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2020-10-07

俺は非モテ男だけど、それほど悪くない人生だと思うよ

非モテに苦しむ増田https://anond.hatelabo.jp/20201006215439)を読んだので俺も書こうかな。


毎日散歩するんだよね。2時間くらい。病気が少し良くなってきて社会復帰した頃に始めて、もう10年近く歩いてる

歩いてると、世界がどうしようもなく美しくてね。

季節や時間によって雰囲気ががらっと変わる景色とか、差し込む夕日に照らされた木々とか、面と向かって話すと絶対馬の合わなさそうなオバちゃんおっさんが頑張って歩いてる姿とか、いいと思うんだよ。

大嫌いだった歩きたばこも、まあ散歩してるんなら家で吸ってるよりは健康的なのかねという気もしたりして。

何年も毎日決まった場所で見ていたシャム猫がふらっと見なくなって、今年の夏は超えられなかったか、と寂しくしていたら、数日前に少しズレたところでおっさんに撫でられてるのを見てほっとしたりとかさ。

折り返し地点にしてる湖のある大きな公園はいつ行っても子供達やカップルが楽しそうに遊んでいて、気取った格好でギター弾きながら歌ってる人がいる日はちょっと長居して耳を傾けてるし、ヤンキーっぽい子らがやってるスケボーを遠くから見るのも悪くない。

中間地点にある中くらいの公園でやたら多く集まって屯してる犬の飼い主達には少し眉をひそめちゃうけどね。


から、俺はどこに行って何をやっても「ズレた人間」なんだけどさ。容姿だけじゃなく行動もね。

タイトルでは「非モテ」なんて書いたけど、ホモソーシャルコミュニティにも溶け込めた試しなんてないよ。

そのくせ独りぼっちは嫌だったから、ウザがられても必死に周囲について行こうとして、上手くいかなくて自滅したりして。

親や実家がヤバかったり虚言癖があったりしたのもいけなかったんだろうな。学生時代黒歴史を量産してたよ。

女性との関係なんてもう笑っちゃうくらい接点ないから、今では自分性器が排尿とオナニー以外に用途があるなんて信じられないくらいだ。


昔はそういうのを嘆いて「俺は不幸なんだ」と絶望したものだけどね。

こう言っちゃ何だけど、体力がいるんだよね。絶望って。

親に依存して狭いコミュニティの中で毎日息苦しかった頃には何も考えず絶望出来てたけど、周囲が自分にそれほど目を向けなくなるとエネルギーが足りなくてね。

まあ、「あれ?俺普通じゃね?」とか勘違いして痛い目を見た後には多少補充されるんだけど。


でも20代の頃になんとなく気付いちゃったんだよね。「世界って本当はこんなにゆるかったんだなあ」って。

先に書いた散歩で見る世界もそうだし、こうしてネットで見る世界もそうだし。わざわざ近付いて行って交流したり自分比較する必要なんてなくて、美しいものは素直に美しいと思える外野でいいんだ、って。

そう考えたら、自分非モテだって事もどうでもよくなってね。

綺麗な女性を見たら「おお、美人!」とか「カッケー」とか「エロいなー」とか思っとけばそれでいいじゃん、と。

お付き合いしたりセックス出来ないからといってその人の価値が低くなるわけじゃないんだよな。こちらとしては視界に入るだけで眼福なんだからそう悪い話じゃない。

まあこんな事、口に出したらセクハラだし男からすら軽蔑されるから内心だけだけどね。


モテ云々に限らず、人生ってそんなもんじゃない?

自分に期待してあれが出来ないこれも出来ないと思うより、色々なものや人を遠くから見て、自分以外の何かに面白いとかスゲーとか感じてた方が幸せだと思うんだよ。

そういうものを無邪気に追っかけてる内に自分趣味生き甲斐が増えていたりするし。

よく「自己肯定感」って言うけどさ、あれは「自分に興味がなくてどうでもいいか能天気肯定出来る」って話なんじゃないかとすら思う。

まあこういう感覚も、昔の環境に放り込まれたら消えてしまう泡の様な何かなんだろうなとも思うけどさ。

2020-10-03

精子って捨てるのもったいないよね?

みんなティッシュに包んでトイレに流してるの?

俺は毎日ボトルに貯めてるよ。

満タンになったら近所の公園木々に水やり感覚で浴びせてあげてるよ。

から吸い上げて酸素となってみんなの体に入っていくんだ。

大地をめぐって川に流れ雲となり雨となってみんなに浴びてもらうのさ。

これがエコってやつなのさ。

2020-10-01

anond:20201001064244

ウイスキーを大さじ1弱いれたコップに、炭酸水たっぷり注いで薄くして飲むといい。

ほのか木々香りそよ風のようにお前の心を癒やしてくれるだろう。

2020-09-14

エロマンガ大好きおじさん、睾丸の手術から逃げ出す

9月12日(土)、俺は、全身麻酔下で行われる精索静脈瘤(グレード3)の手術を断ることにした。

精索静脈瘤のことは、男性不妊受診した人なら良く知っていると思う。

精巣の周りの血の流れが滞ることで、玉袋の排熱がうまく機能しなくなり、

精子運動力が弱ってしまうというものだ。ご存じの通り精子は熱に弱い。

精巣のエコーと触診の後、俺はこう告知された。

左:3.6mm。右:拡張が見られる。自覚症状は全くなかった。

完治を望める治療法は外科手術しかない。保険適用自己負担は4万円。

命に係わるリスクなんて全くない、腹腔鏡による低侵襲な手術で、

盲腸切るよりもはるかにイージーだ。ひと眠りする間に治っている。

それで、俺の精子が元気になるなら、しない選択肢は無いと、理性ではそう感じている。

  †

5chとTwitter全身麻酔体験談を読んでいて、本当に気が滅入ってしまった。

過呼吸パニック気味になり、みっともなく妻の前で何度も泣いた。

 「あっという間に落ちる」

 「10数えようとして最後まで数え切らずに落ちた」

 「一瞬で落ちて、次の瞬間ベッドの上に居る」

これを、苦痛の全くない素晴らしい治療と捉えるか、それとも……

俺は、これはとても怖いと感じた。

から無意識というのがどうにも苦手だ。

 手術を受けている間の、無意識下の自分はどこに行ってしまったのか?

 目覚めた後の自分は、本当に、目覚める前の自分と同一なのだろうか?

 突然プツンと意識が途切れるのは一時的遮断ではなく、死そのものでないか

 今ここにいる自分は死に、同じ意識バックアップした他人が目を覚ましているのでは?

考え出すと、脳味噌ショートしそうになる。

 カリフォルニア火事で喪われた木々の本数だとか、

 人間の贅沢の為に毎日費やされる莫大な原油消費量だとか、

 宇宙が出来る前の何も無い世界だとか、

そういった、途方もないもの想像した時と同種の、金玉が縮こまる感覚が、ある

(これは静脈瘤によるものではない)。

手術に対する恐怖心は、弟が大病をしたこともあり、子供の頃から人一倍あって、

手術になったらどうしようと夜一人でベッドで震えて眠れないこともあった。

幸いにして、大怪我一つもせずにこの歳まで生きてきた。

から、この問いに対する結論先延ばしにしていればよかった。

その先送りのツケを、今払わされている。

いまどき、ガン告知だって、もう少しあっけらかんとしているだろう。

いい歳して、そのくらい動揺してしまった。精神的に堪えられそうになかった。

精液検査の結果は悪いものではなかった。運動率は少々低かったが。

自然妊娠不可能なほどの数値ではなかった。

医者も今すぐ手術しろとは、勧めなかった。

放置したところで、ガン化したり、命に別状のある病気でもない。

男性不妊以外では、積極的治療されることは稀という事実存在する。

から、今すぐに手術を受ける必要はない。

言い訳だけはどんどん出てくる。

結局、手術は受けないことに決めた。

  †

手術が怖いと訴える若者存在自体は珍しくもないかもしれない。

俺の場合、まず第一にくるのは無意識への惧れだ。

幼い時から、気を失う、失神することへの恐怖が半端無く強い。

30年余りにわたり肥大し続けた認知の歪みは、ちょっとやそっとで打ち砕けるものじゃない。

そうはいうが、お前は毎日キッチリ5時間寝てるじゃないかといわれるかも知れない。

正直に答えよう。俺は、睡眠を取ることさえ、怖くなってしまうことが、よくある。

実際俺は、イヤホンでASMR音声を聞き続けていないと、不安のために寝落ちすることができない。

から入ってくる音声を頼りに、眠りにつく前の自分と、目覚めた後の自分自意識

ひとつながりになっていることを、毎日自分に言い聞かせ、それで漸く、おっかなびっくり

落ちていくことができるようになったのだ。全身麻酔ではそれができない。

手術室でもASMRを流してくれたら、それも可能かもしれない。

先日は、それすら堪えられなくなった。中間過程――睡眠によって4時間も5時間も、

途絶えてしまった自分意識の屍――を想像してしまい、そのことがとてつもなく、恐ろしく

感じられたのだ。それは、死の時間のものだ。横たわるベッドはさながら棺だ。

自分という存在消滅してしまう恐怖を抱えて、どうして、赤子のように、

無邪気な安心を枕に、眠ることができるだろうか?

最近は、睡眠中1時間おきにアラームを鳴らすことで、これに対処するようにしている。

1時間睡眠ならまだ「こちら」へ戻って来られるという感覚的なものが、自分の中にはある。

3秒ルール」みたいなものだと思ってくれれば、それでいい。

ウトウトたかと思ったタイミングで、アラームが鳴る。現在の時刻をチェックする。

よし1時間は眠れた、次の1時間行くぞ、そしてまた入眠する。

これを繰り返すことで、無意識回避しつつ、朝までの時間をやり過ごす。

論理ではないのだ。

結局自分が納得できるかどうかが、恐怖を乗り越えるのに一番大事だと思わされる。

俺は、無意識下の自分まで、わが制御下に置いておきたいのだ。

全身麻酔ではそれができない。

手術室でも1時間おきに覚醒させてもらえれば、それも可能かもしれない。

(思考実験をしてみたが、30分で完了する手術なら、躊躇なく受けていたと思う)

昏睡への恐怖を訴える患者に対して、麻酔科Webページではこう説明されている。

 今まで麻酔から目覚めなかった患者存在しない。必ず覚醒している。だから大丈夫だ。

真っ当な説明だ、こちとら原理まで散々調べたからそれは承知している。

そう、それでも、絶対安全な「作り物の死」であっても堪えられないのだ。

思い出したが、俺はジェットコースターも楽しめない人間だが、それと同根な気もする。

ビビリの俺は、カリブの海賊からモールステップで難易度を上げていかなければならない。

幸いにして精索静脈瘤には、自費負担にはなるが、日帰り局所麻酔による治療

存在する(ナガオメソッドは良さげだがとても高額で、貯金を溜めておかないと払えそうにないが)。

どうしても自然受精が困難であればこちらも選択肢に入れることにしよう。

こうして俺は、種無し騒動回避した。

  †

一方、全身麻酔の予期不安は、一生付き纏い続ける。

一生のうち一度も手術を受けない幸運人間は稀だろう。

これから20年30年生きていれば、体中にガタがどんどん見つかるはずだ。

大病の経験こそないものの、健康には全く自信は無い。

癌やポリープが、あちこちに出来るだろう。

ドッグを受ければ、脳動脈瘤が必ず1個や2個は見つかるだろう。

祖母心臓が弱かった。心臓カテーテルを挿入しないといけないかもしれない。

そのたびに、泣きわめいて何とか全身麻酔回避する方法を探し求めるのか。

きっと俺みたいな臆病者がガン告知で取り乱し、代替療法にハマった挙句

治るはずのステージをみすみす悪化させて、全身転移の末苦しんで死んだりするのだろう。

いや、それよりも何よりも、人生終焉に待ち構えている大関門――死――、

これに対する対処法をいまだに俺は見いだせてはいない。

死こそ、人知の及ばぬ、理性の制御できない最たる存在ではないか

死ぬのは怖い――――そう、死ぬことも誰よりも怖いのだ。

妻や、まだ見ぬ子と、どれだけ輝かしい日々を送ったとしても、それはいつか終わるのだ。

偽りの喜びでしかないのだ。

俺と、その家族暮らしていた記憶は、いつの日かこの世界から消え去ってしまうのだ。

それに何の意味がある?


そうして、俺は今日も泣きながら仕事をしている。

運よく在宅勤務で顔を見られることもない。

まさに今この時も、数秒後に脳卒中で誰にも気づかれず突然死してしまう妄念が頭から離れない。

大人になれば、こんなくだらない恐怖は薄れていくものと信じていた。それがどうか。成人して以降不安は強まるばかりだ。

 膵臓癌じゃないか

 心筋梗塞じゃないか

 脳腫瘍じゃないか

まだ若いから、と一笑に付してきた最悪の可能性が、日に日に、無視できないほど大きくなっていく。

幼少期から不安感が全く緩和されていないことに、絶望しか感じない。

死の数か月、数日、数時間前、俺は更に激しく動揺し、どれだけの絶望で染められているのだろうか。

どうしてこんなにみっともない人間になってしまったのだろう。

どうして自分のことしか考えられない人間になってしまったのだろう。

誰よりも出産希望していた妻に対して、本当に申し訳が立たない。

それとも、こんなにも死に怯え、生まれてこなければとさえ思っている男が、新たな命の親になろうだなんて、烏滸がましいということなのだろうか?

2020-09-09

朽ちていく 5

anond:20200829175900

私は閉め切られたビジネスホテル廊下にある非常扉を、こっそりと開けてみた。扉を開け放つと、目が痛いくらいの光とともにホテルの中の冷涼で清潔な空気とは違った、埃っぽいけど暖かい空気が私の身体をいっぱいにした。八階の非常階段の柵越しに街を展望すると、几帳面建築されたビルの群と端正に植えられた街路樹、そして、人々の営みが、穏やかな陽に照らされていた。

ミニチュアみたいに縮小されたビルオフィスを窓越しに観察することもできた。スーツを着た男が、パソコンの置かれたデスクの前に二人居た。なにか話し合っているようだった。じっと見ていたら、そのうちの一人の男が、まるで私に気づいたかのように、おもむろにブラインドを下げた。なんだか、見てはいけない気がして、人ではないものを見ることにした。

比較的近いビル屋上に、植木鉢が無数にあるのを見出した。大きさが全て違っていて、植えられている植物バラバラであった。けれど、陽のよくあたるところにみんな行儀よく密集して、ある種の一体感を醸していた。私はなんだか懐かしいような羨ましいような気持ちになった。

動く人々に目を移した。私が先ほどまで散歩していた道が、本に印字された文字の余白のように小さくなっていた。さっきまで私はあの道の先の、公園まで散策してみていた。日陰を探し求めて歩いて、木々が織りなす濃い影の中にあるベンチを見つけてそこに腰掛けていたのだった。私と数メートル離れたところに座るサラリーマンの間のベンチの上を、登ったり降りたりして遊んでいるカラスがいた。カラスは、豊かに蓄えた玉虫色に光る黒い羽を太陽の光で透かせていて、私の心を惹きつけた。じっと見ていたら、カラスが私を警戒したのか、私の視線から逃れるように、木の陰へと隠れて行った。カラスを追うのをやめると、アゲハ蝶が飛んで行った。

旅鴉。

この街にはアゲハ蝶が多いらしかった。これは、この間喫茶店で隣の客たちがアゲハ蝶の話をしていて分かったのだった。蜜柑の木を植えたら、アゲハ蝶の幼虫の害にあって大変という話をしていたのだ。確かにこの街では、街中であってもアゲハ蝶を何回も見かけた。そんなことを、ふと思い出していた。

カラスはいつの間にか何処かへ飛んで行ったようであった。ベンチに座って昼食を食べていた人々も居なくなっていた。

そして私は今、ビジネスホテル非常階段から、外を眺めやっているのであった。

2020-09-02

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2020-08-18

anond:20191108004651

まさか1年近く前のがホットエントリーに入るとは思わなかったので、嬉しくなってブクマかに反応します。

BEASTARSとか弱虫ペダルとかは?

さすがにアニメ化したような作品はお前らでも知ってるかなということで言及から外してました。

マウンテンバイク結構楽しく読んでたんだけど、メインのファンからは不評なの?

BEASTARSはなんか凄いね宇宙クジラみたいなのがでてきたときはびっくりしたけど。

俺にとってマーニーとは思い出ではなく、名探偵だった。

そのあとやってた兄妹もおもしろかったんだけどね。

ふらんよりマーニーとかヘレンとかの綺麗な木々路線の方が好き。

空灰も入間くんも吸血鬼すぐ死ぬチャンピオンだ チャンピオンを読め

新横は魔境

こうなると佐藤タカヒロ先生(「バチバチシリーズ作者)の急逝が痛かったな(「ドカベン」完結とほぼ同時期)。アレでチャンピオンからは遠ざかったし。

亡くなる作者が多いよね。この雑誌

佐藤タカヒロ先生クライマックス中のクライマックスで亡くなるし、佐渡川準先生もなあ。

偶然なんだろうけど若い作家が連載中に亡くなることが続いたのはショックだった。

じゃあ半分の女性読者を切り捨てたジャンプはどう例えたらいいんだよ 少年ビッグコミックか?

女性読者を完全にスルーという観点だとゴラクとかだろうか。

ゴラクって単行本100巻超え相当のマンガばっかなんだよね連載が。

ビッコミは・・・BLUE GIANTとかまだ普通マンガあるし・・・

実質ミリオンライブの「チキン」もある。”緒方智恵力はシンデレラだろ!(せやろか

麻倉百千代が登場するたびあたまがおかしくなりそうになる。

2020-08-06

化石燃料があり、鉄筋コンクリートがある今、

燃料としても築材としても需要がない日本の山の木々

有史以来最も繁茂してるんじゃないだろうか。

と思ったけど、

山切り開いて住宅地作ったりメガソーラー作ったりしとるな。

2020-07-30

剣も魔法も使えない俺が大作RPG勇者パーティーに入る話

 荷物が重たかった。せめて荷物持ちだけでもと頼み込んだ手前、音を上げるわけにはいかなかった。しかし、重い。起伏のある山や視界の悪い森などでなく、平坦で見通しのよい広野を歩いているのが救いだ。

 前を進む勇者さんがこちらを見てくれた。気を遣ってくれているんだろう。大丈夫です、と元気よく返事するつもりが、声が出なかった。荷物が重い。目的地の説明は受けている。けれど、この世界地理がわからないことに加え、僕に合わせて歩くスピードを落としているため予定通りの道程はいっていないだろう。そんなことを考えるとますます情けなくなってくる。

 スマートフォンで遊びたい。クーラー温度を18度にしてダラけたい。シャワー浴びたい。そんな、ほんの少し前の当たり前を思い出して荷物の重さを忘れようとする。けれど、五分ともたず、荷物の重さで足を進めるのが辛くなってくる。あのすこし先にある、背の高い植物のところまで歩いたら水を飲もう。水を飲んだら、また、歩こう。また、クーラーのことを思い出そう。

 そうして歩き続けた。繰り返しの最中、幾度も勇者さんがこちらを心配そうに見てくれた。僕も三回に一回ぐらいは声を返すことができた、大丈夫ですと。日を遮るような影が無いので、腰を下ろしての休憩はお預けだったのが辛かった。

 ようやく木々が生茂る森の入り口までたどり着いた。視界が悪くなるのは怖かったが、木陰で休みたかった。そう、ホッとした僕の気持ちを察したかのように、その森の入り口から黒いコウモリのような生き物が飛んでき、僕らの目の前でホバリングを始めた。僕が知っているコウモリにしては目が大きく羽が小さい。もしかするとキャラクター商品になっていたら可愛いと思うのかもしれないけれど、大きな口が怖かった。あのとき、腕を噛まれたことを思い出す。怖い。勇者さんの後ろに隠れるように身を縮める。怖さを紛らわすために、彼のマントを掴んでしまっている。失礼だし、動けなくて迷惑なのはわかっているが、怖かった。

 勇者さんが僕を見て、マントを離すよう手振りをする。ごめんなさい、と謝りながら、それでも恐怖で身がすくんで中々離せなかった。そうウジウジしていると、黒いコウモリが威嚇するかのように、刃のように鋭い牙を鳴らす。僕はますます怖くなり目の端が湿ってきた。勇者さんが僕の頭を小突いた。僕は彼のマントを掴む左手を、右手必死剥がした。

 勇者さんは腰に据えた剣を抜き、そのコウモリを一目。そこから先は、怖くて目をつぶっていたが、目をあけていてもわからなかっただろう、あっという間に退治してしまった。

 それから、僕が落ち着くのをまって森を進んだ。けれど、そこから今夜の寝床を見つけ、実際に日が落ちるまでの間、都合6回も先ほどのコウモリや、水色の先がとんがったおまんじゅうのような生き物と出会った。そのたびに、僕は同じように怖がり、同じように勇者さんが退治した。

 日が落ちる前に、いい寝床を見つけられた。川の近くで水がある。汗を流せるのが嬉しい。今までのような生き物に襲われることを考えると、気が気ではない。けれど、勇者さんが透明な瓶に入った水をあたりに撒くのを見て、ホッとした。あの水は聖水といって、人以外の生き物を寄せつけなくする効果があるらしい。実際、今までこの聖水を撒いてからかに襲われたことはない。なら日中も撒いて欲しいのだが、勇者という立場上そうもいかないらしい。

 勇者さんは聖水を撒いたあとも、テントを貼ったり、火を焚いたりと色々と作業をされていた。僕も何か手伝えることはないかと尋ねると、彼は優しく夕餉ができるまで横になっているといいと返してくれた。申し訳なく、そうもいきませんよと水汲みを申し出た。しかし、聖水を撒いた外であることに気づき、僕は涙目になりながら川と寝床自分と彼の水筒と、体を拭いたりするためのバケツの三往復ほどした。明日の朝にもこれをしないといけないことを思うと、もっと近くに寝床を作ってもらうか、川までの道のりも聖水を撒いてもらえばよかった。

 水を慎重に使いながら体をふく。勇者さんと会う直前にコウモリに噛まれた左腕の傷の治りをみる。勇者さんの使う医療は薬や漢方ではない僕の知らない技術なので不安だったが、膿んだりしている様子はなく数日中には綺麗になるだろう。

 日が落ちて、夜になった。

 僕は怖くなかった。勇者さんが目の前に居てくれるからだ。もちろん、日中も目の前に居るのだけど、彼の後ろ姿を見ているのと、彼と目を合わせているのとでは、安心感が違った。焚き火に木をくべる勇者さんを見ていると、不安気持ちがなくなっていく。僕は、この時間が好きだった。

 彼もこの時間特別ものにおもってくれているのか、日中と違い雄弁になる。勇者としての今までの話、勇者として任命されるまでの少年時代の話。僕はあの重い荷物をもって歩いたことも、奇妙な生き物に怯えて涙していたことも忘れて、話に相槌をうち、会話と食事を楽しんだ。食事の内容は質素ものであったけど、美味しかった。僕は、感謝気持ちを伝えた。突然現れた何もできない自分を旅の共にしてくれていること、いつも守ってもらってばかりなこと、何もできないことの謝罪勇者さんは余計な世辞を入れることなく聞いてくれた。その優しさも嬉しかった。

 お喋りが終わったあと、テントはいり、横になる。広いテントではないので、じっとしても彼の体に触れてしまう。汗を流したといえ、いわゆるボディソープシャンプーをしたわけでもないので、彼の体臭がする。きっと、僕の匂いにも気付いているだろう。こうやって二人で寝るのは初めてではないが、その申し訳なさにまたすこし惨めな気持ちになってしまった。それを振り払うように、僕は彼にできることが何かないか考えた。

 彼だって疲れているだろうから、せめて足を揉んであげるのはどうだろうか。そう提案した。彼はあまりそういったマッサージを知らないらしかったが、物は試しにと許諾してくれた。彼の足元に移動する。そのときも、狭いテントの中なので、体が触れ合ってしまう。彼の足を触るのだから、その程度なんでもないのだけれど。足の裏や、太ももを揉むと彼は少し息をもらしながら、くすぐったそうにしていた。僕もマッサージ経験があるわけじゃないので、上手にできているとも思えなかった。けれど、彼の足を引っ張り続けていることを思うと、この程度のことでもいいから彼に何かをしたかった。

 足だけじゃなく肩もしてくれないか、と勇者さんは言った。僕はお願いされるなんてことがとても嬉しくて、もちろんですと答えて肩も揉んだ。彼がうつ伏せで横になり、そこに上からのって肩を揉む。さっきまで、少し腕や足が触れただけで申し訳ない気持ちになっていたのに、いつのまにか体が触れ合うことが当たり前になっていた。力を込めるために彼の腰を挟むようにおいている足に力を入れて、肩や背中をもむ。

 少し汗ばんできてしまった。せっかく汗を流したのにと少し後悔した。きっと彼もこうやって汗をかくほどにマッサージをされたら不快だろう。なので、勇者さんそろそろ終わりにしましょうかと声をかけた。

 ところが、彼は無言で仰向けになった。腰を足ではさんで乗っている僕の臀部に当たるものがある。僕にも付いているから、それが何を意味しているのかはわかる。けれど、彼が何を欲しているのかはわからなかった。僕なんかがと思ったからだ。汗臭い。男の臭いだ。下履きの中で苦しそうに隆起するそれがかわいそうに思え、腰を少し浮かしてもらい、外へ。暑い勇者さんの荒くなった呼吸と、僕の呼吸、それと二人のそれが放つ熱がテントの中をめぐる。そう、気づくと僕も硬くなっていた。汗が張り付く服がもどかしく、上も下も脱ぎ捨てた。彼も上を脱ぎ、僕が脱がした下のそれと重ねた。ああ、僕は今彼に求められているのだ。僕も彼を求めているのだ。そう思うだけで、もう胸がいっぱいだった。どうしたいんだろうと考える余裕もなく、彼の体に触れていて。どこに触れていないかからないぐらいたくさん触れた。手だけじゃなく、足で、腹で、胸で、首で、顔で、触れた。奇妙なことに体の前で触れているのに、背中でも触れているような気がする。そのぐらい、僕は一生懸命に彼の体を弄っていた。彼もだ。僕の右腕を噛むように顔を押し付けてくる。痛かった。嬉しかった。二人を比べるように合わせると、彼のより遥かに小さいそれが情けなかった。けれど、情けないと思う以上に、僕は嬉しかった。そんな情けなさを飲み込むような大海が二人の中にうねっていたからだ。僕は自分の情けなさをすこし、許せたような気がした。

 それから勇者さんは果てた後すぐ寝入ってしまった。

 テントの外に出て、組んであったバケツの水で体を拭こうと思った。けれど、もうバケツは空だった。夕餉の前に体をふいたり、その後お喋りをしながら飲んで空になったことをすっかり忘れていた。

 僕は、水を汲みに行こうと思い、バケツをもって川へ向かった。聖水を撒いていない道は怖く、また僕は目の端を湿らせた。ビクビクと怯えながら急いで水を汲みテントの前に戻った。

 起こして付いてきてもらえばよかった。そう後悔しながら、体を拭く。右腕が痛かった、アザになっていた。夜明けまであとどれぐらいあるのだろう。昼まで寝ていたいが、もちろんそうもいかない。

 僕と勇者さんは明日も「広野を行く」のだから

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増田でこれを書いたら、文章に起こすといいとアドバイスをもらったので書いてみました。

ワイが最近寝る前にしとる妄想が変な方向になって困っとる

https://anond.hatelabo.jp/20200726021218

2020-07-04

モデルハウス奇譚

最近はずいぶん蒸し暑いですね。

私は梅雨のない地域で生まれ育ったので、この季節特有空気感に慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。夏の間はいつも冷たい素麺饂飩ばかり食べているのでどんどん痩せていきます。軽くなった体で往来を歩いていると、蜃気楼の中に自分が溶け込んでいくようです。

目的地まではまだ距離があります。あまり暑いので、途中で見つけたスーパーで冷たいお茶を買いました。あとは、お土産西瓜も一玉買いました。

お茶を飲んだせいか、片手にぶら下げた西瓜が重いせいか、一歩足を進めるごとに全身から汗が噴き出てきます。もう夕暮れ時だというのに、気温はまだ高いままのようでした。

ふいに私の後ろからなまぬるい風が吹いて、石けんと汗が混じった自分匂いしました。私は夕焼けを背にして歩いていたので、目の前には自分の影が長く伸びていました。私はもうこれ以上歩けない気持ちになって、シャッターが閉まった八百屋さんの前にあるベンチに座り込みました。

しばらくじっとしていると、もう何年も前のことになりますが、初めて一人暮らしをした年の夏の出来事が頭の中に蘇ってきました。

****

私が初めて一人暮らしをしたのはとても大きな街でした。

人々の歩く速度や、次の電車が来るまでのスピードは信じられないほど早く、私はよくそれらに圧倒されて駅のホームにあるベンチにただ座り込み地下鉄を何本もやり過ごしたものです。そういうとき、街全体がそこで暮らしている人々をも取り込んだ一つの巨大なシステムであるかのように感じられました。そうかと思えば、人気のない道端は吐しゃ物やごみで汚れていたり、ぼろぼろの格好をした人々が呻きながら寝転がっていたりしていたし、私が駅のホームぼんやりしていても変に思われませんでした。同じようにぼんやりしている人をあちこちで見かけました。そういった意味では暮らしやすい街だったなと思います

この街に来たばかりの頃はとにかくお金がなかったので、いつも働き口を探していました。私は学がなく、またひどい吃音緘黙症をもっていたために仕事探しは難航するかと思われましたが、幸運なことにこの大きな街においては仕事にあぶれることはありませんでした。

私はその年の夏、街の端の方に位置する治安の悪いXという地域にある建設会社で働いていました。

上司の指示を受けて色々な住宅展示場に出かけていって、モデルハウスの前のパラソルの下でお客さんが来るのを待ちます。お客さんが来たらパンフレットを渡して、モデルハウスについての簡単説明質問応対をスケッチブックパソコンを使って行います。お客さんが来ても来なくてもお給料は変わりません。そんな仕事でした。当時はほとんど話すことができなかったので、なぜ採用されたのかはよくわからないのですが。

お客さんはあまり来なかったので、週末に図書館で上限まで本を借りて、それらを読んで時間をつぶしました。仕事が終わる時間は十八時頃まででしたが、土地勘がないのと、ときどきバスしか行けないような場所の展示場に行くことがあったために(それまでバスに乗ったことがなかったので)帰り道を間違えてしまい、ようやく家に辿りつく頃にはもうとっぷりと日が暮れているというのが常でした。

お客さんが来ない日は、モデルハウスの中に立ち入ることは禁じられていました。一日に二回、私が勝手なことをしていないか上司が見張りにきました。とはいえそれはいつも同じ時刻だったので、その時間だけ本をかばんに隠してパラソルの下で神妙にしていればよく、それ以外の時間のんびりと過ごしていました。

夏至を過ぎると一気に気温が高くなって、私はそれまで体験したことのない暑さに驚きました。外の気温が体温を超えたときなどは、時間を見計らってこっそりとモデルハウス玄関で涼んだものです。窓と玄関のドアを細く開けると気持ちのよい風が通りました。髪をほどくと、風に吹かれて私の汗と石けんが混じった匂いしました。

その日の最高気温は三十八度で、朝から晩までかんかん照りという有様でした。

お客さんは一組も来なかったのですが、あまりに暑くて読書に集中することができませんでした。仕事時間が終わって戸締りをしようとしたとき、雲のない空からまっすぐに差す夕日が、太陽を背にして玄関に立つ私の影を家の中まで長く伸ばしました。

それを見た瞬間、真新しい家の二階の窓から夕焼けを見てみたいという強い気持ちが私を襲いました。それまで、お客さんが来ないときに家の二階まで入り込んだことはなかったのに。

ここで働くようになって初めて、新築の家の匂いを知りました。それは、少し化学的な匂いと、新品の布や畳の匂いとが混ざった匂いです。

階段を静かに上りながら、この家に自分が住んでいる空想しました。ベランダが付いている部屋を見つけて、ここを私の部屋にしようと思いました。その部屋の窓は南西に向いていて、西日が差し込んでいました。この場所には学習机を置いて、ベッドの向きはどうしようか?壁の一面には大きな本棚を置きたいけど、背表紙日焼けをしないように扉が付いたものでなくてはいけないかもしれない。友達が遊びに来たときのために小さいテーブル必要かもしれないな。そんなことをつらつら考えているとなんだか少し悲しくなってきて、その気持ちを振り切るように窓を開けてベランダに出ました。

辺りはすっかりオレンジ色に染まっていて、建物木々や道を歩く人々の輪郭曖昧にしていました。

それらを見つめながらかすかな風の中に佇んでいると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、これからまた何だってできるような気がしてきました。何しろ私はこんなに大きな遠くの街にいるのだから

部屋を後にしようとしたときクローゼットの扉が少しだけ開いているのがふと気にかかりました。窓を開けたせいで風にあおられて開いてしまたかもしれません。二階に上がったことを上司に知られてはいけないので、扉を閉めるために私はそこに近づきました。

扉の隙間からは妙な匂いしました。新築の家には似つかわしくない匂いです。手垢で小口が汚れた古い辞典をめくったときや、寂れた地下鉄の駅のホーム列車が来たときにこんな匂いかいだような気がしました。大工さんが中に何か忘れていったのかもしれないなと思って、私はクローゼットの扉を両手で開きました。

****

初めに「それ」を見たとき、私は大きな置物や等身大人形の類かと思いました。しかし「それ」は紛れもなく本物であるようでした。

「それ」を目にするのは初めてではありませんでしたが、こんなに乾いていてさびしげな「それ」を見たことはありませんでした。ほとんどミイラのようになっていたので、いわゆる腐乱臭のようなものは感じられませんでした。ひどく痩せていて、夕日が肉の落ちた腕やあばら骨の浮いた胸に濃く影をつくっていました。眼窩は落ちくぼんで暗くなっていましたが、色々な方向からのぞき込むと、小さな白い虫が奥の方でひっそりと蠢いているのが見えました。

夕暮れどきの時が止まったような不思議雰囲気のためか、私の心は奇妙なほど落ち着いていました。あるいは、日中の暑さで頭がうまく働かなかったのかもしれません。

ここでの私の仕事は、パラソルの下でお客さんを待ち、お客さんが来たら簡単説明質問応対を行い、時間が来たら戸締りをすることです。もし家の中に「それ」があったときには上司に報告したり警察通報したりするように、などという指示は受けていません。私はクローゼットの扉を静かにぴったりと閉めました。

部屋を出て階段の方に向かったとき、奥の部屋から何かの気配と殺気のようなものをふと感じました。私は子供の頃に大きな野良犬対峙したときのことを思い出しました。その犬からはまっすぐな殺意が感じられましたが、奥の部屋から漂う殺意には迷いがあるようでした。そこにいる何かが心を決める前に、私は階段下り玄関のドアを開けて戸締りをして、人通りの多い道を選んで駅まで歩きました。

****

ふと気が付くともう太陽が沈むところでした。私の目の前には誰かが立っていましたが、暗くて顔がよく見えませんでした。大丈夫ですかと尋ねられて初めて、私はその人が恋人であるとわかりました。

約束した時間を過ぎても私が家に来ないので迎えに来てくれたようでした。夏でもいつも平気そうにしているはずの恋人の額には汗が浮かんで、髪が少し乱れていました。

ぎゅっと心臓をつかまれたような気持ちになって、迷惑をかけてしまたことを謝りました。彼は私の頭のところにそっと手をやって、あまりにそこが熱くなっていたらしくびっくりしていました。こんなに暑いなのだから自分がそちらの家を訪ねればよかった、すみません恋人は言いました。そうやってベンチにすわってお互いに何度も謝り合っているうちに少し涼しくなってきたので、家に向かうことにしました。

手を繋ぐと、恋人の腕の内側の皮膚が私の腕に触れました。少し汗ばんだあたたかいその皮膚は、その下に肉や血の通った血管があることを教えてくれて、私はそれで少し安心することができたのでした。

今日晩御飯は一緒にピリ辛茄子素麺を作る約束をしています西瓜はすっかりぬるくなってしまったけど、水とたくさんの氷を浮かべたお風呂に沈めておけば、夕食の支度をして食べ終わった頃にはちょうど冷えているかもしれない。そんなことを話しながら、蒸し暑い夏の夜道を二人で歩きました。

2020-06-29

とても大きなごん狐

 これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。

 むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに人類を守るためのお城があって、中山さまという将軍さまが、おられたそうです。

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、一人ぼっちゴジラよりも大きな狐で、しだの一ぱいしげったアマゾンのような原生林の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って東京ドーム十個分の芋をほりちらしたり、菜種油の貯めてあるタンクへ火をつけて村を焼き払ったり、百姓家の裏手に建っている発電用風車の羽をむしりとっていったり、いろんなことをしました。

 或秋のことでした。二、三年雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、ごんが穴からたことを知らせる警戒警報が地の果てまできんきん、ひびいていました。

 ごんは、村を流れる黄河十倍ぐらいある川の堤まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少いのですが、三年もの雨で、水が、どっとまし、辺りの村々は全て水没していました。ただのときは水につかることのない、川べりの大きな鉄塔や、世界一長い橋が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、すっかり水没した高速道路を歩いていきました。

 ふと見ると、川の中にシュワルツネッガーを百倍屈強にしたような人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと原生林の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

「兵十だな」と、ごんは思いました。兵十はその名の通りグリーンベレーの選りすぐりの兵隊十人を瞬殺したという人類最強の男で、盛り上がった筋肉によってぼろぼろにはち切れた黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、総延長五十キロに及ぶ定置網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、お盆が一まい、大きな黒子みたいにへばりついていました。

 しばらくすると、兵十は、定置網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、車や家や橋の残骸などが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものきらきら光っています。それは、鯨ぐらい太いうなぎの腹や、ジンベエザメぐらい大きなきすの腹でした。兵十は、体育館ぐらいの大きさのびくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。

 兵十はそれから、びくをもって川から上りびくを山の峰においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと原生林の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、定置網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、大谷翔平投手のような豪速球でびゅんびゅんなげこみました。どの魚も、「ドゴォォォン!」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみ、大きな水柱を立てました。

 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュオオオオオオンと超音波のような叫び声を上げてごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから

「うわア石川五右衛門アルセーヌ・ルパン怪盗セイント・テールを足して三で割らない大泥棒狐め」と、地球の裏側でも聞こえるような大声でどなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままごんを縊り殺さんと巨大重機のような力で締めあげてはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、超音速旅客機コンコルド並みの速度でにげていきました。

 ほら穴の近くの、ごんの挙動監視するためのセンサーの下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 ごんは、ほっとして、象ぐらいの大きさのうなぎの頭をかみくだき、なおも圧搾機のような力で締めあげてくる胴体を渾身の力でやっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

 十日ほどたって、ごんが、大日本プロレス代表する悪役レスターである地獄カントリーエレベーター”弥助の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木で懸垂をしながら、弥助が、おはぐろをつけていました。総合格闘技界の若きカリスマ、”溶接王”新兵衛の家のうらを通ると、新兵衛がダンベルを上げながら髪をセットしていました。ごんは、

「ふふん、格闘技村に何かあるんだな」と、思いました。

「何だろう、異種格闘技戦かな。異種格闘技戦なら、プレスリリースがありそうなものだ。それに第一、告知ののぼりが立つはずだが」

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間にか、表に手掘りで地下30キロまで掘り抜いた赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その大きな、兵十が歩くたびに立てる地響きによってこわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのコック服を着て、腰に手拭をさげたりした三ツ星シェフたちが、厨房で下ごしらえをしています。大きな鍋の中では、本日メインディッシュである比内地鶏胸肉の香草和え~キャビアを添えて~”がぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

「兵十の家のだれが死んだんだろう」

 お午がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、坐像としては日本一の高さの大仏さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、ごんから人類を守るためのお城の大砲が光っています墓地には、ラフレシアより大きなひがん花が、赤い布のようにさきつづいていました。と、延暦寺東大寺金剛峯寺増上寺永平寺など日本中の名だたる寺から一斉に、ゴーン、ゴーン、と、鐘が鳴って来ました。葬式の出る合図です。

 やがて、世界各国から集った黒い喪服を着た葬列のものたち七十万人がやって来るのがちらちら見えはじめました。話声も近くなりました。葬列は墓地はいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、跡形もないほど木っ端微塵にふみおられていました。

 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、3m程の位牌をささげています。いつもは、赤い閻魔大王みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。

「ははん、死んだのは兵十のおっ母だ」

 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。

レスリング女子世界チャンピオンだった兵十のおっ母は、床についていて、巨大うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十が定置網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母に世界三大珍味を始め、ありとあらゆる有名店の美味しいものは食べさせても、巨大うなぎだけは食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、巨大うなぎが食べたい、ゴテゴテに脂が乗って胃もたれがする巨大うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

 兵十が、世界一深い井戸のところで、指懸垂をしていました。

 兵十は今まで、おっ母と二人きりで、ストイックなくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

 こちらの道場の後から見ていたごんは、そう思いました。

 ごんは道場そばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。

いわしやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、裏戸口から

いわしを五千匹おくれ。」と言いました。いわしの仲買人は、いわしつんトラック三百台を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを満載にした発泡スチロール容器を三百人がかりで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、車列の中から、五、六台のトラックをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の屋敷の裏口から屋敷の中へトラックを投げこんで、穴へ向ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、落ちたら骨まで砕け散る井戸のところで小指一本で懸垂をしているのが小さく見えました。

 ごんは、うなぎつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 つぎの日には、ごんは栗がなった木々を山ごと削りとって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、鶏のささみ肉十キロの午飯をたべかけて、茶椀をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬ぺたに、かすり傷がついていますボクシング世界ヘビー級王者と戦った時も傷一つつかなかった兵十の顔にです。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。

「一たいだれが、いわしトラックなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし仲買人のやつに、ひどい目にあわされかけた。まさかトラック三百台が一斉に突っ込んでくるとはな。受け止めるのはなかなか骨だったぞ」と、ぶつぶつ言っています

 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし仲買人にトラック三百台で突っ込まれて、あんな傷までつけられたのか。

 ごんはこうおもいながら、そっと兵十の三十年連続総合格闘技世界王者防衛を記念して建てられた東洋一の大きさを持つ道場の方へまわってその入口に、山をおいてかえりました。

 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、山を丸ごと削り取っては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗の山ばかりでなく、まつたけの生えた松の山も二、三個もっていきました。

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を間断なく降り注ぐ砲弾を手で払いのけながら通ってすこしいくと、非常時には戦闘機が離着陸するために滑走路並みに広くなっている道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えますチンチロリンチンチロリンと緊急警報が鳴っています

 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助というムエタイ世界王者でした。

「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。

「ああん?」

「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」

「何が?」

「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに大量の土砂を、まいにちまいにちくれるんだよ」

「ふうん、だれが?」

「それがはっきりとはわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」

 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。

「ほんとかい?」

「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。俺の屋敷を埋め尽くす土砂の山を見せてやるよ」

「へえ、へんなこともあるもんだなア」

 それなり、二人はだまって歩いていきました。

 加助がひょいと、後を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気づいていましたが、そのままさっさとあるきました。吉兵衛という館長の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンサンドバッグを叩く音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、兵十よりさらに大きな坊主頭うつって動いていました。ごんは、

連合稽古があるんだな」と思いながら井戸そばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三万人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。千人組手の声がきこえて来ました。

 ごんは、吉兵衛館長主催の一週間で参加者の九割が病院送りになるという連合稽古がすむまで、井戸そばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。中山将軍が最終防衛ライン死守のために投入した戦車部隊ふみふみいきました。

 お城の前まで来たとき、振りかかる火の粉を払いながら加助が言い出しました。

「さっきの話は、きっと、そりゃあ、怪獣のしわざだぞ」

「まあそうだろうな」と、兵十は飛んできた流れ弾をかわしながら、うんざりした顔で、加助の顔を見ました。

「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、怪獣だ、怪獣が、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」

「そうかなあ」

「そうだとも。だから、まいにち怪獣お礼参りをするがいいよ」

「無茶を言うな」

 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、怪獣にお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

 そのあくる日もごんは、栗山をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は道場で縄登りのトレーニングを行っていました。それでごんは屋敷の裏口から、こっそり中へはいりました。

 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が屋敷の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。

「ようし。」

 兵十は立ちあがって、中山の城に設置してある、対ごん戦に特化して開発された砲身長30mの520mm榴弾砲をとってきて、火薬をつめました。

 そして足音をしのばせてちかよって、今門を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、びくともしませんでした。兵十は五百発ほど打ち込みました。ごんはかすり傷一つ負っていません。兵十は榴弾砲を剣のように構えると、ごんの足に五千連撃を叩き込みました。ようやくごんは足をくじいてばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、家の大部分が栗山で押しつぶされているのが目につきました。

「おやおや」と兵十は、うんざりした顔でごんに目を落しました。

「ごん、やはりお前だったのか。いつも栗山をくれたのは」

 ごんは、お礼を言われることを期待したきらきらした目で、うなずきました。

 兵十は榴弾砲を地面に叩きつけました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。

2020-06-20

万有淫力の法則

きみの目の前の机が、なぜ直線で構成されているかわかるか?

目の前のモニタ、辺りを囲う壁、外界を隔てる窓枠が。

生産効率性?製品規格の均一化? 違う、それは結果だ。

恐ろしかったのだ

人間は恐ろしかったのだ。ジャングルの中でどこまでも続く木々うねり、水溜りの淵、豪雨をもたらす雲の不定形。流れを変える川の濁流、無限に広がるような海の波。曲線に支配されたカオス世界が。

そしてまた、人間自身が恐ろしかったのだ。身体の曲線、それに誘われ導かれ、半ば半強制的繁殖を行ってしま自分たち自身本能、野生。曲線に支配されてしま動物としての宿命が、ただただ恐ろしかったのだ。

そうしてそれを克服するために、何千年にも渡って身の回り環境、すなわち住居、装飾品、道具に直線を持ち込み、磨き上げたのだ。野生的な曲線から理性的な直線への脱却を目指して懸命に。成長と死を意味する山なりの曲線から脱出永遠の成長を意味する直線への渇望。それがきみの目の前にある直線の理由なのだ

まり自然界のあらゆる曲線はえろす。

2020-06-01

年収1200万の在外邦人リアル

anond:20200530164357 に便乗しようと書いていたら時間が経ちすぎて完全に出遅れた……。

34歳男研究職、既婚子なし(妻専業)、海外田舎在住6年、年収1200万、貯金1500万。

田舎レベルは、車は基本1人1台、野良鶏がそこらにいる、牛の声が聞こえる、程度。

2019年家計簿を参照しつつ書いてみます

収入

額面月70万、うち税金15万。

これとは別に家賃の全額補助(15万)とボーナスがあります

固定費

光熱費ネットクレカアマプラ手数料、サブスクなどで月に10万弱。

家について

3LDK、約150平米、築50年越え。庭が家の5倍くらいあります

庭は広いが木々剪定等が必要で毎週末木こりの真似事をする必要があり、夫婦ともに虫刺されがひどい。

赴任して1年は違う家に住んでいたのですが、近くで銃撃事件があり引っ越しました

今の家は治安が良いエリアで、家は古いですがまあ満足しています

同僚は、妻帯者や子持ちは庭付き一戸建て単身者マンション住まいが多いです。

会社までは車で5分ほど、仕事終了時間は18時~20時と幅があります

食費、外食

食費(酒代含む)6万、外食費6万ほど。

平日は全て妻の料理で、土日は気分転換のため外食車社会なので酒なし。

外食でも自炊でも日本の1.5~2倍くらい、総じて物価は高め。

出張が多いのですが、1人のとき日本だとラーメン屋吉野家コンビニ等。学生時代とあまり変わりません。

中国出張したとき英語の通じない露店みたいなところで毎朝肉まんみたいなの買ってました。80円くらいだったかな?

ビール党なので酒代はあまりからず、むしろ海外に来てビールが安く歓喜地ビール12本入りで1600円ほど。

焼酎日本酒は、遊びに来てくれた友達家族からお土産をありがたく頂いています

田舎のため高級レストラン自体が少なく、年に1、2回くらいしか利用しません。

そういうときシャンパンワインを飲みますが、量は飲まないので2人で3万くらいで済みます

都心のほうに住めばもっとかかりそうですが、田舎なのでこのぐらいです。

被服費(服、美容代、理髪代、化粧品代等)

月に1万ほど。

基本ユニクロ

7枚持っていて、順ぐりに着て、ボロくなったら捨てて出張とき空港とかで買い足します。

ボトムや下着類は帰省したときイオンとかで買いますスーツ不要職種なので楽です。

髪の毛は現地で切ったらひどい目に遭ったので日本出張時にQBハウスへ行きます

コロナのせいで出張が全部なくなったので髪の毛がだいぶ伸びました。

服にはお金をかけていませんが妻はそれなりにかけてそうです。

日用品家具家電

月3万くらい。

製品ファイルといった製品が地味に高いです。

ルンバダイソンといった家電や、携帯Pixel初代とiPhoneX)・PC(Serface go初代×2台、Serface Laptop初代×2台)をあまり躊躇なく買えるようになったのは、確かに裕福になった証拠なのかも。

壊れるまでは使うので不要な買い換えはしません。

家電は3~5年で壊れがちなのでそのスパンで要買い替えます

洗濯機乾燥機、ガスレンジ、冷蔵庫など大型家電は備え付けで大家さん負担です。

レジャー飲み会交際費

月6万くらい。

普段は月に1回車で遠出する程度。

去年は妻とイタリア10日ほど旅行しました。

車社会なので飲み会は少なめで、月に1、2度程度。ホームパーティーだと2000円くらいですが店だと5000円くらい。

出張ときに夜後輩と飲んだりなんかすると多め~全額出します。2、3万くらい。

出張帰省おみやげに5000円~1万くらい使います

趣味

2人で月10万ほど。

趣味工作材料費、工具代、本代、妻の習い事代など。

本や趣味にかかるお金、高いから買えない、ということはなくなりました。レンズ買うときだけ悩みますが。

月5万ほど。保険車検、車税、ガソリン代など。

車は夫用妻用の2台ありどちらも日本車のSUVを所有。外車を乗り回している……のは嘘にはならないw

居住国では、日本車は丈夫で燃費が良く、そこそこ人気でよく見かけます

日本車ではない高級車を乗り回している車好きな同僚、

自分の船を持っていて週末はマグロ釣りに行き釣ったマグロをさばいてホームパーティーで振る舞ってくれる同僚、

バイクを何台も所有している同僚など、車(乗り物)にお金を使う同僚は多いです。

医療費

月6万ほど。

生命保険と、居住国の民間企業医療保険医療費など。

医療費日本のほうが圧倒的に安いので、緊急性がなければ基本日本で医者にかかります

交通費

月7万ほど。

プライベートの飛行機新幹線Suicaチャージレンタルカー代、タクシー代など。

去年は妻がプライベートで何度も日本に帰る機会があったため、予算オーバーしました。

居住国にいる限りはかからない費用なので、今年はぐっと減ると思います

投資など

興味がないまま海外在住になってしまったために一切していません。

今後も、何か強いきっかけでもない限りはやらないと思います

総括

子どもがいないためか、けっこう放漫な消費の仕方をしているな、と書きながら思いました。

去年はやや予算オーバーボーナス赤字補填しました。

今年はコロナ支出が絞れそうなので、そのまま少し節制しようかと思います

普通とは思いませんが、学生時代の同期などもそれなりに収入がある人が多いので、突出して裕福だとも思いません。

人込みが大嫌いで都会には絶対住みたくないです。タワマンに住むなんて拷問に感じます

何を贅沢と感じるのかは結局人それぞれなんだろうなと思います

趣味工作ができ、家族健康で、ビールがおいしいことが幸せです。

2020-05-13

anond:20200510184249

王様はロバの耳!と穴ぐらに向かって絶叫しなくてはいけなかった人の気持ち最近はよくわかる。言いたくてうずうずするが言ってはいけないことが世の中にはある。それでもやはり、好きな女の顔に手をかけてマスクを取るときのあの感覚には、不思議な懐かしさと甘さがあるといいたい。あらためてこう言葉にしてみるときもすぎるが、それでも言わなくてはならないようななにかがそこにはあるし、ここにしか書けない。

話は2、3日前にさかのぼる。


「ていうか、この前のオメガラーメンは正直微妙だった」

「選んだ人がそういうこと言っちゃうかな」

第一印象で、勢いで選ぶことって人生にはあるでしょう? ときには勢いが大事。勢いが評価される」

「ないわ」

へぇ。つまんないね


咲は芝生に敷いたレジャーシートの上に寝転んだ。頭上には新しい枝を伸ばしはじめた代々木公園木々が揺れ、雲ひとつない空を縁取っていた。

まじめに、社会的距離を保って会うことにしよう、という彼女の発案にしたがって、近所のこの公園にやってきた。

お互いに手を伸ばしても届かない距離に陣取って、マスクをしたまま座ったり寝転んだりしていると、話すときにはキャッチボール相手に届くようにして声を投げかけあわないと、うまく聞きとれなかった。だからすぐに話し疲れて、二人ともそれぞれの場所で仰向けになった。

「いてっ」

何かが当たった方を見ると、芝生に黄色ゴムボールが転がった。咲はこちらに背中を向けて寝たふりをしている。その背中に軽く投げ返す。

「いてっ」

投げ合いはキャッチボールになった後、奪い合いになり、ボールを胸にあてて握ったまま騒ぐ咲を後ろから捕まえて、抱きかかえる

木の陰に立ったまま後ろから抱いていると、Tシャツごしに背中のかすかに汗ばんだ温かさと、咲の鼓動が感じられる。両手に頬を包んで顔をこちらに向けると、マスクが目に入る。咲は一瞬こちらを覗き込んだ後、すぐに眼を伏せる。

「いいよ……」

両耳にかかったストラップを持って静かにマスクを取ると、薄い唇が現れ、手に温かく湿った息がかかる。自分マスクを顎まで引き下げてキスをした後は正面から抱き合う。

「ねえ、木嶋くん気付いてたかな。私たちのこと」

「どどうだろう」

「そこ、どもるところ?」

「いや、わかんないんだよ」

「気まずいことになる? 私のせいで」

悪戯っぽい目つきでこちらを見てくる咲にすこし腹立たしくなる。

「変わんないよ。これからも。たぶん……」

陽が傾いて芝生が金色に染まる。咲は大の字で立ちはだかって、手をバタバタさせる。

「ね、最後ギュッてして。ギュッて」

社会的距離は?」

ゼロです!」

こうして僕らの社会的距離戦略はあえなく破綻し、もう一度抱き合ってから公園を後にした。

2020-04-06

anond:20200406194851

お前は春に木々が芽吹くのを止める方法を聞いたことがあるか? 海の波を自在に操る方法を尋ねたことはあるか?

2020-03-08

マイクラのし

木が生茂りすぎて邪魔だなと思った時、ふとネザーゲートに着火するための火打ち石の存在を思い出した

私は森に火を放った

木々燃え盛り、森に棲む動物は焼け死に、やがて森に光が差すようになった

なんだろう、この背徳感は

2020-03-07

都会って何で息出来るの?

何で木々がないのに酸素があるの?

俺の住んでるところグーグルマップで見ると全然緑がないんだけど。

でも息吸えなくなったことないんだけど。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2019-11-18

anond:20191118151737

木々全体を眺める時は緑。木の葉に注目すると青葉。  緑?青?

2019-10-25

anond:20191025104131

山に登ったとき木々が色づいていたら、個々に視線は向けなくとも、あー秋だなあーとお思いになるでしょう

それと同じで、ある種の訴求力がある広告がたくさん貼られていたら、それによって人々の倫理価値観形成されていくのです

割れ窓理論です

バリバリです

2019-10-21

anond:20191019134141

敷地内が全面禁煙となった某国立大学の現状が分かる内容だが

喫煙所廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。

かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。

元増田の随所に喫煙者がクソみたいな人種だと実感できる事例が書いてあって、他人事ながらイライラした

2019-10-19

改正健康増進法敷地内全面禁煙の現状 〜東京X大学場合

ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設病院学校行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。

オリンピックを迎える2020年4月1日には、全面禁煙対象となる施設さらに増え、屋内は原則禁煙となる。

この増田では、改正健康増進法施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。

東京X大学場合

東京X大学最近メディア露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度大学だ。
しかし悲しいことに、都心位置しつつも、お国から運営交付金国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル都内大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金無駄から早く潰したい」とすら考える政治家役人もいるだろう。

さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。

先に書いておくと、もともとこの大学学生喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。

そんな大学で「敷地内原禁煙」なんてできるのだろうか?

心配を横目に、その日は近づきつつあった。

学内のいたるところには「7月1日から学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正理解していない)学生反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。

そして7月1日が訪れた

「やればできるじゃないか

敷地禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内喫煙をする者を見ることはなかった。

受動喫煙を防止するために必要措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた

甘い。

運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。

しかしこの大学ルビコン川を渡った。

他の大学同様、この大学7月末には前期が終わり8月から夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原禁煙成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。

7月の第2週にはすでに学内のあちこちタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。

施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法形骸化した。

状況は法改正前より悪化しつつある

改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコ匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。

しか喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。

もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタンから避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授事務職レベル教職員禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨芸術的ラクガキがされている。

喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコ臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやす木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気乾燥する時期には失火可能性もある。

学内のあちこち狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。

現状

伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地禁煙成功している」ということなのか、いかにも日本的論理だ。

学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。

実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題大学に止まらいからだ。

改正健康増進法問題

施行後3ヶ月が経過し、第一種施設病院学校行政機関である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。

  1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない & 禁煙を推進するような施策や補助をしない
  2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない
  3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

以下に、詳細を書く。

1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない※2禁煙を推進するような施策や補助をしない

補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的禁煙を推進するような施策実施しないと、改正健康増進法自体意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。

2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない

厚生労働省などは、この法律施行にあたりHP特設ページを設けている※3施設管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかやすいし必要情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設利用者向けの情報ほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?

そういったことは全く分からないし、窓口もない。

罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合有効対処方法を考えてないのではないだろうか?

3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

喫煙場所の設置には排煙設備敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコ我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しか喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。

施設管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設組織によってはブランドイメージ毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。

最後

もしあなた東京X大学学生であり学内喫煙であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。

そしてもしあなた教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。

※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html

2019-10-15

近場の公園

冬になると近所の公園コスプレ撮影にやってくる人たちがいる。

一部には有名みたいで、枯れた木々落ち葉の感じが撮影に良いみたいだ。

ただ、オタクとかコスプレを知らない人が見てぎょっとしているようなのでなんとかしたい。

足とかお腹周りの露出が多い衣装だったり、ローアングルから撮影をしたり、その様子が傍目から見てていかがわしいのが問題

撮影時間明け方とか夕暮れに多いので余計に不安になる。

いまのところ「変なこと」をする連中はいないけどトイレで着替えてるみたいだし何か起こってしまいそうで怖い。

2019-09-28

anond:20190928100247

いったい何本の木々が失われるのか、はうであゆ

2019-07-25

ジョジョじょジョジョーじょジョージョー

J県J市に済むジョジョジョ・ジョージジョー通称ジョジョ)はある日親友の野野乃乃、切木々生気との下校中に妙妙と名乗る男と出会う。

彼の繰り出すウー・ウー・ウーの攻撃を777が弾いた時、彼らの前にボボボーボ・ボーボボが現れるのだった

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