はてなキーワード: 金閣寺とは
「セクシー田中さん」事件について、日本テレビが悪いことは大前提として、よくわからないのは、そもそもの問題である、「原作がドラマで大幅に改変された」ってそんなに苦痛なのかな?っていうこと。
昭和時代の映画も、小説や漫画の原作を「改悪」したひどい映画はたくさんあったと思うけど(三島由紀夫『金閣寺』映画化した『炎上』とか)、それで原作の評価が下がったりはしていない。今は、それらの映画は完全に忘れ去られていて、原作ファンにとっても笑い話になっている。現在でもそういうスタンスをとる作家や漫画家は普通に多くいる。
日本テレビは確かにクズオブクズなんだけど、そもそも原作を改変されてそんなに苦痛なのか、という根本の問題に今ひとつ共感できない自分がいる。
三島由紀夫は日本を代表する文豪・憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。
三島由紀夫はかなり多作な作家で、小説・戯曲だけでおそらく200作を超える。
新潮社の三島由紀夫全集はバカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間は三島の専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。
三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白、潮騒、美徳のよろめき、鏡子の家、憂国、豊饒の海がある。
私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまらぬ観念を語るだけの作品、あまりに紋切り型の恋愛作品が多すぎて、読むのが時間の無駄・苦痛だ。
2021年に『三島由紀夫vs東大全共闘』という映画が公開された。三島由紀夫 = 憂国の士という共通認識を前提とした筋書きのようだ。
しかし当時(1969年)の共通認識は「ややこしい人がクビを突っ込んだな」である。
当時の三島由紀夫はボディービルディングに熱中したり、鍛えた裸を披露するために自分の映画や写真集を作ってみたりと、脇道にそれる活動が多く、作家としての存在感が薄らいでいた。
それどころかいい年したおじさんなのにUFO・超能力の探求にハマったり、ハタチそこそこの若者を誘って私兵部隊を結成したり(後に市ヶ谷駐屯地に突入した楯の会である)と、お騒がせキャラクターを確立していた。
つまりUFO・超能力に興味があり、自分の映画・写真集をつくり、若者を集めて軍事訓練を積ませている40過ぎのおじさんが、ソ連・マルクス主義の嵐が吹きすさぶ東大に入って論戦しようというのである。いくらなんでもツッコミどころが多すぎるよ。
当時は同性愛・天皇礼賛主義への偏見が強かったこともマイナスイメージを形成しており、三島由紀夫は"へんなおじさん"であった。
散々語られていることだが計画性がなさすぎる。拡声器すら用意していなかったとは…。
偉い人を人質にとって吠えれば自衛隊が動くと思ったのだろうか。組織とはそのような属人的なものではない。
ずさんな計画のわりに、割腹自殺の準備だけはキッチリしていたらしいが。
派手に割腹したかっただけでしょ。割と当たっていると思う。三島由紀夫がエッセイや映像インタビューで度々語っているお気に入りのエピソードに、終戦の日に夏の静かな日差しを見ていると自分は"生き残ってしまった、後に残されてしまった"という強い感覚を持ち、それ以来死に場所を探しているという話があり、その"死に場所"を選んだということなのだろう。
三島由紀夫はエッセイストとして優秀だとおもう。"高貴なる野蛮人たれ"という言葉を残した。上品で、教養があり、裕福な人間は一見洗練されているようではあるが、実は個性がなく退屈で、柔順で、脆弱な人間なのである種の誇り高き野蛮さを備えておくべきだという三島由紀夫の主張。この主張は私の人生の指針にもなってきた。
ただ文豪・憂国の士というのは過大評価であり、観念に引きこもるあまり最期は周りに迷惑をかけて死んだへんてこ作家、くらいが妥当な評価だと思う。
2024/9/16
みなさまへ
先日、知人の一人から連絡がありました。
要約すると「これ多分お前やろwww学内で読んだ人がいる」というものでした。
一応本文を読み直してみたところ、わかりにくい表現や、一部写真のアップロード期限が切れていました。
もう一度だけ投稿します。文章もわかりにくい表現を直しています。
なお、当日記には不適切な表現(人間の質が低い学生、体育会の横暴、その他不祥事)がいくつも出てきますが、私が在学当時の事実をありのままに書いております。
最後に、もし佛大生でこちらの日記をお読みになる方に伝えます。
今でも、人間として低い次元で生きている学生は多々いるものと思料します。残念な気持ちになったり、将来が不安になっているかもしれません。
しかし、学生時代に自分や周りの社会のことをどれだけ考え、行動してきたかによって未来は変わります。
私の同期も、近い年代の方々も、きちんと努力を積み重ねた方は、一流どころの企業・官公庁・社会福祉法人・NPOへの就職、スポーツのプロ選手、社会人生活を経ての起業など、自らの道を選び取っています。
卒業時にうまくいかなくても、地道な努力を積み重ねて、道を切り開いた人も存じています。
過去の選択がどうであろうと、現在、今を生きることでしか未来は開けません。
今後、あなたが人生を失敗するのだとしたら、それは大学のせいでも社会のせいでもなく、「あなた個人が終わっている」から失敗したのです。
未来は決まっていません。
自分が将来、どういう人生を送りたいのか、どういう人間になりたいのか――その未来に向かって『今』を選択し続けてください。
卒業生より
(以下本文)
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約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
※この日記の書き出しは、同じ佛大卒の方の書かれたはてなの日記を大いに参考にしています。先達に感謝します…
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。
「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://d.kuku.lu/m3mguzmej)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
次
大学時代に三島由紀夫「金閣寺」を読んだことは、自分の中での大きな経験の一つになっているように思う。高校時代に読むのはまだ早い気がするし、働き始めてからではやや遅い。恋人はおろか友人すらまともにできず、一人悶々と生活していた陰鬱な大学時代に読んだからこそ、記憶に残り続ける一冊となっているような気がしてならない。
少し歩くと混雑を回避できる。わかる範囲で追加の案を出してみる。
七条駅までは1km程度だし街中なのでブラブラ歩けるだろうし、京阪の準急なら座れることも。
ここも徒歩は1kmほどなので15分くらいで着く。四条通はビルばかりなので京都っぽさは感じないだろうけど。
叡電も観光のピーク時は結構混んでいるが、始発なので待てば座れる。
バス一択。ピーク時には直通の往復便も出るので他の観光地に行くよりは比較的マシ。
七条まで歩いて京阪で祇園四条まで出るのが比較的わかりやすい。
歩きたくないなら市バス206 or 86系統で祇園バス停下車かな。
歩くのが嫌なら同バス停で204/205系統に乗り換えもあるにはあるが、700mほどなので歩ける距離だろう。
七条まで歩いて京阪で出町柳まで出て、そこから歩くのがわかりやすいし、これが表参道。
市バス50系統立命館大学前まで出て、59系統に乗り換えて御室仁和寺で下車。
東山方面は七条まで歩いて京阪が比較的空いてるし、鉄道なのでわかりやすいだろう。
ここには書いてないが、三条京阪からは観光地へのバスもそれなりに出ているので乗り換えも可能。
京都市バスの混雑っぷりがヤバい。なので、京都市は極力電車を合わせて使う観光を推しているが……。
バスが混雑する京都駅周辺や四条周辺ではバスを使わないようにして観光地へ行く方法について考えてみる。
京都駅からはJR奈良線を使えば2駅で付く上に駅の目の前に伏見稲荷がある。電車を活用しない手はない。
ただ、奈良線は京阪との乗り換えがある東福寺駅、そして稲荷駅はめちゃくちゃ乗降者数が多いから、京都駅の時点ではヤバいくらい混んでいるんだよね・・・。
ちなみに歩いて行けば30~40分ほどで着く。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線を使えば着く。ただし、JRの駅から嵐山の中心部からは少し距離がある。
地下鉄で丸太町まで行ってそこからバスか、地下鉄で太秦天神川まで行って嵐電かバスに乗るか。
嵯峨嵐山駅から嵐山中心部まで少し歩くとはいえ、普通にJRを使った方がトータルでは早いか。
でも奈良線と同じく、嵯峨野・山陰線も京都駅ではめちゃくちゃ混むぞ。何が嫌かって、京都駅始発の電車だからメチャクチャ混んでいる状態で発車するまでしばらく待つ必要があることなんだよな。
京都駅から地下鉄で終点の国際会館まで行って、そこからバスか、叡電の岩倉駅まで歩いて叡電に乗る。
それか今出川駅で降りて、出町柳駅まで歩き、そこから叡電の始発に乗るか。
京都タワーの広告(今はない)では、東福寺で京阪に取り換えて行くことを進められるけど、乗り換えも手間だし、清水五条から清水寺は遠いし全く推奨できない。
京阪の七条駅まで歩いて祇園四条で降りるルートか。でも祇園四条から祇園までまあまあ歩くし、清水寺と同じくバスを使った方が無難そう。
ちなみにJRと京阪の乗換駅の東福寺は普通か準急しか止まらないので、特急が止まる七条まで歩いた方がいいと思うぞ。
一応、京都駅から17系統に乗れば直通で行けるけども、四条も通るからあんまり勧められんな。
二条城前というズバリそのものの駅がある通り、数少ない地下鉄だけで行ける観光地。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、まあ地下鉄の方がいいだろう。
地下鉄で鞍馬口駅まで行って歩くか(徒歩20分)、北大路駅まで行ってバスに乗るか。
京都駅から直通バスも多いけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
ちなみに北大路駅からバスに乗る場合は、上賀茂神社の目の前で止まるバスはないので数分歩く必要はある。
一応、京都駅から直通バスもあるけど、四条を通るからあんまり勧められんな。
京都駅からJRの嵯峨野・山陰線で円町まで行って、そこからバスか。
京都駅から地下鉄か近鉄で竹田駅まで行き、そこからバスか歩くか(15分ほど)。
こうして調べてみると、むしろ京都駅からバスで行けない観光地の方が珍しいな。
ここまでバス路線が網羅されてたとは。そりゃ、みんなバスを使いますわ。混むとはいえ、バスが便利すぎる……。
だからそこを避けて使うと、比較的混雑なく使える。だから市内北部の場合はまず地下鉄で丸太町駅より北に出た方がいい。
205系統のように京都駅発着でないバスの場合は、京都駅の1つ前の下京区総合庁舎前で乗れば100%座れるので混雑していたとしても車内で苦しむことがない。
バスの1駅分くらい歩いても大した距離じゃないし、何より京都駅から目と鼻の先だからな。
京都駅から3駅先の九条車庫は市バスのデカい車庫なので、ここから発着するバスが多い。
それに混雑する京都駅を通らない系統も多いので、ここから乗るのもアリ。地下鉄で1駅分であるけど、京都駅~九条車庫前は超閑散区なのに、この区間を走る205系統は西大路周りも河原町回りも両方とも走るのでただでさえ本数の多い205系統が2倍になり、本数がめちゃくちゃ多いからバスで行ってもいいかも。
私マウスの旅してるって話ししたっけ?
エルゴノミックのやつでマイクロソフトのおっぱいみたいな丸いマウスが廃番になってそれから困ってマウスの旅に出掛けたまんまのー
おかえり!そしてただいま!を言っていなかったような気がするのよ。
ちなみにおはようからおやすみまでは、
そんでその
私のマウスの旅は終わったわ。
とうの昔にね。
高いけど、
その安い版のジェネリック他社のマウスエルゴノミックのやつ3000円弱のを好んで使っていて安っー!っつって喜んでいたんだけど、
弾かれて回した方向と逆にスクロールしたり上下にぷるぷると交互にスクロールし始めたりと、
部品の耐久性の弱さの証明を3台ぐらいこの3000円のマウスを買ってみて、
その都度その都度買い直しまくりまくりすてぃーだとなんだかアホらしいことに気付いちゃった山脈に向かってヤッホー!って叫んだんだけど。
それなら大奮発して
清水の舞台から飛び降りて実際に死んだ人はいないって伝説の境内にあるあの重い2トンあるでお馴染みのゼットソードを持ち上げに行こうと京都寄った際に行ったけど、
もうさー!
そんでもう大奮発して清水の寺からデラックスに飛び降りて美味しいランチでも食べようと近所を散策してみようと思ったけど、
やっぱり京都市の中のメジャーな観光地は人がパンパンであんまりオススメ出来ないわ!
でも一瞬だけ一瞬だけ
あのまんが日本昔話の絵に出てくるようなオープニングの龍が書いてある私もそれ再放送でしか見たことないんだけど、
そのお寺のその絵の書いた下に行くことが1回だけ出来て、
まるで龍がガオー!って鳴くような反響の音がして、
それができたので、
本当にガオー!って鳴ったから凄かったわよ!
そんで何の話しだっけ?
マウスの話しのただいまお帰りの話しで、
おはようからおやすみまでを見つめるのはライオンで、
私はちょっと大奮発して清水のお寺からデラックスに飛び降りたけれど未だかつてそこで舞台から飛び降りたとて
死んだ人はいないって伝説を叶えるための手に持ちやすいマウスを探していたって、
えいや!って大奮発して買ったの。
結構もう使い込んでいるけれど、
なるー!
ちなみになるー!って言うのはなるほどー!のことで、
今だけにしか言えないなるー!なのよ。
そんで、
そう言ったようなことの言い得て妙なことわざが無いところがもどかしいわ。
結局これはなんのお話だったの?って思うほど
私は高いマウスをえいや!って清水の舞台のデラックスなところから飛び降りた気持ちで大奮発して買ってみて正解だったわ!
そう思うと、
いっそのこと
えいや!って飛び降りるコンテンツをショーとしてそこから清水の舞台から鳥人間コンテストすればよくない?って安直に思っちゃうんだけど、
どうかしら?
何個か買い集めたので、
あとちょっとは持ちこたえることができるけれど、
キーボードはマウスほど激しく消耗しないことに激しく同意って言う意味の禿同!と言いたいところなので、
もしかしたら一生分賄えているのかも知れない鴨鹿!
そんな鰯気な気持ちにはなっていられないのよね。
チリには今まで3回ぐらいは行きたいなーって思ったぐらいなほどよ。
うふふ。
ランダムで決まると行っても鮭と鯖の2種類から選ばれるそれはランダムと言ってもいいのか分からないぐらいな
思わず内田裕也さんばりに鮭な!ベイビー!って朝から美味しくいただいた次第よ。
グレープフルーツを1玉買ってきて、
輪切りにしてボトルに入れて一晩置くまでもなく、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
↓
「バスは本当に混むから乗らない方がいいんだけど、こう言うと『つまりバスに乗れということか』と深読みしてくるのが東京人だから、あえて『バスに乗るな』と言うのが正解なんだ。そしたら東京もんはバスに乗るから。
せいぜいバスに乗って苦しめ。座るところもなく、ずっと立ちっぱなしで金閣寺まで行け。金閣寺って意外と遠いんだって思え。
それで降りようとしたら誰も道を開けてくれなくて戸惑え。両替が出口にしかないからそこで両替して、他の乗客と運転手が沈黙したままイライラしてるのを肌で感じ取れ。『なんで降りる前に両替しとかないんだ?それかICカード使えよ。あっ東京人だからバスで使えるICカード持ってないと思ってるのか?ICOCAも使えるんだが。それくらい調べとけ東京もん。脳にもやしでも詰まってるんか?』とみんなが思ってるのを肌で感じ取れ。
金閣寺前で降りてもどこに歩いて行けばいいか分からなくて迷え。観光客について行ったらいいのかな?とか不安になりながら歩け。
それで他の所行く時もバス使え。『こんなことなら一日乗車券買っておけばよかった』と後悔しろ。京都駅前で観光案内してるおばちゃんの言うこと聞いとけばよかったと悔しがれ。
なんとなく金閣寺の次は銀閣寺だなとバスに乗ったら、乗り換えありで50分かかることに驚け。自分の計画性の無さを思い知れ。
それで銀閣寺着いたら意外と山登ったりして大変でクタクタになれ。
帰りになんか食べようと思ったら、湯豆腐定食が3000円でびっくりしろ。エビつけたら500円アップだけど豆腐だけじゃ力出ないから泣く泣くエビつけろ。『豆腐のおいしさよく分からない』と愚痴れ。
帰りもバス乗れ。乗る時は一台スルーしたら座れるけどそんなコツ知らんから、帰りも立って乗れ。
それで足が棒みたいになって京都駅着いたら、ホテルグランヴィア京都に着いて、ほっこりしろ。ようやった。これが京都やさかい、おおきに、またきておくれやす」
俺は古典教育廃止しろ派、というか、文法とかどうでもいいから文学史だけやれ派なんだけど、その理由のひとつに、「古典」つって出てくんのが結局枕草子・源氏物語・徒然草程度じゃん!っていうのがある
なんなら小学5年〜中1くらいでやるだろその辺って
谷川俊太郎の詩とかと一緒にさあ!
それで暗唱させられたから覚えてるだけなんだ
水鏡とか大鏡とか、伊勢物語とか落窪とか、なんかいろいろあったろ?俺は覚えてねえけどさあ
日常的に軍記物語の語り口調でギャグを飛ばしてみんながウケるとか、しょっちゅう百人一首あたりを引用して喋るのが一般的とか、そういうレベルでみなさんが教養を持ってんだったら、俺だって文句は言いません
でも何すか、スーパーの惣菜売り場に「春は揚げ物」って書いてある、これが"古典教育"だ!ですって?
"「春はあけぼの」の元ネタがわかる"程度だったら、小学生のときに、授業1時間受けるだけで、充分たどり着けるんだよ
っていう話だろ
これ、実は明確な答えがあって、ないんです
なんせ何も覚えてねえ
昔、男ありけり ソーワット、ファックユー!
まあ実際、(ごく一部を除いて)つまんねえ上に教訓もないクソ説話・小説を6年にわたって読まされることで、ああ俺たちの先祖ってカスだったんだ、貴族階級のが書いて、かつ後世に残そうとされた、日本古典文学の上澄みがこのレベルだったんだ、貧しい文化の国だったんだなあ!と思えるというのは、ひとつの学びだったかもね
ここで10 Japanese Classic Booksなるまとめをチェック!
4 竹取物語 ングアー!やられた!!でも竹取物語って古典やんなくても知ってるだろ 古典教育の必要性って意味では、これはノーカウントじゃないか?? でもまあ、1ポイント
7 砂の女 そういえばこれ読んどきたい
9 雪国 ほら〜
見てくださいよこれ "クラシック"なんて頭につけても、ガチ古典vs近代文学で3:7ですよ
雑魚すぎんだって古典 しかも竹取物語はなんか、史料っぽい雰囲気だからな
アレある程度授業でやったけど、覚えてんのは「うつくしうてゐたり」の一文だけだ 美しく座っていた、という表現はちょっと英語っぽくてかっこいいな、という浅い印象だけ あと不死の薬を焼いたから富士山です(笑)みたいなオチがすげー鼻についた
枕草子・源氏物語・徒然草・竹取物語・今昔物語くらいをサラッとさらって、文法は一切触れず、こんな感じだったんですよ〜でお終いだ
原典の響きがどうこうって意味では、昔のハ行はパ行だったとかいうし、やるだけ無駄ってもんだろ