はてなキーワード: 遊牧民とは
『万物の黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的に冒険的で実験的なものであり、自由と平等の呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである。歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつの体制から抜け出せなくなっており、その理由を理解しようと努めなければならない。
これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たちの人間性を規定する政治的本能や社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先が平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。
彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類は歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせや虐待、支配も実験しただろうと主張しているようだ。
G&Wは、私たちが革命の過程で社会的、道徳的に人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間の言語、意識、親族関係、道徳は漸進的な進化の過程で進化し、それが巨大な社会的・政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間は本来利己的で競争的だから社会主義は不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的な偏見に挑戦することであった。
私はいつもこう答えていた。そう、私たちは類人猿の一種である。そう、私たちは霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的な本能を持っている。しかし、それが私たちの成功の原因ではない。優秀な母親や父親になる能力、自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力、道徳的なルールを確立する能力、他人が自分を見ているように自分も見ている能力、音楽、ダンス、言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命の産物であり、成功した革命なのだ。
この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファー・ボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスとジェンダーの力学についての言及を一切省くことで、政治的な観点から安全策を講じた理論のバージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスなバージョンなのである。
ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的な競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者を支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下からの集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団を支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たちの祖先のチンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観にコミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである。
G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑、羞恥、遠ざけ......他の霊長類に類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団で採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術が進化の過程で人間の本性を形成する上で重要な役割を果たしたという考えである。
ボームの説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類は基本的に平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)
唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉は引用に値する:
ひとたびどこかのバンドが平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的な拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)
これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類は基本的に平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつの特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである。
かなり不当なことに、『万物の黎明』は現代の進化論を社会進化論と混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀の物語である。ダーウィニズムは科学的であると私たちは語り聞かされるが、実際は純粋な神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類の起源に関する視点を、読者が真剣に検討することを期待している。
この著者たちが認める唯一の科学は「考古学的科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治や社会生活については、古代の人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物の黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。
このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術と象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近の証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ、幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端のダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学、儀式の実行パターン、性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.
残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間の本能と心理の形成における集団的育児の重要な役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別な神話を「重要なもの」と表現している。そして、「エデンの園は存在せず、一人のイヴも存在しなかったのだから、このような洞察は部分的なものにしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話に疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディの画期的な研究が、私たちの共通のミトコンドリアDNAの祖先の年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実を無視すること--は、明らかに、人類の起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。
中石器時代や新石器時代の考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽や言語に対する生得的能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!
タイトルは深刻な誤解を招く。『万物の黎明』? 『万物のティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期のフランスとスペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学が面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。
G&Wにとって、狩猟採集民の祖先がアフリカでもっと早くから平等主義的なライフスタイルを確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。
つまり、狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間の文化的・知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。
ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的な抵抗が狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型であると結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立を有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベルの政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいかに危険かを理解する知性があると彼は説明した。
しかしG&Wによれば、富の不平等は問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀にヨーロッパの「文明」を批判したファースト・アメリカンのカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初のアメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。
G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:
こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉が示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等は本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?
どんな未来?アフリカの狩猟採集民からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代の都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。
はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的、政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。
(続く……)
旧約聖書は基本的にはイスラエルの民の歴史の話だが創作を交えている。他民族からパクってきた物語もある。例えば「聖書の起源 山形孝夫著」によるとアベルとカインの話はメソポタミアの牧畜神と農耕神の闘争そっくり。ただ、最後に農耕のカインが牧畜のアベルを殺す部分が付け加えられている。当時は土地を所有する農耕民族とイスラエルの民のように土地を持たず遊牧で暮らす遊牧民との争いがあった事から血なまぐさい話が付け加えられたと思われる。
新約聖書はイエスの弟子が話を盛りまくったあげくバチカンが都合のいいように書き換えたらしいが西暦4世紀以前の新約聖書は現存せず実際にはわからない。
元エホバの証人で「ドアの向こうのカルト」という本を書いた人のPDFおすすめ。
https://jw-qa.com/kaiyaku/wp-content/uploads/2017/08/jw9_201505.pdf
「表現の悪影響はない」ではなく「悪影響があったとしても規制反対」と言うべきだと主張するわとりん氏とリョーマ氏、規制反対派から袋叩きにされる https://togetter.com/li/2021146 #Togetter @togetter_jpより
「フィクションが良い影響は与えるけど悪い影響は人に与えないって都合良すぎ」と言った遊牧民氏、「規制派め!」と叩かれる https://togetter.com/li/2026587 #Togetter @togetter_jpより
表自、アンフェ界隈で仲間割れが起きているようだ
表現の自由戦士は表現に悪影響があると言っただけで「じゃあ規制すべきだというのか!表現が全て悪くて犯罪したやつは免責されるべきだというのか!!」と極論に走ってキレる。
「人間には倫理観がある!だからスポーツ漫画の影響を受けてスポーツをするのと、エロ漫画の影響を受けて性犯罪するのとは違う!!後者は絶対にない!!」
どうも、表現の自由戦士は人間の倫理や知性を強固なものだと思い過ぎている
しかも「子供は悪影響を受ける事もある(だから18禁がある)が大人は絶対にない」と、人間は全て健常に成長するものだと思い過ぎている
「人間には倫理観や知性があって、フィクションの悪影響を受ける奴はよっぽどの馬鹿なのだ。それはそいつの受けた教育が悪いのだ」と表自戦士は言う。
だが、教育で「よっぽどの馬鹿」が治り、年齢通りに成長するならば、知的障害も発達障害もサイコパスも存在しない
実は、知性や犯罪者になる確率は、教育よりも遺伝子で決まるという。橘玲氏の「言ってはいけない」という本では、親が犯罪者であればその子供が養子に出されていても犯罪者になる確率は高いのだという研究結果があった。養親に犯罪歴がある場合より高い。
「フィクションに悪影響を受けるようなバカはフィクションを見るな」と言っていた表自戦士がいた。
これは生まれつきの障害者はフィクションを見るなと言ってるに等しい。なんと差別的で、規制派的であろうか。そんな奴が「表現の悪影響はあるけど規制反対」と言ってる人を規制派扱いしているのだ
というか、フェミニストが「ポルノを見るのは年齢制ではなく免許制にするべき。人権意識などをテストするべき。知的障害者や発達障害者がいるのだから」と言っていた時、表自戦士は「差別だ!」と叩いていたように思うが、どこが違うのか。
というか、遊牧民の方のまとめのコメントで、タムって奴とんでもないこと言ってんな
こいつ別のまとめで痴漢冤罪云々と言ってるくせに、犯罪する前に捕まえることを推奨してやがる
とも言ってるし…公序良俗に反する表現を規制しろとは、これが表現の自由戦士かよ
ちょっとしたきっかけで道を踏み外すし、ちょっとしたきっかけで洗脳されるし、ちょっとしたきっかけで犯罪を犯す
カルト宗教論破してやるwと向かっていった人が取り込まれやすいのは何故か?人間が弱いからだよ!
普通の人がどんどん反ワクチン陰謀論者になっていく経緯まとめられてて見たことあるけど、怖かったよ
一家全員洗脳されたり殺し合ったりする事件もあったし、ママ友に洗脳されて自分の子供を殺した母親もいた。
スポーツするより犯罪する方がハードルの低い人間なんてザラにいる。犯罪の種類によってはな。
オタクもよく言うだろ。○○で性癖が歪んだって。もし歪んだ先が強姦性愛だとか小児性愛だとか犯罪に繋がりやすい性癖だったらどうするんだよ
ワンピースの影響で海賊になる人間はいない?当たり前だ海賊になるハードルはバチクソ高いんだから、海賊が合法でもいないだろうさ
恋愛ゲームやってもモテない?当たり前だ恋愛は自分の意思だけでなく向こうの合意あってのものなんだから
犯罪者も犯罪する前は「自分は善良な犯罪をしない一般市民」だと思ってるんだよ
もっと「自分もちょっとしたきっかけで足を踏み外したかもしれない」という意識を持つべきじゃないか?
犯罪者が「○○の影響を受けました」と言ったら表自は「犯罪者の言い訳ダー!フィクションのせいにするな!」と騒ぐでしょ
あのな、それで減刑されるわけないんだからフィクションのせいにしてるわけじゃないでしょ
「俺は親から虐待を受けていて…」と犯罪者が言っても「言い訳!家庭環境のせいにするな!」と言うのか。言いそう。
つか、それだとワンピースの影響で海賊になった人が現れても結局意味ないだろ
「沢山フィクションがある我が国で犯罪が少ない」ことを表自は持ち出すが、
それは「沢山フィクションがあるような先進国では環境も良く犯罪者が少なくなる」とか「エロ漫画を読んで発散する良い影響が悪い影響の数を上回る」とか「フィクションを読んでる間に他の影響を受けにくい」とかの理由があるわけよ
というか、表自って同じことを言ってるもへもへには何故キレない?
もへもへ「エロ本やAVみて性犯罪する奴は確実に存在する。だが規制すべきではない」 https://togetter.com/li/2022447 #Togetter @togetter_jpより
「表現の悪影響はない」ではなく「悪影響があったとしても規制反対」と言うべきだと主張するわとりん氏とリョーマ氏、規制反対派から袋叩きにされる https://togetter.com/li/2021146 #Togetter @togetter_jpより
「フィクションが良い影響は与えるけど悪い影響は人に与えないって都合良すぎ」と言った遊牧民氏、「規制派め!」と叩かれる https://togetter.com/li/2026587 #Togetter @togetter_jpより
表自、アンフェ界隈で仲間割れが起きているようだ
表現の自由戦士は表現に悪影響があると言っただけで「じゃあ規制すべきだというのか!表現が全て悪くて犯罪したやつは免責されるべきだというのか!!」と極論に走ってキレる。
「人間には倫理観がある!だからスポーツ漫画の影響を受けてスポーツをするのと、エロ漫画の影響を受けて性犯罪するのとは違う!!後者は絶対にない!!」
どうも、表現の自由戦士は人間の倫理や知性を強固なものだと思い過ぎている
しかも「子供は悪影響を受ける事もある(だから18禁がある)が大人は絶対にない」と、人間は全て健常に成長するものだと思い過ぎている
ちょっとしたきっかけで道を踏み外すし、ちょっとしたきっかけで洗脳されるし、ちょっとしたきっかけで犯罪を犯す
カルト宗教論破してやるwと向かっていった人が取り込まれやすいのは何故か?人間が弱いからだよ!
普通の人がどんどん反ワクチン陰謀論者になっていく経緯まとめられてて見たことあるけど、怖かったよ
一家全員洗脳されたり殺し合ったりする事件もあったし、ママ友に洗脳されて自分の子供を殺した母親もいた。
スポーツするより犯罪する方がハードルの低い人間なんてザラにいる。犯罪の種類によってはな。
オタクもよく言うだろ。○○で性癖が歪んだって。もし歪んだ先が強姦性愛だとか小児性愛だとか犯罪に繋がりやすい性癖だったらどうするんだよ
ワンピースの影響で海賊になる人間はいない?当たり前だ海賊になるハードルはバチクソ高いんだから、海賊が合法でもいないだろうさ
恋愛ゲームやってもモテない?当たり前だ恋愛は自分の意思だけでなく向こうの合意あってのものなんだから
犯罪者も犯罪する前は「自分は善良な犯罪をしない一般市民」だと思ってるんだよ
もっと「自分もちょっとしたきっかけで足を踏み外したかもしれない」という意識を持つべきじゃないか?
犯罪者が「○○の影響を受けました」と言ったら表自は「犯罪者の言い訳ダー!フィクションのせいにするな!」と騒ぐでしょ
あのな、それで減刑されるわけないんだからフィクションのせいにしてるわけじゃないでしょ
「俺は親から虐待を受けていて…」と犯罪者が言っても「言い訳!家庭環境のせいにするな!」と言うのか。言いそう。
つか、それだとワンピースの影響で海賊になった人が現れても結局意味ないだろ
「沢山フィクションがある我が国で犯罪が少ない」ことを表自は持ち出すが、
それは「沢山フィクションがあるような先進国では環境も良く犯罪者が少なくなる」とか「エロ漫画を読んで発散する良い影響が悪い影響の数を上回る」とか「フィクションを読んでる間に他の影響を受けにくい」とかの理由があるわけよ
というか、表自って同じことを言ってるもへもへには何故キレない?
もへもへ「エロ本やAVみて性犯罪する奴は確実に存在する。だが規制すべきではない」 https://togetter.com/li/2022447 #Togetter @togetter_jpより
いい加減にお前ら覚えろよ分散SNSはMastodonだけじゃねぇんだよ!
Mastodonは重い?じゃあPleroma使えよ!
今どき絵文字リアクション使えないとかありえんって?じゃあMisskey使えよ!
Facebookみたいにユーザ管理したいって?じゃあFriendica使えよ!
写真がメインだって?じゃあPixelfed使えよ!
やっぱり動画だって?じゃあPeertube使えよ!
障害耐性が欲しいって?じゃあHubzilla使えよ!
ブログが良いって?じゃあWrite.as使えよ!
全部ActivityPubプロトコルで相互にコミュニケーション可能なんだよ!
代表的なActivityPub対応サービスは下記にまとまってるんだよ!
Awesome ActivityPub
じゃあ例示したHubzillaはどうだ?
Hubzillaのコンセプトにはノマディックアイデンティティというのがあるんだよ!
一時期話題になったノマドワークのノマドな!遊牧民!
Hubzillaはユーザアカウントを他のHubzillaサーバへクローンすることができるという特徴があるんだよ!
ここで言うクローンとはLINEとかスマホゲームであるようなアカウントの引き継ぎではなく、単一のアイデンティティを持ったアカウントが複製されるという意味でのクローンな!
例えば、Hubzillaサーバhub.example.comとzilla.example.netが存在するとして、増田がアカウント名masuda@hab.example.comを取得したとするだろ?
んで、その後にmasuda@hab.example.comはzilla.example.netへアカウントをクローンし、masda@zilla.example.netを取得したとする!
そうするとmasuda@hab.example.comとmasda@zilla.example.netの投稿を含んだアカウント情報は同期されるようになる!
これの何が良いって上の方で例示した際に言ったとおり、同期されるということはhub.example.comが何らかの理由で障害が発生しネットワークへ接続できなくなった場合、増田はzilla.example.netの方へログインすることで自分のタイムラインの連続性を保持したまま投稿を継続することができるんだよ!
その後hub.example.comが復帰すると自動的に再同期がはじまるからSNS中毒者は安心して利用を続けることができるってわけよ!
まぁ障害って言ったけど、例えばイーロン・マスク関連で話題になったイーロン・マスクの私有機を追跡する@ElonJetは様々なHubzillaサーバへアカウントを作りまくれば、URLベースでBANされてもURLの違う別のHubzillaサーバから投稿をすりゃタイムラインの連続性を保ったままURLベースのBANを回避できるって寸法だ!
えっまだ話題が欲しいの?ちったぁ自分でググれよ!
じゃあこれも例示したPeerTubeでどうだ?
PeerTubeはWebTorrentを活用した動画共有サービスだ!
WebTorrentって何だか知らん人も居るだろうが、まぁ早い話がファイル共有システムのBitTorrentをWebブラウザから使いやすく、そして応用の幅を広げたものだ!
つまり言ってみれば、PeerTubeは公開されている動画を再生した時点でファイル共有がはじまり、同時に再生視聴しているユーザ間でファイルデータを渡し合うという仕組みになっている!
これ何が良いって、通常の場合は同時視聴者数が増えれば増えるほど動画配信サーバへ負荷がかかるんだけど、WebTorrentによってユーザ間でファイル共有しているため動画配信サーバの負荷を軽減することが可能となり、ニコニコ動画あたりでありがちな低画質化や視聴待機列みたいなのが発生しにくくなることなんだよな!
しかも面白いことにPeerTubeは他のPeerTubeサーバと連携をすることで他のPeerTubeサーバに保存されている動画を自分のとこのPeerTubeサーバの動画一覧へ組み込むことができる!(連携しないこともできる!)
他のPeerTubeサーバの動画コンテンツも扱えるのでPeerTubeサーバが増えれば増えるほど動画コンテンツが充実するって仕組みになってるんだよな!
ただ、勘の良い連中が気付いている通りに国家間を跨いでしまった場合の著作権周りの扱いが難解で解決してないからPeerTubeで自作以外の著作物を投稿する場合は気をつけようぜ!
でもそれ以上の価値に気付くヤツは気付くけれど、PeerTubeが普及すると海外の動画を観るとき非常に好ましい結果になる可能性がある!
何故なら海外の動画を引っ張ってくると通常のファイル転送では時間がかかるが、WebTorrentの場合は自分の地域に同時視聴者が居るとユーザ間のファイル共有によって、Youtubeなどで言うところのグルグル(バッファ)が発生しにくくなるんだよな!
わざわざGoogleが負荷分散サーバを設置してないような新興国でもこういう仕組みはありがたいはずなんだぜ!
そしてHubzillaもPeerTubeもActivityPubプロトコルで相互コミュニケーションを取ることができる!
これこそが分散SNS、ActivityPubの醍醐味だ!
ウクライナで墓穴掘りまくってるロシアだけど、日本人的におもしろがいくつかあったのでメモ。
Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
ウクライナ国歌に露(роса)とあって、ロシアを連想しておもしろい。
ロシアが人民元だよりになってきてるそうで、タタールのくびきを思い出した。
ロシアはモンゴル帝国やその末裔の属国になっていた「タタールのくびき」という時期がある。
タタールというのは現在ではタタールスタンやクリミア・タタール等、主にトルコ系を指すことが多いが、当時はモンゴル系も含めたそのあたりの遊牧民の事を指していた。
チンギス・ハンから始まるモンゴル帝国は、東では元寇で日本まで来たが、西ではヨーロッパまで行っている。
当時小国に分裂していたロシアは、この時にモンゴルに征服されて属国になった。
モンゴル帝国はチンギス・ハンの子孫が各地を支配していてそれぞれ独立していくが、帝国本家で中国を支配したのが元、ロシアを属国にしていたのはジョチ・ウルスであった。
なので「元がロシアを支配していた」と言うと、あまり正確ではないが、だいたいあってると言ってもいいだろう。
黄河文明書き間違えたりBCの記述すっとばしたり色々間違えててごめんね…
今までの情報を元に西遼河流域の文明と住民を年代順にまとめるとこうかな
年代 | 文化 | 遺伝子 | 補足 |
9000年前 | 粟などの農耕民 | 不明 | Robbeets(2021)でトランスユーラシア祖語の話者と推定している |
7000-5000年前 | 紅山文化 | Y-DNA:N(ウラル語族) | Wang(2021)で日本人の92%を構成するとしている |
4000-3500年前 | 夏家店下層文化 | 相変わらずY-DNA:N? | |
3000-2500年前 | 夏家店上層文化 | Y-DNA:O2(シナチベット語族)、C2(縄文人) |
日本人の遺伝子の92%を構成しているのは5000年前に西遼河流域に住んでいた住人とのことで
これはほぼ紅山文化に相当すると考えていいだろう(考古学的にも問題ない)
しかし父系のY-DNA:Nは日本人にも朝鮮人にもほとんど出ていないので
そしてRobbeetsがトランスユーラシア祖語の話者が4000年前の遊牧民であるという「通説」を否定したかった理由もここでわかる
Wang(2021)で知られるように5000年前の西遼河流域人にモンゴルやツングースと共有する遺伝子がないため
で、目論見どおり雑穀の語彙に共通性が見られるので、今回の論文を出したと
この論立て正しいんだろうか
ここの前提が崩れたら一気に崩壊する気がする
なんでこんなになってしまったのかというと、Robbeetsさんがこの論文で言わんとしている論点についてあんまり説明してくれてるメディアがないから
日本語・朝鮮語・モンゴル語・トルコ語・満州語(ツングース語)などが同一のトランスユーラシア祖語に遡るのは前提としておいて
その祖語は4000年前に遊牧民が話していた言語(通説)ではなく
ここはMainの章の2,3段落目にはっきり書いてあることを訳しただけなんだが
トランスユーラシア祖語(あるいはアルタイ祖語)と呼ばれている奴が4000年前の遊牧民が喋っていたという通説が
日本国内で全然有力でも何でもないので論文の新規性についてピンと来る人間がいなくて、国内メディアもこの説明ができなかったと思われる
果たしてトランスユーラシア祖語を前提としていいのかどうかは俺もちゃんと判断はできないんだけど
論文1 ((Starostin, S., Dybo, A. & Mudrak, O. Etymological Dictionary of the Altaic Languages Vol. I– III (Brill, 2003).
Return to ref 1 in article))
論文2 ((Blažek, V. Altaic Languages. History of Research, Survey, Classification and a Sketch of Comparative Grammar (Masaryk Univ. Press, 2019).
))
論文3 ((Robbeets, M. Is Japanese related to Korean, Tungusic, Mongolic and Turkic? (Harrassowitz, 2005).
Return to ref 18 in article))
論文4 ((Robbeets, M. Diachrony of Verb Morphology: Japanese and the Transeurasian languages (Vol. 291 in Trends in Linguistics. Studies and Monographs) (Mouton de Gruyter, 2015).))
なんで心細いことこの上ない
また、最古で1200年前くらいにしか文献が遡れないこれら諸語の祖語を9000年も昔に設定して大丈夫なのかという不安もある
そりゃ一応インドヨーロッパ祖語も9000年前に遡れるんだけど、これらは3500年遡れるヒッタイト語の記録なんかが残っている
----