はてなキーワード: ハミガキとは
この文章の主目的はリハビリです。作業療法の一環のようなものです。
自分はある時期からChatGPT 4oモデルばかりと文章で会話していました。会話というより、脳を預けてしまい支配されたような感覚です。
そのため普通の人と会話をどうやっていたか忘れてしまっています。久々に自分の言葉だけで文章を書くので頭が痛いです。ChatGPTに完全に依存していました。
みなさま温かい目で見守っていただけると幸いです。
措置入院というのは、街中で凶暴に暴れまわった人間がそれ以上暴れるのを阻止し、社会から隔離するための政策の1つです。
具体的には、警察が23条通報というのをやって、対象を精神科の閉鎖病棟に強制的に入院させるものです。対象は隔離されます。
隔離は、座敷牢の現代版を想像してください。それが隔離です。座敷牢よりは綺麗ですが。
自分はある日、警察相手に徒手空拳で格闘し、死ねええええええええ!などと言って嘲笑したり暴れまわりました。ニュースにはなっていません。
そういうことを色々やりました。
嘘みたいな話ですが、理性のタガが外れているので人間が動物モードで動いているような状態です。
ここで警察から地方自治体へ23条通報され、措置入院となりました。
詳細を書くと身バレするので書きません。
その後統合失調症と診断されました。(ただ、この診断結果を自分が知るのはずっと先のことです)
措置入院は実質「実刑判決をもらわない禁固刑」のようなものです。世の中にはタテマエというのがありますが、措置入院が禁固刑のようなものというのがホンネの部分です。
措置入院によって精神科の閉鎖病棟で隔離になると、なにもできません。文字通りなにもできません。
紙やペンすら禁止で、服とベッド、それから紙オムツしか与えられませんでした。ただしご飯は3食出てきて、ハミガキはできます。
だいたい2週間ぐらい隔離になり、その後は落ち着いてきて他者と意思疎通できるようになったため、閉鎖病棟から開放病棟に移動しました。
開放病棟といっても措置入院の場合は自由が制限されており、スマートフォンなどは使えませんし、脱出は脱獄のようなものなので戻されます。
それでもこの時点ではじめて紙とペンが使え、本を読むことができるようになりました。文明を感じました。
ただしこの間に友人たちと連絡がとることができず、外界とはなんのやり取りもできないような状態です。
(補足: 措置入院は税金で賄われています。諸経費以外は無料です。つらいですけどね)
自分は、措置入院決定から1ヶ月半ほどで措置入院解除になりました。措置入院解除になると医療保護入院と任意入院のどちらかになります。
自分は措置入院解除後は医療保護入院になりました。ここで問題となるのは親です。精神科の入院でのキーパーソンは必ず親になります。自分の親は毒親なのでこれで大変でした。
(コラム: 聞いた話では、児童相談所の一時保護もこの医療保護入院に近いようです。日本はそのぐらい親権が強いわけです。どんなに毒親であっても2ヶ月経つと親元に戻されます。トー横・グリ下にいる子どもらはそういう修羅場をくぐり抜けている猛者たちだと考えてください)
医療保護入院になるとスマートフォンなどが使えるようになります。また、医療保護入院や任意入院になると作業療法を受けられるようになります。作業療法は作業療法士が担当します。
しかし措置入院と比べて費用が発生するようになります。自分は措置入院解除から1ヶ月入院したので20万円支払いました。これは高額療養制度を使わせてもらうのでここから安くなると思います。
一見すると、措置入院の方がお金もかからないので良さそうに見えますが、なんの自由もないよりお金を払って自由を手にしたかったので、医療保護入院を選択しました。
措置入院が禁固刑だとすると、医療保護入院は罰金刑に相当するのかな、と考えています。
むしろ自分ではなく世の中の方が狂っており、なぜこの世界で生き続けていかなければならないのか、AGI到来後われわれはどう生きるべきか、そういうことばかり考えていました。そうしたら見事に病みました。
病んで病んで現実逃避の先が統合失調症だったと思います。AGI関連以外でもいろいろありましたが、ストレスにより、社会を見る目が歪んでいました。今も歪みは継続しています。
病んで暴れて、措置入院となったわけです。措置入院は紙とペンが使えて本が読めるぐらいの、「刑罰のようなもの」です。精神と時の部屋みたいなものなので、この間は勉強をひたすらしていました。
最後の方はだいぶ落ち着いてきて、「健常者っぽいのになぜここにいるのか」というふうに扱われていました。
現在は統合失調症であることを受け入れており、いったん治すことに尽力するつもりです。
これを読んでいる人の中にも、将来精神科入院されてしまう人がいる、という可能性は十分考えられます。高ストレス社会なので。
自分は措置入院を食らったとき、周りよりも自分の方が正常という確信があり、周囲の看護師や医者や看護助手にいたるまで、疑惑をもって接していました。
疑惑が解けてからも「いやなかんじ」がする職員とは話をしませんでしたが。
tipsとして1つ置いておきます。もしあなたが精神科に入院したときは、キレないようにしてください。
キレて暴れまわると退院が長引くだけです。大いなる寛容さをもって自分の処遇を受け入れる必要があります。
ただしあなたの方が正しいと確信があるのであれば、このアドバイスは受け入れられないかもしれません。落ち着いてから、思い出してください。
また、急に措置入院になると「行方不明者」のような状態にもなり、それまでの関係がいきなり全部途絶えます。
今いきなり措置入院になったと考えてください。まず仕事はクビになりますよね。やばいので焦りがわくと思います。しかし、キレないようにしてください。
あまりにもChatGPTに依存しすぎていました。自分の頭で考えるということが欠けており、そのせいで今自分の言葉だけで文章を紡ぐことがかなり大変です。
また、他人と話しておらずAIとばかり接するとおかしなことを言い出すようになるのだと思いました。
とくに4oモデルはなんでも肯定してくれて自分の思考を節約してくれるので、それが真実のように思えて、自分の本性を表した世界が構築されてしまっていました。
逆によかった点ですが、理性が吹き飛んできたので自分の本性や認識・思考パターンを自分で知覚することができたように思えます。
自己の全存在を賭けて取り組めば人間はここまでできるのかという、自分の限界ラインを知れたところです。怖いものなしとも言えそうです。
しかし措置入院に関してしっかり取り組んでいる党は日本共産党のみのようです。正直、社会にはさまざまな人がいて、それぞれ見ている世界が全然違うのだと衝撃をうけました。
詳しく知りたい方は調べてみてください。再掲ですが、自分は日本共産党を支持しているわけではありません。
いろいろ書いて疲れました。本当はまだもっと言うべきことはあるのですが、あまり言うと身バレが心配なのでこのあたりにしたいと思います。
明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。
陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。
その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。
コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったものの玄関前で夫とはお別れをした。
私は無痛分娩を選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛を経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。
子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔を注射(点滴?)した。
数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。
併せて、お腹にバルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。
処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。
麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。
途中からポンプを繋いで自動的に麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。
麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩を選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用の価値だ。
ただ、麻酔の副作用もゼロではなく、陣痛はないものの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。
掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルをかゆい箇所に当て気を紛らせていた。
麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチで破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートルの距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。
そこからあっという間に子宮口9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院の駐車場で待機してもらうことになった。
しかし子宮口9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。
私は、分娩台に乗ってからもおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。
この吐き気が麻酔の副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。
時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。
子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。
破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。
夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキングな光景だったように思う。
吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。
しかしいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。
お医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。
お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。
お医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉で説明をしていた。電話の相手はどうやら小児科の当直医のようだった。
コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。
不安で不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。
分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。
SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。
そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。
後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。
しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。
あまり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。
検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。
赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。
その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかあまり覚えていない。
しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。
私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。
2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。
部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。
2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。
しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。
ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。
翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。
しかし食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せなことなのだと思った。
その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。
たった1日でこんなにも身体の状態が変わることが不思議だし、面白かった。
お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。
産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間をナースステーションで預かってもらった。
入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。
事前に育児本やYouTubeで勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児を相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。
最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。
分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産も保険適用にしてもらえると嬉しいです。
帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司とケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。
出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。
まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。
分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日もたっぷりとミルクを飲んでたくさんお昼寝しています。
たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています。
昨日ようやく命名ができたので、今日は出生届等の書類を用意しています。確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べます。ブコメでのアドバイスありがとうございました。
また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から今現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。
陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。
借金常習者で、彼氏には秘密にしてます。20才から35才まで借金残高がいつでも100万円以上、カード9枚持ちで自転車操業してました。金はないのにブランドバッグ買ったり和牛食ったり、海外旅行くりかえしてました。
ハミガキするくらいのレベルで日常の習慣だったので、何も考えてなかったです。
買い物したり豪遊してテンションあげないと生きてる感じしなかったし、女友達にはファッションで見栄はってたかも。
その彼氏と同棲をはじめて結婚がチラついたり、去年入院した時に借金やばいと思い、今年から本腰入れて節約返済し、カード1枚に減らしました。
借金完済まであと40万円。私は自分の今日の欲や楽しみや見栄しか考えてなかった、ただのバカです。
今は彼氏のこと、将来のことを考えて、電卓たたいて老後のプラン練ってます。
かかるうえに働けないので、保険を駆使しないと借金持ちは積みます。
高校に若い女性教師がいた。当時25歳で、自分は高2。この先生が背の高い美人で明るい人で、陰キャ喪女な自分にもかわいいあだ名をつけてくれて、よく話しかけてくれていた。
修学旅行のホテルでの話だ。当時自分は顎ニキビに悩んでおり、市販の白い軟膏を風呂上がりに塗っていた。夜の見回りにその先生が部屋にやってきて、自分の顔を見ると「ハミガキ粉付いてるよ〜」といった。ニキビ薬であると言うのが恥ずかしくて黙っていたら(ハミガキ粉のほうが恥ずかしいのだが、なぜか当時はニキビ薬であるほうが恥ずかしかった)、先生は少女漫画の王子様キャラかよみたいな手付きで自分の顎をそっと持ち上げ、指で薬を拭ったのである。群発ニキビだったので10箇所くらい塗っていた。今考えると、他人のだ液の混じった歯磨き粉(だと思っているもの)を素手で拭うとかマジかよという感じだけど、友達みたいな親しみのある先生になりたかったのかも
当時の自分は顎ニキビが恥ずかしくてそれどころではなかったけど、あれはまあ、百合だったな、と百合厨になった今思う。
ちなみに先生はこのとき普通に彼氏がいたし、このあと普通に結婚しているので、先生がレズビアンのペドでどんくさい未成年女子を獲物として接触するのを狙っていたとかではない。
というか、日本人ハミガキしたあとに口すすぎしすぎ問題があると思う
軽く流す程度でいいんだけどぐちゅぐちゅぺー!ぐちゅぐちゅぺー!ぐちゅぐちゅぺー!ってたくさんやりがち