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はてなキーワード: 文科系とは

2024-09-05

anond:20240904223624

増田が想定してる「文科系対戦趣味」ってなに?

ゲーム趣味にしたくないはわかったんだが、

将棋囲碁チェス麻雀もこのあたり全部ゲームじゃないの?

 

さらゲーム趣味にしたくないとはスマホゲームに分類されるアプリゲーム機のゲームしたくないってことかなと思うが

特に自宅にいながら他人と対戦するとなると

スマホゲーム機使わないもの、少なくともネット回線を介さなものは皆無にならん?

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 1/4


2024/9/16

みなさまへ

先日、知人の一人から連絡がありました。

要約すると「これ多分お前やろwww学内で読んだ人がいる」というものでした。

その人は私と同じ部活で、今は佛大の職員をしております

一応本文を読み直してみたところ、わかりにくい表現や、一部写真アップロード期限が切れていました。

もう一度だけ投稿します。文章もわかりにくい表現を直しています

なお、当日記には不適切表現(人間の質が低い学生体育会の横暴、その他不祥事)がいくつも出てきますが、私が在学当時の事実ありのままに書いております

何卒ご理解をお願いいたします。

最後に、もし佛大生でこちらの日記をお読みになる方に伝えます

今でも、人間として低い次元で生きている学生は多々いるものと思料します。残念な気持ちになったり、将来が不安になっているかもしれません。

しかし、学生時代自分や周りの社会のことをどれだけ考え、行動してきたかによって未来は変わります

私の同期も、近い年代の方々も、きちんと努力を積み重ねた方は、一流どころの企業官公庁社会福祉法人・NPOへの就職スポーツプロ選手社会人生活を経ての起業など、自らの道を選び取っています

卒業時にうまくいかなくても、地道な努力を積み重ねて、道を切り開いた人も存じています

大学レベル関係ありません。

過去選択がどうであろうと、現在、今を生きることでしか未来は開けません。

今後、あなた人生を失敗するのだとしたら、それは大学のせいでも社会のせいでもなく、「あなた個人が終わっている」から失敗したのです。

未来は決まっていません。

自分が将来、どういう人生を送りたいのか、どういう人間になりたいのか――その未来に向かって『今』を選択し続けてください。

道筋の中に、幸運があることを祈っています

卒業生より

(以下本文)

____________________________



約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

※この日記の書き出しは、同じ佛大卒の方の書かれたはてなの日記を大いに参考にしています。先達に感謝します…

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活エンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://d.kuku.lu/m3mguzmej)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-04-21

anond:20221227234405

この人はまだ救いがありそう。仕事を抱え込んで周囲と進捗共有が下手くそな人は、学歴の高い人に結構いる印象。

なぜかというと、日本文科系研究室は、個人営業でチームワークでなくて、互いに進捗共有とかフォローし合いとかチーム作業がほぼない。(チーム作業すると業績を盗まれる、というリスクもある。)また教授エライので、個人プロジェクトの細かいことを日夜報告する習慣がない。

その状態で、一般職的な職場就職すると、初期の職業訓練で、電話の取り方とかお茶の出し方とかシュレッダーゴミは率先して処理する、みたいなことを女社会で叩きこまれる。

チーム作業経験研修があれば、この辺は習慣の問題でもあるから乗り越えられるのではないか。でもチームワーク研修ってあんまり聞かないな。今はチームビルディング心理的安全性を創出するには、みたいな話になってしまって、プロジェクトタスクスケジュール見える化と共有をどんな感覚でやればいいのか、っていう研修とかあんまりいたことがない。当たり前すぎるのか職場ごとに違いすぎて研修できないのか。

2024-03-03

文学部は滅びるし、古・漢文選択科目化は時間問題

古文漢文教育擁護してる自称知識人様、増田でもブコメ結構見かけるけど、もう負け戦なこと気付いてる?

文科系学科を含む文学部研究費もない、学生も集められなくて危機に瀕していることは至る所で指摘されてるよね。このまま行くと私大純粋文学部はなくなって上位国公立でも大幅な定員削減は免れない(というかもう半分そうなってる)よね。研究費に関しては同情するところもあるけど、学生が集められないのは結局君らが言うところの文学古典作品に触れる楽しさとか、教養としての重要性が授業を通して伝わってないからだし自業自得なんじゃない?

国語教育がなくなることはないだろうけど、今後文学表現古典作品教育にかけられる時間割合は減らされて論理国語が幅を聞かせてくると思うよ。文学作品大好きな文科系教員も減っていくだろうしね。

結局、なんの役に立つかを説明することは無粋だしそれが教養っていう権威主義的な古くさい考え方が時代に合わなかったんじゃないですかね。この国の主権者の多くはあなたたちみたいな教養ある上級国民じゃなくて、明日を生きる武器が欲する賤しい人間なのでね。

2024-01-13

anond:20240113205718

これ単に奥さん学生時代吹奏楽部所属して関わりのあった男子以外苦手と言ってるだけじゃないかと思ったんだけど

その後に文科系って付いてるから違うんだろうか?

2023-12-01

日大アメフトが叩かれるのは体育会系からじゃないだろ…

文科系ゲーム開発部とかが大麻汚染されてても同じくらい炎上してたと思う

2023-11-21

anond:20231121162610

そもそも独立前提の業種」があるってのをサラリーマン理解できないんだよな

から色々誤解してる

ラーメン屋なんてずっとバイトに居られても上のポストなんてないんだから

ある程度育ったら独立してもらった方がいいっていうかそういう設計

二号店の店長やってもらうパターンもあるけど結局それって出資独立みたいなもんだしね

もちろん「そもそも独立前提の業種」に偽装した「実は独立パイが無い」みたいな詐欺業種も中にはあるけど

それってどちらかというと文科系芸術系仕事なんよねー

2023-09-14

anond:20230913201941

「男に媚びてぺこぺこする」という関係自体

一部の体育会系DQN文化しかない関係性なので

殆どの男、特にフェミが目の敵にする文科系男やオタク男は馴染みが無い

 

女の目にそういうのが多く映るならやはり

体育会系DQN系の男が好きで視界に入れる・付き合うってコトなんでしょ

そして魅力に映ったテストステロンの高さは暴力としても現れると

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-03-05

anond:20230305112143

建前上はこれから発展する国の学生日本教育し、自国に帰ったらそこそこの地位になるはずだから日本に役立つはず

実際は文科系官僚天下り先として大学必要から、建前を使って税金を流してるだけ

役に立たない大学と役に立たない留学生と役に立たない天下り連中に税金使うなら、日本若者に使うべきではある

2022-12-27

anond:20221227142016

体育会系文科系、各50人は母数として必要(俺も混ぜろ!

文系理系各5人とセックスしたけど

プレイ内容は別に文系理系で変化はなかったな

体育会系文科系では明らかに違いはあったけど

2022-05-17

仕事をさっさと終わらせてネットサーフィンを続ける人生

実家北陸田舎町工場をしていた。


土地だけはある田舎町で、田んぼの中に大きな工場があった。

地元高校卒業した男性従業員20人ほどと、事務中年女性が1人居た。

祖父が立ち上げた会社で、俺の幼少期は儲かっていたらしい。

実家に隣接した工場の車庫には祖父が乗る国産の高級車が4台と、父のランクルが並んでいた。


祖父から工場を継いだ父は高校卒業した一人っ子の俺に会社を継がせようとした。

就活受験に焦る中、工場の跡継ぎを任された俺は余裕をかまして残りの高校生活を消化していた。


中学校は友人に誘われ野球部に入ったが、運動神経の悪い俺は試合活躍した経験はほぼなく、

中学野球を辞め高校帰宅部だった。

町の書店漫画立ち読みして帰るのが習慣だった。


祖父と父に似ず文科系に育った私は工場体育会系風土に馴染めず、

工場で働き始めて2年たった頃、俺は鬱病になった。



父は工場での作業を辞めさせ、事務経理作業やらせた。

工業高校機械科を卒業し、ExcelなんてSUMくらいしか知らなかった俺でさえ

20人程度の会社事務職は慣れてしまえばあまりにも簡単作業で、

労働時間の大半をネットサーフィンに費やすようになった。

毎日2ちゃんまとめサイトを見ていた。


はいつもどこかに出かけていてほとんど工場に居なかった。

たまに従業員事務室を除きに来るが、

パソコンに疎いおじさんばかりで俺が何をしているのか分かっていなかった様子だった。



工場の隅に置かれた、機械油の臭いが漂う事務室でネットサーフィンをするうち

WEB制作が儲かるという情報を得た。


中学時代、遊びでジャンプ漫画ファンサイトを作っていた。

Yahoo!ジオシティーズを使い、漫画登場人物プロフィールをまとめ、

お絵描き掲示板チャットブログを設置し、

友人のサイトリンクが繋がっただけの簡単サイトだったが、

常連が数十人付き、チャット毎日賑わっていた。


毎日2ちゃんまとめに張り付き続けるよりはマシと思い、

興味本位HTMLCSSに再度手を出し、WordPressの使い方を覚えた。

ネットで出てくる解説通りに架空カフェサイトを作った。

サーバーに上げたページを事務所のパソコンでも自分スマホでも自宅のパソコンでも開いて

何度も上下スクロールした。架空地図も拡大して見たりした。

すごく楽しかった。事務作業よりもずっと楽しかった。



夕食の場で父に話があると切り出し、

「やりたいことを見つけた、俺に工場を継がせることを諦めてほしい」と伝えた。

最初は驚き、複雑な表情をしていたが、

工場のことはもう気にするな、ただしやりたいことを全力でやれ」と言われた。

父に心から感謝した。



しかし田園風景の広がる田舎町、WEB制作仕事なんて転がっていなかった。

転職サイトで見つけた求人に応募し、何度か片道5時間ほどのバスに揺られ、

面接簡単実技試験の末に内定を掴み取った。

たった5人の小さな制作会社だった。給料は19万円スタート。嬉しかった。


40歳くらいの小太りで髭を生やした社長から

「まだ若いし、気合があれば入ってからいくらでも覚えられるから頑張ろう。」と励まされた。

22年間の人生でほぼ始めて聞いた生の標準語だった。


俺は貯金をほぼ全て使い果たし東武沿線で6万5千円の狭い1Kを借りた。

工場トラック荷物を詰め、父の運転東京引っ越した。




5歳年上のS先輩と、一回りほど上のT先輩と社長が3人でWEB制作をしていたが

スピードクオリティも段違いだった。

1Kには全然帰れなかった。毎日眠かった。


T先輩は俺に付き合って毎日遅くまで、日によっては朝まで指導してくれた。

それなのに毎朝俺よりも早く出勤していた。

どれだけ頑張って早起きしてもT先輩の方が早かった。

眠そうな表情は全く見せなかった。東京には化け物が住んでいると思った。


残り二人の先輩は社長の昔の同僚らしいが何をしているかからなかった。

真っ黒な画面には見たことのない言語が広がっていた。

北陸の田園風景が恋しかった。


眠気と分からないコードと戦い、もがきながらしがみつくうちどうにかS先輩と同じくらいのクオリティ作業はこなせるようになった。

jQueryPHPフォトショの使い方も覚えた。イラレを使って簡単なチラシも作ったりもした。

お客さんとの打ち合わせもメールもそれなりにできる。

27歳になっていた。給料は25万円に増えた。後輩は2人できて、S先輩は会社を辞めた。

あるアニメイベントきっかけで2歳年上の同じ趣味彼女が出来た。偶然にも同郷だった。

正確には車で1時間ほど先の県庁所在地である市の出身だった。



5年前に使った転職サイトからメールが来続けていた。

ある日退勤中になんとなくメールを開いた。

目ぼしい求人は無かった。

なんとなく、ドロップダウンリストから勤務地の地元の県を選択し、年収欄に400万円と打ち込み、求人検索する。


株式会社〇〇 〇〇営業所 システムエンジニア 年収400万円~」




今年31歳になる。

彼女は嫁になった。

地元の駅徒歩18分の場所駐車場込み9万円で3DKを借りて、駐車場アクアN-ONEを並べて一緒に暮らしている。

月に1、2回は父の顔を見に実家に帰っている。



俺は、誰もが名前を知る大企業地方営業所に勤めている。

この町の郊外工場があり、そこから5キロほど離れた営業所SEをしている。

営業所社員12名。他の社員営業事務など。

SEは俺1人で、本社連携を取りながら工場システム周りを担当している。

今扱っている言語転職前はほぼ扱ったことのないものだったが、

研修制度のおかげもあり、JSPHPを覚えたあとなら、さほど抵抗なく覚えることができた。


工場システム管理とは言え、大枠の部分は東京本社SEがやってくれている。

俺のやっていることを分かる人間は誰も居ない。

俺のことはみんな「東京から帰ってきて、真っ黒な画面に何かを打ち込んでいるすごいやつ」だと思っている。


俺の業務は慣れてしまえばあまりにも簡単作業で、

労働時間の大半をネットサーフィンに費やすようになった。


こうして業務中にはてな文章を打ち込みながら転職サイトを眺めている。

それなりに幸せではあるが、今でもTwitterで繋がっているS先輩の仕事を楽しんでいるツイートを見ると複雑な気持ちになる。


俺はこういう働き方しかできないのかと思う。

2021-08-05

漫画雑誌の数が不自然に多い

ニコニコ大百科の「漫画雑誌」の記事

https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%BC%AB%E7%94%BB%E9%9B%91%E8%AA%8C

俺的には30%ぐらいが聞いたこともないような雑誌だった。

マイナー雑誌が「不自然」に多い。つまり日本需要で支えられないほど雑誌が多くはないかという気がするのだ。

まず大多数が名の知れた雑誌流れる。そこで知った作品で十分満足し、いちいち他の雑誌の探求などしようとしないはずだ。

まりマイナー雑誌を知る機会を得る層自体ごくごく限られると言える。

では現状知ってる作品で満足しない人が雑誌を知る過程はどういうものであるはずか。

まあ多分書泉とか八重洲とか行って探すのだろう。

だって地元大型書店とかでも見たことない雑誌多いしマイナー雑誌を取り扱ってるところなんてこのあたりぐらいだろう。

そういうとこに行ったとき何のマイナー雑誌がその人の目に入ってきて気に入るかは、多分にランダム性が高いと思う。同様に確からしいということだ。売り場における雑誌の配置も書店によってまちまち、そこで探す読者側のルートもまちまちで、前提知識とかない状態でどの雑誌にびびっとくるかは偶然性が高い事象であるはずだ。

まりマイナー雑誌に目をつけるような層の人口を、マイナー雑誌の数で割って得られる人数によって、各々のマイナー雑誌は支えられているという仮定することができる。読者側が、各々のマイナー雑誌へ完全にランダムに振り分けられると言い替えてもいい。

たとえばそういう層が仮に10万人いて、雑誌100あったら、1000人で支えていることになるという具合。

実際は割る数も割られる数も不明だが、個人的直観的に、割られる数が大きすぎる気がしている。

本当は今の5倍は定期的に買ってくれる人がいないと成り立たないのに、その5分の1で雑誌が維持されている、みたいな印象。何倍なのかは知らんけど。

少子高齢化ますます漫画に触れる層全体が少なくなっていってるのにどうしてこれだけの雑誌が存続可能なのかと思わざるを得ない。

仮定が間違っているという可能性は十二分にある。各雑誌購読者に対して100ぐらいずつでもいいから、どうやってその雑誌を知ったのかのアンケートをとるべきだろう。余談だが日本語の文の文法性を測る調査において一つの文に対して200人、それを300項目、延べ2000人程度の人を対象にそれが自然な文に感じられるかそうでないかを訊くアンケートをとっているような例があって、つまり文科系界隈においては数千人規模のアンケートをとるのはざらなことなである。こんな程度で臆している場合ではないのだ。

とにかくそういうことをすればもっと現実に適合する仮定を立てられるかもしれない。悲しいかな俺は職業研究者じゃないからそんな力ないんだけど。

ちなみにニコニコ大百科のその記事がよい宣伝塔になっているみたいな仮定は野暮だ。これらの雑誌にはニコニコ大百科記事存在する前から存続している実績があるはずだから作品単体ならともかくネット雑誌自体存在を知るということ自体手段過程として主流じゃないと思うよね。

2021-06-09

運送会社人間が苦手

仕事柄、運送会社めっちゃ利用するんだけど、一応こっちは金払ってる客側じゃん。

客側だけど、一応会社会社取引から連絡するときとかも敬語で話すじゃん。

 

僕「この荷物明日つきますかね?」

ちゃん「いやー無理ちゃうかなぁ」

 

友達ちゃうぞ。

もうねめっちゃフレンドリー仕事相手やぞ。わかってんのか。

 

ちゃん外環沿いにカレーやあるやろ。あそこめっちゃうまいねん」

 

じゃねーんだよ。友達じゃねーんだよ。

うまかったけど。

文科系部活で育ったからこういう体育会系というか友達ノリがめっちゃ嫌い。

社会人なら敬語一定距離を取れ。うんこ

2021-06-07

ずっと気になっている本の著者がいる

だいぶ昔、暇すぎて図書館時間つぶしてたんだけど、特に読みたい本もなかったかソファーの近くの本を手にとったわけよ。

全集コーナー。文科系学者の本だったのは間違いない。

政治学者かなんかのエッセイっぽくて、妙に投げやりなところが惹かれた。「仕事から書いているけど書くのは好きではない」とか「ほんとは誰にも記憶されずに死んでいきたい、こんなもの書きたくない」みたいなニュアンス言葉が印象に残っている。あれは誰だったんだろう?って調べてみても全くわからず途方に暮れている。

全集があるくらいだから割と著名な人なんだろうけれど分かんねーんだよな。

皆様の知恵を拝借したい。

2020-11-06

回想

anond:20201105213236

ふと、似たような経験を思い出したので、増田に認めてみる。

中学三年の時、A(♂)がB子(♀)に告白したらしい。

  (Aのスペック:170cm中ほどだったが、ひざ神みたいな運動音痴、ちょいポチャ、今でいうキモオタ系。)

  (B子スペック:150cm代中ほど、華奢だがバスケ部体育会系、かなり細くて色白。)

中学の時に付き合っていたとはいっても、帰宅彼女を家まで送る係みたいなものだった。

時は過ぎて卒業式も終了し帰宅することとなった。

靴箱の僕の靴の所には、何通か手紙が入っていた。

その一通が、B子からの物だった。

僕に対する告白と言うほどのものではなかったけど、

Aからしかけられて、あまり気持ちのいいものではなかったとか、キモかったとか。

ただ、文面からは、僕に対しては好意的ものだった。

他の手紙告白ではなかったけど、私のこと忘れないでねみたいな、手紙だった。

シャイな僕は、その後誰にも会ってないし、話もしていない。

なんだみんなそんなに興味があったんなら、先に言ってくれよともやもやした覚えが有る。


話は変わってAの事なんだけど、1年から同級生で仲は悪い方ではなかったのに

(もう一人の友達を加えて、3人で同じ文科系部活を行ってもいたので、仲は良かった方だと思う。

当時は、文科系部活運動部と両方に属することも当たり前だった)、

僕に対する態度が、3年のある時期から変わってしまった。

かなり攻撃的な態度を取るように変わって行ってしまった。

から思い返してみると、それはB子と付き合うようになった後の事だった。

しかしたら何かの拍子に、B子が僕の名前を出したのかもしれない。

それを快く思わなかったAが、僕の事を妬むようになったのかもしれない。

卒業式を数か月後に控えた或る日、僕とAは同じ学校受験した。

僕は3年の或る時期から、その学校過去問題集等を取り寄せて、かなり勉強していた。

結果、他のクラスから受験した人がいたが、その人もAも不合格となり、僕だけが合格した。

その時Aに言われた言葉が、なんでお前だけが合格なんだよ、大して勉強もしてないくせに、と。

(残念ながら君よりは勉強したんだよ、君には分からなかったかもしれないけど。)

そしてAは学区内の工業高校に進学したと思う。

そんなことが有って、卒業式を間近に控えた或る日、とある催し物(お別れ会みたいな)が行われ、

僕をターゲットにした些細な事件が発生した。

僕らの仲間内では、犯人はAしかいないと誰もがそう言っていた。

B子と付き合いだしてから事柄(この事件の時点では、まだ知る由も無かったこと)、

受験の失敗等で妬まれていたのかと思ったのは、卒業して暫くしてからの事だった。

余談

B子が僕に好意的だった事に関しては、思い当たる節が有った。

或る時、数学担当先生女子バスケ部コーチが授業中にC子を侮辱するような言葉を浴びせた。

クラスみんなの前でだ。

  (C子のスペック:160cm弱位、肩幅はそこそこあり、がっしりとは言えないがしっかりした体形でバスケ部、色白)

その先生にすれば、愛情表現だとも言いたいのか、好き勝手な事を言っていた。

今にしてみればパワハラであり、モラハラであり、訴えられるレベル言葉だったと思う。

授業終了直後、先生がいなくなったところで、C子は顔を覆って泣き顔を隠すようなそぶりをしていた。

それを友達のD子、B子が慰めに来ていたのだが、C子の直ぐ近くの席にいた僕は通りすがりに、

少し乱暴気味に、あんな奴のいう事なんか気にすんなよ!、皆、そう思ってるよ、と声を掛けた。

その直後D子が僕に向かって、凄くいい事言ってくれた!と、そこにいるみんなに聞こえる程度の声で言ってくれた。

C子もD子も、そしてB子も、ほんの少しは僕に対して好感度を上げてくれたのかもしれない。

しかしたらそんなことも、Aの反感を買うような事になったのかもしれないし。

2020-06-29

日本若い人は科学者にならない方が良い

結局、自分よりもバカな人を騙して大金を稼ぎ美味しいものを食べる人生が一番だと思う。

未知の分野に挑んだり、清く正しく生きようなどと思わないほうが良い。

武田邦彦 (中部大学

日本若い人は科学者にならない方が良い

http://takedanet.com/archives/1013803981.html

 

STAP事件の推移を見るにつけ、私は日本若い人はもう科学者にならない方が良いと思うようになりました。科学研究というのはとても辛いもので、大学生活でもいわゆる文科系学生講義をさぼったりしている時に、土日でも大学実験をしなければなりません。

 

今回の小保方さんも、早稲田大学学生NHKニュースで次のように言っていました。

 

"日曜日研究室に行ったりするとほぼ必ず小保方さんの姿を見た"

 

「ほぼ必ず」というのですから、1か月に1回ぐらいは日曜日にいなかったという感じでしょう。実際にもそうです。そうして夢を追い、大学院に進み、アメリカ留学し、そして博士号をとる。その間、家族もかなりの応援をしなければ科学者にはなれません。

 

一方、サラリーマンになるなら大学をそこそこ勉強して卒業して、そのあとは給料をもらい、時には上司に誘われて飲みに行ったり、「行きたくない」と断ったりして入ればそこそこの生活ができます

 

しかし、科学者博士号をとって研究機関に入っても2年ぐらいは無給だったり、ポスドクという不安定立場教授指導者の手下になって雑用をこなさなければなりません。その間を縫って実験をし、夜の夜中に論文を書いていきます学会も出なければなりませんが、旅費も思うようにはでないのです。

 

若い頃の論文欠点だらけなので、普通査読を通過するには至らず、書いてはダメ、書いてはダメという日々を過ごします。そしてやっと通った論文に少しでもミスがあると、叩きに叩かれ、論文を出すときにはまったく協力してくれなかった「専門家」という人たちが、論文がでたらすぐ欠点を追究してきます

 

さら論文が少しでも社会評価されたら、大変です。NHK記者が追まわし、女性なら女子トイレにまで追っかけてきます。本人が犯罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪人扱いになります

 

また、科学世界には多くの「掟」があり、それはどこにも書いてないので、一つの研究室にできるだけ長くいて、先生雑用をこなして少しずつ教えてもらうしかないのです。うっかり「著作権法とその判例」などを勉強して、「知的所有権を正しく守る論文」など書こうものなら「剽窃・盗用」と罵倒され、時によっては無給でも散々な目に遭うことがあります

 

そんな時には博士課程の恩師や、職場教授などはまったくあてになりません。事件が起こるとどこかに隠れてしまますが、それはもともと教授などは一人一人で身を守っていかなければならないので、逃げる習性がついてしまっているからです。

 

さら社会も許してくれません。社会の人の多くは「未知のもの」などと取り組んだこともなく、普通は「規則通りにやればよい」という社会ですし、何か問題が起きれば組織が守ってくれるから、たとえ善意でも科学者の苦悩は理解できないのです。

 

かに科学は人の魂を揺さぶり、やりがいのある仕事ですが、これほど日本社会が硬直化し、バッシング社会になり、論理が通らないので、すでに限界を超えていると思います。「研究のような感じで研究ではない」という普通ことならなんとかできますが、「新しい分野」を拓こうとすると、その経験がなく、自分仕事が暇で、他人批判するのが生きがいという人が大量にいますので、つぶされてしまうでしょう。

 

高校生大学生でこれから科学者になろうとしている人は、時代が悪いので、やめた方が良いと私は思います悲惨な目にあいますからNHKがSTAP事件番組取材で小保方さんを追まわし、負傷させ、しか番組宣伝までやっているのを見て、私は「日本科学若者を進ませてはいけない」と強く感じました。

 

実験をしたり、論文を書いたりした経験があるとわかるのですが、それも未知の分野のもの場合、その苦労、失敗、ミスは多いのです。親御さんの含め、今の時代は未知の科学に進ませることはお子さんの不幸になる可能性が高いと思います

 

まだ、ケアレスミスしかわかっていないのに、「稀代の詐欺師」などともいう人がいます。本当に若い人にとっては人生を失うかも知れず、進路としては危険ありすぎると思います

 

平成26年7月26日

2020-04-14

anond:20200414084721

おまえは政治家勘違いしてる

党が政治してんじゃねえぞ

専門家官僚がつくった科学的にただしい方策に金出す決済印おしてるだけやぞ

どっちにしろ政治家は99%文科系なんだから

こういうとき理系官僚専門家しかまともにつかいものにならん

あとはハンコつくまえにどんだけ官僚に「わかりませぇ~ん」ってわがままいって遅らせたかだけの違いしかない

2020-04-01

2020/春アニメ 視聴予定メモ

暗い話題ばかりじゃけ、アニメでも見よ。

佐藤利奈報道ステーションナレーション就任と聞いて、生きててよかったと小躍り。テレビ買おう♪

必ず見る

たぶんみる
余裕があったらみ

2020-01-09

anond:20200109132733

寡黙で誰にでも優しく、部屋は汚れている。

高校時代文科系部活

大学修士まで行った。最初就職は中企業で、3年後に小企業転職

結婚を考えた相手自殺した。

とりあえずこんな感じ。

2019-11-05

anond:20191105025423

ちょっと待ってくれ、俺ヒョロい文科系とはいえ男子大学生だけど、21kgのキャリーひいて歩くのかなりしんどかったぞ!

重いっていうか20〜30キロもある荷物ってクソでかいからめちゃくちゃ取り回しが悪いんだよな 俺の場合キャリー1つだったから前に持ったり後ろに持ったりしながらなんとかできたけど、30キロが二個ってヤバいぞ 坂とか階段対処マジで無理そう しか10キロ荷物背負ってるとなるとさらに機動力がないわけで…

あなたの体力はマジですごいと思います(俺がショボいのか?) 20キロキャリーちょっとしたリュック持って1kmくらい歩くだけでもう死ぬ〜って感じになる若い男もいるということ 心に留めていただきたい

2019-07-30

淫夢文科系ハイコンテクストコンテンツ

anond:20190730142551

淫夢面白さがマジでからない

あのゲイビデオのなにが面白いの?

それはみんなで積み上げた文化的面白さだから

本編をそのまま一回見ても「淫夢」の面白さはわからないし

文化的な知性が欠けてるとそもそも理解出来ない。


象徴的に言えるのが抽象画だけど

例えば

https://lohas.nicoseiga.jp/o/951f929c224f78a21ec4879645ea36c41a7dd5e0/1564467244/6437176

これで笑っちゃうわけ。


もしくは

http://tn.smilevideo.jp/smile?i=21283568.L

これだけでも笑える。


意味がわからないでしょ?

ハイコンテクストっていうのはそういうもの

茶道精通してる同士なら花や道具の置き方や種類だけで驚いたり爆笑したり呆れたりできる。

茶道からない人にはなんにもわからない。

通同士が笑いあってるの見ても「誰かを馬鹿にしてるのか」とかそんなことしか考えられない。


既に淫夢という素材は文化人バーバリアンすら生んでいる。

これが文化なわけ。

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