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2022-08-06

令和のトレース台はめちゃくちゃ薄いんだぞ

あのゲーセンの筐体みたいなトレース台今はもうない

2022-06-10

河田くんの思い出

引っ越し断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。

ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。


小学校同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチック男の子だった。

ちびまる子ちゃん野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしかたことがなかった。

河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子友達も多くなく、よくひとりでいた。

私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかたこともそれに拍車をかけていた。

川沿いにある薬局の2階にあるお家にも行ったことがあった。

河田くんは4人兄弟長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。

枕元に派手な色のカエルぬいぐるみ星新一小説が置かれていた。

カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。

なんだか私だけは特別存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。


でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校卒業した。

河田くんは女の子が苦手だから男子校に進むんだとお母さんに聞いた。

川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。

話に登ることも思い出すことも滅多になかった。

次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。


それは母から聞いた。

亡くなった理由は分からなかった。

葬儀は2人で行くことになった。

葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。

棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。


お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀から」っていうから案内された席に着いた。

油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校同級生と思われる男の子が何人かで話していた。

「どうする?明日

告別式?は12時に終わるんでしょ?さすがに一旦帰るよ」

思い出話じゃなかった…と思って意識天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。

今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」


え?と声に出てしまったと思う。

箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。

明日彼らはもう1人同級生を見送ること。

彼らはサカタくんとほとんど話したことがないこと。

結局、河田くんは自殺だったということ。

わかったことはそれだけだった。

声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。

それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。

結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後河田くんのお顔をみて家に帰った。

なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。


結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。

何もわからないしわかることもないまま、高校卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。

私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。

あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶けが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。

私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。

なんかまとまらなくなっちゃったけど、もっと河田くんと話してみたかった。

川沿いのお家も薬局今はもうない

2022-04-18

[]資さんうどん

地主さんの記事を見てから無性に行きたくなって初めて行ったレポ

最初に謝っとく

正直地主さんの思い出補正大きすぎってのと、

このご時世の値上げのダブルパンチで、いまいちだった・・・

前置き

福岡県民なのに30年以上一度も行ったことなかった

ちょい郊外じゃないと店がないしそもそも店舗数もそこまで多くないってのもあるし

本題

土曜11時半

資さんうどんA 24時間営業店舗

まだすいてるかなという感じ

入り口新人名札をつけた大学生っぽい男性が声を張り上げていらっしゃいませと言う

検温もあった

おでこカメラに近づけるタイプ

手首より厳密に出るし、ちゃん対策に金かけてるんだなと

一人だったのでカウンター席へ

一蘭みたいな感じだけど店内広いし自分のスペースも広いから圧迫感はない

注文は眼の前の仕切りに貼り付けられたタブレットタッチパネルで注文する方式

とりあえず地主さんリスペクトで肉ごぼううどん750円と、かしわおにぎり1つ100円、ぼたもち1つ130円をチョイス

ほんとはカレーも食べたかったけど我慢した

しわおにぎりとぼたもちがソッコーでくる

地主さん戦法「うどんくるまでの間でおでん」ができない

しわおにぎりとぼたもちをちょっと食べる

うん、まあふつうの見た目通りのかしわおにぎりとぼたもちだなという感じ

地主さんがいうほど特筆すべきおいしさはない

ぼたもちが地主さんの記事よりさらに値上げして130円になってた

うどんきた

実は今26日くらいまでは大盛り無料新生活応援とかなんとか)だから大盛りにしたのだ

長さ10cmくらいのごぼう天ぷらが5本と、甘辛くにた肉、ねぎが少々、資と文字の入ったかまぼこ2枚

とりあえず隙間に入れ放題のとろろ昆布を入れてみた

つゆはあっさり目だが、肉の味とごぼう天の天ぷら時間経過で剥がれてとけてきてどんどんあぶらっぽくくどくなってくる

ごぼう天をあとにとっといてちまちまとろろ昆布うどん食ってたんだけど、

ふと気づいてごぼう天もちあげたらつゆに浸かってた部分がフニャフニャどころから衣がはがれてた

あわてて全部たべたけど正直失敗

この失敗を日曜にも繰り返してしまった

いか資さんうどんごぼううどんは頼むな

かけうどん(肉うどん)と、ごぼう天を単品で頼め

最初からうどんごぼう天がのってるのは初心者が上手に食べるハードルが高い

仮に注文したものが届いてそっこー食べようとしても、

運ぶ人とか順番の関係でつゆに浸かってる時間があってすでにふにゃってる可能性も高い

閑話休題

うどんの麺はつるしこ

牧のうどんほどフニャフニャではないが、丸亀製麺ほどしこしこ固く感じることもない

割と好みだった

ねぎが入れ放題だったらなあ・・・

トッピングかけ放題なのはとろろ昆布、七味、つけもの(黄土色のたくわん)、天かすだけだったし

まあコストにきびしいんだろうな

うどん食いおわったときはそうでもなかったけど、デザートとしてぼたもちを食ったら一気に腹が膨れた

よるまでおなかすかなかった

次回はカツカレーおでんを食べるぞと思って店を出た

日曜16時

資さんうどんB 24時間営業

A店より郊外から値段安くなってるかなと思ったら同じだった

24時間営業形態が同じだからかな・・

まずはおでんを物色

いちばん食べたかったウインナーが品切れでがっかり

あと3,4種類も品切れであまりやる気を感じられない

時間が悪かったか

あと値段みてびっくり

やすいので100円、そうじゃないのは150円とか

地主さんの記事だと昔70円で記事とき10円うpで80円になってたっつってたから、

80円、せいぜい90円だと思ってたのに

100円ならわざわざ資さんうどんでくうほどのことはないけど・・・

せっかくだからお試しで、と頼んだ

チョイスはしいたけ串(しいたけ4つ)と大根

牛串とかも食いたかったけど150円は高い

んで席に戻って食う

見た目通りの味で、これで100円は高い、と感じた

まあ外食雰囲気こみってのはあるとは思うけど

んでごぼううどん480円を頼んだ

かけうどんが370円。ごぼう天単品が110円だからごぼううどんとして頼んでも別にお得ではない。

 つまり初日の肉部分のトッピングだけで270円。それに気づいたか今日は肉なしのごぼううどんにした)

んできのうと同じ失敗をした

まりすでにうどんにのせられてる状態できたからふにゃってた

時間おくとふにゃるどころか衣がはずれてごぼううどんじゃなくてごぼうと天かすうどんなっちゃうんだよ

まじで失敗

もし次いったら絶対別に頼む

別に頼んだらごぼう天5本110円でこれはめちゃ安いしコスパいいと思うし

ごぼううどんくったあと腹八分目でちょうどいいカンはあったけど、

どうしてもカレーを食べてみたくて頼んでしまったカツカレー・・・

そんで1/4くらい残してしまった・・・本当にごめんなさい・・・

カツカレー840円

カレーは中辛、となっている

正直、辛くない

辛いものが苦手な自分にとってはちょうどいいけど、

松屋の辛いカレー好きな人にとってはきつそう

ただ、運もあると思うけどカレーの具の牛肉が割と多めな気がした

カツ

ペラペラ

ロースハム4枚分くらいの厚さのハムカツ、もしくは駄菓子ビッグカツ2枚分かという感じ

カツ!!!カレー!!!を期待してこれがきたらがっかりするよ・・・

それもあっておいしくてどんどん食べ進める、ってことができなかったのも多分あった

これで840円はかなり割高だなあ・・・

おでん込でトータル1230円くらい

あとメニューみてはじめてしったのがロッテコラボして雪見だいふくぜんざいってデザートもあった

さすがに入らなかったし、ただ雪見だいふくいれただけならそこまで・・・と思ったし

別件だが雪見だいふくも小さくなりすぎてんだよな・・

総括として、昔の値段でこのクオリティならよかったと思う

ただ値上げした今となっては割高で値段に見合ってないように感じて、いまいち満足できなかった

ごぼう天とかはてめえの食い方が悪かっただけだろと言われるかもしらんが

地主さんが絶賛してた資さんうどん今はもうないんだなと自分は感じた

2022-03-01

ARAIみたいなアニメって今はもうないのかな

どのアニメも刺激が強すぎる。

俺は見てるうちに値落ちしてしまうようなアニメが見たいんだ

2022-02-10

anond:20220210115102

あれはウォーターサーバーかなんかが腐ってたと思うわ

今はもうないけど、蛍池より北、清風荘あたりにあったサイゼ

2021-11-16

池袋地下道からタカセの前に出るエスカレーターの乗り口のところ、ずっとBLっぽい絵の看板が貼ってあったのなんだったんだろう

確か黒い羽が生えた少年?の絵

多分今はもうない

2021-10-30

anond:20211030005805

2ちゃんねる開設当初1999年から成人済みでネットにいたおばさんが来たよ

 

・今5ちゃんねるしかないのに2ちゃんねる風といっているということは「今はもうないサイトを見てる気持ちにさせる懐かしの作風」ってことだよ、女性蔑視リアル味を出したスパイスです。よくある攻めちゃんや受けちゃんに現パロコンパで粉かけるモブ女性社員とおなじやろなぁ(猛虎弁)。

・「ネットでは男子にあらずんば人にあらず」は間違いだよ。2ちゃんねるにも801板(腐女子場所)や鬼女板(既婚女性場所)があって

メーテルになりきった貴腐人たちが上品エロ会話をしたり狼板と喧嘩していたよ。

猛虎弁の男ヲタとおもっても中身おばさんということもよくあるよ

ですので

①「こんなクソアフィサイトなんか当てにならない!真に受けるだけ損!!」 ←アフィサイトだけじゃなくてネット全体に信用したらあかん

②「まとめサイトって面白い!もしこんな風に私の好きなキャラを語ってるスレがあったら楽しいかも!!」 ←まあ本当におもしろネタ転載禁止なので、おもろいネタまとめてる時点で転載禁止守らないダメサイトですので早晩訴えられて消える運命やでそれ

③「男オタクは女オタク差別してるんだ…悲しいな…。」 ←男オタクが、ではなく人は人を差別するもんやで、いろんな理由でな

 

でもまぁそうやって喜怒哀楽うごかせたらページビューがかせげていい鴨なので一度ワンピネタページビューカウンターがまわったら同じ風味のを量産されるんやろな。

若い人はスマホ入手してもライン程度にしておこうな。怒ったサイトがあったら仲間に知らせないこと。スクショとったあとは二度と見ずに自分で墓に埋めろ。こんなんで怒っちゃった自分どうかしてたなくらいにおもえたらまた言ってもいいし反論もできるだろう。

まとめサイトにかぎらずネット情報は嘘やで。政府に援助うけてる学校にいってやっすい学費勉強しなはれ。

2021-09-26

[] そのろくじゅうなな

スギサッタナツイロハイマハモウナイーッス                  杏里/September Walkin' ( すぎ去った夏色は 今はもうない 秋風の淋しさに 街をあるけば )

 

日曜作業お疲れ様です

本日悪天候現場もあると思いますがまぁ基本的に部屋から出ないなら問題はないかなぁと思われます

でもお買い物に行く時はね、天候とかを気にしてね、雨具とか用意すると良いかなと思われます

濡れちゃうと思った以上に冷えて具合悪くしたりしまから

え、もう降らない?もう濡れた?じゃあ体拭きな!

 

ということで本日は【タオルいか】でいきたいと思います

タオルいかタオルヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2021-06-19

昨日みた夢の覚書

 夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所旅行に来ていて、ホテルチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。

ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達旅行になんて行くわけがない。

部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。

さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコール思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。

翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。

思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。

とくだん焦ることもなく私は冷静に自分荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。

ホテル廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。

私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。

私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!

情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家ほとんど真裏に建っていた。

視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。

しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。

「一体どこにいたんだ?」

小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないか不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルロビーまで連れていってくれた。

ホテルロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。

「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」

最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。

私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。

 

目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。

まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。

来月、転職が決まっている。新生活スタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽ廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。

住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。

そう遠くない未来に私が抱く郷愁の味を、私は既に知ってしまったのだ。

2021-03-17

anond:20210317183405

差別存在していて今はもうないとしたら、それは問題からちゃんと復活させましょう!ってこと?

2021-03-14

追記母親養育費請求しなかったせいで大学に行けなかった

追記。今までずっと漠然と不満に想い続けたことを言葉にし、区切りをつけたいと思って増田を書いた。

小さい頃から常に、うちは貧乏なのだと思い知らされながら生きてきた。母や祖母が、他の親がしてくれるようなことをしてくれないことにずっと、子どもらしい、幼稚な不満をずっと抱えていた。中学生ぐらいになって、だんだん母の苦労や世の中の「仕方なさ」みたいなもの理解出来る様になってきても、どうしてもその不満は消えなかった。どうして俺だけ、と考えないようにしても考えずにはいられないのに、それを口にすることの無意味さもわかっていた。嫉妬や幼稚な不満への対処法は、そういった負の感情を出来るだけ抑え込み、「仕方ない」と自分に言い聞かせて現実を受け入れること以外になかった。

大学に行けなかったことを残念に思っている。今更行きたいとも思えない。高3のあの時から何年も、行きたくても行けず悩み続けていた頃のことを思うと悔しい。

大学に行けなかったのは「母のせい」ではきっとない。母が父親養育費請求していたとして、みんな言う通り、父親は払わなかったんじゃないかと思う。きっと1番悪いのは無責任父親だ。でも、払われなかったとしても、母が養育費請求したという事実だけでもあったらよかったのにと思う。

島の外のどこにいるかも知らない父親に、どんな感情を抱いても仕方なかった。手当の額も、母子家庭のあり方も、政府や世の中が決めたことで、自分達には仕方ないないことだった。でも、母だけは仕方ない存在であってほしくなかったと未だに思うのは甘えかもしれない。

母には、何を言っても仕方ないと思う。母は視野が狭く頑なだ。自分の考えたくないことは考えない。島ではそういう人間でいた方が生きやすい。世間的に見てもあまり頭の良い人ではないんだと思う。でも、気配りができて集団に溶け込むのがうまい仕事を辞めて余裕ができてからは近所付き合いも良好だ。

父親みたいな人間を恨むより、たった20万に感動したほうが幸せだと思う。

でも、そんな母を残念に思う自分もいる。自分と同じ怒りをほんの少しでもいいから持っていて欲しかった。20万で許さないで欲しかった。

ずーっと、金がなかった。暮らすのがやっとの生活で、大学受験を目前にし、やっと貧乏を抜け出せると思ったの矢先に現実に引き戻されてさらなる貧乏で。貧乏が辛かった。

父親が俺の養育費を払わないことを、俺に貧乏させるのを許す人間でいて欲しくなかった。

 

 

本文

 

10数年前の話だ。

母子家庭だった。生まれた時から父親は居なかった。

母は俺を妊娠した経緯について語らなかったが、俺は中学に上がる前には、親戚やご近所さんなどからの噂話からだいたいのことを知っていた。母は専門学校に通っていた頃に避妊に失敗し、彼氏に逃げられたらしい。そして1人で産むと決意し、実家(離島でど田舎)に帰ってきた。

田舎だったから、そういったことはかなり噂された。「増田くんのお母さんは……ねえ?」とうすら笑いを浮かべながら言われたこともある。自分以外にも、片親家庭はいくつかあったが、それでも居心地の悪さは感じた。

当然のように、学もない母と仕事もない田舎で、うちは貧乏だった。祖母の僅かな年金母子手当とスーパーパート家族3人で暮らしていた。建てた時は立派だったんだ。大工だった曾祖父さんが建てたんだとたびたび祖母に自慢された家は、台風で半壊した後ろくに修理されておらず、ボロくてとても恥ずかしかった。

俺が10歳の頃に、父親がひょっこり母に会いに来たことがある。本土にいた頃の母の友人の友人を辿って、連絡先を得て会いに来たらしい。ある日学校から帰ったら知らない男がリビング自分のコップを使って麦茶を飲んでいた。俺の父親だという男はいかにも育ちが悪そうな、ピアスをつけたスーツの似合わない男だった。

そのとき俺は既にそいつ妊娠した母と、お腹の中にいた俺を追いて逃げたことを知っていた。その意味はまだきちんと理解していなかったが、いい感情は持っていなかった。男は、今は結婚して子供もいると言って写真を見せてきた。「ほら〇〇くんの兄妹だぞ。かわいいだろう?」と猫撫で声。男の子女の子で、3歳?と1歳だったと思う。小学生の俺には、怖そうな見た目なのに子煩悩丸出しな男が奇妙で気持ちが悪かった。父と息子の感動の再会なんてことになるはずもなく、その男はその日隣町のホテルに一泊して、島を離れた。

から聞いた話では、子供を持つようになって過去の行いに反省し、謝りに来たらしい。元ヤンキーにしては立派なことなんだろう。母は当時それに感動していたらしい。「俺も家族があるからこれぐらいしか出せないけど」と20万円包んでくれたらしい。

中学卒業して島を出る日に、そのお金を見せられた。島にも高校はあったが俺は本土高校に通った。同級生より少し勉強ができたからだ。祖母は金がかかるから島の学校に通えと言ったが、母や担任の説得あって島を出ることができた(祖母年金の一部は俺への仕送り代になった)。

本土高校の側には、島や遠方から学生の住む下宿があった。昔は賑わっていたという下宿だったが、当時から既にガラガラで、オンボロだった(今はもうないらしい)。例の20万円は高校入学新生活スタートに使った。高1の冬に、そのお金の残りから抜いた諭吉友達バッセンに行った覚えがあるから、全部は使わなかったんだろう。まあ、20万円はそうやって高校1年のうちに使い果たした。

進学校で周りも勉強に打ち込んでいたお陰で、高校生活殆どはうちが貧乏であることは忘れて過ごせた。一部の模試受験料を捻出できなくて諦めたことはあるが。忘れもしない3年の冬、母に胃がんが見つかった。奨学金を借りて大学に行く予定だった俺の予定は見事に砕け散った。正直その頃既に母の頃はあまり好きではなかった。それでも、知らないふりするわけにはいかなかった。普通に「なんで今なんだよ」とめちゃくちゃムカついた。いっそ治療がいらないぐらい進行してろよとも思った。

仕方なく、高卒本土で働き始めた。島から近い港の仕事だ。母の癌治療は2年で終わった。手術と抗がん剤治療を終え、再び働けるような体力はなかったが、一応治ったのだった。それでやっと、3浪したのだと思って受験に精を出そうと思っていた矢先に、祖母が倒れ介護必要状態になった。母子手当も母の収入もなく、祖母の少ない年金でやってくのは無理そうだった。仕事先で正社員にならないか?と持ちかけられていたのもあって大学進学を諦めた。

良い職場だったし、仕事も気に入っていた。今は同業他社転職したが、収入大卒と遜色ない。もう大学進学への未練もさほどない。

ただ最近になって、異母兄妹の兄の方と偶々飲む機会があった。大卒だった。それも自分の行きたかった学部だった。妹の方は海外大学に進んだらしい。どうやらあのピアス男は自分の子供には金をかけたようだった。家族旅行の話なんかもチラリと聞いたから、なかなか余裕があったようだ。

うちが母子家庭貧乏に苦しんでる間に、そう思うとかなり複雑な心境だ。

避妊に失敗したのも仕方がない。1人で産むと決意したのも怒っちゃいない。稼げないのも頭が悪いのも責めるつもりはない。ただ、どうして父を逃したのか。認知させなかったのか。養育費請求しなかったのか。そして、のこのこ謝りに来た父を何故ほいほい許し、たった20万円で逃したのか。腹が立って仕方がない。養育費は俺の権利だった。母には俺の代わりに養育費請求する義務があった。今まで父親の方も金がないのだと諦めていたが、あったじゃないか。母がきちんと養育費請求していれば、18歳からの俺はあんなに苦しまずに済んだろう。

もう遅いし、今更母に何か言う気にもなれない。悲しきかな、基本的に話が通じる人ではないのだ。

からここに吐き出す。どうか子供養育費はきちんと請求してくれ。きちんと払ってくれ。親戚や友人にそういう親がいるなら説教してやってくれ。

俺の言いたいことは以上だ。

2021-03-02

anond:20210301215725

現代アカで CNS を修士二年で複数ってそれ絶対自力じゃねえよ受け継いだ研究たまたまシュート決めた奴でしかない

というかそれ教授愛人以外ありえるか?

アカで本当に優秀かどうかは正直論文数とか雑誌じゃ全然からない

修士の間に助教に声がかかっている奴だけは本物って言える

退学助教コース今はもうないとか言われがちだが今も普通にいる

2021-02-21

人生で1番許せない嘘松がバズってた

2/22追記

コメントしてくれた人、ありがとうございます。全部読みました。

てっきり「嘘松はテメーだろ」とか「長文うざい三行で書け」とかでいっぱいになると思ってた。

他人過去は言っちゃいけない強迫観念もあったので、読んでもらえたことで少し気持ちが軽くなったと思う。

オススメしてくれた人、ありがとうございます。さっそく読んでみます

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Twitter何気なく見ていたら、昔消えたはずの知り合いの嘘つきがバズっていた。

今度メディア進出するらしく、恥ずかしげもなく顔まで出してやがるからすぐ分かった。

もう終わった事だからと封じ込めてた憎しみが溢れ出して止められない。

怒りでどうにかなりそうと思ってカウンセリングを予約したが、急遽行けなくなったのでここにすがる。

 

当たり前だが犯罪を犯すつもりはないので人物特定されそうな内容はぼかしている。

まりにも長いので、暇すぎて死にそうな人にオススメ

=====

この嘘つきには悪意たっぷり青春時代をぶっ壊されており、そのことで恨んでいる。

入学してすぐ仲良くなり、最初は嘘つきだとも思ってなかった。

本籍ドイツ」「親は世界的に有名な芸術家」「家のベッドは親から前借りして買った100万のベッド」が口癖。

例えば「ドイツのどこ?」と言っても「今はもうない」等とかわされて、自分おかしいと思いつつ踏み込まないでいた。

しかし人を馬鹿にするネタ(腐女子スラム街とか)明らかな虚言が増えてきて、嫌になった俺は少しだけそいつ距離を取ることにした。

 

すると嘘つきの態度が急変した。

別の友達に、俺がやってもいない噂を流したり、俺を会話の輪から外そうとしてきた。

とにかく長い期間やられた。俺に分からないよう周りと結託するなどとにかく狡猾だった。

挙句の果てには、俺の鍵垢に裏切り者を忍ばせ、スクショとともに「見てるよ^^」とまで送ってきた。

限界が来た俺はそいつの連絡先をすべて消し、翌日から無視するようにした。

他の友達ともあまり関わらないようにした。

自分は何も悪いことをしていないのに、友達との楽しい中学ライフを奪われた。

いつか天罰が下らないかな、と思ってた。

 

下った。

Twitterで虚言がバズったことに気持ちよくなってしまったのか、内容はエスカレートしていた。

「店でヤバい客にコップで殴られ救急車なう」みたいな内容だったのだが、あっという間に拡散され、店に連絡したという奴まで現れ、もちろんそんな事件は起きてなかったことがすぐ分かった。

そこからは流石インターネットというべきか、すぐにそいつの専スレが立ち、今は消えたがNAVERでまとめも作られ、一躍有名人になった。

虚言癖のヤバい奴として。

そいつはもちろん謝りもせず、アカウントを消して逃亡した。

この一件で俺は「さすがに懲りただろう」と思った。

俺もいつまでも引きずっちゃいけないなと、思い出す度に苦しかったが、自分に言い聞かせていた。

 

そんな時にTwitterを復活させた嘘つきを見て、俺の努力無駄だとわかった。

まだ相変わらず虚言癖は直っておらず、腐女子スラム街ネタの応用でバズっていた。

本気で信じてる人がたくさんいて、フォロワーもたくさんいる。

今すぐコイツ本名と昔のアカウント名を公開して、こいつ虚言癖ですよと叫びたい。

人の人生に悪意たっぷりの土足で踏み込んでおいて、平然と逃亡する奴なんですよと。

でもそれをしたら訴えられても文句は言えない。だから我慢している。

でもこいつは我慢しなくていいんだな。

さぞ気持ちよかろうな、人を叩いて称賛を得て報酬まで得るのは。

そう思うとどうしても怒りが我慢できない。

 

自分自分でこの恨みにいい加減区切りをつけねばと思う。

こんなんだからこういう虚言癖につけこまれるんだと。

この書き込み最後にして、この嘘つきとの思い出をこれまでにしたい。

 

ご清聴ありがとうございました。

2020-08-15

つくば市に異様な憧れがある

私は、茨城県南のつくばではない市に住んでいる。茨城在住ではない人は茨城について魅力度と納豆ぐらいのイメージしかないだろうが、つくば市は茨城の市というより「筑波研究学園都市」として馴染みがあるだろう。約300の研究機関、2万の研究者を擁し、そのヤバさたるや時に「悪の組織」などと言われるレベルである(実際には多分悪の組織ではない。JAXA見学とか楽しいし)。秋葉原からつくばを45分で繋ぐつくばエクスプレスが走り、キャンパス敷地内をバスが走るクソやべえデカさの難関国立筑波大学があり、国際会議場があったりもする。茨城にこんな重要そうな場所があっていいのかと思う。

私は、つくば市に原因不明の憧れを持っている。上につくば市の良い(と思われるところ)を挙げたが、それらが理由ではない気がするし、幼い頃から日常的につくば市に行っているのでつくば市への幻想は砕かれていると思う。実際にはホイホイその辺の歩道ロボットが走っていたりはしないし、他の市よりは発展してはいものの都会を名乗れるほどではないし(なんなら筑波山ふもとあたりはクソ田舎)、国際会議場のレストラン冷やし中華はマズいし、あと交通の便がめちゃくちゃ悪い。つくばエクスプレスはあくま東京との行き来に便利なのであって、現地民が使うには駅の場所微妙だし高い。乗ったことないけど通学で使ってた友達がやりづらそうにしてた。あとイーアスへの交通の便も悪い。

それなのに、私はオシャレな街を思い浮かべるとき渋谷横浜名古屋などではなく、曇り空の洞峰公園近くの道路や、日が落ちた後の竹園などを思い浮かべる。3DSNintendogs+catsの街みてぇな雰囲気のところに住みてぇなと常日頃思っているのだが、それと同じノリでつくばのことが思い浮かぶもしかしてつくばってなんかの開発のモデル都市かになってたりする?よくわからん

自分の住んでいる市が嫌いなわけではない。故郷なわけだしむしろ好きな方。研究学園都市に比べればクソ田舎だが。

田舎者なので先程挙げた渋谷などのようなゴリゴリの都会への馴染みが薄いというのもあるかもしれない。それに比べてつくば安心感たるや。両親は結婚する前、つくば近郊で働き、つくばアパート同棲していた。私は幼い頃はつくばピアノのレッスンに行き、その発表会をイーアスのホールでやり、シネプレックスつくば映画を見に行き、国際会議場まで入試を受けに行った。多くの場所メチャクチャ馴染みがある、かといって自分が住んでる市ほど詳しくはなく、僅かな「特別場所」感が残っている。つくばは私にとって東京よりも身近な都会なのだ。クッソ高えビルとか巨大な画面のついたビルとかヤバいほど歩いてる人とかに慣れていない私にとってはこのぐらいがちょうどいい。私の家の前歩道白線すらないし。

これから世界に羽ばたいてくれ筑波研究学園都市。あとはバス多くしてどっかにアニメイトとかデカめの映画館とか建ってくれたら最高。上映館が少ない映画は柏か水戸まで行かないと見られないことが多いし、シネプレックス死にかけてるし。

住みたいかと言われれば交通の便から微妙だけども、いつか1日かけてつくばゆっくり見て回る日を設けてもいいかなと思っている。観光名所などではなく、幼き日のピアノ教室だったり、今はもうないアジトオブスクラップの近くのパン屋だったり、母が馴染みだったと言って連れていってくれた洋食屋ケーキ屋だったり。そこで美味しいオムライスを食べながら、受験説明会の時に国際会議場で食べた冷やし中華はクソ不味かったなあと感慨に浸りたい。

2020-08-10

セックスボランティアの思い出(宗教

私はある宗教団体セックスボランティアをしていたことがある。

当時は十代で、母親に勧められるがままそういったことをしていたが、いろいろなことがきっかけでそこから抜け出せた。

あの時の思い出は私の心の傷になっているが、認めたくはないがいまの自分形成しているものでもあるし、多くの影響を与えてきた出来事ではある。

私自身もう20代も後半になったし、問題団体今はもうないので、整理の気持ちも含めてセックスボランティアの思い出について書こうと思う。

ありがちなことだが、私がその宗教団体に入ることになったのは母親きっかけだった。

母は私が物心つく前から父とは離婚しており、看護師仕事をしていたのだが、どうやら徐々に精神を病んでしまっているようだった。

子供心にも母はよくわからない理由でキレたり、かと言えばいきなり優しくなったりとよくわからない側面が疑問だった。

私が小学2年生に上がる頃、母が何やら怪しい男と付き合っていたことを覚えている。今振り返ればあの男は教団の関係者だったのだろう。

本当に典型的で笑ってしまうのだが、母は精神状態悪化とともにその宗教にのめり込んでいった。

なし崩し的に私もその宗教団体に入れられることになるのだが、うっすらとその団体施設で多くの子供たちと一緒に遊んだ記憶がある。また、合宿か何かでキャンプファイヤーをしながらアイスを食べたことを覚えている。

母の宗教へののめり込みは加速していった。流石に私が中学生になる頃にはその宗教団体の異常さに気づき始めたが、母ののめり込み様には何も言えなかった。

団体として私が知っているのは以下の通りだが、書き起こしてみるとザカルトという感じで笑ってしまう。

・ある一人の男が教祖

その男預言者?で世界が終わると予言している

信者同士はとにかく褒め合う(挨拶が褒め合いみたいな感じ)

信者同士の悪口禁止

・正教徒・準教徒・親教徒幹部教徒がいて、完全なピラミッド構造

信者の数は50人もいなかったと思う。動いてるのは20人ぐらい?

本当に洒落にならないカルトだった。徐々に私はそんな団体にのめり込んでいる母親がかわいそうに思えてきた。今思えば

思い切って母にやめてみてはどうかという話をした。しかし母は烈火の如く怒り狂って洗濯物干しで腹が青くなるまで私のことを叩いた。めちゃくちゃ痛かったが、普段からそんな調子ではあるので何も逆らえなかった。

そのうち、どこかに電話たかと思えば例のあの男が家に現れた。時々来ているのは知っていたが、直接話したことは一度もなかった。

母は怯える私の顔をぶん殴って(流石に顔をぶん殴られたのはこの時が初めてだった)、服を脱がせ始めた。私も流石に意味がわかって弱く抵抗したが、今度はその男が近づいてきたと思うと、思いっきり振りかぶって私の顔をぶん殴った。

本当に、殴られた時に星が出るって本当なんだなってその時初めて理解した。マジで今思い返すとあそこで死んでてもおかしくなかったと思う。

気がつけば犯されていたわけだが、まさにそれははじまりに過ぎなかった。

それ以前は優しい時と厳しい時があったような母であったが、それからは完全に暴力暴言をふるってくるようになった。目が合えば腹を殴られるし、タバコなんて吸わないのにわざと買ってきて押し付けてきたときはもはや笑いしかでなかった。そして定期的にあの男が来て私を犯していった。今でも漫画みたいだな、と思うし当時も自分自身でそう思っていた。

この頃になると私も微妙おかしくなっていて、そういうことをされているとき自分第三者目線で見ている様な感じになっていた。学校と家を行き来する私を上から見下ろして見ていたこともある。ここら辺、名前がつく精神病だと聞いたことはあるが詳しいことは忘れた。

そして中学生3年生ぐらいの時に、施設に呼び出されて「セックスボランティア」に就任することになったなどとほざかれた。

大真面目にそう言われたときは笑っていいのか泣いていいのか喜んでいいのかわからなかったが、ああそうですかという言葉しか出てこなかった。

それからはみなさんの想像通り、まるでデリヘルばりに謎の男(多分信者の人ではない)の元に運ばれてセックスセックスセックス。本当に辛かったし一時期は死のうと思ったけれど、意地というか意固地というか、こんなんで死んだら本当に母親にもクソみたいな男どもにも負けだな、と思って耐え続けた。

それで私が高校3年生ぐらいの頃、団体が何やら揉め始めたみたいで(詳細は不明)分裂するとかしないとかいう話になった。その機会を見計らって家を出た。

児童相談所に頼るという手も考えたけれど、今まで助けてくれなかったという謎の怒りがあって、当時の彼氏の家に匿ってもらった。

その後、あの団体がどうなったかの詳細はよくわからないけど、無くなったとだけ聞いた。教祖名前インターネットで調べてみても2ちゃんねるの端っこに書いてあるぐらいで、本当に何もなかったかのようで驚く。私の感覚では超巨大な教団だった。

今では母親和解して一緒に住んでいる。そりゃ恨んではいるけど、親だしね。今ではなんてことない昔の話だけど、こういう犯罪があったんだよっていうのはここに書いておきたかった。

2020-07-17

anond:20200717155416

俺は元増田ではないので何ともいえませんが

慣例としての出版業界ルールしか

とりあえず自分1990年代に通っていた

編集デザインとか校正とか教えてる専門学校今はもうない)では

講師筑摩書房OBとかの出版退職者)からそう教えられました

マイクロソフト下請け会社

ソフトウェアマニュアル部分の文章編集する仕事をしていた当時も

大体そんなルールだった記憶

印刷物では一桁数字は全角「2」「4」、二桁数字は半角「22」「45」とかいルールも教えられた)

2020-07-08

晩夏を思う

大きめの銀行就職して3年たった。

就活生には申し訳ないが、弊社の採用サイトなぞデタラメだ。

あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。

とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。

外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手まれ雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店お荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。

銀行採用は実に卑怯である。上の人間仕事に集中できるように若者使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務エクセル英語も、何もわからないまま。仕事書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。

給料世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務お姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。

銀行業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。

業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視金利競争地方地方でズブズブの企業人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からいか手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか

内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰ルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分意見が正しいのだ。誰も自分意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。

「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店セコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手キャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。

仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。

この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務パソコンを導入した人たちは「紙でやる業務ワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ

定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボである採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロシステム銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材流動性が高まろうといった現在手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在システムのままでは人材の受入はできないだろう。

銀行人材斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。

サービス大事だと偉い人は言う。寄り添った提案大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設からから便利だし、楽天銀行UIは流石楽天まり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ち年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。

日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去遺物に成り下がるだろう。いっそ法人個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。

偉い人曰くサービス大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。

我々商業銀行商業銀行であるが故に、もっとブランド意識するべきだろう。それは金持ち年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカード連想されるような、スマート商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行いつまでも大衆銀行であるために必要なことだろう。

なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行タイアップしたカフェやらコーワキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落スマート代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段カジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランド大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ

思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。

普段業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。

仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。

人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。

何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。

2020-06-09

むかしも

そういうことはあったけど

自分たちのほうが精神病院に通う親が

こどもが あたまがおかしい とかいって 親権を使って テレビ取材許可を受けることがある

私の場合は 血族にはそういう許可はしていない 本人に直接でないものに 取材許可など出すわけがない

取材関係は気をつけるから 

 

一緒に飲みにって振興を深めて なんども打ち合わせをして おたがいに電話したことがあるスタッフ

こちらの発言を 編集して 多少意味が違う

それはまぁ、しょうがいかなっておもう あるいみ 売り言葉に買い言葉っていうのがあって

そのスタッフ皮肉込みだったのをうまく皮肉編集し直したなーと くやしかったけど 腕を高く評価した

という事があるくらい 直接確認して 直接やられる という おたくだったから 今はもうないけど そのときのはなしで 直接話を聞くか、そういうプロを通しているので 肉親や家族などには話をしていない

また、今後も プライベートのことを 家族に話すことはないだろう

2020-04-29

anond:20200413002154

工場中国などアジアに出て行った。生産現場がなくなると研究開発力も落ちる。

中国などとの経済戦争に負けたこと。氷河期少子高齢化など根っこは同じ。

 「電子立国日本」とか言われてたときには偏差値高い人たちが情報工学科、電子工学科を志望していたが、

 その人たちが就職した3割位の就職先の会社が吹き飛んで今はもうないメモリー液晶など)

技術に金が集まるのではなくて、技術を上手にプレゼンしてマネタイズする人にお金が集まるという教科書的な話が普及したこと

エレキ時代、には家で半田付けしたりプログラミングしてごにょごにょ秋葉原日本橋にパーツショップ・・・という

 ことが成立した。アマチュア無線家やマイコンホビーというものがあったが、バイオ時代に家にラボを構えるのはかなり

 敷居が高い

所得格差の拡大で家でいろいろお金のかかる生産的なホビーをできる人が減った。昭和時代、お医者さんとか上級公務員の子弟とか

 家にちょっとした実験室やスタジオみたいなものがある家が結構あった。今はそこにお金をかける人が減った。

2020-02-21

anond:20200220210311

フェリー雑魚寝したけどあんな感じかー。

今想うと雑魚寝とか色々問題ありまくりな気がするが。

雑魚寝とまたちょっと違う。アレよりはずいぶんマシで、今はもうないけど寝台列車の二段ベッドになってる奴の豪華版みたいな感じ

ここのステートルームB 4人定員 てのがあるやろ。クルーズで最安だったらこんな感じのグレード。雑魚寝よりはずっとマシやろ。

https://www.snf.jp/ship/ship_akashia.html

さいきんの船だとそもそも最低グレードがツインとかだったりすることもあるから、船によっては当てはまらんかもしれない。

2020-02-13

昔、従姉妹自殺した。

訃報を聞いて最初に浮かんだ言葉は、「先を越されてしまった」だった。

自殺はね、馬鹿がすることですよ」

何年目かの法事喪主の伯母の代わりに挨拶をしたのは、親族の中の代表的存在の人だった。

その一言を聞いた時、何て残酷なことを言う一族だろうと思った。

自殺なんてそんなに簡単にできることじゃないのに。

一瞬でも死ぬのが怖いと思ったら死ねない。

遺族の事を考える余裕があったら死ねない。

その思考ができなくなるだけの絶望が、彼女にはあったはずなのに、

その絶望抗うために、彼女は懸命に生きたはずなのに、

何故それを想像することができないのだろう。

何故、彼女が遺した母親の前でそんなことが言えたのだろう。

その代表言葉に誰も言及しなかったあの異質な空気が、私の頭の隅に記憶として焼き付いている。

でも、従姉妹の死に「先を越されてしまった」と思ってしまった自分も、

その残酷一族の血を色濃く継いでしまっていることに、最近気づき始めた。

表面上で良い人を取り繕っているだけで、結局は自分の事ばかりだ。

過去の失敗経験フラッシュバックするようになってから、そんなことを思うようになった。

私の無自覚が、沢山の人に迷惑をかけた。沢山の人を傷つけた。

しかし、今更性格を直したいと思っても、そんなことがすぐにできる筈もなく、

失敗を繰り返す度に自分自分の浅ましさを思い知らされる。

こんなことならさっさと死ぬべきだった。

立て続けに親族が死んだら可哀想とか、

うちの家族も、私が死んだだけでああして露骨馬鹿にされるのだろうかとか、

そんなことを考えずに、とっとと死ぬべきだった。

無自覚害悪としてのうのうと生きていける自信が、今はもうない

開き直って生きるようになる前に、一思いに死にたい

2020-01-06

医者になんかわからない

去年の年末仕事が一段落して休憩していた時にふと思ったこと。

自分はこのまま2020年を生きる。2018年に戻る、ということはない。

だったら自分2018年は何処に行ったのだろう。自分のこれまでの人生は? 過去は何処に消えたのか?


自分体験したこと。あの時確かにあった、例えば憧れの女性との語らい。

職場でイビられて悔し涙を流したこと。誉められて嬉しかたこと。全てはもうここにはない。記憶の中。忘れてしまうとなにも残らない。

森博嗣じゃないけど、「今はもうない」なんだな……そう考えると気分が悪くなった。


時間がこのまま過去から未来流れる、という保証はあるのか?

時間がある時突然止まったらどうなるんだろう? なんて……。


大学在学中から精神科というかクリニック通いの身なんだけれど、先生に言った方が良いんだろうか?

多分「あなた大丈夫ですよ」と言われて、クスリをまたポンと渡されて終わりだと思うんだけれど。


それはそれとして、バービーボーイズは良いね

2019-11-29

その頃僕らを支えていたのは松屋カレーだった。創業カレーじゃない

からちょうど10年まえぐらいに何をしていたのかというと、

11年ほど勤めたアパレル業界を完全に辞め、

すずめの涙の退職金を1カ月以内ですべて散財し、

遠方に住むわりとしっかり者の両親から金をせびって生活していた。

5年間付き合った、まあまあ面白いけど美意識高すぎ底意地悪すぎの、

今となってはなぜ付き合っていたのか疑問だけが残るバイセクシャル彼氏とも完全に破綻し、

面白い」だけで選んできたもの

「浅はかさという名の若さ(バカさ)でした」みたいな結果に愕然としながら、

ほぼ毎日、当時は350円松屋カレーを食って生きていた。

昼夜で700円。破格のエンゲル係数今はもうない

ありがとう松屋あなたのおかげで生き延びられて、

なんとなく仕事があって、今ぼんやりここにいます

から、手が込んで美味しいカレーが食べたいわけじゃない。

やたらしょっぱくて辛い、安いカレーが食べたかった。味噌汁付きの

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