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はてなキーワード: 弥生時代とは

2022-01-21

経済とかどうでもいいかコロナもっと増えろ

どんどん衰退してなんなら弥生時代くらいまで退化して欲しい。

会社かいう糞システムつくった産業革命が憎い。

みんなで自分が食うだけの農耕してりゃ良いんだよ。

2021-12-22

やっぱ継体天皇でしょ

崇神天皇が「実在した可能性のある最初天皇」って言われてるけど、やっぱ初代って継体天皇でしょ。

紀元前1世紀

BC97年-BC30年(日本長暦) 崇神天皇

BC37年頃 高句麗が成立

BC29年-70年(日本長暦) 垂仁天皇

弥生文化関東地方に波及する。

近畿地方を中心に銅鐸、西日本青銅武器形祭器による祭祀が行われる。

階層の秩序化すすむ。

関東地方東北地方南部縄文時代の一墓制である再葬墓が見られる。

北部九州では甕棺墓が盛行し、その中の一部のものが多くの前漢鏡を副葬する。

北部九州では、鉄器や鉄製農具が使用される。また吉野ヶ里遺跡のような巨大集落現れる。

北部九州勢力畿内勢力の間で、鉄の獲得のための軍事的緊張が高まる

1世紀

8年 前漢の滅亡

25年 後漢の成立

57年 倭の奴国王が後漢に朝献して倭奴国王印を授けられる

71年-130年(日本長暦)景行天皇

漢書地理志 倭は百余国に分かれており、その一部は前漢楽浪郡に朝献をする

弥生文化東北地方に波及する

2世紀

107年 倭国王帥升らが後漢の安帝に生口160人を献上する

131年-190年(日本長暦) 成務天皇

147年頃-189年頃 倭国大乱

192年-200年(日本長暦) 仲哀天皇

日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)

魏志倭人伝倭国乱れ、互いに攻伐しあい倭国大乱)、長い間盟主なし

3世紀

201年-269年(日本長暦) 神功皇后 三韓征伐

220年 後漢の滅亡

239年 邪馬台国卑弥呼帯方郡使者を送り、魏の明帝への奉献を願う

248年頃 女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる

3世紀中頃 古墳時代が始まる

266年 倭の女王が晋に使節派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)

270年-310年(日本長暦) 応神天皇

3世紀後半 大和王権誕生する

3世紀後半 箸墓古墳

日本では弥生時代末期から古墳時代初期にあたる。

樺太西端北海道北端オホーツク文化(初期)が成立する。

日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓首長墓)が現れる。

4世紀

313年 楽浪郡高句麗に滅ぼされる

313年-399年(日本長暦) 仁徳天皇

316年 西晋が滅亡

4世紀半ば 百済建国

399年-404年 好太王高句麗と倭の戦い

空白の4世紀

5世紀

400年-405年(日本長暦) 履中天皇

406年-410年(日本長暦) 反正天皇

412年-453年(日本長暦) 允恭天皇

454年-456年(日本長暦) 安康天皇

463年 吉備氏の乱

457年-479年(日本長暦) 雄略天皇 考古学的に実在実証される最古の天皇

478年 倭の五王の武が宋(南朝)に使者を送る

479年 星川皇子の乱

480年-484年(日本長暦) 清寧天皇

485年-487年(日本長暦) 顕宗天皇

488年-498年(日本長暦) 仁賢天皇

大王クラス大形前方後円墳奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。

日本では倭国古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方ヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王東晋から南朝にかけての江南王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史記述に残されており、倭の五王として知られている。

北海道北部東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。

6世紀

499年-506年(日本長暦) 武烈天皇

507年-531年 継体天皇

512年 倭が百済に対し任那の四県二郡を割譲する

527年 磐井の乱

531年-535年 安閑天皇

538年 仏教伝来(552年説あり)

536年-539年 宣化天皇

539年-571年 欽明天皇

562年 任那地方を含む加羅諸国新羅に滅ぼされる

572年-585年 敏達天皇

581年 隋の建国

585年-587年 用明天皇

587年 丁未の乱 蘇我馬子物部守屋を滅ぼす

587年-592年 崇峻天皇

593年 聖徳太子(厩戸王)が摂政となる

598年 隋の高句麗遠征

それまでのヤマト王権王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前近江地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏物部氏巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統手白香皇女皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川軍閥系の政権によって大陸華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。

考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国新羅併合されている。

前世紀に九州などで造られ始めていた古墳の横穴式石室が全国規模で普及する。

この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央さらには地方首長統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。

7世紀

593年-628年 推古天皇

603年 冠位十二階を制定

604年 十七条憲法を制定

618年 隋の滅亡、唐の建国

629年-641年 舒明天皇

642年-645年 皇極天皇

643年 蘇我入鹿山背大兄王一家(上宮王家)を滅ぼす

645年 乙巳の変

645年-654年 孝徳天皇

646年 大化の改新

655年-661年 斉明天皇

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦い

668年 高句麗滅亡

668年-672年 天智天皇

672年-672年 弘文天皇

672年 壬申の乱

673年-686年 天武天皇

2021-12-21

罵ったな!俺の前で日本酒

anond:20211221111116

というわけで日本酒ね。自分たち日本人2021年になっても存命しているのは歴史をたどると弥生時代大陸から来た稲作文化が大きく貢献している。

コメがつくれて食物供給を安定させるとともに、外交の無かったこから日本人人口を増やすことができてきたのだ。

現代日本でもそうだが、地震多い。津波も来る。大雨、洪水おこるし山は崩れる。もちろん田んぼおじゃんになることも多々あった。

から無事にコメがとれて、食べられるということは稀有なことで、1年に1回その土地ごとの神社感謝奉納するために米で作った酒をささげた。

米のうまい部分だけを残して酒にしたのも、その稲作の成功率石高がそれだけあげられるか科学技術がなかったころには困った時の神頼みだったからだ。

近世日本、まだ微生物研究も進んでいなかった時代酵母を継ぎ足し継ぎ足して使い、パスツール発見するよりも前にその品質管理に努めていた酒。それがライスワインだ!

それでもワインがいいならいいし興味を持ったら漫画もやしもんでも読んでくれ。

2021-12-01

anond:20211201145829

縄文時代弥生時代遺跡とか邪馬台国日本の歴史の一部と思ってないやつはおらんやろ

それと一緒やで

2021-11-22

anond:20211122000819

分子生物学考古学は、言語系統についていかなる証明もすることはできない。言語系統証明できるのは言語学だけである

そうですねただしロベーツの論文の肝は言語学、分子生物学考古学を使った三点測量であるという点です。



およそ2500年前くらいまでは言語学、分子生物学考古学共の3つのコンパス共に同じ方向、朝鮮半島北部、を指している状態です(それ以前を言語学で遡るのは資料がないため難しい)。

また日本人DNA的にも黄河長江流域からの影響は極めて少ないことも分かっています

よって、トランスユーラシア語族が成立するか否は別の問題として(成立するとしても言語連合と思っています)、先日琉語族の原郷が遼河流域になるという主張はかなり信ぴょう性が高いと私は判断しています

anond:20211121234334

いえ、こちらも大変興味深いやり取りでした。以下に返答をしておきますが、夜遅いですので、後日ゆっくりお読みいただければけっこうです。

2021-11-21

anond:20211121224311

ありがとうございます

もう夜遅いので、最後自分の考えを箇条書きでまとめておきます



最終的には中国朝鮮半島で考古遺伝学が発展することによってパズルが埋まるように結論が出ると強く信じています

anond:20211121124146

>少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい

言語学の面から考慮すると、トランスユーラシア語族証明するには弱いというのは否定できない。

そもそも3500年前の文字しか残っていない東アジアで9000年前の言語を解明するのは言語学的にほぼ不可能

しかし本論文言語学だけではなく、分子生物学考古学視点から考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。

2010年代以降の考古遺伝学の発達はまさに革命といってもよい。2010年代以降と以前では別物と言っても過言ではない。(この発展については「交雑する人類」を読むと良い)

解析方法の発展と古代人骨の収集によるデータの発展が両輪となって、現代の考古遺伝学はほぼ数理科学となっておりこの論文でもデータセットとソースコードが公開されている。

仮にトランスユーラシア祖語が証明されなかったとしても、分子生物学考古学により証明された人間文化の移動は覆ることはないと思う。

また日本語遼河流域を原郷とするのではないかという意見は、本論文以外でも本当にたくさんの論文によって主張されている。

例えばこれは今年発表された論文だ。

東アジア集団形成に関するゲノムからの知見

Genomic insights into the formation of human populations in East Asia

Wang C.C., Yeh H.Y., Popov A.N., Zhang H.Q., Matsumura H. et al.

この弱まったアムール川流域の影響は、青銅器時代の夏家店上層文化期に乾燥化と寒冷化に伴って牧畜主体とした集団が南下することで、再びもたらされます

この、日本縄文時代から弥生時代への移行期に、西遼河流域の遺伝構成に変化が生じていることは、日本への渡来人遺伝的背景を解明する上でも考慮すべき点です。

論文では、現代日本人の遺伝構成が、西遼河流域の青銅器時代92%と縄文人8%の混成で説明でき、黄河流域からの影響は無視できるほどだとしています

よって、ゲノムの結果を踏まえての私見ですが、西遼河流域周辺の雑穀農耕を主体とした集団に、生業として水稲農耕がもたらされ、それが朝鮮半島を経由して日本列島に弥生時代早期にもたらされたとする解釈妥当のように思います

2021-11-18

ダイレクト出版オカルト歴史本好き

https://in.renaissance-sk.jp/skrs_2104_ppc_gdn

あなたは、こんな歴史の“謎”をご存知だろうか?

卑弥呼の“謎”

中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された、日本史初の女王卑弥呼。「邪馬台国」を支配し、中国皇帝からも認められた「倭国の王」であるしかし不可解なことに、、卑弥呼に関する記録も、お墓も、日本では全く見つかっていない。

一国を支配するほどの権力者であれば、死後、地域神社で祀られるのが普通だが、、日本各地の神社にも、遺跡にも、卑弥呼存在した痕跡が一切見当たらないのだ…(*日本では、聖徳太子菅原道真平将門など、国を直接治めていない偉人でさえも、鎮魂の祈りをささげるため、神社がつくられてきた伝統がある)

また、“邪馬台国の人々の顔や身体には刺青がある”と「魏志倭人伝」には書かれているが、当時の遺跡遺物いくら調べてみても、刺青をしているような痕跡ほとんど確認されていない…

ちなみに、著者の陳寿という中国人は、実は日本に来たことはなく、伝聞のみ。つまりフィクション小説”として、この作品を記したようだが、、

一体、卑弥呼とは何者だったのか? 本当に邪馬台国存在していたのだろうか?

ユダヤ人埴輪の“謎”

長い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげ。明らかに日本人とはかけ離れた風貌の「埴輪」が、千葉県茨城県など関東地域で出土されている。実は、これらの埴輪は、日本から遠く離れた場所にいたはずの、「古代ユダヤ人」に酷似しているのだ…

古代日本で、ユダヤ人そっくり埴輪が見つかるのは、単なる偶然なのか? それとも当時の日本ユダヤ人と深い関係にあったことを示唆しているのだろうか?

君が代」「ソーラン節」「相撲」など…実は、ユダヤ人言語日本語には、似たような共通点が多数存在伝統・習慣でも類似点があるなど、両者には何らかの関係性があると見ることもできる。

果たして、遥か昔、ユダヤ人日本にやってきていたのだろうか?

日本人の起源の“謎”

近年、最新のDNA分析によって、日本人のルーツとされる縄文人DNAが、周辺アジア民族とは“ほとんど一致しない”という事実が明らかにされた。

これまでの通説では、中国朝鮮東南アジアのいずれかの民族縄文人起源と考えられていたが、、それらとは全く異なるタイプ民族が、すでに日本存在していたことがわかったのだ...

では、いったい縄文人とは何者だったのか? そして、われわれ日本人の祖先はどこからやって来て、どのような変化を遂げてきたのか?



教科書では、縄文から弥生時代まで、日本人は原始的生活を営んでいた。そこに大陸朝鮮半島から稲作や文化が伝えられ、日本はようやく発展の糸口をつかみ、日本という国家形成された。という歴史けが当たり前のように教えられています。 

しかし、文献だけに頼る従来の研究ではなく、先人たちが残した文化遺産に光を当てると… われわれがこれまで信じさせられてきたのとは全く違う。壮大なストーリーが見えてきます

元来、日本という国は外敵がやってこない島国であり、「信頼」を土台に共同体をつくってきました。よって、絶えず民族が移動し、争いごとの絶えない西洋大陸とは違い、文字必要としなかったのです。よって、当時の先人たちの生活ぶりや、思いを読み取るには、神社文化遺産といった形あるものの解読が必須になってくるのです。

多くの学者は、文献だけに頼ることにより、この大切なポイントを見落としてしまますさらに残念なことに、美術知識がないため、いざ実物を目にしても、そこから何を読み取ればいいのか?がわからないのです。

日本には文明がなかった」・・そう言われることがありますが、それはありえません。遺跡を紐解けば、日本最初国家ヤマト政権」よりも、卑弥呼がいたとされる時代よりも遥か昔から日本では高度な文明が栄えていた。その中心は、関東東北であり、そこには大きな“国”があったのです…”

<目次>

日本人の「記憶」を旅する~新・日本古代史~

特集日本歴史を問い直す>

「米機密文書が明かす戦中日本原爆研究日本には“核兵器国”としての資格能力がある

陸上自衛隊小平学校副校長矢野 義昭

中国世襲への否定は何を生み出したのか~日支比較文化論~

愛知教育大学名誉教授北村 良和

日中戦争史の真実」〜中国共産党とソ連の暗躍〜

立命館大学名誉教授北村

東京裁判・七十五年後の総括

東京大学名誉教授小堀 桂一郎

日本人が知らない「ルネサンス」の本質

国際美術学会 副会長田中 英道

スペシャルインタビュー:「戦後とは何か?」〜「近代」という問い〜

田中 英道&岡島 実(弁護士

こいつあいかれてやがるぜ!

2021-11-14

anond:20211114031904

3000年前に朝鮮半島から日本へ到達したとして白村江の戦いって西暦663年やで。1500年以上も違う時代出来事をくっつけてどないすんねんな。


いい質問ですねぇ!まずは結論から書こか

第一渡来人 すごくむかし 縄文人

第二段渡来人 弥生時代(3000年前) 弥生人

第三段渡来人 3世紀前後 古墳

この中の古墳人ってのが朝鮮半島南部伽耶任那諸国ルーツを持つ集団なんや

ほんじゃあ次に、ちょっと詳しく説明しよか

そもそも現代日本人は列島先住民系と渡来系が混血して誕生したって説は、1994年に埴原和郎が提唱した二重構造モデルに端を発しとる。

これが論文やな。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1993/102/5/102_5_455/_article/-char/ja/

日本列 島の最初居住者は後期 旧石器時代 に移動 して きた東南 アジア系集団で, 縄文 人はその子孫で ある。弥生 時代 になって第2の 移動の波が北ア ジアか ら押 し寄せたため, これ ら2系 統 の集団列島内で徐 々に混血 した。

埴原は渡来人単一グループで、その時期も一度と思っとったんやね。

しかし、これはどうやら間違っとったらしいっちゅうのが2010年代研究で分かってきた。

もちろん「先住民系と渡来系が混血して誕生した」ってのは変わってへんしかしこの渡来系というのがどうやら遺伝的にも年代的にも二つに分かれるというのが分かったんや。

これは国立遺伝学研究所とか国立科学博物館研究のおかげやな。

日本人の「完成」は古墳時代だった? DNA分析ルーツに新説 https://www.asahi.com/articles/ASP9K55ZJP9JULBJ00Z.html



もっと詳しく書こうか思ったけど眠いわ。

まあ興味あったら http://www.yaponesian.jp/ を読むんやな。

2021-11-11

anond:20211111231157

どちらかというと、稲作などを海外から持ち込んで弥生時代きっかけを作った人々の方が数の点で劣勢で言語的には現地(縄文日本人)に同化していったと思われる。

逆で同化されたのが縄文

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

現代人のゲノムから過去を知る~Y染色体遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少~

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給可能になったためと考えられる。

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2020/7056/

都道府県レベルでみた日本人遺伝集団構造縄文人と渡来人の混血がもたらした本土日本人内の遺伝異質性

本土人のゲノム成分の80%程度は渡来人由来である推定されているが、近畿地方四国地方には、さらに多くの割合渡来人流入したのかもしれない。

また、地理的位置遺伝構造に影響していることや、沖縄県遺伝的に近い九州地方東北地方が互いには近縁でないことから渡来人との混血時に縄文人は遺伝的に分化していたと考えられる。






縄文時代には現在日本語日本列島では話されていなかった

弥生時代になって流入した渡来人言語日本語祖先

最後にこれは別に俺が主張しているわけではなく、日本人研究者以外にも世界中の研究者論文を書いてる

anond:20211111230103

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00008&fileid=00000001&/Yaponesian_Vol2summer_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~前半の部~)

千葉大学にて1月開催

発言者遠藤光暁、青山学院大学教授中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学

    木部暢子、国立国語研究所副所長、日本語方言

    風間伸次郎、東京外国語大学教授アルタイ言語言語類型

    福井玲、東京大学教授朝鮮語

    吉川佳見、国立国語研究所非常勤研究員アイヌ語

    児倉徳和、東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所准教授ツングース満洲語学

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福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています

遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。

福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称普通倭人字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。

遠藤:それが現在中国東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています

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風間:2つほどあります別に私が言い出した事ではなくて、以前Vovinさんらが日文研から刊行した日本語系統についての本にも書かれていますが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説です。先ほど遠藤先生中国語などと比べると日本語全然違ったタイプ言語であるとおっしゃっていましたが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説を考えていく必要はあると思っています。昨日も木部先生がおっしゃっていましたように、古代日本語の語はほとんど一音節です。一方、母音の数は現在よりおそらくもうちょっと多かった。助詞自体にも個別の声調があって、現代のテ形のテの部分などにも独自の声調があった。つまり膠着的ではなく、文法要素も独立した語の性格を持っていて、孤立語的だったということです。助詞助動詞には自立語起源説明されるものがかなりたくさんあり、声調があって単音節、という事になると、まるで孤立語であるということになります

遠藤:ええ。それは歴史時代の話ですよね。

風間はい、今まさしくそ歴史時代日本語の事を考えなくてはいけないんだと思います。それを考えるとやっぱり孤立語だったという可能性についてよく検討していくべきではないかと思います

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遠藤:文献言語史的な証拠から言うと日本語はせいぜい1500年前ぐらいしか遡れないですね。あるは『魏志倭人伝』とかの頃ですよね。高句麗かいろんな北方民族の記録については中国側の正史などの東夷伝とかもありますが。考古学の方からするともっと古い情報がわかって、宮本一夫先生の説によると、まず日本語を話す人たちが朝鮮半島に入ってきて、そのあと朝鮮語を話す人たちが現在でいう中国東北部から朝鮮半島に入ってきた、といったことが先史時代に起こっている可能性があるので、そうすると日本語朝鮮語ツングース語を話す人たちっていうのは中国東北部先史時代に非常に密接な接触をしている可能性があることになりますね。われわれは普段そういうことを考えないんですけど、そういうのはどうでしょう。かのアルタイタイプ諸語のTurkic、Mongolic、Tungusic なども地理的な分布範囲歴史時代先史時代ともかなり移動しているんじゃないでしょうか。

福井考古学との関わりという意味ではやはり今後参考にすべきところはいろいろあると思います。昨日の私の話だと主に韓国語から日本語への借用ということを中心にお話しましたけど、まあその逆の場合もありうるわけで。日本朝鮮半島の間で考古学的な遺物共通している場合があります。これは歴史学の人から聞いた話ですけれども、例えば日本式の甲冑韓国のある一部の地域でかなりたくさん出てくるとか、その時期そのあたりで接触があったということは明らかであるし、前方後円墳朝鮮半島でも見つかっていて、それは歴史をやっている人たちからするとむしろ日本から渡ったものではないかという説もあります

遠藤古墳時代ぐらいになるとそういう方向もあるみたいですね。遺伝学的な根拠からしても半島南部のところで縄文DNAが見つかったとかいうこともありますしかし、文献言語史で考えるくらいのタイムスパンだと日本列島には既に日本語が入っていて朝鮮半島朝鮮語が優勢であってツングース語はシべリアから中国東北部にいた、といった現代の状況を投影して考えがちですが、もっと全然違った居住地域で一緒に雑居していて遥かにドラスティック言語接触を考えてもいいんじゃないかってこのプロジェクトに入ってから思うようになりました。言語学的にそれを証明することは非常に難しいと思うんですが。語族単位でやっていると非常に細かい違いが目に入ってくるかもしれませんが、もっと大きいアジア全域といったマクロ範囲で見るとやっぱりアルタイタイプ諸語の共通性が際立って見えるんですね。

.....

風間:もう1つ目についてお話しするには今日はもう残念ながら時間が残っていないと思います。先の話の続きですが、やや推論の上での推論ということになりますが、孤立語だった日本列島言語を話していた人々を大陸から来た別の集団征服して、それが上層言語となり、下層言語孤立語ものだったけれども、最終的に日本語がSOVで膠着的なアルタイ型の言語文法タイプに再編成されたという可能性はあり得ると思います

遠藤縄文語(諸語?)が孤立語タイプで基礎語彙がそこから継承されて、弥生時代大陸から入ってきた膠着語タイプ言語によって文法が組み替えられたというわけですか。私などは『三国史記』で半島大陸部にJaponic地名存在するということからして、むしろ日本語半島とか大陸にあった時代に非常に密接に接触するチャンスがあったのでは、という仮説に傾いているのですが。

風間大陸接触してから列島に入ってきたということでもいいとは思いますが、その支配者層はそれほど多くの人数でなかったとしてもかまわないと思います

遠藤漢語について言うと、遣隋使遣唐使が行って、ごく少数のエリートが本をもってきて、仏典も含めてずっと勉強していく過程日本列島舞台として日本語の中の漢語の中の比率が増えていくわけですよね。そういう事は文化語彙については英語などでもギリシャ語ラテン語フランス語が大量に入るといったことは起こりますが、言語の中核的な部分で民衆言語まで浸透するためには、そういう文化的な学習だけじゃなくて日常的なレベル普通庶民バイリンガリズムとかの状態になっていないと、そういう風な組み換えは起こりにくいんじゃないでしょうか。あるいは完全に支配者の言語に取って代わられる例っていうのは中南米スペイン語とか枚挙にいとまないですけど。

http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00009&fileid=00000001&/Yaponesian_2_%E3%81%82%E3%81%8D%E5%8F%B7_1120_ALL_online.pdf&disp=inline

言語学第二座談会(~後半の部~)

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風間ゲノムをはじめとする他の学問分野での推定とどのような関係にあるのかはわかりませんが、言語学シナリオとして唯一あり得ると考えられるのは、日本語孤立語タイプから現在膠着語的なタイプへと、何らかの理由で変化してきたという可能性ではないかと思います。それを示唆するような痕跡的特徴は日本語にある程度存在するのではないかと思います。その中でも一番問題になるのはアクセントもしくは声調と呼ばれる現象さらにはその両方が日本語にあるということだと思います。ただ、アルタイ諸言語がどの言語弁別的アクセントを持たない、ということもあり、私は日本祖語は無アクセント言語だったのではないかという仮説に深く関心をもっています山口幸洋さんをはじめとする何人かの研究者提案されている仮説です。

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木部:これから先は想像世界ですけども、古くは日本列島各地に今の大和ことばではない言語、何語であるか分からないような言語日本列島にいっぱいあって。

遠藤:たぶん縄文時代とか。

木部:縄文時代縄文語かもしれない。それが無アクセントであったという事はあり得るとは思います。そのあと、大和琉球共通祖語、日琉祖語が上にかぶさって、元の言語は日琉祖語に取り替えられたけれども、アクセントにはサブストレータム(基層語)としてもとの無アクセントの特徴が残った地域があって、現在、各地に点々と残っているということはあるかもしれません。元々、声調の区別をもっていなかった言語が新しい言語を受け入れたときに、アクセント区別をしなかったという事はあると思います。無アクセント言語アクセントのある言語から借用語を取り入れるときに無アクセントで取り入れるという事はよく起きています

...................

遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセント境界線のあたりにABOの血液型境界線がひかれるんですね。A型瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックスプランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。それで、服部四郎が『アクセント方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人北九州にもたらした日本語アクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいたことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。つまり一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。もう40年ほど前から日本語系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。

anond:20211111152229

substratum が縄文語で superstratum が弥生時代海外から持ち込まれた新しい要素で、現代日本語にも縄文語の要素が多く残っており、

現代日本語の方言の多くは東京アクセント中国地方九州の大半も)であって関西アクセント地域が島のように残っていることからも、

関西アクセントこそが弥生時代に持ち込まれ渡来人たち(天孫族?高天ヶ原族?)の言語の要素の名残りという見方が有力。(小泉保などを参照)


「substratum が縄文語で superstratum が弥生時代海外から持ち込まれた新しい要素」に関しては同意

しかし基層言語(substratum)と上層言語(superstratum)のいずれが軸となったかについては、弥生時代流入してきた上層言語の方というのが通説。

また縄文語という一つの言語があったということも証明されてはいない。

そして「縄文語の発見 」で知られる小泉保の研究現在では否定されている。

はっきり言って、まともな研究者なら顔をしかめるレベル相手にされていない。

日本語起源」論の歴史展望: 日本語起源はどのように論じられてきたか

10章 ゲノムデータ言語データ関係

p.257

このほか、かつて小泉保(1998)は日本語起源縄文時代のはじめにあるとし、日本語琉球語分岐年代縄文時代のかなり早い時期だと主張しているが、現在研究では否定されている。

そもそも小泉(1998)の本の中核となっている、日本語方言のなかでは一型アクセント(無アクセント)が古いというアイデアは、山口幸洋が以前から日本方言学会提唱していたものだ(山口幸洋 [1998]を参照)が、なぜか小泉山口の業績に全く言及していない。

このあたりの経緯は、山口(2002)に記述されている。

過去研究に目を配り、関連する文献にはきちんと言及するのが、研究者の取るべき態度であろう。

両人ともすでに鬼籍に入られたが、日本方言研究における汚点として指摘すべきであると考え、ここに記すことにした。

anond:20211110102825

うそやぁ

substratum が縄文語で superstratum が弥生時代海外から持ち込まれた新しい要素で、現代日本語にも縄文語の要素が多く残っており、現代日本語の方言の多くは東京アクセント中国地方九州の大半も)であって関西アクセント地域が島のように残っていることからも、関西アクセントこそが弥生時代に持ち込まれ渡来人たち(天孫族?高天ヶ原族?)の言語の要素の名残りという見方が有力。(小泉保などを参照)

どちらかというと、稲作などを海外から持ち込んで弥生時代きっかけを作った人々の方が数の点で劣勢で言語的には現地(縄文日本人)に同化していったと思われる。

anond:20211111144034

オクラ

日本に入って来たのは幕末から明治初期で、従来「ネリ」と呼んでいたトロロアオイの近縁種であったので「アメリカネリ」と名付けられた[6]。

ほうれん草

日本には江戸時代初期(17世紀)頃に東洋種が渡来した。伊達政宗ホウレンソウを食べたという。19世紀後半には西洋種が持ち込まれたが、普及しなかった。しかし、大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られ、日本各地に普及した[2]。

ブロッコリー

日本に渡ってきたのは、海外文化積極的に取り入れてれるよう働きかけていた明治初期のこと。

鶏肉

日本列島では弥生時代に稲作農耕の開始とともに家畜が導入され、大陸からブタとともにニワトリが伝来している。

 

いま日本で食べられている種類のほうれん草って意外と歴史が浅い

トランスユーラシア言語が農耕と共に新石器時代拡散した

マーティン・ロベーツの新論文出てるじゃん

https://www.eurekalert.org/news-releases/934103?language=japanese

Peer-Reviewed Publication

MAX PLANCK INSTITUTE FOR THE SCIENCE OF HUMAN HISTORY

ドイツマックスプランク人類史科学研究所を中心にした、中国日本韓国ヨーロッパニュージーランドロシア米国研究者を含む国際チームが11月10日Nature誌に発表された論文は、

言語拡散の「農耕仮説」を学際的に支持し、トランスユーラシア言語最初拡散東北アジアにおける新石器時代前期のキビ・アワ農耕民の移住と関連すると結論する。

新たに解析された中国韓国および日本の古人骨ゲノム、広範な考古学データベース、および98言語の語彙概念の新しいデータセットを使用して、トランスユーラシア言語祖先コミュニティ時間の深さ、場所、および分散ルート三角測量分析した。

言語学、考古学遺伝から得られる証拠によると、トランスユーラシア言語起源は西遼河地域のキビ栽培の始まりおよび初期のアムール遺伝プールまでさかのぼる。

研究チームの考古学的な結果は、約9000年前にキビの栽培を開始した西遼河流域にも焦点を当てる。

.....

その後、そのクラスター韓国石器文化およびアムール沿海地方遼東の二つに枝分かれした。

さらに、青銅器時代朝鮮半島イネムギが追加され、約3000年前に日本にも伝えられた。

韓国の欲知島 Yokchido 遺跡出土の女性人骨のDNAが95%縄文という結果が得られた。

年代新石器時代中期、紀元前3500―2000年と推定する。

欲知島 以外の二箇所の韓国新石器時代遺跡サンプルも、1020% の縄文DNAを持ったことが解明された。

半島ではこの縄文DNAが少なくて6000年前までに遡る。

これは九州などの縄文文化との交易によってできたか、元々縄文系のヒトが半島にいたかどうかは今後の研究必要とする課題である

今回の研究では、北部九州弥生時代遺跡福岡県安徳台および隈・西小田を二箇所DNA分析して、今までより弥生時代の「渡来人」の遺伝的な位置けが解明された。

ゲノムレベル大陸から大型移住があったと結論する。

今回の研究では、初めて沖縄から古代DNAゲノムが得られた。

サンプルはマックスプランク人類史科学研究所マークハドソンが発掘した宮古島の南嶺の長墓遺跡パインミヌナガバカ、以下、長墓遺跡から出土された人骨である

長墓遺跡近世および先史時代の2つの時期がある。

近世の人骨は現代沖縄人とほぼ同じ約20%の縄文DNAを持つ。

言語学や考古学の結果と合わせると、中世グスク時代)に九州からたくさんのいわゆる「本土日本人」が農耕と琉球語を持ちながら、琉球列島移住したと推定できる。

この結果は、沖縄人が縄文人の系統を引くと結論する埴原和郎の「二重構造仮説」と矛盾する。

一方、長墓遺跡の先史人は100%縄文という結果が解明された。

これは従来の先島先史時代の人々が台湾またはフィリピンなどから由来した「南方説」と矛盾する。

宮古島先史時代縄文系の土器などの物質文化確認されていないが、ゲノムレベルでは縄文の人々であった。

八重山の先史人も縄文系かどうか、あるいは台湾からについては今後の分析必要が、今回の研究では縄文文化と縄文ゲノムが必ずしも一致しないことが一つの大きいな結果である




アルタイ語族否定されアルタイ諸語となり、古人骨ゲノム研究の成果によりトランスユーラシア語族(Transeurasian languages)へと発展するとは面白いことだ。

やはり遼河流域は黄河長江に劣らぬほど、東アジア歴史にとってキーポイントなのだ

Transeurasian
├── Japano‑Koreanic
│   ├── Japonic
│   └── Koreanic
└──Altaic
       ├── Tungusic
       └── Turko‑Mongolic
               ├── Mongolic
               └── Turkic

2021-11-10

anond:20211110102825

なるほど、弥生時代以降のことかぁ  そりゃあ最近の話だなぁ.... てなことあるかいボケェ!

anond:20211109132706

縄文時代には現在日本語日本列島では話されていなかった

弥生時代になって流入した渡来人言語日本語祖先

2010年代以降では主流になった説

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

anond:20211013142659

ちゃんと調べてみたら縄文時代弥生時代区切り紀元前10世紀3世紀ごろまでで諸説あるんだね

学校で教えてるのが紀元前3世紀ごろってのは始めて知ったわ

一つ賢くなった、ありがとう

2021-08-19

anond:20210819100728

そんなもん人間社会は昔からそうじゃん。少なくとも弥生時代には日本階級社会じゃん。エジプトなんか、もう....

2021-08-16

今年のファッション

くすんだベージュやカーキなどナチュラルっぽい色のオーバーサイズ流行しているようであり、女子男子も着ている印象である

その姿を見て私は弥生時代奈良時代あたりに思いを馳せるのである

2021-08-14

もののけ姫感想

アシタカの村は弥生時代っぽい。おばあさんがおはじき占いをしていたり、髪型建物とか。

えぼしの村は建物木造になっていた。銃がある。

こだまはおしりがやるおっぽかった。

シシガミは遠目にはゼルネアスぽい。ただ近目には顔が猿みたいで違和感すごい。撃たれると鹿の顔になるのもびびる。

サン、アシタカのこと好きになるの早くね?あんだけ山犬やってたのに。人間本能が刺激されたということなんかね。

絵がすごく綺麗だった。

音楽も素晴らしいけど、あしたかせっきに頼りすぎ感があった。

以上

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