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はてなキーワード: 左翼的とは

2017-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20170607215633

そーいや増田の一面としてコレ系があったか(笑)

2chはジャンルわず吊し上げで、こういう時だけ左翼的な動きになるのに、増田は妙な人脈が働いてスターがぶん殴る流れが多いよね。後は専門家が入ってきて手続き踏んで解決ってパターン

今回は別に法に触れてるってワケじゃなさそうだけど、はてさて、どうなります事やら……。

考えてみたら増田も世の役に立ってたんですなぁ。

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531102922

安倍首相が支持されているというより、反安倍(政府批判派)の攻撃性が忌避されているのでは?

もともと左翼的な人たち(というくくりは雑だけと)の中には、批判する正当な理由があると判断した相手にはどんな攻撃的な言葉を発していい(むしろ発するべきとさえ)思ってる人が結構いる(実際にはそんなにいないとしてもそれが目立つ)。

たとえば次のブコメ群とか

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankei.com/life/news/170418/lif1704180003-n1.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20170524/k10010993481000.html

そして今の安倍政権に対して、こうした左派攻撃性が過剰に現れている感じがする。

たぶん他の歴代首相比較しても安倍首相をあまりきじゃないとか現政権から出てくる諸々の発言否定的な人は結構いると思う。

だけど、あらわに見せられる攻撃性にはもっと耐えられないという人もまた多いのだと思う。

権力危険性と腐敗を憂慮し弱者に寄り添い人権のためを思った発言、行動だったとしても、その攻撃性に耐えられない心の弱い人は、攻撃的な左派から距離をおいてしまうことになり、結果として相対的消極的であったとしても安倍支持が増えることになる。

そしてこうした消極的安倍支持に対して、さら批判を強め攻撃的になり支持を減らすという負のスパイラル

2017-05-26

2ch増田の対比をぼんやりから、なんとなくまとめつつ

はてな2ch風土の違い

2chはでは荒れたら誰かが自治するのに増田は止めないの、無法地帯じゃない」という書き込みが数週間前に見られたが、

自分から言わせれば一対一のやり取りに不特定多数殆ど賛同否定を表明しつつ襲いかかる2chの方が狂気的だと感じる。

彼らは概ねやりあってる二人に構うか完全無視という両極端な態度をとる。

邪魔から他所でやれ、と言い出し始めると異口同音にそれに従うし、一人が冷やかし始めたらそれに大勢が乗っかる。

この意志のなさがフーリガンやら大衆扇動的で非常に無秩序で恐ろしい。

増田の傾向

増田で割って入る時もぶら下がって異口同音意見を言ってやろうというケースは少ない。

その場合元増田釣りおかしいケースが多い。

そもそも増田においては異口同音場合、流し読みする文化がある気がしてならない。

季節の変わり目に自演して過疎時間にツリーをぶら下げまくる人間もいるが、こういう人間は定着しない。

こいつらまだやってんのか、とたまに言う人間もいるが、殆ど増田マイペース記事更新する。

基本的に無関心の極端な張り方(「意図的」な無視)は関心の裏返しだし、冷やかしも過度なコミュニケーションの一形態だといえる。

まり増田場合、本当の意味他人に無関心で心が冷え切っているという側面はあるのではないか。もちろんこれは傾向で全員ではない。

全体主義2ch個人主義増田

密接に関わろうとする意味増田ブコメ狙いを含め利益主義的で、2ch地域密着ヤンキー

(=かつて論じられていた母権社会という意味)ではないのか。

言い換えれば増田個人主義2ch全体主義だといえまいか

全体主義なのでルール徹底にはうるさいし、空気読みや振る舞いにまで口を挟まれる。

ところが外世界での倫理に反することでも、彼らの全体主義内のルール内であればいくら調子に乗っていても咎められない。

全体主義であるから主義一貫性がなくとも空気合致していれば満場一致となる。

組織の(スレッドの)健康的な運営第一であり、マイノリティ黙殺されマジョリティに組み込まれるべきだという暴力がまかり通る。

空気がご都合なので満場一致にし易いとも言える。ところが増田場合左翼的個人主義的であり、

必ず全体主義的な狂気に釘を刺す歯止めを効かせようとする。

故に個性という側面においても2chでは昔からコテハンなどの個性を嫌がるし、増田では面白がりながらも個性を受け入れている。

特定id増田出現や某先生暴言などもある種ユーモアをもって受け入れられている)。

なぜ長文文化か、なぜ短文文化

上記の理由により2chでは個々人が深く考えることより同調強要されるため、短文となる。

増田では個人が深く考察するために自ずと長文化する傾向にある。

2017-05-12

左翼(それともはてサの?)の限界

富裕層年寄り優遇するなとか富の再分配しろとかBIを導入しろとか言うけどさ

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337

上記記事コメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ

初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論思想の自由大事だと思ってる。

でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。

ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。

でも、政治的記事へのはてブコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。

たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。

それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?

例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。

そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?

治安悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題主観マターになってしまう気がする。

ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?

最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者ケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。

違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。

その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。

左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないかであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。

個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。

俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。

日本社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉ケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。

治安の悪化については、うん、格差が広がると治安悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本世界的に見て治安トップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?

経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。

何度も言うけれど、俺個人福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義グローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。

さまざまな政治信条の人が暮らす社会自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。

仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブル制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。

なので、「左翼的決断正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本左翼的思想限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話妥協拒否する、傲慢怠惰さなんじゃないかと思う。

今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話テーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。

2017-05-11

学校労働法の授業を!

厚労省労働基準関係法令違反に係る公表事案ってのを出した

http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/dl/170510-01.pdf

いろいろな意見があるが、経営者労働者も、労働法をある程度理解していなきゃいけないと感じた。

そこで提案

その昔、左翼的教員平和教育だとか労働運動教育だとかを一生懸命やっていた印象があるが、労働法一般論を生徒に教えたらどうか。

将来労働者になる一般的な生徒だけでなく、将来経営者になるかも知れない生徒にも有益だろう。

教員が教えられなければ労基署から講師を招いて教えればいい。

働き方改革の一環として若い世代意識改革としてやれば厚労省労働基準監督署も動きやすいのでは?

労基署厚労省エロい人見てる?

2017-04-26

オタク表現規制

 オタク自由放任主義右翼親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。

 左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。

 その言説について思うところを描いていく。

 左翼による攻撃があった事は事実である

 ヘイトスピーチ所謂言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である他人人権侵害しない」という原則問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈から反論(1)や、大日本帝国時代児童文学新聞規制言論統制のものに変化していった前例が示すように、原則否定するべき物ではない。

 また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。

 漫画関係表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。

 これらの理由からオタク左翼的言説を嫌うことには一定理由があることがわかる。

 その上で、右翼放任主義という主張は疑わしい。

 チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現規制側に回っていた。猥褻物公序良俗使用した最高裁判決に対しては、保守派批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼表現の自由不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。

 悪書追放運動以来漫画規制では政府与党応援してきた。悪書追放運動主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である

 所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ

 84年の衆議院予算委員会で、マンガ規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。

 漫画関係でも、保守派麻生議員とかは、漫画規制積極的な人だし、東京都でのマンガ規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎都知事だった期間だ(5)。

 漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。

 つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタク趣味ポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタク趣味ポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。

 ついでに、戦前でも児童文学表現に著しい規制が付けられていた。

 表現規制問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。

 それどころか、この10年の間は、マンガ表現規制保守の側から行われている。

 だと言うのに、どう言うわけか保守層放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。

 幾度か、マンガ規制法制化がされるときに反対に回ってきた共産党立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガ規制するよう求めてはいたか濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。

 にもかかわらず、左翼教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制法制化の歴史を紐解くと真逆しか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。

 ……本当に、どう言うことなの?

 理由を考えてみると、実際の活動兎に角左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動発言や、ウルトラセブン12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマト宇宙の戦士への批判小説批評批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。

 特にウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。

 また、政府肝いり団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。

 恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。

 で、そこから反対の陣営自分たちに寛容と勘違いした。

 その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク人権を御旗に自由侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。

 00年代前半から10年、警察保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨認識の影響は少なくない気がする。

 余談だが、戦前表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉表現問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。

 左翼表現規制……所謂言葉狩りにも一片の理がある。

 実質的に、差別助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定差別の強化自体問題にされてしかるべきだ。

 キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。

 一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者表現規制のもの問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判積極的に行われてよい。

 兎に角、「表現規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現問題ではないのだから、どんな差別的表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか

 いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。

 「どんな表現にも寛容な保守と、教条的表現規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯もの理屈ネットの世まかり押し通ってしまうのは

60年代悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った

・「セブン12話」や「宇宙の戦士批判など、容易な「左翼の抗議による作品封印」の戦果に容易にアクセス可能

00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識流行した

・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用

 と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。

(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法エチュード86~91ページ

(2)ロバート・A・ハインライン宇宙の戦士」483~484ページ

(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落

(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ

(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ

(6)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」143~144ページ

(7)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」139ページ

(8)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」129~130、143~144ページ

2017-04-24

すぐやめる新人記事を見て、サッカー強制参加は流石に糞だろうと思っていたら、賛同するブコメが1~2人程度しかいなかった。

10年前のはてななら体制側、会社側に反旗を翻すこと数多で非常に左翼的な印象だったんだけど、

今まさに最大多数の左派がそっくり自分のための右翼化してきている。今でこそ保守的(つまり原義的右翼)な意味しかないけど、

数年後にはマジ物の右翼になってるんじゃないかと。年齢って怖いなとおじさんながら考えた。

ただまあ、自分自身別に右でも左でもないんだけど。

2017-04-18

自分の胸の内と社会的な場面における判断が別物だ、という感覚も非常に左翼的で誤りがないと思うんですけどねえ。

2017-04-10

左翼的商売もよくわからんがだとすると右翼的商売もあるんだろうけど、

右翼にとって天皇陛下って絶対から陛下からの指示なので買えって言えばぼろ儲けな気がする。

貧乏人向けの左翼的商売の方が儲かるという話

学生時代の友人が貧困について語る左翼的ライターになっていたので、今回はそれについて。

その友人いわく、貧困層向けの左翼的仕事は儲かる。

貧困層は「私の考えに共感してくれる」と思い、そうしたライターを心の拠り所にするからだ。

ぶっちゃけた話、バカ相手にした方が金になるらしい。

しかも興味深いことに、その人は自民党を支持している。

「いや、貧困者の味方なんだから自民以外のどこかが普通でしょう」と尋ねたが、

実際には商売として弱者の味方を装っているだけで、本音では保守が正解だと思っているらしい。

また、金持ち投資を重視した方がよいとも語っていた。

精神的に下衆な奴だと思ったが、弱者の味方を装った方が得になることはけっこう多い。

このネット界もその典型例で、マニアック趣味や何等かのマイノリティについて語る場合

リア充強者)はかえって嫌われやすい。

そういう意味ネット仕事を拡大していくうえでは、意外なことに、弱者の味方を演じた方がよい。

↑こういう下衆な考え方で儲けている人もいるので、リベラルな人は注意してください。

実はカモにされているだけだということです。それが言いたくて書いてみました。

2017-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20170330233214

私は結構左翼的環境にいると自分で思うのだけれど、なぜか「そうなの?」としか思えなかった。

何にしろ、具体像がイメージしづらかったので、実際に知っている人の話をいろいろしてほしいかな。

 

***

 

自分解放しようとしている人民がろくでもない連中だと知って失望するってことは運動の上でしばしばあると思うけれど、まあ、ろくでもないのは活動している仲間内でも出てくることだし、「まあそういうのも現実だよね~」って収まったりすることが多いかなあ。

現実のややこしさというか面倒くささというか、そういうのの中でいろいろ泥臭いことも考えていくというのが実践ということだと思うんだけども。

あと、年齢が高くなったり生活にどっぷりはまったり、ある程度地位が安定してきたりすると、どうしても守りに入ってしまうってことはあるよね。時代の変化のとらえ方も難しくなるし、立場によるギャップに気づけないことも増えてくるし。こういうのは右とか左とかにかかわらず、生活仕事も含めてあらゆる場面で現れてくる話だと思うなあ。

菊池誠どうしてこうなった

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

現在では一山いくらネトウヨおじさん程度にしか認識していない人もいる。もはや過去の人であると断ずる向きもあるだろう。

しかしながら、彼について再考することで、論壇で今も跋扈する科学非科学という対立軸を新たに捉え直す機会を持てる気がする。

というわけで彼の言説とその評価の変遷を追っていきたい。

菊池誠とは何をしていた人なのか。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動で、その倫理的な正しさからはてな市井で好評を博した。

この運動には様々な人が加わり、皆それぞれの専門分野に関する多種多様な嘘デタラメを殴り倒していた。

また専門分野のない人は、非専門分野に関する言説の妥当性をいか評価すべきかということについて学んでいった。

よくわからんという人はid:NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

当時その運動の中心にいたのが菊池誠である

ニセ科学ニセ科学批判

ニセ科学とはなにか。誰が、なぜ吹聴するのか。このあたりは先人の素晴らしいテキストが山程あるのでそちらを参照するのがよい。私も一応書く。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である

ニセ科学批判対象となったニセ科学は多岐にわたる。多岐にわたるがざっくり2つに分ける。

証明されていないことを証明されたと言うか、証明されたことを証明されていないと言うか、である

科学的知見というものは往々にしてひっくり返るので、この宇宙を縛る法則から演繹していった時に実はニセ科学が正しかったということは有り得る話である

しかしながら個人霊感で獲得した宇宙の真理よりも、定められた手続きを踏んで得られた結論宇宙的には間違っていたとしても)の方を評価するというのがニセ科学批判スタンスだ。

ニセ科学主体も様々である

営利企業大学教授特定肩書のない個人的ブログ政党や国そのものである場合もある。

彼らは何故嘘をつくのか。その動機を大きく4つに分ける。経済的利益金銭)・社会的利益名誉)・思想利益党派性)・倫理的利益善意の施し)である

どのニセ科学もこのいずれか、もしくはそれらの組み合わせから生み出されていると分類できるだろう。

例えば近藤誠武田邦彦動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党言動党派性の発露であり、有象無象ブログ代替医療他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

ニセ科学批判はこれらの動機や背景を問わずに殴りつける。

ニセ科学批判党派性から最も遠いところにいるとは菊池誠言葉であるが、定義上これは正しい。

また、個々人のレベルで見ればその批判対象選択において党派性が働くこともあるだろうが、運動総体として捉えればそれは働かない。

組織を持たない草の根運動であるため、一貫した思想により運動員を抑えつけるということが原理的に不可能からである

運動自体に対して外部から党派性を見出す人は多々いるが、それは往々にして自身党派性を表明しているに過ぎない。

例えばid:finalventにはニセ科学批判左翼的活動に見えるそうだし、反原発派の中の放射能デマを吹聴するクラスタから当局におもねった保守的運動である批判されている。

ニセ科学は大きくデマという概念内包される。デマの分野を自然科学に絞り、真実性の判定に科学手続きの有無を利用している場合それをニセ科学呼称すると言い換えても良い。

ここからニセ科学批判方法論を他分野のデマの払拭に利用できるのではないかと考えられる。特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

例えば歴史学における歴史修正主義である

ニセ科学人文科学社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判ニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分からというだけである

ニセ科学批判参加者自然科学系以外の言説に対して取るべき態度は、専門分野外の自然科学系の言説に対して取るべき態度と同一でなければならない。

そうでない時、その価値判断には先の4つの動機のいずれかが作用しているのである

「えー、じゃあさじゃあさ、なんで菊池さんはネトウヨおじさんなんて扱いを受けるの?だってさ、人が科学事実を前にした時にどういう要因が認知を歪ませるのか、またその考え方は自然科学分野以外でも応用できるってことを誰よりも分かってるはずでしょ?ネトウヨなんてポジショントークが凝り固まって人型を成しているような存在じゃん。おっかしーぜ、それ。一個人党派性から逃れることは出来ないにしても、自覚を持っていてその都度自己補正に努めればそこまで極端なことにはならないでしょ。オレ、納得できないなー」

そうだね、たかし君。じゃあ次の章では菊池誠の言説とその捉えられ方の変遷を時系列に沿って見ていこうか。それから菊池誠言動が本当にいわゆるネトウヨ的な物なのかということもちゃんと検証してみよう。

kikulogとtwitterから見た菊池誠

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初テーマに関して結論を出さなければならない。

でもなんか今週入ってから超体調悪くて、鼻は詰まったり止めどなく流れたり、体はとにかく熱っぽくて横になっているのも辛い。

よく考えたら私は菊池誠親族でも知人でも生徒でも何でもないわけで、果たして病体にムチを打ってまでこの駄文執筆に労力を割くべきなのだろうか?ここは潔く挫折する。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的にはid:ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

(4/2追記)

どうやらこの記事の続きは執筆されないことが確定したため、以下に執筆時の構想諸々を記しあとがきに代えるものとする。

・7年ぶりくらいに菊池先生名前を目にしたら、なんか凄い扱いになっていたので驚いて、矢も盾もたまらなかった。

菊池誠に対する周囲の評価の変化点は2つくらいありそうだと思ってる。震災それから1年以上後。

2009年から現在に至るまで菊池誠ネトウヨおじさんではない。ただ看過できない発言は多々あるし、愛想を尽かす人もいるだろう。これは年を追う毎に悪化しているように見える。今の立ち位置id:hazumaちょっと似てる。

2009年頃と現在で、周囲から投擲される評価は明らかに変質しているわけだけど、それは菊池誠と周囲のどちらかあるいはその両方が変わった/変わっていない結果なのかという大枠の問いがあって、これは菊池誠が変わったというよりは、周囲に今までいなかった(少なかった)人種が現れたからだと思う。

・逆に言うと震災以前にもある種の題材を絡めてその手の人種と邂逅する機会があったら、今よりもっと早くこうなっていたと思う。今の状況はなるべくしてなったと言える。

どうしてこうなったかは意思疎通が上手く行かなかったから。上手く行かない原因は個人でなく構造求めないと仕方ない。専門家と非専門家の間にはクッションが必要になると思うんだけど、IKEAが布にガラス片を詰め込んでこれはクッションですと言い張ったり、あるいはクッションそのものを用意しなかったりするから専門家自身が夜なべしてクッションを作らないといけない。彼らは裁縫専門家ではないので、その出来は個々人の技術によって大きくムラが出る。ところでIKEASTSである

STSとは、何の生産性もなく相対主義ぶって科学者を腐してあてこすりで飯を食ってる人間の屑が集う旗印である、というのがこれまでなんとなく聞いていた印象なんだけど、いくらなんでもそんなものが何十年も学問として存続するわきゃないと思う。思うので、この際ちゃんと調べて、その社会的役割と意義と実際のところを自分の中で明らかにしておきたかった。震災時に(震災時でなくとも)彼らが求められる役割を十分に果たした結果がこれなのか、あるいは十分に果たせなかった結果がこれなのか。またそれはなぜなのか。

・つまり不幸な例であるところの菊池先生の件を足がかりにして、自然科学分野における専門家と非専門家とのディスコミ問題をアレできるんじゃないかと思ったというところが発端です。

ブクマニセ科学批判ってもっとからあったでしょと言う指摘があったんだけど、前出の"ニセ科学批判史とも絡め"というところで今現在ニセ科学批判とされる運動の形はいつごろ成立したのかも調べておきたかった。書籍で探すと、訳語としてニセ科学を当てはめてる物は結構からあるんだけどこれは定義が今と違っていて、今使われている意味でのニセ科学という用語webだと2004年が初出だと思う。ニセ科学批判についてはgoogle先生になんとなく尋ねるレベルでは天羽さんとかid:kamezoさんの2005年位のログしか出てこない。水伝での田崎さんと天羽さんは運動の拡大に大きく貢献したよねとか海外情勢(主に米キリスト教福音派系の)はid:Kumicitさんの忘却からの帰還が強かったとか、ニセ科学批判史は最終的に年表にしたかった。

以上が主観的になんとなく思いついた推論なので、これらを補強あるいは反証する材料を沢山探して、結果何かがまとまる予定だったのだということを言い残したかっただけの年度末だった。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315101813

リテラメチャクチャ角度付いているから、ニュース女子偏向批判する人は同じ基準批判して欲しいんだけど。自分政治的意見のあう味方には手加減するという態度の人が多いからねぇ…

実際にはマスコミ左翼的な人たちがマジョリティで、そっち側の偏向は大して問題視されないんだよ。

2017-03-04

ツイッターフォローしてない知り合いが左翼的発言を繰り返すので、その左翼的発言や行動を批判することを呟いた。

相手フォローしていないけれどこっちの呟きを読んでいたらしく、ネトウヨガー保守ガー、って呟きはじめた。

批判する元となる、左翼的発言が間違っている事実提示して、レッテル貼りもいい加減にしろと呟いた。

そいつはそれ以来ネトウヨガー保守ガーとは呟かなくなった。

反論するネタがなくなったのか。

事実勉強せずに、右翼保守が嫌いだから騒いでいただけか。

2017-02-15

どんなに左翼的メッセージでもアニメキャラに言わせれば受け入れられる説

2017-01-17

大金持ちにはやたら煩い日本人

日本人はうるさくなりすぎだ。貧乏人でない人は非国民扱いばかり。日本人の歪んだ規律正しさや真面目さばかりを守ることで、結局、自分たちの首をしめている。リッチ層の紹介にしても、富裕層と言う理由での叩きばかり何回も見せられる。私たち日本人先祖方は、汗水流して豊かな社会にしようと取り組んできたものだが、なぜそれを否定する風潮が続いているのか。これでは私たち未来をもてないし、ましてや左翼的な発想を持つ人々も生まれない。日本人向上心は上がらない。今の貧しい人に「貧乏=恥ずかしい」という意識がないのは、まさに向上心を抑圧する社会存在しているからだ。

2016-11-05

なぜ日本ではポピュリズム新自由主義的な表れ方をするのか?

なぜ現代日本ではポピュリズムがかつてのナチや今の米国トランプ現象のような(国家社会主義的な)形を取らないで経済政策的に逆の(新自由主義的な)現れ方をするのか? についてはどう解釈したらいいんだろうな。

というTweetを見たので思うところを書く。

それは「なぜ私たちは困窮しているのか?」という問いの答えが、そのまま表れているのだと思う。

この問の答えとなりうるものはいくつか有る。この場合、その答えが本当に正解かどうかは問題ではない。その人(国民が)がどんな答えを想起して、望むのか? というのが要件になるからだ。

ひとつには「富裕層搾取しているから、私たちは困窮しているのだ」というものだ。ある意味左翼的な発想だといえる。この答えのパターン国内でも国外でも見られる。日本場合この「富裕層」というのが実にふわふわしてるので「企業搾取している」みたいな形で表出しているように思える。「内部留保している企業が悪だ」という論説だ。

国内の異分子(この場合移民)が存在するから私たちは困窮しているのだ」という答えもある。Brexitとかトランプの言説の中心的なものひとつがこれだ。国内の職や富を、本来分け与えなくてもいい外部的な異分子(本当に分け与えなくていいのかどうかは、今回は問わない。そう答える人の中では「分け与えるべきではない」という感情があるというのが今回は重要なので)に分け与えてしまったが故に、私たちは困窮しているのだ! という主張である結論としては、そのまま「奴らを追い出せ!」となる。日本では、在日韓国朝鮮人への風当たりとして見ることが出来る。だからTweetのように国家主義的なそういう排斥がまったくないわけじゃない。もっとも、日本では在日韓国朝鮮人移民だとみなしたところで割合は非常に少ないので、彼らがいるからこそ日本が困窮しているというのは説得力に欠けるためか、一般的な人はこのタイプの主張を強くはしない。

最後ひとつは「私たちの中に怠け者がいるために、私たちは困窮している」というものだ。「同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている(=不当である)」、「だから私たちが困窮している」という主張だ。これがおそらくTweetでいう「新自由主義的な表れ方」につながっていて、結果として「怠け者は見捨てろ、自己責任だ!」という結論になって現れる。このタイプの主張は、たしか日本独特のものであるようにみえる。

なんでそんな主張が表れてくるのかだが、マクロはともかくとして、ミクロ的な、つまり職場学校地域社会において、「怠けた人は得をする」というのが日本においては真実からだ。

例えば伝統的な日本職場において、その部署エースが成績最下位の3倍の成績を上げたとしても、3倍の給与はもらえない。むしろ仕事ができるということで面倒だったり厄介だったりする仕事を回されたり、要領の良くない人の面倒を見なければならなかったりする。そして給与に関しては色を付けた程度で、どんな成果を上げても横並びが普通だ。能力が高く頑張っても得をしないということは、つまり、ある一定額の給与をもらうという視点にたてば、手を抜いたほうが得であるということになる。

これは学校地域社会でも一緒で、起業が少ない理由にも通じている。企業では出世を望まないということになるし、学校自治体では責任者になるのを回避すると言うかたちで現れる。努力して成果を上げたとしても組織の中では評価されないし、仮に評価されたとしても、今度は周囲の妬みや僻みが待っていて、結局は損をする。……そういう実感を日本人はもう肌感覚として持っている。

マクロ的にみれば「全員がそうやってより低い努力しかしないと、全体の成果がどんどん沈下するだけで、結局は自分ジリ貧だぞ」「乗ってる船が沈んで後悔することになるぞ」となるのだけれど、普通人間はそこまでマクロ感覚で生きてはいない。国民全員が貯蓄を開放すれば景気は上向くと理論としてははっきりわかっていても、「このままじゃデフレなっちゃうから貯金は全部やめて暮らそう!」という生き方がなかなか出来ないのといっしょだ。

からミクロ的な「怠けた人は得をする」という実感を頼りにマクロ類推して、「私たち同じ庶民の中に怠けている人間がいて、彼らはより少ない労働社会の富を多く得ている」という結論が合成される。その結果出てくるのは「生活保護を打ち切れ!」とか「奨学金を返すのなんて当たり前だ!」とか「就職活動をサボってフリーターになったんだから低所得なのは当たり前だ!」とかい自己責任キーワードにした新自由主義的な責任追及だ。

そんなわけで、なんで日本においては下流きじみた新自由主義信仰があるのか? については「怠けたほうが得な社会私たちが作ってきたから」だ。能力がある人や成果を正当に評価しないで、ムラ社会的な横並びで生きてきたので、社会が苦しくなるのは身内に裏切り者がいるに違いないという発想になるのだ。

Tweetでは「新自由主義的な表れ方」といっているけれど、日本アンバランス片手落ちだ。本来新自由主義であるならば(市場原理を最大評価するんだから能力が3倍ある人には3倍給与を与えるはずだからだ。

再分配を考えるのなら、そしてそうやって高額所得を得た人を大いに賞賛して、褒めて、よーし俺も大儲けしちゃうぞー! と皆で乾杯でもした後に、その上で気持ちよくがっぽり税金を払ってもらって、それを分けたほうが効率がいいし、筋というものだ。結局国のGDP個人の生み出した付加価値の総和なわけだし、ひとりひとりが頑張るっていうのは、がんばって成果を出すのが嬉しい環境を作らないと実現できない。つまり自分が頑張るってのは、頑張って成果を出した人間を大いに褒めて評価するってのとセットでしかありえないはずだ。日本場合はそういうアメリカンドリーム礼賛みたいな態度は殆どゼロで、高額所得者を褒めない上で、「目立たず最小限の労力で、しかし周囲に激怒されて村八分にならない程度に稼ぐ」という「出る杭にならないチキンレース」みたいな社会状況を自分たちで作り出し、なおかつ「自分負担になっていそうな、自分より少し下の人間を叩く」ので、本当にたちが悪いと思う。

2016-08-26

[]日本メディアはなぜ報じない!?韓国を揺るがす7万人大暴動

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e5%a0%b1%e3%81%98%e3%81%aa%e3%81%84%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%82%92%e6%8f%ba%e3%82%8b%e3%81%8c%e3%81%997%e4%b8%87%e4%ba%ba%e5%a4%a7%e6%9a%b4%e5%8b%95/ar-BBw484W?ocid=iehp#page=2

○ パリでの同時テロの裏で起きていた韓国での大規模暴動

 > 文氏は朴大統領教科書国定化の動きも激しく非難する。韓国では日本よりもっと偏った左翼的教科書反韓国、親北朝鮮教育がなされている。このことを懸念した朴大統領教科書一新必要だと判断し、国定教科書を導入すると決定したのだが、文氏もデモ隊もこの件に絶対反対のスローガンを掲げたわけだ。

○ 〈追記〉来年秋に控える韓国大統領選は?

 > (2016年4月13日選挙では)親与党有権者与党離れを起こし、親野党有権者野党離れを起こし、結果として第3の党としての「国民の党」に投票したというのだ。

2016-08-21

SEALDs奥田といい貧困JKうららちゃん(偏差値38)といい どうして左翼的なオピニオン発信する高校生学生って学力低い奴が多いの?

http://anond.hatelabo.jp/20160820234025

2016-08-12

サヨクが見たシン・ゴジラ

何かと話題シン・ゴジラサヨクから見ると、え?これ自民党広報映画自衛隊広報緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。

以下、シン・ゴジラネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的もの説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね

立ち位置

僕は自称サヨク保守派です。政治的信条をいえば、九条は守る派。自衛隊基本的違憲災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国尖閣とかどうしよう。

安保アメリカお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。

原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論時間を稼ごう派です。

まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!

と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバーミレニアムシリーズ大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。

上前置き。

さて、そんな頭の中お花畑庵野フォロワーな私なので、最初シン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権宣伝・・・自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下

今までのまじめゴジラ映画はさよくを甘やかしている

 前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ自衛隊放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。

 ほいで、比較対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハード作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケット意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画しか比較しません。

 ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジック組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラ現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます

軍事転用を恐れた眼帯が自殺する1954年

 まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊宣伝映画。でも、この映画主題は、芹沢博士(眼帯)が自分技術軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条精神体現した英雄的な行動ですね。

 自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士技術軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます

首相が高らかに非核三原則宣言する1984年

 1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使ソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい

 あと、散々首都蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。

 えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。

 まあどんだけ自衛隊活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨク安心するわけですよ。

 自衛隊活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!

お母さんに報告しづらいシン・ゴジラ

 ところがそのようなバランスシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。

お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン

首相国民自衛隊タマを向けることはできないと宣言

自衛隊のあり方を肯定しているからお母さんは不機嫌になる。

→アベ首相中途半端英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。

○みんなで核攻撃回避するんだ

非核三原則とかそういう理想的なことは言わない

石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ

→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな

あ、やっぱりあんまりお母さんが喜びそうなシーンないわ。。。

でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります

自衛隊員最初品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」

特攻隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

最後のほうの矢口演説自衛隊はこの国の最後の砦です!」

自衛隊礼賛か!自衛隊礼賛か!

SEALDs 的な国会前のデモ揶揄しているっぽい

ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!

あと全体的に手続き時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!

ってなる気がする。

と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的メッセージ内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!

蛇足ですが。

 上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨク現実との乖離認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。

の、三点です。

○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野現実制度スタッフを忠実にトレースして東日本大震災成功パターンを描いただけなので、別にかのことをほめたりする意図はまったくない。国会デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的意図はない。

○2点目、あべ政権くそ死ね自衛隊違憲!って思っているサヨクのあり方そのものものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画見方のズレから認識するべき。野党共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合ボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。

○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後ポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的庵野セカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なもの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。

2016-07-28

ハルキストもアレだけどアンチ村上春樹もっとアレ

私は村上春樹はい日本で唯一世界に通用する作家だと思っているが、ハルキストではない。

現実世界村上春樹小説中の人みたいな喋り方をしたり、ノーベル文学賞の発表のたびにカフェに集う奴らには鳥肌がたつ。

んで、ハルキスト村上右翼とすると、村上左翼的な「おれは村上春樹だけは認めねー」勢がいる。

こいつらもハルキストと同じくらい腹立たしい。

そういう奴らを目にする度「嫌いって言えるほど作品理解してんのか?」と言いたくなる。

「終わり方がモヤモヤする」

主人公が女にモテすぎてむかつく」

セックスシーンがあって官能小説みたい」

「すかしてんじゃねーよ」

それ批評になってないからね。

それどころか自分コンプレックスとか低脳さを晒してるだけだから、思っても口に出すな。

自分にはこの作品の良さを理解できないんだな、という謙虚さを持て。

2016-07-11

左翼がしょぼすぎる理由

もともと左翼ってのは3種類のルートでなるものなんだよ。

まず、一番健全というか穏当なのが、ごく普通一般労働者収入などが低い人が、左翼的な言説を聞いたうえで「現在の苦しい生活から抜けられるのであればこの言説を支持しよう」って思うパターン選挙的に言えば、投票者。「だってお金もう少しほしいんご」って感じなので、ある意味一番罪がない。

二番目は、中途半端高学歴の人が現在社会絶望をこじらせて左翼にかぶれるパターン。昔でいえば学生運動だし、日教組系もそう。自分能力に(自意識過剰な)自信があるくせに、現在社会では(主に経済的に)報われてないと思ってこじらせている。単著もないのに社会批評とか政治系のブログとかを書いちゃってる人がまさにこのタイプ。要するにルサンチマンなので、どうしようもなくしょぼい。選挙的に言えば、(本来は)ボランティアスタッフとか青年候補者とか。

三番目は、現在資本主義的な社会で十分以上に成功を収めた末に、本人は経済的な充足を十分以上に確保して、余剰のお金を使うのならば左翼的活動――つまり貧困者の救済や差別撤廃文化振興に使おうと決意した人。昔でいうと篤志家と呼ばれた人たち。選挙的に言えば後援会会長や、熟練候補者とか。

しかし、日本において3は庶民から嫉妬で徹底的にたたかれる。寄付をしただけで偽善だと集中砲火を浴びるような社会なので、表に出ることが難しい。そもそも3の目的社会をよくすることなので、炎上処理とかがしたいわけではないのだ(2の目的承認欲求の充足なので、炎上を喜ぶ側面すらもまれにある)。

日本における左翼本丸共産党ですらおもに2を主力としているわけで、そりゃしょぼくて当たり前なのだ。2は当人たちが考えているほど能力も高くないわけで、当然実務能力も、政策立案能力もない。そんな能力があったら、現在社会でも十分に成功しててこじらせないですんでる。でも日本では2のまま理論武装と党内政治けが先鋭化して、なぜか長老なっちゃったり、意識の高い系芸能人傀儡として2の文脈に参加して政治家路線になったりする。

政治家リーダーなわけだから能力がある人の方が望ましい。しかし、日本左翼歴史的に「庶民のために」っていうのを護教的に叫びすぎて、本当に能力のある人、つまり現実社会で十分に成功している人を受け入れることができない。庶民庶民のためにっていう建前が壊れてしまうからだ。3を拒絶する構造なのだ。これが日本左翼がしょぼい原因。

ポルポト的な(非常に極端な)表現でいうならば、「優れているという特質は、優れているというだけで庶民側ではない証明なのだ」となる(ポルポトだったらこの時点で銃殺だが、日本は優しい国家なので嫉妬炎上派閥闘争フルボッコくらいで済む)。

2016-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20160707165250

争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない

というのは半分冗談として、そもそもの話この国では左翼的な人たちというのは基本的に人気がない

良識ある温厚な大半の市民は、彼らを積極的攻撃するようなことはしない(左翼が弱く無害である限りは)

だが、ネット上では欺瞞にまみれたもの嘲笑する文化があり、その文化はだいたいアニメファンやそれに近い趣味オタクによって形成されている

から左翼的な人たちはアニメオタクを敵だと認識しており、憲法九条適用対象外にしている

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