はてなキーワード: 左翼的とは
この棘まとめ
「小説家の有川浩さん「『抗議します』『反対します』系ハッシュタグは怠惰が過ぎる」 桜庭一樹さん「声を上げた誰一人怠惰ではありません」 https://togetter.com/li/1886301
なんだけど、実名で署名した投書よりも実効性が非常に低い、って話は多分その通りではないかと思われるのね。
「だからもっと有意義な『実名での投書』をやった方がずっと良いのに」って話なら、まあわかるのよ。
でも有川浩は著作やネット上での発言でわかる様に「匿名の自称弱者」とか「気持ち悪いオタク」とかを憎んで軽んじる人なので、「匿名の発言にもっともらしいハッシュタグでなにかやった気になっている馬鹿」を侮辱しないではいられなかったからああ言う発言になったんだよね。
社会運動には下からの積み上げが必要なんだけど、その最底辺をどこであるかと考えるかなんだと思うんだよね。
のめり込んで運動やっている人間には「最低でも街頭でのデモに参加する」「勉強会くらいには参加しているレベルが最低辺」みたいに考えがちだけど、底辺がそこで、それ以下の広がりがない運動は良くても日本共産党、おそらくは現状の新左翼程度の社会的影響力しか持ちえないと思うのよ。
匿名でブログやSNSに意見を投稿する。応援したい政治的ツィートのリツイートや政治的なハッシュタグを付ける、って言うのは本当に簡便でリスクがほとんど無く、それ故に数が集まらないとほとんど意味を持たない行為になるのだけれど、そういう「ほとんど無意味な行動」まで含めて「運動の最低辺」としないと、その運動は社会運動としての力を持ちえないと思うんだよな。
有川はもう一つ、そういった発言者の数を頼んだ運動のあり方自体を嫌い、軽蔑していて、国家が制度的に定めたり、社会での慣例になっている抗議や意見表明の方法(実名での強制期間に対する投書・政治家に対する正式な形での陳情)を踏まない、広範な大衆行動を背景とした圧力で政治を動かそうとする「左翼的な発想」を嫌っているのだと思われるんだよ。
それは著作からも認められる著者の政治的傾向(秩序志向の保守右翼)とも一致するし、それ自体を悪いとは思わない。 思わないけど、俺の大衆運動も大事だと考える左翼的な政治思想とは対立するし、だからこそ桜庭一樹の反論ツィートが出されたのであろうよ。
有川浩は右翼だけれど、ネットウヨクと呼ばれる右翼の一派に対しては「尊敬に値する部分の見当たらない、オタク臭い下等右翼」と認識して軽蔑している、って構造があることを理解することも大事。
ネットウヨクに限らないけれど、大衆的な右翼運動は既存左翼の大衆運動のやり方を取り入れてて、その意味では左傾化しており、有川はその左傾化を憎む右翼である、って言い方も出来るのかも知れない。
家計簿創始者で自由学園作った羽仁もと子は古い主婦には影響力あり、婦人之友にもキリスト教的かつ左翼的な文章も多かった。教会に属しないので、聖書を読んで祈る。羽仁五郎はマルクス主義。
政治思想は教皇フランシスコが出したもののトップダウンなので、ミサで神父が公式見解以上に政治思想暴走して語ると怒られる。高齢化がひどい。カトリックはシスターがいるがこちらも高齢化がひどい。役員や聖歌隊の人員確保に忙しい庶民が多く政治活動どころでない
が大きくて、プロテスタント系の矯風会はネットでは存在感あってもリアルで関わることはほとんどなかったな
前評判が芳しくないのを知りつつ見てきた。ゲタゲタ笑った。半分くらいは失笑だったとはいえ、隣の人に迷惑だったかもしれないほど笑ったさ。劇場を出て気づいた。これは嘲笑の笑いだと。
私は世代的には氷河期世代の下でゆとり世代の上、「プレッシャー世代」とか言うらしいがその名で呼ばれたことはほとんどない。氷河期後の束の間の春を謳歌することを許された世代だ。ネットでは上の世代が藁と言い、下の世代が草という中、山程の芝を生やして笑っていた世代だ。ネットで必死な右翼の書き込みを、カバオくんのAAにして笑ってきた世代だ。つまり嘲笑するのが大好きだった世代だ。
この映画のメインの部分は「今の政府はマヌケだから本気にせず適当に笑っておけ。(帯刀アラタの形をした)イデオロギーさえ信じていれば、眼前の問題はそのうち都合のいい神がなんとかしてくれる。」に尽きる。「シン・ゴジラ」が右翼的な感性に近く、「あとしまつ」は左翼的な感性に近い。私が笑えたのは私の中のそういう部分をくすぐってくれたからだろう。脚本の三木聡はバブル世代の人間であり、感性が合ってしまうのはそういうことなんだろうさ。
一方で、かつての左翼の象徴だった立憲は相変わらず不調続き、ネットが芝を使うのをやめたように、我々の世代も上や下の世代の苦しみと付き合ううちに、この手の感性を悪いことだと認識するようになって来ている。その結果が「あとしまつ」への大酷評であるのもよく分かる。
言葉の定義の話なんだけど、選挙の前くらいから「リベラル」という言葉を便利な批判先としてどんどんニュアンスを盛り盛りにしてやしないか?
保守である自民に対抗している立憲民主党がリベラル、これはわかる。
左翼的な共産主義を見ている共産党がリベラル、そう呼んでいた時期もあるし、100万歩くらい譲って分類するのもわかる。
今回の選挙で立民と共産は協力体制を作った。リベラルの新しい方向性、これもわかる。
でもさ、どう考えてもそのリベラルってめちゃくちゃ幅が広くない?それって「リベラル」って言葉の中にひとまとめにしていい物なの??わからなくなっちゃわない???
「リベラルは口先ばかり」
みたいな批判も、やっぱりとっても大きな枠で見たらリベラルのことなのかもしれないけど、それぞれ別個の人、もしくはごく一部の個人に対する批判でしかなくて、主義主張に対する反証になってないと思うんだよ。
逆にリベラル側も
「保守は過去の慣習を疑いもなく信じていて、論理的に考えていない」
みたいなとっても大きな枠における保守の、ごく一部の個人を批判していることがあってどっちもどっちなんだけど。
それぞれ個別に議論するのが大事なのであって、大きくて雑な二元論にとりあえずぶっこんで、個人の言動の揚げ足取りで戦うのを見るのはもう疲れたよ…
小選挙区はまあ消去法で吉田はるみ。自民以外で刺せそうなの立憲だけだし
共産もポルノ(絵)規制するとか言い出したし、比例区はれいわに入れておいた
れいわは能力わかんないけど、言ってることだけはまともだからな
れいわも対立候補やめて野党議席作るのに貢献したわけだし、れいわ入れて多分よかったと思う
共産もポルノ(絵)規制するとかいう意味わかんないこと言い出さなきゃ、比例入れてたけどな。方針どうするのか次回に期待だな
石原さん落ちちゃったみたいだな。まあここ数年の自民党政治が国民の生活を形作ってるのでな
自民政治もベースアップとか全く仕事してないってわけじゃないけど、格差拡大の歯止めには弱い
安倍のマスクとか、コロナ躍進の第五波を推し進めたコロリンピックして勲章もらたりとか、混迷を極めすぎたしな
10万給付も、野党が騒がなかったら、お肉券とかアホなことやろうとしてたし。あ、あとGoToで第三波引き起こしたりもしてたな
「共産党は非実在児童は悪影響があると断定していて、その後の規制のレベルを議論しようと言っている。」
https://anond.hatelabo.jp/20211019094224
どこにそんなこと書いてるのだろうか?
「幅広い関係者で大いに議論し、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さないための社会的な合意をつくっていくことを呼びかけたものです。」
https://www.jcp.or.jp/jcp_with_you/2021/10/post-49.html
がそういう理解になるのかな?
俺の理解では
「法的規制」=個人的には規制に反対でも、多数決で決まったことに従う
「社会的な合意をつくっていく」=規制反対自体を無くす そのような表現は許さないと自発的に考えるように思考を議論によって改造する
でも大人になった今、まったく本を読めていない。
でも余裕がない。
いつも追われている。成長しなければならない。会社を成長させなければならない。部下を成長させなければならない。
そういう強迫観念がある。
そんな中で物語を読む気になれない。
物語だって成長させてくれると思う。人生を豊かにしてくれると思う。
でも即効性は無いと感じる。その物語からなにかを読み取らなければいけない。
読み取らなければいけないが読み取れないかもしれない。
全員を知っているわけではない。
しかし俺が楽しく読んでいたあの小説の作者が、過激なフェミニズムや左翼的主張の信奉者であることが見えてしまった。
頓珍漢な経済論を主張して誹謗中傷ともいえる政治批判を毎日のように行う人間であると知ってしまった。
そうじゃない作者も大勢いるだろう。
でも物語に作者の政治的主張が紛れ込んでいるかもしれないという可能性があるだけで手を出しづらくなってしまった。
知りたくなかったな。