「今はもうない」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 今はもうないとは

2024-04-25

宝石の国最終話タイトル宝石の国」の意味全然からない

正解がないのが正解な気もするけど、それでも正解を探してしまう。

探すほどに正解が分からなくなる。

正解を見つけたい理由が「正解の分かる俺スゴイ!正解が分かってないくせに感動とか言ってる奴らザコすぎwww」でマウント取りたいだけな可能性に気づいたのでもう辞めることにした。

以下は副産物

流星になったフォス達が降り注ぐこの宇宙のものが「宝石の国」なんだよ!

なんでフォスが最期流星になる必要があったのか、それはこの宇宙と一体化するためだったのではないだろうか?

夜空をかける流れ星に願いを叶える力があるのは、流れ星もまた誰かの幸せを願っているからなのではないか

この宇宙に瞬くすべての星は、フォスのようにそんな思いを持っているから輝くのでは?

ならこの世界のものが祝福に満ちている!

宇宙は真っ暗闇なんかじゃない!

宝石のように煌めく祈りに満ちた宝石の国なんだ!

全ての魂は転生し、この宇宙を満たす、誰かもきっと昔は宝石で、未来宝石になる

流星になったフォスは、在りし日のフォスの元へ。

誰もが生まれ変わり自分出会う。

いま近くにいる誰かも宝石の生まれ変わりかも知れない。

バラバラになって二度と会えなくなったと思っているけど、気づかない内に再開は終わっている。

皆きっとここにいるからきっと寂しくない。

今はもうない宝石の国の夢を見た

ふと思い出した過去自分、もう戻れない時間

振り切るでもなくただ自然と手放して前へと進む。

懐かしい思い出は今も心のなかにある。

宝石の国はもうない。

それは幸せな夢のようにいつか誰からも忘れられるだろう。

遂に見つけた心の宝石に満ちた国

求めていた場所にようやく辿り着いたフォス。

自分を受け入れてくれる仲間たちと穏やかな最期を過ごす。

煌めく宝石のような日々は、新しい仲間たちの心の光。

ここが本当の宝石の国

見た目に綺羅びやかである必要はない。

素朴だけれども輝くような毎日

幸せに生きるフォスの姿を宝石の国の皆が祈っていた

今はもういない皆の祈りはフォスが救われること。

フォスが今ココにあるのは皆がフォスの幸福を願ったおかげ。

それが誰だったのか彼はもう思い出せない。

でも彼は確かに救われている。

今はもう兄機だけが覚えている皆が願ったように。

兄機はやり遂げた。

皆もやり遂げた。

物語最初から最後まで、宝石の国の誰もがフォスの幸福を願っていたのだろう。

2024-02-18

おばさんだけど若い女性が隣に座ると許された気がする

電車女性が隣に座ると許された気がするのは「男性あるある」と書き込まれていたけど、おばさんの私も似たような感覚がある。

私自身が16歳から24歳くらいにかけて、なぜか生理的嫌悪感センサーが異様に鋭かった時期があって、

同時に態度に出すと失礼だし、相手に知られると怖いという気持ちもあって、

強い感情を隠しているストレスを感じている生きづらさがあったのだけど、今はもうない

もう「嫌悪感を覚えるような元気(?)」がなくなったというか、全部の動物感覚が鈍ったというか…。

(この全部が鈍って楽になった感じこそDon't trust over 30の源なんだろうか。生理的嫌悪感だけじゃなく義憤のような感情も消えた気がする)

から二十歳前後女性が隣に座ってくると、「生理的嫌悪感の感度がMAX世代に許されたか大丈夫」みたいな偏見由来の感覚がある。

若い男、イケメン等が隣に座ったところでそういうのはない。モテてる男が警戒心を持ってなくて、ろくに知らない女からもらったクッキー食べてたりしたの見てきたから、

男はあんまり周りを見てない、男が隣に座ることには意味がないし何のお墨付きにもならない、という偏見を持ってしまう。

一番、鋭敏な生理的センサーを持っているのが若い女性から若い女性が隣に座ってくると「私は大丈夫な気がする」と思えるのは、

男性あるあるってよりはおばさんも同じなんじゃないかと言いたかった。n=1

2023-12-26

ひろゆきが今が一番楽しいと言っていた そうするように人生選択をしてきたと言っていた

でも子供のころの新鮮さや驚きはもう戻ってこない 夏祭りのワクワクが今はもうない

2023-11-24

anond:20231123184004

たぶん封神演義が連載開始したあとくらいだったか

当時、中学1年か2年だったけど正直はっきりとは覚えてない

女子少年誌を買うのは当時はまだ珍しかったので、ちょっと恥ずかしかった

人生で一番最初に買った漫画ならはっきり覚えてる

ドラゴンボール

小学低学年か中学年のとき経堂駅近くのすずらん通り商店街にあった古本屋今はもうない)に親に連れられていったか1人で行ったのか……

カバーが付いてないせいで他の本より安くなってた

スーパーサイヤ人になった悟空フリーザセルと戦ってる巻だった

普段アニメで見てる絵が、白黒なのにまず驚いて、しかも絵がめちゃくちゃ綺麗で大興奮した

すごい宝物を発見して、それを独占してしまった気分になったのを覚えてる

2023-09-09

ジャニーズファンのオバサンの思い出

今はもうない飲み屋で、時々見た人のことを思い出している。

ジャニーズアイドルが大好きなオバサン数名が、推しアイドル誕生日を祝ってケーキを持ち込んでいた。

自分の周りにはアイドルファンはいないので、いったい何をやっているのか最初意味が分からなかった。

まあでも、周りにもケーキのお振る舞いがあるので適当に話を合わせて付き合っていた。

そのオバサンは、推し担当するCM商品サービスをキチンと利用するようにしていると話していた。

そうすれば、推しが他のCMにも番組にも出られるようになるから、と。

アイドル推し活ってそんなことまでするんだ、と軽い衝撃を受けた。

その極めて真面目なジャニーズアイドルファン達は、今の状況をどんな気持ちで見ているのだろうか。

彼女達は被害者なのか加害者なのか。彼女達の罪とは何なのか。傍観者の我々社会には責任はないのか。

それを直接聞く機会はもうないんだけど、彼女達が救われる道が開けるように、祈るしかない。

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 2/3


3. 就職活動のこと

 大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義レポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。

 当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。

 三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産スマートイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。

 その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記コメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixi友達になった。

 キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考レベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合もっとずっと、『上の視点からサッカーのものを見詰めていた。

 例えば、同志社大学サッカー部は、今でも大学単位ブログ更新し続けている。各選手自分生活サッカーに関する考えを書き綴っていく。

アメブロ catch the world

https://ameblo.jp/duscblog/

 ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。

 当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記のものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人日記に断片的なメモがある。

 当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。



集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。

自分らは、全員で一丸となって目標邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつ目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。

組織には、絶対に衝突や背信生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。

理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。

・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。

・言いたいことを言い合えない集団未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。

・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここから勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!

ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。

・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。

・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカー試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。

・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。

・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしか個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。

他人言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。

・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。

自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。



 上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカー試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。

 実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。

 就職活動に話を戻す。必死エントリーシートを磨いて、SPI勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験突破した。二次試験グループ面接も通って、いよいよ三次になった。

 会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。

 面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。

 肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーアピールもできたし、面接二名サッカーをしていたことがあったらしい。「インカレスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。

 面接全体だと、簡単質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、

□なぜ総合商社を志望するのか、その中でもなぜ住友商事を?

集団の中でどのような役割を果たすか

卒業までをどう過ごしたい

総合商社で叶えたいことは何か

□今後の人生目標

あなたにとって「仕事」とは何?

□弊社の弱点を教えて

仕事ができない人や嫌いな人が職場にいた時にどうする?

 こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。

 時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまたからだ。

 面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。

 それから普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212236

2023-04-23

anond:20230422124340

高校生の時に都立青山高校っていう東京都ど真ん中の高校に通ってた実情を書いてみる。

都会にいるっていうのが、どういう文化レベルなのかの一例となれば幸い。

具体例がみえないまま、議論が進んでも微妙からね。

青高は東京メトロ銀座線外苑前駅の近くにあって、ヤクルト本拠地神宮球場の目の前の高校

高校生クイズ選手権時の予選会が神宮球場にあったりしたんだけど、そこで一番近い学校だっていう事で注目されてた時もあった。すぐに敗退してたけど(笑)

国立競技場も近くて、僕は高校生の時はサッカー部だったんだけど、「いま一番国立近い学校から物理)」みたいな冗談はことは友達には言ってた。

まぁ、もっと近くに國學院高校っていう学校があって嘘なんだけど。

僕は大江戸線国立競技場前って駅から青高まで歩いてたんだけど、国立競技場敷地内を歩きながら学校に通ってたのは、なんか誇らしかった気持ちがあったかな。

あと高校生の時はお金がまじでなかったから(お小遣いが月3000円〜5000円だったから)滅多に行かなかったのだけど、ホープ軒で食べるラーメン美味しかった思い出がある。(今思うと全然美味しくないが)

立地はこんな感じ。


次にイベントについて書いていく。

確か5、6月ぐらいに体育祭があってその一環とし、応援団を作って、応援合戦みたいなのをやるのがあった。

応援団をやる人は2、3週間くらい応援団練習をするんだけど、練習場所代々木公園だった。

定期がある人は電車乗っていくんだけど、みんながみんな定期あるわけじゃなくて、代々木公園までは歩いていくってのが恒例になってた。

外苑前から原宿超えて代々木公園まで行く道ってのは結構面白くて、

インテリアショップとか眼鏡屋とかブラジル大使館とかあったり、

表参道を歩いたりとか、原宿竹下通を歩いたりとかしながら、代々木公園まで行ってた。

今はなき原宿のコンドマニアで「お前買ってこいよ」「やだよ、お前いけよ」「なんでだよ!じゃあ一緒に行こうぜ」みたいやりとりをやってたりした。結局買わないんだけど、当たり前だけど。しょうもないけどそういうの楽しかったような気がする。今思うと全然面白くないが。

11月には外苑祭っていう文化祭があるんだけど、外苑祭では1年生から3年生の全部のクラスが劇だったりミュージカルをやるってのが伝統になってて、夏休みから外苑祭の前までは、「神宮外苑絵画館」前のちょっとした広場的な場所練習をしてた。

正直僕は外苑祭に乗り気じゃなかったから、全然練習参加しなくて数回だけしか行ってないくても、なんか思い出にはなってるね。

文化レベルって観点では、絵画館建物自体がすごい美しい建物だったし、絵画館銀杏並木風景っていうのはすごく美しかったのは、高校生でも感じる部分があった。

イベント的にはそんなもんがメインで、その他の時期は普通に駅と学校を行ったり来たりするだけの生活してた。

個人的には、学校自転車を置いたのもあって、学校サボって自転車乗って、原宿行ったり、246を赤坂方面まで走らせて、皇居らへんまでいったりとかは楽しかったな。



あと僕は部活やってたかバイトはしてなかったけど、周りの人とかは学校周辺でバイトやってる奴もいた。そういう奴は結構大人世界垣間見えたんじゃないかな。お金も増えるしね。

僕は遊ぶ金なんて全くなかった。だから高校生場合都心のど真ん中にあったとしても、そこまでは楽しめてなかったんじゃないかな。

まぁでも表参道とかの建築を見て、建築学科に進むっていう決断をしたので影響は大きかったのかもしれない。

建築作品を見るのはタダだったからね(笑)

あと仲良かった奴が、「スイスヘルツォークアンドドムーロンの建築観てきて良かった!青山にもあるから観に行くと良い」って言ってくれたりして、周りの人間文化レベルたけぇなって思った。

お金が無いなりに楽しんだって思えるのは、原宿古着屋でHanjiroっていうお店が全盛期だったんだけど、そこで100円になってる服を買ってた。てかそれしか買えなかったんだけど、あれは楽しかったな。

あとはまぁ、今はもうない明治公園フリマがやってて、そこで 安く売られてる服とかを買ってたりしたな。


もちろん高校時代を都会で過ごした影響はかなり大きかったんだけど、僕の中で影響が大きかったのは、やっぱり大学ですね。100倍くらい大きいんじゃないかな?

高校の時は受動的にやること っていうのが多くて、能動的には動けなかった記憶があるけど、

大学生になったらぼぼ全部自分で考えて、行動するから大学生の時の方が、濃密な時間を過ごせたと思ってる。

まぁ今なら、文化ってインターネット発なのが多いし、都会にいなくても、最先端文化に触れられるのじゃないかな?

僕が好きなVtuberのぽこぴーとか滋賀県出身電車ない土地に住んでそうだけど、最先端いってる。

僕が高校生の時は、まだスマホとかなかったし(シャって開くタイプ携帯とか、インフォバーとかが流行ってた時期だったし)、高校生の時は家族パソコンしかなかったし、ニコニコ動画も知らないし2ちゃんねるも知らない。パソコンの授業の時に友達が「スーパーマリオTAS動画」見せてくれた時も「おもしれー!TASさんって人まじで超マリオ上手いやんけ!!!」って思ってたレベルだったから、住んでる場所の影響大きかったと思うが、今はどんどん差が縮まってきてる。

っていうのが 都心高校に通ってた一般男性の一例。

2023-03-09

anond:20230309123946

調べたらなかったぞ!

ガンダムウォーだけは昔あったみたいだが、今はもうないみたいだ。

触ってみるに吝かでなかったのに、せめてDTCG出してくれよぉ!

2022-10-25

誰も愛してくれないのに大人しく死んで行けって?

いや、無理無理w

無茶言うなよ

誰も愛してくれないこの世界なら破壊するだろ

なんのメリットがあって大人しく死んていくんだよ

面白いこと言うな

ゲームの中では簡単ライフ(命)を消耗するけど、それと一緒だよ

どうせ大切にされない命なら粗末に扱うに決まってるやん

過去は家庭の中で、家族の中で命を大切に扱われて、それをまた引き継ぐって連続性あったけど

今はもうないやん

無駄に作られて消費されるだけってのが、当たり前でその現実を語るこういう場所があるわけじゃん

当たり前だけど、自分の命のみならず他人の命も粗末に扱うよ

当たり前じゃん

最低限の衣食住よりも誰かに愛される方がずっと重要から

足りない衣食住で寿命が半分になっても、愛されない人生よりも愛される人生の方がましだから

生活保護受けてれば幸せでしょってアホかと

そんなもんいらんわバー

人権なんかいらないから愛をよこせ

駄目だと言うなら、遠慮なくお前らの人生徹底的に破壊して遊びます

残念でした〜w

2022-10-06

ネットには自浄作用は確かにあったけど、今はもうない

まともな人がいても、無知大衆の数の暴力にやられがち。

うそうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しいけど、パンピーからしたら難易度上がりすぎよな

2022-08-06

令和のトレース台はめちゃくちゃ薄いんだぞ

あのゲーセンの筐体みたいなトレース台今はもうない

2022-06-10

河田くんの思い出

引っ越し断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。

ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。


小学校同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチック男の子だった。

ちびまる子ちゃん野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしかたことがなかった。

河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子友達も多くなく、よくひとりでいた。

私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかたこともそれに拍車をかけていた。

川沿いにある薬局の2階にあるお家にも行ったことがあった。

河田くんは4人兄弟長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。

枕元に派手な色のカエルぬいぐるみ星新一小説が置かれていた。

カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。

なんだか私だけは特別存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。


でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校卒業した。

河田くんは女の子が苦手だから男子校に進むんだとお母さんに聞いた。

川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。

話に登ることも思い出すことも滅多になかった。

次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。


それは母から聞いた。

亡くなった理由は分からなかった。

葬儀は2人で行くことになった。

葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。

棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。


お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀から」っていうから案内された席に着いた。

油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校同級生と思われる男の子が何人かで話していた。

「どうする?明日

告別式?は12時に終わるんでしょ?さすがに一旦帰るよ」

思い出話じゃなかった…と思って意識天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」


え?と声に出てしまったと思う。

箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。

明日彼らはもう1人同級生を見送ること。

彼らはサカタくんとほとんど話したことがないこと。

結局、河田くんは自殺だったということ。

わかったことはそれだけだった。

声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。

それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。

結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後河田くんのお顔をみて家に帰った。

なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。


結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。

何もわからないしわかることもないまま、高校卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。

私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。

あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶けが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。

私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。

なんかまとまらなくなっちゃったけど、もっと河田くんと話してみたかった。

川沿いのお家も薬局今はもうない

2022-04-18

[]資さんうどん

地主さんの記事を見てから無性に行きたくなって初めて行ったレポ

最初に謝っとく

正直地主さんの思い出補正大きすぎってのと、

このご時世の値上げのダブルパンチで、いまいちだった・・・

前置き

福岡県民なのに30年以上一度も行ったことなかった

ちょい郊外じゃないと店がないしそもそも店舗数もそこまで多くないってのもあるし

本題

土曜11時半

資さんうどんA 24時間営業店舗

まだすいてるかなという感じ

入り口新人名札をつけた大学生っぽい男性が声を張り上げていらっしゃいませと言う

検温もあった

おでこカメラに近づけるタイプ

手首より厳密に出るし、ちゃん対策に金かけてるんだなと

一人だったのでカウンター席へ

一蘭みたいな感じだけど店内広いし自分のスペースも広いから圧迫感はない

注文は眼の前の仕切りに貼り付けられたタブレットタッチパネルで注文する方式

とりあえず地主さんリスペクトで肉ごぼううどん750円と、かしわおにぎり1つ100円、ぼたもち1つ130円をチョイス

ほんとはカレーも食べたかったけど我慢した

しわおにぎりとぼたもちがソッコーでくる

地主さん戦法「うどんくるまでの間でおでん」ができない

しわおにぎりとぼたもちをちょっと食べる

うん、まあふつうの見た目通りのかしわおにぎりとぼたもちだなという感じ

地主さんがいうほど特筆すべきおいしさはない

ぼたもちが地主さんの記事よりさらに値上げして130円になってた

うどんきた

実は今26日くらいまでは大盛り無料新生活応援とかなんとか)だから大盛りにしたのだ

長さ10cmくらいのごぼう天ぷらが5本と、甘辛くにた肉、ねぎが少々、資と文字の入ったかまぼこ2枚

とりあえず隙間に入れ放題のとろろ昆布を入れてみた

つゆはあっさり目だが、肉の味とごぼう天の天ぷら時間経過で剥がれてとけてきてどんどんあぶらっぽくくどくなってくる

ごぼう天をあとにとっといてちまちまとろろ昆布うどん食ってたんだけど、

ふと気づいてごぼう天もちあげたらつゆに浸かってた部分がフニャフニャどころから衣がはがれてた

あわてて全部たべたけど正直失敗

この失敗を日曜にも繰り返してしまった

いか資さんうどんごぼううどんは頼むな

かけうどん(肉うどん)と、ごぼう天を単品で頼め

最初からうどんごぼう天がのってるのは初心者が上手に食べるハードルが高い

仮に注文したものが届いてそっこー食べようとしても、

運ぶ人とか順番の関係でつゆに浸かってる時間があってすでにふにゃってる可能性も高い

閑話休題

うどんの麺はつるしこ

牧のうどんほどフニャフニャではないが、丸亀製麺ほどしこしこ固く感じることもない

割と好みだった

ねぎが入れ放題だったらなあ・・・

トッピングかけ放題なのはとろろ昆布、七味、つけもの(黄土色のたくわん)、天かすだけだったし

まあコストにきびしいんだろうな

うどん食いおわったときはそうでもなかったけど、デザートとしてぼたもちを食ったら一気に腹が膨れた

よるまでおなかすかなかった

次回はカツカレーおでんを食べるぞと思って店を出た

日曜16時

資さんうどんB 24時間営業

A店より郊外から値段安くなってるかなと思ったら同じだった

24時間営業形態が同じだからかな・・

まずはおでんを物色

いちばん食べたかったウインナーが品切れでがっかり

あと3,4種類も品切れであまりやる気を感じられない

時間が悪かったか

あと値段みてびっくり

やすいので100円、そうじゃないのは150円とか

地主さんの記事だと昔70円で記事とき10円うpで80円になってたっつってたから、

80円、せいぜい90円だと思ってたのに

100円ならわざわざ資さんうどんでくうほどのことはないけど・・・

せっかくだからお試しで、と頼んだ

チョイスはしいたけ串(しいたけ4つ)と大根

牛串とかも食いたかったけど150円は高い

んで席に戻って食う

見た目通りの味で、これで100円は高い、と感じた

まあ外食雰囲気こみってのはあるとは思うけど

んでごぼううどん480円を頼んだ

かけうどんが370円。ごぼう天単品が110円だからごぼううどんとして頼んでも別にお得ではない。

 つまり初日の肉部分のトッピングだけで270円。それに気づいたか今日は肉なしのごぼううどんにした)

んできのうと同じ失敗をした

まりすでにうどんにのせられてる状態できたからふにゃってた

時間おくとふにゃるどころか衣がはずれてごぼううどんじゃなくてごぼうと天かすうどんなっちゃうんだよ

まじで失敗

もし次いったら絶対別に頼む

別に頼んだらごぼう天5本110円でこれはめちゃ安いしコスパいいと思うし

ごぼううどんくったあと腹八分目でちょうどいいカンはあったけど、

どうしてもカレーを食べてみたくて頼んでしまったカツカレー・・・

そんで1/4くらい残してしまった・・・本当にごめんなさい・・・

カツカレー840円

カレーは中辛、となっている

正直、辛くない

辛いものが苦手な自分にとってはちょうどいいけど、

松屋の辛いカレー好きな人にとってはきつそう

ただ、運もあると思うけどカレーの具の牛肉が割と多めな気がした

カツ

ペラペラ

ロースハム4枚分くらいの厚さのハムカツ、もしくは駄菓子ビッグカツ2枚分かという感じ

カツ!!!カレー!!!を期待してこれがきたらがっかりするよ・・・

それもあっておいしくてどんどん食べ進める、ってことができなかったのも多分あった

これで840円はかなり割高だなあ・・・

おでん込でトータル1230円くらい

あとメニューみてはじめてしったのがロッテコラボして雪見だいふくぜんざいってデザートもあった

さすがに入らなかったし、ただ雪見だいふくいれただけならそこまで・・・と思ったし

別件だが雪見だいふくも小さくなりすぎてんだよな・・

総括として、昔の値段でこのクオリティならよかったと思う

ただ値上げした今となっては割高で値段に見合ってないように感じて、いまいち満足できなかった

ごぼう天とかはてめえの食い方が悪かっただけだろと言われるかもしらんが

地主さんが絶賛してた資さんうどん今はもうないんだなと自分は感じた

2022-03-01

ARAIみたいなアニメって今はもうないのかな

どのアニメも刺激が強すぎる。

俺は見てるうちに値落ちしてしまうようなアニメが見たいんだ

2022-02-10

anond:20220210115102

あれはウォーターサーバーかなんかが腐ってたと思うわ

今はもうないけど、蛍池より北、清風荘あたりにあったサイゼ

2021-11-16

池袋地下道からタカセの前に出るエスカレーターの乗り口のところ、ずっとBLっぽい絵の看板が貼ってあったのなんだったんだろう

確か黒い羽が生えた少年?の絵

多分今はもうない

2021-10-30

anond:20211030005805

2ちゃんねる開設当初1999年から成人済みでネットにいたおばさんが来たよ

 

・今5ちゃんねるしかないのに2ちゃんねる風といっているということは「今はもうないサイトを見てる気持ちにさせる懐かしの作風」ってことだよ、女性蔑視リアル味を出したスパイスです。よくある攻めちゃんや受けちゃんに現パロコンパで粉かけるモブ女性社員とおなじやろなぁ(猛虎弁)。

・「ネットでは男子にあらずんば人にあらず」は間違いだよ。2ちゃんねるにも801板(腐女子場所)や鬼女板(既婚女性場所)があって

メーテルになりきった貴腐人たちが上品エロ会話をしたり狼板と喧嘩していたよ。

猛虎弁の男ヲタとおもっても中身おばさんということもよくあるよ

ですので

①「こんなクソアフィサイトなんか当てにならない!真に受けるだけ損!!」 ←アフィサイトだけじゃなくてネット全体に信用したらあかん

②「まとめサイトって面白い!もしこんな風に私の好きなキャラを語ってるスレがあったら楽しいかも!!」 ←まあ本当におもしろネタ転載禁止なので、おもろいネタまとめてる時点で転載禁止守らないダメサイトですので早晩訴えられて消える運命やでそれ

③「男オタクは女オタク差別してるんだ…悲しいな…。」 ←男オタクが、ではなく人は人を差別するもんやで、いろんな理由でな

 

でもまぁそうやって喜怒哀楽うごかせたらページビューがかせげていい鴨なので一度ワンピネタページビューカウンターがまわったら同じ風味のを量産されるんやろな。

若い人はスマホ入手してもライン程度にしておこうな。怒ったサイトがあったら仲間に知らせないこと。スクショとったあとは二度と見ずに自分で墓に埋めろ。こんなんで怒っちゃった自分どうかしてたなくらいにおもえたらまた言ってもいいし反論もできるだろう。

まとめサイトにかぎらずネット情報は嘘やで。政府に援助うけてる学校にいってやっすい学費勉強しなはれ。

2021-09-26

[] そのろくじゅうなな

スギサッタナツイロハイマハモウナイーッス                  杏里/September Walkin' ( すぎ去った夏色は 今はもうない 秋風の淋しさに 街をあるけば )

 

日曜作業お疲れ様です

本日悪天候現場もあると思いますがまぁ基本的に部屋から出ないなら問題はないかなぁと思われます

でもお買い物に行く時はね、天候とかを気にしてね、雨具とか用意すると良いかなと思われます

濡れちゃうと思った以上に冷えて具合悪くしたりしまから

え、もう降らない?もう濡れた?じゃあ体拭きな!

 

ということで本日は【タオルいか】でいきたいと思います

タオルいかタオルヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2021-06-19

昨日みた夢の覚書

 夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所旅行に来ていて、ホテルチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。

ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達旅行になんて行くわけがない。

部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。

さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコール思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。

翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。

思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。

とくだん焦ることもなく私は冷静に自分荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。

ホテル廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。

私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。

私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!

情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家ほとんど真裏に建っていた。

視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。

しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。

「一体どこにいたんだ?」

小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないか不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルロビーまで連れていってくれた。

ホテルロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。

「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」

最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。

私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。

 

目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。

まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。

来月、転職が決まっている。新生活スタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽ廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。

住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。

そう遠くない未来に私が抱く郷愁の味を、私は既に知ってしまったのだ。

2021-03-17

anond:20210317183405

差別存在していて今はもうないとしたら、それは問題からちゃんと復活させましょう!ってこと?

2021-03-14

追記母親養育費請求しなかったせいで大学に行けなかった

追記。今までずっと漠然と不満に想い続けたことを言葉にし、区切りをつけたいと思って増田を書いた。

小さい頃から常に、うちは貧乏なのだと思い知らされながら生きてきた。母や祖母が、他の親がしてくれるようなことをしてくれないことにずっと、子どもらしい、幼稚な不満をずっと抱えていた。中学生ぐらいになって、だんだん母の苦労や世の中の「仕方なさ」みたいなもの理解出来る様になってきても、どうしてもその不満は消えなかった。どうして俺だけ、と考えないようにしても考えずにはいられないのに、それを口にすることの無意味さもわかっていた。嫉妬や幼稚な不満への対処法は、そういった負の感情を出来るだけ抑え込み、「仕方ない」と自分に言い聞かせて現実を受け入れること以外になかった。

大学に行けなかったことを残念に思っている。今更行きたいとも思えない。高3のあの時から何年も、行きたくても行けず悩み続けていた頃のことを思うと悔しい。

大学に行けなかったのは「母のせい」ではきっとない。母が父親養育費請求していたとして、みんな言う通り、父親は払わなかったんじゃないかと思う。きっと1番悪いのは無責任父親だ。でも、払われなかったとしても、母が養育費請求したという事実だけでもあったらよかったのにと思う。

島の外のどこにいるかも知らない父親に、どんな感情を抱いても仕方なかった。手当の額も、母子家庭のあり方も、政府や世の中が決めたことで、自分達には仕方ないないことだった。でも、母だけは仕方ない存在であってほしくなかったと未だに思うのは甘えかもしれない。

母には、何を言っても仕方ないと思う。母は視野が狭く頑なだ。自分の考えたくないことは考えない。島ではそういう人間でいた方が生きやすい。世間的に見てもあまり頭の良い人ではないんだと思う。でも、気配りができて集団に溶け込むのがうまい仕事を辞めて余裕ができてからは近所付き合いも良好だ。

父親みたいな人間を恨むより、たった20万に感動したほうが幸せだと思う。

でも、そんな母を残念に思う自分もいる。自分と同じ怒りをほんの少しでもいいから持っていて欲しかった。20万で許さないで欲しかった。

ずーっと、金がなかった。暮らすのがやっとの生活で、大学受験を目前にし、やっと貧乏を抜け出せると思ったの矢先に現実に引き戻されてさらなる貧乏で。貧乏が辛かった。

父親が俺の養育費を払わないことを、俺に貧乏させるのを許す人間でいて欲しくなかった。

 

 

本文

 

10数年前の話だ。

母子家庭だった。生まれた時から父親は居なかった。

母は俺を妊娠した経緯について語らなかったが、俺は中学に上がる前には、親戚やご近所さんなどからの噂話からだいたいのことを知っていた。母は専門学校に通っていた頃に避妊に失敗し、彼氏に逃げられたらしい。そして1人で産むと決意し、実家(離島でど田舎)に帰ってきた。

田舎だったから、そういったことはかなり噂された。「増田くんのお母さんは……ねえ?」とうすら笑いを浮かべながら言われたこともある。自分以外にも、片親家庭はいくつかあったが、それでも居心地の悪さは感じた。

当然のように、学もない母と仕事もない田舎で、うちは貧乏だった。祖母の僅かな年金母子手当とスーパーパート家族3人で暮らしていた。建てた時は立派だったんだ。大工だった曾祖父さんが建てたんだとたびたび祖母に自慢された家は、台風で半壊した後ろくに修理されておらず、ボロくてとても恥ずかしかった。

俺が10歳の頃に、父親がひょっこり母に会いに来たことがある。本土にいた頃の母の友人の友人を辿って、連絡先を得て会いに来たらしい。ある日学校から帰ったら知らない男がリビング自分のコップを使って麦茶を飲んでいた。俺の父親だという男はいかにも育ちが悪そうな、ピアスをつけたスーツの似合わない男だった。

そのとき俺は既にそいつ妊娠した母と、お腹の中にいた俺を追いて逃げたことを知っていた。その意味はまだきちんと理解していなかったが、いい感情は持っていなかった。男は、今は結婚して子供もいると言って写真を見せてきた。「ほら〇〇くんの兄妹だぞ。かわいいだろう?」と猫撫で声。男の子女の子で、3歳?と1歳だったと思う。小学生の俺には、怖そうな見た目なのに子煩悩丸出しな男が奇妙で気持ちが悪かった。父と息子の感動の再会なんてことになるはずもなく、その男はその日隣町のホテルに一泊して、島を離れた。

から聞いた話では、子供を持つようになって過去の行いに反省し、謝りに来たらしい。元ヤンキーにしては立派なことなんだろう。母は当時それに感動していたらしい。「俺も家族があるからこれぐらいしか出せないけど」と20万円包んでくれたらしい。

中学卒業して島を出る日に、そのお金を見せられた。島にも高校はあったが俺は本土高校に通った。同級生より少し勉強ができたからだ。祖母は金がかかるから島の学校に通えと言ったが、母や担任の説得あって島を出ることができた(祖母年金の一部は俺への仕送り代になった)。

本土高校の側には、島や遠方から学生の住む下宿があった。昔は賑わっていたという下宿だったが、当時から既にガラガラで、オンボロだった(今はもうないらしい)。例の20万円は高校入学新生活スタートに使った。高1の冬に、そのお金の残りから抜いた諭吉友達バッセンに行った覚えがあるから、全部は使わなかったんだろう。まあ、20万円はそうやって高校1年のうちに使い果たした。

進学校で周りも勉強に打ち込んでいたお陰で、高校生活殆どはうちが貧乏であることは忘れて過ごせた。一部の模試受験料を捻出できなくて諦めたことはあるが。忘れもしない3年の冬、母に胃がんが見つかった。奨学金を借りて大学に行く予定だった俺の予定は見事に砕け散った。正直その頃既に母の頃はあまり好きではなかった。それでも、知らないふりするわけにはいかなかった。普通に「なんで今なんだよ」とめちゃくちゃムカついた。いっそ治療がいらないぐらい進行してろよとも思った。

仕方なく、高卒本土で働き始めた。島から近い港の仕事だ。母の癌治療は2年で終わった。手術と抗がん剤治療を終え、再び働けるような体力はなかったが、一応治ったのだった。それでやっと、3浪したのだと思って受験に精を出そうと思っていた矢先に、祖母が倒れ介護必要状態になった。母子手当も母の収入もなく、祖母の少ない年金でやってくのは無理そうだった。仕事先で正社員にならないか?と持ちかけられていたのもあって大学進学を諦めた。

良い職場だったし、仕事も気に入っていた。今は同業他社転職したが、収入大卒と遜色ない。もう大学進学への未練もさほどない。

ただ最近になって、異母兄妹の兄の方と偶々飲む機会があった。大卒だった。それも自分の行きたかった学部だった。妹の方は海外大学に進んだらしい。どうやらあのピアス男は自分の子供には金をかけたようだった。家族旅行の話なんかもチラリと聞いたから、なかなか余裕があったようだ。

うちが母子家庭貧乏に苦しんでる間に、そう思うとかなり複雑な心境だ。

避妊に失敗したのも仕方がない。1人で産むと決意したのも怒っちゃいない。稼げないのも頭が悪いのも責めるつもりはない。ただ、どうして父を逃したのか。認知させなかったのか。養育費請求しなかったのか。そして、のこのこ謝りに来た父を何故ほいほい許し、たった20万円で逃したのか。腹が立って仕方がない。養育費は俺の権利だった。母には俺の代わりに養育費請求する義務があった。今まで父親の方も金がないのだと諦めていたが、あったじゃないか。母がきちんと養育費請求していれば、18歳からの俺はあんなに苦しまずに済んだろう。

もう遅いし、今更母に何か言う気にもなれない。悲しきかな、基本的に話が通じる人ではないのだ。

からここに吐き出す。どうか子供養育費はきちんと請求してくれ。きちんと払ってくれ。親戚や友人にそういう親がいるなら説教してやってくれ。

俺の言いたいことは以上だ。

2021-03-02

anond:20210301215725

現代アカで CNS を修士二年で複数ってそれ絶対自力じゃねえよ受け継いだ研究たまたまシュート決めた奴でしかない

というかそれ教授愛人以外ありえるか?

アカで本当に優秀かどうかは正直論文数とか雑誌じゃ全然からない

修士の間に助教に声がかかっている奴だけは本物って言える

退学助教コース今はもうないとか言われがちだが今も普通にいる

2021-02-21

人生で1番許せない嘘松がバズってた

2/22追記

コメントしてくれた人、ありがとうございます。全部読みました。

てっきり「嘘松はテメーだろ」とか「長文うざい三行で書け」とかでいっぱいになると思ってた。

他人過去は言っちゃいけない強迫観念もあったので、読んでもらえたことで少し気持ちが軽くなったと思う。

オススメしてくれた人、ありがとうございます。さっそく読んでみます

-----

 

Twitter何気なく見ていたら、昔消えたはずの知り合いの嘘つきがバズっていた。

今度メディア進出するらしく、恥ずかしげもなく顔まで出してやがるからすぐ分かった。

もう終わった事だからと封じ込めてた憎しみが溢れ出して止められない。

怒りでどうにかなりそうと思ってカウンセリングを予約したが、急遽行けなくなったのでここにすがる。

 

当たり前だが犯罪を犯すつもりはないので人物特定されそうな内容はぼかしている。

まりにも長いので、暇すぎて死にそうな人にオススメ

=====

この嘘つきには悪意たっぷり青春時代をぶっ壊されており、そのことで恨んでいる。

入学してすぐ仲良くなり、最初は嘘つきだとも思ってなかった。

本籍ドイツ」「親は世界的に有名な芸術家」「家のベッドは親から前借りして買った100万のベッド」が口癖。

例えば「ドイツのどこ?」と言っても「今はもうない」等とかわされて、自分おかしいと思いつつ踏み込まないでいた。

しかし人を馬鹿にするネタ(腐女子スラム街とか)明らかな虚言が増えてきて、嫌になった俺は少しだけそいつ距離を取ることにした。

 

すると嘘つきの態度が急変した。

別の友達に、俺がやってもいない噂を流したり、俺を会話の輪から外そうとしてきた。

とにかく長い期間やられた。俺に分からないよう周りと結託するなどとにかく狡猾だった。

挙句の果てには、俺の鍵垢に裏切り者を忍ばせ、スクショとともに「見てるよ^^」とまで送ってきた。

限界が来た俺はそいつの連絡先をすべて消し、翌日から無視するようにした。

他の友達ともあまり関わらないようにした。

自分は何も悪いことをしていないのに、友達との楽しい中学ライフを奪われた。

いつか天罰が下らないかな、と思ってた。

 

下った。

Twitterで虚言がバズったことに気持ちよくなってしまったのか、内容はエスカレートしていた。

「店でヤバい客にコップで殴られ救急車なう」みたいな内容だったのだが、あっという間に拡散され、店に連絡したという奴まで現れ、もちろんそんな事件は起きてなかったことがすぐ分かった。

そこからは流石インターネットというべきか、すぐにそいつの専スレが立ち、今は消えたがNAVERでまとめも作られ、一躍有名人になった。

虚言癖のヤバい奴として。

そいつはもちろん謝りもせず、アカウントを消して逃亡した。

この一件で俺は「さすがに懲りただろう」と思った。

俺もいつまでも引きずっちゃいけないなと、思い出す度に苦しかったが、自分に言い聞かせていた。

 

そんな時にTwitterを復活させた嘘つきを見て、俺の努力無駄だとわかった。

まだ相変わらず虚言癖は直っておらず、腐女子スラム街ネタの応用でバズっていた。

本気で信じてる人がたくさんいて、フォロワーもたくさんいる。

今すぐコイツ本名と昔のアカウント名を公開して、こいつ虚言癖ですよと叫びたい。

人の人生に悪意たっぷりの土足で踏み込んでおいて、平然と逃亡する奴なんですよと。

でもそれをしたら訴えられても文句は言えない。だから我慢している。

でもこいつは我慢しなくていいんだな。

さぞ気持ちよかろうな、人を叩いて称賛を得て報酬まで得るのは。

そう思うとどうしても怒りが我慢できない。

 

自分自分でこの恨みにいい加減区切りをつけねばと思う。

こんなんだからこういう虚言癖につけこまれるんだと。

この書き込み最後にして、この嘘つきとの思い出をこれまでにしたい。

 

ご清聴ありがとうございました。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん