はてなキーワード: キリスト教原理主義とは
昨夜、電動キックボードのLUUPが無料で乗れたので、東京駅八重洲口から新橋辺りまで走ってきた。
八重洲口のあたりも平気で路駐とかあって治安悪いなと思いつつ銀座に行ったらもっと終わってた
1街区端から端まで1車線タクシーが占拠! バックで出てくる変なタクシーまでいて路上はグダグダ!
たまらんと思って途中でコース変えて、山手線くぐって新橋方面に流れてもまたひどい!
一方通行の両脇に路駐! 見渡す限りの居酒屋に歩道にあふれる酔っ払い!
路上ドラッグパーティで退廃の極みみたいな光景にビックリしちゃった。
確かにこのグダグダの状況の中で強盗だの窃盗だの、そこまで発生しないという意味では治安はいいのかもしれんけど、
アメリカのスラム化を笑えないような状況になってるんじゃないの。
東京都心のホワイトカラー層の暮らす街(居住はしてないと思うけど)がこんな酷いとは思ってもなかった。
なんか普通に幻滅した。
主人公がバスに轢かれて事故に合うことで異世界に転移するという、
ただ、いくつか異なる点がある。
そのひとつは「ビートルズ」が存在しなかった世界線ということだ。
幼馴染の女性マネージャーに告げたその夜に事故にあいビートルズが居ない世界へと転移する。
主人公はビートルズのいない世界で、ビートルズの楽曲を自身の作であると偽り発表して世界的な名声を得ていくことになるが……果たして?
というのが序盤のあらすじである。
事故にあって(トラックではなくてバスだが)世界線を移動する、
というのはやはり日本のアニメの影響があるんだろうか?とか思いながら見ていたんだけど、
ふと思った。
果たして、ビートルズがいない世界でも、音楽の世界は現代の音楽シーンと同じものとなるのだろうか?
映画にはエド・シーランが本人役で出ていて、本人の歌を本人がそのまま歌っている。
つまりビートルズがいないことの影響を受けていないことを読み取ることが出来なくもない。
でも、これって多分無理じゃないか?
進化ツリーみたいなものが割りとハッキリとしてる世界じゃない?
(わかりやすくいうとバッハとかモーツァルトがいないとしたら?ということ)
その中で「ビートルズ」の不在が果たして全く音楽シーンに影響を与えないことなんてあるのか?
ということが映画よりも気になり出し始めたところで、はたと気づいた。
これはあれだ、キリスト教原理主義みたいな考え方で回避すべき疑問なのだ。
映画の中でも、一言二言だがだがこの転移が神の奇跡であることを示唆するセリフがさりげなく入れられている。
つまり、これは神が世界を創造した時に人間が聖書の中の記述と食い違うような考古学的発見をするような世界を創造されたということだ。
ダーウィンの進化論が導き出されるような世界をなぜか(なぜなんだろう?)神様は天地創造の時にお作りになった。
と同じことで、神様はビートルズがいないにも関わらずビートルズがいたのと全く変わりなく音楽が発展した世界を創造されたのだ。
別の世界線に。
そういうことで納得した。
色々とビートルズの小ネタたくさん詰め込まれている映画なのだろうが筆者はあいにく詳しくなくてほとんどわからなかった。
それにしても、もしも君たちが同じ立場だったらどうする?
とても有名で君には馴染み深い作品が存在しない世界線に飛ばされたら?
君が売れない小説家をしていて、村上春樹がいない世界線に飛ばされたら?
君が漫画家をしていて、ハンターハンターが存在しない世界線に飛ばされたら?
どうするんだろう。
KKK「役所が公共の場所に出している広告に黒人が起用されていて不快です」
キリスト教原理主義者「役所が公共の場所に出している広告に同性愛者が起用されていて不快です」
東京在住の阪神ファン「役所が新宿駅前に出している広告に巨人の選手が起用されていて不快です」
ある人「役所が公共の場所に出している広告に私の嫌いな俳優が起用されていて不快です」
交通事故被害者「私の母は、スピードを出しすぎてコントロールを失った、若者の運転する車に轢き殺されました。モータースポーツは『スピードを出すのはカッコいい』という価値観を生み出しており、私の母の死亡事故と地続きであると考えます。なのでせめて、公共の場所に出す広告にモータースポーツの選手を出すのは止めてください」
ガキ産んだから世界の半分を知ったったとか言ってるけどそれはさすがにおまえの世界は狭すぎるだろ、って話だよね。
多分こういう単純な人間には想像も出来ないんだろうけど、世界にはいろんな人が住んでてそれぞれ全く違う人生を送っているわけよ。ガキを生んだ人間も産んでない人間もそれぞれ全く違う人生を送ってて、ガキを生んだ自分ひとりの人生だけで他のガキを生んだ人の人生もガキを生んでない人の人生も測れるわけはないわけ。どう考えても。おまえがガキを生んだっていう体験はおまえだけの体験で、それを知っても世界の半分なんて分かるわけないわけよ。おまえが知ったのは「おまえの世界」の半分で、自分自身の世界さえガキ産まなかったら半分も知らなかったんだとしたら、それはおまえの頭が悪すぎるってだけの話なのよね。
そんでな、自分のガキ産んだだけで「他の人間の世界」も半分知ったと思ってるなら、それはただ頭の悪い勘違いだからあまり公言しないようにな? この人頭悪いのかな?と思われるだけだから。
で、このようなごくごく常識的な、普通の人間なら当然知っているようなことを話して聞かせると逆ギレして「年金ガー」とか言いだす頭の悪いのが思いの外多いんだけど、オレが年金を受給できるのはオレが保険料を納めて年金制度の維持に貢献してきたからで、おまえのガキが保険料を納めるのもオレのためじゃなくてそのガキが将来年金を受給するためなんだわ。自分のためにやってんの。自分のためにやってることを「あなたのため」とか言いだすのはもうモラのハラだから。しかも年金制度に貢献するのは保険料を納めてる人で「その人間を生産した人」じゃねーんだわ。自分の子供の手柄を自分のことのように言うんじゃない。恥ずかしくないのか? だいたいおまえがガキが出来たのも自分がなんかイイコトしたからだろうが。自分のためにやった事を「社会のため」とか言いだすんじゃないよ、図々しい。むしろ社会のためを考えたらおまえのような低級国民は繁殖しない方がいいんだから。おまえのガキは貢献どころか生ポ受給者になって社会にぶら下がる可能性の方が高いのよ?おまえのガキだから。「おまえはガキなんか持たずにもっと優秀な国民の繁殖に協力しろ」とか言われたらヤだろ? それをおまえが望んだ通り繁殖の機会を与えていただいてるのにガキ産んだだけで役に立ってるとかね。もう今年の「いつから勘違いしていたんだ?」大賞よ。
とまあこのように本人もうすうす勘づいてるんだけどなるべく見ないように目を背けていた現実にやんわりと目を向けてあげると「生物として」とかあたかも「自分自身の無価値さが繁殖という生命の目的を達することによって補完される」みたいなスルドイ頭の悪さを開陳するレア珍獣も稀によくいるんだけど、おまえは創造論者か! キリスト教原理主義者か! 生命に目的などないしデザインも設計も戦略もない。複製をつくれば複製が残り、つくらなければ残らず、複製を二個以上作れば数が増えていく。それらは単なる事実であってそこには正誤も善悪も優劣も勝敗もない。生命にとって「残る」は単に「残る」であって「勝ち」ではないし、「数が増える」は単に「数が増える」であって「善」ではないのである。複製が残ることが嬉しいと感じる者がいるのと全く同じようにそんなことは嬉しくもなんともない者もいる。正誤はない。複製をつくれば複製が残るというだけだ。複製を残すのが嬉しいものは存分に嬉しがればいいことだろう。そこでガキを生むやつが「自分が嬉しい」だけでなく「人間として正しい」とか「社会的に上」とか「生物として優」とか「他者から価値を与えられたい」のはなんなんだろう? まあ本人がそうすることで幸せならそれでいいんだろうが「親の劣等感や無価値感を補填するために使われる子供」というのはそこそこ不幸になるんではないだろうか?
まあそれもオレのガキじゃないからどうでもいいんだけどね。とことん不幸になっても。ガキの親にとってもどうでもいいんだろう。自分が嬉しければ。
NHKや民放の特派員がNYやロサンゼルスだけで街の声を拾うのはよくわかんねえなって思う。
予算の問題なんかで大都市にしか人を出せないんだろうけど、やっぱアメリカは西海岸や東海岸の大都市と、中西部、南部で明らかに心情や空気が違うようだし。
個人的な心情でいうとトランプやキリスト教原理主義者、いわゆるプラウドボーイズのような過激主義の主張は共感しがたいが、「自分の心情」と「それと違う心情・信条の人が確かにいることがわからなくていいのか」というのは全然別問題だ。
それに、かなり頑固で過激な上記のような人だけでなく、「やっぱり共和党」という穏健なトランプ支持、というか共和党支持者が結構な数いるのでトランプは大統領なわけで(前回の選挙でも得票総数ではヒラリーに微妙に負けたが、それも僅差でなければさすがに当選はない)、大都市圏のいわゆる「リベラル」な民主党支持者の声だけ聞いていてはアメリカで何が起きようとしてるのかわからない。
昨今の『自称フェミニスト』の発言を見る限り、残念ながら日本のフェミニズムは完全に死んだ物としか思えない。
そもそもフェミニズムとは『不自由だった時代の女性の解放』『性的な自由を求めた自己決定権』を求めたいわゆる『自由を求めた人々の運動』である。
しかし、今日本で唱えられている主張はやれ『アニメ・漫画を規制しろ』だの『公共的な場所に性を想起させるものを置くな』だの、真逆の主張を続けている。
これは、日本で唱えられているフェミニズムが全て『ラディカル・フェミニズム』(急進的女性主義)なのだが、これが一般的なイメージの『女性に優しい社会を作ろう』というものと全く違く、それどころか真っ向から敵対している主義であるのが原因である。
『ラディカル・フェミニズム』の最終的な目標は『結婚や家庭自体の廃止』や、『男性の社長や役員の廃止』『男性向け性的サービスの完全根絶』等『社会の根幹的な物自体の改革』が目的の活動である。
しかし、海外ではこの主張は全くと言っていいほど受け入れられていない少数派、それどころか海外では主流の『リベラル・フェミニズム』とは真っ向から対立している集団である。
なぜ、海外では受け入れられないかというと、この『ラディカル・フェミニズム』の主張者の多くが『キリスト教原理主義団体』や『白人主義』等の胡散臭い団体に所属しているからだ。
何故、普通なら真逆の差別主義者が『フェミニスト』を名乗っているかというと、内容をすり替えて行けば自分たちの主張を通しやすくなるため、その下準備として『女性』をシンボルに掲げているに過ぎないからだ。
(例:性的なアニメ・漫画は見ていて不快だから自粛しろ⇒黒人は見ていて不快だから自粛しろor性的な物が公共の場にあると問題が起きる⇒〇〇教の物が公共の場にあると問題が起きる)
そのため、『ラディカル・フェミニズム』の主張者は『問題が起きる前に撤去しろ』『表現や思想を自粛しろ』という主張は行うが、実際に風俗営業を行っている女性の賃金向上や男性の家庭への参画(いわゆる主夫)、風俗営業を行ってる女性への職業あっせんなどの現実問題への活動は全く行っていないのが特徴だ。
何故なら彼らor彼女らの目的は『女性の解放』ではなく『自分が差別しているものの排斥が簡単に行える社会』の実現であり、その足掛かりとして女性を利用しているに過ぎないからだ。
では何故日本だけはこの『ラディカル・フェミニズム』がやたら根付いてしまっているか、というと日本は奴隷として扱われた時代が無いため『白人主義』への嫌悪感が少なく、宗教観が薄いため『キリスト教原理主義』を唱えられてもピンとこないため、そういった胡散臭い団体の隠れ蓑としてピッタリだからである。
また、いわゆる『純血主義』が根強い国でもあるため、『自分と異なる物は徹底的に排除したがる』という国民性も『ラディカル・フェミニズム』にはプラスに働いてしまっている。
要するに『自分の理解できない得体のしれない物は差別・排除しても問題ない』という発想が根底にあるため、過激な言動や行動が容易に取れてしまうのだ。
(いじめ問題もこれが根底にあるが、本題ではないためは割愛する)
さて冒頭で『日本のフェミニズムは完全に死んだ』と言ったかというと、かつて女性の自由を求めて戦った『女性解放運動』は今主流となっている『ラディカル・フェミニズム』の真逆である『リベラル・フェミニズム』の運動だからである。
かつて政府や社会から規制されていた『表現の自由』や『性の解放』を求めて運動していた人々の名だけ借りて、今は『表現の規制』と『性の抑圧』を求めて運動しているのが今の日本のフェミニズムなのである。
現在のフェミニストの活動が活発になればなるほど、日本は過去の差別的な社会に戻っていくだろう。
いや、既に一部は戻っているのかもしれない。
長々と書いたが、フェミニストの大好きな『海外のフェミニストの意見』を持って締めくくりたいと思う。
法学者でもあり、アメリカ自由人権協会初の女性代表で、アメリカで最も影響力のあるフェミニスト、ナディーン・ストロッセンの言葉だ。
「ポルノをやり玉にあげる検閲は、性差別や暴力を減らせない。本やメディアを求める男性層と性差別や暴力を行う男性層は全く異なるからだ」