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2017-05-19

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代朝鮮における貴族実業家日本名山崎 永春。

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1 生涯

2 家族

3 その他

4 登場するテレビドラマ

5 脚注

6 出典

7 関連文献

生涯[編集]

判書大監朴元陽の子として京畿道水原生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在大韓民国国旗である太極旗デザインを考案したとされる。朴泳孝が日本派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日仁川から日本船籍明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。

帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派事大党)の反対に遭って挫折さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデター閔妃から政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本亡命慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。

光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣宮内大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島流刑処分とされた。

隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会長1911年)、朝鮮銀行理事1918年)、朝鮮経済会長1919年)、朝鮮維民会会長1919年)、東亜日報社初代社長1920年)、朝鮮人産業大会会長1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長朝鮮殖産銀行理事朝鮮総督府中枢院顧問1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長1922年)、貴族院議員1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。

2016-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20161231134921

 ウィキペディアによりますと、(東京招魂社靖国神社前身

東京招魂社は軍が管轄するものとされ、一般神社とは異なる存在で種々の不安定要素があったために、正規神社へ改めようとする軍当局は社名の変更と別格官幣社への列格を要請し、明治天皇の裁可を得て1879年明治12年)6月4日に「靖國神社」への改称と別格官幣社列格の太政官達が発せられた[32]。もっとも、正規神社となった後も神社行政を総括した内務省職員人事権を有し、同省と陸軍省および海軍省によって共同管理され、しか運営の主導権は財政を担った陸軍省が有する等、神社としては特殊存在ではあった。」

 という話で、明治時代には靖国神社国家は一体だったんですね。政教一致象徴といってよい。戦後において、現憲法政教分離が定められ、また靖国神社は一宗教法人として再出発したので、政府として一宗教団体に対してなんらかの特別意味を課すのは憲法政教分離原則に反する訳で認められないのです。だから無宗教国家慰霊施設が作られるべきだとされるのですね。

 一方で、政治家には信教の自由がありますので、どこの神社・仏閣・教会に行こうとそれは自由です。自由といっても、たとえばオウム真理教の後継団体宗教施設賛同意味訪問すれば、憲法違反批判はされませんが、政治姿勢として批判はされるでしょう。

 今回の稲田防衛大臣靖国神社の参拝については、プライベート稲田氏がどこへ行こうが勝手でしょう。しかし、防衛大臣であり、閣僚ですので、「政府として宗教団体に対してなんらかの特別意味を課す」動きととして参拝を行っているのなら、批判されるのは当然となります。なので、当然私人としての行為なのでしょうから閣僚まで務めている人間憲法知識ゼロとは思えませんので)、ほっとくべきですし、稲村大臣としてもなんらかのコメントを出すべきではありません。なんらかのコメントを出すという事は、防衛大臣としての立場を利用して「政府として宗教団体に対してなんらかの特別意味を課す」ような動きだと誤解されかねません。

2015-02-22

一番良かったのは明治初期だよ

大審院歴代院長

歴代院長[編集]代 氏名 就任日 出身校及び備考

1 玉乃世履 1875年明治8年)5月12日 岩国藩代理

2 玉乃世履 1878年明治11年)9月13日

3 岸良兼養 1879年明治12年)10月25日 薩摩藩

4 玉乃世履 1881年明治14年)7月27日

5 尾崎忠治 1886年明治19年)8月12日 土佐藩

6 西成1890年明治23年)8月21日 府中藩

7 南部甕男 1891年明治24年)4月8日 土佐藩、院長心得

8 児島惟謙 1891年明治24年)5月6日 宇和島藩

9 名村泰蔵 1892年明治25年)8月24日 長崎出身、院長心得

10 三好退蔵 1893年明治26年)3月3日 慶應義塾

11 南部甕男 1896年明治29年)10月7日

12 横田国臣 1906年明治39年)7月3日 慶應義塾

13 富谷太郎 1921年大正10年)6月13日 司法省法学

14 平沼騏一郎 1921年大正10年)10月5日 帝国大学法科大学

15 横田秀雄 1923年大正12年)9月6日 帝国大学法科大学

16 牧野菊之助 1927年昭和2年)8月19日 帝国大学法科大学

17 和仁貞吉 1931年昭和6年)12月21日 帝国大学法科大学

18 林頼三郎 1935年昭和10年)5月13日 東京法学

19 池田二郎 1936年昭和11年)3月13日 東京帝国大学

20 泉二新熊 1939年昭和14年)2月15日 東京帝国大学

21 長島1941年昭和16年)1月31日 東京帝国大学

22 霜山精一 1944年昭和19年)9月15日 東京帝国大学

23 細野長良 1946年昭和21年2月8日 京都帝国大学

2010-10-13

心理学展望

今から・・・100年後位の話になるかもしれん

上手くいけば、心理学教育機関教育する基本的な科目の一つになるかもしれない

心理学は今、誕生から100年程度の学問

1879年ドイツのヴィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学心理学実験室を作ったのがその始めだというのが定説

それからというもの、心理学者は日々人間の振る舞いを定義し、記述(=解釈)してきた

一部は応用され、教育や臨床の場に応用がされてきた

しかし、まだ伸びきっていないように感じる

例えば、物理学化学自然界の振る舞いを記述し、それを応用して多大な成果を挙げたように

学問とは本来、記述したものを応用していく方向へ進んでいくのが流れだ

教育や臨床の場へと応用はしつつあるが、十分なのか?

会議の進行をよりスムーズにする様な技法が欲しいと願ったとしよう

従来なら経験則に頼らざるを得なかったかもしれない

しかし今なら、今まで積み重ねてきた成果を応用できるかもしれない

より確実に、有用な技法が編み出せるはずだ

ビジネス的な交渉技法も発見できるかもしれない

もちろん、日常生活にも応用ができるはずだ

自己のやる気を高めたり、他人へ効果的なアドバイスを行ったり、効率よく情報交換を行ったり、友好的な関係を結ぶ事

心理学進歩し、あらゆる振る舞いが記述され、具体的な技術確立されるだろう

そして、教育機関ではそういった技法を子供に教えるようになるかも知れない

これまで体験する事でしか学習できなかった心理的な技術は、教育によって代替可能になる

そうなった時、世界はどうなるんだろうか

2010-09-06

エホバの証人とは

はてなID:ykkjhrk

はてなキーワード投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。

エホバの証人とは

公式サイト

http://www.watchtower.org/j/ 雑誌バックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。

http://www.jw.org 機関誌ポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。

http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト

概要

キリスト教一教派。jwとも略される。

名称の由来は旧約聖書メシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。

エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm

個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html

ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人クリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)

なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌出版社として現在ものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。

また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャン信者」とか「ムスリム信者」などと言わないのと同様である。

1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年米国オハイオ州コロンバス大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/

聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究ポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)

((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))

信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。

全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm

エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html

機関誌ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。

「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。

出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org

モルモン教統一教会と並び、カトリック総本山であるバチカン法王庁教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。

また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。

http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm

エホバの証人スポークスマンによると、ときおり、日本基督教団牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館日本警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))

参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html

ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。

主な教義

  • 神の名

神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm

なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)

さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。

「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)

  • 悪魔

ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)

http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm

神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。

やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。

悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。

神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義全体主義共産主義自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。

神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)

http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src

http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src

なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバ自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)

  • 贖い

イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエス贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。

http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm

http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm

http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm

http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm

  • 霊魂不滅の否定

http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm

http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html

  • 政治的に中立

クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。

http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src

したがって、投票立候補などをしない。

神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。

http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm

(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対デモなどの活動に加わることもしない。)

  • 血を避ける(地抜きされていない肉を食べない、また輸血を拒否する)

http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm

地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。

輸血拒否に関する医学的な情報については以下を参照↓

日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm

エホバの証人ユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。

http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm

http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm

裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。

http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved

主な慣行

週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)

http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm

唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm

指摘される点

新世界訳聖書 

彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。

オンラインバイブルインターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/

恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。

また、エホバの証人側はこれに反論している。

公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm

個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/

不完全な引用

機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)

参考:エホバの証人の本に見られる「不完全な引用

しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。

人種問題

近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンクエホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)

世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年メンバーサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。

ナチスとの関係

1933年ドイツで政権を握ったナチスエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。

しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。

公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm

個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html

主な裁判報道など

大ちゃん事件

1985年ダンプカーに轢かれたエホバの証人子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。

せっかん死事件

1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人信者子供が死亡した。

参考:http://www.jwic.com/abuse.htm

神戸市高等専門学校神戸高専)訴訟

エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。

判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf

なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。

輸血拒否事件

エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日最高裁判所患者人格権侵害したと判決した。

ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。

エホバの証人プレスリリース英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm

判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf

このほかにも、エホバの証人国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。

参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?

2010-03-26

ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/taiwan3.html

中国」が本来、自国領と考えている地域

1953年北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』に基づく)

中国」(満州内モンゴルウイグルチベット・東カシミールアクサイチン地区)の占領地域を含む)

台湾現在、「中華民国」の施政権が及んでいる地域

朝鮮半島韓国北朝鮮

ロシア極東地域沿海州樺太

外モンゴルモンゴル国ロシアブリヤート

西トルキスタンカザフスタン領・キルギス領の一部)

東南アジアベトナムラオスカンボジアタイミャンマーマレーシアシンガポール

南シナ海島嶼群(南沙諸島・西沙諸島)

旧英印領地域インド領シッキム・バングラデシュブータンネパール領の一部)

これをご覧になられた方はどの様な感想をお持ちになるでしょうか? 現在支那東南アジア諸国が、領有権で係争中の南沙(スプラトリー)諸島や西沙(パラセル)諸島どころの話ではありません。支那の領土観に従えば、フィリピンインドネシア(旧蘭印領)・東ティモール(旧ポルトガル領)・東マレーシアカリマンタン島北西部のマレーシア領サバ州・サラワク州)・ブルネイ以外 ── つまり、支那と陸続きになっている東南アジア地域は全て「中国領」となってしまうのです。そして、現在の「中国」領以外の「潜在的中国領」は、現在の「中国」領に匹敵する程、広大なのです。と、ここ迄は、海を隔てた「他国の話」であって、自分達には直接関係無いと考えておられた方もおありでしょう。しかし、上記の表には「潜在的中国領」とされる地域の全てを記載した訳ではありません。実は、これにはまだ続きがあるのです。では、その続き ── 記載しなかった「潜在的中国領」とは具体的に何処(どこ)を指すのか?

支那が「潜在的中国領」と考えている地域に敢えて書かなかった地域、それは何と驚く事に、

沖縄

だったのです。いや、より正確には、日台支三国で領有権を係争中の尖閣諸島(詳しくは、コラム『94.「お宝」目当ての領有権主張 ── 尖閣諸島問題』を参照)を含む琉球諸島全域(沖縄県)・奄美諸島鹿児島県)・対馬長崎県)と言った地域なのです。これらの地域は、今更言う迄もありませんが、日本国の施政権が及んでいるれっきとした「日本の領土」です。その「日本の領土」迄も、本来あるべき「中国領」と支那は考えているのです。最早、到底笑って済ます事の出来る話ではありません。

支那が何故、沖縄を「潜在的中国領」と考えているのか? それは、かつて沖縄が「琉球国」と呼ばれていた頃 ── れっきとした「独立国」だった頃に迄遡ります。(コラム『42.琉球独立!! 「沖縄基地問題」に対する処方箋』を参照) 沖縄が「琉球国」だった時代、琉球支那(明国及び後継の清朝)に朝貢し、琉球国王支那皇帝によって冊封されていました。つまり、支那から見れば、琉球支那の「属国」あるいは「属領」であり、単に「自治権」を与えていたに過ぎないと言う訳です。しかし、琉球は1609年以降、薩摩藩によって王国体制を維持した形での支配を受ける様になり(島津支配)、これ以後、琉球は日清両国朝貢する ── つまり、日本清朝と言う二つの「宗主国」から支配を受ける事となったのです。その後、明治維新後の日本によって1871年に保護国化され、1879年、遂に王国解体日本に編入され「沖縄県」となったのです。しかし、支那はかつての「宗主国」として、琉球沖縄と名を変え、日本領となった現在も「自国領」との認識を捨ててはいないのです。

2008-10-28

ミネラルウォーター不思議

http://anond.hatelabo.jp/20081028194546

関係ない話だけれど、なんで六甲のおいしい水ってエビアンあたりよりも高いのだろう。

製造コストってせいぜい工場運営コストと輸送費ぐらいしかかからなそうなのに。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%94%B2%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%84%E6%B0%B4

泉源神戸市灘区篠原南町6-1-25で、六甲山系の花崗岩層をくぐり抜けた水であるが、採取地が住宅地の中(周りはマンションダイエーグルメシティ灘店)と意外な場所にあるため写真週刊誌で記事にされたこともある。この土地は以前、六甲牧場という1879年明治12年)創業の小規模な牛乳飲料メーカー現在存在しない)があった工場跡であり、六甲のおいしい水は、そこにあった井戸を基礎として採水し、トレーラー奈良工場(大和郡山市)まで運ばれてボトリング(瓶入れ)されている。

ミネラルウォーターの作り方としてはやや特殊(普通採水地でボトリングまでを行う)ではあるが、2005年西区に新工場六甲工場)を建設し、2リットル入りの製品はこの新工場で採水からボトリングまで一貫して生産するようになっている。熱を加えない「フレッシュ無菌パック製法」を採用している。なお、500ミリリットル入りの製品現在でも奈良工場生産されている。 

まさか阪急より南で採水しているとは思わなかった。

2007-04-20

lifehacks】Golden Rule・黄金律、処世訓、徳目【慧眼】

常識

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

アルベルトアインシュタイン

中庸

衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。

マキャヴェッリ マキャベリ

人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい

デカルト

言動

いかに多くの人のためになることでも、新たに大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険をともなわずにはすまない。

マキャヴェッリ マキャベリ

ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、

たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。

なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。

脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、 相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、

あなたを破滅させようと決意するにちがいない。

古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、

本心からであろうと単なる冗談であろうと、

この二つの誤りを犯すことほど

相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。

タキトゥスも書いている。

「どぎつい冗談とは、それが真実からかけ離れている場合はなおさらのこと、

とげとげしい後味を残さないではすまないものである」と。

マキャヴェッリ マキャベリ

出会い偶然、別れは必然

私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)

人付き合いは「性悪説」を軸にしたほうがうまくいく

分別よりも愚行の方がとかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。

―「ドン・キホーテ」―

君子の交わりは淡きこと水の如(ごと)し、

小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如(ごと)し。

君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

光クラブ事件

人間の性は、本来、傲慢、卑劣邪悪矛盾であるが故に、私は人間根本的に信用しない」

山崎晃嗣(あきつぐ)のモットー

他人をあてにしてはならない。

それは期待するほうがまちがっている。

ゴーリキー

教養のない人は小理屈をこね、

あらさがしをして得意がる。

あらを見つけるのはたやすいが、

よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。

できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、

できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。

ヘーゲル

ねたみ・批判にあったときの名言

あるときブッダは愚かな男から批判を浴びた。

ブッダは黙って耳を傾けていたが、

相手が話し終えると次のように尋ねた。

「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、

その贈り物はだれのものになるのか」

男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」

「そうか」ブッダは言った。

「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。

自分のためにとっておきなさい!」

我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。

他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。

ラ・ブリュイエール

世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。

これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。

ラ・フォンテーヌ

我々は、他の人たちと同じようになろうとして、

自分自身の4分の3を喪失してしまう。

ショーペンハウアー

かけがえのない人間になるためには、

常に他人と違っていなければならない。

ココ・ シャネル

自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。

しても悪口をいわれ、

しなくても悪口を言われる。

どちらにしても批判を逃れることはできない。

エレノアルーズベルト

十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、

十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。

真の善人とは、

十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。

孔子

私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。

スワミ・スリ・ユクテスワル

人の時間には限りがある。

だから他人の人生を生きて時間を無駄にするな。

アップルコンピュータスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)

「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」

アルベルトアインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日

全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないこと

粉屋と息子とロバ

人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。

ゲーテ

人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。

最悪のものだという証拠は群集なのである。

セネカ

多数決をとってみたところで、

それが正しさの保証とはならない。

デカルト

民衆ほど軽薄で首尾一貫とはほど遠いものはないとは、ティトウス・リヴィウスの評価であるが、他の多くの歴史家も、これと同じことを書いている。

マキャヴェッリ マキャベリ

大衆がする尊敬侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。

われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。

セネカ

世の中の人々の一〇人中七、八人は小人なのだ。

西郷隆盛

隣人の語ること、

行うこと、

考えることを

気にかけないものは、

どれだけ多くの利益を受けることだろうか。

マルクス・アウレリウス

2007-03-03

[]「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」


[人間関係]私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。

「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein1879年3月14日 - 1955年4月18日

幸福にしてあげたいなら、 欲望を減らしてやるがよい

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[無功徳][むくどく]

当て事(アテコト)と畚褌(モッコフンドシ)は先から外れる

人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ

他人が自分に関心を持っているとは期待するな。 ラッセル

他人をあてにしてはならない。それは期待するほうがまちがっている。

浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者

朝起きたら自分にこう言い聞かせる。おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。

他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちている

「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」

http://anond.hatelabo.jp/20140307175603

 
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