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セルフレジ会計 混雑時に子どもにやらせるのは迷惑?スーパーでの親子の行動がSNSで物議(女性自身)
https://jisin.jp/domestic/2096983/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jisin.jp/domestic/2096983/
自分にも幼い子どもがいるので「子どもにやらせないと泣きわめいてかえって遅くなる」という意見もわかるし、
待ってる側だったらイライラするから「子どもにやらせんなよ」という気持ちもわかる(自分は混雑時はセルフレジは避けるようにしている)。
だったらその場で言えばいいじゃない
これに尽きる。
ネット上で愚痴ってないで、そのとき注意すればいいじゃない。「急いでるんで早くしてもらっていいですか」って。
正義は人それぞれなんだから、それがあなたの正義だとおもうんなら堂々と主張すればいいじゃない。
そうだよね、そんなことできないよね。自分が心の狭い人間だと知られるのが恥ずかしいもんね。
たとえば電車の中でいらつくことがよくある。
「1.5人分の幅をとるデブは座らずに立ってダイエットしろよ」とか
「でっかい声でしゃべるんだったら降りてしゃべれよ」とか
「ドア前にはりついてんじゃねえよ。奥に行けよ」とか、心の中では考える。
でも口には出さない。それは身勝手な考えだと知ってるから。他者の自由を侵害するほどの権利があるとはおもってないから。
だけど、正当性があるとおもえば言う。
ベビーカーを押してたとき、電車内の車いす・ベビーカー優先スペースに陣取っていた人には「すみません、場所あけてもらえますか」と言ったし、
車いすの人といっしょに車いす優先エレベーターを待ってて、やってきたエレベーターが満員だったのに誰も降りようとしなかったときは「車いすの人が乗るんで誰か降りてもらえませんか」と言った。
ほとんどの人は悪意があって車いすやベビーカーの邪魔をしているわけじゃなくてただ気づいていないだけだから、ちゃんと言えば譲ってくれる。
だから「混んでるときにセルフレジを子どもに使わせるのはいけないことだ」とおもうのなら、そう言えばいい。高圧的にならないようにだけ注意して。
子どもだって、親から注意されるよりも知らない大人から注意されたほうが言うこと聞くよ。
明らかに悪質な行動だったら言えるよね?
たとえば自分がセルフレジに並んでるときに、子どもがセルフレジのお金払うところに粘土つめて遊んでたら、その子に注意するか、少なくとも店員に伝えて注意してもらうよね?
ほら、ほんとに悪いことには注意できるんだよ。
「待ってる人たちのお気持ちに配慮して」が身勝手な要求だと自分でもわかってるから、ネットでは書けるけど直接は言えない。
わかる。「1.5人分の幅をとるデブは座席に座らずに立てよ」と実際に口に出しては言えないから、よくわかる。
ネット上には法に触れないかぎり好きなことを書いたらいい。そういう場であってほしい。どんどん自分の願望を書いてほしい。
「老人はとっととくたばってくれ」という意見と同じぐらい、自由な表現だ。
国立大教育学部の小学校社会科の先生になる専攻で入学したけど、
高校ではマンガ家めざして同人誌も出してて、フィギュアのフルスクラッチもやりたいなと思ってたので
卒業には全く必要のない美術の先生を養成するコースの塑像(人体を粘土で作る)の授業を受けてた。
最初の課題(学生同士でペア組んでお互いの顔を作る)で自分には立体の才能が全く無いと思い知らされて、ペアの顔を完成させた段階でフェードアウトして単位は得られなかったが。
思い返せば、教育学部って専攻(教科)ごとに多種多様な研究室の教授・講師の授業があって、もっといろんな授業を無駄に受けとけばよかったなと、社会人になった今更思う。
サークルもいろんなことをやってみたいと、漫研以外にスカイダイビング部・スキューバダイビング部の新勧説明会に参加したけど、遠征や装備に金かかるので貧乏学生の俺には無理だった。
あ、先生にはなってません。
いいですか?
いいですか? 季刊誌「Yaponesian」第3巻ふゆ号がですね!発行されました!
http://www.yaponesian.jp/topic00251.html
素晴らしい!素晴らしいことです!
2020年以降、東アジアにおける古代ゲノム研究が次々に発表され、この地域における集団の形成に関する大まかなシナリオが描かれるようになっている。
縄文人のゲノムからは、彼らがアンダマンの先住民などと類縁関係を持ち、東アジアに展開した集団から早い時期に分岐したことが示唆されているが、報告によっては異なるルーツを示唆しているものもあり、確実な結果を得ることはできていない。
しかし、縄文人の起源を、二重構造モデルが想定する東南アジアとすることは、集団形成のプロセスを単純化しすぎていることも分かってきた。
一方、渡来系弥生人の起源に関しては、最近の研究では、稲作農耕民と雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこで在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が三千年前以降に日本列島に到達したというストーリーが提唱されている。
現状では稲作の起源地である揚子江中流域の古代ゲノムデータがないので検証はできていないが、渡来系弥生人の主体を、北東アジアの西遼河を中心とした地域の集団と考えており、二重構造モデルと概ね一致している。
また、二重構造モデルが予想する渡来系弥生人の寒冷地適応は、EDAR遺伝子の大陸北東部での時代的な変化によって説明できる可能性が示されている。
先史時代において、考古学的に渡来人がやって来た可能性が高いと考えられているのは、弥生早期前半、前期末の2時期、そして古墳時代中期です。
ここでは年代が変わらない古墳中期を除く弥生時代について、年代順ではなく渡海の可能性が高い順に説明します。
もっとも可能性が高いのは前期末の前4世紀前葉で、中国東北部に起源をもつ燕の鉄器や韓半島の円形粘土帯土器が出土するようになることをあげられます。
弥生最初の鉄器は炭素量の高い鋳造鉄器で、鋳型に融けた鉄を流し込んで作る斧を代表とします。
鋳型の構造からみて、韓半島ではなく中国東北部の燕系のものである可能性があります。
また、円形粘土帯土器もやはり中国東北部に出自があることが指摘されていますので、韓半島南部だけではなく中国東北部から人がやって来ている可能性を指摘できます。
クマネズミやハツカネズミは有史以前の人類のユーラシアの移動に随伴することで現在の地球レベルの広範な分布域を手に入れた。
これらのネズミ類の歴史を辿ることは文字に記されていない人類の移動の歴史を知ることでもある。
このことを今から50年前に想起した国立遺伝学研究所の森脇和郎(もりわきかずお)は世界各地から野生ハツカネズミを収集し、米川博通氏とともに遺伝子の解析を行った。、北方系亜種のMUSはイラン北部の起源地より、1)中国西部の砂漠地帯(15000年前)、2)黄土高原(10000年前)、3)中国東北部(7000年前)、4)朝鮮半島(5300年前)、そして、5)日本列島(3000年前)へと順次東方移動したことが示唆された
本講演では、大陸から稲作を携えてやってきた渡来系弥生人が、1)どこからやってきたのか、2)どのくらいやってきたのか、という問いに対する知見を、最新のゲノム解析の結果を踏まえて一般向けに紹介しました。
渡来系弥生人の遺伝的構成についてはOsada and Kawai(2021)や機関誌Yaponesian3巻はる号で詳しく解説しているのでご一読いただけたらと思います。
Hanihara(1991)では渡来集団が東シベリア、中国東北地方およびモンゴルの集団と形態学的には似ていたと述べられています。
これまでのいくつかの東アジア現代・古代人のゲノム解析から、渡来系集団は現在の北方系東アジア人集団に近かったという結果が出ており、この予想と概ね一致します。
本講演ではさらに、考古学や言語学的証拠も考慮に入れ、3500年前ごろに遼東半島近辺に居住していたが紅山文化の中心地からは外れたひとびとが、稲作とともに朝鮮半島を南下してきたのではないかという仮説をあげさせていただきました。
次にふたつ目の疑問、どのくらいやってきたのか、という問題について、Hanihara(1991)で用いられた手法を使い、より新しい歴史人口の推定値を用いた結果を発表いたしました。
Hanihara(1991)では、日本列島の人口が弥生開始期に約7.6万人、古墳時代の終わりに約540万人という推定値が用いられています。
埴原先生は、この値をもとに計算された自然人口増加率が年あたり0.43%である、という値がありえないほど高いと考えていたようです。
この前提に基づき、Hanihara(1991)では、どれくらいの渡来人が来ればおよそ1:9である縄文:弥生の遺伝成分を説明できるかというシミュレーションを行っています。
驚くべきことは、埴原先生が当時の形態データから推定した1:9の混合率という推定値が、現在の全ゲノムを用いた推定値とほとんど変わらないことです。
渡来人和推定の方法も比較的単純でありますがエレガントなものとなっています。
年あたりの大陸からの移入数を一定と仮定したモデルでは、毎年約1500人、およそ1000年の間に約150万人が渡来し、自然人口増加率が0.2%であれば日本列島における人口増加量の説明がつくという結論に達しています。
本講演では、Hanihara(1991)の方法に基づき、歴博による新しい年代観やより新しい人口推定値を用いてその評価を行いました。
たとえば、弥生の開始期を更に600年古くすると、1500年の間に人口が59倍に増加したことになります。
その場合、年あたりの移入数の推定値は約1000人と減りますが、1500年の間には約146万人と、埴原先生による推定値とほとんど一緒になります。
最初は真面目に整形していたものの、底面と側面の間をただつまんで均すのがつまらなくて、べたべたな土に指紋が残っていくのが不格好に見えて仕方なかった
僕は飽きたので、粘土で型を取ることにした
上下に金属の取っ手を動かすアレがにゅうっと粘土の中にに埋まっていく
粘土の凹凸が壊れないようにそおっと錠から外したが形が気に入らなかった
工学的な意味ある形を期待したのだけど、剥がしたときの力を込めた方向に歪んでいた
窓の錠は片側からその跡を見ても、元の形状を想像できず、また眺める面白さもなかった
もっと平面で単調な形状の方がいいなと思い、僕は今度は粘土で長方体を形作った
上履きを脱いで、右手に持ち、机の上の均等に力が加わるように調整しながら念入りに押し付けた
押し付けたときよりももっと慎重に上履きを粘土から外すと、狙い通り上履きの跡をきれいにとれた
ジグザグの稲妻上の溝の凹凸がひっくりがえって山脈の様に粘土の上に走っていた
自分の不器用な手だけでは作れない複雑な形を作れて、自分自身は満足したものの道具や粘土を粗末に扱ったと先生には怒られるかなと思った
それで僕はチャイムが鳴るとそっと作品を提出して、自分の教室に逃げた
それからしばらくしてからの選択美術で先生が僕に近づいてきて、「この間の靴跡のやつ、焼いたら割れちゃったみたいなんだごめんね」と言ってきた
「焼けたらどんな感じになるのか楽しみだったんだけどな」と言って先生は微笑んでいた
話したこともない先生を楽しませることができたのかと不思議な心地だった
もうこの先生の性別も覚えてないけど、物を作ると楽しいなと思えた原体験はこんなことだったなと昨日の昼になぜか思い出した出来事
ボレロ村上こと陶芸家C++erとして著名な村上原野さんが2020年2月に逝去されたとのこと。
https://facebook.com/100519794904313/photos/a.115722580050701/115721186717507/
2020年2月16日未明、おまえは32歳という若さでこの世を去った。
最後の作品を制作中、倒れる直前粘土をひと掻きした跡そのままに、手に竹べらをもったまま息絶えた。
きらめく魂、やさしい魂、躍動する魂よ、おまえのすべての命が燃え尽きたのだ。
最近どうにも気分が乗らない。
いろいろ考えた結果、いま最も俺に不足しているのは"褒め”だと思う。
今まで自分が人付き合いに乏しいことを、そういう性質だからだと納得していて特に気にもしていなかった。
でも、気づいちゃったんだけど人付き合いに乏しいと褒められる機会が無い。
最後に褒められたのも多分献血の時の看護師さんとかだな。3ヶ月くらい前の。
血管が太くて針が入れやすいとかそんなんだった。
でも友達とか彼女とかいれば、「献血に行ったこと」でもうひと褒め頂けたのかもしれない。
"褒め”が不足していると、自分がどんどん粘土とかの静物に近づいていく感じがする。この無気力な感じもなんか粘土としてのふるまい。
半年周期ぐらいで見れる見れないを切り替える点滅がたの作品も多いので1年スパンで考えると結構な数になる。
似た系統の作品を一挙放出してくれることもあって、少し前はエヴァが一気に追いかけられた。
今はガンダム→Z→ZZ→ユニコーン→逆シャア→ハサウェイが一気に見れる。
Kindle primeでUnlimitedの出涸らしみたいのが読める。
人気作品の3巻までとか、意識高い系本のちょっと古いやつ、あんま売れてない雑誌、などのちょっと微妙なラインナップだが、時間つぶしには悪くない。
Unlimitedと比べるとオマケ的な側面が強いので読みきれなくてもまーえーわで過ごせるのが精神的に良い
Twitchと提携しており、アカウントを連動させることでTwitchから毎月10本前後のゲームがもらえる。
好みが分かれるゲームの配布が多いため当たりは毎月3本ほどだが、タダで貰えるのなら悪くない。
spotifyより優れているのかと問われると微妙。だが、コイツが存在することでspotifyが必死になっている側面はある。当て馬として頑張ってくれていると思いたい。間接的にspotifyを強化している。
プライム会員が日時指定しても玄関に置いてくる。凄い。もう駄目だコイツら。
そもそも粘土が入ってくるかも知れない時点で駄目だ。何だコイツラ。
それは麺づくりが大変ということ(コナミ感)。
だいたい麺担当が朝7:00~入って、店によりますが2~3時間ほど麺を打ちます。
行程としては、
・水回し
・こね
・のし
・切り
という4つがあるのだけど、まあとにかくそれぞれが力仕事で、熟練の技が必要。
自分もやらせてもらったけど、笑っちゃうくらいヘタクソだった。
粘土細工とか得意な人は向いてるかもね。
ところで。
こういうところは、上の「水回し・こね」を洗濯機みたいな業務用のし機でやり、
「のし」「切り」をプシューって押し出す製麺機(クソ高い)でやる。
しかし、機械化されても味が落ちてはイカンということで、彼らは石臼でそば粉を挽く。
中国製ではあるが、殻付きのそばの実をバルクで輸入することで原価を抑え、
かつ「挽きたて」にすることができる一石二鳥というわけである。