はてなキーワード: 療育とは
障がい者の子どもがいる。重度ではないけれど健常者にはなれない狭間の子。ひどい話だが親のくせに子どもをちゃんと愛しているか自信がない。
新生児仮死で生まれた子どもは脳の一部が傷ついて、運動発達に遅れが生じる可能性があると出産した病院で言われた。
はっきり言わない病院側の説明に、額面通り受け取ったので遅れない可能性もあるんだと希望を持っていたけど、普通に遅れて成長した。それでも運動面で言えば、バランスが悪いながらも歩けるようになった。
健常児の成長をゆっくり追いかけている感じなので、いつかどこかで追いつくと思っていた。小学校にあがるまでには人並みには追いつくだろうと。
言葉は出る。記憶力はいい。ご飯もよく食べる。運動発達以外には問題がないと思っていた。けどそうじゃなかった。
言葉は出るけど、発音が甘い。記憶力はいいけど、うまく説明できない。ご飯もよく食べるけど、手指の操作が覚束ない。できるけど、できない。想像していた一般的な子どもには追いついていない。
運動発達の遅れが結果的に他のところにまで影響してくるんだということ、考えもしなかった。誰も教えてくれなかった。わかりっこない。言われなきゃわからない。こっちは限りなく可能性が低い、何事もなく成長するという希望に追いすがっていたんだから。現実逃避と言われればそれまでだけど。
赤ちゃんの頃、何か一つできるたびに嬉しくて喜んだ。ゆっくりだけど順調だね、と幸せな気持ちで抱きしめた。
けれど今、それがない。
来年小学校にあがる子どもは、歩けるけど走れない。ジャンプもできない。普通の靴をはけない。トイレも上手にできない。口元の筋力が弱いのかよだれが垂れるし、食事もぼろぼろこぼす。うまく図形もかけなくて、1人だけ何をお絵かきしてるかわからない。何を喋っているかわからないときがある。チャックやボタンの服も1人では着られない。
できないところに目がついて、怒る。できるはずだろうと怒る。障がいのせいでできないのに、周りの子どもたちと違うことが気になって強く当たる。嫌悪感を抱く。拒絶してしまうこともある。
愛せていない。赤ちゃんの頃のような気持ちで抱きしめられない。純粋に可愛がれない。自分の子どもなのに。
そこまできて、実は自分の中の差別意識がすごく強いことに気づく。
社会では多様性をうたっていて、健常者も障がい者も誰もが幸せな生活を、という風潮があり、そうなるべきだしそうするべきと思っていた。
けれど町で叫んでいる障がい者を見ると怖いと思うし、寝たきりで電動車いすに乗っている障がい者を見ると驚いてしまう。そして自分の子どもには「普通」を強いる。
子どもの将来のためにももっと障がい福祉が充実してほしいと思う一方で、全部一緒なんて無理だとどこか相容れないと思う気持ちもある。説明できない矛盾した感情を持っていて、子どもにきつく当たるように、他の障がい者の人もいざ自分の身近になれば差別してしまうのではないかという恐怖があった。
一番の理解者であるべきなのに、一番「普通」を気にしている。自分の子どもが障がい者であることが耐えられない。健常児だったら、と何万回も考えた。あのときああしていれば、こうしていれば…何度も何度も考えては落胆した。
アプガースコア0から蘇生して歩けるようになり、心優しく育った子どものこれまでの頑張りは何にも代え難いものであるはずなのに、気づくとどうしたら障がいをなくせたのかばかり。
子どもを愛したい。優しくしたい。毎日子どもを傷つけている。眠った子どもの頭を撫でることは出来ても、起きている子どもを抱きしめることができない。療育で楽しそうにリハビリを受ける、自分の子どもよりずっと思い障がい児の親子を見て、情けなくなる。みんな一生懸命乗り越えているのにどうしてできないんだろう。どれだけ自分は狭量で差別的な人間なんだろう。
ついでに、どうにかなってない私の話でも聞いて欲しい。
たぶん発達障害グレーゾーン。WISC受けたけど、IQ高すぎて有意差出なかった。でも言葉の意味知ってようがパズルが得意だろうが、実生活では糞の役にも立ちゃしねえんだよ、クソが。片付けできない汚部屋製造機だし、コミュ障なのでママ友外交もろくに出来ない。プリントはすぐにぐちゃぐちゃでどっかにいくし、大事な書類ほど失くす。なんなら教材まで失くす。
子供達も自分に似てしまい、無くし物はする、身支度は出来ない、集中できずどっかへフラフラいってしまう、唐突にキレて暴力を振るう、そして検査結果はグレー。児童精神科と役所の温情で療育等はなんとか受けられてるけど、じゃあそれですぐに何か進展するってもんでもない。なんなら療育連れてく分、荷物も書類も送迎も増えて更にキツい。
子育てもね、私の親がモラハラ&マルトリートメント全開だったので、そりゃ虐待ではないけど叱られ方が相当だったので。そのトラウマで私は自分の子どもを叱れない。いや、他害とか犯罪とか命に関わることは叱るけど。ゲームさせ放題だし、宿題は声かけくらいしかしないのでやったりやらなかったり。勉強は本人のやる気の続く範囲でサポートしてる。
そんななので、学童に依存すべくせめて外で働きたいではあるが、過去に不妊治療で仕事を辞めざるを得ず、保活は無職に厳しかった。その上育児で病んで今や精神障害者。まずきちんと家事を立て直すのすら困難なんだが。
まあね、望んで恵まれた子どもではあるからね。可愛いし、できる限りのことはするよ。でも私のできる限りは人並み以下だし、こんな汚部屋でろくなサポートを受けられず育つ我が子がかわいそうなんだよね。
育児、見切り発車でどうにかなるもんでは、なかった。
子どもはペットでは無く人間なので、飽きたら捨てる!とか出来ないし、不幸がなければ80年は生きるんだよな
小学校中学年まで乗り切ればみたいな寝言を言っているのもいるけど、
子どもの持つ特性や発達スピードによっては成人後だってサポートが必要だし、
生まれつきの問題がなくても、いつ病や事故に遭うとも限らないのよ
つか、健常者の子であっても、成人後もフツーにメンタルか人手か金銭のフォローが必要で、
必要じゃなくなるのは、フォローしようがない年齢(自分が還暦を越える)になってからなのよね
近くに住んでない方の子の親が子にお金持たせた・持たせなかったとかで揉めるんだよな
親のフォローが不要なら、無視しておけばいいどーでもいいことだけど、大抵は無視しないよね
18歳過ぎたら子から解放されるとかいうお手軽システムではないです
というか18歳過ぎたら解放されるうんうんは、むしろ子が親の面倒をみてるパターンよね。学生時代からさ
あるいは子の方から親と縁切りしたいか、縁切りとまで行かずとも、出来るだけ親と関わりたくないと子が考えてるパターンだけだぞ
何にも考えてないDQN親たちの大半は、義務教育を終了したら親は関係ない・成人したら親は関係ないとか開き直るけど、
親から必要な愛情、社会で問題なく生きていくための必要な養育・療育・教育を受けられなかった人間や
親から必要なサポートを受けられなかった人間の起こすさまざまな問題、
例えば、
他にも盛りだくさんだけど、この『毒☠️』を引き受けることになるのは社会のみんなです
育児が負担なら無理せず仕事を辞めて、仕事を必要とする人に譲ればいいだけです
日本は常識の通じないわがままクソDQNを指導することから始めよう
anond:20230516132536 anond:20230516133514 anond:20230516192434 anond:20230518093440 anond:20230521091026 anond:20230523044041 anond:20230523085203 anond:20230523095227 anond:20230531080422
公費で毎月特定の時間まで無料で24/365で預けることが出来るので、
とかするといいと思います
一例↓↓↓
ベビーシッター利用支援事業(一時預かり利用支援) 東京都福祉保健局
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/hoiku/bs/bsitijiazukari.html
Twitterで「創作活動を妻に報告したら活動休止を要求された」というツイートが少し前に話題となった。
正直なところ、彼の家庭環境や奥様の置かれている状況。
そして自閉症の特性の強さや性格によって対応も何もかもが違ってくるので、何とも言えないと思った。
ただ、奥様の感じている気持ちには寄り添わねばいけないと思うから、人様のことながら一度、筆を置いたのは正解だと思う。
これから就学を迎えるのであれば、尚更。
ところで私は一ヶ月に4万字書いたことがあるので、その時のことを書いてみる。
私は趣味で二次創作、つまりは同人活動をしている。夫には報告済み。
幸い、夫婦共にシフト制の仕事だったため、休みをやりくりしながら療育に通うことが出来ていた。
そんな中で二次創作の企画に参加。当初は2万字程度の予定だったが、いつの間にか4万字書いていた。
どうやって時間を捻出していたのだろうと振り返ってみれば、
そりゃもう単純に、仕事、育児、家事、睡眠以外の時間全てを創作活動に注ぎ込んでいた。
子供たちを早く寝かしつけるために全集中家事の呼吸を繰り出し、寝静まった後に文字を打つ。
職場での休憩中(実質30分間)はもちろん、休みの日も子供たちが落ち着いている時は、見守りながら文字を増やしていた。
療育の時間も見守りが大半の時間なので、頭の中でプロットを切っていたし、行き帰りは大体の内容を考えていた。
そんなわけでクオリティはさておき、出来上がった頃には何故か4万字になっていた。
今思えば、家族旅行の新幹線の中で「いやマジで締切ヤバいから、子供たちを頼む!」と夫に言い放って、集中して取り組めた4時間は大きかったと思う。
下の子がほぼ寝ていてくれたのが本当に助かった。今からでもお礼を述べたい。
締切もあったため、一ヶ月という期間限定だったことが良かったのかもしれない。
正直なところ、最低限の家事しか行っていなかったのと、「今月だけだから!」と家事と育児タスクを多めに夫へ割り振っていたので。
元々、家事も育児も夫婦で分担していた状況だったから出来たことだと思う。
その後はゆるゆると自分の体調や子供の様子に合わせて活動している。
就学相談、放課後等デイサービスの見学、相談支援事業所の決定を早めに行っていたおかげで慌てずに済んだ。
本当にこういうことは早めに見通しをつけておいたほうがいい。
そして一番大きかったな、ということは当時は二人とも保育園児だったことだ。
小学生になると、宿題や学校行事など親がフォローしなければいけない部分も多くなり、PTA活動もある。
書くなら子供が保育園児のうちだ!というのは声を大にして言いたい。
障がい児の親って凄く大変だけれど、自分の人生を楽しむことだって忘れたくない。
家庭の状況に応じて趣味を楽しもうな!
いやいや、現実逃避をしていないでちゃんと現実を見つめていかないと
文部科学省もちゃんと認識をしていて『特別な支援を必要とする 児童生徒』として取り組み自体はあるよ
発達障害の枠組みに入ってるけど、
CU特性
共感性が低くたって感情がないわけでも知能に遅れがあるわけでもないのだから、
教えれば、『自分の感じ方は人とは違う』『思いやりのない行動をしたら自分が社会的に損をする』くらいは理解出来るのだわ
問題は極めて遺伝的要素が強いので親も似たようなタイプで子の特性に気付かない・無関心・現実逃避するパターン
例えば、発達障がい、中でもアスペやCU特性(Callous-Unemotional Traits:無感覚非感情的特徴)など
ただ強制じゃないので、親の意識が相当高くないと、大学や国立病院に足を運ぼうとはならないと思う
そもそも、親がこれだけ意識が高ければ、子が犯罪者になるとは考えにくい
なので端的に親の養育・療育が悪かったで終わる。少なくとも人死が出ているのだから
CU特性があるかどうかは近くの専門医に診てもらえと言いたいが日本は遅れてるからどこでもやってるわけじゃ無いみたいよ
https://sites01.lsu.edu/faculty/pfricklab/wp-content/uploads/sites/100/2015/11/ICU-Youth.pdf
↓
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
なお、犯罪者にならないサイコパスは成功したサイコパスといい、
里帰り出産して両親にも助けてもらい、夫にも一ヶ月ほど育休取ってもらったけどそれでもしんどい。
そもそも出産がしんどい。身体がしんどい。深夜に産気づいてから産むまでほぼ一日がかりで、産んだ日の夜は身体もひどく痛むし変な興奮状態が治らず夜になっても眠れなかった。
次の日からは入院中でも赤子をそばに置いておかないといけなくて、眠るために少しだけ助産師さんが預かってくれるけど3〜4時間もすると宅配便みたいに赤子が戻されてきた。
「いま甘えると退院してから大変だよ」って言われて入院後半からは夜間の預かりも断られ、しかも預けて寝ている時間に採血とか血圧測るとかで叩き起こされることもしばしばあり入院中に連続で眠れたのは数時間がせいぜいだった。
要するに、陣痛が来た日の深夜以来ずっと朝日がのぼるまでぐっすり眠れたためしがない。これは今も(多少マシになったが)続いている。
この夜間の育児のことをママたちは「夜勤」なんて呼んで頑張っているがまあ普通にしんどい。しんどすぎて後になってみんな口を揃えて「記憶にない」と言う。私もすでに記憶が薄れかけているから本当だ。語り継がれないのでしんどさが全然周知されてない気がする。
ただ子が成長するにつれて夜間の授乳の周期は伸びるしオムツ替えの回数も減るので多少マシになる。なので新生児育児でいま心が折れそうになっている人は二ヶ月ごろまでこらえてほしい。
記憶を失うほどしんどい新生児育児を乗り越えてからは、身体的にはかなり楽になったが別のしんどさを感じるようになってきた。
育児以外の何もできない状態が原因だと思う。もはや家事すら息抜きに感じるし、スーパーのレジの人にあたたかい声を掛けられるだけで社会とのわずかなつながりを感じて涙ぐんでしまうし、粉ミルクの匙を数えるより複雑なことができなくなるくらいバカになってしまった。いわゆるマミーブレインというものなのだろうが、これは体感的には内分泌的な要因ではなく外的環境のせいでそうなるんだと感じる。本も読めないし映画も観られない。ブコメもツイッターも書けなくなった。悲しい。今もこの増田を書きながら構成がわけ分からんことになって苦しんでる。
例えるならメモリの解放がうまくいってないクソアプリがずーーーっと常駐している状態に似ている。他のことが何もできないし、時間経過とともにしんどさがどんどん募っていって私の場合は定期的にフラストレーションが爆発してヤケを起こしそうになる。
もう少し長期的に見ても、子の成長と引き換えに何もしない日々がずっと続いていくことに絶望を感じる。つまり社会的にしんどい。仕事のための資格試験の勉強もストップし、年度が改まって後輩が役職に就いたという報告を聞き、趣味の活動も休止中でフォロワーがどんどん減っていく。まるで透明人間になったみたいだ。
そんなわけでとにかくしんどい。しんどいのよ。育児ってしんどい。
子はかわいいよ。自分が望んで産んだ子だよ。我が子の寝姿を見てると残りの人生全部あげてもいいと思える自分もいる(でもしんどい)。だいたい結婚して子どもがいるだけいいじゃないかと言われると思う。他人の苦しみは理解し難いものだと思う。世の中には別のことでもっと苦しんでいる人もたくさんいる。人はやがて死ぬ。でもそれはそれとして絶対値としてのしんどさをここに吐き出しておきたい。
一方で夫はどうしてるのって思うよね。うん手伝ってくれているよ。手伝いね。できる限りの範囲でね。ありがとうね。同じ状況で自分のご飯作らせる夫もいるくらいだからかなり頑張ってくれていると思うよ。でも今はその「できる範囲」っていうのが羨ましいよ。できない分はやらないんだもん。仕事に差し支えない範囲で、健康に差し支えない範囲で、時には息抜きも。やるかやらないかを選べるのがズルいと思ってるよ正直ね。共倒れになっても仕方がないし、夫が損しても私の得にはならないから言わないけど本当は一緒に禁酒して息抜きの趣味の時間もナシにして同じ地平に立ってみやがれと思わなくもないよ。勤務中のきっかり1時間の昼休みも自由にスタバでコーヒー買う自由と時間もエナドリ飲んで集中タイム作れるのも今は死ぬほど羨ましいよ。こっちは温かいものを温かいうちにいただける時の方が稀なんよ。
そのうち仕事を理由に子を寝かしつけ終わった後に帰ってくるようになるのかもしれない。そうしない理由がないもん。あんまりやると寝首をかかれるかもしれないからきっと程々にそうするよね。残業って言ってマクドに寄っててもこっちは分からんしね。それができる側とそうじゃない側の落差に狂いそうになるけど「僕だって精一杯やってる」って言われたら何も言えないよ。こっちはその「精一杯」を超えたところでやりくりしてるんだけどね。2人とも超えたらいけないラインだから仕方がないのも分かってるんだけども。
こんなに呪詛を吐くつもりじゃなかったんだけどいかんせん頭がバカになっててまとめきれなかったわ。chatGTPにでも要約してもらってください。なんかすまんな。
あと一応しんどさ緩和のためにできる限りのことはやってることも申し添えておきます。
使える行政のサービスや補助は全部アクセスしてるし親族の助けも借りてるし時短家電もフル活用してるし育児のこだわりも極力捨ててる。
むしろDINKS期間も長くて当面の生活には困ってないし夫も平均以上に協力的だし子も健康なのにこんなにしんどいのかという驚きがあると言ってもいいのかもしれない。
これが二人目や三人目、あるいは多胎だったり、看護が必要な子だったり療育が必要な子だったらどんな生活になるのか想像もつかない。
私のしんどさは増田に書いて、ブコメがいただけたらそれで済みますから、私よりしんどいママさんたちがもっと楽になりますように。
もういい加減にしておきます。
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ブコメたくさんもらえて嬉しいです。励ましや共感や暖かいコメントにも救われました。
・夫も育休取ったのになぜぐっすり夜眠れなかったのか
これは夫に「夜勤」をやってもらわなかったから。人員が2人しかいないと日勤と夜勤の入れ替えでインターバルが取れないからそうしたのだけどもう少しやりようがあった気はする。夫婦とも超夜型で宵の口は私がうまく眠れないし、早朝は夫が起きられなくて睡眠時間帯のスライドがうまくできなかったのが敗因かもしれない…。
・夫の稼ぎをあてにしてるくせに働く夫に文句言うな
増田は稼ぎがあるから夫が仕事を辞めたり育休交代してくれるならどうぞ支えるよだけど、この手の言説がこれまで何人の母親を追い詰めてきたかと思うと非常に腹立たしいのでそういう物言いには抗議します。仮に専業主婦でも、というか仮に子どもがいなくて養ってもらっている身でも、しんどい思いをしている人はしんどいって言ったらいいと思う。働く側のしんどいもあるだろうから聞くよ。でも頑張ってもどうにもならん立場かもしれない人を攻撃して口を塞ごうとはするなよ。
(というか全体的にトラバが荒れててこわい。いつもトラバまで読まないから知らんかった。こんなもん?増田に成り変わってる感じのレスもあるけど全部増田じゃないです…)
・夫について
増田の一方的な書き捨てだったのでちょっと悪く書いちゃったけど夫も「精一杯」に至るラインまではやってくれてたし感謝はしてます。日中の細かいタスクとか家事とか短時間のワンオペとか。それでも正常範囲の対応だと負担が半々には到底ならないのが育児の恐ろしいところなわけで。
早々に復職して働く夫を羨んでいるだけで恨んではいません。ごめんね
・余裕がないのにこんな長文を?
グレーゾーンだと結局、定型の中で生きていくしかないんだから、療育とかあっても関係なくない?下手に診断されてたら、ガイジとして底辺を生きることになってたかもよ?
元増田だけど幼児期に発達障害の診断とかするのはいち早い療育や支援もあるけど一番の目的は残酷な現実を親に認識させることだと思う。
やっぱ3年も経つとしゃあないなって思うし得意不得意も分かってきて過度な期待や義務感も感じなくなる。
もちろん親として増田のような思いをする人が居ないように子供の特性を本人に徐々に伝えていきたいし人生の道筋を示してあげたいけど正直親なので子供の挑戦は応援したい。その場合は迷惑かけたらゴメン。
子供が二人いるが上の子が発達障害だ(検査済、療育通うが手帳持ちではない)
家の場合は3歳の時に保育園から町の療育センター行けと言われ何回か通った後に医師による診察を経て発達障害と診断された。その後大きい病院に半年周期で経過観察しつつ普通に保育園に通っているが来年は小学校で正直どうなるかは未定。
モンテッソーリ教育とかしている園だったらすんなり受け入れられるだろうが大半の幼保園は難色を示してくる。特に人員が少なかったりする園は遠回しじゃない言い方で転園を進めてきたりする。儲けが変わらないので言うこと聞く手のかからない子を多く受け持ちたいのだと思う。下の子も発達障害では無いが身体の成長が少し遅いため上の子とは別の園に半ば強制的に変更させられた。
他の園での対応とか見ていると上の子が今も通っている保育園が異常だとなんとなく思うようになったが、上の子の診断を受けた時は正直絶望した。幸い妻がアンミカ並みのポジティブシンキングなのでそれに甘えたのと新型コロナで在宅が増えて嫌な思いをあんまりしなくなった。公費で療育通っているがやはりプロは上手で傍目から見た良い子ではないが一般的な子供になったと自分では思っている。ただ最終的な判断は医師に任せたい。
発達障害の子供の親は大概幼保園の先生に冷たい仕打ちを受けると思うし診断出た時は無茶苦茶自分を呪うと思うが、実際月2くらいの支援センター通いが数か月続いた後に市区町村の決まった流れに乗って本格的な支援を受けられるようになるので少しの間だけ頑張れば住んでる街に助けてもらえます。なので知識のない友人やネットで検索するより役所の窓口で「幼稚園(保育園)で発達障害じゃないかって言われたんですけど」って言った方が早いよ。どうせ園も紹介状みたいなの書いてくれるからスムーズよ。
一番駄目なのは「ウチの子は健常者だ!」って思いこんで色んな園回って押し付けて普通の生活させようとすること。支援センターと医師の診断結果出た後でもそれをすると確実に子供の将来は暗くなるよ。
以来、就職まで、祖父(人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。
私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。
私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談(祖父はクズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしまい先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。
DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態を悪化させるのも困りものだった。
当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分からず月に何万も携帯料金を払い続け、それを家族に隠していた(知的障害があると、問題が生じていても誰かに相談できず放置し続けてしまうことがある)。
携帯料金の明細を見た私はすぐに有料サービスを全部解約させ、二度とこういうことがないようにと、有料サービスの誘導画面の説明をした。
「まるで親と子が逆みたいだ」と思った。このあたりからなんとなく「うちの母親には知的な遅れがあるのではないか」と考えるようになった。
また、きょうだいにも、母親より少し重いが軽度の知的障害があった。
しかし、祖父は「障害者が一族から出たら終わり」という考えの上、自分が大学に進学できなかったコンプレックスもあり、きょうだいは無理やり名前を書けば受かる大学に進学させられた。
必修科目をシステム登録できず留年仕掛けたり、コンビニやカラオケのバイトも数日で退職勧奨されたり、見ていられない状況だった。
どうにかきょうだいに療育を受けさせられないか、居住自治体に問い合わせたこともあったが、母親に反対されて断念した。母親は私が通っていた中学の特別支援学級にいたダウン症の子を引き合いに出し、「あんなのと一緒にするのか」と宣った。ちなみに、福祉業界の知人いわく、「障害者が他の障害者を差別するのはよくあること」らしい。
私の就職が決まり、大学4年の終わりになるころ、祖父の経済的・精神的・身体的DVが極まり、家の中はめちゃくちゃだった。
ある日、母親が半ば錯乱状態で「お前らみんな包丁持ってきて殺してやる」と繰り返し叫んでいた。それを聞いた私は「この人はやりかねない」と恐ろしくなり、そこから半年くらい死恐怖症に苦しんだ。このときに出会った禅の思想は今でも心のお守りである。
祖父に関しては悩みもしなかったが、母親については何年も逡巡した。母親の知能だと、「なぜ子どもから縁を切られ、会えない状況が続いているのか」、一生理解できない可能性があるからだ。
しかし、3年、5年と絶縁している期間が長くなるにつれ、「これが私と母親との適切な距離なんだ」と感じるようになった。今では母親のことは「支援が必要な他人」として認識している。何かあったら、行政の然るべき部署につなげることはやぶさかではない。
ここまで書いてきて意外かもしれないが、私は知的障害者が育児することについて全く否定しない。
「子育てをしてはいけない人間」を指すとき、そうである者と、そうでない者の境はなんだろう?明確な線を引けない限り、それを誰かにあてはめることはしないというのが、私の立場だ。私自身苦労は多かったし、支援が欲しかったとは思うが、母親のことは、今となっては全く恨んでいない。
発達障害児の親は「退園するよう追い詰められた」という言い方をする
いや自分の子供が他の子供にけがをさせて、自分の子供が加害者なんだから親が被害者ヅラするのはおかしいぞ?とおもう
でも発達障害児の親の立場だったら「せっかく入れたのにやめさせられて悲しい」と涙がでてくるよな
私の子供も発達センターに通っていて、私が住んでる地域は公立の幼稚園がなくて、私立の幼稚園しかないのだが
発達センターに通う子供たちの一部はどこの幼稚園も合格できなくて
お母さんが必死で我が子が通える幼稚園を探して……という姿を見た
お母さんが必死になって連絡とって入れたとしても、幼稚園で子供が他害しまくって退園になるってつらすぎるだろ
最初から保育園や幼稚園に通わず療育センターに通う生活というのも
私だったら受け入れるのに時間がかかるわ
小学校低学年の息子。
昨年初夏の頃、担任の先生から「授業中ボーッとしていることがある。また、みんなで何かをやるときあまり積極的ではない」という話を受け、もしかしたら……という思いから地域の小児療育センターの門を叩く。まずは親だけが話をしにいきひとまず検査をしようという流れになったものの、どうやらかなり忙しいようで、予約から半年以上が経って今年の頭に受診。二度の検査を経て先日結果が出てきた。
知能指数は平均でひとまず境界知能ではなかったことにホッとしつつ、特性としては「言葉を鵜呑みにしやすい」「社会的コミュニケーションが苦手」ということで、ASD傾向があるとの診断だった。
この話を聞いて、過去の自分のことを思い返していた(発達障害との診断は受けていない。多分そうだろうなというだけの感想)。
小学校〜中学校といじめられるというよりはからかわれる対象で、中学一年〜二年と登校拒否気味。周囲からの「優しい」という言葉を鵜呑みにしてパシリもさせられた(結果そうした扱いをしてきた小中の同級生とはほぼ縁を切っている)。中学〜高校と続けていたブラスバンドも音楽楽器ともに好きだけれど体育会系な部活形式が苦手でサボりがち。
就職してからは深いコミュニケーションが苦手なままどうにかこうにか改善を繰り返しつつ不惑を超えて転職回数二桁に達しながらも何とか年収の中央値以上は稼げているものの、自分の気持と職場環境すり合わせがうまく行かないことも多く鬱を患い薬をかじりながら何とか生きている状態で、いまも現職に嫌気が差していて(主に給与面と昇給がないこと)転職活動をしている。書類で落ちてばかりで、正直凹んでるけれど。
もちろんこうした自分自身と息子との傾向が同じとは限らないし、時代性として彼が大人になった頃は今の自分とは違う課題問題が立ちふさがるんだろうなと思う。
ただ、小学校低学年の段階でこうした診断を受けたことで、少しでも彼の人生の攻略法として使ってもらえればなと思っている。
親としては心配が尽きないけれど。
それにしてもどのタイミングでどのように本人へ伝えるべきか。
子どもに対する目下の悩みは、これだな。
腹が立ちすぎて殴りたくなるときがある
もうすぐ寝るってタイミングでなぜが風呂場に行き、コンディショナーのポンプを押して中身を自分の頭にすり込んだあげく、コンディショナーをさらに出して自分の口にいれて食べた。
娘は異食(食べ物じゃないものを食べる)をけっこうやってしまう
腹が立って娘をぶん殴りたくなってしまった
ぶん殴ったところで娘はまたやるし、意味ないしと自分に言い聞かせてやってないけれども
むちゃくちゃ手がかかる。着替えや食事も自分でやろうと思えば本当はできるけど手伝ってほしいと甘えてくるのでやってあげてる。
手伝わなかったらいつまでたってもやらないから
おしゃべりは上手だし知的障がいはないと信じてるけどこれで致命的な発達障がいがあったら親としては本当にいやだ
発達障がいの子供に体罰をやった親のSNSとか児童虐待のニュースを見て「自分はこういう親になりたくないなあ」と思うことで自分を落ち着かせている
バイト先で、障害者割引を使いたいと手帳を提示してきたお客さまがいらした。
20代半ばくらいの男女カップルで、手帳を出した女性の方はまあ腕くらい切っててもおかしくはないかなって雰囲気。
まじまじと手帳の中身を確認したりはしないので確証はないけれど、恐らくメンヘラ界隈の方。じゃあ隣に居るのは所謂『理解のある彼くん』かあ……。なんてちょっと羨ましくなってしまった。
私はうつ病→パニック障害→双極II類と診断されてきていて(通院は今はしていないが、ODはしないだろうという信頼のもと得た頓服が300錠くらいあるので生き延びている)尚且つ兄弟に療育育ち元手帳持ちの所謂ギリ健と言われる発達障害持ちがおり、私自身も学生時代親にADHDでは?と診断を勧められた経験のある発達障害疑いアリの、まあまあ立派なメンヘラである。
うつ病になったときの彼氏には「うつ病とか甘えだから無理」と言われ、うつ病寛解後にパニ障になったときの彼氏には「俺には面倒見られない」と言われ、
わかる、わかるけど……私だってメンヘラの相手することあるけど、擦り切れるし、わかるけど!
と思ってたのに、世の中には案外居る。理解のある彼くん。
最初からメンヘラだと名乗れば良いのか?と思うが、親しくもない人に打ち明けたくない。
でも関係が深くなってから実は〜と明かすのもずるい気がする。だって多分、私がメンヘラだって知ってたら彼女には選ばないだろうし。
とここまで書いてみて気付いたけれど、多分理解のある彼くんに出会えてる人は、割と多方面に、最初の方から『弱い自分』を曝け出せてる人なのかもしれない。
そう考えるとなんか色々言われてるけど『理解のある彼くんの彼女』たちはすごく勇気のある人なのかもなあ。指咥えて羨んでるだけじゃ駄目だね。はあ。