はてなキーワード: セルビア人とは
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドがボスニアのサラエボでセルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。
この振り返りがなぜ大切かというと、一つの出来事がどれだけ大きな結果を引き起こすかという点で、現在の他の出来事を見るための視点を与えてくれるからだ。
それに比べると、現代のSNS上での出来事や感情の発露はささいなものかもしれない。
しかし、自己表現や批評の仕方には時代や文化の影響が大きく左右する。
例えば、江戸時代の浮世絵に描かれていた日常風景や風刺画も、多くの人々を楽しませ、また議論を巻き起こしたものだ。
現代のツイッターマンガも、それなりに私たちの社会を映し出しているのかもしれない。
他人の表現や視点に対して不快感を覚えることもあるだろうが、歴史を振り返ると、多様な意見や表現が存在し、それが社会の一部として受け入れられてきたことが分かる。
そして、それがどのような結果を生むのかを冷静に見つめることが大切だ。
冒頭、株主からは暫定13位に沈む現状の成績について「期待外れだ」「守備があまりにも脆弱過ぎる」等と厳しい声が出た。多良初徳会長は「現状に関しては我々もふがいない成績と受け止めている。皆様にはご心配、不満が出るのは当然であり、大変申し訳ない思いです」と謝罪しながらも「我々は上位浮上を全く諦めていない。今日、ここにいらっしゃる株主の皆様もロイブルファミリアの一員。皆さんと一体となって、成績を改善させていく所存です」と巻き返しを約束すると、株主は拍手喝采だった。
質疑応答では、夏場の補強について質問があった。中津真吾強化部長はセルビア人MFミリオヴィッチが近日中に合流すると明かしつつ「特にセンターラインは手薄だなと感じている。特にGKは怪我人がいて現状3人しかいない状況。攻撃陣も足りない部分を補強していきます」と、望月の負傷で手薄となっているGKとアタッカーなど国内外での補強を予告した。
また、ある株主からはJSプレミアリーグで最下位に沈むオレオレU-18など下部組織の停滞を嘆く声が聞かれた。あるサポーターは「昨年までの清水エスパルスのように、監督が毎年コロコロ代わる。下部組織は一貫性が無いように思う」と直球で質問。これに多良会長は「監督が代わる事でスタイルがブレるのでは?という声は確かにあります。しかし、我々は今のスタイルが本当に良いのかを考えた上で、常に何が正しいか、間違っているか考えながら、さらなる進化を目指してやっている。人それぞれの評価ですが、我々は信じた上で、監督を選んでいます」とした。
オレオレFCは7日、セルビア人MFミリオヴィッチを10日から練習に参加する事が分かった。獲得を視野に入れたもので、トレーニングで状態を見極め、契約するか否かの判断を下す。
ミリオヴィッチはセルビア出身の28歳。セルビアリーグやデンマーク、フランス2部でプレーした。192cm88kgの大型ながら足元の技術があり本職はボランチだが、スカウトによると、センターバックもこなすポリバレント性を併せ持ち、ヘディングの強さに加え、激しい守備とリーダーシップにも優れていると言う。
オレオレFCは現在13位。今季は7チームがJ2に降格する厳しいシーズンで、21試合で32失点と守備に課題を残しており、チームとして手薄な「ボランチとセンターバックができる選手」として、数年前からリストに挙げていたミリオヴィッチに触手を伸ばした。現在はフリーのため、夏の移籍期間を待たずに登録可能な状態だ。
西側諸国は、自国の侵略行為や二枚舌を無視しながら、他国を批判することしかしない。例えば、セルビア人による民族浄化を非難しておきながら、数々のセルビア侵略や、クロアチア人やアルバニア人による虐殺は無視されている。
アメリカとその同盟国は、長い歴史の中で多くの侵略行為を行ってきた。
例えば、アフガニスタン侵略は、数十年にわたる不安定と市民の苦しみをもたらした。
リビア侵略では、安定した福祉国家が崩壊し、国が混乱に陥り、多くの武装勢力が権力を争う危険な国となってしまった。
イラク戦争は、大量破壊兵器の存在という虚偽の主張に基づいて開始され、何十万人もの人々の死を招き、イラクは現在も混乱と貧困から抜け出せていない。
グレナダ侵略では、民主的に選ばれた政府が倒され、アメリカに従順な政権が設立された。
これにより、民主主義や人権は単なる口実に過ぎないことが明らかとなった。
アメリカは、歴史上、「悪の独裁政権を倒す」と声高らかに叫び、侵略行為を繰り返してきたが、
多くの例で民主的に選ばれた政府を倒し、独裁政権を支援してきた。
メディアは中国のアフリカ搾取を非難するが、西側諸国も現代においてアフリカから富を搾取し、戦争を煽り、無能な独裁者を支援し続けている。
西側諸国の企業は、アフリカの天然資源、例えば石油、ガス、ダイヤモンド、その他の鉱物を搾取し、現地のコミュニティを貧困の中に置き去りにしている。
また、西側諸国は不平等な貿易協定を押し付け、現地経済や農業を脅かしている。大国の自分勝手と大国による搾取が現地の発展の妨げとなっていることを皆は知らない。
多くのアフリカの指導者が、西側・東側の支援を受けた腐敗した独裁者だ。自国民を抑圧しながら西側諸国や東側諸国に富を差し出している。
現在、ウクライナでは、西側諸国とロシアが勢力争いを繰り広げており、ウクライナの都市や自然が破壊され、ウクライナ人が苦しんでいる。
西側メディアはロシアのプロパガンダを非難するが、自国のプロパガンダもまた垂れ流している。
Западни свет често игнорише своје сопствене злочине док критикује друге. Многе агресије на Србију и масакри које су извршили Хрвати и Албанци остају непримећени и непризнати. САД и њени савезници имају дугу историју интервенција које су резултирале уништењем и патњом.
На пример, инвазија на Авганистан је довела до деценија нестабилности и патње цивила. У Либији, интервенција је оставила земљу у хаосу, са бројним оружаним групама које се боре за власт. Рат у Ираку је започет на основу лажних тврдњи о оружју за масовно уништење и резултирао је смрћу стотина хиљада људи.
У Гренада, САД је срушила демократски изабрану владу да би инсталирала режим који би им био послушан. Ово показује да су демократија и људска права само изговори за агресију. Историја је пуна примера где су САД и њени савезници свргавали демократски изабране владе и инсталирали диктатуре.
Медији често критикују Кину због експлоатације Африке, али истовремено игноришу како Запад наставља да из Африке извлачи богатства, подржавајући неспособне диктаторе и потпаљујући ратове за своје интересе. Западне компаније искоришћавају природне ресурсе Африке, попут нафте, гаса, дијаманата и других минерала, остављајући локалне заједнице у сиромаштву. Такође, западне земље често намећу неповољне трговинске споразуме који угрожавају локалну економију и пољопривреду. Многи афрички лидери који добијају подршку Запада су корумпирани диктатори који угњетавају свој народ, али су толерисани јер обезбеђују приступ ресурсима.
Тренутно, у Украјини, Запад и Русија се боре за утицај, уништавајући градове и природу, док украјински народ страда. Западни медији критикују руску пропаганду, али су и сами део пропагандне машине која оправдава своје интервенције.
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……
「意見を異にしたり、理解できなかったりする人々にむけてあなたが提供できる、最もおしつけがましいことはなんですか?」
「さあ。なんですか?」
「その人々を治療すること。それが最初のHワードです。health」
「医療テクノロジーはスーパーノヴァ化直前です。さて、それほどの力はなんのために使われることになるでしょう?〝健康〟の維持、あるいは創出のためです。それでは〝健康〟とはなんでしょうか?最後のウイルスや寄生虫や癌遺伝子が跡形もなく完全に根絶されてしまったとき、そのとき〝治療〟の究極目的はなんになるでしょう?わたしたちがみな《エデン主義》的な〝自然律〟に運命づけられたなんらかの役割を演じ_「本来わたしたちが生物として最適化されている状態_狩猟と採取で糧を得て、三十歳か四十歳で死ぬこと_に回帰することでしょうか?それが究極目的なのでしょうか?それとも…技術的に可能なありとあらゆる存在のモードを切りひらくこと?その場合、自分は健康と疾患の境界を定義する専門家だと主張した人が…すべてを決める事になります。」
僕が言葉を返す。「そのとおりですね、健康という言葉は欺瞞をはらみ、意味はあいまいだ_そしてつねに議論の的になる」
「それで、もうひとつのHワードはなんなんですか?大きい方は?」
「ほんとうにおわかりになりませんか?ではヒントを。論争に勝とうと思ったら、考えうる最も知的に怠惰な方法とはなんでしょう?」
「答えをいってほしいんですが。なぞなぞは苦手なので。」
「論争相手が“人間性(humanity)”を欠いている、と主張することです。」
「これは最古の意味論的な武器です。さまざまな時代の、さまざまな文化において、“非人間的(non human)”というレッテルを貼られた多くの分野や人々のことを考えてみて下さい。よその部族から来た人々。肌の色が異なる人々。奴隷。女性。精神病者。聴覚障害者。同性愛者。ユダヤ人。ボスニア人、クロアチア人、セルビア人、アルメニア人、クルド族_」
ぼくは弁護するように、「人をガス室に送りこむことと、そのいいまわしをレトリックとして使うことは、多少は違うと思いませんか?」
「もちろんです。しかし、仮にあなたがわたしを、“人間性を欠く”といって非難したとしましょう。それがじっさいに意味するところとは?いったいなにをしたら、そんなふうにいわれるのか?平然と人を殺したとき?子犬を溺死させたとき?肉を食べたから?ベートーヴェンの第五番に感動しなかったから?それとも単に、人生のあらゆる局面であなたと寸分違わぬ感情をもてない_あるいは、もとうとしない_からですか?あなたの価値観と目標のすべてを共有できないから?」
クニン(クロアチア語:Knin、ラテン語:Tinin、中世ハンガリー語:Tinin、イタリア語:Tenin、セルビア語:Книн / Knin)は、クロアチアのシベニク=クニン郡に位置する都市。
クルカ川の源流近く、北緯44度02分18秒 東経16度11分59秒にあり、ダルマチア内陸部、ザグレブとスプリトを結ぶ鉄道路線の途中に位置している。
クニンは歴史上、2度おおきく注目を集めており、1度目は中世クロアチア国(medieval Croatian state)の首都として、そして2度目は国際的に承認されることのなかった短命の国家・クライナ・セルビア人共和国の首都としてである。
ザダル、スプリト、シベニクからの鉄道網はこのクニンを経て首都のザグレブへと結ばれており、交通のうえで大きな重要性を持っている。
プーチンが、ついにウクライナ内部に樹立された「人民共和国」の独立を承認した。
これは一連のウクライナ戦争において、今までで最も重大な回帰不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)だ。クリミア併合よりもその重大性は大きい。
クリミアとドネツク・ルガンスクの何が違うか。それは「戦争前の地位」だ。
戦争前、クリミアはウクライナ内部において「自治共和国」の地位を有していた。ロシアのクリミア併合は、このクリミア自治共和国が「クリミア共和国」としてウクライナからの独立を宣言し、その後ロシアとの併合条約を結んだ、という形式になっている(ロシアは連邦制の国であり、国内にいくつもの共和国がある。タタルスタン共和国やサハ共和国、チェチェン共和国あたりが日本では有名だろうか。したがってクリミアも、併合後は「クリミア共和国」としての地位を享受している)。
ある国家内の自治領域が独立宣言を行うこと自体はよくあることだ。たとえば、ソ連の解体も、ソ連に属していたウクライナ共和国やベラルーシ共和国といった連邦構成共和国がソ連からの離脱を宣言するという形で行われた。ユーゴスラビアの解体に際しては、スロベニア共和国やクロアチア共和国といったユーゴスラビア連邦内の共和国が独立宣言を行い、それを西欧諸国が強引に承認するということもあった。
もちろん、クリミアの地位は共和国よりも一段劣る「自治共和国」であり、ウクライナ憲法は国土の不可分性を謳っていたのだから、クリミアの「独立」が上の先例と並べられるかという疑問は出てくる。しかし、それに先立つ2008年に、自治共和国よりもさらに劣る「自治州」の地位にあったコソボの独立宣言を、コソボはセルビアの領土だと明記されたセルビア憲法に背く形で欧米や日本が承認した以上、「なぜコソボ独立はよくてクリミア独立は駄目なのか?」という反論にもそれなりの説得力があった(ウクライナ憲法は守らねばならないがセルビア憲法は守らなくてもよい、というのはセルビア人への蔑視や差別意識があると言われても仕方ないのではないか?)。
だが、ドネツクとルガンスクについては話が違う。これらの地域は、ウクライナ戦争前にはなんらの根拠も持っていなかった。ウクライナ共和国内のドネツィク県とルハンシク県に過ぎなかった(ウクライナ語のオブラスチは「州」と訳されることが多いが、「県」でも間違いではない)。戦争中に親露派武装組織――つまりロシアの手先――が占領した領土を「自治共和国」だと勝手に宣言したにすぎず、ウクライナは当然それらの地位変更を認めていない。
つまり、満州国だ。あれも、中華民国において確立された自治領域ではなかった。関東軍が占領し、溥儀を傀儡に立てて建国を宣言した。プーチンのしていることは関東軍と同じだ。
クリミア併合までは、「欧米が認めたコソボの独立と同じことをしているだけだ、それの何が悪い?」と、いちおうは国際法に則った言い訳ができた。ドネツィク・ルハンシク両県への軍事介入も、「あれは現地の武装勢力が勝手に騒いでるだけで、ロシア正規軍は何も関与していない」という白々しい建前をいちおうは貫いていた。ここまでは、色々とツッコミどころはあるだろうが、最低限の国際的な建前を意識した行動だった。
それが、ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立を認めたことで、ついに越えてはならない一線を越えた。他国の領土に勝手に樹立された政権を承認する。これは明白に国際法を踏みにじる行いだ。なんの言い訳もできない。ロシアは完全に無法国家になった。
もともとかの国に遵法精神など期待する方が無駄だったといえるのかもしれない。しかし少なくともこの半世紀、ロシアは国際法を建前としては尊重しようという姿勢を見せようとはしていた。その姿勢すら見せようとしなくなったというのは、やはり重大な転換点といえるだろう。
そして、世界には、「紛争によって勝手に宣言された自称自治州や自称独立国家」が多く存在する。今回のプーチンの独立承認は、それらにも影響を及ぼさずにはいられない。
真っ先に思いつくのは、沿ドニエストル共和国だ。モルドバ領内のドニエストル川左岸地域が、ソ連解体とモルドバ独立をきっかけに自治を宣言した。その後、独立を宣言し、ロシアが事実上の後ろ盾についてはいるが、あくまで国際的にはまったく認められていない。
あるいは、北キプロス・トルコ共和国の例を挙げてもよい。キプロス共和国内でトルコ系キプロス人の武装勢力が(トルコ軍の協力を得て)占領した土地を勝手に「共和国」と宣言したが、当然トルコ以外にはまったく認められていない(余談だが、国内に非承認国家を抱えた紛争中の国がEUに入れてしまったのは本当に制度のバグだと思う。ギリシャがゴネるから入れざるを得なかったんだよな……なお、国連が提案した南北再統合案を蹴ったのは南側な模様)。
もっと言うと、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、セルビア人勢力が占領した土地に勝手に「スルプスカ共和国」を建国した。現在、ボスニアにおいてスルプスカ共和国は連邦を構成する共和国として認められてはいるが、コソボと違ってその独立は承認される見込みがない。戦争前には存在しなかった国だからだ。内戦時にクロアチア共和国領内で樹立されたスルプスカ・クライナ共和国も、最後まで国際的に承認されることはなかった(なお、スルプスカ・クライナ共和国はクロアチア軍の大攻勢によって崩壊し、数百年にわたってクロアチアに居住してきたセルビア人が大量に難民として流出することになった。ザ・民族浄化の典型例である)。
ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立が、これらの紛争地域にどのような影響を及ぼすのかは何ともいえない。国際的な監督下に置かれ主権が制限されているボスニアの一部であるスルプスカ共和国や(現在のボスニアは高等弁務官が民主的に選出された政府高官の罷免権などを持っているので実質的にEUの保護国であり主権国家とはいえない。なんで国連入れたの?)、国連による再統合交渉が続けられ、かつ形式的にはEU加盟国の一部である北キプロス・トルコ共和国に与える影響は小さいかもしれない。だが、何も影響がないということはありえないだろう。
そして世界のどこかには、未来のドネツク・ルガンスクがあるはずだ。ロシアの行為は、それらの地域で独立を夢見る人びとにとっての範になる。本当に、越えてはならない一線だった。
なお、このへんの危うさを一番わかっているのが中華人民共和国である。かの国は、コソボもクリミアもアブハジアも南オセチアも、一切承認しないという態度を貫いている。チベット人やウイグル人に対してジェノサイドを行い台湾への締め付けを強めているだけに、一方的な独立宣言の恐ろしさをよくわかっているのだろう。もちろん中華人民共和国による少数民族への抑圧は決して宥恕されるべきではないが、しかしコソボの独立は認めながらアブハジアの独立を認めようとはしないどこかのダブスタ国家に比べれば、遥かに道理というものをわきまえた行動ではないだろうか。日本政府は今からでもコソボとアブハジアに対して一貫した態度を取ってほしい。
映像の世紀の再放送を見てたら、なんとなくまたこの映画も見たくなって、アマプラの有料レンタルで見た。ジョージクルーニーとニコール・キッドマンの奴。
当時から言われてたけどハリウッド映画とは思えない悪役のウェット加減に関しては、初見と同じ印象を受けたんだけどそれとは別にジョージクルーニーのキャラ設定ひどいな。これは当時なんで思わなかったんだろうと不思議なくらいジョージクルーニーのキャラがひどい。
物語の中盤あたりで、ジョージ•クルーニー旧知のエージェントみたいな男が、思いがけず殺されてしまい、ジョージクルーニーが追いつ追われつのカーチェスの後に、死にかけの殺害者を復讐とばかりに冷徹に撃ち殺す。そしてその晩ホテルで頭を抱えながらあいつには16歳の娘がいるんだって嘆くシーンがある。
かたや物語最終盤で、ジョージは、ニューヨークで核爆発を起こそうとしていたテロリストを追い詰める。そのテロリストが前述の通りやたらウエットで、特に映像の世紀のボスニアの辺りを見た後だと、何にも背景が描かれていない主演の2人よりも、このテロリストの方に視聴者は感情移入してしまう作りになっている。結局ジョージに追い詰められたテロリストは、「アメリカを代表とする大国の余計な手出しのせいで、共存しようとしていたセルビア人とクロアチア人は、めちゃくちゃに分断された。その分断の煽りで私の家族は突然殺害された。私の家族が死んだのは何故だ?息をしたからか?笑ったからか?昔の日々を返してくれ!」と悲痛な叫びをあげる。
ここで当然視聴者は、死んだ旧知のエージェントの娘のことを考えて、頭を抱えるシーンが前振りになってると感じる。どう伏線を回収するんだろう?ジョージはなんて言うんだろう、と息をのむ。
ジョージなんて言うと思う?眉一つ動かさず「お前らの戦争やん。知らんがな」と短く答えるんだよ。すげえな。どんなキャラなん?自分の友達が死ぬのはめちゃくちゃ悲しいけど、知らん人の家族が死ぬのは知らんがな、をなんの衒いもなく体現してる人非人。頭おかしい戦争バカの軍人をやり切って、自殺したテロリストの横でなんとか核爆発を食い止めることに成功し、被曝しまくったわりには、数日後、主演2人は健康そのものでミッション成功を祝ってビールでも飲まへんかみたいなシーンで映画は終わる。
なんなん?ジョージクルーニー、こんな頭おかしいサイコの役、よく受けたな。ていうか、これ作ってる側はサイコ野郎のつもりで作ってるんかな?それにしては演出がそんな感じじゃなかったな。アメリカ人は無自覚にこんくらいサイコですよって風刺なんかな。そんな感じもするけど、それにしては軽いタッチやな。なんなんやろこの映画。
最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html
「ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語、ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋の古典語である」(24頁)というのは、ちょっと世界史や地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。
ラテン語はギリシャ語やゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。
語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係が証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語でいくらでも情報が手に入る話なんだし。
「japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJapon(Japanのラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞形から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語のFranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。
少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前のときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html
「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官と将校(士官)ははっきり区別される別の身分である。日本語版Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官(low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級が士官か下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。
「セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipediaを確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございました。ロシア語の綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語のja=ロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語の綴りチェックしてないな?
最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます。
俺は男だけどそういう世界は見てみたい(自分は空気になったうえで)
ただ
そうなると今度は女女間差別とかが起こるんだよ、たぶん
(男だけの単性社会が実現しても男男間差別が絶対に起こる!!!!)
たとえば、性格が乱暴とか清潔でないとか「男っぽい」女性が差別の対象になるとか
ユダヤ人だけは可哀相な目にあったけど
多数派のふつうのゲルマン民族には夢のような理想郷だったかというと
そんなことはなく
「お前、祖父の代までさかのぼったら純粋のゲルマン人じゃねーだろ」
「お前こそ、曾祖父の代までさかのぼったら純粋のゲルマン人じゃねーだろ」
「お前こそ、曾々祖父の代までさかのぼったら純粋のゲルマン人じゃねーだろ」
「お前こそ、曾々々祖父の代までさかのぼったら純粋のゲルマン人じゃねーだろ」
と、際限なくゲルマン人同士で純粋を競い合ってマウント取り合う差別社会になったらしい
わざわざ定規で額の面積とか顎の長さとか測って
頭蓋骨の形が純粋のゲルマン人らしいかどうか調べ合ったとかいう
だから
世の中が女だけになっても
世の中がユダヤ人だけになっても
世の中がチベット人だけになっても
世の中がツチ族だけになっても
やっぱりその中でヒエラルキーはできるし、醜い権力闘争は起きると思うのね
でも、だから人間は汚いというニヒリズムを気取りたいわけじゃない
「男/女」とか「金持ち勝ち組/貧乏」とか「若者/老人」とか「漢民族/ウイグル人」とか「日本人/在日」とか「白人/黒人」とか「セルビア人/クロアチア人」とか
さまざまな強弱力関係が入り乱れて、絶対弱者も絶対強者もはっきりしない状態ぐらいが"比較的マシ"(最善ではない!)のではないかなあ、と思う
私は男だけど、女性専用車両には賛成。
痴漢被害が酷いというのは聞いているし(リアル知人とはそういう話をしたことはないけど、ネット上で上げられる声を聞いてると酷いというのがわかる)、トラウマになって女性専用車両しか利用できない状況に追い込まれる人がいるのも知ってる。
女性専用車両には今後も(気づかずに、あるいは忘れてうっかり乗っちゃった、とかはあるかもしれないけど、少なくとも意図的には)乗るつもりはないし、わざわざ乗り込んで反対運動やってる連中は頭おかしいんじゃねーのと思う。周りを威圧するとか、クズすぎでしょ。
痴漢という犯罪がなかなか撲滅されない現在において、女性専用車両という解決には一定の合理性があり、それで救われる人が大勢いるのなら、私はそれに反対しない。敢えて乗車して、トラウマ抱えてる人を怯えさせようとも思わない。
犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?
差別だとみんなが合意してるなら何も言うことはない。現状、男性が社会的に権力を持っている以上、この程度の差別は甘受すべきだという理屈もわかる。別の差別を漸減するためにより小さな差別は容認されるべきという主張もわかる。上で書いたように、私にはその差別に反対するつもりは特にない。
でも、「差別じゃない!」という主張が執拗に繰り返されるのはまったく意味がわからない。なんでそこを否定しようとするのか。差別だが必要悪である、でいいじゃん。多くの人(私も含む)はそれで納得するよ。なんでそこにこだわるの。上の「ある生得的な属性」に別の属性を代入してごらんよ。大問題でしょうが。男性が社会的には強者であるからこの程度は仕方ない、ってだけで、本質的には差別でしかないでしょ。
「差別である」という前提を共有できないなら、それは差別であると主張し差別解消のために強硬手段を採る運動にも一定の正義はあると見做さざるを得ない。
murasakizaru 事故が頻発してる道路をやむなく私有地にはみ出して通る人に「不法侵入ではあるよね?私は刑法犯ですって認めろよ、言えよ犯罪者」と迫る意味は?意図は?痴漢の利益の為に惜しみ無く情熱を注ぐ連中。
そもそも住居侵入だと思ってない人が大勢いるみたいだから、それが形式上は住居侵入にあたるよね、という指摘は必要では。
underd 「間違いなくその属性自体に起因する問題があるケース」は差別って呼称が妥当なのか議論の余地があると思う。そしてその状況では強硬手段に正義ありと見做さざるを得ない、とは思わない
痴漢って男性という属性に起因する問題なのか。知らなかった。痴漢を排除することはまったく問題にしておらず、痴漢をしていない多くの男性を排除することを差別的な扱いだと主張しているんだけどな。そして、その差別を是認するとも書いているよね。この差別には正当な理由があるから是認する、と言っているのに、差別じゃない! と言われるのは本当に困惑する。そう言われたらこっちも「これは差別ですよね」と言い続けるほかないわな。
shima2tiger だから何?女たちは男性を差別した上で安全な場所を得ているんだから、申し訳ないと思えってこと?性犯罪から身を守るためにそこまで卑屈にならなきゃいけないの?
差別は絶対悪であり、その構造の受益者はすまなそうにしているべきだという前提に立つなら、申し訳ないと思うべきなのでは。差別は時に必要であり、その受益者も堂々としていて良い、と思うなら堂々としていればいいんじゃないの。私は差別だとは言ったけど申し訳なく思えなんて言ってないよ。
nennoyuraku “ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す←シェルターとして女性車両を用意することがこれだとは到底考えられない。事業者が妥当な目的のため女性向けとした場所は公共の領域じゃないでしょ
すごい! 公共交通機関がその一部を「○○限定」にすれば公共の領域じゃなくなるんだ! その調子で日本人専用車両とかも作っていこうな。
sand_land 専用車は優遇=男性差別って認識なら少しズレてる。専用車=空いてて快適とは限らん。性犯罪被害遭遇率が下がる以外はほぼ普通車両と同じ。更にその性犯罪は尻に触る程度じゃない。下着やそれ以上弄るとか普通よ。
私は「性別を根拠にして犯罪者と同じ性別に属することを根拠として公共の空間への立ち入りが制限されるのは差別である」と主張しているのであって、「女性専用車両は女性優遇のVIP車両! ずるいずるい!」なんて言ってないし、性犯罪の深刻さも否定してないよね? そういう主張をする反対派がいることは事実だけど、少なくとも私はそんな主張をしていない。
その時は「あらゆる差別は悪であり即時廃絶すべきだ」派と闘えばいいのでは。私はこういう事情があるならこの差別は現状しゃーないな、って思うけど、どんな理由があっても差別を許せないひとというのは一定数いるので、頑強な反対派ってのは出てくるかもしれない。でもそれを防ごうとして「これは差別じゃない」と主張するなら、こちらも「いやこれは差別ですよね」と言わざるを得ないわけで。
kutabirehateko 日本での性暴力発生率は通勤通学時の交通公共機関が群を抜いて多い。避難所を利用しなければ通学も通勤もできない女性のハンディを無視することこそ差別だ。
「性暴力からの避難車両」なら差別じゃないんじゃない? 男女を問わず、性暴力に遭うことを恐れるひとであれば誰でも乗れる。結果として乗客が女性だらけになったとしても、当然それは差別ではない。仮にこういう運用がなされるなら私は差別だとは主張しないよ。もちろんその場合、過去に痴漢された経験のある男性も乗れるわけだけど、これは制度の趣旨からいって当たり前だよね。
それじゃ嘘をついて乗ってくる男性がいるかもしれないという懸念もあるかもしれないけど、痴漢されやすい外見などというものはなく、性暴力被害者を服装や外見で見分けることはできないのだから、それは仕方ないんじゃないの。
shin2rou アファーマティブアクションは差別ではないでしょう。どうしてそこのこだわるのかマジ意味不明。
アファーマティヴ・アクションはマイノリティを大学入学や昇進などの審査において「優遇」するという施策なんで、女性専用車両はアファーマティヴ・アクションだから差別じゃないって言ってるひとたちは「女性専用車両は、女性を優遇する車両である」と主張しているってことになるけど、本当にそれでいいんですかね。
ところでもちろんアファーマティヴ・アクションもやりようによっては違法な差別になりえるわけだが。カリフォルニア大学評議会対バッキ事件(Regents of the University of California v. Bakke)では、アファーマティヴ・アクションのせいで入学できなかったと訴えた白人学生が勝訴して入学してる。アファーマティヴ・アクションだから差別ではない、って、お前アファーマティヴ・アクションって言いたいだけやろ。
mionosuke 「区別」じゃね? 性的な嫌がらせを行いうる人達という区別が、男性か女性かで分けられたのだから。「差別」だとすると、差別をされたという被害者意識が生じる。
被害経験の有無とか性犯罪歴の有無とかで区切るなら(人権問題ではあるかもしれないけど)差別じゃないけど、一律に性別で区切ったらそれは差別に決まってるじゃん……。確かにいちばん多いのは男性→女性への性犯罪で、最も対策にリソース割くべきなのはそれだけど、男性→男性,女性→男性,女性→女性の性犯罪だってあるわけで。
kincity 巷に溢れる女性差別に対しては「他人の人権が毀損されても興味ありません」が「自分が差別されるのは実害なくとも1ミリも許せません」という人権意識の人らとは差別の定義が違うのだろうで、そこ争って何になるの?
この増田では書いてないだけで、私は選択的夫婦別姓賛成、女性の再婚禁止期間反対、婚姻適齢の18歳への統一賛成、プロチョイス、性犯罪の厳罰化賛成派ですが何か。
zyzy その理屈だと「黒人が白人追い出して独立国家作ったアフリカの国々も差別」って話になる。これ書くと「くにはさべつとかいったきちがいがぁ」ってのが沸くけど、それなら女性専用車両を差別というのもきちがいなだけ
ジンバブエのムガベ大統領が白人農場主の土地を没収した時は非難轟々で経済制裁までされたじゃないですか! やだー!
というか真面目な話、独立する時に白人を追い出したアフリカの国ってどれぐらいあるの? 私はアフリカ史には詳しくないんで教えてほしい。確かボツワナのセレツェ・カーマは白人との共存政策掲げてたし、ローデシアがジンバブエに変わった時も白人は追い出されてないし、南アフリカでアパルトヘイトが終わった後も白人は追放されてないよな。
そもそも、ある民族の独立国家を作るに際して特定の民族集団を追い出す行為は「民族浄化(ethnic cleansing)」という人道に対する罪なんだが。旧支配者層だから追い出していいってどこの国際法に書いてあるんですかね。コソボ建国に際して旧支配者層であるセルビア人への迫害を行ったアルバニア人指揮官は普通に戦犯法廷に訴追されてるし、ツチ族が植民地時代は優遇されてたっていう理由はフツ族による迫害の免罪符にはならんよな。女性の権利を重視する人がまさか民族浄化を肯定するとは思わなかった……
totoronoki この問題ってどこに着地したくて声を上げてるのかわからない人ばかりなんだよな。相手の論理的矛盾を指摘するのが楽しいだけなの? 男性専用車両が設置されれば差別問題は解消するよね?
「差別であることを否定するな」っていう着地点、そんなにわかりにくい? 「差別だけど必要悪だよね」が多数意見ならいちいち「これは差別だ!」なんて言わないよ。「差別じゃない」って強弁するひとがいるから「差別です」って言ってるだけ。あと男性専用車両も差別だよ……
sdtrd 差別だから廃止しろって強硬な主張と行動を行ってる集団が実際にいる状況で差別だと認めろって言われてもな。認めたら廃止しろって迫るんだろって思う程度にはネット上の男を信用してない。
運動上の都合で差別か差別じゃないかが決まるんだ……(困惑)。運動の都合で差別の定義を変えていたら、お前らの主張する「差別」なんてどうせ都合のいい定義なんだろそんなん信用できるかって思われても仕方ないのでは。どういう連中がいようが差別は差別、そのうえで容認できる差別かそうでないかを論ずるべきでしょうに。
tikani_nemuru_M 増田も結論部で「不当な差別」と「許容せざるを得ない差別」を分けている。ならば、前者を「差別」後者を「差別ではない」と言ったほうがシンプルで、子供にも説明しやすいだろう。よって増田の主張は不適当。
でも、それだとその2つが連続的な、同質な行為だということが理解できなくならない? 私は、子供に「男性の痴漢が多いから男性の入れない女性専用車両がある。これは差別ではない」と、「○○人の犯罪者が多いからといって○○人を排斥しようとするのは、不当な差別だ」ってどう違うの? って聞かれたら答えに詰まると思う。だってどっちも、一握りの犯罪者をもとにある集団を推し量る、っていう同じ行為じゃない。だったら、どちらも差別と認めた上で、差別を漸減させていくために何が必要かって話にした方がいいんじゃないの?
それに、2つを別々の言葉で扱うことは、片方を「あって当然で、解消しなくていいものだ」と捉えることにもなる。そうじゃない。痴漢が撲滅され、女性が何の不安も感じずに電車に乗る日が来るなら、女性専用車両なんて必要ない。それはあくまで、日常的な性暴力の脅威に対抗するために、やむを得ず認められている差別にすぎないんだ。それは差別と認識されるべきだ。いつかその存在が正当化されなくなる日が、目標にされるべきだ。私はそう思う。
というか、「自衛隊は暴力装置」発言が炎上したときは、「自衛隊の振るう力とヤクザの振るう力に根源的な違いはなく、また暴力装置であると指摘することは自衛隊員での侮辱ではなく、暴力装置と認めた上でどう統制するかが重要」というのが良識派の意見ってことになってたよね……? その見解を支持するリベラル派としては、何で同じ理屈が認められないのか本当に理解に苦しむ。
hyoutenka20 女性専用車両まで「差別」という範囲を広げるなら、今後一貫してその主張を通してもらい、ネットにあふれる民族差別や女性差別的発言にも是非戦ってもらいたい その前提の上なら「差別」とする人の考え方は理解する
増田だからなんの証拠も出せないけど、戦ってきたよ。民族差別にも女性差別にもセクマイ差別にも(はてブやはてダで)NOと言ってきたよ。その上で言うよ。これは(罪が無いかあるいは軽いだけで)差別だって。
keytracker こんな相手を不快にさせる事してたら、さらに溝が深まるだけだろ。こんな屁理屈捏ねるなら法で縛るようになるだけ。差別だと思うなら、信用されるように行動すべきじゃないのか?日系人はそうやって信用勝ち取った
日系人がどれだけ怠惰で鼻持ちならない連中であったとしても日系人排斥や日系人強制収容や排日移民法は差別でしょ……まさか女性の権利を主張する人が差別される側に努力を求めることを肯定するとは思わなかった。
ueno_neco これまで「差別」という言葉は部落差別とか黒人差別のように使われてきたわけで、それらと並列の表現をするのに違和感あって当然でしょ…。女性専用車設置理由は痴漢であって、女性による男性差別じゃないでしょ…。
でもやってることは同じだよね、というのが指摘の趣旨だよ。「○○出身者は犯罪率も高くて危ないから○○出身者は(犯罪歴の有無にかかわらず)入社させないようにしよう」が差別なら、「痴漢の多くは男性なのだから男性を(痴漢だろうがそうでなかろうが)特定の車両に乗せないようにしよう」も差別でしょ。
もちろん、これは「○○出身者はなんか汚らわしいから嫌い」「○○人は劣った民族だから排斥すべき」とは違った行為だ。そういった偏見のみを「差別」と呼ぶのなら、確かに女性専用車両は差別ではない。ただしその場合、「女性は中途退社する割合が有意に男性よりも高いので、女性を管理職候補にはしません」も差別ではない、ということになってしまうが、本当にそれでいいのか。私はそれは不当な差別だと思うし、それを差別ではないとする主張は詭弁だと判断するが。
ところで、私は「女性による男性差別」とは一言も言ってないような。当然この場合、差別の主体は鉄道会社であって、女性客ではないよね。
痴漢被害に遭遇したことのない女性あるいは傍観者だった女性(あくまで仮定上の存在ね)が入れて、痴漢被害者の男性が入れないのは、被害への措置として不適当だよね。上で書いたけど、被害に遭った/遭うことを恐れるひとなら性別を問わず誰でも乗れる、そのかわり女性でもそんな恐怖を感じていなければ乗れない、なら差別と言うつもりはない。
あと、救済措置であることと差別であることは矛盾しないよね。救済という大義のための必要悪として差別を許容するという趣旨の文にそんなブクマされても……
「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的に差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。「私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
(※地下猫さんの指摘を受けて訂正。この部分は、あくまで「犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為」であることを前提に、それは私企業の行為だからとか区別だとかいう反論が来ることを想定して、その理屈はだめでしょ、と言ったつもりだった。言葉足らずで申し訳ない。ここは誤解されてもやむなし)
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。