はてなキーワード: 割れ窓理論とは
ガストでのひどい体験。この不愉快な気分は、おそらくコロナが始まってからの3年のすべての経験としては私の中ではダントツなものであったのでここに記録しておく。
隣の4人席の家族が、かなりの長時間にわたりマスクなしで大声でしゃべっていた。小さなこどもが複数いたが、特に大きかったのは母親の声。その声の大きさだけでも非常識なレベルで大きく迷惑だったのだが(①-1)、現在のコロナの状況を考えると輪をかけて迷惑(①-2)。隣のご家族と私の家族は、仕切りで空間的に区切られており、このブースと私の家族のブースは同じ狭い区画の中で2家族のみの区画であったこともあり、母親の大声の話の内容がはっきりと聞こえてきて、それはそれはうるさいものであった。「あの女が不愉快だ、きにくわない」とかいう話の内容まではっきり聞こえてきて、感情的に大興奮していることが明らか。まさに「口角泡を飛ばす」勢いの喋り声なのだ。父親の声の大きさは並レベルで話の内容までは聞こえなかったが、煽る感じで迷惑(マスクはもちろんしていなかったが)。そんな話を静かな区画で大声で延々とされるのであるから、たまったものではない。
それだけでも迷惑なのだが、時は第8波もたけなわ、感染力の極めて強いコロナが蔓延し、一日あたりの死者数がこれまでで最大となっている今である。となりのご家族の飛沫が狭い区画の中で飛び交っていたことがイメージされた。
そこで、店員さんをお呼びし、もう少し声を落としていただくよう、また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただくようにお願いしたいと思い、タブレットで店員の方をお呼びした。呼んでから、すぐに対応いただくことができず、かなり待たされた(②)。タブレットで呼んでから、ようやく5分くらいしたところで店員がいらしたが、こともあろうか、隣の当該の家族がその店員さんを呼び止めて追加注文を行ってしまい、そして店員さんは、その注文をとって戻ってしまった(③)。週末で客が多く人員不足なのだろうが、店員をお呼びしてから来るのは遅いし、誰が呼んだかを確認もせず、隣の家族の注文を聞いて不注意にも戻ってしまった。この待時間の間にも、隣の家族は大きな声で喋り続けていて、その会話の内容も品のない内容(というか、かなり下品)なもので、私の家族のイライラは募るばかりであった。
そこで、もう一回、タブレットで店員をお呼びしたところ、さらにその5分後くらいに、ようやく来た。
「隣のご家族、声がとても大きいので、もう少し声を落としていただくようお願いしてもらえないでしょうか。また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただけないでしょうか。」
と隣に聞こえないように小声でお願いした。
するとその店員さんのおっしゃったのは、
「注意をすることはできません。別のところへ移動していただきますので、お願いします。」
と。つまり、私の家族に移動しろ、ということを命じてきたのである(言い方として「命ずる」印象のイライラ感のあるぶっきらぼうな態度で;④)。
「なぜ私たちが移動しないといけないのでしょう?ちょっと声を小さくしてもらうよう、言ってもらえばそれでいいのですが。」
という私の言葉に対して、
「それはできません。」
とキリッと。
と申したところ、
「それはやめてください。」
とまた命令調(⑤)。人が他者に何をお願いしようが、それは自由なはずで、なぜ店員さんに命令されないといけないのか?
私も、上の①〜⑤があってイライラが募って頂点に達していたこともあり、堪忍袋の尾が切れてしまい、
と。店員さんは、
「やめてください。」
とのことでしたが、ここまでの積み重ねで、私も怒り心頭に発するレベルに達していたので、隣のご家族に直接、
「会話はもう少し小さな声でお願いします。マスクもお願いします。」
と自分でお願いをした。以上のような経緯だったので、私の声は大きくなってしまっていたこともあり、そこで、現場の責任者の方がご登場された。
「申し訳ありません!謝ることはありませんよ。何も悪いことはされてませんので。」
と、これみよがしに、こちらに聞こえるような大きな声で言ったのである(⑥)。しかも、その責任者、私の家族には何も言わず無視しつつ、というか敵対的な視線を送りつつ、である。
その後、私も声が大きくなり(マスクはしてました)、お相手のご家族の父親・母親も大きな声で、
「気分が悪い!もう帰る!!」
というような口論に。まわりの方々も驚いていらした。
まあ、ちょっとした「事件」になってしまったと言って差し支えないであろう。
私は普段、怒って大きな声を出すことなどは人生の中であまりないのであるが、あまりの普通でない条件(①から⑥)が重なったからだと思うが大きな声を出してしまって、こんな事件の当事者になって大きな声を出してしまったことが悲しいやら不愉快やらで本当にやるせない気持ちとなった。
なお、後でガストを運営するすかいらーくのウェブサイトを見ると、
「
お持ちでないお客様へは店内でご利用いただけるマスクを無料でお渡し
健康上の理由などでマスクを着用できないお客様に、会話や離席の際にハンカチ等を口元に当てていただくようご協力を要請
」
https://www.skylark.co.jp/en/company/news_covid19.html
上の店員の方々の対応は、この防止策にまったく反するものであると言えるだろう。
あと、上のこととは関係は直接ないが、この店舗は、かなり小汚い印象で(壁が剥がれているなど)、「へえ、東京なのにこんな場末感を出しているんだ」とお店に入ったところで少しびっくりしたことは、申し添えておく。割れ窓理論というのがあるが、こういう小汚い店には、常識を欠いたヤンキーのような人々が集まり、それ相応の雰囲気になってしまうのかな、と。
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上の苦情をすかいらーくの窓口に送ったところ、すぐに店長さんからご連絡をいただき、
・上の苦情の事実確認をしたが、店員の不適切な対応を確認したこと、
・ひとえにマネジャーであるこの店長さんの監督不行き届きであり、弁明のしようもないこと、
などを含むお詫びをしていただいた。
お電話でお話しをお聞きしたところ、上の案件が起きた時間帯は、この店長さんは不在で、「責任者」も含め全員アルバイトであったとのこと(ちなみに、調理をしている人もアルバイトとのこと)。
私は、レストラン業界の事情は全く詳しくなかったのだが、かなり東京の住宅地の大きめで混雑するファミレスでも、社員が不在の場合が多いのだな、と。ガストでは、1店舗に社員が一人のみであることは普通であるので、社員が不在となる時間帯はかなりあるとのこと。そういうものなのか、とちょっと驚いた。また、こういう事案が生じてしまったわけであるが、当該のアルバイトの方々は店長や本社に対応をどうすればよいかについて問い合わせるということはしなかった、とのこと。
まあ、時給1000円ちょいのアルバイトの方々に、対応をきちんとしてもらうことは容易ではないかもしれない。オペレーション全員がアルバイトでは、食べ物や接客が「安かろう、悪かろう」は仕方ないかもしれないが、感染対策はきっちり企業の規則や厚労省のガイドラインは遵守するよう徹底してもらいたいものである。
アートネイチャーがやってるような「ハゲは恥ずかしいことなのでお金を沢山使って防ぎましょう」みたいなネガティブキャンペーンは法律で禁止してほしい。
お笑い芸人がハゲ弄りをしている映像とかは積極的に発売禁止にして欲しい。
あと、ハゲを笑うことを侮辱罪として訴えた時にそれがちゃんと通る確率を裁判所はちゃんと上げて欲しい。
今の社会は「外観的特徴を『少し』からかったぐらいのことで怒るほうがおかしい」という価値観が蔓延しすぎている。
でもそれって割れ窓理論みたいなもので、そういった『少しなら大丈夫』がどこかにある限りは、「これぐらいなら『少し』の範囲だと思った」でラインを踏み越える奴らがあとを絶たないままだ。
「ハゲは肉体が劣化しきったヒトモドキ」という風潮を否定した所で、「髪型がバッチリ決まっているのがカッコイイ」が否定される社会になるわけじゃないだろうに。
別に自分は「髪の毛が少ないせいで髪型がいい感じになってない」と言われるのは我慢できる。
「(不可抗力により)毛量が少なく生え際の位置が若い頃と全く異なっている」ことに対して過剰な嘲笑を受けるのをおかしいと感じているだけだ。
まして、それを自分たちの手で煽ってマッチポンプを仕掛けているような連中が野放しになっていることについてはいよいよ許しがたいのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1596276961059344384
ここのブコメについて、主に広告批判サイドにあまりにも傲慢な不快原理コメントが目立ったので書くことにした。
個人の感想として雀魂の広告が気色悪い、下品、または不快であると言うに留まるだけなら、それは誰かに否定される筋合いのものではないと思う。
ただ、中には件の広告がアウトだのNGだのというコメントも見受けられる。これらは単なる個人の感想を逸脱して表現の不適切性に結びつけている実例だろう。
個人の不快感に過ぎないものを公共空間(JRは公共空間か?という議論もあるだろうが、ここでは「不特定多数が利用するサービスないしそれが提供される物理的・論理的空間」程度の緩い定義とする)における表現の是非に直結させてしまうのは不寛容に基づいた論理の飛躍だ。
というのも、公共空間は不特定多数が利用するからこそ、特定個人の主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的、実証的に整理した上で定性的、定量的な線引きを設けるというのが、公共空間のポリシーを設ける本来の手続きであるように思う。いやらしい言い方をしてしまうと一概に"お気持ち"のみに依拠して決められるものでは無く、また別の多くの段階を踏まえなければならない筈のものである。
もし公共空間で不快原理ベースの排除を許してしまえば、際限のない不寛容によって公共空間での表現や言論(に留まればまだ良いかもしれない)は委縮し、利用できる者はいなくなり、その存在意義を失ってしまう。
正直、私にとって上記ブクマの不寛容なコメント群は極めて不愉快なものだ。
もし彼らが「他人に不快感を与えるような表現は公共空間から除外されるべき」という規範を普遍的に正しいと考えているなら、まずは自ら率先してその規範を順守し、私や私と同じような考えを持つ人間に今も不快感を与えていることを省みてブコメを削除するべきではないか? そして金輪際そのような投稿をしないと誓い、はてブを去るべきという結論が導出されるのではないか。
はてなブックマークは上記の公共空間の定義に該当するから、不快原理主義者ははてブにおいても他者に不快感を及ぼす表現を控えなければならないはずだ。さもなければ自分自身の掲げた正義に自ら背くというダブルスタンダードを犯してしまうことになる。
勿論、私は上記のような規範は支持しないが、彼らは彼らで自身の規範を自身に架せばよい。信念のある人間ならむしろそうあるべきだ。
このように不快原理というのは、それを主張する本人らにまで排除の論理を拡大できてしまうわけだ。短くまとめれば「不快原理主義者は不快だから消えろ」に反論する論拠を持たない。不快原理主義者が他人に一切不快感を与えないということは確率的に極めて低いだろうから、存在自体が矛盾しているとも言える。
本当に公共空間というものの持続性について真摯に考えているのであればこそ、不快原理のような持続可能性のない考えを改めて、他者の表現に寛容になってもらいたいものだ。
あ、ちなみに、もしここで上記定義を否定して「はてなは私企業のサービスだから問題ない」と言うのであれば、それはJRにも該当することであって一連の広告批判は失当なものになってしまう。まさかこんな反論をしてくる愚か者はいないとは思うが、無駄なやり取りを減らすためにも一応書いておく。
正直、変数の統制が不十分で根拠曖昧な割れ窓理論まで持ち出してくるブコメを観たときは頭を抱えたよ。
沢山の反応を頂けてありがたいという感想と、あまりにも低レベルな(それこそ文章をまともに読めていない)反論に呆れ果てているのとで半々くらいだ。
うんこが落ちてたら不快なのと同じで、自分の望まない性的なものが不快なのは万人共通。一方で私は『ワンピース』が嫌いだが個人的な好みなので、街中に貼り出されてても我慢している。万人共通というのが普遍性。
「自分の望まない性的なものが不快なのは万人共通」を仮に真とするとして、「自分の望まない漫画が不快なのは万人共通」はどうだろうか?
このコメント主はワンピースを挙げてくれているが、漫画という上位の集合を持ち出せば、それは普遍的な不快さになってしまわないのだろうか?
また、漫画についてはワンピースという個別具体的な例を挙げるのであれば、件の広告も"性的なもの"という抽象概念ではなく雀魂または咲という具体的タイトルで論ずるべきではないのだろうか。そしてその場合、それらもワンピースと同じく個人による好き嫌いがあって当然であり、そこに普遍性を見出すことはできないと私は考えるがいかがだろうか
女を食い物にしたり、女であるだけで対応を変えられたり、女であるだけで駅でぶつかられたり、女であるだけで昇進できないとかは全て差別だしこれまでの男性社会が生み出した問題であることに違いない。
だがSNSやはてブで殊更に話題になるポスターがどうとかジャンプのラッスケがどうとかがこれらの解決にどう結びつくのかが全く分からんわ。上司のおっさんやぶつかりマンの自宅から宇崎ちゃんが発見された!!とでも言うつもりもないようだし。
「こんなものがあるから男性社会が変わらないんだ!!」という割れ窓理論を持ち出すようだけど、このSNS社会で2週間も経過しないと批判されないポスターなんかよりも、もっと目の前に大きな割れ窓があるのではないか?
https://anond.hatelabo.jp/20220106191411
上記増田を読み、あまりに自分の知る実情と違いすぎ、愕然とした。
釣りなのか、釣りじゃないにしても極めて特殊な一例と言わざるをえない。
釣りには真実を、特殊な一例には、更に特殊な一例を公開しての平均化が必要だと思う。
そこで、手前みそながら、自分のケースを紹介してみようと思い立った。
(特定を避けるため、多少のフェイクが入る点はご留意願いたい)
私は、どこの企業やグループにも所属せず、背後にスタッフ等もいない、いわゆる個人Vtuberだ。
登録者数はどうにか4桁だが、いまだYouTubeの収益化条件は遠く、
それでもなんとか無事生活できる範囲の利益を獲得し、ファンのかたや仲間に恵まれ、まいにち楽しく生きている。
【歌いたい歌は、大抵歌える】
上記増田は、お歌動画の難しさをあげていたが、現実にそんなことはない。
YouTubeはJASRACと包括契約しており、基本的に著作権を気にする必要はない。自動で広告がつき、YouTubeの方で帳尻を合わせてくれる。
気にするのはいわゆる原盤権のみであり、これはかみ砕いていえば「CD音源をそのままカラオケに使っちゃダメよ」ということだ。
そこで、カラオケ音源をあらためて用意する必要が出てくるのだが、需要があるということは供給もあるということで、
・人気J-POPは、大抵、有志がカラオケ音源化してくれていて、無料で使える場合が多い。
・ボカロ等は、原盤権を持つ権利者が、公式音源の使用を許可してくれている場合が多い。
・どうしてもない曲は、比較的安価なお値段で、専門のかたにカラオケ作成を依頼できる。
上ふたつは、あくまで善意と厚意によって成り立っているものなので、各種ライセンスは必ず確認し、注意深く利用しよう。
カラオケ音源の作成依頼は、私の知る限りお安いところは3,000円くらいで作ってくださる。
どのくらいの頻度で投稿するかによるが、仮に毎週コンスタントにお歌動画をあげたとして月12,000円である。
自分ができない技術に支払う対価としてはむしろ少ないくらいだし、月に捻出する趣味費としても社会人なら許容の範囲ではないだろうか。
また、YouTubeはそれでいいのだが、twitterはJASRACと包括契約をしていない。
そのため、クリーンにやるなら、JASRACと直接個人契約を結ぶ必要がある。
今のところ私は個人契約をしていないが、調べた限り、たしか年額一万円程度で契約できたはずで、これも充分手の届く金額だろう。
YouTubeで自動でつく広告の収益は、著作権者に還元されるからだ。そして、それは正しい。こちらは曲というコンテンツを使わせていただいている側であり、権利者に還元されるのは当然である。
逆にいえば、お歌で収益を得たいなら、自分が権利者となればいい。つまり、オリジナル楽曲の制作だ。
これは上記のカラオケ音源の用意に比べて手間はかかるものの、決して難しいことではない。
「自由にオリジナル曲を乗せていいよ」という有志のフリー楽曲もあるし、もちろん依頼して作っていただくこともできるし、自分で作曲してもいい。
私は、趣味として好きな頻度で好きな曲を歌い、節目節目でオリジナル曲を公開してきた。
Vtuberになってから作曲もおぼえ、コードをなぞる程度だが楽器も練習し、mixやジャケットも自分でこなすようになった。
今は個人でiTunesやspotifyに無料で気楽に楽曲を配信できる時代である。自分で権利を持っているので、当然BOOTH等での販売も可能だ。
これ単体の収益はそこまでではないが、自分でつくったものでお金を得る感覚は、得難いものがある。
【キャラクターデザインは自由でいい】
人気ラーメン店に行く時、列に並ぶことに文句を言うひとは少ないだろう。値段が高いことも、予約が必須なこともある。人気なのだから。
同様に、人気絵師さんは順番待ちになりがちだし、中には一見さんおことわりのかたもいらっしゃる。これは当たり前のことだろう。
仕事として絵を描くのは、依頼する側が思う以上に大変なことである。制作に一ヶ月以上かかるのもザラで、つまり、物理的にマンパワーが足りないのだ。
依頼者側はどうかその辺の事情を理解してほしいし、私としては、絵師さんの体調がいつも心配だ。おからだ壊さず、自分のペースで仕事を受けてほしい。
個人的には、初期の頃においては、キャラクターのクオリティにこだわりすぎる必要はないと思っている。
もちろん、多少の開幕アドはあるだろうが、あくまで多少の有利があるというだけだ。
私は、「キャラデザに数十万をかけたものの、デビューしてみたら鳴かず飛ばずだった」という同業者を何人も知っている。
必ずしもそのかた自身に落ち度があったとはいいきれないが、何らかの計算違いはあったのだ。
そういったケースを想定せず、闇雲にお金をかけようとするのは、いわば、挿絵のクオリティに運を託すラノベ作家のようなものかもしれない。
挿絵の力で人気になる場合もあるだろうが、そうじゃない場合もある。この場合、そうじゃない理由は明らかだ。挿絵を気にするより、作家にはまずやることがある。
私としては、生みの苦しみを知る意味でも、数十万がコケるリスク軽減の意味でも、一度はゼロから自作してみることをオススメする。
今は無料・安価で高品質な3DモデルがつくれるVRoidがあるし、Live2Dも簡単にカスタマイズ可能なテンプレートを公式が用意してくれている。
私は、デビュー前も多少絵を描いていたが、とても人にお見せできるほどではなかったので、Vtuberデビューするにあたり、あらためて絵の勉強をし、Live2DやVRoidの制作をおぼえ、blenderとunityの使い方を学習した。
今は大抵の知識がネットで手に入り、これら技術を習得するのにかかる時間は1~3ヶ月もあれば充分だ。かかる時間は、依頼した場合と大差ない。なら、多少自分で汗を流してみるのも、悪くないと思う。
そのうえで、自分の活動に合わせて、よりよいキャラデザを依頼するのもいいだろう。
活動してみて初めてわかることもあるし、リスナーの反応をリサーチしてから依頼できる点もメリットだ。
どのみち、Vtuberの多くは、活動するうえで姿をたえずアプデしていくものだ。
最初のはじめましてはたしかに大事だが、全ての勝負を開幕初手に全賭けする必要もないだろう。
【やりたいことは何でもできる】
この世界は自由だ。何をやってもいい。正確には、何をやってもVtuberというカテゴリに包括することが可能だ。
普通、建築士とゲーム実況者とダンサーは同じカテゴリ内に共存できないが、Vtuberなら建築系Vtuber、実況系Vtuber、ダンス系Vtuberという形で、Vtuberという大きな枠組みの中で共存できる。
それは色んなかたと知り合いになれるということであるし、逆に何に手を出してもVtuberという枠組みから外れる心配がないということだ。
突然、雀魂にハマってもいいし、海外の誰も知らないB級ホラーをディープに紹介してもいい。安心して挑戦できるし、安心して趣味に走れる。
上記の作曲やモデリング等もそうだが、私がVtuberになってからできるようになったこと、知ったことはあげればきりがない。
今となっては、逆に何を怖がってそこまで挑戦を避けていたのだろうと、デビュー以前の自分を振り返って思う。
やろうと思えば何でもできるし、逆にやらない選択肢をとることもできる。それがVtuberかと思う。
どんな分野の企業もそうだが、Vtuberプロデュースをする企業もまたピンキリだ。
悪い企業は、企業の名義貸しだけして手数料を巻き上げていくし、良い企業はマネジメントが手厚かったり自社の強みを持っている。
ただ、良い企業に所属するのは、もちろんその対価に伴う責任を背負うということでもある。たとえば、再生数やノルマ、ビジネスブランドの維持などだ。
良い環境というのはあくまで素地であり、木に成っているぶどうが勝手に落ちてくるわけではない。
つまり、結局自分の身の丈に合っているか、性分に合っているかという話になってくる。
自分で判断し、自分で活用できるひとなら乗りこなせるかもしれないが、企業を目指すかたは「とにかく企業勢になれば…」と思っているかたも多く、そういうかたには向かない……までいかなくても、かなり苦労されるのではとは思う。
プロデュース事業も結局は営利ビジネスであり、採算がとれなければ事業を撤退する可能性は全然ある。
これは早ければクオーター(3ヶ月)で閉幕することあるし、半年、もしくは年度締めということもある。
そんな時、キャラデザの権利、IPの権利などを企業側が握っていると、個人Vtuberとして独立できず、一緒に撤退(卒業)せざるをえなくなってしまう。
なので、企業に所属する場合は、契約書をよく読み、自分に必要な権利を過不足なく確保できているか確認が必要だ。
向こうに権利が帰属する形なら、交渉して権利を自分持ちとするか、買い取るか等が必要だし、
明記がないなら、覚書き程度でもいいので書面で取り交わしを結んでおいた方がいい。
多くの企業の担当さんも、別に鬼ではないというか、こちらが大人な対応をすれば、ある程度融通はきく。
逆に、その時点でブラックな香りがにおいたつなら、早々にゴメンナサイするのがお互いのためだろう。
私は自由な活動が好きだし、企業ガチャでリセマラするつもりもないので、あくまで個人が性に合っている。
とはいえ、事務所による箱推し効果は強力だし、憧れている先輩の事務所に行きたい気持ちも充分にわかる。
なので、結局これらの話はすべてケースバイケースだと思う。
【いろんなひとがいる】
Vtuberの悩みとしてよく聞くのは、人間関係、つまりVtuber同士のコミュニケーションだ。
ただ、ありがたくも、私はこれらの悩みで苦しんだことがあまりない。
全くないとまではいわないが、それらを巧妙に回避して今に至る。
というか、世の中には色んなひとがいる。Vtuberも様々だ。そこで交友関係を増やせば、合わない人が出てくるのも当然だろう。
たった40人弱の学校教室の中でさえ、人間関係のトラブルは頻出し、グループやカーストが存在し、全員と仲良し!が難しいのに、教室を出た瞬間それができるようになるのもおかしな話だ。
なので、自分の合うひとと仲良くすればいいし、そうでないひととは距離を置いたり、大人な対応でやりすごすのが吉だと思う。
結果、友人が少なくなったとしても、それが自分のだいすきな人たちなら、恐れるものは何もない。
少なくとも、合わない人とストレスを抱えながらワタシタチトモダチダヨネーするよりは、はるかに健全だろう。
仮に、それでも関係性を切れない切りたくないという場合は、そこにしがらみや打算があるのだと思う。
しがらみを断つには勇気と体力がいるし、打算があるならストレスはただの対価で、呑むか呑まないかの話だ。
決断を迫られる場面だが、決断さえすれば、そこから先は全て自分の意志で歩く道だ。何より、気楽でいい。
【いろんなひとがいる2】
むしろ、私が悩むことが多かったのは、ファンのかたとの距離感の方だ。
特に私はセクハラ系のコメントが苦手で、これに立ち向かえる強さの修得に時間がかかった。
逆にストレートな好意も、自分がそこまでのにんげんには思えず、うまく受け取れず、いつもどうしていいかわからなかった。
長文コメや連コメは要約したりまとめて読み上げ、荒らしをかわし、際どい書き込みをいなし、いさめ、香ばしい流れの時は話題を変え、遠慮するところは遠慮し、押すところは押し、嫌なことは嫌といい、うれしいことはうれしいといい、感謝の気持ちは伝えられる最速で伝える。
それでもたまに、特に否定的な意見ならともかく、真っ向からの好意などに対しては、ふっとノーガードで食らってしまうことがあって、そういう時は激しくテレてしまう。
けれど、これは多分贅沢な悩みというやつだろう。
YouTubeの収益化さえ通っていない私が、なんとか暮らせているのは、FANBOXやBOOTH等によるところが大きい。
プロ絵師のさいとうなおき先生もどこかで言っていたが、今は小規模な個人がマネタイズしやすい時代だ。FANBOXやFantia、BOOTHやBASEなど、気軽に応援したりされたり、気軽に売ったり買ったりが、当たり前かつ無料でできる。こんな状況は10年前では無理だった。
また、FANBOXやBOOTHのいいところは、還元率の高さだ。
YouTubeなら6~7割、他プラットフォームなら2~3割の利率が多い中、FANBOXやBOOTHは、9割以上がこちらに還元される。
仮にYouTubeで月10万円得るなら赤スパリスナーが14~17人必要だが、FANBOXなら11人だ。一人当たり5000円、3000円で考えれば、この差は更に顕著になり、10人20人の違いになってくる。
つまり、FANBOX等に軸足を置いた方が、小規模で生計を立てやすい。それはファンのかたの投げ銭を無駄にしないで済むということでもある。
もちろん、「なるほど!FANBOXならお金が稼げるのか」というほど単純な話ではない。
それは、企業に参加すれば人気になれる、有名絵師のイラストなら人気になれるといっているのと同じだ。
ここまで来るのには、たくさんの苦労もあった。
私はかなりの面を自作で乗り切ったが、どうしても時間はかかるし、つよつよPCにつよつよマイク、VR機器、採算が合うまで無限に出ていく生活費、すべてトータルすれば200万は溶かしていると思う。
それでも私は諦めなかったし、諦めるという発想がなかった。だって、すべてが楽しかった。楽しいことにかかる出費は実質0円だ。大変だけど、つらくはなかった。
結局、私は貯金してためた200万と数年をかけ、どうにかこの道で食べていくチケットをもぎとった。
18禁界隈に足を突っ込めば、更に収益化しやすいかもしれないが、残念ながら、私は18禁の活動は一切していないので、そこのブーストはかからない。
ASMRもしないし、外国語もできないし、ゲーム配信もコラボもほとんどやらない。
やったのは愚直な努力ばかりで、年1000回前後の配信と数十本の動画投稿、定期的なオリジナル曲やグッズ制作、twitterやFANBOXの更新、新しい技術の勉強、ファンのかた達との日々の交流などなど…。一個一個は地味だし、あまりうまくいってない部分もあるかもしれないが、「力こそパワー」の脳筋スタイルで壁を殴り続けてきた。
おかげさまで、今では根強く応援してくれるファンのかたができた。この繋がりが自分の何よりの宝だ。応援には答えたい。それが次のがんばりに繋がっている。
今の私の目標は、今まで私が誰かに助けてもらったように、私も誰かを助けられるひとになって恩返しをすることだ。
知ってることはシェアしたいし、誰かのママ・パパになってみたいし、それで楽しんでVtuberを続けるひとが増えてくれるとうれしいなといつも思う。
Vtuberは私にとって最高の遊び場だ。その遊び場がより楽しくわくわくする場所になってくれれば、結局その効用は再び私に返ってくる。打算的Win-Winというやつだ。
私が今ここにいるのは、たくさんのひとのおかげだし、多くの幸運に恵まれた。自分の功績とはとても思えないので、きっと前世で溺れている子犬等を助け、思わぬ徳を積んだのかもしれない。
つまり、あくまで特殊な一例として、参考程度に受け取っていただければ幸いだ。
所詮増田の文章だし、どんな界隈でも、いい経験をしたひともいれば、悪い経験をしたひともいるだろう。
これは、その程度の、ごく普通な、特例のひとつだと思う。ご精読ありがとうございました。
いくつかご意見・疑問等いただいたので、可能な範囲で答えたいと思います。
このご指摘をいくつかいただきました。確かにこの部分には意図的に書かなかった点があります。
それは、私が複数のプラットフォームで配信していることで、年間1000回配信はこれらの合算数です。
この話をすると、配信プラットフォームの組み合わせでかなり特定が容易になってしまうので、書きませんでした。
個人事業届も出しており、これから確定申告が待っています。ちょっと憂鬱。
・これを元増田に当てるのはひどい
もともと別例あげての平均化が目的だったので、対比する形になってしまった点は否めません。
また、自分の好きな界隈が"クソ"と言われてしまい、「そんなことないやい」と言いたかったのもあります。
・収益化してないんかーい
YouTubeはしていないです。
ただ、PRやアンバサダーなどの企業案件はいただけますし、VR上のアバターワークなどもあります。
個人的には、Vtuberというipで広く収益を得られれば、それでいいかなと思います。
・その規模でそんなに支援される?
個人で登録者500~1000人前後で食べれているひとは全然います。クリエイター系は顕著ですが、ゲーム実況メインのかたもいらっしゃいます。
自分の肌感ですが、個人なら、登録者3桁か4桁が一番身軽で専業化しやすいと思います。
ドワーフとかエルフとかみたいなもともとは妖精の種族のことだよね。
ノームってのは穴を掘るのが好きな妖精、って意味で使われていた。
達成できない目標とか守れない決まり事を決めてはいけない、っていう話だった。
当然守れないからルールを破ることになる。そのひとつのルール破りが
そもそもそういうルールを作ってはいけないのだ、という理論だった。
割れ窓理論なんかと似てるんだけど
ひとつがふたつになりふたつがみっつになることが容易になってしまう。
そういうふうなことを避けるために出来ないことを決まりごとにしてはいけない、
とまあそんな話だったんだけど
この目標をノームにしてはいけないから何が何でもやり抜くぞ!!
とかそんな掛け声になっちゃったんだよねえ。
この元増田 anond:20210903184406 が言いたいことがあまり伝わってなさそうなので解説と補足をしてみようかなという試みです。
id:yas-mal ゾーニングされてましたよ? 有料なのはもちろん、順路的にも突き当たりで、入る前に説明文、カーテンも掛かってた。河村市長だってそんな馬鹿な理屈は言ってないはず。(「河村より馬鹿」の称号ゲットおめ)
とか言う意見があったりするんですがたぶんそーいう話じゃないと思うんですよ。
ゾーニングて言うならエロ表現だってゾーニングされてて、公的に子供に見せちゃダメと認定された18禁表現は表に出されてないだろうが
と書いているので多分ゾーニング反対論者でもないと思うんですよね。
たぶん「起こる被害を防ぐ」すなわち治安を理由にゾーニングしちゃいかんよねという話じゃないでしょうかね。
アイトリとの比較の話にもどると一般市民と権限を持つ市長では立場が違うので無理がないわけじゃないのですが
「ある表現を行うことによって治安が脅かされるという想定の上で違法とはいえない表現を自分の管轄・関係領域から切り離そうとしている」ということに関しては共通しているんです。
もちろん、無辜の一市民たる作者と一大都市の首長たる河村氏が負わねばならない責務、倫理性からみて
なので元増田はわかりづらいところはあるもののそこまでおかしなことは言っていません。
ただ、なぜそれがまずいのかは説明していません。
というわけで、文頭に述べたように僭越ながら僕の方からなんでそれがまずいか補足しようと思います。
あ、ちなみに最初に言っておきますが僕自身はゾーニングはある程度すべきであるし、禁書房の関しても
この漫画の中の事例にかんしても子供が中身をみないような工夫をすべきだとおもっています。
この漫画の中の事例にかんしても子供が中身をみないような工夫をすべきだとおもっています。
ブコメに割れ窓理論を援用してポルノ広告が街中にあると治安が悪くなるという意見を書かれている方が何人かいますよね。
その方達は落書きやポルノと言った「風紀」を乱すものを放置しておくと犯罪率があがる、だと思ってそうですが実はちょっと違います。
割れ窓理論は「風紀」が乱れると治安が悪化する、ではなく、「秩序」が回復されないと治安が悪化するという理論です。
つまり困った状態になってもそれに誰も関心を持たないような状況下なら犯罪も起きやすいよね、という話です。
なので、割れ窓理論において重要なのは「割れ窓」が発生した際に迅速に回復させる仕組みを作ることであって
窓を割るやつを排除することではないのです。
ここで問題になってくるのは AV のポスター等は「割れ窓」に含まれるのかということです。
正直、どのようなものが飾ってあったのかはみないとわからないのですが、あの漫画の挿入画を見るに
なんだかんだ言って局部は隠してあったんじゃないかなとおもっています。
(というか丸出しならわいせつ物頒布等の罪としてうったえればいいだけの話ですからね)
となると秩序を乱していない以上、割れた窓扱いするのもおかしいでしょう。
なので漫画に書かれてたような痴漢がでたりした場合はすぐに逮捕できるように、
もしくは、痴漢を防止するためにパトロールする警官を増やせ、というほうが割れ窓理論に沿っているではないでしょうか。
もちろん、窓を割りそうなやつを排除するほうの指針というか政策もかつてありました
元ニューヨーク市長のジュリアーノ氏がやった「ゼロ・トレランス」政策がそれにあたります。
落書きや未成年者の喫煙の取り締まりといった小さいのから始まり、ポルノショップの締め出し行って行きました。
しかし、残念ながらその施策は最終的にはホームレスの強制収容にまで発展してきました。
故にid:by-king 氏や id:nikakunikaku 氏の保育園建設反対運動やホームレス排斥につながるのではという意見は歴史的経緯からみてもそんなにおかしな話じゃないのです。
実際、宮下公園の話( https://anond.hatelabo.jp/20200815092248 )とそれに紐づくブコメみてもホームレスの人がいなくなって治安がよくなった、というコメントまぁまぁありますよね。
ゾーニングの理由を治安にしてしまうのを危険視してるのは上記のような排除が治安維持のもと容認されかねないからです。
じゃあゾーニングしなくていいのかというとそーいうことではないです。
最初の方に述べたようにゾーニングはすべきだと考えています。特に就学児童が通るようなところであれば。
当たり前ですが性交渉にはリスクが伴います。充実した内容とはいえないとはいえ、
義務教育下の性教育を履修が完了していない児童にポルノを見せることは弊害が大きいでしょう。
また、すでにお酒やタバコと言った年齢制限のある商品は少年誌に広告をだせなかったり CM も20時以降という制約があります。
ポルノ商品にも年齢制限がありまた、わいせつの法的定義的にもある種の有害性が定義されている以上ある程度のゾーニングは仕方ないでしょう。
とくに公道から商品内容が見える、みたいなのは避けるべきです。
以上、僕の意見をまとめると
子供が通るような道にポルノ関連コンテンツを設置するべきではないが、それは公序良俗、社会法益または子供の教育的視点から論ぜられるべきで
決して治安維持の観点から語るべきではない、という事になります。
よねはらうさこ氏のポルノ商品はゾーニングをすべきだという部分は同意できるものの、なぜすべきなのかの部分が非常に危うく
そしてそれを指摘してる人が少なかったため書きました。
よねはらうさこ on Twitter: "性的なものが表にあることで起こる被害の話 https://t.co/zNVstS2fIJ"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yoneharausako/status/1433044285113307137
中国、タレント発掘番組を禁止 「男らしさ」奨励を放送局に命令 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3364529
中国には肌を露出した女性の図画や中性的表現を嫌う少数民族もおり、何らかの宗教的配慮が必要なのだろうが・・・
実際に表現物の悪影響が存在するということであれば、日本でも同様の対応をとる必要があるかもしれない。
アメリカ、アフガニスタン、ドイツなどでは、悪辣な表現物に対して割れ窓理論に基づく厳格な対応をとっていると聞くが、具体的にはどのような取り組みがあるのだろう。