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2021-06-19

昨日みた夢の覚書

 夢のはじまりは夜だった。私は友達三人とどこか温泉街のような場所旅行に来ていて、ホテルチェックインを済ませたところだった。私に一緒に旅行ができるような友達は三人もいないはずだから、その友達が誰だったのか、どんな顔だったかはもう思い出せない。あるいは高校修学旅行で同室になった同級生たちだったかもしれない。

ホテルは十四階建てくらいの、温泉街にしては大きくりっぱなホテルで、私たちは四人で一部屋の和室に泊まった。皆で浴衣に着替え、宴会場のようなところでにぎやかに夕食を食べた。酒を飲んで心地よくなった私は「先に部屋に戻るね」と言って、友達三人を残して宴会から抜け出した。私には昔からこういう空気が読めないところがあって、だから友達もいないわけで、やっぱり三人もの友達旅行になんて行くわけがない。

部屋に戻ると、すでに四人分の布団が敷かれていた。食事の間に用意してくれていたようだ。私は自分の布団に潜りこんだ。眠気はすぐに訪れた。

さらに夜が深くなり、あのまま眠ってしまったらしい私はうっすらと目を開けた。部屋の電気はついたままで、けれど室内に他の三人の姿がみえない。敷かれていたはずの他の布団も見当たらない。まだ微睡んでいる意識の端でふと、私はもどる部屋を間違えたのかもしれない、という可能性を考えた。アルコール思考が鈍麻していた私は、それでもいいかと思ってそのまま目を閉じた。

翌朝、目を覚まし、今度は完全に意識覚醒した状態で室内を見渡した。何度みてもやはり、其処には私一人しかいなかった。

思ったとおりだ。私はもどる部屋を間違えてしまったんだ。

とくだん焦ることもなく私は冷静に自分荷物をまとめ、スマホの充電がいっぱいになるまで少し待って、部屋のドアを開けた。

ホテル廊下が続いているはずのそこには、明るい外の景色があった。それも、よく見慣れた、私の実家玄関を開けたときに見える畑と砂利道と住居と、そういう眺めが目の前に広がっていた。

私はさすがに驚いて、たった今まで自分が寝ていた部屋を振り返る。ホテルの部屋だと思っていたそこは、私の実家に替わっていた。もう誰も住んでいない、置いていかれた家具がなんとか朽ち果てずに残されているだけの、異質な存在感を放つ廃墟が私の背後にあった。

私は酔っぱらって、ホテルの部屋に戻ったつもりが実家に帰ってしまっていたんだ!

情けない気持ちになりながら、とりあえずホテルまで戻ろうと外に出たところで足が止まる。実家からあのホテルまでのルートなど私が知るはずもない。途方にくれたが、私はそれでもホテルを目指して歩いた。そしてすぐに気づいた。あのホテルは私の実家ほとんど真裏に建っていた。

視界にあらわれたホテルは来たときよりも小さく、ペンションのような見た目に変わっていた。

しばらくホテルを見あげて立ち尽くしていると、入り口から引率の先生のような中年男性がでてくるのが見えた。いなくなった私をさがしに来てくれたらしい。友達四人の小旅行だったはずの旅行がいつの間にやら、修学旅行か何かに変わっている。気づけば私は当然のように学生服を着ていた。

「一体どこにいたんだ?」

小走りで駆けよってきた先生が私に尋ねる。私はその瞬間、廃墟となった実家で一夜を明かしたことを話せば奇異の目で見られるのではないか不安になり、曖昧に口ごもった。まごつく私に先生もそれ以上追及することはなく、私をホテルロビーまで連れていってくれた。

ホテルロビーでは、先生に付き添われて私は誰かを待っていた。友達三人のことを待っていたような気もするけれど、はっきりとは分からない。それでもただ、私は待った。ロビーには私のように先生に付き添われ誰かを待っている人が他にも何人かいた。あてどないような、茫洋な表情を皆そろって浮かべている。それを見るうちに私は、昨夜の出来事をすべて先生に話してしまいたくなり、これまでの経緯をとつとつと先生に打ち明けた。

「私、本当はやっぱり、実家出るの嫌だったってことなのかなぁ」

最後にそうつぶやくと、先生は私を見て黙った。それからゆっくりと、正面の大きな窓に目をやり、その向こうに見える立体駐車場を指さした。あの駐車場は昔は駐車場じゃなかった、あそこには誰かの住居があった、でも今はもうない。そうやってすべては変わっていくものだと、先生はしょぼくれた私を励ますように喋り続けた。

私はぼんやりと、良い人だなあこの人、でも、たとえ話は上手くないなあと思いながら、熱心に語られる話を右から左へ聞き流した。

 

目が覚めた。今度こそ本当に、そこには現実の朝があった。

まだ夢の記憶が鮮明な私はしばらく体が弛緩したようになり、とても起き上がる気になれなかった。まったくなんて夢だろう。

来月、転職が決まっている。新生活スタートだ。もうあと半月と経たずに、私は生まれから二十数年を過ごしたこの家を出る。夢の中ではすっかり空っぽ廃墟になっていたあの家に、現実の私は今、まだ、あともう少し、住んでいる。

住み慣れた我が家の廃れきった姿、それでもそこに帰ろうとした夢の中の自分を思うと、切ないような気持ちがこみあげてたまらない。

そう遠くない未来に私が抱く郷愁の味を、私は既に知ってしまったのだ。

2021-03-17

anond:20210317183405

差別存在していて今はもうないとしたら、それは問題からちゃんと復活させましょう!ってこと?

2021-03-14

追記母親養育費請求しなかったせいで大学に行けなかった

追記。今までずっと漠然と不満に想い続けたことを言葉にし、区切りをつけたいと思って増田を書いた。

小さい頃から常に、うちは貧乏なのだと思い知らされながら生きてきた。母や祖母が、他の親がしてくれるようなことをしてくれないことにずっと、子どもらしい、幼稚な不満をずっと抱えていた。中学生ぐらいになって、だんだん母の苦労や世の中の「仕方なさ」みたいなもの理解出来る様になってきても、どうしてもその不満は消えなかった。どうして俺だけ、と考えないようにしても考えずにはいられないのに、それを口にすることの無意味さもわかっていた。嫉妬や幼稚な不満への対処法は、そういった負の感情を出来るだけ抑え込み、「仕方ない」と自分に言い聞かせて現実を受け入れること以外になかった。

大学に行けなかったことを残念に思っている。今更行きたいとも思えない。高3のあの時から何年も、行きたくても行けず悩み続けていた頃のことを思うと悔しい。

大学に行けなかったのは「母のせい」ではきっとない。母が父親養育費請求していたとして、みんな言う通り、父親は払わなかったんじゃないかと思う。きっと1番悪いのは無責任父親だ。でも、払われなかったとしても、母が養育費請求したという事実だけでもあったらよかったのにと思う。

島の外のどこにいるかも知らない父親に、どんな感情を抱いても仕方なかった。手当の額も、母子家庭のあり方も、政府や世の中が決めたことで、自分達には仕方ないないことだった。でも、母だけは仕方ない存在であってほしくなかったと未だに思うのは甘えかもしれない。

母には、何を言っても仕方ないと思う。母は視野が狭く頑なだ。自分の考えたくないことは考えない。島ではそういう人間でいた方が生きやすい。世間的に見てもあまり頭の良い人ではないんだと思う。でも、気配りができて集団に溶け込むのがうまい仕事を辞めて余裕ができてからは近所付き合いも良好だ。

父親みたいな人間を恨むより、たった20万に感動したほうが幸せだと思う。

でも、そんな母を残念に思う自分もいる。自分と同じ怒りをほんの少しでもいいから持っていて欲しかった。20万で許さないで欲しかった。

ずーっと、金がなかった。暮らすのがやっとの生活で、大学受験を目前にし、やっと貧乏を抜け出せると思ったの矢先に現実に引き戻されてさらなる貧乏で。貧乏が辛かった。

父親が俺の養育費を払わないことを、俺に貧乏させるのを許す人間でいて欲しくなかった。

 

 

本文

 

10数年前の話だ。

母子家庭だった。生まれた時から父親は居なかった。

母は俺を妊娠した経緯について語らなかったが、俺は中学に上がる前には、親戚やご近所さんなどからの噂話からだいたいのことを知っていた。母は専門学校に通っていた頃に避妊に失敗し、彼氏に逃げられたらしい。そして1人で産むと決意し、実家(離島でど田舎)に帰ってきた。

田舎だったから、そういったことはかなり噂された。「増田くんのお母さんは……ねえ?」とうすら笑いを浮かべながら言われたこともある。自分以外にも、片親家庭はいくつかあったが、それでも居心地の悪さは感じた。

当然のように、学もない母と仕事もない田舎で、うちは貧乏だった。祖母の僅かな年金母子手当とスーパーパート家族3人で暮らしていた。建てた時は立派だったんだ。大工だった曾祖父さんが建てたんだとたびたび祖母に自慢された家は、台風で半壊した後ろくに修理されておらず、ボロくてとても恥ずかしかった。

俺が10歳の頃に、父親がひょっこり母に会いに来たことがある。本土にいた頃の母の友人の友人を辿って、連絡先を得て会いに来たらしい。ある日学校から帰ったら知らない男がリビング自分のコップを使って麦茶を飲んでいた。俺の父親だという男はいかにも育ちが悪そうな、ピアスをつけたスーツの似合わない男だった。

そのとき俺は既にそいつ妊娠した母と、お腹の中にいた俺を追いて逃げたことを知っていた。その意味はまだきちんと理解していなかったが、いい感情は持っていなかった。男は、今は結婚して子供もいると言って写真を見せてきた。「ほら〇〇くんの兄妹だぞ。かわいいだろう?」と猫撫で声。男の子女の子で、3歳?と1歳だったと思う。小学生の俺には、怖そうな見た目なのに子煩悩丸出しな男が奇妙で気持ちが悪かった。父と息子の感動の再会なんてことになるはずもなく、その男はその日隣町のホテルに一泊して、島を離れた。

から聞いた話では、子供を持つようになって過去の行いに反省し、謝りに来たらしい。元ヤンキーにしては立派なことなんだろう。母は当時それに感動していたらしい。「俺も家族があるからこれぐらいしか出せないけど」と20万円包んでくれたらしい。

中学卒業して島を出る日に、そのお金を見せられた。島にも高校はあったが俺は本土高校に通った。同級生より少し勉強ができたからだ。祖母は金がかかるから島の学校に通えと言ったが、母や担任の説得あって島を出ることができた(祖母年金の一部は俺への仕送り代になった)。

本土高校の側には、島や遠方から学生の住む下宿があった。昔は賑わっていたという下宿だったが、当時から既にガラガラで、オンボロだった(今はもうないらしい)。例の20万円は高校入学新生活スタートに使った。高1の冬に、そのお金の残りから抜いた諭吉友達バッセンに行った覚えがあるから、全部は使わなかったんだろう。まあ、20万円はそうやって高校1年のうちに使い果たした。

進学校で周りも勉強に打ち込んでいたお陰で、高校生活殆どはうちが貧乏であることは忘れて過ごせた。一部の模試受験料を捻出できなくて諦めたことはあるが。忘れもしない3年の冬、母に胃がんが見つかった。奨学金を借りて大学に行く予定だった俺の予定は見事に砕け散った。正直その頃既に母の頃はあまり好きではなかった。それでも、知らないふりするわけにはいかなかった。普通に「なんで今なんだよ」とめちゃくちゃムカついた。いっそ治療がいらないぐらい進行してろよとも思った。

仕方なく、高卒本土で働き始めた。島から近い港の仕事だ。母の癌治療は2年で終わった。手術と抗がん剤治療を終え、再び働けるような体力はなかったが、一応治ったのだった。それでやっと、3浪したのだと思って受験に精を出そうと思っていた矢先に、祖母が倒れ介護必要状態になった。母子手当も母の収入もなく、祖母の少ない年金でやってくのは無理そうだった。仕事先で正社員にならないか?と持ちかけられていたのもあって大学進学を諦めた。

良い職場だったし、仕事も気に入っていた。今は同業他社転職したが、収入大卒と遜色ない。もう大学進学への未練もさほどない。

ただ最近になって、異母兄妹の兄の方と偶々飲む機会があった。大卒だった。それも自分の行きたかった学部だった。妹の方は海外大学に進んだらしい。どうやらあのピアス男は自分の子供には金をかけたようだった。家族旅行の話なんかもチラリと聞いたから、なかなか余裕があったようだ。

うちが母子家庭貧乏に苦しんでる間に、そう思うとかなり複雑な心境だ。

避妊に失敗したのも仕方がない。1人で産むと決意したのも怒っちゃいない。稼げないのも頭が悪いのも責めるつもりはない。ただ、どうして父を逃したのか。認知させなかったのか。養育費請求しなかったのか。そして、のこのこ謝りに来た父を何故ほいほい許し、たった20万円で逃したのか。腹が立って仕方がない。養育費は俺の権利だった。母には俺の代わりに養育費請求する義務があった。今まで父親の方も金がないのだと諦めていたが、あったじゃないか。母がきちんと養育費請求していれば、18歳からの俺はあんなに苦しまずに済んだろう。

もう遅いし、今更母に何か言う気にもなれない。悲しきかな、基本的に話が通じる人ではないのだ。

からここに吐き出す。どうか子供養育費はきちんと請求してくれ。きちんと払ってくれ。親戚や友人にそういう親がいるなら説教してやってくれ。

俺の言いたいことは以上だ。

2021-03-02

anond:20210301215725

現代アカで CNS を修士二年で複数ってそれ絶対自力じゃねえよ受け継いだ研究たまたまシュート決めた奴でしかない

というかそれ教授愛人以外ありえるか?

アカで本当に優秀かどうかは正直論文数とか雑誌じゃ全然からない

修士の間に助教に声がかかっている奴だけは本物って言える

退学助教コース今はもうないとか言われがちだが今も普通にいる

2021-02-21

人生で1番許せない嘘松がバズってた

2/22追記

コメントしてくれた人、ありがとうございます。全部読みました。

てっきり「嘘松はテメーだろ」とか「長文うざい三行で書け」とかでいっぱいになると思ってた。

他人過去は言っちゃいけない強迫観念もあったので、読んでもらえたことで少し気持ちが軽くなったと思う。

オススメしてくれた人、ありがとうございます。さっそく読んでみます

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Twitter何気なく見ていたら、昔消えたはずの知り合いの嘘つきがバズっていた。

今度メディア進出するらしく、恥ずかしげもなく顔まで出してやがるからすぐ分かった。

もう終わった事だからと封じ込めてた憎しみが溢れ出して止められない。

怒りでどうにかなりそうと思ってカウンセリングを予約したが、急遽行けなくなったのでここにすがる。

 

当たり前だが犯罪を犯すつもりはないので人物特定されそうな内容はぼかしている。

まりにも長いので、暇すぎて死にそうな人にオススメ

=====

この嘘つきには悪意たっぷり青春時代をぶっ壊されており、そのことで恨んでいる。

入学してすぐ仲良くなり、最初は嘘つきだとも思ってなかった。

本籍ドイツ」「親は世界的に有名な芸術家」「家のベッドは親から前借りして買った100万のベッド」が口癖。

例えば「ドイツのどこ?」と言っても「今はもうない」等とかわされて、自分おかしいと思いつつ踏み込まないでいた。

しかし人を馬鹿にするネタ(腐女子スラム街とか)明らかな虚言が増えてきて、嫌になった俺は少しだけそいつ距離を取ることにした。

 

すると嘘つきの態度が急変した。

別の友達に、俺がやってもいない噂を流したり、俺を会話の輪から外そうとしてきた。

とにかく長い期間やられた。俺に分からないよう周りと結託するなどとにかく狡猾だった。

挙句の果てには、俺の鍵垢に裏切り者を忍ばせ、スクショとともに「見てるよ^^」とまで送ってきた。

限界が来た俺はそいつの連絡先をすべて消し、翌日から無視するようにした。

他の友達ともあまり関わらないようにした。

自分は何も悪いことをしていないのに、友達との楽しい中学ライフを奪われた。

いつか天罰が下らないかな、と思ってた。

 

下った。

Twitterで虚言がバズったことに気持ちよくなってしまったのか、内容はエスカレートしていた。

「店でヤバい客にコップで殴られ救急車なう」みたいな内容だったのだが、あっという間に拡散され、店に連絡したという奴まで現れ、もちろんそんな事件は起きてなかったことがすぐ分かった。

そこからは流石インターネットというべきか、すぐにそいつの専スレが立ち、今は消えたがNAVERでまとめも作られ、一躍有名人になった。

虚言癖のヤバい奴として。

そいつはもちろん謝りもせず、アカウントを消して逃亡した。

この一件で俺は「さすがに懲りただろう」と思った。

俺もいつまでも引きずっちゃいけないなと、思い出す度に苦しかったが、自分に言い聞かせていた。

 

そんな時にTwitterを復活させた嘘つきを見て、俺の努力無駄だとわかった。

まだ相変わらず虚言癖は直っておらず、腐女子スラム街ネタの応用でバズっていた。

本気で信じてる人がたくさんいて、フォロワーもたくさんいる。

今すぐコイツ本名と昔のアカウント名を公開して、こいつ虚言癖ですよと叫びたい。

人の人生に悪意たっぷりの土足で踏み込んでおいて、平然と逃亡する奴なんですよと。

でもそれをしたら訴えられても文句は言えない。だから我慢している。

でもこいつは我慢しなくていいんだな。

さぞ気持ちよかろうな、人を叩いて称賛を得て報酬まで得るのは。

そう思うとどうしても怒りが我慢できない。

 

自分自分でこの恨みにいい加減区切りをつけねばと思う。

こんなんだからこういう虚言癖につけこまれるんだと。

この書き込み最後にして、この嘘つきとの思い出をこれまでにしたい。

 

ご清聴ありがとうございました。

2020-08-15

つくば市に異様な憧れがある

私は、茨城県南のつくばではない市に住んでいる。茨城在住ではない人は茨城について魅力度と納豆ぐらいのイメージしかないだろうが、つくば市は茨城の市というより「筑波研究学園都市」として馴染みがあるだろう。約300の研究機関、2万の研究者を擁し、そのヤバさたるや時に「悪の組織」などと言われるレベルである(実際には多分悪の組織ではない。JAXA見学とか楽しいし)。秋葉原からつくばを45分で繋ぐつくばエクスプレスが走り、キャンパス敷地内をバスが走るクソやべえデカさの難関国立筑波大学があり、国際会議場があったりもする。茨城にこんな重要そうな場所があっていいのかと思う。

私は、つくば市に原因不明の憧れを持っている。上につくば市の良い(と思われるところ)を挙げたが、それらが理由ではない気がするし、幼い頃から日常的につくば市に行っているのでつくば市への幻想は砕かれていると思う。実際にはホイホイその辺の歩道ロボットが走っていたりはしないし、他の市よりは発展してはいものの都会を名乗れるほどではないし(なんなら筑波山ふもとあたりはクソ田舎)、国際会議場のレストラン冷やし中華はマズいし、あと交通の便がめちゃくちゃ悪い。つくばエクスプレスはあくま東京との行き来に便利なのであって、現地民が使うには駅の場所微妙だし高い。乗ったことないけど通学で使ってた友達がやりづらそうにしてた。あとイーアスへの交通の便も悪い。

それなのに、私はオシャレな街を思い浮かべるとき渋谷横浜名古屋などではなく、曇り空の洞峰公園近くの道路や、日が落ちた後の竹園などを思い浮かべる。3DSNintendogs+catsの街みてぇな雰囲気のところに住みてぇなと常日頃思っているのだが、それと同じノリでつくばのことが思い浮かぶもしかしてつくばってなんかの開発のモデル都市かになってたりする?よくわからん

自分の住んでいる市が嫌いなわけではない。故郷なわけだしむしろ好きな方。研究学園都市に比べればクソ田舎だが。

田舎者なので先程挙げた渋谷などのようなゴリゴリの都会への馴染みが薄いというのもあるかもしれない。それに比べてつくば安心感たるや。両親は結婚する前、つくば近郊で働き、つくばアパート同棲していた。私は幼い頃はつくばピアノのレッスンに行き、その発表会をイーアスのホールでやり、シネプレックスつくば映画を見に行き、国際会議場まで入試を受けに行った。多くの場所メチャクチャ馴染みがある、かといって自分が住んでる市ほど詳しくはなく、僅かな「特別場所」感が残っている。つくばは私にとって東京よりも身近な都会なのだ。クッソ高えビルとか巨大な画面のついたビルとかヤバいほど歩いてる人とかに慣れていない私にとってはこのぐらいがちょうどいい。私の家の前歩道白線すらないし。

これから世界に羽ばたいてくれ筑波研究学園都市。あとはバス多くしてどっかにアニメイトとかデカめの映画館とか建ってくれたら最高。上映館が少ない映画は柏か水戸まで行かないと見られないことが多いし、シネプレックス死にかけてるし。

住みたいかと言われれば交通の便から微妙だけども、いつか1日かけてつくばゆっくり見て回る日を設けてもいいかなと思っている。観光名所などではなく、幼き日のピアノ教室だったり、今はもうないアジトオブスクラップの近くのパン屋だったり、母が馴染みだったと言って連れていってくれた洋食屋ケーキ屋だったり。そこで美味しいオムライスを食べながら、受験説明会の時に国際会議場で食べた冷やし中華はクソ不味かったなあと感慨に浸りたい。

2020-08-10

セックスボランティアの思い出(宗教

私はある宗教団体セックスボランティアをしていたことがある。

当時は十代で、母親に勧められるがままそういったことをしていたが、いろいろなことがきっかけでそこから抜け出せた。

あの時の思い出は私の心の傷になっているが、認めたくはないがいまの自分形成しているものでもあるし、多くの影響を与えてきた出来事ではある。

私自身もう20代も後半になったし、問題団体今はもうないので、整理の気持ちも含めてセックスボランティアの思い出について書こうと思う。

ありがちなことだが、私がその宗教団体に入ることになったのは母親きっかけだった。

母は私が物心つく前から父とは離婚しており、看護師仕事をしていたのだが、どうやら徐々に精神を病んでしまっているようだった。

子供心にも母はよくわからない理由でキレたり、かと言えばいきなり優しくなったりとよくわからない側面が疑問だった。

私が小学2年生に上がる頃、母が何やら怪しい男と付き合っていたことを覚えている。今振り返ればあの男は教団の関係者だったのだろう。

本当に典型的で笑ってしまうのだが、母は精神状態悪化とともにその宗教にのめり込んでいった。

なし崩し的に私もその宗教団体に入れられることになるのだが、うっすらとその団体施設で多くの子供たちと一緒に遊んだ記憶がある。また、合宿か何かでキャンプファイヤーをしながらアイスを食べたことを覚えている。

母の宗教へののめり込みは加速していった。流石に私が中学生になる頃にはその宗教団体の異常さに気づき始めたが、母ののめり込み様には何も言えなかった。

団体として私が知っているのは以下の通りだが、書き起こしてみるとザカルトという感じで笑ってしまう。

・ある一人の男が教祖

その男預言者?で世界が終わると予言している

信者同士はとにかく褒め合う(挨拶が褒め合いみたいな感じ)

信者同士の悪口禁止

・正教徒・準教徒・親教徒幹部教徒がいて、完全なピラミッド構造

信者の数は50人もいなかったと思う。動いてるのは20人ぐらい?

本当に洒落にならないカルトだった。徐々に私はそんな団体にのめり込んでいる母親がかわいそうに思えてきた。今思えば

思い切って母にやめてみてはどうかという話をした。しかし母は烈火の如く怒り狂って洗濯物干しで腹が青くなるまで私のことを叩いた。めちゃくちゃ痛かったが、普段からそんな調子ではあるので何も逆らえなかった。

そのうち、どこかに電話たかと思えば例のあの男が家に現れた。時々来ているのは知っていたが、直接話したことは一度もなかった。

母は怯える私の顔をぶん殴って(流石に顔をぶん殴られたのはこの時が初めてだった)、服を脱がせ始めた。私も流石に意味がわかって弱く抵抗したが、今度はその男が近づいてきたと思うと、思いっきり振りかぶって私の顔をぶん殴った。

本当に、殴られた時に星が出るって本当なんだなってその時初めて理解した。マジで今思い返すとあそこで死んでてもおかしくなかったと思う。

気がつけば犯されていたわけだが、まさにそれははじまりに過ぎなかった。

それ以前は優しい時と厳しい時があったような母であったが、それからは完全に暴力暴言をふるってくるようになった。目が合えば腹を殴られるし、タバコなんて吸わないのにわざと買ってきて押し付けてきたときはもはや笑いしかでなかった。そして定期的にあの男が来て私を犯していった。今でも漫画みたいだな、と思うし当時も自分自身でそう思っていた。

この頃になると私も微妙おかしくなっていて、そういうことをされているとき自分第三者目線で見ている様な感じになっていた。学校と家を行き来する私を上から見下ろして見ていたこともある。ここら辺、名前がつく精神病だと聞いたことはあるが詳しいことは忘れた。

そして中学生3年生ぐらいの時に、施設に呼び出されて「セックスボランティア」に就任することになったなどとほざかれた。

大真面目にそう言われたときは笑っていいのか泣いていいのか喜んでいいのかわからなかったが、ああそうですかという言葉しか出てこなかった。

それからはみなさんの想像通り、まるでデリヘルばりに謎の男(多分信者の人ではない)の元に運ばれてセックスセックスセックス。本当に辛かったし一時期は死のうと思ったけれど、意地というか意固地というか、こんなんで死んだら本当に母親にもクソみたいな男どもにも負けだな、と思って耐え続けた。

それで私が高校3年生ぐらいの頃、団体が何やら揉め始めたみたいで(詳細は不明)分裂するとかしないとかいう話になった。その機会を見計らって家を出た。

児童相談所に頼るという手も考えたけれど、今まで助けてくれなかったという謎の怒りがあって、当時の彼氏の家に匿ってもらった。

その後、あの団体がどうなったかの詳細はよくわからないけど、無くなったとだけ聞いた。教祖名前インターネットで調べてみても2ちゃんねるの端っこに書いてあるぐらいで、本当に何もなかったかのようで驚く。私の感覚では超巨大な教団だった。

今では母親和解して一緒に住んでいる。そりゃ恨んではいるけど、親だしね。今ではなんてことない昔の話だけど、こういう犯罪があったんだよっていうのはここに書いておきたかった。

2020-07-17

anond:20200717155416

俺は元増田ではないので何ともいえませんが

慣例としての出版業界ルールしか

とりあえず自分1990年代に通っていた

編集デザインとか校正とか教えてる専門学校今はもうない)では

講師筑摩書房OBとかの出版退職者)からそう教えられました

マイクロソフト下請け会社

ソフトウェアマニュアル部分の文章編集する仕事をしていた当時も

大体そんなルールだった記憶

印刷物では一桁数字は全角「2」「4」、二桁数字は半角「22」「45」とかいルールも教えられた)

2020-07-08

晩夏を思う

大きめの銀行就職して3年たった。

就活生には申し訳ないが、弊社の採用サイトなぞデタラメだ。

あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。

とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。

外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手まれ雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店お荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。

銀行採用は実に卑怯である。上の人間仕事に集中できるように若者使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務エクセル英語も、何もわからないまま。仕事書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。

給料世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務お姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。

銀行業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。

業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視金利競争地方地方でズブズブの企業人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からいか手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか

内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰ルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分意見が正しいのだ。誰も自分意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。

「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店セコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手キャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。

仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。

この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務パソコンを導入した人たちは「紙でやる業務ワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ

定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボである採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロシステム銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材流動性が高まろうといった現在手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在システムのままでは人材の受入はできないだろう。

銀行人材斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。

サービス大事だと偉い人は言う。寄り添った提案大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設からから便利だし、楽天銀行UIは流石楽天まり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ち年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。

日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去遺物に成り下がるだろう。いっそ法人個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。

偉い人曰くサービス大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。

我々商業銀行商業銀行であるが故に、もっとブランド意識するべきだろう。それは金持ち年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカード連想されるような、スマート商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行いつまでも大衆銀行であるために必要なことだろう。

なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行タイアップしたカフェやらコーワキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落スマート代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段カジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランド大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ

思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。

普段業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。

仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。

人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。

何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。

2020-06-09

むかしも

そういうことはあったけど

自分たちのほうが精神病院に通う親が

こどもが あたまがおかしい とかいって 親権を使って テレビ取材許可を受けることがある

私の場合は 血族にはそういう許可はしていない 本人に直接でないものに 取材許可など出すわけがない

取材関係は気をつけるから 

 

一緒に飲みにって振興を深めて なんども打ち合わせをして おたがいに電話したことがあるスタッフ

こちらの発言を 編集して 多少意味が違う

それはまぁ、しょうがいかなっておもう あるいみ 売り言葉に買い言葉っていうのがあって

そのスタッフ皮肉込みだったのをうまく皮肉編集し直したなーと くやしかったけど 腕を高く評価した

という事があるくらい 直接確認して 直接やられる という おたくだったから 今はもうないけど そのときのはなしで 直接話を聞くか、そういうプロを通しているので 肉親や家族などには話をしていない

また、今後も プライベートのことを 家族に話すことはないだろう

2020-04-29

anond:20200413002154

工場中国などアジアに出て行った。生産現場がなくなると研究開発力も落ちる。

中国などとの経済戦争に負けたこと。氷河期少子高齢化など根っこは同じ。

 「電子立国日本」とか言われてたときには偏差値高い人たちが情報工学科、電子工学科を志望していたが、

 その人たちが就職した3割位の就職先の会社が吹き飛んで今はもうないメモリー液晶など)

技術に金が集まるのではなくて、技術を上手にプレゼンしてマネタイズする人にお金が集まるという教科書的な話が普及したこと

エレキ時代、には家で半田付けしたりプログラミングしてごにょごにょ秋葉原日本橋にパーツショップ・・・という

 ことが成立した。アマチュア無線家やマイコンホビーというものがあったが、バイオ時代に家にラボを構えるのはかなり

 敷居が高い

所得格差の拡大で家でいろいろお金のかかる生産的なホビーをできる人が減った。昭和時代、お医者さんとか上級公務員の子弟とか

 家にちょっとした実験室やスタジオみたいなものがある家が結構あった。今はそこにお金をかける人が減った。

2020-02-21

anond:20200220210311

フェリー雑魚寝したけどあんな感じかー。

今想うと雑魚寝とか色々問題ありまくりな気がするが。

雑魚寝とまたちょっと違う。アレよりはずいぶんマシで、今はもうないけど寝台列車の二段ベッドになってる奴の豪華版みたいな感じ

ここのステートルームB 4人定員 てのがあるやろ。クルーズで最安だったらこんな感じのグレード。雑魚寝よりはずっとマシやろ。

https://www.snf.jp/ship/ship_akashia.html

さいきんの船だとそもそも最低グレードがツインとかだったりすることもあるから、船によっては当てはまらんかもしれない。

2020-02-13

昔、従姉妹自殺した。

訃報を聞いて最初に浮かんだ言葉は、「先を越されてしまった」だった。

自殺はね、馬鹿がすることですよ」

何年目かの法事喪主の伯母の代わりに挨拶をしたのは、親族の中の代表的存在の人だった。

その一言を聞いた時、何て残酷なことを言う一族だろうと思った。

自殺なんてそんなに簡単にできることじゃないのに。

一瞬でも死ぬのが怖いと思ったら死ねない。

遺族の事を考える余裕があったら死ねない。

その思考ができなくなるだけの絶望が、彼女にはあったはずなのに、

その絶望抗うために、彼女は懸命に生きたはずなのに、

何故それを想像することができないのだろう。

何故、彼女が遺した母親の前でそんなことが言えたのだろう。

その代表言葉に誰も言及しなかったあの異質な空気が、私の頭の隅に記憶として焼き付いている。

でも、従姉妹の死に「先を越されてしまった」と思ってしまった自分も、

その残酷一族の血を色濃く継いでしまっていることに、最近気づき始めた。

表面上で良い人を取り繕っているだけで、結局は自分の事ばかりだ。

過去の失敗経験フラッシュバックするようになってから、そんなことを思うようになった。

私の無自覚が、沢山の人に迷惑をかけた。沢山の人を傷つけた。

しかし、今更性格を直したいと思っても、そんなことがすぐにできる筈もなく、

失敗を繰り返す度に自分自分の浅ましさを思い知らされる。

こんなことならさっさと死ぬべきだった。

立て続けに親族が死んだら可哀想とか、

うちの家族も、私が死んだだけでああして露骨馬鹿にされるのだろうかとか、

そんなことを考えずに、とっとと死ぬべきだった。

無自覚害悪としてのうのうと生きていける自信が、今はもうない

開き直って生きるようになる前に、一思いに死にたい

2020-01-06

医者になんかわからない

去年の年末仕事が一段落して休憩していた時にふと思ったこと。

自分はこのまま2020年を生きる。2018年に戻る、ということはない。

だったら自分2018年は何処に行ったのだろう。自分のこれまでの人生は? 過去は何処に消えたのか?


自分体験したこと。あの時確かにあった、例えば憧れの女性との語らい。

職場でイビられて悔し涙を流したこと。誉められて嬉しかたこと。全てはもうここにはない。記憶の中。忘れてしまうとなにも残らない。

森博嗣じゃないけど、「今はもうない」なんだな……そう考えると気分が悪くなった。


時間がこのまま過去から未来流れる、という保証はあるのか?

時間がある時突然止まったらどうなるんだろう? なんて……。


大学在学中から精神科というかクリニック通いの身なんだけれど、先生に言った方が良いんだろうか?

多分「あなた大丈夫ですよ」と言われて、クスリをまたポンと渡されて終わりだと思うんだけれど。


それはそれとして、バービーボーイズは良いね

2019-11-29

その頃僕らを支えていたのは松屋カレーだった。創業カレーじゃない

からちょうど10年まえぐらいに何をしていたのかというと、

11年ほど勤めたアパレル業界を完全に辞め、

すずめの涙の退職金を1カ月以内ですべて散財し、

遠方に住むわりとしっかり者の両親から金をせびって生活していた。

5年間付き合った、まあまあ面白いけど美意識高すぎ底意地悪すぎの、

今となってはなぜ付き合っていたのか疑問だけが残るバイセクシャル彼氏とも完全に破綻し、

面白い」だけで選んできたもの

「浅はかさという名の若さ(バカさ)でした」みたいな結果に愕然としながら、

ほぼ毎日、当時は350円松屋カレーを食って生きていた。

昼夜で700円。破格のエンゲル係数今はもうない

ありがとう松屋あなたのおかげで生き延びられて、

なんとなく仕事があって、今ぼんやりここにいます

から、手が込んで美味しいカレーが食べたいわけじゃない。

やたらしょっぱくて辛い、安いカレーが食べたかった。味噌汁付きの

2019-04-14

anond:20190414013115

横だけど、

男女比1:1の要請は大抵は管理職だろうよ

一般職含めた労働者が1:1という要請は、(過去にはあったけど)今はもうないだろ

2019-04-03

にらめっこしよーぜ

あっぷっぷぎゃああ、ひゃひゃひゃひゃ俺の負けーお前変な顔だなー

ていういじめがありました

今はもうないだろうね

2019-02-14

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2019-01-23

自分が昔に書いたもの増田に転生してブクマがついていた件

anond:20190122112739の続きです。


曖昧記憶ですが、多分これを私が書いた場所今はもうない人生相談サイト「悠々生活館」なのではないでしょうか。

書いた時期はサイトがあったころなので多分10年以上前、15年くらい前です。2000年代前半から中ごろだと思います

もうアーカイブもないしgoogleでも跡形すらないサイトなのに、どこからアーカイブを取り出したのかむしろこれをサルベージしてきた元増田ある意味すごいと思う。

びっくりしました。違ってたらごめんなさい。


若いころの結婚できない不安の悩みがタイムカプセルのように蘇ってきました。

今も独身だし、縁があれば結婚できたらいいなあと思っていたけどあの頃程怖くはないかな。

2018-09-28

10年間の借金生活を終えて思った事。

1~10どころか1~1000くらいまで書きたいのだけど、面倒だから要点だけ書く。

俺の10年が誰かに伝わればうれしい。

そして行動しろ

1・借金を背負うと行動力が上がるというのは半分本当で半分嘘。

いつでも稼げる自信のある人が借金を背負うのは、まあ有りだろう。

引っ込み思案の草食系男子借金背負ったら、毎日金の事ばかり考えてあっという間に人生終わる。

2・自己破産は悪い事ではない

これは一番伝えたい事。自己破産人生終了ではない。再出発というのも何か違和感がある。マイナスをチャラに出来る素晴らしい制度だ。

「金は返さねばならない」とか言ってる奴らは無視しろ事実企業はそんな事でいちいち嫌がらせしてこない。お前ごときに。

個人相手だと話は別になるだろうがね。

たかだか数百万程度の負債で、お前の素晴らしい人生無駄にしたいのか?

道端のホームレスが飢えて苦しんでいようと、明日食べるメシがなかろうと、生活費に困っていようと、お前にとっては正直関係ないだろう?

世の中の人間もお前の事を同じ目線で見ている。

お前が苦しむ所を見たい訳ではないが、お前がそうやって金で苦しんでる間に、周りの人間楽しい思いをしている。

辛いのはお前だけだ。

3・弁護士事務所は何件も回れ。

俺は破産を受けてくれる先生を見つけるまで5件くらい回った。

正直先生によって考え方が違う。disる訳ではない。彼らなりの考え、方針があるのだから

破産をいい事と捉える先生もいたし、悪い事と捉える先生もいる。

ただ、俺は破産する事により人生が先に進むと考えていたから、最初から破産以外の選択肢を消していた。

結果5件も回る事になった。 それだけ。

4借金から逃げるな。

ネット検索するとよく出てくる言葉

俺も最初理解していなかった。

本気でヤバい。返さないと人生終わる。危機感があるか。お前には。

別にさなくてもとりあえず生きていけるしーとか思ってないか

かに金はやばい。でも働きたいけど会社副業禁止だし。仕事忙しいし。体力ないし。とか意味不明言い訳してないか

俺は思ってた。結果無駄に5年も借金生活を引き延ばすことになった。

その5年間何やってたかって? 遊んでたんじゃないの?って?

何もやってねえよ。 節制生活無駄に5年間続けていただけさ。

「どうしよう どうしよう」って毎日あたふたして、何も行動せず無駄に5年も過ごしたんだ。

5年もあれば、ひとつ仕事で一流のスキルは身に着けられる。

そんな時間を俺は、毎日「どうしようどうしよう」 これに終始した。

さっさと行動してれば、5年前に借金は終わっていたよ。時間無駄にした。

5もし借金するなら。

俺は二度としないが、もし借金するならこの言葉を覚えておけ。俺から金言だ。

「今の収入が3か月後、半年後も保障されているとは限らない」

俺が最初生活苦になったのはまさにこれだった。

24歳。240万のショッピングローン。

見通しの甘さと強引な契約・・・ってのもあったが、それ以上に「今の給料で毎月これくらいの支払いなら、大丈夫」と甘すぎる計画を立てた事だ。

3か月後俺は降格し給与は大幅ダウンした。

結果生活が立ち行かなくなり、親から仕送りをしてもらわざるを得なくなった。

そしてこれが借金生活へとつながる。

6 最後に。

借金してる奴らへ。

時間無駄なんだよ。俺は一番それを感じてる。過払い金とか(さすがには今はもうないですかねw)、利息いくら余計に払ったとか、そんなのどうでもいい。俺に言わせれば。

四六時中金の事ばかり考えて、生産的な事は何一つ考えられない。

欲しいものがあっても、無駄制限してしまう。

Wワークなどで、いつも以上の馬力を出して返済に向かっているならまだしも、「どうしよう どうしよう」とあたふたするだけで、何も行動しない奴。

知らないうちに貴重な時間無駄にするぜ???

さっさと弁護士事務所へ行け。

早ければ1年かからずに手続き終わる。

その気になれば、すぐに支払い停止措置も取ってもらえる。

いか、すぐに行動しろ借金としっかり向き合え。

俺は9年借金から逃げてきたが、向き合った瞬間1年で借金は消えた。

早く動け。時間は刻一刻と無くなるぞ。

2018-08-18

anond:20180818230206

シャドバのメンコは盛り上がる展開だぞ

最後までトップ解決可能性があってハラハラキドキできるEスポです

今はもうないけど

2018-08-01

うちわは買うものか貰うもの

あるいは自分で作るものか。

小学生のころ工作うちわを作ったことがある。紙に好きな絵を描いて、糊付けした骨の両面に貼って、縁を止める。簡単作業だけどそれなりに時間のかかるものだ。プラスチックの骨に当時飼っていた鳥の絵が入ったそれは、思い出はあるけれどなにぶん重いかだんだん使わなくなって、今はもうどこにあるのかわからない。

でもわざわざ作らなくても夏の街を歩いていれば広告の入ったうちわを配られる場面に出くわす。特にこだわりなどなかったか学生のころは貰ったそれで済ませていた。今はもうない店舗の、むやみに高い化粧品広告が載った、竹の骨でできた軽くて丈夫なうちわだ。

大人になって、アイドルを追っかけるようになって、そうなると当然応援うちわを買うことになる。高いものではないけれど、それでもそれまでなら貰うようなものお金を出すのは・・・最初抵抗感があったけどもう慣れた。プラスチックの骨で貼られているのは良い紙だからそのぶん重いうちわだ。

それで今わたしが使っているのは、街で貰った広告入りのうちわだ。お金を出して買ったわけでも思い出があるわけでもないけど、うちわは軽いのが一番なのだ

ほかの増田はどんなうちわを使っているのか知りたいものだ。

2018-04-04

anond:20180404115625

話がズレるかもしれないが、オッサンとかが言ってて昔よく聞いた様な「重いものなんて持てな~い」なってかわいこぶる女のが愛嬌も有って可愛く見えるけど、

重いもの自分で持って仕事バリバリこなせる系の「自分で出来るんで大丈夫です」みたいな女は愛想悪くて可愛げが無い。

みたいな風潮や印象付けは今はもうない感じ?

なんかそういうのの影響もあるんかなって思って。

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