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2024-01-03

脱・素人臭い料理のススメ

久々に醤油みりん砂糖バドバの煮物を食った。男子厨房に入らず精神などクソ喰らえな昨今とは全く関係なく、私は料理が好きなのだ実家にガキが帰ってきても座らせておくな。その包丁も後で研いでやるから置いとけ。砥石持ってきたから。あと使わなくなったちょっといい三徳包丁も置いてくから

で、素人臭い料理を脱する方法よ。

醤油を減らす

最優先事項。醤油だけで塩分決めようとすると、どうやっても醤油に塗りつぶされて、バランス取るために砂糖みりんが増えて、濃い田舎素人料理になる。

一般の家庭は煮返しなんて作らんだろうから、とにかく醤油を減らしてくれ。大さじいくつの分量が適正。めんつゆとか白だし使うならもっと減らせ。0でも良い。あとの塩分は塩で決める、それが「塩で味を整える」の意味だ。

水を減らす

水を減らそう。入れたら減らすのには煮詰めなきゃならん。簡単には減らせないので、キワキワまで減らすのがいい。

下味をつける

水と同じ理由で塩も少なめから調整するのが吉なんだが、下味は付けておかないと表面に塩味が乗っただけのなんか美味しくないものができてしまう。先に下味として十分な量だけ塩味入れて、決めるのは後で。後回しにできるぶんは後回しがよい。

材料対して適切な処理をする

これが出来れば苦労はしねえが、1つずつやっていこう。

完成するまでの火入れで各食材を適切に加熱出来るように逆算するだろ。これが70点くらいで出来る人は割と多い。肉は火を通しすぎパターンがめちゃめちゃ多いが、まあよし。その1段階前が良くない人が多いんだわ。

白菜と豚バラミルフィーユ鍋ってあるじゃん?あれ流行った理由、ほぼ間違いなく「豚バラ肉は1枚1枚剥がして広げて使う」ていう基礎を強制的やらせてるからだと思うんですよ。あとレシピ的に水分を削ってるから素人臭さが大変出にくい本質料理になってる。

話がそれたが、下処理って大事なんですよってことだけ言いたい。色を止めるとかは要らん、アク抜きと癒着防止と下味だけやってください。

この4つだけ意識してやればだいぶマシな料理作れるよ。面取りとか色止めとかはその後。まずはとにかく醤油を減らせ。

2023-12-02

女性に求める料理能力について

南キャン山ちゃんの「女性に求める料理能力冷蔵庫の残り物でレバニラ炒めやキノコ味噌汁を作れる」という釣り餌に今更ながら食いついてみる。別に女に求めなくていいけどレベル3くらいが妥当なところじゃないかしらん。レベル4あればすごい感じ。

レベル0【6/8で合格

レベル1【6/8で合格

レベル2【6/8で合格

レベル3【6/8で合格

レベル4【7/10合格


レベル5【7/10合格


レベル6【5/5で合格

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-07-29

anond:20230729092726

刃の黒幕

砥石なんだが、とにかく優秀。

レンガみたいなキングデラックスでせこせこ頑張ってた頃に比べると隔世の感

もちろん、キングデラックスはい砥石なんだけど、うちの包丁はよくある家庭用の3得包丁

ゆっくり吸水させるは面倒だし、刃に優しすぎてステンレスは研ぐのに時間がかかりすぎる。

そんな3得包丁には、刃の黒幕

良く研げて、硬いから平面も歪みにくい。あんまり泥も出ないから、キッチンが汚れない。

自分が所有してるのは

ブルーブラック(320),オレンジ(1000), グリーン(2000), メロン(8000),ホワイト(12000)

おススメは、オレンジ(1000), グリーン(2000)

ブルーブラック(320)は荒砥だけあってやっぱりよく減るよく歪む。

代わりと言っちゃだが、荒砥からかけたいときには電着ダイヤのアトマエコノミーの中目がいい。

メロン(8000),ホワイト(12000)は滑るし目が詰まるからステンレスには使い難い。

嵐山っていう5000番台の砥石がちょうどいい。コスパもいいし。

2023-06-10

ひみつのアッコちゃんOP曲、作詞家:井上ひさし

へー

相変わらず、ヒロシのひとりキャンプのすすめはタメになるなー

アニメ関連の情報はもとより、バイクレストア方法まで発信している

キャンプを足がかりにして多方面文化的?

(キャンプしねーなー)

ところで、番組の途中で「各種スプレーについての説明」が行われており、これも大変タメになった

ここで私からも1つ情報

KURE5-56ペンタイプ全然使えねー」

ジッパーの滑りが悪いときとか使いやすくて良さげ!と思って買ったのに、全然駄目だったー

関係ないけど、オピネル(折りたたみ)を使っててあまりにも開きが悪くて困っている

いつも刃先の方をコンコンして出してから引っ張り出してる

木が膨張しない時期になれば治るかな?と思ったけど、ずっと出しづらいまま

もう、分解した方が良いのだろうか

でも面倒

いっそヒンジ部分にKURE5-56を吹き掛けたい気分だ(二度と使えなくなりそう)

誰かメンテしてくれ

ちなみに切れ味も買って直さま悪くなったので、面倒だからスライドして研ぐやつで研いだら傷がついただけで全然切れ味改善せず

砥石ナイフ砥げない奴も買っちゃだめだと思った

ほんと、自分メンテ出来ないなら買うべきではない

あー。買ったばかりの時はあんなに素晴らしいものだったのになー。切れない開かない地獄ナイフになったー

自分には敷居の高いナイフだった

お前は貝印フルーツナイフでも使ってろってハナシだったー

2023-03-10

一度使うと手放せなくなるキッチングッズ〜12選〜を増田が見たらこう思った

https://togetter.com/li/2097240

 家事にてを抜いて20年のしゅうとめ増田だよ

ゆで卵 これイタリア製メタリックをもってたけど一度に6つしかできない(画像のはさらに小さくて4つだけ)のでスチームオーブンで8個いっぺんにつくることにした。収納場所取るじゃん。

 ※スチームオーブンスチームオーブンなりに水気を拭いたり多少面倒はある。がどこにしまたかさなくていいのがとにかく楽

・スポンジ 売ってないな…研磨剤がないやつだよね?ああポリウレタンと銀だけなら、よいね。研磨剤のないポリウレタンは意外と少ないのでみつけたらかってみよう。

 ※研磨剤があるものは鍋の内側などのフッ素シリコンの部分を洗えないし、おいておくだけで家族ゴリっとやっちゃうので一切置けない。

 ※一応以前から研磨剤なしポリウレタンはつかってるけど、本当に長持ちはする。黄ばんでボロボロにくずれだしたらさすがに変え時だけど1年半くらいはつかう。

ゴム手袋 つかわないな…食洗器さんおねしゃす… いやトイレ掃除用に一つかっとくかな(いやー出しっぱなしにできないから死蔵しそう)

貝印スライサー 定評ある貝印だけど「人参ラペも軽々」はうせやん…うちは人参シリシリを買いなおした。ほかの人は人参チンしてからやったりしてんのかな。

 昔貝印の千切り用スライサー買ったんだけど、めちゃくちゃ「すぐ詰まった」のでもうつかわなくなったし今となっては捨てたい。洗い方が悪かったのかもしれんけど。

シリコン調理シリーズ ナイロンのほうが耐熱あるよ。みんな大好きティファールとかで売ってる。ゴムへらと油塗りブラシはたわんでほしいかシリコンだけど色が見たいかカラフルノーブランドのをつかってる。

・ゆびさきトング あーもってる。ギザギザはいっててテーブルにおいてもちゃんと先がつかない工夫のやつ。たぶん貝印

ぶんぶんチョッパー 洗うのがひたすらめんどう。食洗器ないのにそれつかうんか… ※バーミックスはたまに使ってる

れいうごはん ノーコメント。48時間保温でも平気なので。

いわき 20年前からもってるけど蓋が違うな。シリコンプラの組み合わせの丸形のやつを引き出物でもらった。

 最近まりつかってないけどイクラ醤油漬け浅漬けは必ずこれ系にいれてるし食洗器であらえて便利。イワキ製品は500mlの軽量カップとボウルも好き。

味噌ポット プラのままつかってるわ… 一応紙はがしたあとラップで密着させてたけど今は上に適当な物をのせるだけでいいやってなってる

・皮むき うーん、研げない刃物は信用しねえんだぜ…人参ジャガイモ大根をむいていて、ちょっとしなびて弾力があるからって包丁がひっかかってしまい切れが悪くてケガしそうだとおもったらゾーリンゲン包丁を関の砥石で研いでる。すまん関。でもするする剥けるもん。

エコホルダー うちツケモノ用蓋つき容器にマック紙袋かしゃりしゃりビニ袋(ゴミ入り)を立ててるわ 紙袋はいいよ、自立するし、水気は通すからいい感じに乾いてくれるし

 

おわり

 

というのもなんだからかに候補あるかなーとおもった

・魚っ平

ねじの缶切り

コルク栓をあけられる万歳型の栓抜き

バーミックスイワキの500mlにぶっこんでガー。生クリームバジルソースがすぐにできる)

シリコン菜箸(竹は曲がる、反る、焦げる)

シリコン油ブラシ

・あまった油入れてすぐつかいきるためのジャムくらいのガラス瓶(からになったら食洗器)

・魚焼きグリルでつかえるトースター用のプレート(パール金属フッ素加工のアルミ

サーティーワンアイスでもらえる試食用とかカップ用のをもってかえってきたピンクミニスプーン(顆粒だしの袋や容器にぶち込みっぱなしにする用)(ながすぎたらハサミで切る)(プリンのは透明なので見失う)

・米を移すときクロソイド曲線のじょうご工学的にはブリッジがおきないダイス?)

・100円ショップカレースプーンくらいのサイズゴムベラ(ジャム瓶とかの中身を全部すくえる)

・100円ショップジップロックをきちんと閉められる指先サイズの白い器具(なかなかみつけられない)

・100円ショップ緑色プラスチックストロー(昔のスタバにいったつもりで自宅でプロテイン飲むために)

2023-02-07

自由研削砥石取替え等特別教育

事故事例にでっかい両頭グラインダーの砥石割れカバーを吹き飛ばしてそれに当たった作業者は死亡

砥石の破片は工場の壁を突き破って何十mか先の民家の屋根に着弾したとかあって怖すぎワロタってなったわ

2022-11-22

anond:20221120145527

付随して料理道具にもこだわってしまうよねー

包丁砥石フライパン、鍋、せいろ、燻製器バーベキューグリル、低温調理器などなど。

包丁は高いやつだと硬い材質で長切れするってだけでその硬さから欠けることが多く使い勝手が悪いので、家庭なら和鋼なら白紙ステンレスならV10くらいが使いやすい。その代わり研ぐこと。

実用三徳牛刀、ペティ、柳刃、出刃。もちろん魚を捌かないなら出刃はいらない。サクから刺身を引くときに柳刃だと切り目のカドが立って見栄えいいし滑らかな食感になるので刺身用だけに柳刃持っててもいいと思う。

趣味は切り付け、薄刃、ダマスカス。切り付けはサムライソードっぽいって理由海外で爆売れしてるけど刃側のRが足りずに使いづらい。てかサムライソードそもそも切っ先逆じゃん。

砥石はシャプトン。頻度にもよるけど面直しが必要状態になるまで何年もかかる。天然砥石趣味

フライパンは結局テフロンっていうのに同意。鉄は慣れても材料張り付く。王将餃子のことコーテルって呼ぶじゃん?漢字で書くと鍋貼じゃん?ほんと鉄のフライパンだとビタってくっつく。鍋ステッカー恐るべし。

フロン使うなら無印シリコンスプーンナイロンターナーが傷つかなくて良い。

中華鍋系は30cm以上が鍋を振るのが楽で使いやすい。リバーライトの炒め鍋とかは鉄なのに錆びず薄手で火の通りがいいし、吹きこぼれしにくい形状なので麺類の茹でものにも向いてる。

ホーロー鋳物系はストウブの黒。色ついてるやつはどうしても薄汚れてくる。ル・クルーゼは内側が汚くなる。南部鉄器は底がザラザラでIH調理器をガリガリにしてしまうのでガスもしくはオーブン調理用。

いろは最初中華せいろが手を出しやすい。1個目はサイズ感を確かめるための観測気球おすすめは24cmで材質は杉とかの安いの。大きいように思えるけど実際使ってみると一人の一食用としてちょうどいい。

燻製器おすすめしたくない。ほんとおすすめしたくない。段ボールので十分。タールを掃除するのが大好きな人だけの趣味燻製だけ作りたいという人以外、ウェーバーなんかのチャコールケトルグリルバーベキューグリルとしても使えるのでおすすめ。洗うときには重曹忘れずに。

低温調理器もおすすめしたくない。何より水槽や寸胴が場所を取る。テスコムの低温コンベクションオーブンが便利で低温調理のほかにトースターオーブンとしても使える。こいつはジップロック材料入れてっていう普通のもできるし塊肉をそのままっていうのもいける。オーブン用のプローブのついた温度計BlueTooth通信できるやつがあるのでそれと組み合わせると塊肉調理が断然楽になる。

2022-11-18

anond:20221118111028

信玄守護から始まって甲斐信濃駿河を手に入れたし、砥石川中島以外にほとんど負けてないからまあ

 

しかし、戦国時代後期に偏りすぎなような

畠山義就六角高頼朝倉宗滴北条早雲あたりが挙がってもいいと思うし、伊達政宗が挙がるなら津軽為信が挙がってもいいだろうと思う

結局、大河ドラマは強いな、って感じ(島津を除く)

2022-09-11

anond:20220911154034

料理お菓子作りみたいに実益を兼ねたものとか、

(中略)

そういったお金のかからない趣味で楽しむことって出来ないのかな?

釣りなのは明白だけど料理話題が出たかレスするね。

うめーフレンチ作りたいかウサギ1羽買うわ(材料費1万円)

レシピ本は何かと買っちゃうよね(3000円〜)

鍋はStaubに限るよね(3万円)

Mauvielの銅フライパン欲しい(6万円)

包丁はミソノのux10あたりかなあ(2万円x本数)

出刃や柳刃は鋼だよねやっぱり(2万円x本数)

流石に砥石も何種類か用意しとかないと。鉄板は刃の黒幕だよね(3000円〜3万円)

天然砥石の深く暗い沼に嵌まりにいく人も…(10万円〜)

コーヒー淹れるならグラインダー3万円

ゲイシャとか凝り始めると豆代100g5000円とか

きりがないんだよね。

2022-05-23

刃物砥ぎ

いわゆるシャープナーと砥石砥ぎは、目的は一緒でも結果は全く違うんだってさ。

何で今の世になっても「家庭用自動砥ぎ器」がないんだろう?

作るの難しいとは思えんのじゃけど、需要がないから誰も作らんのかな?

2022-05-13

anond:20220512184922

普段の手入れだよ。ぽんぽんして粉を付けて古い油を吸わせ、それを拭うことで砥石の粉なんで金属表面を微かに削り、新しい油を塗り直すんだとさ。なにせ塗装もされてない鉄だから、凄まじく錆びやすくて手入れが大変。直接手で触れて付いた油や水分、手入れ中に口から飛んだ飛沫程度でもそのままにすると、そこが点々と錆になっちゃう。

2022-04-03

anond:20220402180819

V金10って研ぎづらくない?俺は銀三の方がよかったなあ。なんかコツとかあるのかな。砥石は刃の黒幕の1500と5000。

2022-04-02

寿司ってえのはもっと楽なもんだ

https://anond.hatelabo.jp/20220331202909

こだわりがある増田無用アドバイスかもしれないが、色々難しくし過ぎているきらいがあるので指摘させてくれ

 

まず包丁だが、文化包丁洋包丁タイプの握り手のステンレスが欲しいが材質の表示がテキトーで不満なんだよね?

だったら鋼材名で検索すればいいんだ。「V金10号 柳」で検索してみてくれ。v金10号は武生特殊鋼製の刃物用鋼材で一般的なやつだ。

モリブデンバナジウム鋼とか表示されるのはちゃんとした刃物鋼かどうか不明から手を出さない方が良い。工具鋼を使っている場合もある。

Amazon検索性は酷く、緒元もちゃんとしてないしメーカー品番も書いてない場合もあって込み入った買い物には向いてない。検索で引っかかったメーカーダイレクト販売刃物から買う方がいいと思われる。

近かったら浅草かっぱ橋に行くのもお勧めだ。今は外国人が少ないので丁寧な接客説明が期待できる。

 

次に、刃持ちや研ぎやすさをHRC硬度だけで判断してるのはちょっと違う。

ステンレスというのは鋼よりHRC硬度は落ちるが、粘りがあるんである。故に加工が難しい。

これは研ぎでも然りで、鋼は結構サクサクと研げるのだがステンレスはなかなかカエリが出ないという事になる。つまり鋼は元増田が考えているよりも研ぎやすい。

研いだ直後のステンレスの切れ味は鋼に劣るが、この粘りのせいで長切れする。切れ味がちょい落ちた状態がずっと続くって感じ。

から純鋼の白紙の方が切れ味は落ちやすい。こういう特性に持久力を与えたい時はタングステンクロムを添加する。これが青紙だ。

自分は青紙包丁研いだことがないのだが、これは研ぎにくいはずだ。

 

次に錆びの問題だが、これも難しく考えることはない。いちいち油塗布したり油紙巻いたりとか調理現場ではやっていない。

どうするかというと、新聞紙一週間分くらいをまとめて折ってダンボール箱に入れたり輪ゴムで縛って、そこに洗った包丁をぶっ刺しておくのだ。

または少年ジャンプとかチャンピオンとかの安手の紙質の漫画雑誌でもいい。

すると水はザラザラした紙に吸われ、油性インク包丁に付着して錆びないのだ。(インクで指が汚れたりするだろ?)

高級料亭などでなければどこでもこういう扱いをしている。

 

和包丁の柄の腐りや汚れも買ったものをそのまま使わずに、アマニ油オリーブ油を塗布し、ふき取ってから使うと汁も吸い込まないし腐りも発生しない。

これはサラダ油などではダメなので注意して欲しい。酸化重合して固まるからだ。アマニ油オリーブ油は重合しないのだ。

 

この異常に安い、4桁円で買えるが白1鋼という包丁

は見た目は悪いが使いやすい。特に黒皮が付いたままの安い鋼包丁は切ったものが剥れやすいし、切れ味落ちたら直ぐにガシガシ研いで、研ぐのも簡単だし、数年で八寸の柳が五寸や四寸ぐらいになる。高級料亭などでなきゃ料理屋で使われているメインはこれだよ。

 

すし飯の扱いは間違ってると思う。

すし飯は炊き立てじゃなきゃ酢を吸わないが、その後一度常温になるまで置いておくと粘度が高くなる。すると粘度は安定して握りの最初最後では水の量が違うって事もなくなる。その前に握っても形を保持しない。

から粗熱を取るだけじゃ不十分で常温程度まで十分放置する。でも冬などに放置しすぎると粘度がまた落ちて味も落ちてしまう。

 

粗熱取りも団扇でどうこうって言われるが、めんどくせえことしないで扇風機で冷ましちゃった方が早い。

表面の粗熱が取れたらひっくり返すように返してまた放置。手早く冷ました方が美味い。

この時、扇風機ホコリが飛んで飯に付着すると食中毒になるので扇風機掃除してから使う。

鍋でご飯炊くときに水分量間違えて焦がしちゃう人いるじゃん?あれも途中で蓋開けるなっていうのを愚直に守ってるからそうなるんで、蓋開けて水分見て補充しながらやれば味は落ちるが失敗しない。難しい事して失敗するより成功経験積む方が大事。だからすし飯も扇風機でいいんだよ。

 

以上の訳でお櫃の保温性っていうのは必要が無い。温度が高いすし飯なんか酢でむせちゃうだけだよ。

 

あと、血合い骨の処理で毛抜きが出て来ないのも疑問。これも難しく考えずに毛抜きで抜いちゃえばいいやん?

身が柔い魚だとボロボロなっちゃうけどね。

 

牛タン刺身っていうのもかなりおいしいよ。柳で薄く切って山葵醤油がひじょうに合う。

牛タン生食リスクがあるけどね。

 

鋼の包丁の事ばかり書いたけど、ステンレス包丁も持ってないとダメだよ。

包丁ででチルド状態の魚の身を切ると細かく刃こぼれしてしまう。直すには荒砥から研ぎ直さないといけないので大変だ。

 

砥石は面が面一(つらいち)が必須なので面直し砥石必須だ。実は包丁研ぐので一番面倒で大変なのはこの面直しだ。兎に角面倒なので金剛砂とかもあった方が良い。ない場合はクレンザーを使う。

2022-03-31

寿司食いてえ(+包丁の話)

ネタシャリの間にわさびが入ってる程度の寿司をたらふく食べたい。

 

いわゆる100円寿司各社がわさびを別添にするようになってどれほど経っただろう。

あれもそんなに嫌ってもないのだが、しかしわさびネタシャリの間にいてほしいし、ネタシャリは横倒しにしても分離しない程度に握り固められていてほしいもである

このささやかな願いに同調してくれる人は決して少なくないと信じているが、しかしこれを叶えることは存外容易でないものである

 

百円寿司で一旦ネタ剥がしわさびをつける戦略は思いの外満足度が低かった。

回らない寿司は週2で通えるものではないので考慮しなかった。

上記が叶う程度の回転寿司は採算がアレなのかコスパが良くなく、何よりレーンの中に板前が居たりしてコロナ禍において通いづらかった。

宅配寿司は1人前をなんとなく頼みづらかった。

持ち帰り寿司は最も理想に近かったが、ヘビロテすると飽きが来た。

ついでに言うと俺は今ほぼリモートワークなのだが、1人前の寿司を買いに日参するには絶妙店舗立地が遠かった。

 

ここに至って俺は認めざるを得なかった。もはや自分寿司自分で握るしかない。

業務スーパー冷凍のサクを買う。今日寿司だと思い立ったら冷蔵庫解凍し、白米を炊いてすし酢と合わせてええ感じに握る。これだ。これしかない。

今どきは便利なもので、寿司の握り方はyoutubeいくらでも調べられた。

ちなみにこの過程で家庭向けの寿司を握る補助具的なものがないか調べたが、結果は芳しくなかった。

百円寿司シャリロボットの人力版みたいなものはあったが、肝心のネタシャリを一緒に握れる機能はなかったのだ。

アイスクリームスプーンのしゃもじ版みたいな奴は工夫次第でいけるんではと買ってみたが、逆に面倒だった。

結局は頼れるものは己の五体しかなかった。

 

とはいえはじめの数回は酷い出来だった。初めて作った寿司はずっしりと重く、太く、齧れるほどだった。

細くしてみたら底面が崩れて、自立しなくなった。

力を抜いて軽く握ったら形が整わず、あちこち米粒が飛び出した。

いい感じに出来たと思ったら握れておらず、箸で持つと折れた。寿司飯にして1.5合喰った。

 

もともと刺身はサクで買う主義だったので柳刃包丁は持っていた。しかしここでも問題が発生した。

狭いアパートスーパーのサクを切るくらいしか想定していなかったので、柳刃と言いながら刃渡りが20cmしかなかったのだ。

平造りしかしないのであれば正直十分だった。だが寿司ネタを切りつけるには指四本よりもやや長い幅を切らねばならぬ。

包丁刃渡りが明らかに足りていなかった。

我が家包丁三徳と出刃と柳の3本だったので、実はイワシや小アジを捌くのも多少不便だった。

なのでこの20cmの柳は片刃のペティというか小魚用の身卸というか、小刃でもつけて多目的に使うことにして、

9寸くらいの柳刃を追加しようと思った。しかしなかなか好みの包丁が見つからない。

 

元々俺は、和包丁伝統的なハンドルが好きではない。

あれは伝統的には朴の木で出来ていて、穴をくり抜いて口輪を付けて刃を挿すものだ。

口輪は経年で縮んで締まる水牛の角がいいとか、サビ防止に刃を挿す前によく熱して中を焼くとか、

あれこれあまり知られていないノウハウがあったりなかったりするものだが、これらは基本、その時代の工夫というものだ。

朴の木を使う理由にしたって、自然木材の中では水に強いという程度のことでしかない。

水性の高いハンドル材がいくらでも選べ、ステンレス包丁なら中子が錆びる心配もない現代において、

敢えて朴の木に鋲もネジもなしに摩擦力で留めるだけの柄を使い続ける理由はなにもないと思うのだが、

何故か頑なに和包丁には朴の木のハンドルを使うというのが常識となっているようである

しかもアレ大抵白木だから、魚の血や肝とか砥石の研ぎ汁とか付着した日には金たわしや最悪紙ヤスリなどで削るんである

なんぼなんでも、あまりにも前時代的だと思うのだがなんとかならんか。

 

閑話休題、そういうわけで柄が積層材、鋲止めで刃はステンレスで口金もついて9寸の柳刃を探し回るのであるが、

これがまあ見つからないこと。なんとか探し当てても鋼材がなに使っているのか非公表だったりしてそれも気に入らない。

世の中にモリブデンバナジウム鋼と分類できる鋼材が一体何種類あると思っているのか。

まあ包丁問屋日本鋼って鋼材がガチで在ると思い込んでいたりとかなくもないらしいのでその類なのやもしれぬ。ファック。

 

流石にそこまでいくとマニアックすぎないかと思われた向きもあるかもしれないが、これが結構実害があったりするんである

例えばAmazon検索アルゴリズムとか。「モリブデンバナジウム鋼」の包丁合金鋼と表記されてるせいで(※間違ってはない)、

検索ページの絞り込みで「材質:ステンレス」にチェックを入れると表示されなくなったりとか、いざ遭遇すると割とびびる。

Amazon内で検索するのがマジで役に立たないので、色々辿ってメーカーカタログから作ってることは確認した上で購入方法

調べてみたらAmazon普通に売ってた(でも検索からは出ない)とか、本当に勘弁してほしいもである

 

包丁噺ついでにさら脱線するが、和包丁の鋼への信仰心とでも言うべきものにも戸惑うものがある。

俺は趣味で切出しや肥後守とかも使うので炭素鋼の切れ味と扱いやすさは理解している。ついでにフライパンは鉄製に限る。

だが包丁についてはステンレス統一する主義だ。たしかに差はある。他はまだしも出刃だけ(柳だけ)は鋼、と言う意見もわかる。

けれどそれは刃持ちに妥協できない業務用途に限った話ではあるまいか

家庭用の包丁では、刃持ちを妥協して柔らかい鋼材を使う、と言う選択肢が取れるためだ。

正直な話、HRC56の謎ステンレスとHRC62の青紙だったら、ステンレスのほうが研ぎやすい。

粗悪な刃物だとカエリがペラペラしたりするのも知ってるが、今どきそこまで酷いのは中華偽ブランドナイフくらいのものである

わざわざ水気に弱いものを水に濡らして使うくらいなら、多少ヘタリが早くともステンレスを使ったほうが手間がないと俺は思う。

 

しかし、どうやらそういうのとは無関係に「鋼の包丁」という情報を食う連中がいるようで不気味なんである

よくいる初心者には白2鋼おすすめ!などと勧める奴も、真に受けて購入した包丁を錆びさせる奴も大概アレであるが、そうではなく、

ちゃんと扱えたとしてもいらん苦労でしかないような怪しげな包丁をやけに目にするのである

職人手作りで仕上げた白2の包丁必要な場面というのはもちろんあるであろう。

板長が本焼きを持っていることがステータスになる世界だってあって全然構わない。

だがこの異常に安い、4桁円で買えるが白1鋼という包丁は一体誰向けに作られているのだ…?

それはかけた手間に見合った性能を引き出せているか?ただ錆びたり柄が腐ったりするだけの包丁ではないか

包丁の手入れをすること自体目的になってはいないだろうか?

 

さて話を戻して、そうして多方面呪いながら包丁を都合すると、道具の面ではもうあまり不足がない。

飯にすし酢をあわせるのにボウルでは不便だと思っていたが、これは代用できるものが見つかった。

どこでも手に入る土鍋である市販の鍋セットをそのまま突っ込める大きめサイズを買っていたのが幸いした。

自体土鍋で炊くほど拘りはしない。炊飯器で炊いたのをお櫃代わりに鍋に移して酢と合わせる。おこげ寿司に出来ないのでこれでいい。

本職が使う寿司桶には、保温と調湿の機能がある。

土鍋は保温については文句がない。調湿は流石に木の桶とは比べ物にならないが、ステンレスのボウルに比べれば水気を吸う。

しろ木桶は水を吸いすぎるので事前に濡らしておくというくらいだから土鍋でも十分なのではないかと思う。

そもそもシャリが一人分なのでそれほど乾く心配はしなくていい。何かの理由台所を離れなければ行けない場合

濡らしたペーパーを被せておいて、それでも足りなければ濡らして絞ったペーパーを直接触れない位置に置いておくとか、工夫次第である

何より手入れに手間がいらないのが良い。ものにもよるが食洗機に突っ込むことだってできる。

ただ、冬場は冷えすぎるので事前に軽く温めたほうが良いみたいではあった。

 

自分寿司を握ってみると、寿司というのは米料理なのだなぁと言う思いを強くする。

わかりやすいのは水分量の管理で、米を1合炊いてすし飯にした場合最初最後の1貫は米の状態が顕著に異なる。

米の状態を見て手につける手酢とかも調整していく必要がある。でないと米が手についたり寿司がベシャベシャになったりする。

反面ネタの方は自分で喰らう分には割と融通が効く。多少大きさが不揃いだろうと人に出さないなら問題ないし、

なんなら小さく切って1貫に二切れ使ったって良い。シャリリカバリできない。

 

握りの技術については、未だにわからないことが多すぎて文章にできない。

ただ握り寿司にした米の総量でみて、大体1升を越えてくると、当初の目的であった

ネタシャリの間にわさびがあって、横倒しにしても分離しない程度の寿司」については達成できたと思う。

最初は量をこなさねばと思って一度に1合半とか2合とか炊いて喰っていたので、自宅寿司8回目とかでクリアした格好だ。

ただ本末転倒なことに、この達成水準の寿司は俺を満足させなかった。

何よりもわさびの風味が駄目だった。本わさび使用と大書された高級ラインでも、チューブわさび寿司に向かないと知った。

わさびの味自体問題があるというより、油脂などに由来する滑らかさが違和感の原因ではないかと思う。

脚を伸ばした遠いスーパーに本わさびのちょうどいい感じにすごく小さいやつが売ってはいたが、毎回それはしんどい

いろいろ試したが未だ納得がいっていない。粉わさびを都度練ると良いらしいので次はそれを試すつもりだ。

 

ネタは切りつける上では自由でいいが、買ってくるときは悩ましいことが多い。

一貫分のネタの大きさは解説する人によって千差万別で、総合すると10g~15g、シャリの量は10~20g

ばらつきが大きすぎて正直参考にする気が起きない。

おそらく職人の技としては狙った大きさで握れることが要諦で、何グラムにするかと言うのは店舗経営領域なのだろう。

時価寿司は客の様子で大きさを調節してるとかなんとか。

歴史的には、江戸屋台で売られてた頃はシャリだけで40gあってこれが右肩下がりで小さくなってるとか。

戦後の一時期に限れば米1合=10貫だったのでシャリは30~35gくらい(水分量による)だっただろうとか。

 

どっちかと言うと自宅寿司やる際に考えるのは、魚をサクで買うときに何グラム分買うかということである

何度か試した限りだと、俺が適当に握る場合「端っこを除いて」200gの刺し身に米1合使っているっぽい。

そしてこれは多分、この比率結構ネタが小さくて薄いパターンである

よく商品画像的なもので見る、ネタの先端が地に付きそうな寿司を握ろうと思うと、ネタをかなり増やして考えないといけないと思う。

 

アジイワシやその他の魚をまるまま買って捌く場合はまた考え方が変わる。

イナダを一匹買ってくれば小さいのでもデブ3人前くらいのネタが取れるので、下側の身は翌日塩焼きにでもしようか

みたいな悩み方をすることになる。

小さい魚の場合は魚体の身を2分割または4分割して考えることになる。

イワシなら手開きにして上身と下身それぞれ半分に切れば1尾から4貫取れるな、とか。

アジは血合い骨をいちいち処理したくないので、節を渡して半身から4貫取れればいいけど、そこまで大きくないならさてどうしよう、みたいな。

隠し包丁で骨を抜かずに切って済ませる、とかもあるみたいだがベストプラクティス発見できていない。

 

何れにせよ、分量的にも予算的にも、何種類ものネタを一回で準備するのは難しい。

どうしてもやりたければ刺身の盛り合わせなどを買うことになるが、用途からして寿司ネタ用ではないのでいまいちである

ただこれはバリエーションクオリティの向上で克服できる課題だと考えている。

要は今日寿司を食べよう、ではなく、今日はこれを握ろう、と考えるようにして、

その上で握った寿司満足度100円寿司10皿を超えていれば良いのである

あるいは冷凍庫に投資するのも一考の余地があるか。チルドで流通するサクを50gくらいに切り分けてからホームフリージングできれば理想ではある。

ただそこまで行くと引っ越すべきな気もしてくる。

俺はただ、わさび入りの寿司を腹いっぱい食べたいだけだったはずなのだが……。

2022-02-17

anond:20220217175544

セメントの表面に擦り付けるといい気がする

砥石の簡易面出しの要領で

2022-01-24

anond:20220124145034

買ったばかりの鉄のフライパンは銑鉄で出来てるんだ。

日本刀は同じ鉄なんだけど「鋼」と呼ばれる

その違いとは炭素含有量さ。

日本刀ハンマーで叩いて、冷やしてまた熱してハンマーで叩いて、という鍛え作業することで炭素を追い出し「鋼」を作り出してるんだ。

フライパンも同じさ。

使っているうちに鍛えられだんだんと「鋼」となっていくのさ。

日本刀砥石で磨き上げるように、フライパン食材で磨き上げられていく。

そう、フライパンとは、現代日本に蘇った武士の魂なんだよ。

フライパンを育てるとはそういうこと。

つのフライパンじゃない、君の武士道さ。

2022-01-22

包丁があったよ

ほう、ちょう(包丁)どよかった

砥石といっし(砥石)ょに買っておこう

なんつって

ぷぷ

2021-08-11

anond:20210811121658

包丁花崗岩を切ろうとして切れなくて、それって常識だよねって言ったら

じゃあ珪石は?石膏は?タルクは?包丁じゃなくて斧だったら?切断砥石なら何ミリから可能?全部わかるでしょ?常識なんだから!っていうバカ

2021-06-19

プライムデーで安くなってたら買う予定のもの一覧

他なんかない?

2021-04-06

anond:20210406192348

俺は男だけど料理趣味みたいなもんで嫁より上手いし普通にいつも作る。その他家事別にやる。苦手でできないのは裁縫くらいかな…。

俺の趣味で高い和包丁とか砥石とかマニアック調理器具シノワとか)がやたらあるのは逆にめんどくさいかもしれない。

2021-03-22

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

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