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2018-03-16

これを機会に「悪戯をした奴が少年院に行く漫画」を連載すべき

国の重要文化財落書きをするクソガキ

イジメヤンチャと言い張り続け最後には社会人になってからも同僚を自殺に追い込む正真正銘クズ

万引きという言葉窃盗を片付けるモラルハザード

日本中の子どもたちの中で法令遵守意識は下がる所まで下がってきている

今回のチンチン事件はこれを正すいい機会だ

悪戯と言い張って犯罪行為をしたら法的に罰せられるという事を一度子供に教えるべきなのだ

少年誌はただ面白ければいい読み物ではなく、遊びを通して子供を育てる役目を負っているはずだ

ましてや発刊部数において上位に立つ雑誌であるならその地位と比例したノブリス・オブリージュを背負わなければならない

いまその役目を全うせずしていつやるのだ

さあ、早速連載開始だ

これは単なる思いつきなのだ

ここは一つモンゴル人への謝罪を込めて犯罪者モデル現代日本人物を使ったらどうたろうが

たとえば第一話で捕まる記念すべき最初キャラクター名前をアベシ・サンゾウとかにするのはいかがだろうか

ここまでやれば流石にモンゴル人も納得して今回のことを許してくれるはずである

2018-01-12

[] 日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

原典:日本發現的「國寶級中國瓷器」是真是假? 日經中文網

日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

2017/06/26

日経中文網 特約コラムニスト 張石

2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。

曜変天目茶碗とは

曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京静嘉堂文庫京都大徳寺龍光院大阪藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。

天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国人間国宝国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。

曜変天目茶碗」の鑑定が日本で大論争に

番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査計画した。

しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。

「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料ヨーロッパ18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルトクロムセレンカドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」

「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」

「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くとき方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」

長江さんは後で筆者に述べた。

「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」

中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。

「少なくとも「曜変天目茶碗」ではありません。12~13世紀製造されたという可能性も非常に低いものです。」

筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。

「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。

2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。

3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国流行している模倣品とは非常によく似ています。」

森達也教授さらに述べた。

テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」

この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。

「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」

筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。

テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」

新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。

魚島教授物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。

魚島教授は述べている。

「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日

一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。

「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授データには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」

日本の複数メディア報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県文化財指定のための調査を中止した。

なぜ「曜変天目茶碗」の鑑定は論争を引き起こしたか

私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。

だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。

「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ

このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年国際的に知られた陶磁研究専門家で日本陶磁研究第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代古瀬作品であるとして重要文化財に指定した。

その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。

このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。

私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。

筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?

確かにテレビ番組では、科学研究場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)

だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?

もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物科学的に鑑定する完璧方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物場合炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物場合基本的には炭素14鑑定は使えない。

また、熱ルミネセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギー放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。

しかしこのような報道もある。

「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部通報した。公安部担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日

魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。

「彼は本物の曜変天目との比較を一切行わず、例の茶碗のみで分析を行いました。これでは意味がありません。」

筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。

「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物である考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」

筆者:

―― それはつまりあなた検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。

魚島教授

「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」

筆者:

―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?

魚島教授

「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」

筆者は質問した。

―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなた検証方法では今回と同じような結果が出ますか?

魚島教授

「その可能性はあります。」

しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。

このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ

※ この記事は筆者の個人的視点を示したものです。

張石 略歴:

1985年中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-07-19

奈良キャラがたってない

Twitter関西各県が会話してるネタがたまに流れて来るが、奈良は大概いい加減なキャラづけをされており奈良はそんな事言わない!って感じになり「もう関西ネタ京都はんと大阪だけでやっといたらええんちゃうキャラも解ってないのに無理矢理脇役に入れてくれんでも」って気分になる。

別に奈良キャラ日本全国で見たらそんなに薄くない筈だ。

重要文化財国宝世界遺産古墳ごろごろあるし、鹿も金魚めっちゃ居るし、大昔から観光資源が有りすぎる故つちかわれた商売っけの薄い金遣いの下手な大仏商売県、奈良うまいもの無しとか言われてるけど柿の葉寿司三輪そうめん奈良漬けもみむろ最中も美味しいからな!!大阪京都キャラが濃すぎて薄まってるだけでそれなりに濃い筈やからいい加減な扱いせんといて。

みたいな感じでいい加減な奈良キャラづけには不満たらたらだが他県についてはどうかと言うと、兵庫神戸があるからなんやおしゃれなキャラが立ってるけど兵庫あんインパクトいからいっそ神戸県にしてくれた方が名前覚えやすいのに、滋賀忍者琵琶湖しかイメージいか琵琶湖県でええのに、和歌山みかん美味しい海水浴お世話になっとりま伊勢神宮ええよね、程度のイメージしか持ってない、関西以外になると北海道東京クラス以外はさっぱりだ。

ぶっちゃけ県名も危うい苦手科目地理自分に気がついてなんやキャラ程度で文句つけてすまへん。

2017-05-19

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

2016-10-12

[]

苗木遠山史料館でもよおされた「美濃の刀展」に行ってまいりました。

これでわたくしも刀剣お嬢鯖の仲間入りですわね。

べ、べつに秋刀魚が気になるわけではありませんわ!

常設展示では遠山の金さんの遠縁である苗木遠山氏が治めた苗木藩の歴史が紹介されています

1万石と最小サイズ大名なので財政のやりくりには苦労したようです。

東濃歴史には悪名高い森長可も関わっており、(3)6人斬りを自慢して悪趣味に名付けた歌仙兼定のレプリカも置かれていました。

美濃の刀展では近隣神社から寄託された鎌倉時代室町時代太刀が大きく扱われていました。

国や県の重要文化財である

備前国長船住近景

吉則

貞綱

三振ですわ。腰に下げるときと同じく、太刀は刃を下向きに、刀(脇差短刀も)は刃を上向きに展示していると

説明されていて感心しました。他所刀剣をみるときにも役立ちそうなトリビアですわ。

刀身58cmの脇差があって、そのあたりの定義がよくわかりません。

神社の刀は拵えを直す機会がないので目釘の穴を空けなおしたあともないですわ――と気づいた気持ちになったのですが、

他の刀も目釘の穴を空けなおしているものは少数派でしたわ。

展示されている刀の大半が個人蔵で、当館所蔵のものは一振りだけでした。

秘蔵されているものを拝見する機会をくださって感謝しますわ。

2016-04-05

新入社員研修は寺で座禅してた

バカバカしさはあったが人格を壊されて云々~ってこともなかったし意外と楽しい思い出である

だが会社が金出してまでやる意味はおそらくなかった。

2016-03-31

新築古墳の買い手募集

・日当たりのよい小ぢんまりとした円墳

高台にあり川流れの心配なし

・石室・石棺完備

壁画や副葬品はありませんのでご自分でご準備ください

 

後世に残り重要文化財となるような、素晴らしい壁画を描いてくださる方、歓迎です

2015-05-17

大阪から国宝とか重要文化財とか貴重な文書資料は早く持ち出さないと

文化大革命知識人も宝物も貴重な資料も燃やされるのも近いぞ

2015-02-16

日蓮正宗

 なんかこう書くと刀の名前みたい。

 つか「かの日蓮が使っていた刀の中に名刀正宗もあり、「日蓮正宗」として重要文化財指定されている」とかしれっと書けばニワカな刀剣ヲタなら信じてくれるような気がする。

 数珠丸 って刀もあることだし。

2015-01-24

大富豪は将来文化財になるような豪邸を建てろ!

★昔の権力者や寺社が建てた建物は、その後歴史教科書に載って、テストになって小中高生を苦しめる。

 法隆寺東大寺平等院金閣銀閣日光東照宮など。

 200年後とか300年後の歴史テストでは「霞が関ビル」「六本木ヒルズ」「広尾ガーデンヒルズ」とか出題される?

 また、時の権力者の私邸も、数百年もすれば観光名所になり、史跡指定されたり重文扱いされたりする。

 なので、「孫正義の私邸」「ユニクロ柳井の私邸」「三木谷の私邸」って、

 100年200年もすれば重要文化財となり、入場料を取って公開されているかもしれない。

 言い方を変えれば、孫正義とか、ユニクロ柳井とかの「オーナー経営者」、数百億円数千億円の資産を貯めた人は、

 後世から重要文化財だ」と評価されるような豪邸を建てなきゃ、歴史的存在価値が問われる

★「源氏物語」とか「枕草子」とか、日本古典文学を今の小中高生必死になって学習しているが、

 これも当時のウルトラエリート間、超金持ち同士の文化学習なんだよな。

 今で言えば孫正義三木谷の間のメールのやり取りを、数百年後の受験生が解いている、的な

 でも、200年後の受験生は、孫正義三木谷間のメールのやり取りよりも、

 マイルドヤンキー間のやり取り記録とかを学習していそうな悪寒

 エグザイルがうんたらかんたら、てな内容

★そう考えると、今のパワーエリートたちの、「後世へ文化を残す能力」は、

 1000年前と比較すると大幅に衰えているんだろうなあ。

 この辺を嘆いて、渡部昇一は「日本社会もっと格差化しないと、文化が残せない」と言ってたわけだ

オーナー企業御曹司、例えば大王製紙御曹司なんかだと、別に親父の会社入社して働かなくても、

 一生遊んで暮らせる財産があるんだから、そういう御曹司は働かずに豪遊して、むしろ文化」を後世に遺してくれた方がいいんだが。

 それこそ、私財を投じて巨大カジノでも作れば、200年後に名が残る

 お隣の韓国などは、オーナー企業御曹司会社世襲しているのですが、御曹司自らモーレツに働いている。

 サムスン御曹司大韓航空御曹司も。

 韓国財閥御曹司のうち1人くらい、会社役員にならずに、成人してから数十年間豪遊しまくって「文化」を残してほしい

 その点、ヨーロッパ辺りの富豪の中には、一生働かずにモナコ辺りで豪遊する人生を謳歌する貴族もいる。

 そして、一生豪遊を許容するヨーロッパ文化がある。

 そういう社会から、いろいろな文化が醸成される

 自分は「40歳代にして累積5億円稼いだような人」や「40歳代にして親から遺産2億円相続したような人」に対して

 「いい加減働くのを止めて、人生エンジョイしようよ」と(ツイッター上で)早期リタイアを勧めているのだが、

 それは、彼らに「文化」を創って欲しいからであります

2014-08-29

戦争賛美してる奴は今放送中の「花子とアン」絶対に見た方が良い

飼い犬が軍用犬として徴用される。

お国のため」という暗黙の了解で、何もかも奪われる。

国の重要文化財仏像や鐘を戦争武器弾薬のために熔かされる。

国民を「お国のため」と言って借り出してむざむざ殺されに行かせる。

上層部国民貧乏になり疲弊しても「お国のため」と言って知らんぷり。

挙句美味しいモノを独り占めして国民には「お国のため」と言って何もしてやらない。

こうした構図は、まるで今の世の中そのものじゃないか。

全部国民負担を強いて、上層部は何も身を粉にしない構図。

お国のため」とか言って、版図を広げても国民還元される事がない。

挙句言論統制言論弾圧をして、上層部の贅沢の犠牲に晒される。

これが戦争賛美の正体だ。

放送中の「花子とアン」には多少プロパガンダが働いてると感じるかもしれないが、

ほぼこれが史実である

お国のため」に我慢を強いられた国民戦後戦前戦中を良しとしなかった60年がそれを物語っているのは言うまでもないが、

戦争できる国と社民党共産党懸念を示すのも無理からぬ話である

何故ならば、戦争して疲弊するのは必ず国民からだ。

戦争賛美してる奴は、恐らく国民ではないのだろう。

から戦争に参加する事を周囲に強制させようとプロパガンダ化するのである

本当の売国奴とはこいつらである

2014-05-01

毎週のように神社が燃やされて、文化財中国オークションに流れる

日本の文化財の盗難状況、氷山の一角

こんな短期間に日本の寺社が焼かれている。そして本堂から仏像などが消えている。消失した形で


2013年01月04日 京都市 愛染院敷地住宅から出火、住職が死亡

2013年01月06日 福井県美浜町 西誓寺本堂が全焼、仏像を抱きながら住職が焼死

2013年01月13日 富山県魚津市 火の宮神社社殿が全焼

2013年01月23日 和歌山市 普門寺の本堂全焼

2013年01月26日 福島県白川市 天神神社本殿などが全焼

2013年02月11日 東京都八王子市 千代田稲荷大明神拝殿が全焼

2013年03月07日 神奈川県座間市 栗原神社神楽殿・民家2棟が全焼 米国籍15歳少年放火

2013年04月01日 福島県飯舘村 山津見神社が全焼、一人の遺体発見

2013年04月10日 熊本県玉名郡 片峯菅原神社本殿・物置が全焼

2013年04月10日 東京都高尾市 千代田稲荷大明神拝殿全焼 賽銭箱が空で逆上し放火逮捕

2013年05月01日 東京都三鷹市 井の頭公園内の親之井稲荷神社から出火 放火の疑い

2013年05月15日 長野市 八幡神社 拝殿神殿が全焼

2013年06月08日 新潟県魚沼市 四日町諏訪神社本殿 全焼 雷が原因か

2013年06月08日 大阪府富田林市 正受寺と前住職住宅が全焼

2013年07月07日 愛知県安城市 法蔵寺の一部が燃える

2013年07月22日 岩手県盛岡市 瀧源寺の本堂全焼、しだれカツラの葉が熱で変色

2013年08月02日  〃      〃  2度目の出火

2013年08月10日 愛媛県松山市 宝厳寺が全焼、国指定重要文化財木造一遍上人立像」が不明

2013年09月11日 茨城県ひたちなか市 湫尾神社本殿拝殿 全焼

2013年09月14日 茨城県ひたちなか市 金砂神社本殿拝殿 全焼


社会重要文化財が100点以上不明 いつの間にか中国オークションにかけられていたケースも 文化庁緊急調査

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131102/edc13110207580000-n1.htm


韓国人観光客の間で神社に火を当てながら撮る記念写真が大流行日本旅行者の3人に2人は ”経験ある”

http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/5/8/58282b1e-s.jpg

2013-12-17

イオンができて撤退して

ごく正直なことを言うとね、田舎イオンってのは別に娯楽施設じゃないのよ。

無印だのUNIQLOだのがあって、服屋や飯屋があって映画館もあって、

結構な娯楽じゃない、とか言うでしょう?

んで、返す刀でファスト風土だの画一化だの言うじゃない。

あのね、田舎ってのはなんにもないのよ。

街道沿いに蕎麦屋はある。別に蕎麦特産品じゃないけど。

道の駅物産は売ってる。野菜はどこでも取れるものばっかりだけど。

そりゃ、味噌だの干物だのは土地に根ざしてるからココだけかもしれんが、それがウチを代表する食品か?

なんにもないってのは、ゼロって意味じゃない。

そりゃ、電気もある、ガスもある、車社会だ村じゃ無え

でもね、吉幾三のあの頃だって村にゃ新聞ラジオもあった。

問題はだ、ここはどこにでもある何の変哲もないところで、よそと置換できる程度の土地柄ってところなんだ。

そんなところでよ、下手にテレビでも見てみなさいな。

映画館は大きな街に行かなきゃねえって生活が、街に洋菓子店が1件って生活がよ、耐えられるかってことだよ。

生きていくって意味で言えばよ、ど田舎、ほんとに村とか山ん中みたいなトコに比べりゃ都会だよ。

DASH村みたいなな、娯楽つーと犬と遊ぶことでテレビ観るより星観たほうが良いって土地柄じゃ無え。

そんな半端なところにはな、もう特色なんてのは無いんだよ。


まあ、あるよ?郷土資料館にゃ土地歴史ってのは沢山あることになってる。

寺社仏閣の由来だとか、変な石碑だとか、まー、観光客が来なくもない場所ってのも無くはない。

ただよ、例えば国の重要文化財に指定されている豪商のお屋敷と、神社本殿拝殿があったとしてよ、

それが何なのよ。

神社参道にある土産物屋とか、アメだのウドンだのを江戸の頃から売ってたみたいな店が潰れました。

近所にファミレスマクドナルド牛丼屋が出来てそっちに人が流れて。

それはファスト風土なのか?

そもそもの土産物屋だのうどん屋だの、もっといやどこぞから勧請してきた神社は、ファスト風土じゃねえのか?

あれか、全国にある小京都だの落ち武者の村だのは、ファスト京都とか言うつもりか。

どんだけ貴人が腰掛けた石が世の中にあると思ってんだよ。


あいいよ、三丁目の夕日みたいな自分がちっちぇえころに既に懐かしかったモノを懐かしむって感覚判らんでも無い。

ただな、イオンってのは、いわばインフラなのよ。

近所のダダらなスーパーにゃ、例えばビールが三種類しかねえ。

これが、まあイオンについてるスーパーってのはデカイわな。

品揃えが豊富ってほど豊富かは判らんが、スーパーより断然イイ。

UNIQLOなら都会だろうが田舎だろうが多少量が少ないだけでラインナップがまるで違うって事はなかろう。

参考書ドリル女性向け雑誌しかねえような街の本屋に比べりゃ、多少微妙でもチェーン書店は魅力だわ。

映画だって、都会でかかってるのと同じだろ。


そういうな、いわば村に電気が来た、って状況なのよ。

人が多いってことはイヤイヤ行ってるわけじゃ無えってことぐらいは判るだろ。

それでも撤退するってことはよ、そもそもやってけねえってイオン側が音を上げたわけだろ。

儲かってるコンビニの近所に直営店を出店させるのとはわけが違ってよ、

イオン地元商店街を潰そうと思って出店して、んで潰して、仕事終えて撤退するわけじゃねえだろ。

まりだよ、その程度の客数商圏しか無えところで、イオンに人が吸い上げられて潰れる商店ってのは、

そもそもが潰れる運命にあったんだよ。


つうかよ、分り易くこういう言い方してもいいな。

オレらは、不満を持って仕方がなくその店を使ってた。そこしか無かったから。

商店街魚屋とか肉屋とか文房具屋が潰れました。

それはつまり、画一化されたスーパーのほうがマシだったってことだ。

んで、その延長でイオンが来て、時期的に爺婆も弱ったり死んだりして閉店ラッシュになってよ、

まそりゃ直接の原因は違っても、イオンがって共通の仮想敵作って愚痴れば平和だわな。

商売してる店主だって人間だよ。

商店街寄り合いに顔出す駅前のチェーン書店が、

商店街の端っこにあった文房具屋と共通の街の本屋を潰したとは考えたくないわな。

Amazonが悪い、うちも厳しい、ネットは無情だねってので微妙感情を潰して飲んだり見まわり当番するのが大人だよ。


から結局何が言いたいかって言うとだ、

イオンってのは、そりゃもう室町だの江戸だのの頃から日本地方が連綿とやってきた

環境底上げの一環なんだよ。歓迎してんだよ。

んで、一極集中して、ソコが無くなったとする。

不便にはなるけどな、それだけよ。オレラは離島に住んでるわけじゃ無え。

そこそこの近所には大きな街もある。そこまで足をのばせば良いのよ。

雇用は減るな。工場の撤退も同じだけどよ。

つうか、そもそもからしてお母ちゃんのバイトだしな。新規に生まれた雇用が、元に戻るだけだあな。

商店街がすげえ人雇っててよ、イオンがその雇用を奪って売上も奪って、それでいなくなられたら困る。

でも、そうじゃねえんだって

イオンが居なくなっても、別に前と変わりゃしねえ。

スーパーは無くなったから、自転車で行ける距離から車で行かなきゃならなくなった。そりゃ不便さ。

でも、それだけだよ。


ああ、いっこ思いついた。

マダム向けの洋服店ってあるだろ。何だあの服1500円って、みたいな店。

その近所にUNIQLOが出来て、洋服店が潰れました。

んで、UNIQLOが撤退しました。

雇用だの洋服店が無くなって困るだのって人は、どんだけ居るかってのに似てるな。

金物屋の近所にホームセンターが出来て、金物屋が潰れた。で、ホームセンターが撤退した。

それですげえ困るし、地方の問題だって血圧上げるほどのことかよ、っていう。

車で行ける距離にいっこもホームセンターが無えってこた無えよ。

そんなところからはそもそもホームセンターは撤退しねえ。

からよ、生活インフライオン一社によりかかるのが問題だ、イオンには責任が、とか言うんであればよ、

そもそも洋品店だの金物屋だの、肉屋電気屋氷屋みたいなのが高齢化して店畳んでるのも同じ問題だろうがよ。

でも、金物屋の爺さんが歳だから店閉めたいって言った時に、地域社会に対して無責任だって言わねえだろ。


繰り返すけどな、田舎にゃなんにもねえ。でも、ホントになんにも無えわけじゃ無え。

イオンが集中させた程度で潰れる店ってのには、しっかりしたスーパーは入って無え。

中学校に納品してたとこがアスクルに取られた、みたいなのの方がよっぽどヤベエよ。

からイオンが来て、そのしわ寄せを食って辺り一帯焦土になって、それでイオンが居なくなった。

じゃあ、となり町まで行くべか、って程度の話だよ。

どっちかっていうとな、デケえ廃墟郊外にできるとかよ、

なんか誘致するのに税金投入してなかったっけ?とかのが問題だと思うんだよ。

廃墟モールゾンビは沸かねえけど、やっぱガキは溜まるし変に治安悪化の要因になるだろうしな。

頭良い人はよ、ソッチのほうの問題考えてくれねえかな。ファストファスト言ってねえで。最近はあんま言わんか。

2013-03-01

[]ウィキペディアで暗躍するネット右翼

対馬仏像盗難事件で知られるところとなった観音寺 (対馬市)作成したIPアドレス61.195.32.212編集履歴

2013年2月1日 (金) 07:44 (差分 | 履歴) . . (+25)‎ . . 豊玉町 ‎ (→‎名所・旧跡: 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:31 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 対馬市立豆酘中学校 ‎ (→‎沿革: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:28 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 厳原町 ‎ (→‎名所・旧跡: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:28 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 厳原町立浅藻小学校 ‎ (→‎年表: 多久頭魂神社)

2013年2月1日 (金) 07:23 (差分 | 履歴) . . (+4)‎ . . 赤米 ‎ (→‎神事における赤米: 多久頭魂神社) (最新)

2013年2月1日 (金) 07:18 (差分 | 履歴) . . (+33)‎ . . 多久頭魂神社 ‎ (大蔵経 観音寺 (対馬市))

2013年2月1日 (金) 05:21 (差分 | 履歴) . . (+14)‎ . . 海神神社 ‎ (→‎重要文化財(国指定): 観音寺 (対馬市))

2013年2月1日 (金) 05:14 (差分 | 履歴) . . (+1,555)‎ . . N 観音寺 (対馬市) ‎ (観世音菩薩坐像が韓国人窃盗団に盗まれた)

2013年2月1日 (金) 04:37 (差分 | 履歴) . . (+74)‎ . . 観音寺 ‎ (→‎九州地方: 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 04:34 (差分 | 履歴) . . (+31)‎ . . 対馬市 ‎ (→‎神社・仏閣: 多久頭魂神社 観音寺 (対馬市)) (最新)

2013年2月1日 (金) 04:29 (差分 | 履歴) . . (+1,224)‎ . . N 多久頭魂神社 ‎ (大蔵経韓国人に盗まれた)

2012年7月13日 (金) 02:32 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 1996年 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:30 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 平成 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:27 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 村山富市 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:26 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 加藤紘一 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:24 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 反日感情 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 02:17 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 歴史教科書問題 ‎ (パイプ付きリンクの利用により記述はそのままでリンク先だけ変えている Miwa.SS (会話) による ID:43307272 の版を取り消し)

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2012年7月13日 (金) 00:43 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 河野洋平 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:41 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . ワシントン・ポスト ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:39 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 馬英九 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月13日 (金) 00:35 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 上杉聰 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

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2012年7月12日 (木) 23:41 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 近隣諸国条項 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:40 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 日本戦争謝罪発言一覧 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:38 (差分 | 履歴) . . (+108)‎ . . 利用者‐会話:61.195.32.212 ‎ (最新)

2012年7月12日 (木) 23:37 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 家永三郎 ‎ (慰安婦|従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:34 (差分 | 履歴) . . (+10)‎ . . 奥野誠亮 ‎ (従軍慰安婦)

2012年7月12日 (木) 23:32 (差分 | 履歴) . . (0)‎ . . 西村修平 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

2012年7月12日 (木) 23:25 (差分 | 履歴) . . (-6)‎ . . 強制連行 ‎ (リンク先の従軍慰安婦の記事は映画なので慰安婦に変更)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/61.195.32.212

2013-01-28

「蚕」の漢字小学6年生で習う必要あるのか?

子供小学校3年生)が漢字検定5級(小学校終了レベル)を2月3日に受けることになった。

10月時点で6級(5年生終了レベル受験)に合格したのだが、さすがに5級は「手強い」。

5級の問題集やらせてみても、なかなか合格レベル(70%)に達しない。

6級までの場合、「小学校3年でも聞いたことある言葉に関する漢字」の出題だから

まだとっつきやすいのだろうが、5級の場合

小学3年だと、聞いたことない言葉に関する出題」だから、非常に難しい。

例えば、「皇」「后」「陛」などは、天皇制学習しないと、その字を用いた2字熟語などを知らない。

「裁」なんて字もそうで、小学校5年だか6年だかの社会の授業で、「政治裁判の仕組み」「歴史」を

学習してからでないと、これらの字の意味は判らない。

3年生だと、これらの字を覚えるのに、ハンディがあるのは、まあ、仕方ない。

逆に言えば、ちゃんと「どの字を何年生で教えるべきか?」というのは、

他の教科(社会理科)の進捗とリンクさせて考えているのだろう。

理科リンクしているようだ。「磁」とか「宙」とか、磁石宇宙の仕組みを学習しないと

 とっつきにくい字も6年生時点で学習する。)

ということで、大半の漢字については、

「これらの字を、6年生で習うのは、まあ当然だろう」という字が並んでいるのだが、

唯一「この字は小学生が習わなくてもいいのでは?」と疑問に思った字があった。

それが「蚕」という字。

多分、終戦直後の時点、当用漢字常用漢字を制定した時点では、

まだまだ日本養蚕業というのは重要産業だったので、

小学校レベルでも、蚕の字は、習わなくちゃならない」ということで、蚕の字を小学生漢字に指定したのだろう。

当時としては、それはそれなりに合理性があったと思うのだが、それから60年以上経過して、

国内養蚕産業は、殆どゼロ伝統工芸重要文化財レベルにまで落ちてしまった。

小学生にしても、養蚕はもはや「明治日本養蚕生糸工業工業しました」という

歴史教科書の中だけにしか存在しないシロモノ」になっていて、実際の蚕を見たことある小学生は、数%もいないだろう。

そういう状況下で、「惰性」で、蚕という字を小学生学習漢字に指定し続ける意味って、どれだけあるのか?

養蚕業界生糸業界が、蚕の字を小学生漢字に指定し続けるように、文部科学省圧力を掛け続けている」という

陰謀論を唱えてもいいのだが、そもそも養蚕業界生糸業界って、もう圧力持ち得ないほど弱体化しただろう・・・

このように、「重要性は失われたのに、惰性で当用漢字に指定され続けている漢字」って、他にもあるのでは?

2010-08-03

児童ポルノ禁止法改正に絡む、「児童ポルノに絵、イラストを含めるかどうか」に反対している某国会議員の、反対する理由。

推進派の連中から資料を貰って目を通したが、こんな幼稚な物(推進派があげつらっているアニメ調のエロ絵)が社会に悪影響を与えほどの力を持っているとはとても思えない。文学音楽映像芸術作品は古今東西いろいろあるが、それらよりもこんな物の方が社会に与える影響が大きいというのか、俺には甚だ疑問だ。あいつらの目的は何か別の所にあるはずだ。それに納得するまでこの件には反対し続けるつもりだ。

学生時代三島由紀夫にかぶれて近所の寺(重要文化財)に放火しようとした人の言うことは重みが違うな(笑)。

 
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