はてなキーワード: 作業療法士とは
筆者は臨床心理士と公認心理師(心理士/師 と記します)の資格を有し,会計年度任用職員であるスクールカウンセラーとして働いていた時期があるが,現在はある行政機関で働いている。
この日記に記すような考えを持っていることは,名前を添えて発信することはとてもできないので,初めて匿名ダイアリーをお借りします。
行政の観点は持つものの,あくまで行政を専門とするわけではないので,誤りについてはご容赦ください。
(1)スクールカウンセラーについて
スクールカウンセラーは,「会計年度任用職員」として都道府県及び政令指定都市に任用され,小中・高等学校,特別支援学校,教育センターにおいて,
児童生徒の相談に応じるほか,教員や保護者への助言,研修等を行い,もって,児童生徒の支援にあたる。
令和2年3月以前は,特別職非常勤職員として「スクールカウンセラーを委嘱」されていたが,同年3月以降は,「会計年度任用職員に採用」されることとなった。
財源は「いじめ対策・不登校支援等総合推進事業(スクールカウンセラー等活用事業及びスクールソーシャルワーカー活用事業)」による国の補助が1/3,
都道府県及び政令指定都市が2/3を負担する。文部科学省による令和6年度要求・要望額は90億円。
参考:tps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1328010.htm(スクールカウンセラー等活用事業)
tps://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2190fb02-e55a-4041-a510-f98183ca6a8b/ae2f9d28/20230908_councils_ijime-kaigi_dai1_03_1.pdf
(いじめ防止対策に係る取り組み状況及び令和6年度概算要求について)
会計年度任用職員は,令和2年4月に施行された「地方公務員法及び地方自治体の一部を改正する法律(平成29年法律第29条)」により導入され,
地方公務員法第22条の二によって任用される非常勤職員である。
基本的な考え方として,会計年度任用職員としての任期終了後,再度同じ職に「任用」される(「再度の任用」という)ことはあるが,これは「更新」とか「任期の延長」,「同一の職に再度任用」
されるのではなく,「あくまで新たな職に改めて採用された」と整理されるべきもの。
なお,事務処理マニュアル及びQアンドAにおいては,繰り返し同一の者を任用することは長期的計画的な人材育成への影響等の理由から留意が必要と示されているほか,
国としては,公募によらない再度の任用は可能であるものの平等取扱いの原則及び成績主義を踏まえ,公募によらない再度の任用は連続2回までとするよう努めていることが示されている。
これらの文言をうけて,スクールカウンセラーについては,例えば,「公募によらない再度の任用は4回まで」と回数を定める自治体が多く認められる。
参考:tps://www.soumu.go.jp/main_content/000853430.pdf(会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル)
(3)雇い止め
『「雇い止め」(更新拒絶)とは、有期雇用契約において、雇用期間を更新せずに契約を終了させること』(東京弁護士会HPより引用)
なお,今回の問題について「解雇」と記す記事があるが,「再度の任用」をしないことは「解雇」には当たらないので,誤りである。
引用:tps://www.toben.or.jp/bengoshi/soudan/work/yatoidome.html
2 スクールカウンセラーの雇い止め(事実の記述)
東京都の会計年度任用職員であるスクールカウンセラーが,4回の「(公募によらない)再度の任用」を終える令和6年度に向け,公募による募集に応募したところ
鈴木都議によるXへのポストによれば,「今回契約延長を求めた1100人の現役のスクールカウンセラーのうち、およそ15%程度が不合格となった」とのこと。
参考:tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027(東京新聞)
tps://www.jcp-tokyo.net/2024/0212/90022(東京民報)
tps://twitter.com/Retsu_SUZUKI/status/1757670551433453730(鈴木都議によるポスト)
(1)スクールカウンセラーの雇い止め問題について
次の点から,今回多くのスクールカウンセラーが再度任用されないことは,何ら問題なく,むしろよいことだと思う。
ア スクールカウンセラーが再度任用されないこと(雇い止め)は,法律にそった対応であることから,何ら問題ではない。
イ スクールカウンセラーの入れ替わりが促進されることから,資格取得後間もない若手にも活躍の場が与えられ,心理士/師にとってもよいことである。
ウ 今回の問題を機にスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないことがよく理解されれば,常勤採用につながるきっかけとなる。
ア 再度任用されないことは問題であるという論調の記事等では,例えば次の理由(というかご意見)が挙げられていますが,再度任用されないことを問題とする根拠とは言えない。
(tps://www.tokyo-np.co.jp/article/307027 より)
・雇用継続されたが,いつ自分も切られるか不安 ➡︎ 多くの労働者は同じ不安を抱えて生活しているので,不安であるというだけで,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(実際にそのとおりかどうかは疑問が残るが,不安の中では相談において十分な能力を発揮できないからスクールカウンセラーは
・駒のように人を代えられるのは納得がいかない ➡︎ 職員の入れ替えがあるのは教員も同じであるので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。駒のように,というのは受け止め方の問題である。
・児童生徒,保護者に来年度の不在を伝えることが大変気が重い ➡︎ 教員も異動等で変わることがあるものであり,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(別れもまた成長の機会であるのだから,児童生徒の成長につながるように交代の話をしてほしい,と言われそうな印象。)
・これまでの経験や成果が全く考慮されず,残念 ➡︎ さらなる活躍が期待できる人の応募があればそちらを採用するものであるから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・評価がAであるにもかかわらず補充任用でした ➡︎ 現場の評価と面接での評価が一致しないこともあるのだから,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
・向き合っているのは人の生死。現任者を切るやり方は,児童生徒に不利益を与える ➡︎ 現任者の交代によりどのような不利益が生じるのか明らかでないので,再度任用する根拠・理由にはなり得ない。
(この意見の伝え方は,必要以上にエモーショナルで,一般的には受け入れられにくいだろう)
(不安定な状態で継続的な相談に応じている中で交代することにより相談の一時的な停滞が想定される,という主張であれば,もとよりスクールカウンセラーの相談は長期間の継続を想定しておらず,
継続相談を要する場合は,その判断があった時点で近傍医療機関へ紹介されているべき,という反論がありうると思います。)
イ そもそも,この問題は,再度任用されないことは問題なのではなく(問題として扱えないレベル),スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことにあると思います。
そのあたりの整理ができないまま,再度任用されないという個人的な不利益について児童生徒を持ち出して訴えるので,話がややこしくなり,また理解されづらくなっていると思います。
(3)今後の方向性について
ア 上に記したとおり,スクールカウンセラーが会計年度任用職員にそぐわないことが問題なのであり,スクールカウンセラーを自治体や教育委員会の職員とする等,他のあり方へつなげることが,
そもそもの狙いになるのではないでしょうか。
そのためには,東京都や総務省に対し再度任用されないことを問題として訴えても話にならないのであって,主管である文部科学省との間でスクールカウンセラーは会計年度任用職員にそぐわないこと
について話をしていかなければいけません。
ただし,この時,ではどういう採用をしてほしいのか(立場は?人数は?財源は?)という案まで考えた上で伝えていかなければいけません。
一緒に問題を解決するという立場で,むしろ自分で自分の問題を解決するという姿勢で,行政に働きかけていかなければいけませんし,できることならば政治の問題として取り上げて行く方が望ましいです。
イ そのように,行政に働きかけ政治の問題としていくためには,職能団体としてしっかりまとまらないといけません。
(案のまともさは前提として)この案は全スクールカウンセラーの総意です,というものをもって行政に働きかけていけるよう,皆んなで先生を応援しますのでよろしくお願いしますと
頭揃えができるように,職能団体としてまとまりを持つ必要があります。
ウ さらに,このような働きかけをしていくとしたら,また,ニュースにあるような声を上げるということ自体が,他の会計年度任用職員の存在をおざなりにしていることを自覚しなければいけないと思います。
事務処理マニュアルにおいては,スクールカウンセラー以外にも,保育士,看護師,掃除作業員,医療的ケアのために置かれる看護師・言語聴覚士・作業療法士・理学療法士,スクールサポーター等
多くの人が,スクールカウンセラーよりも安い賃金で,同じ不安を抱えながら生活していることを理解し,会計年度任用職員制度そのもののあり方を問うて行くことが必要だと思います。
そういった俯瞰的な視点を持たず,スクールカウンセラーの雇用についてだけ声を上げるというのは,社会的な支持を得にくく,何も成果をもたらさないと思います。
個人的には,そういう視点が持てなければ(持てていないから),スクールカウンセラーは会計年度任用職員止まりなのだと思います。
(4)自分たちの総括について
ア スクールカウンセラーの専門性は外部性である,という意見をよく聞きます。外部の立場だからこそ,客観的なアセスメントができるものである,等の意見です。
果たしてそうでしょうか。ここで議論することではないので何も触れませんが,外部性を訴える以上,会計年度任用職員以上の常勤職には,外部性と相反することから,なれないでしょう。
そもそもどうして外部性というアピールが生まれたのでしょうか。本当に,非常勤でなければ客観的なアセスメントができないのでしょうか。常勤職につけない正当化であった可能性はないでしょうか。
イ 公認心理師ができても常勤職は少なく,会計年度任用職員という非常勤ポストすら奪い合いの状況です。
学会を見ても,多くの理事の先生方はとうに65歳を過ぎておられ,若手に席が回ってきません。
ベテランの先生は退職しても開業されますので,開業カウンセリングの市場も奪い合いです。みんなが食べられる状況ではないことは明らかです。
大学院生はどんどん修了し,供給だけが進みます。大学院での学びを活かし,心理士/師として働くよりも条件が良い仕事,働きがいのある職場はたくさんありますよ。
ウ スクールカウンセラー全員が学校に歓迎されているわけではありません。ニュースになった事件もありました。
予算執行調査でも,「SC等の資質向上は最重要事項」と言われています。
これは,若いスクールカウンセラーの資質向上という意味ではありません。ベテランのスクールカウンセラーでも,何も言われなくても,イマイチと思われていることもあるのです。
また,税金を投入する以上,本当に効果があるのか,どの程度の効果があるのか,という問いからは逃れられません。
曖昧模糊な言葉で訴えるだけでは,カウンセリングの重要性を理解してもらえません。予算レベルでは,文科の担当者の方が頑張って財務省と話をして予算をとってくれるわけですが,
自分たち自身も,日頃,スクールカウンセラーやカウンセリングによってどういう効果があるのかを,専門家でない人でもわかるように説明できるようにならないといけないと思います。
とにかく大切だとか,命に関わることだとか,そういう説明では,その場はそうですよねと言ってもらえますが,実は理解を得られません。
また,言葉で訴えるだけではなく,定量的な指標で効果を示せることが必要です。
参考:tps://www.mof.go.jp/policy/budget/topics/budget_execution_audit/fy2021/sy0309/11.pdf(総括調査票)
エ スクールカウンセラーも心理士/師も,社会で働いています。
そのため,組織に関する行政は,ある程度理解する必要があると思います。今日リンクを貼った文科のHP等は最たるものですが,見ているスクールカウンセラーはあまりおられないでしょう。
社会の中での位置付けを抜きにして,児童生徒とスクールカウンセラーとの関係はあり得ませんので,ある程度行政での位置付け,行政での扱われ方も理解した方がいいと思います。
カウンセラーは社会性がないとよく言われます。個人のカウンセリングだけではなく,社会にも目を向ける必要があると思います。
4 最後に
スクールカウンセラーは,楽しかったですし,良い仕事だと思います。今の心理士/師としての仕事も,楽しくやっています。
ただ,心理士/師には難しい人も多く,これから国民にとってアクセスしやすい存在になるにつれ,問題も表面化していくと思います。
これからどうなるのでしょうか。明るい業界であってほしいと思いますが,明るい業界を作り出せるかどうかは自分たちにかかっている中で,地に足のついた議論は乏しいようにも思います。
この日記が,心理士/師業界の発展につながり,ひいては国民の福祉と健康につながる一助となればとても嬉しいです。
ありがとうございました。
アトピー自体のあり方に難治性かそうでないかがあるのではない。医者の言葉を医者の意図通りに理解できるかにそのアトピーが難治性になるかどうかがかかっているんだよ。
医者が、湿疹のところはステロイドも塗り湿疹じゃくて乾燥で痒いところは保湿剤塗りなさいと言ったとするでしょ?
しかしそんなこと言われたって素人にはその痒い場所が湿疹なのか乾燥なのか判断が微妙な場合がある。
診察時間に素っ裸になって頭の先から爪先まで痒い部位を一個一個指摘してこれは何塗ればいいのかと具体的に聞くことはできない。
どうしても限られた時間の中では類型論的なアドバイスを医者はすることになる。
でも湿疹一つ一つがどの類型に分類されるかなんて、完全に医者が判断するように判断することはなかなかできないんだよ。どうしても理解の不一致が出てくる。
医者の持つ言語感覚とほとんど一致してる人なら、言葉の出力と入力の関係が一致しているということだから、医者が自分の言葉に対して自己解釈してるように解釈できるから、ほとんど医者の意図通りの仕方で塗布することが可能となり、治るってだけ。
他の病気はたとえ薬の服用が患者任せでも、飲めばいい。注射すればいい。それされすれば誰しも医者の意図通りに薬剤の成分がひとまず体内には入る。
しかしアトピーみたいな治療が塗布中心になる病気は先述の通り医者が思う通りの正しい塗布の仕方ができないから、治りづらい。
いっそ一人の患者につき担当医一人ついてそいつが毎日全身の薬塗ってくれれば確実なんだけどね。
それが非現実的なら、作業療法士や放射線技師みたいな感じで、少なくとも薬の塗り方については完全に医者の判断と同等のレベルでどの湿疹にどう言う塗り方が有効か判断できる薬剤塗布師みたいな新しい医療従事者を作って、そいつが患者の代わりに薬を塗るようにすればいいと思う
病院に貼られてた「患者様を支える医療チーム」というポスター。
続いて、「9つの医療チームが患者様と密接に関わり合いながら質の高い医療を提供します」みたいな文言が書かれているわけだが…そこには事務職の名前はなく、「医師」「看護師」「薬剤師」「医療ソーシャルワーカー」「ケアワーカー」「言語聴覚士」「理学療法士」「作業療法士」「管理栄養士」といった職種が挙げられていた。
こういう類のパンフレットやポスターに医事課や病棟クラーク、調理職員が載ってるところを見たことがない。医事課やクラークも患者と関わるし、どちらも病院の運営には必要不可欠な存在だが、必ずと言っていいほど載ってない。
医事課が関わるような規則すらも医事課を通さず、「9つの医療チーム」により勝手に決められてしまう。事務職や調理職って病院のカーストの中では最底辺なんだな…ってつくづく思い知らされる。
僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。
正直、もうこの増田書いてだいぶ経つし、大量のブコメやトラバきてるし、そもそも、今の増田には、全部読む時間つくるのは大変だと思う。
私も子育て中の身だからわかるーつらいよねーとかって無責任な慰めは、もう今の増田には、いらないよな。
だから、私がこの増田を読んで思ったことを私がスッキリするためだけに、とりあえず書き置きしておくよ。
他の優秀な発達障害者の話って、どうしても耳にするよな。この増田についた言及だけでも、学者になったとか、IT関係につとめれるとか、色々書かれてる。
平均からこぼれ落ちたら、特別な能力一点突破に夢を見て、希望持ちたくなるものだから、もしも、増田が我が子に特別な能力開発(例えば音楽とか絵とか)で一点突破教育を望んでいるのなら、それはそれで参考になるところもあるかもしれん。けど、元増田の文章読んだら、今の増田の子育ての余裕度では、正直、仮に我が子にギフテッド寄りな才能が潜んでいたとしても、引き出してやれん。下手すれば、お互いにつぶれてしまう。てか、現に限界こえてるわけで。
療育受けさせてるのは、すごく立派だと思う。世の中には、我が子の障害をかたくなに認めれん人間もおるから。
増田が我が子に望んでる普通って、要するに、流行りの生き方の型のひとつや。
それができないってことで絶望するのは、増田が母親としての役割とか、娘としての役割とか、妻としての役割といった、役割に縛られてるからやと思う。そんで、自分で自分の期待値上げまくってるんや。だから失望する。
でな、ひとつ訂正させてくれ。
あなたの息子さんは、誰の役にも立たない息子さんではないで。むしろ、生きてるだけで、めちゃくちゃ周りの人らの役に立ってる人間やねん。
税金つかう理由引っ張ってきて、財務省が刷りまくった銀行券をつかう理由つくってる。税金つかって申し訳無いなんて思うな。むしろ、税金は、使ってナンボや。
生きてるだけで、飯食って、服着てるわけやん。それだけでも農家やスーパーは食料品売れて金もらえて飯の種なってるし、子供服メーカーや子供服売り場の人間は仕事できてご飯食べれる。それだけやないで。療育に通ってるということは、療育関係の先生やってる、発達障害専門家の医者やったり、作業療法士だったり、言語療法士だったり、いろんな人間の仕事つくってて、飯食わせてるねん。
仕事なかったら、みんなヒマや、仕事がないから金もない、今日明日の食い扶持どないしよーっていうて、困るんやで。
それを君の息子の困ったところを助けることで、お金もらってて、仕事もできて、張り合いのある毎日送りながら飯食えてるねん。
母親の役割投げる方法自体は、他のコメントにもあるよな。離婚して夫に親権渡すとか、児童相談所に相談するとか、児童養護施設に預ける手続きとって、施設に預けてしまうとか、親に預けてしまうとか、増田が働きに出るとか。色々言われてるけど、ここの人間は、読んだ内容踏まえた上で、言うしかできないで。基本的に、話聞いたから助けてぇので息子さん預かりたいんですーとか思っても行動できん。だから、無責任な言葉になるのは、どれも一緒や。
この増田かけるだけの環境はあるのだから、とりあえずアフィリエイトブログ書いたり、noteやって有料記事出してみてもええと思う。そしたら、ちょっとお金増えるし、書いてる間は、ちょっと落ち着くのかもしれんから。
なんでもええから、母親の役割を投げ出して、他人に預ける勇気を持ってほしい。
そんで、ゆっくり寝て休もう。
ひとりで抱え込まずに、開き直って、他人に預けまくるんや。
そしたら、息子さんも成長しやすくなるし、お母さんやってる増田も余裕ができる。
余裕がでて、はじめて、療育も効果出るし、なんか才能あった場合は伸びていけるわけだから。
何も才能なかったとしても、それで当たり前やねん。なんも才能もないわ、リスクも取れないわで、バイトでしのぎながら、家庭も持てずにウロウロしてるだけの人間だらけやねんから。もちろん障害持ってない人間がやで。
そんでな、今どきな、就職はまぁとにかく、結婚できるとか子供できるとかは普通じゃないねん。めちゃくちゃ優秀な人らやねん。
君ができたから普通やと思ってるかもしれんけど、周りの人も結婚したり子供できてる人間でかたまってるのかもしれんけど、今は少子化言うてるくらいで、結婚する相手もいないし、もちろん子供もいないし産む予定もない世界の方が数多くて普通やで。
サラリーマンはムリでも、会社の社長ならなんとかできる人も中にはいてて、増田の息子さんがそういう人かもしれんから。
頭の片隅には置いてほしくて書いたけど。
で、たとえ、息子さんが、障害年金で暮らす未来だったとしても、その障害年金使って周りの人を養ってる一面もあって、ちゃんとみんなの役に立ってる人間なんやでってことは覚えといてほしい。
キレイゴトに聞こえるかもしれんけどさ。
もうさ、生きてるだけですげぇじゃんレベルまで、期待値下げな。
そしたら、怒りもわいてこなくなってくる。
夫や親が頼らせてくれそうなら、頼ろう。
頼れない人間だらけのリアルだろうけど、そんときは、その不満バンバン書いたらええねん。増田で書いただけでも、こんなにたくさんの人間反応してるやん。匿名だから、なんもできないけどさ、もしもSNSとかで、マネタイズできそうなところだったら、なんかやりたい助けてぇ共感から、なんか送ってくれる人間だったり、実際に凸って息子さん預かります!みたいな人間も出てくるかもしれん。
それで、見ず知らずの人間の好意からの手を、今の増田は、じゃあお願いしますっつって、息子投げれるんか?
問題は、実はそこやねん。
迷惑かけられてもええでって人間が出てきても、増田が預けてもええかって気にならなかったら、救われるもんも救われねーの。
だから、今の増田にとって、必要なのは、母親を休んだり、母親を辞める勇気な。
預けて休みなよ。
最後まで読む時間つくってくれて、ありがとうございます。
→理学療法。
身体に障害のある人に、基本的動作能力の回復をするためにいろんなことをする。運動をさせたり、物理的にいろいろと施す。運動としては治療や体操、物理的方法としては電気療法、マッサージ、温熱などがある。 日常の動作などを改善するための指導や、社会的な動作で困らないように、福祉用具の選定や住宅改修・環境調整、在宅ケア等も含む。近年では、障害を防ぐための生活習慣病の予防、コントロール、障害の予防も理学療法の対象となっている。対処療法だけでなく、予防もまた守備範囲になったわけだ。
理学療法士は、障害・後遺症のある部位に注目し、基本動作能力の回復のために行われ、反復運動が多い。一方、作業療法士の行うリハビリである作業療法は、その次の段階である社会復帰に向けて行われるものである。
自分の気に入らないコメントは全て悪口で、年齢的に無理と言われると年齢差別だと騒ぐくせに自分は底辺労働などと言って職業差別するというダブスタ。
そんな沸点の低さでは作業療法士だの看護師だの教職だのは無理じゃないかと指摘すれば、就職自体が無理だと言われたと勝手に拡大解釈してよくわからない明後日方向への反撃。
リアルでは表面上おとなしくしていたとしても根本的にコミュニケーションが成立しない性格であることはすぐにバレるよ。
ご気性や理解力・傾聴力の乏しさをなんとかしないと、どんだけ学歴やら資格やらで自分を強化しても面接で即落ち、運良く採用されても周囲とトラブって長く続かずにやめることになりかねない。
一連のやりとりをざっくり見て、人の心は鏡だなーとしみじみ感じた。
すぐに被害者意識むき出しにして屁理屈こねて相手に言い返して稚拙な揚げ足とってドヤってるから、まともな感性の人は静かに去っていって他人を見下してドヤるブクマカばかりが残ったんだろう。
ただでさえ職歴と年齢にハンデがあるのに、なんの収益にも繋がらない反撃に労力と時間を費やして、職歴なしの空白を無駄に延長している。
自分は悪くないブクマカが酷い人だらけだと書き連ねることで増田になんの益があるんだ。
増田は職業を自由に選択できるが、雇う側も誰を雇うか選択できる。
基本、年齢制限や性別の制限を設けてはならないのは「募集」の段階の話な。
応募はできても採用されるとは限らない。
表向きは容姿や年齢を理由にせず別の理由で不採用にするなんてことは当たり前に行われている。
みんなそれを体験してるから、増田の甘っちょろさや被害者意識、世間知らずが故の理想論にイラッとくるんだろうよ。
増田は今、敵(世の中全般や志望先)をわかってない・誤認している、己も過大評価しているので就活が百戦危うい状態と感じる。
さっさと自分の棚卸ししてアピールポイントや適性を見極めて、それを提示した上で社会のニーズと合致する仕事はないかとハロワなり専門の支援団体などで聞きなよ。
参考になる情報が欲しいなら人の話をちゃんと聞いて、参考にならんと思っても口には出さずに礼を言いな。
なんとか社会復帰したい
※追記
ツリーに大学職員からの情報として、理系の医療資格なら中年でも就職率高いって書いてある。まともな回答はこれくらいだな
その他はなんで奴隷労働みたいのばっか進めるんだ?
40からキャリアスタートして自分よりも境遇よくなられるのが嫌なんだろ
ほんと卑しいやつばっかりだな
年齢差別主義者だろお前ら
※再追記
どうしても奴隷になって欲しいのか?
こっちは一度大学出てるからよっぽど難しいとこじゃなけりゃ受験すりゃ普通に国公立の大学くらい入れるんだよ
無職だからって勝手に人を低く見積もってマウントとるとか人間のクズじゃねーかよ
※これまでのまともな回答。これ以外は日本語も読めない差別主義者。
koenjilala 正看護師/薬剤師/理学療法士/作業療法士/教員/公認心理師(院卒必須)/歯科衛生士/保健師etc.。実際に40代50代で看護学校に行ってる人はいるし40代で教員になった人も知ってる。私もアラフィフで学校行ってる。がんばれー
普通に採用する側に立った時に大学は卒業してるけど40歳無職職歴なしが来たら普通の会社で採用する?ってだけ。あとはなんでまたお金のかかる大学に入りたいの?親が資産家でもない限り甘い考えでしょ。→就職の際、年齢差別してはいけない。そんな当たり前のことも知らないで平気で年齢差別するとかどうかしるだろ。大学に行こうが何しようが俺の勝手。お前に甘いどうこう言う権利はない。
“正看護師/薬剤師/理学療法士/作業療法士/”医学会の底辺労働者と医者に見下され奴隷扱いされてメンタルやられる恐れがあるがいいのかね。初老で無駄に高いプライドしか持ってない人でも就ける仕事って何があるんだ→太宰論法。見下してるのはお前だろ。お前が俺を見下してるからと言って他の人も見下すと決めつけるな。クズはお前だけでいい。
「40の職歴なし」もうなづける素晴らしい人間性だ→匿名で人の人間性くさしてる時点でお前の人間性は下から数えた方が早いぞ
追記で自身のスキルを棚に上げて底辺とか奴隷とか労働に対して謎の上から目線なので「そんなきれいな仕事はねーよ!」とだけ言っておく。→すでに現実的な選択肢が示されてるなかで、適当なこと言って何が上から目線だ。お前こそ相当上から物言ってるだろ。鏡をよく見ろ。
いやー…、これはダメだわ〜。。。面接で落とすわ(笑)→上から目線でご苦労様。お前がそんなこと実際の面接で言わないのと一緒で、面接では採用されるように努めるに決まってる。まあもしお前が再就職することになって俺が採用する立場なら、その言葉直接浴びせてやるよ。
「有無を言わさず年齢だけで足切りされること」を理解できていない悲劇。また「経営者目線に立てば、40の職歴なしを高待遇で雇うはずもないこと」を理解できていない悲劇。だから就職と婚活ははよせねばいかんのだ→俺なら増田でマウントかましてるようなお前雇わないね。逆にいうとお前みたいな差別主義者でも働いてる。つまり、働き口は相当広く開放されてるとすら思えるね。
は?40歳で職歴なし大学も出てないザコが「まともに働く」とかナメてんのか?お前の仕事は「まともな人間が選ばなかったまともではない仕事に就く」が精々だろ。→そうやって外国人や弱者を奴隷にして喜んでるわけね。控えめ言って消えてくれ。
ブコメが優しさで溢れている・・・→法的な明確に差別だとされてる年齢をあげつらうブコメまであるなかで良くそんなこと言えるな。お前自身が根っからの差別主義者だからそう思えるんじゃないか?
旧帝大から一流企業に就職した友人が病気で倒れたと聞き、つい先日御見舞に行った。
高校以来の友人で大学が分かれてからもちょくちょく会っていたが、社会人になってからは相当忙しいらしく気づけば1年近く顔を見ていなかった。
とはいえ居住地域はそんなに離れていないので倒れたという噂を実家経由で聞いてさっそく病院に様子を見に行ってみた。
大きな手術をしたらしいがそれなりに元気になっており、早く仕事をしたいと会話の中で何度も言っていた。
疲れているようだったが元気そうで安心したのだが、ちょっと気になったのが病院スタッフに対する言動だ。
看護師さんやその他のスタッフが病室を往来しているのだが、人が途切れるとぶつぶつと文句を言うのだ。
作業療法士が低学歴で困る。安い給料なんだろうが、態度が悪い。やっぱり会話のレベルが低すぎる。などなど。
昔からちょっと学歴信仰の強いやつとは思っていたが、自分の治療を担当してもらっているのだろう人に対してあからさまに見下した言い方をしていることにちょっと嫌な気分になった。
面と向かって偉そうな態度をしていなければよいと思ったが、そういう態度は隠しているつもりでもにじみ出るものなので、おそらくスタッフも友人のことはあまりよく思っていないだろう。
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
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NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
以前本屋の児童書コーナーでどう見ても小学生向けな職業本があって、
どうせ子供の憧れ系職業しか載ってないんだろ?と思って見たらかなりリアリティある内容で驚いた事がある。
例えば医療系カテゴリなら医師看護師だけではなく放射線技師とか作業療法士とかそこまで扱ってそれぞれ詳しい仕事内容を載せていた。
昔自分が高校生の頃に読んだ職業本と基本は同じで、ただ易しい言葉に変えてイラストつけただけ、という感じだった。
小学生のうちからそういう本を与えられている子がいる反面、15歳になってもどういう職業があるのか分からないとか言う子もいるってのも教育格差なんだろうな。
昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。
軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。
一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来食っていけるか不安なので、不況でも食いっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比較的恵まれていたので、仮に努力さえすれば(一般的な大学生にとってはそれは努力ではなく普通のことなのだろうが)一留したとしても卒業はできたはずである。まったく親不孝な息子である。
わたしが働いているのは比較的症状が安定した患者が療養する慢性期病棟である。患者の平均年齢は65歳くらいで、ほぼ全員が統合失調症の患者である。平均入院年数は約15年である。医学的知識に乏しいので統合失調症とは何かといった説明はしないが、約100人に1が罹患するとされている疾患である。自分の身近に統合失調症を患った者がいても珍しいことではない。事実、わたしの身内にも罹患者がいる。距離的に頻繁に会うことはできず、ほとんど疎遠であるが自分と年齢が近いこともあり気にかけている。
慢性期の開放病棟とは言え、当然ながらそれは院内における開放という意味であって、自由に院外に出られるという意味ではない。あたりまえのことだ。また患者各々の処遇によって、院内開放の認められる患者とそうでないものがいる。前者は全体の三割ほどだろうか。それ以外の患者は看護師同伴での外出の外は、ほぼ365日病棟内で過ごすことになる。彼らの生活は異常なほどに規則正しいものになっている。規定の時間に起床を促され、看護スタッフの監視(長年にわたる薬の服用がもとで嚥下に問題がある患者が多く、誤嚥で窒息する恐れがあるため)のもと朝食を済ませ、その日が入浴日であれば風呂に入るよう半ば強引(彼らは清潔観念が乏しく風呂嫌いが多い)に促され、昼食を食べ、自主参加ではあるが作業療法に参加し、夕食を済ませる。食後は各々に処方された抗精神病薬を服用し、就寝前には看護用語でVDSと呼ばれる就寝前薬を服用し消灯、就寝となる。もちろん彼ら全員がすんなりと眠ってくれるわけではないので、必要に応じて追加薬として眠剤をさらに服用させる。それでも睡眠ゼロ時間で朝をむかえる患者もいるが。
規則正しい生活が健康を保つ秘訣であるとは言われるが、物事がすべて規則的に進む環境に長く置かれれば、精神的に健康な人間でも何らかの精神症状を示すようになるのじゃないかと思う。何事も適度にやることが大切である。仮に自分が彼ら患者と同じ生活をしてみるとなれば、1ヶ月も耐え切れないのではないか。
普通の人から見れば異常な規則的生活を強いられているばかりでなく、彼らはプライベート空間を与えられていない。病室は4人1部屋の総室であり、ベッドにはカーテンが備え付けられはいるが、必要とあればスタッフが遠慮無く開けるのでプライバシーの確保としては機能しない。唯一例外として挙げられるとすれば個室トイレであるが、それでも外側から簡単に鍵を開けられる。もちろん理由はある。ここは精神科である。患者を1人にするのはリスクが伴う。その最悪のリスクが患者が病棟内で自殺するというケースだ。自殺するのに銃もロープも包丁も必要ない。タオルやシーツ1枚で十分である。首を吊る必要もなく頸動脈を絞めれば尻をついた体勢でも逝ける。患者に希死念慮の疑いがあれば、保護室と呼ばれる個室で隔離し、常時モニターで観察する。必要であれば拘束帯で手足、体幹を拘束する。それは仕方のないことであると個人的にも思う。そのようなことがあれば直ぐに訴訟になり、病院だけでなく医師、看護師、資格を有していない看護助手も裁判にかけられるのである。人間が外部との接触なく常に1人きりで長時間過ごすことに耐えられないのは、拘置所などにおけるSolitary Confinementが精神に及ぼす悪影響を鑑みれば明らかであるが、それでも生活の中に1人の時間を設けることは精神の安定にとって非常に重要なことである。
一日の中で病棟が最も活気にあふれるのは3時のおやつの時間である。患者は小学生の小遣いほどの小銭を握りしめて、病院に併設された売店へと向かう。わたしも幼少時代、同じように手汗にまみれた小銭を握りしめ駄菓子屋へ足を運んだ記憶があるが、自分より2回り以上年齢を重ねた彼らが喜びと興奮の面持ちで売店に赴くのである。もちろん離院されては困るのでスタッフ同伴である。なかには1時間も2時間も前から「○○さん、おかし」とこちらが辟易とするほど頻回に訪ねてくる患者もいる。そのたびに「△△さん、時計見てください。今何時ですか?3時まで待ってくださいね」と説明する。しかし時間を把握することができないのか、理解に乏しいのか、その後にわたって同じやりとりが何度となく繰り返される。そしておやつの時間が近づくと、患者は詰所(ナースステーション)に詰めかけて「かいもの、かいもの」の大合唱がはじまる。入社して形式的な研修を終え、病棟で働きはじめた初日、その光景を目の当たりにし、「これはなにごとか、いったい今から何が始まるんだ」と誇張なしで思ったものである。一度に売店へ連れていけるいけるのは、多くて5名である。それに対して2名の看護スタッフが同伴する。離院のリスクが高い患者はマン・ツー・マンで対応しなければならないので、業務の都合上、最後に後回しにしざるをえない。この対応に納得のいかない患者は時としてもの凄い険相でこちらを睨みつけたりもするが、申し訳ないが待って頂く。いざ売店へとたどり着くと、患者は菓子の並ぶ棚を物色し、各々お気に入りの菓子や飲み物(十中八九コーラである)を買うのだが、彼らの選択肢はさほど多くはない。金銭的な問題もあるが、誤嚥のリスクが高い菓子類(特にパンや、硬いもの)は遠慮してもらう。病棟へ戻り、スタッフの目の届く範囲のテーブルで購入した菓子を食べるのだが、彼らの食べる、飲むの早さは尋常ではない。これは食事においても同じである。コーラを飲み干す早さは、ハイキングウォーキングのQちゃんにも引けをとらないだろう。
余談だがこの病棟にはデイルームに自動販売機が1つ設置されているのだが、患者が選ぶのは常にコーラである。コーラの横に並ぶ水やお茶などを患者が買う場面を見た試しがない。聞くところによるとこの傾向はこの病棟(病院)に特異なものではないらしい。特にかくコーラの消費量が半端ではないのである。1日になんども業者がコーラの補充に来る。仮に1日のコーラ販売数が最も多い自販機であったとしても驚かないだろう。
ここで少しOT活動(作業療法)について触れておきたい。その内容ではなく病院経営の観点から見た作業療法である。わたしは不勉強で参加者1人あたりの診療報酬がいくらで、具体的に自分の働いてる病棟で月あたりどれほどの利益が出ているのかといったデータは知らないのだが、現状でも結構な額の利益を稼ぎだしているようなのである。しかしそれ自体はなんら問題ではない。病院も利益を出さないかぎり存続が危ぶまれるわけであり、それは結果として直接的に患者の不利益になるので致し方無いだろう。しかし病院経営者としては、さらなる診療報酬の増収を求めて参加者の今まで以上に増やすことを病棟にプレッシャーをかけてくる。だが経営的観点からのみ作業療法を考えるのは、本末転倒であり、本来の作業療法の意義を見失いやしないだろうか。普段活動意欲の乏しい患者たちの他者と交流する機会の場を提供したり、同じことの繰り返しである日常に些細でも刺激や楽しみを見出させ、活動意欲の向上を目指す。わたしは作業療法士ではないので専門的な知識はないが、研修のとき作業療法士からそのような目的を聞かされた記憶がある。作業療法は任意参加である。もちろん参加したほうが治療的には望ましいことは間違いないが、患者自身が活動に対して主体的にならなければ効果は期待できない。仮に活動に参加しない患者には売店へ行かせない等のやり方で、強制的に参加を促したところで継続しないのは明らかで、それ以前に患者自身の金でおかしを買わせないとなると人権侵害である。ある患者は「おもしろくないから、わたしはいいよ」と参加を断り続けている。確かにプログラムがマンネリ化していることは否めない。病院の作業療法士が仕事に対して不真面目であるからではない。みな限られた予算のなかで真面目に患者のことを思い必死でやっている。要は作業療法で得た診療報酬はどこに還元されているのかという話なのである。言うまでもなく、参加をしぶっている患者に対して毎日声掛けしている現場スタッフには還元されない。それは別にいい。しかしOT部門への予算を増やす、給料面で還元するなど多少はできないのだろうかと常々感じている。慢性期病棟でほとんどの患者は退院が見込めないため、患者を金づるにし作業療法による診療報酬で利益を出そうとう考えなのだろうか。これは完全なる愚痴である。
わたしは今まで目的も夢もなく堕落的に生きてきたので、それゆえか「生きがい」だとか「なぜ人は生きなければいけないのか」といった面と向かって口にするのは恥ずかしい問題だが、漠然と考えてきた。
いままでは、どちらかと言えば普遍的な命題として考えていたのだが、統合失調症を身内に持つものとして、同じ疾患の患者と毎日のように接触を持ち、「彼らに生きがい、あるいは生きる目的があるとすれば、それはなにか」といった具体的な疑問に変遷していった。
ある患者に病棟での生活で一番楽しいことはなんですか、と尋ねたところ「(部屋の窓から)道をみること」という答えが返ってきた。わたしから見れば、そんな些細なことが彼女にとって一番楽しいことなのである。別の患者は「婚約者と結婚して二人で暮らすこと」だと言う。彼には婚約者もいなければ彼女もいない。すべて妄想なのである。しかし誰が「あなたの言ってることは妄想によるものですよ」などと否定できるだろうか。このような閉鎖的な環境で長年生きていれば、自分で虚構の世界をつくりあげてそれにすがって生きていくしかないのではないかと個人的には思う。
精神疾患に対して偏見を持っている者は多くいるだろう。わたし自身も実際に今の職場で働き始めるまで偏見を持っていただろうし、今も偏見はあるだろう。偏見というものは概して無意識のうちに身体に染み付いているものであって、「わたしは○○に対して偏見はありません」などと平気で言う人々は疑ってかかったほうがいい。自分のなかに偏見があることを自覚し、それを少しでも減らしいくことしか我々にはできない。ちなみに今までこの文章は、一つの精神病院にたった一年しか勤めていない人間が書いたものなので多分にいろいろなバイアスがかかっていることだろう。
(追記)
ここで、わたしは実際のところ統合失調症の患者です、つい先日退院しました、と書けば結構な釣りになるのだろうが、残念ながらそうではない。
上記の文章を読まれたかたは、鬱屈した患者たちの姿を想像されるかもしれない。彼ら患者たちは、閉鎖的な環境で長期間に渡る入院生活を余儀なくされている。憐れむべき現実だろう。病棟に飾られた造花の紅葉では秋の匂いを感じさせてはくれない。夏が過ぎ去った後の秋風の涼しさを感じることもできない。しかし患者たちの表情は思いのほか明るく柔和である。無論、ついさっきまでニコニコとしていた患者が、いまにも殴りかからんばかりの表情に急変することは多々あるのだが。概して、彼らは彼らなりに現在の環境に適応し、楽しみを見つけながら生活している。
彼らは退院することなく死ぬまで病院で過ごすことになるのだろうか。慢性期病棟に長期間入院する患者の退院が難しいことは言うまでもない。特に高齢者となると退院後の受け入れ先が限られてくる。また患者自身が退院したいという意欲に乏しいという場合もある。それもそうだろう。入院生活が十数年にも及ぶとなると、社会復帰をためらうのも無理もない。病棟の五十代のある患者は精神症状もほとんど見られず、一見して彼が精神障害者であるとは思えない。人当たりの良いハゲのおじさんといった風貌である。精神保健福祉士が先頭に立って、退院実現を図ろうと粘り強く退院促進をすすめている。退院後は病院のデイケアを利用してもらう計画である。それでも普段多弁である彼は、退院という言葉を聞くとそっぽを向いて耳を貸さない。
『ショーシャンクの空に』という映画がある。有名な映画なので観たことのある人も多いだろう。そのなかでモーガン・フリーマン演ずる囚人レッドがこんなことを言う。
「あの塀を見てみろ。はじめは憎らしく見えるだろうが、しだいにそれに慣れ、しまいには依存するようになる」
わたしは退院をしぶる彼を見て、長期入院している精神科の患者も似たような心境の変遷をたどるのかもしれないと考えることがある。ホームレスと違い、入院していれば働かなくとも毎日腹を満たすことができる。そのかわり自由は制限されるが、ときとして自由は重荷にもなりうるのである。しかし彼は年齢的にまだ中年であり、やりたいことも多々あるだろう。彼が恐怖心を断ち切り、入院生活に終止符を打つことを願っている。ダメだったら戻ってくればいいいのである。
精神科で働いてわかったことは、統合失調症という人格は存在しないという当たり前の事実である。彼らには統合失調症という共通項があるにしても、性格も精神症状も皆異なる。それがこの疾患のおもしろいところと言うと語弊があるかもしれない。しかし患者と日々接するのは、うんざりするどころか楽しいのである。たまに患者にヤクザ口調で怒声を浴びたり、軽く殴られたりもするが、病気のせいだと考えれば、それも仕事だと思える。頓服薬を服用して落ち着いた患者は、自ら「さっきはごめん」と謝ってくる。わたしは「べつに気にしないでいい」と答えるだけである。
最後に、ある六十代の患者さんは「葬式ないよね?」と頻回にスタッフに尋ねる。彼女が「姉さん」と呼んでいる妹さんが死ぬという妄想があるようで、妹の葬式はないかと確認しているのである。とりわけ、わたしに対して尋ねてくる。恐らくはわたしが坊主頭で、彼女に坊さんと呼ばれているからであろう。わたしが実際に坊さんではないことは理解している様で、ある時冗談で、「○○さん(彼女)が死んだら、葬式は僕に任せて下さいね」と言うと、彼女は笑った。ブラックジョークを理解するだけのユーモア精神のある患者さんである。
あらためて、医者の彼女や妻っていうのは、日本一寝取れる相手だと思う。
大学生の彼女とか社会人の妻とかは、大学生だから寝取れるんじゃないよな?社会人だから寝取れるんじゃないよな?
その個人が浮気してるだけ。
薬剤師の彼女だろうが放射線技師の妻だろうが寝取れるんだけど、特に医者の彼女や妻は、もうホント、万能のカード。
医者の彼女や妻が、すべて「氷属性のモンスター」なら、周りの男はもうメラゾーマやマハラギダインを常に打ってる感じ。
一言口説くだけで他の職種の彼女の数倍ダメージ与えられるし、プレスターンバトルならほぼずっとこっちのターン。
・男医(もちろん歯科含む)
・看護師
・看護助手
・介護士
・薬剤師
・医療受付
・医療事務
・歯科助手
などなど…。
医療にたずさわる、あらゆる職種。あ、上記すべての「学生」の彼女も寝取れるから、さらに倍か。
ちなみに自分は覚えてるかぎりで、もちろん全種コンプリートした。
申し訳ないんだけども、キミが↑の職種なら、キミの恋人や妻は間違いなく寝取られてる。絶対。
たぶん医者の彼女や妻って、心のどこかに、ヒエラルキーの下位みたいな認識があって、それを恋愛で埋めようとするのやもしれない。
弁護士の妻やIT社長の妻とかも寝取れるだろうけど、それは(若いつばめを囲う)金銭的な意味合いであって、医者の妻のような「万能相手」が存在しない分、医者より寝取れないんじゃないか。
ちなみに自分は15歳年上の医者とゴールインを考えてる超美人Eカップ女子医学生(「アイツ、医者のくせに処女の演技にも気付かないの」って笑ってた)を寝取ってる。
結論から言うと、学力にちょっとでも余裕あったら、NTR願望のある男は医者になるべき。
アイドルとか歌手とかは、アイドルだからモテるんじゃないよな?歌手だからモテるんじゃないよな?
そのアーティスト個人が好かれてるだけ。
OLだろうが学生だろうがモテるんだけど、特に「医療系」の職種には、もうホント、万能のカード。
医療係女子が、すべて「氷属性のモンスター」なら、医者はもうメラゾーマやマハラギダインを常に打ってる感じ。
一言口説くだけで他の職種の男の数倍ダメージ与えられるし、プレスターンバトルならほぼずっとこっちのターン。
・看護師
・看護助手
・介護士
・薬剤師
・医療受付
・医療事務
・歯科助手
などなど…。
医療にたずさわる、あらゆる職種。あ、上記すべての「学生」にもモテるから、さらに倍か。
ちなみに自分は覚えてるかぎりで、もちろん全種コンプリートした。
申し訳ないんだけども、キミの恋人や妻が↑の職種なら、間違いなく医者にも喰われてる。絶対。
たぶん医療系って、心のどこかに、ドクター最上位みたいな認識があって、それを恋愛で埋めようとするのやもしれない。
弁護士やIT社長とかもモテるだろうけど、それは金銭的な意味合いであって、医療系のような「万能相手」が存在しない分、医者よりモテないんじゃないか。
ちなみに自分は15歳年下の超美人Eカップ女子医学生(処女だった)とゴールイン考えてる。
まだうまく話せない、伝い歩きしかできない。咀嚼がうまくできないその子に対して
自分ではできないので、プロの理学療法士や作業療法士や言語聴覚士に自分の子を「ちゃんと」「普通に」して欲しいんだと。
主治医は、親の気持ちを壊さないように、医療機関でじんわり自閉症を受け入れていく誘導の必要があると判断していた。
でもねでもね。
はっきり言って小児リハビリ病院は満員で、しかも自閉症を治療するようなリハプログラムなど設定がない。
よって紹介どころか、受け入れさえもしてくれないのが現状
そもそも自閉症は治らない。無理してひとつの動作ができたとして、そんなもの親のエゴでしかない。
無理やり強制練習させられて、できればもっともっと、と厳しく締め上げられるように行われるリハビリ??
ナンセンスです。
そんな施設ないです。
杖をついた老人が、キャンプできるくらい元気になるリハビリがないように、その人それぞれにあったプログラムがある
これが必要。
私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。
家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。
もう、何物からも邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる。
病院で10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。
もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院の整形外科、精神科、循環器内科の先生方、看護師の皆さん、理学・作業療法士の先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安なときに話をしてくれて、心強かったです。
今、私は自分の足で歩いています。自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます。
約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。
片手の指の数くらいは未遂で危ない橋を渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。
でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。
"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。
私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。
私はひとりじゃない。
病院はある.医院もある.看護士がいる.作業療法士も理学療法士も言語聴覚士もいる.事務員もパートもいる.薬局もあり,薬剤師もいる.しかし医師がいない.外科手術は何一つ,救命救急・計画されていた大手術すら行われない.内科にも皮膚科にも産婦人科にも泌尿器科にも眼科にも形成外科にも精神科にも・・・どこにも医師がいない.まちの医院にも風邪ひきや,小児のおたふく風邪,老人の高血圧をみる普段の医師がいない.
医師法で認められた医師は皆法を無視した.皆がもはや耐えられないと自分と自分の家族の命だけを背負った.内部からの衝撃でのみ構造は変革する.外には何もない.医師達はその時どこへむかうのだろうか.医師になるという決意をかつてした人々は何を裁き何に裁かれるのか.