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2021-03-21

ウマ娘はマジ女神

ウマ娘はマジ女神である

それもそのはず、人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力保有している生物からだ。

人間戦争キモは「如何にアウトレンジから攻撃を撃ち、撃ち返されないか?」であることはよく知られている。

人間事実上地上最強生物になれた理由は、知能はもちろんのことだが、訓練した者であれば拳大の石を100m先へ投擲できるという他の生物には真似の出来ない優秀すぎるアウトレンジ攻撃能力のお陰だ。

アウトレンジから石や槍を投擲することによって自分は外敵の攻撃範囲から一方的攻撃することが可能で、これによってナウマンゾウ絶滅させるほど効率的な狩りを行えていた。

しかし、人間同士の争いになるとどうしても投擲した石や槍を投げ返されることが問題視され、より射程のある長弓が登場するようになる。そして飛んできた矢は弓が無いと撃ち返せない。

察しの良い者ならば気付いただろう。銃や砲はより射程があり弾の再利用すら出来ないし、大陸間弾道ミサイルは射程の究極である

この状況でウマ娘という生物存在する世界観想像してみて欲しい。

ウマ娘人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力保有しており、人間を圧倒する投擲能力を発揮できる。人間いくら石を投擲したどころでウマ娘に届かないがウマ娘からすると有効射程距離なのだ

弓矢が登場しても同様だ。人間には引けぬ強弓で圧倒的なアウトレンジから矢の雨をウマ娘は振らせてくる。

辛くもウマ娘のアウトレンジ攻撃から生き残った人間が居たとしても、悪夢のような超スピード突撃されて疲弊した人間たちは一気に殲滅されてしまたことだろう。

そして忘れてはならない、ウマ娘人間と同等の身体サイズ、そして同等の知能を有しているのだ。

これはつまり人間からするとバケモノのようなこの生物は高い知能で隊列を組んで軍事行動すらやってのける存在であることを意味している。

強すぎるウマ娘古代に畏敬を集めたことは想像に難しくなく、畏敬は崇拝に、そして信仰として成立した可能性がある。

それこそがウマ娘世界の三女神であり、だからこそウマ娘は三女神の生き写しのような姿をしている。

ウマ娘世界神話は詳細に語られていないが、すべてのウマ娘は三女神末裔である可能性もそこそこに高いのだ。つまり全てのウマ娘は神の血統である

ウマ娘国家体を成し、文明を築き上げ、神の血統たる王侯貴族として治世を行い、我々人間ウマ娘の功績のおこぼれにあずかっていた。

これはウマ娘国家体同士の戦争過程近代以降に人間が「解放」されるまで続いたであろう。

例えばおそらくは東方島国では権力ウマ娘が持ち政権を築き、人間女神末裔祭祀巫女として仕え、やがて権威化していたりするはずだ。きっとトレーナーはその名残であろう。

そうウマ娘はマジ女神、マジ女神からこそ歌姫でありアイドルであり現代人間サイリウムを振るのだ。

2021-02-05

日本人無宗教理由

日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本キリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。

宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれ土地風土のことだ。風土とはその土地に住む人間気質文化形成に関わる地理的気候環境のことである

キリスト教のような一神教自然の恵みの薄い中東砂漠風土からまれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。

一方で日本伝統的にアニミズムという多神教宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間共存共栄を図るための儀式である

このような日本中東風土の差から日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神存在しえないのだ。それは仏教キリスト教が伝来したときも変わらなかった。

無宗教というのは日本外来宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教キリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。

P.S.

誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道アニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全平穏暮らしているその事実がより重要なのだからだ。

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

2021-01-04

正月駅伝神事である

皇居ランが宗教的な営みであることは、周知の事実であろう。

皇居は、龍脈を流れるエネルギーが吹き出す龍穴のある場所にして、祭祀王の住まうところである

その周囲をランナーがぐるぐると回ることで、マニ車を回すがごとく、スピリチュアルエネルギーが生ずるのだ。

そうでもなければ、あん排気ガスを吸うだけのランニングに人々が夢中になるはずもない。

駅伝(その名称は「易伝」に由来する)は、皇居ランで生じたエネルギーを更に高める行為である

からこそ、正月駅伝は、皇居近くの大手町から始まる。

ランナーは、タスキにエネルギーを蓄積し、箱根まで行き、また戻る。

タスキを繋げないことは、エネルギー喪失する悲劇だ。

中には、走りながら経を読む者もいる(読経大学)。

世俗的には一見無意味にも思えることこそが、宗教的意味合いが存する所以である

時には、人々に混じって山の神宇宙帝王が参加していることもあるという。

駅伝を見てもつまらないのは、ある意味で当然である

誰が葬式エンターテインメント性を求めるだろうか。

神事るか神事いかは、あなた次第です。

2020-11-29

anond:20201129130933

祭祀財産は非課税になるけど、そういうのは悉く否認されてる。

2020-07-08

anond:20180723164002

意外と難しいね

古い時代の記録って勝者側の都合で残さなパターンもあるからなぁ。

近代のものは、死亡した方々をキチンと慰霊ちゃうケースが多いんだよね。

五一五事件三島事件などは、ちゃん慰霊碑や祭祀があるみたい。

思いつくのは、イケメン女帝を誑し込んだ藤原仲麻呂か、吉備津彦命(桃太郎モデル)にやられた温羅(鬼のモデル)かなぁ。

でも温羅は釜殿の精霊になったって逸話があるから対象外か?

2020-06-22

[] 腐れ谷-1,祭祀場-1等

ポータリア王城はこれ以上フラグが立たないので腐れ谷を開始。ネズミを飼っているババアを通り過ぎてネズミたちを撲殺、先日やられたでかい棍棒男を弓で射殺して、ボスヒルまり」に到着。弓を打つたびに回復するので、半分以降体力が全く減らなくなり頓挫。仕方なくエセ侍っぽいクリーチャーがいる祭祀場や監獄などを散策監獄わかりやすお化け屋敷イメージした作り(出てくるクリーチャー、あれ、ピスコディーモンじゃん……)。祭祀場は思った以上に稼ぎにならない。これではポータリアの片方の塔にいる青目の強いバージョンを倒していたほうが簡単で実入りがある。攻略情報案外適当だなあ。

とはいえ……。

ぶ っ ち ゃ け 飽 き て き た。

サクソ2とプレイ感はあまり変わらず、ステージ構成こそこだわりがあるものの繰り返し感がとても強い。

ボスも趣向を凝らしてるしステージも入り組んでるのに盛り上がらない。

多分ギミックを利用したり解いてゆく要素が少なすぎるからだと思う。

ダンマスとかが好きだった自分からするとバラエティかには感じないというか。

2020-05-05

anond:20200505091035

演劇がなくて死んだ原始人がいないというより、演技というか真似っこは人間コミュニケーション本質なので、"演劇業界"が潰れることはあっても演劇はなくならない。

神話伝承祭祀の折に仮装小道具使いながら再現するようなもの原始的文明にも珍しくないわけで

2020-04-01

式、祭祀について)、ブラーフマナ儀式祭祀解釈)、ウパニシャッド瞑想哲学について)の4つの部門に分けられる[69][70][71]。最初の2つ(サンヒター、アーラニヤカ)はカルマ

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いると考えられている[68]。ヴェーダにはリグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァヴェーダの4つが存在し、それぞれのヴェーダさらサンヒター(賛歌、祈り)、アーラニヤカ(儀式祭祀について)

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の部分をサーンキヤ学派と共有するが、最高神存在を信じる。「解脱」の手段としてのヨーガの行法を発達させた。 ミーマーンサー学派 - ヴェーダの「供犠」を受け継ぎ、正しい祭祀が(神を通さず)直接果報をもたらすものとした。 ヴェーダーンタ学派 - 根本聖典ブラフマ・スートラ』に則り梵我一如を追求した。この学派がその後のヒンドゥー教正統派地位継続している

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狭義のヒンドゥー教で見られる人格神的な形態を取らず、神像や恒久的な寺院建造物存在も確たる証拠は見つかっていない。バラモン教祭祀は具体的な目的に対して行われ、バラモン規定に則って空き地を清め、そこに目的に応じた特定の神を招き、供物や犠牲を祭壇の火炉に捧げる「供犠」が主体であった[46]。

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を学ぶ男子として「再生」するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく、入門式を受けられず一度生まれるだけのエーカージャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視され、女性再生である夫と食事を共にすることはなく、祭祀主催したり、マントラを唱えることも禁止されていた[34]。解脱を目指して修行するヨーガ行者も男性である

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2020-03-31

アは武人としての技能の鍛錬や行政統治の実務の勉強も行い、ヴァイシャも世襲職業に関する勉強も行った。現在では就学期間に相当。 家住期 - 学生期を終えると家業に務め結婚して家族を養う家住期に入る。男子をもうけて先祖祭祀を絶やさないことが重要視される。このためインドでは中国のような一人っ子政策は受け入れられにくい。『カーマスートラ』は家住期を

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と呼ぶ[9]。 ヒンドゥー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本仏教に影響を与えている。以下にヒンドゥー教の特徴を解説する。

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2020-03-20

とりあえず何でも「祭祀の道具」にする説

考古学者はとりあえず何でも「祭祀の道具」にする説

将来、宇宙考古学者は失われた人類地球文明遺跡を発掘して

「この精巧人形偶像であり、棚に飾って日夜跪拝していたに違いない」

「この人形の姿が描かれた薄い本聖書であり毎夜祈祷が捧げられていた」

「この巨大な建物には大量の偶像薄い本があり信仰の中心だったはずだ」

「この大陸辺の島は信仰深い人々の住む聖地だが一夜にして津波で滅んだ」

……とか言うに違いない。大体合ってるっちゃ合ってるが。

anond:20200222013301

2020-02-22

銅鐸の使い方を知っていた最後の人

銅鐸という古代祭祀具がある。日本史弥生時代のとこで習ったアレだ。

卑弥呼時代の直前くらいに銅鐸は使われなくなる。

私たちはいまだに神社では鏡や剣を神器として尊ぶのに、銅鐸は使わない。

研究者見解では多分こういう風に使うのだろう、ってのはある。

が、正確なところはわからない(特に大型化した以降)。

ただ一つだけ言えることは、絶対に一人、最後に銅鐸の使い方を知っていた人がいる。

銅鐸をどうするのか? どう祭祀で使うのか。

知っていた人が、必ずいる。

複数人集団を想定してもいい。その集団の最も長生きした人を想像するのも良い。

彼、彼女人生について、よく寝る前とかに想いを馳せる。

先祖から受け継いでいた銅鐸の使い方を、歴史うねりの中で失う。

おそらく、使い方を知っているが、もう使うことがなくなった(鏡や剣を祀るスタイル一般化した)というのが想定される一つの可能性だ。

そのうち、なんか爺さんが使い方についてなんか言ってたなぁ? くらいになって、やがて誰も、誰も、世界宇宙で誰も、銅鐸の使い方を知らなくなる。

その最後のひとときに、どんな物語があったのだろうか。やっぱ卑弥呼が「そんなん使うんじゃねえですわ!」とか地域命令したんだろうか。


私たちは髷の結い方や着物の着方をわざわざ専門的に習わないと、もう覚えることができない。

私たちはそろそろタバコを吸う時のちょっとした仕草や、PHSガラケーの使い方を知らなくなる。

私たちはやがて炎を見ないで一生を終えるようになるかもしれない。

私たちのいまだ知らない未来のある振る舞いですら、歴史の中で役割を終える時が来るのだろう。

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2019-10-24

anond:20191024062803

共和制日本思考実験としては面白いかもだけど、現実的にはかなりハードルが高い

何にせよ天皇制出口戦略

現時点での皇室及び神道の支持と影響力を考えたら、象徴天皇制もつ日本国憲法は天皇公権力で縛ってると考えられる

だって制度としての皇室がなくなったとしても皇室の人たちは残るしその皇室祭祀として君臨する神社が全国津々浦々にある

これを利用して良からぬことを企む人間が出てこないわけがない

下手したら、竹田某を担ぎ出して征夷大将軍とか名乗る武力勢力が勃興することだって全然ありえる話なのさ

となると、神道の禁教化はもちろん、皇室の方々には国外退去入国禁止だけでは事足りない

もれなく処刑しなきゃならん

傍系や旧宮家、ないしは遠いむかしだろうと天皇家の血が入ってる公家武家も、藤原系も徳川島津毛利も。神主古刹名刹門跡家系にもいるよね

そりゃあもう大殺戮

そこまでしなきゃ絶対天皇権威を担ぎ出すものが現れて少なから日本の安定性は脅かされる。もしくは完全に破壊される

もちろんそんな外道21世紀国際社会に許容されるわけがない

江戸時代の終わりあたりにやっとけばまた違ったのかもね

まあ共和制日本を考えるには時期が悪い、タイミングを逸してしまった

もうここまで来ちゃったら伝統を守ってるとか以前に伝統という建前を纏わせてでも制度を維持しなきゃならんのよ

他のコメにもあるように、自然消滅を待つしかないのかな。多分しないけど。前述のように血脈散らばってるし

個人的には王室皇室肯定はだからあったほうがいいと思うけどね。理由はそのほうが面白いから

人権?まぁ立場トレードオフってことで

2019-09-23

ムロに卑弥呼がいた

ムロに大根取りに行くと、普段のすえた匂いではないものを感じた。

奥のちょっと広い空間に稲わらで丁寧に編まれたと覚しい筵があり、そこに片膝を立てて座る女がいた。

義務教育で習った通りの貫頭衣で、部分的に絹があしらわれている。

義務教育で習ったものとは異なり、服は薄汚れシミなども目立つ。

これは宮に籠められ、ほとんど衣服の交換がないことが原因と後で知る。

義務教育で習った銅鏡や珠を装飾として身につける。

女の周りには青白い燐光わずかに散り、時を超えた名残を示す。

筵の手前には幣や火鉢弥生土器!)、鉄器などの祭祀具がある。

何かを焚いており、それがムロのすえた匂いを変えていた。

女は弥生古墳時代日本語を話すものから何が何だかからない。

私もだんだんキレてきて「俺んちのムロは古墳じゃねーんだぞこのタコ助!」と現代語で応酬する。

女は偉そうに食料を要求してくるので、高度経済成長の成果を見せつけてやる。

ペヤングと、家の冷蔵庫にあったスーパー惣菜コロッケ唐揚げ)やごぼうのきんぴらなどとともに、電子レンジて温めた米を持っていく。

やっぱ弥生人には米でしょ! あとでハンバーガーガパオエビチリも食わせてやったが(楽天ペイで)。

ペットボトルお茶と、ドラッグストアで売ってるサンガリアいちごみるく(超うま)もセットだ。

その頃には俺も冷静になって、言葉はわからないけど身分いか漢字わかんないかなーと思って、適当に「卑弥呼」とか「景初三年」とか適当弥生人にトレンド言語を紙に書いて持って行った。

女は驚いて私から紙を奪って、それで書くもの要求した。意地悪して鉛筆渡した。

それで女が卑弥呼だってなんとなくわかったんだけど、あとで詳しく聴いてわかったことには本当は「壱与」らしい。

卑弥呼」は役割で、名前は別。

今は2駅離れたちょっと大きい駅の前で占いして生計立ててるよ。

今でも藁はあるからしめ縄は作れるし、服はシラミもいたので呉服屋にそれっぽいのを設えてもらって、香とか火鉢仏壇屋、亀の甲羅ペットショップで揃えて、勤労の義務について説明したらあとは自分から働きに行ったわ。

ガチっぽいか占い結構人気らしい。

2019-08-10

anond:20190809170604

祭祀のために穴の中(露天)で年から年中火を焚いていたら偶然鉄鉱床の上だったとか?

2019-06-19

平成31年かかって起こった不幸が..

令和のわずか1ヶ月くらいで立て続けに起こっているんだけど、これって祖霊が今上天皇を諌めてるんじゃねぇのか

そもそも上皇は「祭祀めんどい」って投げ出してるし..

2019-05-28

anond:20190528152907

忍殺は「ドギャーーン!」って音でビビりそうになるから、嵐の祭祀場2の回転骸骨みたいに位置を微調整されて落下させられたい。

2019-05-10

anond:20190509090034

権威をどう捉えるかって話だと思う

国民統合象徴としての天皇」が平成天皇努力もあって割と広く受け入れられている今

伝統的な宮中祭祀による権威けがどの程度効果を発揮するかっていうとちょっと疑問

国民の安寧を神に祈ってくれる天皇」というのはそれほど多くの国民に訴求しないのではないか

どちらかといえば災害時に寄り添ってくれたり心に響く言葉テレビで語りかけてくれたりする事に

多くの人が惹きつけられて権威が形作られるのではないかなんて思うんです

祭祀作法明治維新とか大きな変革のタイミングで変化してるみたいだし変えていってもいいはずなんだけど

実際変える変えないの判断てだれがしてんだろ

宮内庁とかかな

2018-12-01

東京国立博物館地域博物館とかで経塚やそれに関する遺物を見かけることは多い。

経塚は、昔の人が末法の世になってもお経が伝わるように、地面にお経を埋めたものだ。

経文と共に仏像なんかも安置される。

埋められた経文を埋納経という。金属などで出来た容器は経筒という。

埋めたものが何かの拍子で出土することがあるのだ。

埋める際には、当然末長く伝わることが目指された。

経筒を密封することはもちろんだが、まわりを石で作った入れ物でさらに封をする場合が多い。

お経は紙で、溶けてしまって今に伝わらないが、後世にはお経を石に掘って埋めたり、石に墨書して埋めたものもある。

いつまで仏法を伝えればいいのか? それは56億7000万年後だ。

弥勒菩薩が現れて再び衆生を救済するまで、末法の世は続くのだ。


経塚関係資料を見ながら、埋めた人々の想いはいかばかりだったか想像する。

色んな苦しみが今よりずっと多い時代

拠り所とするお経というか仏教がなくなるかもしれない。伝わらないかもしれない、という想い。

金と権力がある人が示威的にやっている側面ももちろんあるだろうけれど、それだけで切りとれない要素もある。

未来に向けて伝える、という何か意気込みのようなものが実物資から伝わってくる。


ところで、私たちは銅鐸の使い方を知らない。

多分こうだろうというのはあっても、精確なところは解らない。

銅鐸に限らず弥生時代祭祀具は、使い方がわからないモノが多い。

さらに前の縄文時代祭祀具(と思しい)考古学資料も、やっぱり精確なところの使い方は解らない。

土器がどうしたあの形状なのか。土偶がどう使われたのか。

皆忘れてしまったのだ。歴史のどこかの段階で、忘れてしまった。知る人が一人もいなくなってしまった。ある種の絶滅だ。

銅鐸に替わって登場する祭祀具は鏡だ。こちらは解る。今も神社奉納してある。ご神体のような使い方をする。伝わっている。

このあたりから何となく使い方が実感としてわかる資料が出てくる。


さて、経塚の資料はそういう意味ではめちゃくちゃ良くわかる。

例えばいきなり経塚から石板に刻まれたお経が出てきたとして、その名前考古学的な背景が解らなくとも「うわなんかお経が書いてあるぞ」くらいはわかったりする。

あるいはそこまで行かなくても、「何か文字が書いてあるぞ」とわかる。

この辺りで「これは何か重要ものかもしれない」と多くの人は感じとることができるだろう。密封されてもいるわけだし。

専門的な仕事に携わってなくとも、例えば土木工事や農作業で経塚が今に姿を現したら、「なんか仏教関係ぽいのがでてきた」と思えると言うわけだ。

私たち仏像なりお経なりを見たら、直観的にどんな分野のものである理解できる社会に(今も)生きている。

科学が発展しようが、未だに路傍には地蔵があり、葬式でなんだかわからんままお経を唱えたり、する。

仕組みを何となく掴んでいる。

私たち仏教になじんでおり、仏教を今から未来に伝える一翼を担っている。

銅鐸とはここが違う。


そういう意味では、古えの人々の想いは伝わっている。

それが直感的に何かわかるからだ。

平成が終わろうとしているが、その時代にあっても仏教にまつわるものだと素人でも判断できる社会からだ。

難しいけど、科学が発展した時代だけれど、こうした直観でわかる宗教的バックグラウンドは大切なものと思う。

今はかなり色々なことがわかる時代だが、そうじゃなかった時代に人々の心のよりどころになった考え方とその資料

その価値や意義、と言ってしまうと大仰だが、何となくかるというふんわりとした知識

学者研究者じゃなくたって何となく生活の中にある要素。

ふんわり未来に伝わって、それで56億7000万年後にも伝わればいいと思う。

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