はてなキーワード: 大親友とは
ふとした瞬間に「酒が飲みてぇ〜」と思うことがある。5年前の自分なら考えられないことだ。
しかし下戸は変わらないので量が飲めない。具体的にはビールならグラス2杯で顔真っ赤。そういう当方にとって市井で提供される酒の量はだいたいいつも多めと感じる。
・ビール:一番メジャーな提供方法がジョッキという量多族の鉄板。乾杯すると他の酒が飲めなくなるので基本あまり好きではない。500mlって普通の飲み物でも最後らへんちょっとダレてこない? 2杯以上飲める人はすごいと思う。
・日本酒:1合はとても日本人に合った量だと思う。ただ追加で枡になみなみ注がれると厳しいというか、あれってガブガブ飲む用の注ぎ方だよね。ビールよりスイスイ飲めるかと思いきや意外と腹に溜まる選手権金賞受賞。
・ワイン:当方も蘊蓄を蓄えたいが一食あたり一杯半くらいが限度のためたぶん一生蘊蓄は貯まらない。度数の割に提供量が多め。割る手段に乏しいのもしんどい。
・焼酎:大親友。まずどんな頼み方をしてもだいたいグラスで出てくるのが偉すぎる。ちょっと冒険したい時はロックでちびちび香りが美味い。摂取量を抑えたい時は水割りソーダ割り。それでいてなんとなく酒飲んでる感も演出してくれる気がする頼れるやつ。
・ウイスキー:焼酎と同じ楽しみ方ができるが焼酎よりちょっと度数高いことが多くて同じ楽しみ方をすると撃沈するトラップ的存在。これも度数の割に提供量がちょーっとだけ多め感がある。
・バーテンダーに作ってもらう系カクテル:提供量が少ないことが多く美味しいからたくさん頼みたいんだがだいたい度数が高い酒をベースにしているので一生メニュー制覇はできないであろう。当方はディスカバリーが好きです。
2023年8月10日に5歳の息子に誘われて始めたポケモンGO
ようやくPL40に到達した。
最強トレーナーの皆様からすればまだまだとお叱りを受けるでしょうが
オートキャッチ無し、ほぼ無課金(ウソ)でここまで来たことをご報告致します。的な
本題はそれではない
孵化アクセスはギフトの枠が増える、そしてギフトはPL上げに効率が良いとの判断
現在フレンド数は大親友到達を除き100人前後で回している、大親友到達は12人
フレンドはレイド招待で増やしている、あっちから来ることもありほぼ承認
フレンドレベルを上げるには双方どちらかがギフトを開封しなきゃならないよね、
(レイド参加すると偶発的に既フレンドと重なり親密度進行することもあるが例外として無視する)
で、悩んでいるのはどっちが開けるの問題
フレンドリストではどちらかが開封済みなら水色の枠で判別できる
俺の基本運用は、毎日0時を過ぎたタイミングで届いているギフトを全部開ける
稀に、こちらで開封済みで親密度進行しているのにあちらでも開封する人がいるが
で、だ、結局フレンドの状況や運用は人によって千差万別なわけだ
つまりフレンドをほとんど登録していない、積極的に使って無い人も大勢いるだろう
そういう人は開封枠なんて気にせずにギフトが届いていたら機械的に開けているはずだ
で、機械的にお返し
ではでは、相手方をプロファイリングして、こいつは送る一方で良かろう、
みたいな判別を緻密にすればギフトの運用効率はさらに上がるんじゃないか
ポケモンGOからデータを抜いてExcelで管理できれば自動化と可視化できるのだけど、それに必要なAPIは公開はされてない
フレンドリストの画像からテキスト化してデータ化、これはさすがに手間もかかるし技術的制約も大きい。
どーすりゃいいの?
さすがにこの人数は覚えられない
なお、大親友到達のタイミングはしあわせタマゴを考慮して相手様に委ねている
俺はガチ勢ではないのでどうぞそちらでお楽しみくださいです
とはいえ、こいつ分かってねぇ奴判定してる人はもったいないのでこちらで使わせて貰っている。
この辺のノウハウや作法はググれば先人の知見にたどり着くのだろうが
俺はあえてググらない
だからここで聞く
みんなどうしてる?
リアルではそれを隠し通していて、むしろイケメンに目がないキャラを演じている。
本当に遠い昔、男性との恋愛経験はなくもないけれど、今はまあお察し。
自分がレズビアンであることを、リアルで他人に話すことは今後一生ないと思う。たとえ大親友でも。
アニメでよくある、男の子が女の子に一目惚れするシーン。目をハートにして釘付けになるシーン。
それから小中高大、そして社会人の現在に至るまで、各コミュニティに必ず好きな女の子ができた。
クラス、部活、研究室、サークル、バイト先、留学先、職場、どこに行っても魅力的で可愛い女の子がいた。先生のことも好きになった。
好きな芸能人も必ず女の人。
一度誰かを好きになったら四六時中その人のことを考えるし、どんなコミュニティもその人に会うために参加しているようなもんだった。
ただ、告白して付き合いたいとまでは思ったことがなく、自分の世界の中でひたすらその人を愛していた。
好きな人コロコロ変わってんじゃねぇかって感じだけど、どうせ付き合うことはないからと脳内では自由奔放に色んな人に片想いをしていた。
コアな恋愛話をすることもあるが、彼女の恋愛話を聞くとめちゃくちゃ興奮する。
彼女は酔ったらキス魔になって、めちゃくちゃキスしようとしてくる。
毎回キスされそうになるたびに「あーもうやめて(笑)」って手で振り払うノリがあるけれど、ほんとはめちゃくちゃキスされたいし、キスしたい。
そして帰って1人になったらその子とイチャつく妄想をしてしまう。
女としてではなく、男の自分がその子に触れたとき、どんな反応するのかなって妄想するのが楽しい。
親は50代後半で、セクシャルマイノリティ関連には1ミリも理解がない。
テレビで同性愛の話が出たりした時、馬鹿にするような言葉を平気で言う。
かくいう自分も、自分がレズビアンであることを心のどこかで認めきれていない。
同級生とワンナイトしたり、クズ男に沼ったりとかいう、よく見聞きするような経験もしてみたかった。
ただ、本当に男性に興味が沸かない。
それでも性自認は女だし、今の自分の社会的な立ち位置には納得している。だからこれは墓場まで持っていくつもり。
でもやっぱり、好きだなぁ、、、
私みたいなレズビアン、どれくらいいるのかな。
事前の班分け的なやつで最終日のディズニーランドは2〜3人のグループを作ることになっていた。俺と大親友の2人で決まってたのに、いつもイキってたぼっちがモジモジしながら「入れてください」って頼んできた。仕方ないから入れてあげたけど、当日になってウンチクとか自慢話ばっかり喋って鬱陶しいから、順番待ちで並んでる最中にトイレに行くフリをして2人で逃げた。たしかウエスタンリバー鉄道だったと思うが、実は並びなおして2人で楽しんでる。
帰りに学年主任から事情聴取されたけど、「あいつが勝手にいなくなった」って口裏合わせもバッチリだったから何にも怒られなかった。ただ、いつ撮ったのか分からないが卒アルには3人で歩いてる写真が載ってた。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
アメリカ張本人→イラクやアフガニスタンを侵略。シリア、リビアをぐちゃぐちゃにする。民間人を虐殺することも枯葉剤など非人道兵器を撒き散らすことも厭わない。チリでは軍事独裁政権を支援し、民主化を妨害してきた。
イスラエル→アメリカの大親友。パレスチナに攻め込んでは一般住民を大虐殺。アラブ人のジェノサイドも行っており、大量破壊兵器も保有。侵略は手慣れたものだ。
サウジアラビア→アメリカのお友達の独裁国家。アサドよりも残虐で反対者や異教徒は斬首刑。その様子はまるでイスラム過激派。しかも隣国イエメンに軍を送り込んで虐殺をしている。
トルコ→クルド人やアルメニア人を迫害。隣国シリアに侵攻してまで迫害したがる徹底ぶり。
ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。
(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)
のどっちかかと思われる。
新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。
私の場合は大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題ないか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。
さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。
中座のエスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。
母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。
結果、「親友の花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式の演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想。
「自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。
でももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。
挙式、披露宴で随所に差し込まれる、「父親・母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。
調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合の演出方法もあるらしい。
もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。
また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。
披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。
自分の母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。
中座のエスコート役をやると、カメラマンが花嫁とのツーショットを撮ってくれる。
カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。
笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。
ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間は常識がない。
あり出席者側が「今日ちょっと機嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)
■結婚式後も引きずる痛み
結婚式の最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友の結婚式に出てもネガティブな感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。
家に着いたら、花嫁から「結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。
また悲しくなった。
これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。
今は微塵もそんなこと思えないのに。
喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。
■結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い
結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。
「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」
「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」
そう思うと会いたくもなくなってくる。
中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。
結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。
また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。
私は断るべきだったと思うし、もしかしたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。
増田も然りだが、顔も名前も職業も何も知らない人と容易に繋がれるコミュニティがインターネットには数多く存在している。
顏を知っている人にだとなんとなく言えない自分の中の側面をさらけだすことが出来るのがメリットだと思う。
ただ、ある特定の人とよく対話をするようになると相手の素性が気になってくる。それは相手に好奇の芽が芽生えた証拠であり、
顏も名前も知らない人だから話せる人というベクトルから遠ざかってしまう。うまくいけば、自分のあらゆる側面をさらけだせる人として大親友になったり、
恋人になる可能性も十分にある。だが、ほとんどの場合、相手の素性を知って音信不通になる場合が多いのではないだろうか。
大親友になったり、恋人になるということはお互い同じ気持ちだから成り立つことであり、片方がただの顏も名前も知らない人だから話せる人というベクトルとしてでしか見ていない場合だと成り立たない。少し好奇の目で見てしまっていたとしても、素性を知らない分、想像で補ってしまう部分も多い。だから、素性を知りたいと思っても想像とだいぶかけ離れた人が現れたらショックも大きいだろう。だから難しいと思う。最初から顔も名前も出すコミュニティを使えばそんな問題は起きないという結論になってしまうが、顏も名前も知らない人だから話せる人だからこそ会話をしたいと思っている人は一定数いるだろうしなんか難しいよね。ようはほどほどにってことなのか。何事も