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2020-07-30

なろうの悪役令嬢とか

愚痴です

  

基本は、乙女ゲームの悪役令嬢というバッドエンドを迎えるキャラクターに転生したこと

そのバッドエンドを回避するために東奔西走する話となっている。

爵位伯爵以上、つまり侯爵または公爵であることが多い。

バッドエンドを回避するにあたって、真っ当な行動を起こし始めた結果

本来険悪だった人間関係改善されて、多くの仲間を得ることが出来ている。

  

主人公は、前世知識によって、様々な問題解決していくが、それが新たな騒乱の火種

なることも少なくなく、結局ドタバタとしていくことになる。

しかし、最終的には主人公とその仲間が幸せになりましたというような話になる。

  

筆者は、主人公の悪役令嬢が王子などに気に入られ、徐々に絆されていくのが嫌いである。

何故かと言うと、設定上では前世乙女ゲームとして登場したキャラクターからだ。

ゲームに関連したキャラクターと関わるということはそれだけで運命を変えてしま

本来あるべきだった形が大きく損なわれるだろう。

一国の王子結婚相手というものが変わったら、どうなるのか?というもの意識すると

どれだけ事が重大なものなのかが分かってくる。

  

転生して貴族社会というものがどういうものなのか現実を知っているのであれば

ここはゲーム世界からなんて思い込むばかりではいけないと理解できるはずなのに

それをあまり考慮していないところが、ゲーム脳として不気味に感じる。

読者視点ではあまり気づけないだろうが、当事者として考えた場合どうだろうか。

  

国だ。国を治める最高権力者国王の息子である王子だ。

それを理解しているようで理解していない。まるでゲーム世界だとそのまま思い込んでいる。

ゲームだけれど現実。それを受け止めないで、王子という相手に絆されていくのが滑稽だろう。

  

王子名前で呼んで欲しい」

悪役令嬢「無理です。王子様」

王子「頼む」

悪役令嬢「いいえ、お名前を呼ぶなど恐れ多いことです。そのようなこと、決してできません」

王子「……ならば実力行使にでるとしよう」

悪役令嬢「左様でございます王子様」

  

個人的にはこのような展開を望んでいるのだが、ほぼない。王子様的な登場人物が出てくると

どうせこの王子とくっつくのだろうと思うと、そのままくっついて終わる。

悪役令嬢「~様と出会たことに感謝します。私、とっても幸せです」

というハッピーエンドなどで終わっていると、筆者は虫唾が走ってくる。

  

さて、なぜそこまでイライラしながらも読むのかと言うと

突然悪役令嬢の元の人格が復活してわがまま放題になり暴走をし始めるという展開が

起きてくれないか?と期待しているかである

そして人格が変わってしまって(元通りになって)結局バッドエンドになって話は終わる…という作品

期待しているのである

  

筆者は「あ~どうせこうなるのだろうな」というのが滅茶苦茶にされるのが大好きだ。

例えば唐突キャラ死ぬ漫画太郎氏の漫画が好きである

漫画太郎氏にしてもどうせこうなるだろうというのがあるが

大体意味不明な展開になって全て台無しにしてくれるのが大好きである

  

いきなり悪役令嬢が狂ったように「しねえ!」とか包丁を持ち出して

スパーンと王子様の首がはねられたらそれこそ大感動であるアダムスフミリである

まぁこんなことを期待しながら悪役令嬢作品を読む者はいないと思うが、筆者はそれに期待している。

  

ここまでは王子様が相手と書いてきたが、当然相手王子様以外の場合もある。

他の貴族だとか、隣国のお偉いさんだとか相手は色々だろう。

そういう相手なら別に問題ないのかと言うとそうではない。

  

根本的に恋愛をするなということだ。恋愛をせずに適当に、極力最低限の付き合いをしておき

それでも恋愛をするなら攻略対象外である全く無関係人間相手しろと思っている。

元の世界での乙女ゲームとやらが関わっているのならそれに関わらないように生きる。

こうして普通の、いわゆるノーマルエンドで終わるというのが望ましいと筆者は考える。

  

なお、筆者が一番好きな展開は。

悪役令嬢のことを好きになった王子様などとは離れ離れになり、王子様などは嫌々別な相手結婚し、

悪役令嬢はのほほんと生活をすることである

そしてそんな幸せそうな悪役令嬢の生活をある時偶然見かけてしまい、

好きな相手とくっつくことができなかったことに絶望して苦悩しているところへ

たまたま悪役令嬢が出てきて「私は今とても幸せです」

なんて言って、更なる絶望王子様などが生涯心に傷を負うというものだ。

  

それというのも、筆者はからくりサーカスの「白金」がフランシーヌにフられて嫉妬で狂うのがとてつもなく好き

からである。同様に、うしおととらのヒョウのように狂ったキャラも好きである

  

最後になるが、筆者は決して王子などが嫌いなわけではない。

筆者にとってカエルの為に鐘は鳴るサブレ王国王子理想である

そして相手ティラミスである。最高だ。

リチャード王子最後に負けを認めて泣き去っていき、二人は結ばれる。

これが最高の優越感にひたれる瞬間だろう。

というわけで王子特に恨みはないのあしからず

  

貴族編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200706225819

王族編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200707102749

奴隷編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200707174539

竜編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708062743

商人編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708131233

馬編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200708203845

獣人編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200709092800

エルフ編 :ttps://anond.hatelabo.jp/20200709173538

勇者編  :ttps://anond.hatelabo.jp/20200710134123

ドワーフ編:ttps://anond.hatelabo.jp/20200710201957

神編   :ttps://anond.hatelabo.jp/20200711222724

2020-07-07

なろうの王族とか

※また愚痴です。

  

王族敬語はやめてくれ(罰しないから)」

王族「様もいらない(罰しないから)」

王族名前で呼んでくれ(罰しないから)」

王族男爵とし、領地を与える!(大体僻地)」

  

こんな感じの流れが苦手なんだ。主人公簡単に折れるのが大嫌いで

「いえ、不敬なのでそんなことは絶対敬語を使います

とか、断って欲しいなって思う。なんでそこで敬語簡単に辞めるのか。

主人公「分かった。これでいいか?」

分かんねえよ!それで良くねえよ!ってツッコミを入れたい。

  

身分を隠す王族結構多い。実は王族でしたパターンはやめてほしい。

それで主人公評価されるようになるのはいいけれど、そのせいで大体の主人公

自由でなくなり束縛されるようになる。

  

そして王が王女を貰ってくれるかみたいな流れになる。

王女「私では不満ですか?」

王「余の娘の何がいけない?」

みたいな感じで圧迫してきて、主人公王女を嫁にするみたいな話になるの。

いや、王女だけじゃなくて、聖女とか侯爵とかまぁ身分が高い女を嫁にみたいなのもあるけどさ。

そこは主人公にはっきり「無理です」って断って欲しい。

主人公「私のような下賤なものとは釣り合いが到底取れません。国民の皆様や貴族の皆様にも理解が得られません」

みたいに断って欲しい。

主人公ドラゴンスレイヤーだかなんだかそういうので評価されるから大丈夫みたいに言われるけれど

領地経営したことがなければ貴族社会の事も分からないので無理です、潰されますみたいな感じで

辞退をしてくれってすごい思う。

  

王族から呼び出しがかかると、大体何か面倒事になってる。

王「1つ頼まれてくれないか

王女「~様にお願いがありますの」

これは一般庶民には無理難題な依頼。でも主人公にはできるからとか、みんなが困っているか

とか色々あるけれど損得では得になるんだけれど、依頼を達成すると確実に更なる面倒に巻き込まれる。

こういうのが気に入らない。

  

で、こういうのを読むたびに「またかよ」ってなってくる。

それで、王族から信頼を得る一方で他の貴族嫉妬したりとかで主人公因縁つけてくる流れもある。

主人公適当放置だ。俺に危害がなければ何もする必要が無い(キリッ)」

あーこれ絶対何かする流れじゃないかってなって、あぁー嫌だなあってなる。

面倒事になるんだから王様と会った時点でアウトなのにどうしてそこで逃げ出すなりなんなりしないんだよって

ツッコミをいれたくなる。

  

それでそういう貴族陰謀を暴いて、また評価うなぎのぼり。みんな主人公大好き最高みたいなのが出来上がる。

あ、あっ、ああああー!

主人公存在がなければ他の貴族とかも手を出さずに何事もなかった事なのに!

周りに与えた影響を何も考えていない!

こんなの教祖様じゃん!主人公自分教祖になったことに気が付いていない!怖い!

  

こうなってくるともう無理。限界

王族にいいように扱われるような哀れな主人公が完成!

主人公しょうがないなぁ」

とか何もしょうがなくないっつーの!平穏無事な生活を送りたいみたいなこと言ってたのに

なんで自分から戦火に飛び込んでいくの馬鹿なの!ってツッコミを入れたい。

  

ふぅ。ちょっとすっきりした。前回もそうだけど、なろう小説を読むと、最初試行錯誤して面白いのに

段々単調になってくるせいかこういうツッコミをいれたくなったよ。

2020-05-29

anond:20200529163950

舞踏会用にドレスを作るのですわ! 

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流┃⬅リッテンハイム侯爵 🐇3世閣下

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#身分早見表 #shindanmaker

https://shindanmaker.com/685431

[]#身分早見表

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流┃⬅ペンブルック侯爵 ねこ🐈16世閣下

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#身分早見表 #shindanmaker

https://shindanmaker.com/685431

2019-11-29

しろ堂々と家系を誇れる人

誰。

大名家の直系子孫。

歴史上の有名人の子孫。

華族侯爵以上)。

皇族

と書いて竹田恒泰は誇れねえなあと思った。

やっぱ重要なのは人格だな。

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-03-09

anond:20190309053035

危機管理がうまく、リスクあることをあまりせずに子孫を後に残したというのなら、天才前田家、浅野家(秀吉の妻おねの実家)、蜂須賀家、黒田家あたりでしょう。

トップではないが、ある意味ずーっと勝ち組の側について、関ヶ原でも東軍の側で維新第二次世界大戦終了で貴族制度がなくなるまでも侯爵クラスだった。

三傑あたりはバリバリリスクをとったから、トップになれた。トップになるにはリスクを取らないとならないし、その過程で多くが死ぬ

2018-12-08

の子を紹介されたときに、いきなりこう言われた

「子をしゃくれ。 異常です!」

どこが異常なのかわからなかったけれどとりあえずしゃくった。

私は厳罰に処された。

の子侯爵令嬢だったのだ。

2018-09-12

なろうやファンタジーにおける貴族の仕組み

小説家になろうを見ていると、中世ヨーロッパが多いもんで、貴族階級がでてくるんです。

フィクションにおける貴族の扱いと現実貴族の仕組みを照らし合わせて比較してる本やら資料やらブログでもいいけどあります??

別になろうじゃなくても、海外の本格ファンタジー指輪物語比較して~とか、海外フィクション同士を比較してでもいいんですが。


軽く羅列していくと、、

公爵侯爵伯爵子爵男爵騎士爵の区別があるよね。


その区別の中でも色々な仕組みの違いがあったり。

貴族しか騎士になれないみたいな話があったり、男爵子どもに継がせられない一代限りの爵位だったり、公爵の仲にもデュークプリンスの違いがあったり、

平民冒険者組合でめちゃくちゃ結果を出せば子爵みたいに爵位をもらって土地持ちの貴族になれたり。。


貴族の子どもに生まれたらみんな爵位を継げる仕組みもあれば、長男しか爵位を継げないので次男は予備にされ三男などは陪臣なるみたいな仕組みとか、


そもそも血筋貴族か否かが決まらなくて、魔法が使えるか否かで貴族かどうか決まったり血筋はもちろんの話だが魔法が使えないと判明した時点で公爵から子爵かに養子に出されたり、などなど。


あと平民貴族に逆らったらすぐ首を落とされるような世界貴族に対してため口でも大丈夫世界長男以外は冒険者なりなんなりになって平民と同様に暮らす世界、あとはそうだな都市貴族平民と関わりがないが地方貴族平民と付き合わないと生きていけないか平民距離が違いみたいなのもあったな。


とまあ、たくさんあるんだけどさ、これって現実貴族の仕組みと比べてどうこうって資料とか本とかあります??

2017-05-19

朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代朝鮮における貴族実業家日本名山崎 永春。

目次 [非表示]

1 生涯

2 家族

3 その他

4 登場するテレビドラマ

5 脚注

6 出典

7 関連文献

生涯[編集]

判書大監朴元陽の子として京畿道水原生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在大韓民国国旗である太極旗デザインを考案したとされる。朴泳孝が日本派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日仁川から日本船籍明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。

帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派事大党)の反対に遭って挫折さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデター閔妃から政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本亡命慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。

光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣宮内大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島流刑処分とされた。

隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会長1911年)、朝鮮銀行理事1918年)、朝鮮経済会長1919年)、朝鮮維民会会長1919年)、東亜日報社初代社長1920年)、朝鮮人産業大会会長1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長朝鮮殖産銀行理事朝鮮総督府中枢院顧問1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長1922年)、貴族院議員1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。

2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170313092932

ほんとこれなんだよね。

関西に住んでいた人に、「埼玉古墳あるから」といっても響くわけがない

奈良は「なんかしらんけど、裏山が古墳です」みたいな土地だし

石舞台古墳百舌鳥古墳群あたりの有名どころが日常にあった人に対して、

関東古墳提案されても「へーじゃあ足を延ばして見に行こうか」なんて思う人は

よほどの古墳好きだし、そういう人はすでに行ってるだろう。

美術館博物館薦める人も多いけど、

確かに価値ある展覧会東京しか見れないものも多いので、私も上京した当初は楽しみにしていたが、

人気館は、土日は死ぬほど並んで、やっと入れたら大混雑、立ち止まってじっくり見ることすら許されない。

ベルトコンベア状態の観覧なんか落着けないので行かなくなった。

増田が言いたいのは本人も書いているけど、「特別凄いものがあるわけでもないところに人だけが凄い」ところで

場所にしてもイベントにしてもお店にしても食べ物にしても、実は大したことがないものを「これは凄い!」と煽って大行列になるのって

東京あるある」なんじゃないかと思う。

じゃあ何がおすすめできるかというと、

もし増田寺社仏像が好きなんだったら、関東では期待に応えられないから諦めろ。と言うしかない。

興福寺阿修羅像程度であんなに行列ができるのが東京なのだ

ただ、東京のお神輿が出てくるお祭りは、江戸っ子って感じで関西では味わえない魅力があるし

伯爵侯爵が住んでいた西洋建築物赤坂迎賓館(事前申込制だが)などの明治時代建築物庭園お勧めできる。

西洋建築物はかつて神戸にも多くあったが、阪神大震災で壊れたものが多いので、

日本橋三越でも私は充分わくわくできる。

2017-02-22

キモオタの俺が本当に好きな子

身長125cmくらいのおかっぱで赤系の和服を好む齢4桁の座敷童。名前は教えて貰えないから、お師様って呼んでる。

家事掃除ほとんどしないし、外食も大嫌いだ。もちろん、毎日俺に毎日三食作らせる。

偏食も激しくて、何か食べたくなったらそれ以外口にしてくれないなんて日常茶飯事。

昼間っからネットしてSNS匿名掲示板を見てはぶつくさ言ってるし、

かと思えば女友達の妖狐とか雪女なんかを連れ込んで豪勢に酒盛りしているのもしょっちゅうのことだ。

夜中、特に用事のないときに誘えばセックスはしてくれるけど、気が乗らないとマグロもいいところだし、

興が乗れば夜明けまであの手この手で絞り取られるからもうどうにも気が抜けない。

体中開発されたし、最近マイブームなのか女体化させられて陵辱されることも多い。

ちなみに生理はまだ来ていないんだけど、孕むこと自体自由自在らしく、

いつか立派な一人前の男になったら子も作ってやるとは言ってくれているけど、先にこちらが孕まされそうだよ。

そんなクソニートみたいなお師様だけど、千年以上他に阿らず好き勝手行きてきただけあって術の力は比肩するものを見たことがないし、

古今東西の魔や妖かしに精通していて、更に苦手だという体術も俺程度じゃ片手片足で軽くあしらえるほどに強いんだ。

かいことを考えるのが面倒臭いってんで全部うち倒してから考えようとする癖があるのが玉に瑕だけど、その辺は俺が補佐すればいい。

まあ、最近で言えば土蜘蛛チョコレート問題ときも、吸血鬼ライア侯爵婿入り騒動ときも、

自分は空回りするばかりでお師様に助けてもらうばかりだったんだけどね……。

いつかは俺もお師様につりあうような立派な男になって、彼女名前を呼んでプロポーズするんだ。

  

なんて感じの子だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170222125612

2012-11-27

大隈重信候の玄孫VSくら替え早大出の辻本、松浪氏 大激戦の大阪10区」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121127/plt1211270710000-n1.htm

よくある間違いなんだけれども、「侯爵」の「侯」と「候」は字が違う。

これじゃあオオクマ・ソウロウだよ。変にカッコつけようとするから、こうなる。

2009-04-02

Re:総理大臣とは、役割である

http://anond.hatelabo.jp/20090402020114

 

文章が長くなったので、要点を超訳
  1. 日本では「総理大臣は役割である」という西洋的な考えはなじまない。
  2. それは爵位の与えられ方を見れば分かる。
  3. 爵位の与えられ方が違うのは日本王権神授説的な考えを持っていないからである。
  4. 日本には「高貴さは個人に由来する」という通念があり、個人性が強い。
  5. それはガンダムにも見出すことが出来る。
  6. 天皇制にあるように、日本では「個人を神格化」することで文化的な統一性を維持している。

 

以下、当初の本文

内閣支持率ニュースを見るたびに、いつから日本人は「総理大臣とは役割である」ことを忘れてしまったのだろう、と思う。

意外に思うかもしれないが、

日本というのは、個人性の強い文化なのだ。

西洋啓蒙主義的な意味での個人主義ではない)

 

とりあえず、Wikipediaの「爵位」という項目を読んでみてくれ。

日本爵位制度との違い

 

欧州爵位に共通しているのは「爵位」という名誉は何らかの貴族家系そのものに対して与えられているのではなく大本の爵位官職)が担当する行政区域(公爵領、侯爵領、伯爵領など)に対して与えられているもので、爵位の保持とは言い換えればこうした領域の保持の事という点である。つまり特定の地域が何らかの爵位担当する区域であるなら、その区域を実効支配する人物こそが爵位を名乗るに相応しい人物という形になる。

 

こうした点は家柄そのものに与えられる称号である日本爵位制度とは大きく異なるため、注意が必要である。例を挙げれば、ある一つの家が複数の爵位を保持している状況は日本においては制度的に考えられない。しかしヨーロッパの場合はその爵位担当する所領を保持していることが爵位の保持と同義であるから、ある家が7つも8つも爵位を保持していることは全く珍しくない。こうした複数の爵位を保持する家の場合、もっとも重要爵位以外を切り離して嫡男以外に分け与えることすらある。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D

「神のもとの平等」という建前のある西洋では、

「高貴さ」は王権神授説的な「神の代理人」として合理化されており、

「立場」に由来しているものとされている。

(あくまで建前上の話である)

 

一方、日本では、「現人神」がいたり、「生き仏」がいたり、カジュアルな「ネ申」だっているわけで、

神性を含む「高貴さ」は、「血統や個人の振る舞い」に由来している。

つまり、西洋に比べ個人性が強いのである。

 

だから、元増田がいうような

総理大臣とは役割である」という考えは、

日本ではそもそも馴染みがないのだ。

 

さて、ガンダムに「コスモ貴族主義」という言葉がある。

あるいは一般論で言えば「ノブレス・オブリージュ」でもよいが、

あのガンダムという物語根底に流れているのは、

「高貴なる個人が、そうでないものを導く」という価値観である。

それが「ニュータイプ」だったり「イノベイター」だったりするわけだ。

(追記注:西洋的にはノブレス・オブリージュは「高貴な立場にある人間が・・・」であり、個人性は建前上、消されている)

 

こういったものは建前上、西洋では受け入れられない。

西洋では、社会システムの中に人間の貴賎が組み込まれている。

つまり、

「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」

ということにしているのだ。

 

日本はそうではない。

確かに社会システム西洋のものを使っているが、

王権神授説的な

「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」

という考えは輸入しなかった。

なぜなら、天皇という現人神がいたからだ。

日本では、「高貴さは、その人個人に由来する」のが当たり前であり、正義なのだ。

 

今までの話を一般化すれば、

日本という物語は、個人を神格化することで受け継がれている」

ということになる。

 

だからこそ、「総理大臣とは役割である」という考えは、

日本では建前にもならないわけだ。

 
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