はてなキーワード: シャッフルとは
オフィスに出社して、オフィスの同僚と少しずつボードゲームを進めていけると楽しいのでは?
以下の条件に当てはまるボードゲームがあったら教えてほしいです。
パンデミックとかで試してみるか。
凄い。
トランプを引くだけのギャンブルは本当にただトランプを引くだけで誰もセカンドディールみたいなことはせずただ全員が淡々と引いてくるから驚く。
おかしい……普通こういう展開になったらこっそり数枚引いてるやつや持ち方で数字をごまかすやつがいるはずだ。
コイン入れも最初の調整が適当すぎて完全な運ゲーになっている。
ありえない……脱脂綿も傾けもないし表面張力を見破って途中で一気に加速させるやつもおらずビンゴゲームでただ数字を待っているようなものだ。
神経衰弱にてようやく運以外の要素が絡んでくるが……ただ記憶力が絡むだけだ。
シャッフルを戦略的に使うこともなくただ誰かが当てそうになったら妨害するだけで終わるので本当に凄い。
最後のロシアンルーレットは流石に物理的な重さとか回転回数とかで何かをやると思っていた……思っていた……信じられない……。
この映画は本当に凄い。
ギャンブルが運任せというよりも、やっている連中が運任せなのだ。
生死のかかった極限状況の中で、生き残るために尽くす最善がただ祈ることと神経衰弱のカードを覚えることぐらいだ。
ギャンブルを扱う作品とは究極を言えばイカサマと駆け引きを扱う作品だ。
そこで誰もイカサマをしなかったら何が起こるだろう?
もう何も起こらないのである。
すごい映画だ。
だがこの映画に描かれる「死にものぐるいで最善を尽くす気はないが、俺は運よくうまく凌げるはずだ」という多重債務者特有の思い込みはカイジ以上に描けているのではないか?
カイジシリーズに出てくる債務者は逆転を目指して努力をしすぎている。
そのガッツがあるならもっと早く頑張ればよかっただろと言いたくなる。
それよりも「人生逆転ゲーム」の語る多重債務者は最後までまともに努力なんてしないで全部運任せだよだってそういう奴らだものという態度はより強い説得力がある。
凄い映画だ。
単に借金まみれのクズにトドメをさすためだけなのに大規模な施設なんて不要と言わんばかりの態度だ。
世の中には世界を牛耳る巨大な黒幕がいるというギャンブル漫画的世界観からほんの少しダウンサイジングするだけでグっと世界に生臭さが増す。
これは凄い。
本当にこういうことが起きているのではという説得感では本家を上回っている。
圧倒的低予算で作られているのだから本家に一つでも優ればもう十分だろう。
すごい映画だ。
const list = [0,1,2,3,4,5,6,7,8,9]; const a = list.splice(Math.floor( Math.random() * 10), 1); // 0~9のインデックスをランダムに得てそのインデックスの値を取りだす、その要素を配列から削除。 const b = list.splice(Math.floor( Math.random() * 9), 1); // 0~8のインデックスをランダムに得て(ry const c = list.splice(Math.floor( Math.random() * 8), 1); // 0~7の(ry
・少なくとも、スマホの主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈の余地あり
・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。
・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。
■本作は五重構造になっている
②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジで映画作る主人公
あとは無数の映画のオマージュ、それから作者の過去作や実体験も重なってくる。
身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチは現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやすく表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。
■①
最初は主観視点でスマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画の王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?
18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます。
P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。
■②
P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホで隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初の作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用。
★"母親の死を冒とく"”あんな映像流して母親に申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"
続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画の文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列が編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムでスマホで撮った映像と、後撮りした映像がシームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。
P39、作中で言及されている通り本来は眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像をソフトで編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生の技術力を考えるとBかC。
P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブ。ファイトクラブは、本作のどこまでが現実で空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一の批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにもメタ構造のネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。
★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。
P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身が過去に編集と似たようなやりとりしてたことを過去のインタビューで語っていた。
★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機が主人公の口から言語化されている。
★P82で、作品のテーマである"ファンタジーをひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。
P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写に編集のウソが混ざっていることが明示される。
★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画をバカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼が死ぬシーンの説明。
P87で絵梨が意味深に沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公の提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86も過去回想シーンのため、編集。
P90~P93もそう。意図的に沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女の沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやすい表現で、電子掲載の特性が生かされていて良い。
★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。
前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。
P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親に作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的にネタにしてアピールすることで、ネタにマジレスを防ぐと同時に、この作品のテーマの一つである虚構と現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。
★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"
ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。
P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。
P108。最初の出会いが病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気の存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。
P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画的表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。
P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。
★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"
ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。
P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。
■③
P151にて場面転換。
P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。
P164、ここから主人公のモノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらないからカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像が流れるのかな?
P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。
■④
P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作→現実へメタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼は実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼は映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。
★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。
映画のタイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス、定番のネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。
★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?"
恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。
★P191、最期の作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"
作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり、映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し。最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。
P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品が予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。
すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体を作品にしてやろうというところなのではないか。脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。
引退理由としては今回のイベントでダブフェが解散しなかったこと、運営にもオタクにも嫌気がさしたこた、今回のイベストがこれまでのこはくと矛盾していたから。
1つ目は、正直今回のイベでダブフェ解散だろうな〜〜〜〜と期待をしていたから余計にダメージがデカかった。今回のイベントでこはくへのヘイトも少しは収まるだろうしグッズもゲームも2倍お金かけなくて良くなるしクレビのこはくだけが見れるんだ〜、これから楽しくあんスタできるぞ〜!と思ってたんですよね。残念ながらそんなことはなかったから引退なんですけどね…。
2つ目、まずは運営の方から。これまで暗夜行路、シャッフル黒雪と問い合わせてきた。内容としては、ダブフェの扱いとこはくのカード数、暗夜行路に関してイベストの内容について点を問い合わせてきた。そして今回の春宵一刻でもこれまでのストーリーとの矛盾やMaM・DFの扱い、こはくの声優に関しての問い合わせをした。当然全てテンプレートでの返信。貴重なご意見ありがとうございます、運営チーム内で共有させていただきます…とのこと。
MaMやDFの扱いに関しては100歩譲って今後の展開のことがある(まあそもそも誰もDFの展開を望んでいないと思うけど)から答えられないというのはわかる。けどキャラクター間でのカード数格差や、シナリオの矛盾などについては何かしら答えられるんじゃないですかね。というか1つのユニットが実質消えてる状態なのになんの説明も出来ないって何???山ほど問い合わせ来てるんじゃないですか???
納得出来なくて返信をしても一方的に切り上げられそこで終了だしまあそもそもユーザーの意見とかどうでもいいんだろうな〜。儲かってるしね。
オタクに関しては、もともとやばいオタクが集まってるってことは知ってたし最初は気にしないでいたんだけど、Twitterの推しの名前のサジェストが荒れ出したら当然チラつく。ただ、それは運営のこはくの扱いのせいだし当然そういう声が出てきても仕方がないと納得していた。残念だったのは、その不満をこはくの声優にぶつけてあらぬ噂を立てたり本人のツイートを引リツし声優本人と声優のファンの目につく場所で悪意のあるつぶやきをするオタクがいたこと。それ声優に言うことじゃないやろがい。
あと、運営には流石に問い合わせしないけどこはくキモいわ〜みたいなこと言ってるオタクがいたこと。いや問い合わせしろよ。扱いも扱いだしキャラクターにヘイトが溜まるのもわかるけどまず先に運営じゃないの?
この件で、あんスタがどれだけ炎上しても運営が何も改善されない理由の1つはこれなんだなぁとなんとなく思った(そもそも単純に人気も売上もあるのが1番の理由だと思うけど)。文句はある、不満もある、けど運営が悪いんじゃなくてキャラクターが悪いってなるんだもんな。そりゃああんスタやってない時でも定期的に情報が流れてくるくらいには炎上が当たり前のジャンルなのによく続くわけだ。
3つ目、今回のイベスト。まず1番残念だったのは今回のイベストでこはくがやだやだDF続けたい〜ってなっていた点。そもそもこはくはシークレットサービスでMaMとDFの統合に賛成していてこれからも活動したいってスタンスではなかったはず。こはくの意見が180度変わっててもはや別人。最終話でいきなり生えてきた桜が嫌い、気持ち悪いって設定もいやフィーチャーは!?専用衣装!!!となった。全然出てくれなくて困った、引けた時は超嬉しかったあのカードはなんだったの?
去年の公開されたイベントやスカウトのストーリーと今年のイベントのストーリーでここまでキャラクター変わることあるんだ…って思いました。シナリオライター同士擦り合わせとか出来てないんだろうなあ…いやまあ出来てたとしてもメインライターもアレだしなあ…
そんなこんなでもう悲しいとか辛いとかじゃなくて、もはやあんスタってなんか(色んな意味で)すごいジャンルだなぁ〜と今思っています。人気なソシャゲって全部こんな感じなんですかね。
とりあえずもうソシャゲはしばらくやらない…と思うけどどうせすぐ色々手を出すだろうしハマってもほどほどに、推しとか作らない程度に楽しめたらな〜と思います。
始めたと言っても去年のことだが、こんな感じだったなあという備忘録みたいなものだ。
長いので要約するとMTGが難しかったのでデュエマに乗り換えたという話である。
去年の秋頃、彼氏がMTGアリーナにハマっているのを横目で見ていたら対戦相手に飢え始めたのか、ちょっと始めてみない?と持ち掛けてくるようになってきた。
そもそもオンラインゲームで対戦相手に飢えるってどういうことだよと思うかもしれないが、どうもオンラインでは使えるカードの中で一番強いものとそれに対応できるカード以外の居場所がないようで、せっかく考えたカードのセットでもそのどちらかに当てはまらなければ瞬く間に負けてしまうらしい(今なら多少わかる)。
そのうえ顔も知らない人間にカードのパワーだけで殴り倒されるのは精神衛生上よろしくないようで、カードゲームやるくらいで喜ぶならいいかと思い軽く初めてみることにした。
じゃあはい、と60枚の紙の束が手渡される。これは言わずもがなデッキである。
余談だがこの60枚の紙の束に、カードゲームプレイヤーは持ちうる全ての矜持を注ぎ込むため、負けた時の怒りや屈辱は計り知れないものになるらしい。カードショップで叫んでいる人がいても、あの人は自身のプライドを傷つけられてどうしたらよいのかわからないのだと思うとつい同情してしまう。
さて、私が矜持を託すことになるこのデッキだが名を「シルバークイル(白黒)」というらしい。その名の通り、「シルバークイルの学舎」なるカードが入っており、そこへ集う「優秀な学徒」や「戦闘学の教授」たちが戦ってくれるらしかった。
だがそんなことは正直どうでもいい。何故なら私はこのデッキで負けて以来二度と彼らに矜持を託すことは無かったからだ。
ざっとルールを聞いてあとは流れで。デッキを机の左隅に置いて、そこから7枚引く。これが自身の手札で自分の使ってよいカードになる。うきうきでカードを7枚引き、さてどうしようかと思っている私の目に驚愕の光景が飛び込んできた。
沼、沼、沼、平地、学舎……あとは覚えていないが、とにかく手札のほとんどが人ではなかった。なんなら3枚は白骨化していた。
上記のように沼や平地といった環境、学舎といった建築物を指すカードを土地カードという。これがなければ学生や教授は相手を攻撃するどころか立つことすらままならない。
しかし、土地だけがあっても使う者がいなければ持ち腐れである。私はその後3、4ターンほどひたすら手札の土地を自慢し続けた挙句敗北した。
このように手札に使える人材が来ないことを俗に手札事故という。シャッフルは十分にしたはずだがさすがに60枚となると厳しかったのか、はたまた純粋に運がなかったのか。
手札事故が起こってしまった場合引き直しをすることができたのだが、当時は若く、まあこれでもなんとかなるだろうと思い黙って進めてしまったのだ。土地を不本意に所持している場合はすぐ専門家に相談すべきである。これは現実もMTGも変わらない。
そんなしょうもない初心者あるあるで負けたわけだが、私の心にふっと湧いたものがあった。悔しさだ。かなりあけすけに言うと「運勝ちのくせに喜んでんじゃねえぞボケ」と思った。何も知らないのに心だけはすっかりカードゲーマーである。
どんな初心者だろうと負けるとわかっているゲームはやりたくない。特にデッキが同じレベルであればあるほど経験の差が勝敗を大きく分けることになる(まあ今回は運負けだが)。加えて、少なくともMTGは私のようなカードゲームの素養がひとつもない人間が最初に触れるには少し難しすぎたように思う。
もういいかな……と若干引き気味でお開きとなったのだが、これ以降彼氏の目的が徐々に「良い感じにデッキを回す」から「初心者と楽しめるカードゲームを探す」ことにシフトしていった。
そんなある日私に40枚1組のデッキが渡されることになる。デュエルマスターズの主人公が使うデッキ、「ジョーのスター進化」だ。
「ジョーのスター進化」には「ヘットルとフエートル」とか「ツタンカーネン」とか「ドツキ万次郎」とかいうトンチキな名前のモンスターが多く入っている。そんなトンチキ共が力を合わせてトンチキ総大将「ボルシャック・大和・モモキング」を出して勝つのがこのデッキらしかった。すべて個人の見解である。
ちょっと難しくてもやっぱりMTG続ければ良かったかな~などと思いつつちょこちょこ触っていくと、これが結構面白いということに気がつく。
まず、デュエルマスターズ、通称デュエマには土地という概念が存在しない。それは土地のようなカード出すための下地的な概念が無いわけでは無く、全てのカードが土地だからである。ただ、モンスターたちがいきなり土地になったらびっくりなのでマナという言い方をする。
生産者と消費者は別人でなければいけない、みたいな固定概念があったおかげで余計に感動した。土地とモンスターの性質を併せ持ってもいいのか……。
なので何ターンもこれは出せないなーとか土地しか出せないなーなどとやることはまずなく、大体もう一度自分の番が回ってくる頃には何かしら出せるのだ。やってる感があって楽しいし、一枚出ただけなのに相手が何やら考え出すのも面白い。
彼氏は主人公のライバルポジション的なキャラクターの「ジェンドルのディスペクター」を使い、1勝2敗。まあまあいい戦績ではないだろうか。すくなくとも何が起こったかわからないうちに殺された時よりかはずっと良かった。
とはいえトンチキ共に矜持を預けるわけにもいかないのでその足でカードショップに向かい2人で30円カードをガサついてデッキを作った。というか、私はチュリスが使いたいと言っただけなので作ってもらったと言った方が正しい。2000円くらいだった。
そんなこんなで去年の冬にできたデッキだが、未だにカードを入れ替えたりして遊んでいる。この間はバラモルドが3体出てきてチュリスを消し炭にされて負けたが、絵面が面白かったからオッケーである。
最近はハンデスデッキを作るぞと息巻いてジェニーを集めていたのだが、次のパックで新しいジェニーが出るようなのでそれもまた楽しみだ。
これからもぼちぼちやっていこうと思う。
にじさんじにクラスターが発生してライブが中止になった時、TLに流れてくるVTuberの謝罪ツイートを見て軽いなぁと思っていた
あれだけのイベントを潰しておいて、クラスターを発生させてニュースにまでなって、大の大人がする謝罪がこれかと
でも今になって思うと、感染した人達の謝罪なんてあれくらいでよかったんだよなぁ
にじさんじのライブ中止とほぼ変わらない時期に、推しグループのライブが中止になった
それはライブ開催当日の昼頃に突然決まり、中止の理由は「メンバーAの抗原検査陽性」だった
そのグループはこのご時世でも、チェキ会、お話し会、全国行脚のライブ、グループシャッフルライブ…と盛んに行っていた
で、この時中止になったのは、規模の一番大きいグループシャッフルライブだった
すでに現地入りしていた人でさえ「中止は残念だけど観光楽しんで帰るよ!お大事に」というようなツイートをしていた
Aの所属するグループ以外のライブ参加者も、次々とAを気遣うコメントを投稿した
あったかい、民度が高い、すぐにメンバー叩きが始まるVTuberとは違うと誇らしげに思っていた
翌日夜、Aのコロナ感染が確定し、Aにより謝罪ブログが投稿された
それを読んで泣いてしまった
当然、自分の所属するグループ以外にも迷惑をかけた、事務所にもファンにも損害を与えてしまったという気持ちはあるだろう
しかし、Aがコロナに感染したのはどう考えてもAのせいだけではない
このコロナ禍でAに仕事をさせていた事務所と、それを望んだ私達ファンだ
VTuberのように「ごめんね!でも元気だから大丈夫!またライブで会おうね!」そう書ける環境のほうが、ずっと幸せなんじゃないだろうか?
去年のベストセラーとかなんとか。
配信されてないマニアックなやつをスマホの機能で歌詞表示しながらiPod化できるようで、
感心したのがDVD-Rに巻き戻しバックアップできること。形式はFLACとかAACかな。
https://www.buffalo.jp/product/child_category/sp-removable-drive.html
バッファロー、スマホに直接CD取り込む「ラクレコ」に有線モデル
酒井隆文
バッファローは、スマートフォン用CDレコーダー「ラクレコ」に有線接続のケーブルモデル「RR-C1-WH」を追加し、12月上旬から順次発売する。価格は9,900円で、カラーはホワイト。
ケーブルモデルにはLightning/USB Type-C/USB Micro-Bケーブルが付属
パソコン不要で、iPhoneやAndroidスマートフォンに、音楽CDから楽曲を直接取り込めるスマートフォン用CDレコーダー。ケーブルモデル「RR-C1」シリーズにはLightningケーブルとUSB Type-Cケーブル、USB Micro-Bケーブルが付属し、スマートフォンと有線接続して音楽を取り込める。
ケーブルモデルと発売中のWi-Fiモデルと機能的な違いはないが、iOSの対応機種が異なり、Wi-FiモデルはiOS 11以降、ケーブルモデルはiOS 13以降に対応する。
取り込んだ楽曲は、音楽プレーヤーを兼ねた専用アプリ「ラクレコ」を使って管理ができる。楽曲のアルバム名や曲名、アーティスト名、ジャケット写真をインターネットから自動取得でき、煩わしい情報入力も不要。
インターネット接続があれば歌詞表示も可能で、対応楽曲では、再生しているフレーズに合わせて歌詞の色が変わるため、カラオケの練習にもおすすめという。
再生機能としては通常再生のほか、リピートやシャッフルも用意され、楽曲間の継ぎ目が気にならないスムーズな再生もできる。
60分CDの場合、取り込みにかかる時間は5分以下。取り込み時の音質も、CD音質(FLAC)から最低容量(AAC 96kbps)まで、好み・目的に合わせて選択可能。さらに取り込んだ楽曲は「DVDメディアバックアップ機能」により、取り込み用ドライブを利用してバックアップできるため、機種変更時もパソコン不要でデータが移行できる。
またラクレコでCDを取り込むと、Billboard JAPANの「ルックアップ」チャートに集計されるため、「『推し』や『自担』の応援にもつながる」という。
最大消費電力は5.5W。外形寸法は突起部を除いて145×168×17mm(幅×奥行き×高さ)。重さは約350g。ACアダプターやバックアップ用DVD-Rなどが付属する。