はてなキーワード: 校正とは
ここ一か月弱の感情の変遷を残しておきたい。いや、この二年半の、かもしれない。
初めてその報道を目にしたのは、仕事帰りの駅での事だった。呆然としたまま電車に乗ったのを今も覚えている。全く信じられなかった。たちの悪いフェイクニュースでは?とも疑った。スキャンダルとは無縁のグループで、頼れる兄貴分の彼が、まさか。
その後しばらくのことは、あんまり思い出したくない。四人の謝罪会見。生放送で毎日泣いている太一くん。そして退所が決まり、四人のTOKIOの写真がタヒチにアップされた。どうしようもなく悲しかったけど、受け入れるしかなかった。メンバーの方がはるかに悲しかったと思うから。やっぱりTOKIOが好きだったから。
DASHもトキカケも、四人で続けられた。続いているだけでもありがたいのかもしれない。でも、終われなかった、という一面もあるのではないか。様々なジャンルの仕事を抱えるTOKIOは、存在が大きくなり過ぎたのかもしれない。吹けば飛ぶようなグループであれば、一人の不祥事くらい抱え込んで、うやむやに続けられたんじゃないか。そんなくだらない事を考えたりした。
茂子のリサイタルで、「このままじゃ終わらない」と言う言葉を聞けて、嬉しくて悲しくて泣いた。でもその後、メンバーから、TOKIOのこれからに関する言葉は、きちんとは聞けなかったように思う。
もやもやした状態のままでありつつも、残ったメンバーのお仕事はとても順調なように見えた。それは今まで培った信頼の証であると思うので、誇らしいことでもある。ただ、汚れを切り捨てたからこそ、という面もあるように思えて、悲しかった(自ら退所したのだというのはもちろん承知の上で)
25周年には何かあるのでは?とソワソワしているところに山口くんの週刊誌インタビューがあって、四人で音楽を再開するのでは、と話題が上がったりした。それを歓迎できない自分がいた。
私は特に担当というのはおらず、箱推しというか、五人の絆萌え、みたいなタイプのオタクだ。TOKIOは五人でないとダメで、特に音楽活動は五人以外考えられなくて、でもそれは無理な相談で、自分でもTOKIOにどうしてほしいのか分からなかった。こんなに五人推しだったことに、四人になって気付かされた。それくらい、いくつになってもTOKIOは五人だと思っていたのだ。
彼が事件を起こして、失われてしまったものは数えきれないほどある。大好きな平家派もJフレも、存在が一人欠けてしまった。きっと盛大に祝われるはずだった25周年、それを記念したライブも。聴けるはずだった新曲も。音楽番組でのガヤも。
それらを奪った彼のことを、それでも嫌いにはなれなかった。本当は悪い子じゃないんです、とモンペみたいな気持ちにもなった。長いことファンをやっていて、もう勝手に身内みたいな感覚になっているのだ。
昔から、甘いところ、不注意で軽率な一面はあったと思う。ただそれを、持ち前の器用さソツの無さでカバーできてしまっていた。無免許も離婚もなんとなく受け入れられて、その後の仕事に影響しなかった。それも不幸の元だったのかもしれない。
起こした事は擁護しようのないものだ。それでも嫌いになれないのは、彼の今までを見てきたからだ。
24時間で、ゴールするリーダーを見つめる潤んだ視線。明雄さんのお見舞いで、その手を握る姿。東京に避難してきた北登を撫でて、涙ぐむ様子。まな板事件。思い出すのが泣いているところばかりなのは、彼は悪い人じゃない、と信じたいからなんだろうか。
何が彼をここまで追い詰めたのだろう。
村がまだあったらなら、明雄さんがご存命だったらまた違ったのだろうか、等らちもないことを色々考えたけど、もちろん答は出ない。
おそらくアルコール依存症だと思われる状態になるまで、誰も彼を救えなかったんだろうか。一連のことで私がもっとも落ち込んだのは、この事かもしれない。メンバーの存在は、山口くんの救いにはならなかったという事実。
家族でもなく友人でもなく同僚でもない、メンバーという特別な存在に、夢を見過ぎでいたんだろうか。
一時期話題になった、連帯責任という言葉がもし適用されるなら、彼が病んでいくのを止められなかった、という点ではないか。もちろん実際のところは全くわからないけれど、思ったよりメンバー間の繋がりというのは薄かったのかな、と。アラフォーにもなれば、それが自然なのかもしれないけど、やっぱり悲しかった。
もう彼は見たくない、早く四人で音楽活動を、という声もネットでよく目にした。理屈では理解できるけど、感情的にはまったく受け入れられない意見だった。私には音楽の専門的なことは分からないけれど、例えサポートのベースを入れたとして、それは果たしてTOKIOの音楽と言えるのか。あの甘い歌声、ツインボーカルやハモりの美しさも、TOKIOの音楽の大きな魅力なんじゃないのか。深い信頼をおいた存在が奏でるリズムだからこそ、生まれるものがあるんじゃないのか。表立ってはとても言えなかったが、そんなことをつらつらと考えていた。
ファンの感情をよそに、結局TOKIOが音楽を再開することはなかった。かわりにささやかれ始めたのが、長瀬くんの脱退説だ。まさか、いやでも。また感情が振り回され、DASHやトキカケのちょっとした発言に一喜一憂したりする日々が続いた。
そして7月、正式に長瀬くんの退所が発表された。ショックと同時にああやっぱり、という気持ちもあった。でも、そのショックを打ち消すような、タヒチでの太一くんの言葉で、全てが報われたような気がした。ツイッターで、「浄化」という言葉を使っていた方々いたが、まさにそんな感じで。それくらい、「TOKIOは五人」という言葉はありがたいものだった。
何がつらかったって、まるで始めからいなかったみたいに扱われることで、何かのバラエティの結成秘話VTRで、山口くんの存在が抹消されていたときはもうファンやめそうになったくらいだ(やめてないけど)
だから、ひっそりと彼の痕跡を流してくれるDASHには本当に感謝してたいた。
そんなところに、メンバー本人からの、五人発言だ。大げさでなく涙が止まらなかった。今までの自分の感情を肯定してもらえた気がした。五人のTOKIOが好きだと、堂々と言っていいんだ。それが何より嬉しかった。
その後の会社設立、インタビュー、そして921のサプライズプレゼント。
会報の中でも、彼の話題が出ていた。松岡くんの「兄ぃ」を久々に目にしてまた泣いた。校正でいくらでも修正できるところに、あえてそのままにしてある辺りに、覚悟というか決意というか愛情というか、いろんなものを感じた。そもそも退所した人の話題が載ってるのがすごいかもしれない。更に写真が最高だった。やればできるんじゃんアイドル!なんで出し惜しみするの!でもありがとう!
正直にいうと、1回めよりはショックは少なかった。もちろん、このタイミングでなにしてくれてんの!とは思った。
しかし、ここ最近のTOKIOの動向やら、五人発言やらが影響したのでは、ということの方が気になったのだ。まだまだ回復には遠い状態なのだ、というのが悲しかった。これもネットで見た意見だけど、人様に怪我をさせたりすることがなかったのは、せめてもの幸いだったのかもしれない。生放送でのリーダーの言葉には、少し救われた。メンバー自らの発言はやっぱり大きい。
TOKIOは五人です、と言い切るならば、こういう事も起こり得るという、リスクも伴ってくる。だからそれなりの覚悟を持っての発言だったんだと思う。(まさかこんなにすぐ事件になるとは思ってなかっただろうけど)
これをきっかけに、TOKIOの今後が何かが変わるのか変わらないのか、それもよくわからない。
ただのファンには何もできない。ただ、適切な治療を受けられて、人や自分を傷付けることのない状態にいることを、祈るだけだ。
他のメンバーもだけど、どこでどんな仕事をするにしても、とにかく健康でいてほしい。幸せであってほしい。それが今の気持ちだ。
今もずっと感謝しているし、TOKIO名前を残して、続けてくれることが本当に嬉しい。
何なら今も、コロナやら何やらで結構人生のピンチなんだけど、今はTOKIOに救いを求められない。私はV6との掛け持ちオタクなんだけど、25周年のお祝いムードにもついていけていない。むしろ温度差の激しさで病みそうな状態だ。あったはずのTOKIOの25周年に思いを馳せたりしてしまう。不毛だ。
アイドルのファンでいるって、ただの趣味で、本当はもっと幸せなことであるはずだ。こんなに落ち込んだり考え込んだりするならやめた方が楽だろう。
今まで行ったライブで味わった幸福も、CDもDVDも、大切な宝物でありお守りだ。
一時期聴くのが辛かったけど、今はふつうにTOKIOの曲をシャッフルして、久しぶりに再生したカップリングなんかを聴いて、めちゃくちゃ名曲だな⁈と改めて衝撃を受けたりしている。
未来のことは分からないけど、元気で生きていてさえくれたら、いろんな可能性があると思うので。当分はこんな感じで、低空飛行なオタ活を続けていくんだと思う、たぶん。
昔印刷データを作るときRGBでデータが残ってたりしたら、色校正とか厳しかったし、もの凄く怒られてたように思うのですが
今はどうなんでしょうか?割とカジュアルな感じでRGBのままでデータ作ったり写真送っても、多少はちょっと色が違いますけど入稿して普通に仕上がってきます。
RGBのままでも印刷所の最新の仕組みが凄く良くなってるんでしょうか?もうあんまりCMYK意識してないです。本当はしなくてはいけないんでしょうが。
会社のプリンタじゃどうしても色校正なんて出来ませんしね、出たとこ勝負でやってます。写真ほとんどないから平気なのかも知れませんが、厳密にはどうなんでしょうか。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
本当はもっとCMYKのことは考えないといけないかも知れません。
高校3年生のときに字書きを始め、早6年。ちゃんねる系や18禁エロ小説も書きながら、細々と二次創作を続けてきました。
そんな中で感じた、支部で小説を投稿する際の自己評価の基準とか、閲覧数を上げるために気をつけていることを字書き初心者向けに書いていこうと思います。
自分の小説の客観的評価としては、最大ブクマ数は♡2500くらい、平均ブクマ数は♡100〜300をうろうろしている程度の字書きなので、ご参考までに。
支部にはブクマ機能がついていて、他の人の作品もブクマ数を確認することができます。タグで「1000users」的なのもあるから、検索しやすい。だいたいの人は検索ジャンル+100usersとかで徘徊してるんじゃないでしょうか。
なので自然と、自己評価もブクマ数になります。自分の性癖のために書いているとはいえ、レスポンスがあるからこそモチベーションはあがるので。
ところが、ジャンルやCPによって大手/マイナーよりけりなので、自分としては同じクオリティを保っているのに、読み手の母数が少ないためにブクマ数が伸び悩むこともある。
そこで個人的に作品のクオリティを評価するのに使っているのが、ブクマ数/閲覧数の比です。これがなかなか使える。言ってみれば、「そのジャンル/CPを好む人の中で何割くらいの人に刺さったか」が分かる指標なのです!!!
自分の作品で言うと、閲覧数10に対してブクマ数1くらいが平均的で、良く書けたなと思う作品はもっと割合が良くなります。逆に、とてもブクマ数をもらえた作品でも、対閲覧数的にはあまり良くなかったりする(エロとか)。
これはブクマの絶対的な数に比べて、自分の小説の質の評価に使えるので、例えブクマ数が少なくとも、閲覧数に対して多ければ質の高い特定の人たちの性癖に刺さりまくった作品が書けたということになるのでモチベーションがめちゃくちゃ上がります。
あとは感想。コメントひとつあるとブクマ数100レベルの嬉しさがある。スタンプ一個でも、「最高ですた…!」一言でも、100人の人のいいねに相当するので……みんな感想送ろうな。
あと、自分は「名前+#支部」でエゴサするタイプなので、Twitterで「よかった… URL://〜」みたいなツイート見ると1000人分のいいねに相当する悦びを感じます。自分も神作品見つけたら積極的に呟こうと思いました……
ブクマ数は貴方の小説のクオリティだけじゃなくて、読み手の数とか時間帯とかにも左右されるから他の基準も持とうねって話でした。
それはそうと、たくさんの人に自分の作品を読んでほしい!評価されたい!あると思います。では、閲覧数の高い作品(=人の目に触れやすい作品)とは何なのか。
結論から述べるとエロメインの小説は閲覧数が高いです。夢のない話でごめん。それは、カプ推しの人だけじゃなくてジャンル推しの人とかキャラ推しの人も検索するから。
とか、
とか、それで引っかかるし皆エロは見たいので()閲覧数があがる。ついでに性癖タグとか付いてるともっとあがる。
「腐向け ♡喘ぎ」
とかで検索する人がいる。
前に「エロは情景描写と台詞と心情がバランス良く書けるので練習に良い」みたいなツイートを見かけたけどホントその通りだと思う。
(高校生以下、未成年は書いても読んでもダメだよ!!!!!!!)
ちなみに私もありえん勢いでめちゃくちゃブクマ数ついた作品は大手CPのエロでした。「快楽堕ち」タグついた瞬間に爆上がりしました。
ちなみにエロ以外で書きやすいかつ読み手が多いジャンルで言うと、ちゃんねる系だと思います。
2chは廃れたのに未だにちゃんねる系作品は新たに生まれ続けているからすごい。
ちなみにちゃんねるジェネレーター(http://salthome.php.xdomain.jp/chtool_v2.1.php)を使うとコテハンとか番号を振ってくれるのでとても楽です。
もう一つ、エロでもちゃんねるでもなく、閲覧数を上げる工夫があるなら、タイトルです。
おしゃれな単語とか、外語使うとか、素敵なタイトル付けたい気持ちもあるけど、内容が分かりやすいタイトルのほうが読まれる可能性があがります。
ラノベやなろう系から続くテクニックなので今更なのかもしれないですが……
あとは、
「〇〇が記憶喪失になる話」
よりは、
「ものわすれが多い〇〇くん」
携帯で空いてる時間にちまちま書いていくのに使えるアプリとしては、
Evernote (https://evernote.com/intl/jp)
Nola (https://nola-novel.com)
idraft (https://dictionary.goo.ne.jp/info/app/)
あたりがオススメです。
Evernoteはオンラインに自動保存されるので、PCからもリアルタイムで編集できるのが便利。あとフォルダ分けとかも細かくできる。アプリだと、書いている途中に上にスクロールされちゃったりバグりやすいのが難点。
Nolaは小説ツールでプロットとか設定も細かくメモれるので、長編書くときにおすすめです。これもPCとデータ共有できるから両方で編集できて便利。
アプリ開くと、執筆画面までに何回かタップしないといけないのと、自動保存機能がないので、そこが改善されたら完璧かなぁ。フォルダ分けとか章分けできるのも良い。
idraftは最近のお気に入りで、言い換え機能と校正機能がついてます。アプリとしてのバグも少ないし、フォントやUIも見やすいし、文字数が自動で左下に表示されるので、パッと書きたい時にホント便利です。
あとはおまけで縦式(https://apps.apple.com/jp/app/%E7%B8%A6%E5%BC%8F-%E7%B8%A6%E6%9B%B8%E3%81%8D%E5%85%A5%E5%8A%9B/id1415281201)も。
縦書きで原稿用紙に書くみたいに書けます。pdf出力してくれるので、オフ本発行やネップリにも使える。
あんま面白いこと締めで書けないけど、参考になったら嬉しいです。
ちなみに私が初めて書いた小説は、推しのティンコが呪いで無くなるという全年齢作品でした。
良い字書きライフを!
腐女子や夢女子のすなる、お気持ち長文というのを書いてみたくスマホを開いた次第である。
憧れのお気持ち長文なので、方々から種々様々のヘビーなお気持ちが集まって来たらと今から緊張している。
お気持ち長文の流儀に習い、ライブで打ち込んでいるし、校正もしない予定だ。
さて。
フォロワーには一発で身バレする、お気持ちを書こうと思った経緯なのだが。
あるジャンルの、いわゆる「コスプレ撮影会炎上」についての、経緯のまとめと、呟いた人の書いた解説がRTで流れて来た。
それまで炎上してることしか知らなかったが、ざっくりまとめると、
「このご時世に三密を作って撮影会をしていた(ように見える場面が動画内に多々ある」
「交通ルールやレンタル会社のガイドラインを守らなかった(可能性が非常に高い。まぁここはほぼ黒のようだ」
「体調不良者がいた」
……辺りが問題らしい。
しかし、その、「これでヤバさが分からない人はヤバい」と書かれたお気持ち見て、私にはイマイチ、ヤバさが分からなかった。
それらを斜め読みしたけど、大体
……みたいな話だった気がする。
結局の所、このご時世にやらかしたって文脈しか分からなかったので、
「可哀想にね、運が悪かったねって感想しか出て来ない」というのと、運とかそういうの関係ない個人コスプレイヤーのやらかしでコスプレが苦手になった話を呟いた。
そういう人だって何とかジャンル内に留まってたから次から気をつけて元気出してね。
と、自分としてはそういうニュアンス。他にどう見えていたかは分からないけど。
つまり、炎上を庇って見ず知らずの人にヤバい人認定された訳である。
たかだかコスプレイヤーに「反省して頑張ってね」と呟いただけで。
私は怒った。怒り狂った。
それから数時間その怒りの残り火で、腐女子らしくお気持ちを書いておこうと思った訳である。
これを書いてるうちに大体落ち着いてきて、事前に地雷避け出来て偉いねって気分でさえある。
けど、最近の腐女子や夢女子の紛糾を見てると、私のこの、鬱陶しいお気持ちはだれかに必要なのではと思った。
誰かが恥ずかしがってたり、いたたまれない目に遭ってる姿を見ると、自分まで恥ずかしいというアレである。
思うに、オタクというのはそれが人より高くて、同じジャンルの炎上とか、時によっては他ジャンルのそれも自分に取り込んでしまうのではないだろうか。
皆さんは、かなり恥ずかしい目に遭った時、咄嗟にどうするだろうか。
私は、キレ散らかす。
自分自身とか、自分をその羞恥に陥らせたシチュエーションとか指摘を暫く憎む。
わざわざ当人にぶつけないくらいの分別はあるつもりだが、それはそれ。腹が立つ時は腹が立つのである。
そして、羞恥が落ち着いた頃に「何であんなにキレ散らかしたか」を弁明する。今のように。
または、「これはキレても当然の所業で、私がキレたことにいかに正統性があるか」をデータや、時に法令やまとめなども引っ張って来て弁明する。
……皆さん覚えがあることだろう。
前者はこの増田で、後者はたまにRTで回ってくる、学級会や注意喚起文である。
つまり、みんな他人の事が自分のことのように恥ずかしいし、その恥ずかしいというのを認めたくなくて怒りに差し替えているのだ。
そう、これが世に言う『臆病な羞恥心』である。オタク女は虎だ、虎なのだ。がおー!
そして、自分や自分の親族のやらかしのように感じてしまうから、息子の頭を掴んで、
「この子がご迷惑を掛けて申し訳ありません! ほら! お前も謝って!!」とやりたくなる。
そして昨日の自分は、「は? おばさんだれ?? オレ、何で謝んの??」と話をほじってたのでブロックされた。
そんなところじゃないかなぁと思う。
閑話休題。
なので、まぁ炎上に限らず、誰かが怒っている時や自分が怒っている時(○○を破損したとか、××に迷惑掛けたとかそう言う奴)、
または自分のような末端のジャンル民の「可哀想にねー」にマジムカむく時。
「それがそのジャンル(の人)じゃなくても同じくらい腹立たしく恥ずかしいか」
「仮に地球の裏側で同じ事が起きた時も同じくらい怒れるか」
「私の恥ずかしいを全世界の人に受けとめて共感してほしい!!」という魂の叫びで。
それはきっと、魂の叫びで共感者を集める同人というジャンルならではじゃないかなと。
最初のコスプレの話に時を戻すと、あれは「交通違反」が悪かったのと、騒ぐのは実際に騒ぐのは陽性者が出てからでいいんじゃないかなぁと思うのだ。
事例として出して、「炎上しないように気をつけようね」までだろう。今の時点では。
画面に映っている情報以外に情報が無い時点では、当人たちの「ちゃんとやった」は限りなく黒に近いグレーなのだ。
それが民主主義なので。
そして、多分すげぇアンチでも居なきゃ、そんな全カット検証しようなんてならないし、この時期じゃなきゃ、動画じゃなくて写真だったら、屋外だったら…。
ちょっと条件が変われば違ったものにキーキー騒ぐ体力は自分にはもうないのである。
まぁそんな訳で、結論としては、「運が悪かったね」「元気出してね」な訳である。
あと、話は変わるけど、アンチフェミニストもオタクもそうだけど、最近の我々、「既存の価値観に自分のアイデンティティ預けすぎ」だと思う。
だからジャンルで起こった事で自分の尊厳がごっそり傷つけられた気分になるんだよ。
キミのアイデンティティは「このジャンルを推す自分」じゃなくて「何かに夢中になれる自分」だよ。
あとね、同人のことを公式に問い合わせるのはマナー以前の問題だから、そこんとこよろしくな。
色々恥ずかしい事は多いけど、元気だしてこー! ふぁいっ!
追記:
こんな12時間もコメントが付かないお気持ち長文を最後まで読んだ上で、数分差で感想書いてくれてありがとう!
つまりこの、何か一言物申したいという欲の為に、オタクは電車に揺られて本を売ったり買ったりするんだってわかったかな。
今年の初めから、弊社の公式サイトはアクセシビリティへの配慮をすることにした。しかし、アクセシビリティをきちんとやりきるまでのハードルは結構あるため、まずはできるところからやろうということで、「音声読み上げソフトに配慮した記述」をすることになった。
たとえば「7/28(火)」はNG、「7月28日(火曜日)」ならばOK。
「7/28」だと「7がつ28にち」なのか「28ぶんの7」なのか、あるいは「7わる28」という可能性もある? このように読み方が前後の文脈からの類推になってしまうからだそうだ。レイアウトを視覚的に捉えれば、ここにあるのは日付だなというのが判然とするけれど、非視覚的にはわかりにくいことがままある。しかし、そもそも「7月28日」と書いてあれば、視覚的にも非視覚的にも、それが日付なことが一目瞭然であるというわけだ。
「(火)」も「か」ではなく「ひ」と読みあげてしまうおそれがあるため、「(火曜日)」と書けば間違いないということらしい。
ただ、日付の直後の「ひ」なら火曜日のことだという類推に期待できるんじゃないだろうかという疑問はある。もっとも「(日)」でも「ひ」と読み上げてしまうソフトがあるかもしれないし、「(火曜日)」と省略なく書かれると迷惑だということもないから、丁寧に書いてあるという感想をもってもらえればいいかなと思った。
ほかの例では「※詳細はこちら」という書き方はNGで、「注記:詳細はキャンペーン詳細サイト(外部サイトへ移動します)(別ウィンドウで表示します)をご覧ください。」と書けばOK。
どうも記号を読み上げない音声読み上げソフトがあるらしいのだ。「※」を読み飛ばされてしまうことの対処として「注記:」と書く。「:」も読み飛ばされてしまうんだけど、この「:」はむしろ視覚的な閲覧者に対して、「注記」と注記本文との境目を明白にするために入れることになった。読みあげ的には「ちゅうきしょうさいはきゃんぺえんしょうさいさいとがいぶさいとへいどうしますべつうぃんどうでひょうじしますをごらんください」となる。丸括弧で括っている部分は、それぞれ外部サイトアイコンと別ウィンドウアイコンで表現して、alt属性に丸括弧内の文章を書くことにしている。少しHTMLが長くなるけど、まあこのほうが確かに分かりやすいのかな。
ちなみに音声読み上げソフトには、リンクリストという機能があって、ページ内のリンク部分だけを列挙したりできるそうだ。そうした場合に、複数の「こちら」が並んでしまうことを避けるために、「キャンペーン詳細」などと、できるだけユニークな言葉をリンクにしようという配慮でもあるのだそうだ。
個人的には、そもそも元の文章からして「※」という記号は不要なんじゃないかなという気持ちはあって、「注記」といわなくても、本文そのものに続いて、「詳細はキャンペーン詳細サイト(……以下略)」という文章で問題ないのではと思うのと、「詳細サイト」という言い方が、制作会社の用語な気がしていて、ふつうの人にとっては単純に「キャンペーンサイト」でいいんじゃないかなあみたいな、細かい感想は持っている。
あと「~」が使えなくなった。これ、「~」を「から」と読み上げてくれない場合に対応するために、「5~8ポイント」を「5から8ポイント」と書きましょうというのが、今弊社でやっているルールなのだが、画一的に「~」を禁止されてしまったので、「アマゾン ~最後の秘境~」とかの商品名(固有名詞)まで「アマゾン から最後の秘境から」になってしまっては困るということで、「アマゾン 最後の秘境」と、商品名としては正しくない文字列への書き換えが発生してしまっている。こうなってしまうと、そもそも正しい商品名を伝えるという観点から考えると本末転倒だし、商品名や番組名を改変しちゃって権利者から怒られるというケースさえもある。画一的に問答無用で「~」を「から」に置き換えるのは不適切なことがあるから、ある程度の判断を作業に挟む必要が生じる。しかし記号を読み上げないのなら、商品名に「~」が含まれていたって問題ないのだから、「~」を含んで良い箇所、良くない箇所というのを明白にすれば対処できそうだ。
つまり結局のところ、弊社で今実施しているアクセシビリティへの配慮は、コンテンツの校正ルールの範囲にとどまっている。したがって、校正ルールを整備をすることで、もともとアクセシビリティに配慮したコンテンツが生成されることになるし、HTML実装者は支給されたコンテンツをそのままマークアップすればいいということで、フローももう少しすっきりするんじゃないかなと思った。
音声読み上げブラウザでも、通常のブラウザでも、どちらでも間違いのない読みやすい日本語という落とし所をこれからも模索していきたいし、そうすることで、社会的要請からアクセシビリティに配慮しているっていうことじゃなくて、弊社が主体的にアクセシビリティに配慮しているという状況に持っていけたらいいなと思う。
私自身も、いつ音声読み上げブラウザのお世話になるかわからないのだから、音声読み上げブラウザの特性を把握しておくのはメリットだと思っている。日常ではなかなかできないので、仕事を通じて知見をためておけるのは、制作会社ならではだなと思って、ちょっと誇らしい気持ちになりました。
その中でも『7年前の本が欲しい!』と似たような体験をし、そこから一種の敗北を味わったのでツラツラと書こうと思う。
まだまだ生意気なJCからJKに上がる直前の冬に、友人Yととある特撮の本を作った。
彼女はキャラの心情を書くのとオリジナル要素を混ぜるのが好きな物書きで、ある意味悪癖なそれが一種の作風になっていた。
20ページもない本をひーこら言いながら作って、とある雑誌の片隅の同人誌作りましただったか売りますだったかのコーナーに投稿して、載った事にはしゃいだ思い出がある。
売れなかったが。
その雑誌の情報から、まさか問い合わせしてくるとは思わないだろう。
平成初期の特撮だ。今でもファンは多いが、本を出すほどの情熱家はさすがに居ない。と思う。探してないけど。
JCの頃に書いたコピー本だし、本文は違う人の物だから私にはどうしようもないと返すと、どうにかその人とは連絡が取れないかと食い下がってくる。
そこまで欲しいならと私はYに連絡を取ってみることにした。
連絡がつかなかった。
携帯のメアドは変えているだろうから、連絡が着くまいと思い電話をしたのに、携帯の番号が変わっていた。
仕方ないのでご実家に掛けるとYのお母さんが出て、
「結婚して家を出て、今は関東にいる。だがいくら親友だったあなたでも、あの子が連絡先を教えてない人に勝手に教えるわけにはいかない。申し訳ない」
ととりつく島もなく切られてしまった。
厨二全開の彼女は、お人好しというか素直すぎるバカというか面倒見の鬼というか、いややっぱり騙されやすいバカと言おう。
とにかく騙されやすいので、借金の保証人にもホイホイなりそうだとは思っていた。お母さんもそれを警戒したのだろう。わかる。だってあの子はバカだ。
しかし、バカでも結婚しているとは。オタクはいつの間にか卒業して、マトモになったのか。
それはそれで悲しいな。騙されてないといいな。と思いながら、彼女と同じく厨二全開だった友人Tに連絡をしてみた。
仕事もバリバリ出来て同人活動もガッツリしているせいで、彼氏と長続きしない(告白してきながら活動を理解しない相手が悪い)私とは違い、なんか愛を育んでいた。しかも旦那と2人FG○重課金者。なんだその理解あるどころか同士の旦那は。ずるい。私も理解して欲しい。シレッとフレコ交換した。二人とも強かった。
まぁそんな彼女はYと大親友だった。当時は険悪だったと本人は言うが、私からすれば当時から互いを嫌悪しながらも理解して、何かあったら背中を任せるくらいには信頼してる関係だった。例えるなら蒼い槍兵と赤い弓兵の関係だ。
だから連絡しているだろうと思ったが、彼女も連絡先は知ってるが連絡はしていないという。
しかし、問い合わせの本は大事に保管しているので、スキャンして送ってくれることになった。お前がおけパだ!感謝しかない。
問い合わせた人にも連絡して、問い合わせの本の話は終わった。
友人二人の結婚に若干の敗北感を感じつつも、良かった良かったと思っていたら、特大の感想文がきた。
これは、Yに送らねばならない。(使命感
しかし。Yとは連絡がつかない。
Tに事情を話したら、彼女経由でなんとか直接Yと連絡が取れた。
緊張しながらYにメールする。だって相手はオタクを辞めた(と思われる)のだ。ここでこちらがオタク臭のあるメールをして「その歳でこんな文章しか書けないの?」とバカにされたくない。
なんせ彼女は、バカだった。私が面倒を見てやらねばならない友人だった。
服はスーパーの服飾コーナーで買ったような適当な物。髪はいつもボサボサポニテ。ダサい眼鏡に小太りの小動物。それが私の中の彼女だ。
まぁつまり、完全に見下していた。
結婚しても、どうせ悪い男に騙されて言い様にこき使われてぼろ雑巾になってる事だろう。私が別れさせて、更正させてやらねば。だってバカだし。なんて酷いことを思っていた。
メールには、過去の本とはいえ無許可でコピー本を相手に送付した事の謝罪と、その感想がきていたことを伝え、全文を載せた。そして少しだけ自分の近況を伝えた。
それに対する返信は、少しだけ砕けた感じはあったが、れっきとした社会人の返信で、そこでまず頭を殴られた。
彼女からも近況があり、子供がいること、まだオタクをしていて、本まで出していたこと。
LINEしてるのでよければとあったので、即友達申請を送った。送ってから社交辞令ではと思ったが、彼女からすぐに受理されて、FG○スタンプで挨拶された。そこから色々話した。
確認すると二次小説はブクマしてた。心臓が止まった。数ある中でも超好きな設定の奴だったからだ。
一次小説はエタってたので続きはよぅ!と急かしておいた。まだ読んでないが、きっと面白い。
二次小説もプレイ終わってから続きを書くと書いてあったのに半年経っていた。急かしたらこちらはもう書かない関わらないと断言された。何とか頼み込んで、くっつくとこまでは頑張ると言質を取った。
布教されたゲームの二次小説も書いていたので三話まで読んで、ちょうど半額セールしてたので即買った。
国民的ゲームとマイ○ク○フトのシステムが合体したゲーム。連休中にクリアして続きを読もうと思う。
小説は、昔と同じようにオリジナル要素をうまく混ぜて、より面白くしていた。その作品をよく愛し、調べ、必死に設定を考えなければこうはならない。本人は言わなかったが、きっと昔と同じように必死に設定ノートを作ったのだろう。
同人作家として負けた。と感じた。
そして旦那の話を振ってみると、待ってましたと言わんばかりに惚気られて、子供自慢もされた。ポケ○ン新作のバッヂ七個取る幼稚園児ってすごいな。さすがに親の育成手伝いはあると思いたい。
ともかく話ぶりから騙されて居ないし、旦那さん理解あるどころか同レベルのオタクで楽しそうだというのは感じた。
女としても負けてる。いやいや、結婚が幸せとは限らないし。いま私も幸せだし。と強がってみたが独り身さみしい。一緒にゲームしてくれる彼氏欲しい。
とりあえず、ゲームを終わらせて小説を読みきったら、彼女の本を買おうと思う。
散々見下していた人間が言う台詞ではないが、私は彼女の小説のファンなのだ。
じゃなかったら、あれだけ厨二全開の小汚ないオタクだった彼女に本を作ろうなんて声をかけていない。
と書いていたら、Yから旦那に出会った当時の写真が送られてきた。
何とか写真はないかせがんだ結果、最近はないが昔なら。と渋々出してくれたものだ。
最後に出会った成人式ではまん丸で、白い着物も相まってマシュマロなんてからかった。
写真には、ほっそりした脚に黒タイツをはいた、膝丈スカートにふわふわのブラウスをきた、こじゃれた眼鏡の丸顔の女の子がいた。
別人だった。
二十歳当時の精神的DVしてくる彼氏が浮気してたことで別れてから、ストレスが減ってがっつり体重が落ちたらしい。待って。情報が多い。
当時に彼氏が居たことにも驚いたが、朗らかに笑いつつもあの裏にはDV受けてたの?しかも浮気されてたなんて。解放されて良かった。本当に。そこから今の旦那さんに出会えて本当に良かった。
今は育児疲れでボロボロらしい。せめて眼鏡の写真をとせがんだら、送ってくれた。いい人過ぎないか。しかもこじゃれてた。子供に曲げられても大丈夫な眼鏡らしい。すごいな。
ここまできたら自分はもはや矮小な人間としか思えなくなってきた。
そんな彼女は言った。ジャンルが合えばまた本を出したいね。と。
私の返信はこうだ。
つまりはまぁ、
見下していた相手が
ボロ負けした喪女の話
https://anond.hatelabo.jp/20200717124512
主にこれの話。
まず、3点リーダーの話もサンドイッチの話もくだらない。そういうスタンスで話を進めます。
こういう文章の正しいマナーやら、サンドイッチが異世界になぜ存在するのか?って考察は、物書きが自分の作品をより良くするために行うもので、他人に押し付けるのは論外。
指摘するまでならもしかしたら相手も求めているかもしれないからまだいいものの、わざわざ相手の反応を見に行って、愚痴を書き連ねるその根性。
自分の正しさをひけらかしたくて仕方ないんだろう。
なろうは趣味で書いてる奴もいる場だって知らないのか?向上心の押し付けはありがた迷惑。
こういう奴は本当に、多い。面白かった作品の感想欄を開くと校正気取りがぽつぽつ。感想書かないなら帰ってくれ。
正しい文章で書きたいやつは言われずともググるから直接教えずに書き方講座でも充実させてくれ。
俺は元増田ではないので何ともいえませんが
編集デザインとか校正とか教えてる専門学校(今はもうない)では
講師(筑摩書房のOBとかの出版社退職者)からそう教えられました
印刷会社の者ですが
事前人気に頼らざるを得ないというのはわかります。
確かに刷り部数の決定は駆け引きというか…当初は3万部という話が、出版社内の営業と編集で争った結果5000部になりました…。
とかよくありますよね。
編集さんがプレゼンしなきゃいけないのは、買い手である読者に買ってね、書店さんへ良い場所へ置いてねこの本よろしくね、以外にも多く、
営業や社内へ向けて「出版するか」「何部刷るか」のプレゼンが大変そうです。
それには確かに、数字としての実績や人気を示さないといけなくて…「Twitterで話題で人気の原作(作家、漫画など)です!RT数、フォロワー数はこれくらいです」もひとつの指標ですよね。
「売るための下地」がなければ「部数を刷れない」のは、たしかに現実として正しいことです。
これは事務所や代理店の関わる「売ろう」と決められた本なので、あらゆる媒体で宣伝され、広告がうたれ、「売るための下地」をお金をかけて作りました。
初版1刷は2万部です。
公表につき再刷!増刷!重版(厳密にはちがいますが)!○万部突破!
これもまた実売数を売るための下地であり、刷り部数を増やすテクニックです。
元増田さんは文芸でしょうか?なかなか下地の難しい分野ですよね。
部数を多く、という以前に発行に漕ぎつけるまでが。
コミックスであれば、現在は3000できれば5000部というロットで刷れるようになったため、とりあえず出してみよう、が以前より多く感じます。
POD(オンデマンド)本を勧めてらっしゃる方もいますね、弊社も承っておりますよ、書店サイトから注文が入り即日C1000でプリント、手作業でPP貼りし、手作業で製本して手作業で断裁、そして発送。
正直こちらは一般に流通する書籍などと同等とは言えませんし、刷り部数が確保できないほどの小ロットにしか向きません。
印税(率、または単価が高いことによる額)が良くても総合的には部数が稼げる商業印刷には収入としてはかなり劣ります。
宣伝して売るための予算を取る、初版部数を増やす、これらは買い手への宣伝ではなくて社内へのプレゼンです。このためには、事前の評価が必要なのは事実です。
どんなに編集さんが熱心でも、その予算が取れず部数も減らされてがっかりされていることは日常で、私たち印刷会社も以前より部数が絞られる傾向を感じています。
刊行タイトルが増えて、抱える作家さんが多くなったせいか、宣伝できるタイトルが絞られている印象です。
タイトル数が増えて、個々の実売数が減っている…そうすると人件費率も経費率も爆上がりですからね…。
(印刷会社から見て、印税10%は妥当かなと思うのですよ、物価が高くなったとは言え製品原価自体は微々たるものですが、あまりに一冊をつくるのに人手と時間がかかるので…。)
(売れる本だけ大量に刷れるなら別ですが、大半の利益の出ない売れない本の経費や赤を、売れる一部のベストセラー本が補っている現状です。)
作家さんが増えて「経費」も絞られていますよね、校正校閲を省くという荒業から…作家さんへの接待なども。
我々業者は、作家さんの花見の席取りや、作家さんの趣味の観劇チケット取り、打ち合わせで行きたいとリクエストのあった予約制飲食店の予約…などによく駆り出されたものですが、新人の方への接待で呼ばれることは少なくなったように感じます(大御所さんはいまだにありますが)。
どうでもいいマジレスすると
出版業界はバブル時代に広告収入モデルで雑誌の部数も刊行点数も極度に増えた
その後、広告収入モデルが機能しなくなって沈没が続いてるわけだが
***
(書店ではなくコンビニで売ってる紙質の安い雑学本がメインだ)
仕事の本数自体は極端に減っていなくても単価の減少は痛烈に感じる
10年ぐらい前は一冊の本を3人ぐらいで分担して2~4か月ほどで作って
20万円前後にはなり、それを同時並行で3本ぐらい回していれば生活できた
ところが現在は、同レベルの仕事では1本当たりの単価は2~4割は減少してる
そりゃそうだ、今や金を出して紙の本なんか読む奴は年寄りしかいない
(しょせんは無署名記事でも)たまーに一度担当した本に増刷が掛かり
***
歴史雑学本とか統計データ本とかを書くぐらいしかできる仕事はない
(直接インタビュー系は依頼されることがかなり減った)
これでも、勤め人をしていた当時のような人間関係トラブルはないし
文筆専業になる以前よりはマシな方だとは思う
仕事の場を紙の出版からネット媒体に切り替える気はないかって?
自分らの世代まではギリギリ逃げ切れるのではないかと述べている
その背景として、自分らより下の世代は今さら紙の出版を目指す者が
かなり少ないので、下世代に食いぶちを奪われる危険性が低い点が挙げられるが
それもどこまで楽観して良いものか……
そこは家族経営で、とても小さな会社だが、全国展開の大きな会社との取引もある。
私が入社した当時、20代の社員は私を除いて2人いた。翌年、私よりも年上の大卒と、私よりひとつ年下の短大卒の新入社員が入った。
入社5年以上のA、私のひとつ上の先輩B、私のひとつ上だが後輩のC、私のひとつ下の後輩D、そして私だ。
辞め方は最悪だった。辞める1ヶ月前、なんの前触れもなく突然辞めると言い出したのだ。
ドタバタの引き継ぎを終え、Bの仕事は主に私と後輩2人で請け負った。
辞めた理由は察することしかできないが、恐らく社風が合わなかったのだろう。
案件ひとつひとつを早く済ませて回転率を上げたい社風と、ひとつのものにじっくり向き合いたいBのやり方が合わなかったのだと思う。
また、部長との馬が合わなかったのもあるのだろう。
あとを追うように、数ヶ月後にCが辞めた。
辞めた理由はほぼBと同じだと思われるが、主に部長との馬の合わなささが、辞めたい気持ちに拍車を掛けたのだと思う。詳しい理由は私も知らない。
Cの仕事は、Dと私で請け負った。
余談だが、新入社員の頃から行なっていた私の雑用を、やっとCに伝授したばかりだった。正直なところ、辞めるのであれば教える時間が無駄だったと思う。
翌年、誰も辞めなかった。
私が入社4年目の話だ。
誰も辞めなかった、良いように聞こえるだろう。
事件は同年の確か秋だったように思う。
Dが辞めると言い出した。理由は、都会に住んでいる彼氏と結婚を前提に一緒に住むから、だそうだ。
Dも入社3年目を迎え、少し大きな仕事を渡そうと上の者が話していた矢先のことだった。
D曰く、大きな仕事を引き継ぐ前に(迷惑をかけてしまうから)辞めよう、と思ったとのことだった。
この翌月だったか、今度はAが辞めると言い出した。
Aは仕事はできるが、抱え込みやすく頻度は高くないが倒れてしまうことがたまにあるとのことだった。表向きの辞める理由は体調不良だ。
本当は辞めたくて仕方なかったらしい。Dが辞めることにより、Dの仕事が回ってくることを恐れていたのだ。
そんな爆弾を抱えたまま、2人が辞めるまでの時を過ごした。
年が明けて2人が辞めるまでの3ヶ月、言葉を選ばずに言うと地獄だった。
Aの仕事は部長と半分ずつくらいに分けた。Dの仕事はほぼ全て私が請け負った、その中にはDがBから受け継いだ毎月発刊の冊子物(全20〜30ページ)の仕事もあった。私も手伝ったことがある。
私の仕事は2倍どころではない。まためちゃくちゃ増えた。
そんな弊社に新しい風を吹かせたのは、2人が辞めると言う前に内定を出した新卒だ。
新卒は冬にはインターンとして、会社に来ていた。忙しくしていた私の代わりに、Dが新人教育を行なっていた。
正直、この年のことは全く覚えていない。
毎日がタイムトライアル。ストレス発散で食べていたお菓子のせいで、10kg近く太ってしまった。
私が入社6年目、誰も辞めなかった。
5年目でやってきた仕事も捌くコツを掴み、少しの余裕を見せていた。
実は契約社員からパートになった人がおり、社内の雑用を請け負ってくれていた。多分10年近くいるパートだ。この人も辞めてしまった。
そんなに大きな痛手ではないが、念のため表記しておく。
ここで新人の話をしよう。
今年3年目になるが、校正もできない、何か作業を渡すと必ずミスをする、デザインもできない、電話も何言っているかわからない、ほうれんそうをしない、誤字脱字が多い、人に作業の割り振りができない、毎月の作業を忘れる、優先順位がつけられないなど、もう散々だ。
正直、いる意味が皆無だ。
とはいえ雇っているのだから、何かしらは作業をしてもらわないとと思い、作業を渡すのだがはちゃめちゃになって返ってくる。
会社のパソコンで二次創作を見ているのか、お願いした作業ファイルに二次創作の小説のURLが貼られていたこともあった。
本人には悪いが、やる気も見られないし、成果もないのだ。
今はインターンと称して週2回ほど、うちに来ている。
勘のいい人なら気づくかもしれない。
この大学生は専用ソフトの使い方はおろか、パソコンの使い方も全くわからないのだ。
小学生の頃からパソコンに慣れ親しんできた私にとって、パソコンが使えないということが未知の領域だった。
「フォルダってどう作るんですか?」「これってどこに保存されるんですか?」
もう散々だ。ソフトだけではなくパソコンの使い方まで教えなければならないなんて。
彼女への指導はベテラン(もう20年近くうちで勤めている)が行なっていた。
それがいつしか私に代わり、なぜか部長も口を出すようになった。
私が教えたことが、部長によって塗り替えられていくこともある。
私が教えたことを、まるで初めて聞くかのように耳を傾けることもある。
私は疲れてしまった。
あれだけ涙を見せるのが嫌な私が、本当に仕事が間に合わないとき、忙しいとき、涙を目に溜めながら仕事をしている。
これは悲しみの涙ではない。
上手く事を運べない自分自身の実力のなさが悔しい。悔しさと怒りの涙だ。
気付けば、もう7年も会社にいる。
来年、あの大学生が入社したら、社内はどう変わるのだろう。私は心配でならないのだ。
その通りだと思う。
嫌なら辞めればいい。私もそう考えている。
30も近くなってきて、本当に仕事を見直す時期に来ているのかもしれない。
この会社のいいところは、夜中まで仕事をしないというところだ。同業他社だと、夜中までだとか休み返上で…という話もよく聞く。
それがこの会社にはない。
要は築き上げてきた地位(と言っても大したものではないが)を崩し、一からやり直すことに恐怖している。そして、自分の時間を確保できることにメリットを感じている。
悩ましいな。
そう思うだろう。
だがしかし、会社に対して不満があったとしても、おおよそ引き継ぐ相手は直接的な関わりがないし、もしかしたら同じ被害者かもしれない。
よって、残された者の苦労には少し配慮してほしい。
引き継ぎの時間はきちんと設けてあげてほしい。少しでも環境を整えていてほしい。
散々言われてきた言葉だ。
その度に張り倒しそうになった。
辞める側は私のことを気遣って言ってくれているのかもしれない。わかってはきるのだ。
けれども、お前のせいでこうなってるんだろ、と思う。
私は心が狭いので、生き霊がつくほど恨んだ。(実際に生き霊がついたかどうかは知らない)
こんなに赤裸々に語ったことがもし会社にバレて怒られ関係が悪化したとしたら。
辞めるいいきっかけになるかもしれないな。
と、いきなりクソデカ主語で失礼するが、一次創作でも二次創作でもイラストでも漫画でも小説でも、なんらかの作品を自ら作り出し、ワールドワイドウェブに公開し、あるいは大枚をはたいて本を刷っているひとは、少なからず反応が欲しいものなんじゃないかな、と私は思うわけ。
感想が欲しいから創作してるわけじゃないけど、でも、書き上がったものに対しては「どうだった?」って聞きたくなる。
え、ならない?
身近に感想不要派のひともいるし、全員がその限りではないことはもちろん分かっている。
欲しい反応だって、言葉なのかRTなのかイイネなのか、はたまた本を買ってくれることなのか、人それぞれだということも分かっている。
まあそういうわけで、つまり 私は とにもかくにも感想が欲しい。
この「感想」というのもまた捉え方が人それぞれなので厄介なんだけど、私は『感想とは:作品を読んで思ったこと』と定義しています。
純粋に読んで思ったことなので、それは「つまらん」とか「意味がわからん」とか「冗長」とか「漢字が読めない」とか、そういうあらゆるネガティブなことも、当然「感想」に含まれると思っている。
そういうのもぜーんぶひっくるめて、私は感想が欲しい。
自分の書いたものが、どのように受け止められているのか、それが知りたい。
書いたこと、書きたかったことが読み手に伝わっているのかどうかを、確認したい。
もちろん、褒めてもらえたら嬉しいし、けなされたら凹むんだけど、でもそれを知ることで、得るものがあると思っている。
と、いうわけで、コミッションサイトで感想を買ってみた感想を書きます。
<本題ここから>
今回、こういう依頼をするのは初めてだったので右も左も分からない状態だったんだけど、ともかくとあるコミッションサイトに登録して、そこから
「感想書きます」と募集しているクリエイターさん、かつ自分の作品を読んでくれそうな人(クリエイターさんによって受付条件がいろいろある)を一晩かけて見繕い、複数人に依頼してみた。
ちなみに、私は版権二次の小説同人誌を書いている腐女子なので、そういうのが万事OKなクリエイターさんにお願い。
結果、分かったこと。
①クリエイターさんによって、仕上がりにものすごくバラつきがある
この2点です。
私が登録したコミッションサイトでは、こちらが提出する文章の量に応じて値段設定してる人がほとんど。
依頼するときに、作品の情報と同時に作品自体も提出したので、それを見て、価格や、依頼を受けるかどうかの判断もされていると思われる。
こういうのって、クリエイターさん側も成果物のサンプルを上げていて、それらを見てこちらも誰に依頼しようか判断するものだと思うんだけど、
感想に関しては、成果物の例を上げているひとが誰もいなかったので、この時点では、どんな形式でどれだけの分量の感想が返ってくるのか、見当もつかない状態。
募集要項に書いてあることを熟読しても、仕上がりのイメージはまったく湧かない。
まあこの手の市場はまだ発展途上というか、醸成されてないだろうから、お互いに手探りなのは仕方ない。
よう分からんけどまあええわ!!なんかいい感じによろしくたのむで!!と思いながら依頼ポチー!
そんな感じで、クリエイターさんと何往復かやりとりして、価格や納期を相談し、時がくると、感想文が納品されてくるシステムです。
よう分からんと書いたけど、このやりとりの時点で、クリエイターさんの作風(?)というのがだいたい分かってくるので、この時になんとなく仕上がりが察せられるんだけどね。
あっさりめとか、分量多めとか、なんかそういうのが漠然と予測できる。(そしてその予測は的中した)
同じ小説を提出しても、返ってくる感想は千差万別。分量も、感想のテンションも、形式も、ほんとうに人それぞれ。
けっこうあっさり、さらっと流し読みしたのかな?って感じで、それはつまり「つまらなかった」(と直截には書かれてないけど)という感想かな、と思えるものから、作品を引用して一文ごとに詳細に感想を記してくれるものまで、ほんといろいろ。
まさに、私の小説を読んで各々が「感じたこと」を書いてくださったわけですよね。ありがとうございます。こんなとこで言うなて感じだけど。どれも、全部心からありがたかったです。
ここで、実際に納品された感想がどんなだったかを詳しく紹介したいとこだけど、互いに身バレしてもアレなんで控えます。
実際に頼んでみるといい!!!!
そういうわけで、依頼の時点では何が来るのか分からない、というのは良くも悪くもあるかな、と思いました。
自分の欲しい感想(見てほしい部分)がはっきりしている場合は、それをきちんと要望として出した方がいい。
例えば小説だったら、印象的だった一文を教えてほしい、とか読んでいてひっかかった個所を指摘してほしい、とか。
当たり前のことだけど、読み手としても、どういう視点で読めばいいのか迷うと思うので、漠然としているよりは着目してほしい点をはっきりさせた方が、お互いのためになる。
そのためにはまず依頼する側が、何を望んでいるのか、自分の思う「感想」とは何なのか、きちんと自己分析する必要があるとも思うけど。(自戒を込めて)
欲を言えば、クリエイターさん側から、テンプレートというか…こういう点を見てこういうコメントをしますよ、みたいな作例があると、さらに良いかなーとも思いますけど…。
それこそ、ジャンプのアンケはがきみたいなのでもいいし、よくTwitterとかで見かける、同人誌の感想シートみたいなのでもいいし。
それをクリエイターさん側が作るのか、依頼者側が作るのかって話にもなるけど。
感想書きます!と募集しているからには、クリエイターさんなりの感想論というものがそれぞれあるはずなので、それが分かる何かがあらかじめ提示されていたら、依頼者としても自分の欲しいものにマッチしたクリエイターさんを見つけやすいし、お願いしやすいんじゃないかな?
とはいえ、提出されたものによって、出てくる感想もバラバラにはなるだろうから、一概にテンプレ化もできないのかもしれないけどね。
あと、感想どころかふつ~~~に校正とか校閲的な指摘をしてくれるクリエイターさんもいて、(これは、私が忌憚のない意見を要望したこともあるとは思うけど)、入稿する前に校閲をお願いするのはありありのアリだと思いました。
多分、私は継続的にそういう使い方をすると思う。
そもそも、お金を出して感想を書いてもらうってどうなの???と思われるかもしれない。
私も正直迷いました。
だって、ふつうに同ジャンルにいる人たちとは、互いの作品に萌えたら感想を言い合ったりするわけで??
もしかしたら相手は義理で言ってくれるのかもしれないけど、それでもそれはある種の好意(あるいは厚意)として、もしくはなんか言いたいから(萌えたから)という理由で言ってくれているわけで????
それなのに、お前は感想を「買って」喜んでいるのか!!!!そんなに感想がほしいのかこの恥知らず!!!と思われるかもしれない。
でもね、ジャンル者からの「自発的な感想」と、「対価を払って得た感想」では、なんというか、土俵が違う。全然違う。
うまく言えないけど、「高級懐石料理」と、「風邪ひいたときにお母さんが作ってくれた大好物のプリン」くらい違う。比べることなどできない。
どっちも違ってどっちも良い。どっちも良いんだ!!!
私はどっちも欲しいです。
内容は
②ファン層の変化
③ゲームに期待したい事
の3本です
=====
子どもっぽい暴言の多いキャラがなぜ受けたのか。理由としてオタク特有の2次元の悪口を言う女≒3次元の女友達との会話という感覚と幼馴染という百合受け属性が大きな部分でありましょう。
近年の総草食化に伴い女性と会話をした事の無い男性が社会的に増えています。オタクも例外では無くむしろ最たる一群と言えましょう。そういった社会経験の不足から悪口を親愛な相手への特別なコミュニケーションと捉えるのも無理はありません。現実では言われたことが無いため悪口を愛情表現=自分への好意と捉えるオタクの自己肯定感を満たし人気に繋がったのでしょう。とある配信界隈でも似た現象が見受けられます。
百合要素に感してはかなり分かりやすいのではないでしょうか。幼馴染というのは一言で表しにくいキャラ性を描いてきたシャニマスとしては珍しい記号的要素に思えました。
個人的には割と好ましくない動きです。一言で言うなれば「コンテンツが好きな自分が好き」な人達が増えたような気がします。つまりコンテンツの人気=自分の人気と錯覚し自己顕示欲を満たす人達です。他マスで言えばデレ総選挙のナターリアや工藤忍の宣伝事件がわかり易いでしょうか。こういった人達の増加はコア層の減少や新規のハードルを上げ排他的にしてしまいコンテンツやキャラ人気衰退を招く危険があります。ナターリアは宣伝があった去年こそランキング9位だったものの今年は圏外となりました。歪んだ自己顕示欲が招いた結果と言えます。
シャニマス内で言えば本スレなどで唐突に長文(的外れか如何を問わず)キャラ解説(もどき)を始める所謂「怪文書」や鳥や5ch等の特定のコミュニティでしか通用しない題材を外部で常識のように語る人達のことです。個人的な見分け方としてはゲーム内イラストをアイコンに設定している鳥ユーザーはそういった傾向が強い印象にあります。
研修の充実等当初は無かった要素が実装され徐々にだが初心者のハードルは下がりつつある。しかし開始当初の手持ちの無さは如何ともし難く今なお高いハードルです。個人的にはサービス開始から10日間は毎日1回無料10連ガチャが引ける等の救済があればと思います。最初から「よし課金するぞガチャ回すぞ!」とゲームを始める層はごく稀ですし門戸拡げる一環としても良いのではないでしょうか。
現在限定ガチャの確率は0.5%となっています。石が手に入れ易く天井も設定されているとはいえ他ゲーが大体同条件でも1%となっているのを見るとやはり低い。アイドルのコミュのクオリティを売りにしてきたゲームですしそのストロングポイントの売出しの為にもセレチケの頻度を増やす等でも良いが特に限定アイドルの入手手段は充実しても良いと思う。
シャニマスはまだ伸び代があるゲームだと思う(ゲーム性を除く)のでこのゲームにしかないストロングポイントの増強やユーザビリティの充実を図って行って欲しいと願っています。
校正と校閲は厳密には役割が違い、校正は乱暴に言うと原稿とゲラを読み比べて違いがないか確認したり、赤字が反映されてるかチェックする仕事。本の内容にはタッチしない。
単純作業だけに向いてる人と向いてない人の差が激しい。
一方、校閲は原稿を読み込み、間違いがないか確認をする仕事。文法的な誤り、作品内での前後関係の齟齬、出典チェック、歴史的事実まで含むことが多い。増田が念頭に置いてるのはこっち。
さらに言えば、外国語や医学関係など高度に専門的な分野はその筋の先生に「監修」してもらうのが常道。金はかかるが自分らの責任を軽減できるので編集者的には安心できる。
本来であれば原稿段階の誤字脱字チェックも校正ではなく校閲の仕事になるはずだが、実際の運用上はその辺はあいまい。校正校閲両方やる人もいればどちらか専業もいるが、それぞれ別々に頼む金銭的余裕は多くの出版社の場合、ない。
だから大目に見てね、というわけではなく、おかしなところ見つけたら出版社に連絡してあげましょう。めんどくさい読者と思われるかもしれないが、基本的には歓迎されるはず。なにより、重版時に間違いが修正されるかもしれないしね。
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。
はじめに
地方分権とは、戦後日本の憲法に定められた重要な項目の一つです。
国政と分けて、地方の事は地方の住民が決める。それは政府では対応しきれない全国津々浦々の問題を、その地方で独自に解決していくという道筋でもあります。
そしてそれは生活水準の向上と生活や社会そのもののあり方の多様化にも対応の道筋を残す、希望の憲法と言っても過言ではありません。
歴史を紐解けば、民主主義上での独裁政権の誕生では、地方自治体の選挙から勢力を拡大するという構図もありました。
また戦時中においては、地方自治という枠組みをなくし、政府の一括した管理化に置かれるという場面もありました。
そして現代においては、国政の議院内閣制の弊害である議席確保のため支持団体の利益誘導に奔る政治家の姿を生むに至りました。
政治の学問の世界でも、それは古くから指摘されている問題点です。
では国政政党とはどこまでをその意志の範囲とすべきなのでしょうか。
その自治体に住む住民一人ひとりの意志を一票で証明して、そして未来を決めていくものです。
選挙権は人権です。住民の意志で決めるを定めているのは憲法です。
その人権と憲法よりも国政政党の思惑は優越するものなのでしょうか。
「政党の意志」とはあくまで政治思想であり、地域住民の個々の意志判断よりそれを優先させようとする現代の通念は、
戦争や独裁政治の歴史的な反省に真っ向から対立する、異様な思い込みなのです。
現在、私達の日本国は、徹底して若者を未来への希望を抱かせない低賃金労働の社会へと追いやりました。
政党と連動する利益誘導を目的とする団体の思惑が優先されるようになりました。
その問題に途中で都知事や都議が気付き止めればよかったものを、取り返しの付かない社会問題になるまで放置されたのです。
それは国政の政権争いに付随する利益誘導を当たり前のものとする政治を、切り離されて然るべき地方自治体にまで及ばせてしまっているのが原因です。
国が悪い政治を行えば、その盾となるのは地方の自治体の政治ではないですか。
しかし国政政党の思惑に沿うばかりの政治家達は、その基本的な問題に対して取り組む事は無かったのです。
そうして最後に追い詰められるのは、利益誘導のために駆けずり回らされそして世間に問題が発覚した時にひたすら謝罪させられ責任を負わされる都の職員と、
多額の税金を払い続ける私達なのです。
結果として、オリンピックも多額の税金が投入されましたが、不透明な金銭の流れを追求する政治家は皆無で、国民は無給のボランティアで働かせられる事になりました。
若者を企業にとってひたすら都合の良いように低賃金で働かせる社会になった現在は、毎年50万人以上の戦時中のような人口減少を引き起こす日本となりました。
それでも政治家は、地方行政を利益誘導と国政の政権争いの踏み台にする事をやめないのです。
そしてそれは、この問題構造に気づこうともせず、政治家に利益誘導をしろと言い続ける有権者の責任でもあるのです。
私は若者が子供達が。これ以上自分のしている事に気づかない大人達の犠牲になる事は見過ごしていられません。
今こそ当たり前の事を当たり前に行う、私達の政治を行うべき時なのです。
それはシンプルに、憲法に則り人権の理念に沿った指針で動く、そうした立候補と政治の事です。
この問題解決の鍵は地方自治体の選挙である東京都知事選であり、思い込みの中で逃れられない大人達と子供達の未来を救うためのただ一つのチャンスでもあるのです。
東京都における公的資金を受けた事業に対し、その資金の流れを監視します。
対象は国また地方自治体に限らず、多重請負、不透明且つ複層化した外注などを行っていないか確認し評価します。
IOCと日本のオリンピック運営委員会に関わる利権構造を調査し、全て公開します。
東京オリンピックを機に、オリンピックそのものの健全化の実現を目指します。
(開催期間中に停戦を呼びかけるオリンピックの、権威性を後押しし支えるものです)
東京オリンピック以前以後と評価されるよう、オリンピックそのものを改革し、その名誉を東京都民のものとします。
コロナの影響下にあるオリンピック・パラリンピックは、なるべく選手達の希望を叶える方向として、実現に向けた動きをします。
感染拡大を防ぐため無観客や期間の変更を伴う計画設計に併せ、5GやVR等の技術を駆使した全世界へのネット配信等、放送収入の新しい形を提起します。
多様化と複雑化を続ける社会に沿った、新しい議会の形を提起します。
(常時発生し続けると言っても過言ではない社会問題のリアルタイムの可視化と各議員との情報伝達。議会での解決量の増加、二十四時間体制での情報収集と分析するシステムの構築)
全世界の思想良心身体表現の自由と尊厳を侵害されている人々が、東京であれば自由を謳歌出来る。そうした都市にします。
基本的に政治思想的ムーブメントには賛同や批判を行わない方針を取ります。なぜなら、行政とは問題に対する評価へのアプローチではなく問題の原因そのものに取り組むものと認識するからです。
動物愛護について
ペットショップにおける、保護動物の販売枠の取り決めを行います。関連した動物達へのケアや従事者との連携の拡充を行います。
殺処分を減らす取り組みと同時に、必ず件数を計上し政治的アピールのために実情を覆い隠さないようにします。
行政サービスを受ける上での簡略化(必要な書類等の確認や予約等を行えるアプリ)を目指します。
行政サービスを受ける上でハードルのある障害の方(発達障害を含む)に対するサポートの制度を設けます。
都議会の動き、各議員の動きなどを逐次そのアプリで追えるようにします。
東京都という自治体から国に対する要望の提出に付帯する、署名の投稿機能を設けます。
(スマートフォンとの連携で音声による予定の表示や、ゴミ捨て日、また納税等の手続きの予定や方法などを表示し、生活をサポートする機器です)
研修を受けた学生達が地方に帰った後、行政や議会に携わる際に応用できる基礎的な経験を養うのを目的とします。
氷河期世代の救済
全国の自治体と協調し実現する、失われつつある技術の保護を目的とした雇用の創設します。
都知事直下に氷河期世代以降の若者の救済を兼ねた、災害時、大規模イベント時の補助、その他必要に応じた対応を行う職員の枠を設けます。
当初は数名から始まり、目標としては五千人以上(上記の全国規模での雇用の創設に関連する、都の事業の従事者として)を目指します。
明確な人権侵害である。高齢化する引きこもり問題に対しては行政としての対応が拡充されるべきであり、人権侵害を平然と行う連れ出し監禁行為に対する徹底的な撲滅を図ります。
(東京都で働く方々をつらい状況に置いておく訳にはいきません)
海外からの渡航者に対する、性風俗利用時の性病検査証明書の提示義務を設けます。
少子高齢化の進む中、民営化は生活基盤の破壊に繋がりかねません。
30年から50年先の社会動向を見据えた、地方自治体の存続性の強靭化を図ります。
女性に関して
性に関する概念が多様化する社会における、女性が成人するまでの情報の複雑化への配慮として、女性に対する行政の相談機関や窓口を一元的に示す冊子を発行します。
貧困の救済
段階的な回復(カフカの階段を参照)を登る、住宅から就労までの一貫性を持った支援を行います。
徹底的な若者に対する低賃金化と繰り返される増税で、疲弊する都民国民の生活を守るため求めていきます。
交付された際の使い道
・妊娠出産から一定年齢に至るまでの支援予算(保育等に関連するものも含む)
・女性用シェルター、ホームレス支援など困窮者に対する緊急支援施策予算
原則公開。各議員に対する要望は同時に都に対しても文章で提出を義務化し、透明性を確保させます。
要望自体に対する評価は行わず、事実確認の資料としてのみ扱います。
同時に東京都知事に対して告発しなさい。推移を見守り、場合によっては声明発表や職場を用意し救済を行います。
コロナの現状と以降について
コロナ対策として各企業で実施された、労働時間短縮、リモートワーク、付随して発生した電車の混雑状況の軽減の維持を強く進めていきます。
流行が落ち着いた後の都内における経済活動の復調のための、都内観光業、飲食娯楽関連の支援と国内外に向けての宣伝を行います。
事務所の分散移転(西東京、多摩地区、近隣各県への事務所移転を促す)
満員電車問題の解決と同時に、感染対策と通勤時間等の労働環境の改善を目的とするものです。
全国の自治体と協調したスギ花粉対策。切って切って切りまくって、無花粉スギや環境に適した森林への転換に向け植えて植えて植えまくります。
国の協力が得られない場合、東京都民に向け(アプリを使用し)署名と個々人の要望の提出を呼びかけます。
クリエイター(アニメーター等)の生活支援。低賃金労働の構造的実態調査。
世界各国のアニメ、ジャパンエキスポ等への東京都としての出展。
東京都のふるさと納税の返礼としてのアニメ、漫画作品の作成(未完や続編が出ない作品など全国の市民に対する要望を集める)
表現に対するハードルのある国との、表現の自由の実現のための交渉。留学事業の実現。
有害図書指定に関連して発生した作者、出版社に対する損害の調査と、実質的な成果に対する見直し。
行政としての公正公平さについて
特定の人種あるいは国籍を掲げたキャンペーンに対しては中立の立場をとります。
転じて、地方行政特に東京という都市は人種国籍に左右されず「都民」として行政サービスを提供する事を宣言します。
性別、人種、階級等の制限を受けない人権の理念を参照する方針です。
性に関して
同性愛等の性的少数者などの枠組みに左右されない、人生のパートナーあるいは家庭のあり方に対する行政としてのあり方を模索します。
文化、法律、社会動静、哲学、宗教等、あらゆる性を規定する概念に対し行政は中立です。
市民がそれらの概念に関する闘争に、明け暮れ巻き込まれ人生を費やしてしまう事の無いよう、政治行政の制度設計や指針の提示などその役割を全うします。
選挙に関して
東京都内で行われるあらゆる選挙に関する、候補者に対する差別的な報道姿勢に対する規制条例を制定します。
後輩の指導を最近してる。作らせた技術レポートの校正をするようになって、文章力って大事だなと実感。
このそれぞれの区別がしっかりつけて書けないから読んだ時に混乱するし違和感を覚えてしまう。俗に言われる技術レポートで小説書くタイプに近いのかな。
他人に分かる文章を書けて、それを共有することが仕事ではいちばん大事なのかもしれない。しかもこの能力プレゼンとかになるとまた別物なのが厄介よね。
話ずれるけど、僕は詐欺師とかプレゼンのプロだと思ってるから尊敬してる。空気のように嘘をついて気持ちよく他人を騙せる詐欺師になりたい。ってか詐欺師って気分良くその気にさせるという価値を提供してるし高度な接客業なのでは(混乱)