はてなキーワード: 弥生時代とは
>古代倭語と古代朝鮮語が朝鮮半島で相互に借用しまくってて、その話者が波状的に列島に移住してきてるから地名の本当の由来はわからないみたいな話は聞いた
BC1500ごろ 倭人が朝鮮半島に進出(どこからかは二説あって中国南部と中国東北部)、朝鮮系言語と言語連合を形成
BC1000ごろ 弥生時代開始時期に稲作と第一波の先日琉語族が朝鮮半島から流入
AD250年 古墳時代開始前後に第二波の先日琉語族が朝鮮半島から流入、第二波の集団が大和政権を作る
たぶんこれ
>これが新しすぎてその説と合わないんだよなあ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784883230709
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/1148/1/asia-43_81-97.pdf
>朝鮮半島南部と九州北部~北陸に同系統の民族がいたのはありそうなことだが
朝鮮半島南部でも縄文系のDNA持った人骨が出ているので、弥生時代開始前のBC1000以前には朝鮮半島南部・九州・四国・本州に縄文系の集団がいたと思われる
そうだね、ただアイヌ語が特異に方言差が大きいというわけではない
>失われた本州アイヌ語は現代アイヌ語とは別言語と言ってもよく、その姿は古文書の記述をあたったり比較言語学的に北海道アイヌ語・千島アイヌ語・樺太アイヌ語から再建するしかない
わかる
>さらに1000年以上経って東日本のアイヌ語地名が残っているということは、もし日本列島全体にアイヌ語が分布していたなら西日本のアイヌ語地名も残っていないとおかしい
わかる
西日本には韓系言語の痕跡はあるけどアイヌ系の言語の痕跡はほとんどない
おそらく3000年前に朝鮮半島の無文土器文化が劣等に流入して弥生時代が開始し、1000年経った2000年前の段階で西日本のアイヌ語話者はほとんど同化されて消滅している
読むよろし
https://youtu.be/05GzPwGZpZM?t=371
https://www.youtube.com/watch?v=Aed59M-oKqw
RESEARCH 縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く 神澤秀明 国立科学博物館
https://www.brh.co.jp/publication/journal/087/research/1
人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 篠田謙一 国立科学博物館館長
新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 篠田謙一 国立科学博物館館長
https://www.youtube.com/watch?v=ktoRnH6bu3k
ゲノム解析から見た日本列島とその周辺の集団の近縁関係 I 斎藤成也 国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室
https://www.youtube.com/watch?v=oGPly2tacx0
最新DNA研究が解き明かす。 日本人の誕生 斎藤成也 国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室
いいですか?
いいですか? 季刊誌「Yaponesian」第3巻ふゆ号がですね!発行されました!
http://www.yaponesian.jp/topic00251.html
素晴らしい!素晴らしいことです!
2020年以降、東アジアにおける古代ゲノム研究が次々に発表され、この地域における集団の形成に関する大まかなシナリオが描かれるようになっている。
縄文人のゲノムからは、彼らがアンダマンの先住民などと類縁関係を持ち、東アジアに展開した集団から早い時期に分岐したことが示唆されているが、報告によっては異なるルーツを示唆しているものもあり、確実な結果を得ることはできていない。
しかし、縄文人の起源を、二重構造モデルが想定する東南アジアとすることは、集団形成のプロセスを単純化しすぎていることも分かってきた。
一方、渡来系弥生人の起源に関しては、最近の研究では、稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が三千年前以降に日本列島に到達したというストーリーが提唱されている。
現状では稲作の起源地である揚子江中流域の古代ゲノムデータがないので検証はできていないが、渡来系弥生人の主体を、北東アジアの西遼河を中心とした地域の集団と考えており、二重構造モデルと概ね一致している。
また、二重構造モデルが予想する渡来系弥生人の寒冷地適応は、EDAR遺伝子の大陸北東部での時代的な変化によって説明できる可能性が示されている。
先史時代において、考古学的に渡来人がやって来た可能性が高いと考えられているのは、弥生早期前半、前期末の2時期、そして古墳時代中期です。
ここでは年代が変わらない古墳中期を除く弥生時代について、年代順ではなく渡海の可能性が高い順に説明します。
もっとも可能性が高いのは前期末の前4世紀前葉で、中国東北部に起源をもつ燕の鉄器や韓半島の円形粘土帯土器が出土するようになることをあげられます。
弥生最初の鉄器は炭素量の高い鋳造鉄器で、鋳型に融けた鉄を流し込んで作る斧を代表とします。
鋳型の構造からみて、韓半島ではなく中国東北部の燕系のものである可能性があります。
また、円形粘土帯土器もやはり中国東北部に出自があることが指摘されていますので、韓半島南部だけではなく中国東北部から人がやって来ている可能性を指摘できます。
クマネズミやハツカネズミは有史以前の人類のユーラシアの移動に随伴することで現在の地球レベルの広範な分布域を手に入れた。
これらのネズミ類の歴史を辿ることは文字に記されていない人類の移動の歴史を知ることでもある。
このことを今から50年前に想起した国立遺伝学研究所の森脇和郎(もりわきかずお)は世界各地から野生ハツカネズミを収集し、米川博通氏とともに遺伝子の解析を行った。、北方系亜種のMUSはイラン北部の起源地より、1)中国西部の砂漠地帯(15000年前)、2)黄土高原(10000年前)、3)中国東北部(7000年前)、4)朝鮮半島(5300年前)、そして、5)日本列島(3000年前)へと順次東方移動したことが示唆された
本講演では、大陸から稲作を携えてやってきた渡来系弥生人が、1)どこからやってきたのか、2)どのくらいやってきたのか、という問いに対する知見を、最新のゲノム解析の結果を踏まえて一般向けに紹介しました。
渡来系弥生人の遺伝的構成についてはOsada and Kawai(2021)や機関誌Yaponesian3巻はる号で詳しく解説しているのでご一読いただけたらと思います。
Hanihara(1991)では渡来集団が東シベリア、中国東北地方およびモンゴルの集団と形態学的には似ていたと述べられています。
これまでのいくつかの東アジア現代・古代人のゲノム解析から、渡来系集団は現在の北方系東アジア人集団に近かったという結果が出ており、この予想と概ね一致します。
本講演ではさらに、考古学や言語学的証拠も考慮に入れ、3500年前ごろに遼東半島近辺に居住していたが紅山文化の中心地からは外れたひとびとが、稲作とともに朝鮮半島を南下してきたのではないかという仮説をあげさせていただきました。
次にふたつ目の疑問、どのくらいやってきたのか、という問題について、Hanihara(1991)で用いられた手法を使い、より新しい歴史人口の推定値を用いた結果を発表いたしました。
Hanihara(1991)では、日本列島の人口が弥生開始期に約7.6万人、古墳時代の終わりに約540万人という推定値が用いられています。
埴原先生は、この値をもとに計算された自然人口増加率が年あたり0.43%である、という値がありえないほど高いと考えていたようです。
この前提に基づき、Hanihara(1991)では、どれくらいの渡来人が来ればおよそ1:9である縄文:弥生の遺伝成分を説明できるかというシミュレーションを行っています。
驚くべきことは、埴原先生が当時の形態データから推定した1:9の混合率という推定値が、現在の全ゲノムを用いた推定値とほとんど変わらないことです。
渡来人和推定の方法も比較的単純でありますがエレガントなものとなっています。
年あたりの大陸からの移入数を一定と仮定したモデルでは、毎年約1500人、およそ1000年の間に約150万人が渡来し、自然人口増加率が0.2%であれば日本列島における人口増加量の説明がつくという結論に達しています。
本講演では、Hanihara(1991)の方法に基づき、歴博による新しい年代観やより新しい人口推定値を用いてその評価を行いました。
たとえば、弥生の開始期を更に600年古くすると、1500年の間に人口が59倍に増加したことになります。
その場合、年あたりの移入数の推定値は約1000人と減りますが、1500年の間には約146万人と、埴原先生による推定値とほとんど一緒になります。