はてなキーワード: 日本列島とは
わたくしも日常経験上、どこかに潜伏している者が反復継続して実施できるように構成したものを高度な科学技術でバクサイSNSの若者にやらせているだけだし、自己中心的で悪質な組織
であるという評価は、わたくしの頭の中では寸毫の揺るぎもないし、その実質は、警察の自作自演がほとんどであり、監察課と呼ばれるところも同様である。この集団内においても、「極めて悪質」
なものであるという評価が分有されている体系全体を誰が評価するのかということである。法の実質は、発達した完全無欠なものを支持手段として構成されるものの体系であるが、立法技術および
解釈技術によって構成したもの全体は、昭和時代に、亡くなった老人と男がたまたま流行っていた時代、すなわち、戦後30年の、日本人の女子供など、簡単に裏切るし何の価値もないという価値観が
蔓延していた時代に流行って発達したものであることは論を待たない。少なくとも、我が社会、日本列島のような温暖湿潤で、子供の女という蛮族の住まう島に、たまたま、戦後憲法が発達し、
東京大学が、老人と男を概して中心として発展したのも、終戦後の状況、 日本人の女子供など簡単に裏切るし何の価値もないから戦争で失敗した軍人も十把一絡げに処罰しても勝てるだろう
という昭和天皇の時代の亡くなった警察官の着想によるものであり、既にこの世に存在していないはるか昔の裁判官や警察官はその発想で23区を作り上げ成功したが、現在の23区にはそのような
ブコメに返信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240606184619
基本的にそのつもりは無いですし、邪魔だからと踏みつぶすのはコスト高いので避けたいです。
ただ、一義的に、住民避難は自治体の仕事ですし、避難がうまくいかずに巻き込まれるリスクはあると思います。
そのリスクを絶対に回避したい場合は、防衛線を国外に置くか(まあ、太平洋戦争みたいに結果的にうまくいかないでしょうが)、そもそも軍事的威迫を伴う要求は無条件で飲む(ただし、ある国の傀儡になれば、別の国の侵略をうけるリスクはある)という選択肢しかないかと。
首里から喜屋武半島に撤退した段階で避難していた住民を大量に巻き込むことは自明だったので、この現地司令部の判断については批判があって当然。ただ、相手が米軍かソ連軍(またはPLA)かで正解は変わると思う。。
首里が落ちた時点で、軍事的にはほぼ意味のない状態に陥ってましたから、降伏してよかったと思います。
長勇の攻勢が無ければ…
ザコの海空は秒殺されるけど俺たち陸の勤皇の志士がニッポンを守る!あとはアメリカさんよろしくお願いします!ってか。うーん戦争に負けたせいで戦前より価値観が歪になっとる。
ザコというか、空港、レーダーサイトという固定施設に拘束される航空戦力は初期段階で、少なくとも攻撃正面での活動は不可能になるということと、隠掩蔽が不可能な海上戦力は航空優勢下じゃないと活動できない、という当然のことを言っているまでです。
また、米軍の救援以外でも、相手の攻勢限界、空自の復旧、海自の活動再開という中での、逆襲も十分に考えられるかと思います。
陸軍が敵上陸部隊を釘付けにしている間に、海軍が補給線を叩くような連携が出来てたらまだ善戦だと思うけど、どうも陸海の縦割りを良しとしている風潮が続いているようで心配である。
その戦争の様態にもよりますが、先制攻撃からの大規模着上陸のような場合は、不可能かと思います。
海自さんが、CDG級(=E-2シリーズの運用限界)程度の正規空母を何隻か持っているなら、話は変わるでしょうが…
まあ、自衛隊が無い日本列島を、諸外国がどう見るかは面白いとは思いますが。
当然に、大規模着上陸を伴う戦争では、米軍も自衛隊も事前察知は十分に可能でしょう。
しかしながら、その攻撃が明日始まるのか、1か月後に始まるのか、あるいは結局始まらないのか、というのは起きてみないとわかりません。
ウクライナ戦争でも「ロシア軍はいつでも侵攻できる」と専門家はみていましたが「いつロシア軍が侵攻するか? そもそも、侵攻があるのか?」というのは、始まるまで誰も答えられていませんでした。
だったら尚更幹部は靖国なんか行くなって感じ。現代においても合理的な活動してるって正々堂々反論すればいい。カルトに尻尾振ってたら日頃の言動にも疑いが持たれても仕方ない。
これは本当にそう。靖国クソ食らえと、私は思う。
だが、靖国以外に、自衛隊員に対して「祖国のために笑って死ね」「お前らは正しい」と言ってくれる存在が無いので、それに依存するしかない。まあ、戦後の平和日本において、自衛隊は鬼子なんですよ。
濡れた手で電線に触れば、感電するのは当然。と言いながら、それを放置している側を批判もせず、感電している被害者の責任に転嫁することが認められるなら、社会なんて成り立たないな。冷笑家はアナーキスト。
自衛隊が「それを放置している側を批判」したら、越権も越権、下手すりゃクーデターでしょw
軍の本分は戦闘にありとキリッと冷笑ムーブ決めるなら、「勝てもしなかった軍隊が偉そうにフカすな」という批判も甘受するんだよね?まあ正直に書いてくれてありがとう。従来通り敬慕も信頼もしなくて済みそうだ。
はて、自衛隊は「勝てもしなかった軍隊」だった記憶は無いのですが? そもそも戦争してませんからね。旧軍の後継組織は厚生労働省社会・援護局ですし。
幹候・幹部を騙らない点だけは好感が持てます // 降伏勧告を黙殺して住民多数が無駄死にした上に、司令部が軒並み自決・戦死でも「善戦」なら、何でもありですね。ゴキブリ退治のために家ごと全焼させても問題ナシ!
司令部が壊滅しても、有効な遅退作戦が出来たのは善戦だと考えます。
あと、常に敵は降伏勧告してくるので(ロシアもウクライナに降伏勧告をしている)、それを真に受けるのは無いでしょう。
「沖縄は捨て石、時間稼ぎに使われた」と発言したら「大和を送ったり、沖縄を護ろうとしていた」みたいな反論が死ぬほどくるが、こうした文脈だと「時間稼ぎ出来たので善戦(キリッ」みたいな掌返しに辟易してる
フェルマーの定理、通称、FLTは、平成8年までは、法学界の至宝のようにいわれていた理由として、歴史的な経緯があったが、最近では、そもそも、技術を編み出そうとした形跡すらない
ほとんど嘘であることがばれてしまったことによる。FLTは、 昭和20年代から、東京大理学部数学科の志村五郎、谷山豊、アンドレヴェイユなどが日光旅行をした際に共同研究していたとされ
るが、その概要を平成時代の者に説明する書籍も論文もどこにも存在しておらず、実質的に考えた形跡はどこにもないと言ってよい。その、実質的に考えた形跡はどこにもないことがとっくにばれてしまって
いるのが現況である。平成初年の老人は、背理法によるアプローチを思い付いたらしいが、そのようなことすら実行されている形跡がない。30年前の数学者は、背理法を研究して、完全背理法
または、背理法帰納法を強く使うとかそのような手段を考えたとか、5000通もの証明案が世界中から出たが、全て間違っていたことが判明したというような解説の本しかない。しかし、その
5000通の証明案の内容すら公表していないのだから、やはり完全な嘘だろう。またそのような哲学のモデルを構築したからといって、幸福に生きていくうえで何か参考になるのかというときに、ここ
10年の状況では何の参考にもならないから誰も考えていない。1つ参考になるのは、発達していて偉大で完全なものでないと技術的に応用できないとかいうことであるが、最近の女の子が、
発達していて偉大で完全で強力なもの自体を忌避しているのであり、なんの魅力があるのか理解できない。発達していて偉大で完全なものとして、高速計算機の、Sicamoreなどがあるが、行政
や大学がそのテクノロジーを悪事に転用していることはとうに露見しているのであり、日本列島に住む、その極めて悪質なものに関係せずに生活している者が、なぜその悪質なものの存在に気が
付かないのか理解できないという他がない。
三菱UFJリサーチが出したサマリレポートにブクマが集まっているのだが、
『地政学リスクの全体像の整理 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.murc.jp/library/economyresearch/analysis/research/report_240528/
そこで「よくまとまっている」とかコメントしてるブクマカが数人いて失笑するするしかない。なんだよそのエラソーな態度はw
そもそもネットで国際関係に関して調べる時、膨大なゴミ情報が掛かり易いわけだ。だからこういう金融系シンクタンクのレポートが出てくるまで検索を続ける、出てくるまで検索式を変えてみるっていう風に一定の基準とされる事が多いもんだろ。
大学のレポートでどっかのインフルエンサの動画を参照したとかネットで活躍する誰それのメルマガ参照とか書いたらリジェクトされるし、仕事でやったら馬鹿のレッテル貼られて渉外的な仕事からは一生干される。そういう意味で安牌なのがこういう金融系シンクタンクなわけだ。
仮にその予想や分析が間違っていても格好はつく。
特に今回みたいな「地政学リスク」を論じる時には重要だ。何しろこの10年の日本で「地政学」と来たら新聞も読まない馬鹿向けコンテンツとして有名だ。
なんでそうなるかというと、元々日本での地政学アゲの元祖は90年代の福田和也で、反米+知的スノビズムなのよ。
一方で80年代末に急な円高による海外旅行ブームと対米貿易摩擦があった。これに刺激されて「国際的」というのがバズワード化して、多くの大学に「国際学科」なんかが雨後の筍のように出来たのだが、元が必要に迫られた国際化なのでこれ以後特にビジネス教養として国際関係が重要視されるようになった。
この「国際政治と国際経済を中核とした常識化した教養」が無い人にとって「地政学」とやらはもの凄く魅惑的で、それらの踏まえなきゃならん常識を無視して、他国の本質も見えるし物事が明瞭に見える。
なんでそんなに明瞭に見えるかって言えば、白紙だからだ。白紙に線引きゃ明瞭だし自由に引ける、A国の隣にB国がある、とか中国の概要進出をブロックする形で日本列島がある、とかそういう目で見て直ぐに判るような事ばかりで構成される。
「本質が見える」「よくわかる」というのは、単純にその対象の事を全く知らないという事はしばしばである。
でも普通の人にはそうは出来ない。各国の産業の構成グラフとか、輸出入品目の図、国の成長度合いと関税品税率、航路、貿易協定の線とか、世界地図上はごちゃごちゃしてる。そこでカッコ付き「地政学」で使われてる地図図示されても「今は帝国主義じゃねーし」で終わりだ。「中国の海外進出の蓋になってる日本列島」の図を見ても「いや、中国は海洋条約に対して大陸棚方式を主張してるし」とか「11段線の元は民国の9段線とかなんとかでそれを一国主義に基づいて反射的に主張したのが最初だから…」とか余計な事を考えてしまう。
それらの知識に消しゴム掛けなきゃ「地政学」の線を引けないんだが、正直、元の記述より重要なの?この線は?って感じでリーチしないんでありますな。
そもそも現在現役の地政学講座なんかがあるのは多分英国の幾つかの大学くらいではないかな?麗澤大学とかハッピー・サイエンス・ユニバーシティにはあるかもしれないが。
そうなると議論で踏まえるべき「正統」も無いって事になるので、余計に白紙に線を引く自由度は上がる
さて一方で「地政学リスク」というのはシンクタンクや国際政治論なんかの頻出ワードだ。国家間の地理的条件が政治的緊張を産み、戦争リスクや経済リスク、世界的な不安定さに繋がるって意味で、かなりカジュアルに使われる。
こういう地政学リスクを扱う場合、ネットとか本屋の一階、特にマンガサブカルコーナー寄りの平積みとかブックオフの200円コーナーとかで情報誌仕入れようとすると、どうしても俗流「地政学」の方を引いちゃう可能性あるわけよ。
そういう時は検索式を工夫したりして、首記の金融系シンクタンクが出てくるまで頑張るっていうのが恥をかかない為のハウトゥなわけだ。
でもブクマ見ると地政学と地政学リスクを混同している人は結構いるし、それよりも目立つのはウエメセで「よくまとまっている」だ。
あのさ、これってどういう風にまとまっているかって言えば、「ネットのゆっくり地政学とかで言ってる事が書いてある」って事でしょう?そういうのと区別する為に金融系シンクタンクなどを引くものなんだよ??
因みにシンクタンクだけだとこれもダメだ。というのもネットでおかしな言論商売してる奴っていうのはみんなシンクタンク名乗ってるのでな。
はてなのこういう常識が無いせいで間抜けな情報に踊らされてるのに偉そうな態度などは外から見るとかなり目立つし結構滑稽なんだよ。
コロナの初期に社会免疫論デマに乗っかってしまい、内容を理解してないのに「SIモデルがー」と挙って言ってたのも超害悪だったし、その後はPCRデマに乗り換えてウジウジ言い訳してたのも超害悪で溺れる者藁をも掴むの典型だった。
暇コラボ事件では盛り上がったのに暇が全然成果上げないのでいつの間にか女叩きにスライドしていって、数か月間もホッテントリの1/3が扇動的な男女論と女叩き、男性差別論という状態を出来させていた。
で、いつもそんな時にやたらイキってるのが特長で、馬鹿晒してイキってる、というのがはてなのイメージになっている。
もういい加減努力もせずに知的に背伸びしてイキるのは止めるべきだし、ソーシャルブックマークなのだから踏まえるべき基礎的なコンテンツをブックマークするようにせんといかんだろ。
「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」って一番重要な本音は隠して、
「私達に投票してくれれば日本国民のために身を粉にして働きます」って嘘を付く程度の知能はあったのに、
今は「都知事は日本人にやって貰いたい」って都ファの議員が言うだけで、「差別だー排外主義だー」と大騒ぎ。
そこは嘘でも建前でも「蓮舫さんなら小池より都民の生活を良くしてくれますよ」とでも言えよ。
外国人参政権とか、外国人優先政策とか、自民党の排除とか、本音はその辺りにあるとしても、
せめて政治の実権握るまで本音を隠して有権者を騙す程度の知恵を働かせろよ。
かつて開発から取り残された裏日本を救うという理想にもえて、そうだ道路だと考え、
議員立法で道路3法を通し、ガソリン税や高速道路の有料化によって日本中津々浦々、道路建設を推し進めた政治家がいた。
また電源三法を通して、長期的な電力供給の安定化を図り、発電所が立地する地方の経済的な発展に寄与した。
こうして彼のエネルギー政策と道路交通網整備は、首都圏だけでなく、地方部の発展を後押しし、高度経済成長を下支えするものとなった。
総理大臣にまで登りつめたその政治家は、日本列島改造論を自分の考えのたたき台として世に問うた。
1. 地方分散:人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させることで、地方の工業化を促進し、地方都市の建設を推進する。
2. 高速交通網の整備:新幹線、高速道路、本州四国連絡橋などを通じて日本列島を結び、地方のアクセスを向上させる。
3. 公害問題の解決:工業地帯の再配置を通じて、公害問題にも対応する。
4. 情報通信網の形成:情報通信のネットワークを全国に広げ、教育や医療の格差を解消する。
この考えに共鳴した一人の実業家がいた。彼は、全国交通網の整備によって、都会の人が地域の自然環境や文化など地域の価値を再発見する、という部分に着目した。
そういうと聞こえはいいが、実際には、都会からのアクセスを確保し、「自然環境」を手軽に消費できるレジャーランドの建設が後押しされた。
バブルの時代ともなればリゾート開発法が制定され、あちこちにスキー場、ゴルフ場、ホテルが雨後の筍のように乱立した。
しかし、その反面、二束三文だった山林は唸るほどのカネに変わり、地方部でも不動産価格が高騰した。
日本列島改造論には開発候補地が記載されていたことからそれをさらに後押しした。
そこにオイルショックがインフレに追い打ちをかけ、狂乱物価といわれる極端な物価上昇に国民が苦しむようになった。
マスメディアは手のひらを返したように、金権政治を批判し始め、その政治家は失脚、最後は航空機のわいろ事件で実刑判決を受けた。
彼の理想に共鳴したグループ企業の御曹司も、バブル期には世界一の富豪と評されたが、そののち証券取引法違反で有罪となった。
電源三法によって石油コンビナート誘致に地域の未来をかけた青森県下北の村は、オイルショック後に原発推進に舵を切った政府に翻弄され、30年たっても完成しない核燃施設の村へと変わった。
バブルが崩壊し、全国のリゾート開発は莫大な負債の後処理のほうが新聞をにぎわすようになった。
一方で、日本列島改造計画で描かれた全国新幹線構想は、一旦とん挫したものの、あれから50年、北陸新幹線は東京から金沢まで2時間半という距離になり、敦賀まで乗り入れる時代になった。
その恩恵の上に社会が成り立っているはずなのに、それを我々社会がちゃんと評価し切れていないからなのかもしれない。
狂乱物価で手のひらを返したマスコミのように、目先の不利益のほうがどうしても目についてしまう。これは認知バイアスだ。
他人のために行動するっていうのは、魔女の宅急便のニシンのパイババアだとか、台風前のバス停を立てていく善意の悪魔とか、被災地に千羽鶴送り付ける奴とか、被災地に渋滞を起こしに行く奴みたいに、助けるつもりで地獄に突き落とす奴が後を絶たない。
何もしないのが吉なんじゃなくて、何もできない奴は黙ってすっこんでろってことなの。
登山道というほどではないけど山の道って感じの道はあるじゃん?舗装されてて車も通ってるけど、道の外側に建物があったり誰かの庭だったり軒先だったりとあからさまに誰かの土地感があるわけじゃなくて、藪や木が果てしなく広がってる感じで突き進もうと思えば進めるようになってる道。
かりにそうじゃないとしたら、誰かが持ってる山の部分に国だのなんだのが勝手に道を敷いていることになるんだから不自然だ。
で、仮に森林地帯のうちの、道も、道じゃないところも、公共の土地という点で共通なのだとしたら、なぜ道は自由に通行してよく、そうじゃないとこは入っただけで違法なんて扱いをデフォルトにしたのだろうか?
どっちも公共の地面なんだから、原則自由に通行できるようにすればよかったんじゃないの?
自然保護目的で踏み荒らされたくない場合に限って国だのなんだのが個々に決まりを作るというブラックリスト方式のほうがルールとしては素直でシンプルだと思うのだが。
地面自体、人が移動するために存在しているという側面があるのに、道以外の地面を移動のために利用してはいけないとは不自然だろう。地面による二次元的な移動ではなく、そのうちのごく一部分の道による一次元的な移動しか許していないのはただ不便さを増しているだけだろう。
そもそも、すべての土地に所有者がいるという前提に立っているのがおかしいと思う。
「国有林」という概念があって、これは明治維新の際に藩有林、社寺有林、所有が明確でない森林を継承して成立したという。
「所有が明確でない森林」というところに注目してほしい。あたかも不明なだけで所有者がいるみたいな言い方だけども、これには正真正銘「誰の土地でもなかった土地」が含まれていたのではないか?
つまり誰も存在を認識していなかった土地があったはずで、これを伊能忠敬が作った日本列島の海岸線の地図という、日本の土地全体を俯瞰的にとらえる手段のおかげで、その地図から誰かの土地だと確定している部分を全て取り除けば、それ以外の場所は全て所有が明確でない土地として間接的に存在を把握できるようになったというところだろう。実際は誰も見ても足を踏み入れてもいない土地(誰に帰すべき実効支配性がない土地)なのに。
(もし全宇宙の地図があったら、その何万光年先の直接見たこともない空間について「ここは俺の土地だ」と主張するようなものだ。伊能忠敬は日本列島においてこのバカげた主張を形式的に可能にした。)
そういう土地を無理に国有林化しただけの話ではないか。もっと素直に「誰の土地でもない土地」と別区分にすればよかったのではないか?
誰の土地でもない土地というのは、誰にも占有する権利はないということだ。ゆえに誰が移動の用に足を踏み入れても問題ないということになる。
誰の土地でもないので、ぶっちゃけそこに勝手に家を建てても問題はない。早い者勝ちだ。ただし別の人がその家を打ちこわししても問題ない。問題ないというのは語弊があるなら「その家を建てた人がその土地での所有権を根拠に狼藉を主張することはできない」ということだ。
つまりこの場合器物破損だし、この公有の空間のなかで先にいた人を後から来た人がそこを自分のお気に入りの場所として見出し喧嘩になったら暴行罪だし、というように、個々の事例に合わせて既存の法律で裁くべき問題ということになる。
頭でっかちに「すべての土地は誰かの土地だ」という固定観念ありきで法律を作ったために、はっきりいってスマートじゃない法体系になってると思う。
なぜ「誰の土地でもない土地」と別に難しくもなんともない概念を素直に受け入れられなかったのだろう?
dorawiiより
「こんなに眠くなるなんて、薬物使われた可能性もあるのでは」
可能性の話をしただけで、誹謗にも中傷にも当たらないのですが。
文字通り「薬物使われた可能性」について言及しただけであり、薬物を使った人や強要の有無には何の言及もしていないのですが。
それと可能性についてですが、世界にはありとあらゆる可能性が考えられる訳であって、富士山が噴火する可能性だったり、津波で日本列島が沈没する可能性だったり、総理大臣が暗殺されて内閣総辞職する可能性だったり、トヨタ自動車が破産する可能性だったりが、今日にでも実現することはありえますが、どのような可能性に触れるのかは各人の思想信条の自由の範疇であり、「それに触れないってのがきしょい」などと「きしょい」という文字で誹謗を明らかにしているあなたの方に非があるのは明らかです。
他人の名誉毀損にとやかく言うくらいなら、自分の発言を客観的に鑑みてはいかがですか。
「たい焼き」は「さかな焼き」「ぶり焼き」「まぐろ焼き」みたいに各地で別の名前で呼ばれることはない
もちろんこれらにも別称はあるけれど「回転焼き」ほど多くの別名を持たない
何故「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのだろう
不思議だ
「何故別称が多いのか?」という疑問はわかる
そりゃそうだ、なんだよな
じゃあ「何故他のお菓子は別称が多くないのか?」という話になる
いろいろぐぐってみたが、納得するためには日本の焼き菓子の歴史を紐解かないといけない雰囲気が出てきた
今時点の自分の中のこうなんじゃないかな~という仮説をメモしておこう
真似して売りやすいということ
他の和菓子はある程度技術と設備が必要なので真似されなかった、なので別名は増えない
……いや、違う気がするなこれ
大外れではないが芯を食っていない気がする
「饅頭」の別名が少ないのは逆にとても古いお菓子だからだろうな
「回転焼き」は最初「今川焼き」というローカルな地名がついた名前だったのが大きいのではないか
それぞれの地方が「は?今川って何?」と思ったから、それぞれ別の名前が付けられた
ということは例えば関西で「回転焼き」と呼ばれたなら、それ以西は「回転焼き」の名前で広まっているのでは?
と思ったが確かに関西と九州では「回転焼き」だが、「太鼓饅頭」とか「二重焼き」とも呼ばれているのか……
いや、でもこの説はもうちょっと考えたい
もし海路の方が速いのであれば違う名称の飛び地が出来ていても不思議じゃない
先行研究があるはず、本を探して読もう
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何故他のお菓子の名称は地域差が少ないのに、「回転焼き」だけあんなにもいろんな名前で呼ばれたのか
これに納得するためには回転焼きの歴史だけでなく、他のお菓子の歴史までひも解く必要がある
ここらへんの本か……?
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「元々は他のお菓子の名前も地域差が大きかったが、一部の呼び名を残して淘汰された」説もありえる
その場合は何故回転焼き系列の呼び名は淘汰されず群雄割拠が維持されているのかに答える必要がある
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まあこれはそれぞれの地域で主に流通している商品名の違いだろうけれど
しかし読む本が変わってくるかもしれない
しれないが……検索するとっかかりが無いな、しばらくこの疑問は寝かすか
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検索キーワードを思いついた
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回転焼き系列のあの丸い焼き菓子は、見た目も味もほぼ同一のものが各地域で呼び名が違う点が特殊
実際たい焼きの亜種はそこそこある
例えば福岡にはムツゴロウを模したたい焼きの亜種を出す店がある
しかしそれはたい焼きの亜種ではあるが、タイではなくムツゴロウの見た目をしていて……
たい焼き亜種で例えばまぐろ焼きがあったとしても、それはタイの見た目をしておらずマグロを模したものになるだろう
回転焼き系列はそうではなく「これは要は今川焼きだよね」「いや、回転焼きだよ」と意見が統一されない
なんかここの考えがまとまっていないな 要再検討
そうか、今川焼って亜種がないのか?
なんか焼き菓子がどのように発展したかの系統樹を見ると何かヒントが得られるかも
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「連載 たい焼き誕生史一覧」を読むと、明治30年代に、様々な形の焼き菓子ブームが起きたとある
ここらへんを調べると何かありそうだ
あと焼く金型とか焼き機の流通の流れがわかれば……これは滅茶苦茶調べる難易度高そう
地道な作業になるな……
この方の本どれか読んでみるか
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「今川焼き」「大判焼き」「御座候」の起源はある程度はっきりしているのに、「回転焼き」の呼び名の起源だけどうもはっきりしない
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回転焼き系列のあの丸いお菓子がどのように広まったかが詳しく書かれているサイトをやっと見つけた
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草
愛媛県松山市にある菓子を製造する機械メーカーの松山丸三という会社が昭和30年初めにこの菓子を製造する(焼く)器具を販売した[4]。昭和31年-33年に大ヒットした獅子文六の連載小説「大番」(週刊『朝日』に連載、1957年に映画化、のち1962年にテレビドラマ化)にちなみ、この機械で製造した菓子を「大判焼き」(当初は「大番焼き」で売り出そうとしたが、「大判」に変えたとのこと)と名付けた。この機器だけではなく、小麦粉や餡などの原料の「大判焼の素」も一緒にして売り出したところ、大ヒットした。松山丸三のホームページの説明(注2参照)によると「大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった」とある。祭りや盆踊り、縁日などに全国各地で販売されたのであろう。同ホームページには当時の器具の写真が掲載されているが、この器具の上や下に「大判焼」と書かれた暖簾がかけられ、器具とともにこの暖簾もセットだったことがわかる。そして露天での販売は、いつもこの暖簾が掲げられていたに違いない。あとで述べる他の呼び方についても一般的に言えることだが、この菓子を販売しているところではほぼ例外がないくらい、この名称を暖簾やのぼりなどに記し、掲示している。各地で呼び名が異なるため、「回転焼き」であったり「おやき」であったり「あじまん」であったり「七なな越こし焼き」といった名称を店のそばを通る通行人の目のつきやすいところに掲げるのである。実はこの暖簾やのぼりに記載された名称が、各地でこの呼び名が定着する大きな要因の一つとなっている。例えば「回転焼き」と呼ばれてきた地域に「御座候」の暖簾を掲げた店が新しく現れると、客だけではなく地元の人々からも次第に「御座候」と呼ばれるようになるのである。「大判焼き」の呼び方が全国に広がった理由はここにある[5]。
[5] たこ焼きやお好み焼きという名称が広がったのも、「大判焼き」と同様に露天商が暖簾やのぼりを掲げて全国各地の盆踊りや祭り、縁日の折に売ったことが大きいと思われる。
この菓子の呼び方が各地で定着した背景には、新しく店を出した時に新たな呼び名をつけたケースがあるほか、客が店の屋号を呼び名として採用したケースがあるなど、さまざまである。例えば、「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのに対し、この菓子にはこれまでみたように多くの呼び名があるのも興味深い。
「大判焼き」を例にみたように、暖簾やのぼりなどに書かれた商品名のインパクトは大きい。この菓子を焼いてもらうのを待っている時間、どうしてもこの暖簾やのぼりに目がいく。そして、この結果、新しい呼び方が定着するという現象が各地で起きてきたのだろう。一時代前までは「御座候」は姫路およびその周辺の呼び方だったが、現在は大阪をはじめ、各地のデパ地下に進出し、「御座候」の文字を目にすることが増えたため、大阪の若者の呼び方として定着するようになっている。
この記事の内容を読むことでとりあえず納得し満足した
なぜ「たこ焼き」「お好み焼き」「鯛焼き」には方言が少ないのか?という点は追加で調査が必要ではある
「お好み焼き」は名前から姿形をイメージできないから、方言がぼこぼこ生まれてもおかしくない気がするんだが……
いや、自分が知らなかっただけでお好み焼きのバリアント結構いろいろあるのか、じゃあ納得だわ
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自分用まとめ
・もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっておりそれぞれのローカルネームで呼ばれていた
・戦後にプロパンガスが普及し始めて、屋台の調理器具もプロパンガスを使用するものが開発され販売された
・あの丸い焼き饅頭の焼き機も開発され、その際に「大判焼き」の名称で販売された焼き機が一番普及した
・しかし元々各地に広まっていたせいでローカルネームが根強く名称が統一されなかった プラス 焼き機が普及したので各地域でいろんな屋号と商品名が生まれそちらも定着した
・何故もともと全国各地に丸い焼き饅頭は広まっていたか?おそらく作るのが簡単だから 材料は小麦粉と餡子だからどこでも仕入れやすく形もシンプルな円盤
・何故大判焼き以前にもローカルネームがたくさんあったのか?ここは不明 作るのが簡単だから同時多発的に生まれた?発祥の今川焼きという名前が直感的ではなかった?これの傍証は呼ばれ始めた時期が不明のある程度製法由来の名前で直感的な回転焼きという名称がそこそこメジャーであること
確認のためには各地のローカルネームが大判焼き以前か大判焼き以後か調べる必要がある 大判焼き以降に生まれた店の屋号や商品名がその地域でメジャーという可能性は普通にある 分類が必要だ
少なくとも御座候と蜂楽饅頭は大判焼きと同時期(おそらく以後か)、回転焼きと太鼓饅頭は大判焼き以前
年表作るか…… いや、先行研究のサイトにある程度記述があるか 全て網羅は不可能だ 単に「まんじゅう」と呼ぶ人もいるらしいのに
例えばたこ焼きは誕生してからしばらくの間、主に関西のみで広まっていたようだ
それはおそらく、生鮮食品の流通が容易にならないとタコは簡単に入手できないから他所の地域だと作れなかったのかも(未調査)
たこ焼きはその実物とともに名前が全国に広まったので方言が生まれる余地が少なかったのだろう
wikipediaによると東京で暮らした文筆家がしばしば作中にたい焼きを登場させていたようだ 名称固定に一役買ったかもしれない
江戸~明治~大正~昭和前半くらいまでに全国レベルで普及していたのに各地でローカルネームで呼ばれていたお菓子……ってのがかなりレア
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レファレンス協同データベース|今川焼はいつどこで誰が考案したか知りたい。
レファレンス協同データベース|関西では今川焼のことを「御座候」と呼ぶと聞いたがなぜか。また、他にどのような呼び名があるのかも知りたい。
マイ大阪ガス|関西のギモン、調べます!炎の探偵社|御座候?大判焼?地域で違う「回転焼」の呼び名のナゾ
1位大判焼き、2位今川焼き、3位回転焼き :: 同志社女子大学
【目で見る方言】「大判焼き」名称問題を深掘り レアな呼び名や派生品も:中日新聞Web
場所によるものの呼び方の違い、日本列島あちこち、方言アレコレ|第1回|「今川焼き」の呼び方、その違いを探る!|岸江信介 | 未草