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2024-04-10

anond:20240410020330

病院っても結局のところ、

必要な投薬をしつつ

栄養士が作った献立の飯を食って軽い運動して決まった時間に寝起きするってだけだから

1時間でいいか訪問看護みたいなのがあればいいよね

2024-02-16

anond:20240216071942

刑務所には臨床心理士カウンセラー精神科医がいて精神疾患患者治療させられる

青葉は服役当時から診断されてたという報道がある

医療刑務所ではないもの労働精神治療ルーティンに組まれ受刑者の1人だったということ

度々問題を起こし独房に入れられてたという報道もある

アンガーマネジメント必要に迫られる課題だったはずで認知行動療法適応されるケース

服薬効果限定的患者カウンセリングをさせない医者を想定するほうが難しいのでは?

 

出所後は特別調整患者指定されて自立支援施設を経てナマポ訪問看護を受けていたとのこと

かかりつけ医病院所属臨床心理士カウンセラーという選択肢だけでなく

無料臨床心理士カウンセリングが受けられる地域精神医療センターという選択肢もある

地域精神医療チームが組まれてた青葉にカウンセリングを受けさせなかったと考えるほうが不自然

 

問題精神薬もカウンセリング自立支援支援者のためのものに過ぎなかったということ

底辺精神障害と名前をつけられ支援を受けたって救われるわけじゃなく福祉養分として一生吸われるしかないという問題なの

2024-02-14

anond:20240214063806

青葉って刑務所問題行動を繰り返して、統合失調症(当時の診断。裁判では妄想障害との診断が採用されている)と診断された結果、出所後はかなり手厚い社会復帰支援を受けてたみたいだね。

精神科クリニックへの通院を2週に1回、訪問看護を週2回、訪問介護を週1回。さらに彼を支援する専門職チームもあった。

きちんと福祉の網にかかって、精神障害者地域移行・社会復帰支援するサポートを手厚く受けていても事件を防ぎきれなかった。

青葉の問題他人事ではない。精神障害者への偏見を高める可能性のあるルックバック、自分はどうしても好きになれないけれど、どうやって映画にするつもりなのか興味がある。

藤本タツキは好きだけど、精神障害者の扱いが前時代的だと感じる。自分とは異なるもの意味不明で怖いものホラー要素のあるものとして扱っていて、相手理解しようとしていない感じ。

2024-02-13

anond:20240212122847

自分特に差し迫った看護必要がない精神2級一人暮らしだけど週1で訪問看護のお世話になってる

・話し相手 - これはある。なんと言っても無職引きこもりだと話し相手がいない。発話のリハビリになる

相談相手 - (精神とは関係なくフィジカルな)疾病の相談などに乗ってもらう。昨年近隣トラブルが発生して引っ越す必要が出てきた時には、おなじ訪問看護ステーションに務める転居やその手の手続きに詳しい人にも来てもらい色々と伺った

・やってる感 - 精神科や福祉事務所に対するやってる感。自分訪問看護必要なくらい大変なやつなんですよアピール。正直これ

健康若いつの血圧毎回測る意味がないのはそれはそう。しかし以前には訪問看護の検診で妙に微熱が続いたのが気になったおかげで慢性疾患に気がついたこともあった。まあ訪問看護とか関係なく日々体温くらい計ったほうが良いって話

わざわざ訪看さんに来てもらうのだから、足の踏み場と机の上くらいは最低限スペースを保とうとする。そういう心がけが実は重要なのかもしれない。自分はもともとゴミ屋敷気質ではないとはいえ一人暮らしだとどこまで荒れても別に困らないからね

2024-02-12

anond:20240212122847

2級なら助けがないと暮らせないって診断なんだろうから訪問看護があってもおかしくない

精神場合は服薬とか家事とかちゃんとできてるか見なきゃいけないだろうし、おかしくはないと思う

悪化トラブルを未然に防ぐ意味もあるし、税金を使う意味はあると思うよ

以前訪問看護介護事務所で働いてた時は本当に人それぞれで、安定してる人はこちらも助かったけど、不安定な人は大変で、救急車呼んだりすることもあるし、定期的な訪問絶対必要だと思う。

お姉さんは安定してるのかもしれないけど、話し相手ってとても大事統合失調症悪化してないかとか、そこらへんもチェックしているので。

訪問看護の謎

30代〜と若い精神障害者でも訪問看護を利用してる人たちがたくさんいるのが謎。

うつ病とか双極性障害とか統合失調症とか、寛解していて体の持病も無く、家事もこなせて外出もできてる人でも利用してる。

血圧をはかったり服薬をちゃんとできてるか確認してるらしい。

認知機能に異常がなく持病もない若い人の血圧を定期的にはかる意味あるの?

実は私も双極性障害の持病があり、手帳2級を持っているのだが、訪問看護の利用を勧められている。

……来てもらって何すんの?

私は40歳で、血圧は上が102で下が70。体の持病はあるが寛解してるし通院もできているので問題ない。

ちなみに統合失調症年金手帳ともに2級の姉は30代の頃から訪問看護を利用している。

話を聞いてると、どうも「話し相手」として機能しているようだ。ただの話相手としてしか機能していないのなら看護師である必然性がないし、そこに税金を使うのもなんか違う気がするんだけど、これは自分認識が間違ってるだけなのだろうか。

2024-01-27

健常者になりたかった話

最初に、この日記気持ちのいい話じゃないと思う。

自分が抱いてた嫌な気持ちを吐き出すためのものから

健常者に対する認識も、自分にとってのものであって、客観的に正しいものではないんだと思う。

自分は三十代になる手帳持ちだ。

映画温泉が安く利用できるあれね。

中学の時に担任によるストレス不眠症不登校になり、そのあとはまんまとうつ病になり今に至る。

今の今までずーーーーっとお薬とお友達だ。

そうやって三十年間生きてきて、何度かまっとうな人間に憧れてそれらしいことをやろうとしたことがあった。でも、ダメだった。

運転免許を取ろうとすればみきわめ指導員に怒鳴られたのが怖くて中退し、

PC専門学校行こうとしたら周りとの実力の差に絶望して中退し、

社会復帰のための仕事をしようとしてもちょっとした対人トラブルに遭った瞬間ダメになり、

何もかもが続かなかった。唯一続いたのは夜間校を卒業できたことくらい。

どれもこれも小石に躓いたようなささいなことだと客観的に見れば思う。

結局それらは自分努力不足なのかもしれないけど、

それでも自分には辛すぎて、ああ、自分は健常者のようには生きられないんだなって思い知る。

もし、仮に、中学の時に不眠症にかからなかったら、

怒鳴る指導員に当たらなかったら、

もっと専門知識を学ぶことに貪欲だったら、

給料のために頑張れていたら、

はたして自分は健常者になれていたんだろうか。

仮にそれらがクリアできてたとしても、多分なれなかったんだと思う。

小学生のころから自分のすることに自信がなくて、いじめを受けてて、思い返せば辛くなるような思い出ばかりだ。

そんないじめられてた自分が、仮に中学をそのまま登校していたとしても、同じようにいじめられてたんだと思う。

自信のなさは運転免許取る時だってそうだった。

教習でスピードはロクに出せない、みきわめルートは覚えられない。

そんな奴が免許取るなんて話も今考えてみればどだい無理だったんだと思う。

専門も、結局自分が、他人比較してしまう癖に関しては、健常であろうがなかろうがそうなってたと思うし、中退すべくして中退するんだと思う。

仕事も、簡単トラブルに遭っただけでできないような体たらくでは、どこでもやっていけなかったんだと思う。

その上、物事が少し自分の思うようにならなければすぐに不愉快になるし、

そのせいで対人関係ではすぐやらかすし、やらかすたびにヘラるし。

去年はそれで薬を飲みまくって自殺を図ろうとした。結局死に損なったけど。

健常者なら、もう少し自分を好きになれたんだろうか。

自分手帳持ちが好きじゃない。普通じゃないから

もちろん、手帳持ってる自分のことも好きじゃない。

先日、訪問看護手続きを受けてたんだけど、

病院とか市役所とかで手続きするたび、

自分がそういう、手帳持ち特有待遇を受けてるんだってかるたび、嫌な気持ちになる。

実際手帳持ち特有待遇を受けるべき人間ではあるんだと思うけど、

その状態を脱却できる自信も、する気力ももう湧かないのがつらい。

生涯、親の脛をかじって生きていくのかなって考えると何もかもが情けない。

もう、そうやって生きてて何が楽しいのかわからなくなってきた。

健常者になれないなら楽になりたい。

でも、死ぬのが怖い。

情けないくらいどうにもできなくて、ただただつらい。

ちょうど今日誕生日だけど、こんなに誕生日に辛い気持ちになる時が来るなんて思ってもみなかった。

2023-12-30

anond:20231230114328

精神疾患と診断されれば全て解決するわけじゃないけれど、家庭内だけの閉じた世界から抜け出して、第三者が介入できるようにすることは大事なことだと思う。

訪問看護など福祉に繋がれるのも大きい。

から親への暴力暴言なども精神科訪問看護相談できる。

親が亡くなったあとは福祉のお世話になる可能性が高いわけだし、医療福祉と繋がっておくことに損はないと思う。

2023-12-02

Colabo批判をしていた沖縄介護業者、1千万不正受け取り発覚

ここの代表Youtubeで顔出ししてColabo叩いてたけど、Colaboがいまだ不正見つかってない中で批判側がやらかしてるという


自宅訪問しない「訪問看護」 要件を満たさず不正報酬1000万円か 沖縄中城村の「キララ

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1263968

弱者金もうけ」憤る元利用者 わずか5分の訪問看護 多額の診療報酬得た疑い 障がい者に「お金をあげるから協力して」 自宅に訪問せず事業所内で実施

https://news.yahoo.co.jp/articles/4040a0d4bcca9d4bd972f5548285632f00784646

慈善フェミ団体が真っ黒なんてのが本当だったら面白いし乗りたいんだよ

でも主張してる側が証拠出してくれないじゃん

信じさせてくれよ

2023-11-12

anond:20231112154035

キツイ仕事に耐えられない看護師は歳いったら眼科クリニックや訪問看護(報酬がかなりいいらしい)に切り替えるらしい

あと献血ルームとか、そこまでハードじゃない仕事もある

最初はキツくても業務幅が広いのが看護師のいいとこだよなぁ

2023-11-05

anond:20231105103853

私は医療経済医療政策系の大学院を修了して地方病院部長職をしている医師です。

医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。

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日本戦前国民皆保険という制度はなかった。

そもそも社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモード人生ノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料医療享受できるようになっていった。

全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。

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1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。

増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国比較によれば、日本単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。

日本世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベース医療制度改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。

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その一例として、過剰な医療サービス提供している、と感じることはしばしばある。

例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10入院して、いざ退院、となったが家族仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らし医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県後期高齢者広域連合から病院に支払われる。

病院経営立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。

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ではどれくらいのサービス適当なのだろうか。

増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。

詳細の説明は省くが本来新規薬剤・治療費用効果検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというもの

その閾値は1年間、健康生活を維持するのに500万円程度とされる。透析治療費がだいたいこれくらいだ。

増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。

結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者医学的な状況、患者希望、周囲の人の思いや地域社会資源QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院診療所訪問看護ステーションなどの施設管理者自分経営方針が持続可能医療制度矛盾しないか地域ニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職無能だ。

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つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。

苦しくなっても病院入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。

繰り返しになるが、これから医療必要医療を、その人の価値観意志尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。

社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。

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2023-10-25

anond:20231025201902

精神系に強い訪問看護ステーションに繋げ。基本的には週一とかで家に来て話すだけ。でもそういう組織の中には行政への手続きに詳しい職員も抱えたりするので色々と相談に乗ってサポートしてもらえる

自分は働く気はポッキリ失せてるので就労とかはわからんごめん

2023-10-04

友達家族もいない孤独病人だけど

訪問看護師とかカウンセラーとか医者とか役所の人とか相談支援員とか民生委員とかとか

なにかと人と話す機会が増えた

正直健康だったときより人と会う機会多いかもしれない

2023-09-22

こんな私にも理解のある

心理士医師就労移行支援職員相談支援員、訪問看護師がいます

お陰でなんとか生活が落ち着いてきました

anond:20230922123612

お前一人だけで助けようとしないこと

彼女実家医者看護師カウンセラー行政相談支援員、訪問介護訪問看護

使えそうな資源があるならそのすべてを当たること

決してお前一人で支えようとしない

2023-09-06

anond:20230906034420

うつ病で全く動けない男性への訪問看護の話を聞いたことあったんだけど地域によってだいぶ状況が違うのかな

まりに動かないのでゴキブリが体を舐めに寄ってくるって話でゾッとした

少なくとも担当してる人に色々状況をあけすけに打ち明けた方がいいか

2023-06-23

anond:20230623033549

いや、薬剤師パート時給めちゃくちゃ高いでしょ

普通スーパーレジなら900円~の地域だけど薬剤師は2400円くらいで募集されてる

東京なら安いのかな?と思って(医療系は求人難の地方の方が高かったりするので)求人サイト見たけどやっぱどこも2000円以上じゃん

保育士介護士の時給とは比べ物にならないし、看護師と比べても高い

そりゃ「男性の」仕事からしたら安いけど、「女性の」「一旦ブランクが出来た主婦の」「パート」時給として考えたら破格だよこれ

調剤薬局なんて楽な仕事なのに(看護師でこの時給だったらもっとハードだもんな、訪問看護とか)

正社員給料も子持ち女性を雇う前提の求人でも高い、残業なしでも夜勤あり看護師と同レベル

薬学部の人気が落ちたのは6年制になったからだよ

私立なら元々他学部より学費高いのに更に2年分の学費が足されたか普通の家庭じゃ払えない&奨学金借りるとしても借金いくらになるねん無理だろレベルになった

逆に言えば学費さえ払えるなら美味しい仕事なのは変わらないままで、だから医師家系だけど医学部は入れない子なんかが行く学部扱い

学部学費変わらない(6年だから4年の学部よりはかかるけど)国公立は相変わらず偏差値高いけどね

2023-05-19

anond:20230518092234

有難う。

今度訪問看護の人がお焼香上げに来るから、まずはその人に聞いてみる。

あなたあなたのお父様も大変でしたね。お疲れ様でした。

あなたがこの先末長幸せでありますように。

2023-03-30

税金泥棒マスコミ嘘松

偽の記事を47newsが流している。

この被害者は偽物。

税金泥棒のための広告ですhttps://nordot.app/1008932685814333440

クスリをやられた」訪問先で出されたお茶、口を付けた女性看護師意識障害に…訪問医療に潜む、患者家族暴力ハラスメント

この記事が虚偽である理由

初めは笑って見ていた所長の藤田愛さん(57)だったが、かみ合わない会話に「クスリをやられた」と直感した。

この記事にはこの直感証明するものはない。よって嘘。

センターに対する説明では、この住宅訪問介護を利用する妻と、夫の2人暮らしのはず。お茶を勧めた男性が同居していることは知らされていなかった。初回訪問時も姿は確認できていない。警察通報したが、治療の後だったため証拠が足りず立件には至らなかった。この男性違法薬物を取り扱ったとする罪で執行猶予中だったことを警察から聞いたのは、ずいぶん後のことだ。

次にこの違法薬物を扱った執行猶予中男性がいた根拠はない。さらに立件できていない。というかそもそも薬物である根拠はない。信頼性は一切ない。

神戸市看護大とともに兵庫県内の訪問看護師対象調査実施した。回答した358人のうち、患者家族による暴力ハラスメント経験していたのは、約半数。「つえで殴られた」「『ばか女死ね』と言われた」「抱きつかれた」。多くの看護師訪問先で理不尽な目に遭っていた

というかこの藤田愛って人は訪問看護醍醐味とか触れて回っています

家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる: 看護意味をさがして ...

この本は2018年に出され調査は2016年です。データを知りながらこういう本を書くのでしょうか?

この答えは認知プロファイルできますね。

そうした事実存在せず、この結果以外都合がいいデータがないからです。

典型的デタラメであり、こういう記事しか女性は書かない。

活動の原点にあるのは、女性看護師が復帰した時に交わした約束だ。「私は看護が好きだから辞めません。所長も辞めないでください。同じような被害者が出ないように頑張ってほしいんです」。責任を感じていた時期に、退職を思いとどまらせた言葉だった。

ポエムでこのような発言はありません。

税金泥棒のための嘘ですわ。伝聞は虚偽の根拠しかならない。

藤田さんは現在、全国で訪問看護師らを対象にした研修会を実施。どこから暴力ハラスメントかを考えてもらい、具体的な訪問場面を想定したグループワークを行っている。「ケア提供暴力容認は違う」と強調し、被害に苦しむ看護師らには経験をもとに親身にアドバイスをする。

宣伝ですね。

研修をやってて看護はやっていない。

対策を強化すべきなのはこうした公金チューチュースキームの要求です。

colaboがデタラメなのにマスコミ報道しない以上、これも嘘です。恨むならマスコミを恨んでください。

2023-03-29

まーた兵庫

ええかげんにせえよホンマ

大阪京都奈良とくらべて明らかにおかし場所

おなじ関西人として恥ずかしいんだが。

 

一度大掛かりな厄落とし?みたいな行事やれよ

松明で山を焼くとか、神事で30日祈るとかさあ

2013年、神戸市にある北須磨訪問看護リハビリセンター患者宅での訪問看護を終えて事業所に戻ってきた30代の女性看護師は、いつもと明らかに様子が違っていた。酒に酔ったような足取りで室内を歩き回り、上機嫌で職員に話しかける。ふざけているのだろうと初めは笑って見ていた所長の藤田愛さん(57)だったが、かみ合わない会話に「クスリをやられた」と直感した。

 在宅医療を担う医療従事者が、訪問先の患者から暴力ハラスメントを受けている。その被害は深刻だ。2022年1月には、医師埼玉県ふじみ野市にある住宅に呼び出され、担当していた高齢女性の息子に散弾銃で撃たれて死亡している。医療従事者の安全をどう守るべきか。長年、この問題に取り組んできた所長の藤田さんに、現状と課題を聞いた。(共同通信=櫛部紗永)

 ▽訪問先で執拗に勧められたお茶

 様子がおかしくなった女性看護師は、その患者宅を半年から訪問していた。実は、訪問を始めてから半年間にも体調の異変はあった。藤田さんは他の職員から看護師の様子がおかしい」と連絡を受けていた。看護師確認すると、返答は「風邪気味だから大丈夫です」。口調も明るい。休養するよう伝えたが、それ以上のリスク予測できなかった。担当の変更などはせず、この日も看護師をそのまま送り出していた。

医師射殺立てこもり事件起訴された渡辺被告

 看護師に後で確認したところ、訪問先で夫婦家族だという男性からお茶を出され、飲んだという。規定では訪問先で出された飲食物を口にしてはいけないとなっている。看護師もいったんは断ったものの、温め直しをされ、何度も勧められていた。季節は冬。「相手を傷つけてしまうかもしれない」。せっかくの厚意をむげにできなかったという。

 戻ってきた看護師は、意識障害を起こして緊急入院となった。点滴を打ったが、目を覚ましては起き上がろうとしたり、幻覚のせいか手を振り回して暴れたりした。「休んでいて」と落ち着かせたが、「所長すみません」とろれつが回らないまま、うわごとのように繰り返した。

 センターに対する説明では、この住宅訪問介護を利用する妻と、夫の2人暮らしのはず。お茶を勧めた男性が同居していることは知らされていなかった。初回訪問時も姿は確認できていない。警察通報したが、治療の後だったため証拠が足りず立件には至らなかった。この男性違法薬物を取り扱ったとする罪で執行猶予中だったことを警察から聞いたのは、ずいぶん後のことだ。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-01-31

子どもを産んだら仕事を辞めろと社会に言われた

受験を、進級試験を、国家試験を乗り越えて医者になった。

結婚をして子どもを持つ希望はあったけれど、仕事を中心に生きたかった。

責任の少ない初期研修のうちに子どもを産み、なるべく夫中心で子育てをしていく事にした。

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まれた子は、重い障害児だった。

遺伝子異常だった。誰も悪くない。確率問題だった。

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運の良い事に、障害は重いものの体調は比較的安定していた。

主治医には、一般保育園入園も充分可能許可を得た。

10件ほど保育園見学し、受け入れられると明言したのは1箇所だけだった。

ただでさえ激戦区、流石に厳しかった。

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自治体に問い合わせた。

障害児を産んだら両親のどちらかが仕事を辞めて面倒を見なさい。月5万円の特別児童扶養手当が出る。」と言われた。

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初期研修終了後に働く予定だった病院院内保育室に問い合わせた。

入職が決まっていない段階での相談は受け入れられないと言われた。

病状として保育が可能かどうかすら答えをもらえなかった。

病院側に相談したが、仮の入職予定としてでも保育室に話を通してもらう事は出来なかった。

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埒が開かないので、障害児専門の保育園を探した。

目処のついた障害保育園に入るためには、その自治体に住所が必要だった。

保育園を利用可能エリア引っ越した。

時間ながらも保育園を利用できる事になった。

求職要件入園し、就労要件に移行していく予定になった。

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ただし、障害保育園短時間保育のみだった。延長の制度もなかった。

ベビーシッターや自費での訪問看護の利用は高額になる。

夫と私の力関係問題で、私が限られた時間の中で働くしかなくなった。

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入職する予定の病院の人事に相談をした。

限られた時間しか働けないが、病院での研修をどうしてもしたかった。無給でも構わないから、研修をしながら保育要件を満たせる立場が欲しかった。

週2日、半日つの研修医の立場提案された。

保育要件を満たすために、他の仕事もする必要があった。他の仕事を探すために、研修曜日を確定したかった。

曜日を決めて欲しい」と言ったら、突然「保育園に預けるために仕事をするならば辞めろ」と人事に言われた。

調整が面倒になったのか、そもそもまともに働けない人間は要らなかったのか。

私は、まだ正式に入ってもいない医局を辞めた。

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国公立大学地域枠で多額の税金をかけてもらいながら医師免許を取ったのに、誰にも働く事を望まれていないように感じた。

子どもの事は愛していた。

障害関係なく、可愛かった。

だけど、医師として働く夢を捨てたくなかった。

子どもを手放す事すら具体的に計画した。

毎日泣いていた。

思い描いた幸せは、どこにもなかった。

障害児を産んだら仕事はできない。

仕事をしたければ、子どもを産むべきではなかった。

そんな事も知らない自分馬鹿だったのか。

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勘違いしている方がいるようなので一応書いておきますが、収入で言えば夫より私の方が良いので、いわゆる「下方婚」と思います

夫婦間の力関係は、収入のみでは決まりません。

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障害児を産む可能性は充分理解していたつもりでしたが、障害児の受け入れ先がこれ程までに少ないとは知りませんでした。

院内保育は障害児を受け入れているとの情報は持っていたので、断られるとは思っていませんでした。また、実際その立場になるまで真剣には調べませんでしたが、さほど不自然な振る舞いではないと思っています

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その他のコメントについては「勘違い」等ではなさそうなので言及は控えます

2023-01-15

大島てるに載ってた実家近くの古アパート更地になってた。

住んでいたご老人たちはどこへ行ったのだろう。

訪問看護クルマもよく見かけたし、どう考えても引っ越す体力も資金もなさそうな人たちばかりだったのに。

コロナクラスター

2022-11-01

病識がない、という絶望

水谷緑さんの「私だけ年を取っているみたいだ〜ヤングケアラー再生日記〜」(文藝春秋)を読んで、病識のない精神障がい・患者を抱えた家族がどうやって社会と繋がれたか書こうと思った。

母も当時、自分病気じゃないと思っていて(病識(びょうしき)がない、と今は言ってる)、明らかに家族や周りが見たらおかしくて、その認識乖離のせいでさら信頼関係が崩れたり、暴走が激しくなったりした。

精神科は本人を連れてきて、と言う。

それを言われた家族絶望感は、計り知れない。

母が調子最初に崩した時、父がすぐに何か気付いて東京病院に連れて行った。

そこで話を聞いてもらって、薬をもらった。

気分が落ち着くような薬で、代わりにうつ病のように1日のほとんど寝ていることになる。

お酒も飲めない。

それでも家族としては暴走されるよりマシだから飲んでて欲しいけれど、本人は「薬を一生飲むのかな」「薬がなければ家事をきちんとできるのに」「私は薬なんかなくてもまともだ」と思うのだろうか。

勝手断薬して、調子を崩す。

薬を飲んでいない時で躁状態の時、最初に行なったのは都内に出かけて高価な買い物をしてきたことだった。

出かけた先で予定を変えて夜遅くまで帰ってこなかったり、突然深夜に出かけることもあった。

おかしな行動をし始めた頃、父は必要あれば迎えに行ったり連絡を試みていたが、だんだんほっとくようになった。

お父さんは浮気してるとか、お父さんは嫌いと言って家出という形で出ていくことも多くて、父としてもあまり優しくして構うのも限界があったのだと思う。

ある時、学生時代友達の家に遊びに行って泊めてもらっていた。友達も泊まるとは思わなかったし様子もおかしいので、父に連絡がくる。母が車で出かけていたので始発を待って翌朝父が迎えに行くと、友達の家のベランダから何かを叫んで怒っていて、友達は怯えて寝室に閉じこもっていた。

父が車を運転して母を連れて帰ってきて、その翌日、数年ぶりに病院に連れて行くことにした。

それまで母に「診てもらおうよ」と言ってもまた喧嘩になるから諦めていた。

その時は、妹や父が(色々あって)鬱かも、みんなで診てもらおう、と連れ出したらしい。

(私は進学で別の土地にいたのでこの辺りは伝聞だ。)

日曜だったのでやっている病院が少なく、隣の町の小さなメンタルクリニックに連れていった。

少し離れた有料駐車場に車を停めて3人でクリニックに向かう間も、母は「やっぱりやめようよ」「あそこに行ってみたい」「どこに連れてくの?」と、足を止めていたらしいが、なんとかクリニックの前まで連れてきた。

クリニックの看板には、「心療内科整形外科内科」みたいなことが書いてあった。

それを見て母は、「整形外科って何!私を整形させたいの!?整形しようとしてると思われる!みっともなくてこんなところは入れない!」と言ったが、とにかくいいから、と院内に入る。

待合室で少し待っていると、母がだんだん気分が上がってきて、診察を待たずに待合室で父と喧嘩になった。

妹が泣きそうになりながら、クリニックの人に「早く診てください」と言うと、クリニックの先生が出てきて、「うちではここまで調子悪い人診れないよ」と言った。

暴れたり叫んだりするのをやめないので、クリニックが警察を呼んだ。

警察

これが初めての警察のお世話になった場面だった。

みんな家族警察に捕まるなんて恥ずかしいしとんでもないと思うかもしれないけど、本当に家族おかしくて困っているなら警察は悪手ではないと今は思ってる。

本人は嫌だったと思うけど。

警察が来ても頭がおかしい人は「捕まる」訳ではない。でも、一晩署にいて、そのあと病院送還される。そこで度合いによるが「措置入院」となると、県知事都知事市長入院しないといけない人と判断した、となり、その入院にはお金がかからない。

その分それくらいのレベル、ということで病院では拘束されたり外部との連絡や交流制限されたりするが。

この時は措置入院になり、つまり母としては「無理矢理頭がおかしいことにさせられて警察強制的入院させられた」となっていたと思う。

母が署に一晩いることになって父と妹だけで帰宅した夜、初めて電話が来て、「なるべく早く、可能なら明日にでも帰ってきて」と言われた。

2人とも料理洗濯もできないと言ってやり方を教えてくれ、と。

入院にあたってタオルなど荷物を届けるためみんなで病院にも行った。面会はできなかった。

入院は2ヶ月程度だったと思う。

2ヶ月経って面会が許された頃、病院に久しぶりに行くと、先生に「本人が退院したがっていて、症状も落ち着いてるのでこちらとしては患者さんの意向尊重する」と言われた。

だが、面会した時に話した感じで、母に病識がないことがわかっていたので私と妹は反対だった。

だが結局その時は退院になってしまった。父が母を信用してみることにしたのだ。ここから入院お金がかかるから躊躇したものあるかもしれない。

案の定1ヶ月以内に躁状態は戻ってきたが、通院と薬で押し込めて落ち着けられた。

そのあと2年後に、大きな動きがあった。

入院の時お世話になった先生のところに、2ヶ月に一回のペースで通院していた頃だった。

その回の通院で話し合って、薬を少しだけ減らしたらしい。

そこから2週間ほど。

母がいつもより気合の入った料理を作り、元気になってきた。

教育関係者の偉い人の講演会に感動して、ビラ配りに参加したり活動的になってきていた。

だがそんなもの趣味と同じ扱いで制限もできないと思っていたこからたった3日ほど経ったある日、パート先で勤務中に、母がいなくなった。

仕事着のまま、運動会中の近所の小学校に来て騒いでると小学校教頭から父のところに連絡があった。

小学校に来て、〇〇さん(教育関係者の偉い人)が来てないかと騒いだと。

保護者教員で取り押さえていたが、父が仕事中で母の実家に連絡をとっている間に脱走。

母の実母は、母の姉に連絡し、妹にも連絡し、様子を見に向かっていた。妹はデートに行く途中で連絡が来て、相手に断りを入れなきゃいけないし、自分の予定を邪魔されるし、そんな状態の母も見たくないしで泣きながら戻ってきたという。(私は妹にこの時、母のところに行きたくなかったら行かなくてもいい、時間をおいて帰宅したらどうか、と言った気がする。デートについてはなんて言えばいいかからなかった。)

みんなが母を迎えに行こうとしている中、GPSで父が母の場所を探っていたが、急に移動のスピードが上がる。

教育関係者の偉い人の事務所の前にて、騒いでいるところを通報を受けて警察連行された。パトカーに乗っていたかGPSが速く移動したのだった。

署で面談中、母は暴れ、叫んでいた。

服を脱いでいたらしく、警察に渡された布を纏って、面談相手とは距離を取って面談をしていたという。

気が大きくなっていたのもあるが、離れて会話するから叫んでいたとも思う。

前回と同じ流れで措置入院になり、前回より近所の病院入院した。

私は今度こそ病識が持てるまで入院させよう、と強く主張し、妹・父と、先生に伝えたいことをまとめた。

また訪問看護も利用できないか聞きたかった。私は勘違いをしていて、家の中に来て少し家事をしたりしていってくれる人だと思っていたが、そのあと聞いたら訪問看護は薬を飲み忘れてないかとか様子がどうか見るだけのものらしい。

それでも家族以外の外部の人に見守ってもらえるなら今までよりいいと思う。

とにかく家の中に他人の目を入れたかった。

家族だけじゃ息が詰まる。

今回の先生女性先生私たちの話をよく聞いてくれて、「病識を持ってもらう」というゴール設定をよく理解して汲み取ってくれた。

薬を性質の違うものに変えて代わりに量を増やし、症状を抑えていた。

私は「心理的きっかけがあるんでしょうか?トラウマとか…」と聞いた。

先生は「違います。脳の障がいなんです。双極性は心理的な原因があることは少ないです。」と言ったと思う。(私の解釈が入っていて医療的に間違っていたらすみません。)自律神経の不調やホルモンの不調と似たものだという理解だった。

結局入院は3ヶ月程度だった。

退院した数日後に会いに行くと、母は前回と違い周りの患者さんと交流もできて、自分から障がい者手帳」「障がい年金」をもらおう、と言っていた。

一緒に申請に付き添って行ったが、明らかに前回と違うと思った。

今は自宅で過ごしている。家事自分のペースでして、やはりよく昼寝をしている。

勤務中に脱走したパート先には謝罪して辞めさせてもらった。

作業所などに通うことも検討したが、落ち着いていればパートもできるのだから本人としては新しいところでパートを始めたいらしい。

今症状と付き合い始めて10年ほど経つ。

今やってる向き合い方が正解かはまた数年経たないとわからないが、とりあえず穏やかにやってると思う。

暴走の仕方によるが、私たち場合調子の良い時は家族同士仲がいいし母の暴走は人を暴行したりはしないので、暴走させて警察などの権力のある機関に介入してもらう、というやり方で結果的に良かったと思っている。これが暴走するのが父で、ほっといたら人を殺すような人だったら思うとゾッとする。

でも、私もすごく怒りっぽいところがある。「暴走自体他人事と思えないし、私自身いつそちら側に行くかわからない。その時入院となったら、犯罪を犯してしまったらと思うとゾッとする。

私は病気が原因で人の命がどうにかなってしまうことだけが恐ろしい。

双極性障がいは、鬱に振り切って自殺をしてしま患者もいると言う。

母が自分を責めてそんな選択をすることもないよう気をつけている。

精神病気が「病気」と言われる所以はここにあると思う。死に至る病絶望と言ったのはキルケゴールか。

どんなふうに暴走しても人の命が侵されない限り、絶望しないでほしい。

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