかばって・・・そういう演出もできたよね?
そして、これはEp8を観たときにも思った。
ジェダイを裏切り裏切られ、シスも裏切った存在として、スターウォーズの中でもかなり特殊な立ち位置に立っていた。
なのにその後また仮面をかぶっていたし、最後はただの(クソ雑魚)ジェダイだった。
パルパティーンなんか出さずにジェダイでもシスでもない、ただ憎しみに燃える(けどレイちゃんが好きな)カイロレンをラスボスにすることもできたと思う。
そして、確かにジェダイが絶対正義ってわけでもないかも、という疑問をスターウォーズファンに持たせる事もできたと思う。
カイロレンは今までのスターウォーズ=ジェダイ絶対正義を否定するというもっと大きなテーマを持たせることのできたキャラだったと思うので、ただただもったいないの一言。
日和るくらいならEp8みないな映画やカイロレンみたいなキャラを作るなよと。
あまり伏線は追ってなかったので、もしかしたら伏線はあったのかもしれないが、
みんなスカイウォーカーなんだ!って感じの終わり方もなんかダサかった。
せめて最後にフィンのことを助けさせてやれよ。
そこが一番残念だった。
今までのスターウォーズを否定して新しい物語を作る種をたくさん仕込んでいたのに、
結局無難にパルパティーンが出てきて、シスはジェダイに負けて、ジェダイは最高で、
これはマジで最高だった。
とりあえずこんな感想。
90年代〜00年代にかけて、オタクコンテンツこそが世界に比肩しうるコンテンツだと喧伝されていた。
ジェームズ・キャメロンやジョージ・ルーカスは『攻殻機動隊』や『パトレイバー』が大好きだ。
オタクコンテンツこそが想像力の最先端であり、日本のオタクは嗜好の最先端を走っている。
それは同時期に『エヴァンゲリオン』や『カウボーイ・ビバップ』が放映されることで実証されているかのように見えた。
しかし、現状を振り返ってみてどうだろうか。
『カウボーイ・ビバップ』以降のアニメで、世界に胸を張って輸出できるものがあるだろうか。
その後のアニメは奇形化し、オタクの性的な欲望を充足させるためのものに自閉していった。
せいぜい『涼宮ハルヒ』や『まどかマギカ』ぐらいのヒットが出るぐらいで、オタクの内輪受け以上のものになっていない。
なぜ90年代のオタクコンテンツはあんなに高度なものが作れていたのだろうか。
そしてなぜ失速してしまったのだろうか。
90年代のオタク的想像力に影響を受けた作品が今ハリウッドで作られるが、完全に乗り越えられてしまっている。
2000年代の一時期に「オタク」がポジティブな意味を持てたのは、岡田斗司夫による情報戦の成果で、海外ではオタク向けアニメが注目を集めている、日本のコンテンツで海外に輸出できるのはオタク向けアニメだ、とアジテーションしてそれが成功したから。
ジョージ・ルーカスもジェームズ・キャメロンもオタク向けアニメを参考にしていて、ハリウッドにパクられているという話がまことしやかに語られた。
しかし、蓋を開けてみれば、オタク向けアニメが世界を席巻することはなく、ポケモンやNARUTOなどの子ども向けアニメが売れるくらいで、オタク向けアニメは不発に終わった。
海外では尊敬されていると出羽守してデカい顔していたオタクたちは、その根拠を失ったので、また再び「気持ち悪い」と一方的に攻撃される存在になってしまった。「気持ち悪い」と言われて世間に反論する材料がなくなってしまったのだから。そして、「表現の自由」という最後の砦にすがるしかないほど後退してしまったのである。
つまり、「オタク」がポジティブになり得ていたのは、情報の不均等を利用して「なんかすごいらしい」という噂を流せたからで、それが崩れて「オタク」という言葉には何の効力もなくなり、再び「一般人には理解されない趣味」に戻ってしまったのだ。
そこからわかるのは、オタクがやるべきことはフェミとの内戦ではなくて、ほんとうにヒットするオタク向けアニメを作ることなのである。