はてなキーワード: 非常階段とは
そのうえでヤカラ諸君にはその子のことを単なる肉便器として侮っていてほしい。
”清潔でとにかく無口でテンション低いのが平常運転だけど、自分の価値をわかりきってる美人”
が合意の上でそういう男に股を開いて、ハメ撮りや乱交も喜んで受け入れる・・・・・・
そんなシチュエーションに何よりも興奮するんです私は。
多分、中学時代の経験がこういう性癖に影響を与えているのだと思います。
メガネ黒髪無口なのにもかかわらず学年No.1人気があった憂いのある美人の同級生が、学校最凶と悪名高かったヤンキーの同級生と付き合っていたんです。
「非常階段の踊り場でバックでヤったw」とヤンキー君が男連中に自慢してたらしいのを小耳にはさんでほんと最高だったし感謝感激だったんですよ。
贅沢いえば……
「反社・ヤカラにいいように肉便器にされそのことを喜んでいたのにもかかわらず、
大企業勤めの同年代とシレッと結婚し落ち着いた聡明な美人の家庭人として豊洲や二子玉や品川や小杉のタワマンに住む」
そんな締めくくりであってほしいものです。
とにかくですよ?
一見すると関東連合と区別つかないようなヤカラの皆さん(できれば学歴弱者の前科持ちであってほしい)は、どんどんこういう女性にアプローチしていってほしいんです。
そうしてくれると私、ドピュッドピュッとおチンポ練乳を出すことができるのであります。
はい。
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
近所のマンションに侵入しようとして非常階段のドアノブを回したら鍵がかかっていたのだが、これは防災的な観点からは問題があるのではないだろうか
この状態だと例えば正面玄関で火災が起こって正面から内部に入ることができなくなった場合、消防士が非常階段から内部に入って消火活動や救助活動を行うことができなくなってしまう
もちろん内部からであれば住人が解錠できる仕組みになっているだろうが、これは言い換えれば内部から解錠されない限りは外部から解錠することはできないということだ
住人が火災に気づかなければ消防士はマンション内部に入れず、スピーカーなどを使って避難を呼びかける手間と時間が生じて安全性の欠陥となるだろう
もし住人が火災の初期段階で正面玄関から避難していた場合は解錠を行う人が内部にいなくなり、やはり消防士が内部に入ることができなくなってしまう
そのときに本当に住人がみんな避難していればまだいいのだが、小さい子どもや体の不自由な人などが内部に取り残されている可能性が否定できず安全性に問題が残る
非常階段に設置された安全のための鉄の扉が、消防士を阻む障壁となってしまっているのが現状なのだ
事故や事件など物騒な話が増えた昨今、マンションの非常階段というごく身近な場所でこのような重大な危機管理の欠陥が放置されているとは呆れてしまう
一刻も早い改善を求める
3日分ぐらいの食料の備蓄はやってるな。
カロリーメイトならぬライトミールをたくさん買い起きてる。たまに食べて消費してるね。
水はポットぐらいしかないんだよね。
昔はペットボトル飲料を大量に箱買いして飲水代わりにしてたけど、最近値上がりが辛い。
東欧のどっかで半年ぐらい戦争で無政府になった時に、必要だったものは武器と抗生物質というレポートがあったので。
残念ながら、武器は銃刀法で規制されてるから、薬の方をおいておくようにしてる、病気がちなのもあってね。
地震や津波にも備えているつもりで、常に大きなマンションの4-7Fぐらいに住むようにしてる。
この高さなら津波は来ないだろうし、これだけ丈夫な建物なら津波にも地震にも耐えると思う。
そして火災が起きても徒歩で余裕で非常階段から逃げられる高さだと思ってる。
ただ、核戦争は想定していなかったので困ってる。
ヨウ素を買うべきか?アメリカ人は大量に買っているらしいが・・・
核攻撃されたら地下シェルター以外なら、建物の一番奥が一番安全らしいけど該当する部屋はトイレぐらいしかないので辛い。
仮に核攻撃を生き延びても持病あるから、処方薬がなければぼろぼろになって死んでいくだろうなと思ってる。
コロナのおかげで処方薬を出してくれる日数が延びたけど、防災考えれば半年分ぐらいほしいよなあ。
プレッパーとかは脱出方法とかにも備えているんだろうけど、そこまではできてないな。
まあとりあえず、個人的な備えはこんなところかなあ。
もう15年くらい筋トレをしている。
特にボディビルや重量挙げの試合に出るわけじゃないが、ジムで筋トレすることが楽しくて
仕事が忙しくても、出張続きでも、なんとかジム通いだけは続けてきた。
でも最近、どうもやる気がでない。惰性というか、習慣として筋トレはするけど
ジムにはもう2年くらい行ってない。嫁はコロナをやはり警戒しているようで、行くなというし
今は家で腕立てを500-600回ほどしたり、会社の屋上にある非常階段で懸垂をしたりしている。
正直、つまらん。やる気が起きない。でもやらないとなんとなく気分が悪い。
いっそ、すぱっとやめたほうが気が楽なのかなーと思う。
仕事も忙しいし、家のこともあるし。でもそうすると趣味は酒とスマホで漫画読むくらいしかない。
どうしたもんかな。
もう15年くらい筋トレをしている。
特にボディビルや重量挙げの試合に出るわけじゃないが、ジムで筋トレすることが楽しくて
仕事が忙しくても、出張続きでも、なんとかジム通いだけは続けてきた。
でも最近、どうもやる気がでない。惰性というか、習慣として筋トレはするけど
ジムにはもう2年くらい行ってない。嫁はコロナをやはり警戒しているようで、行くなというし
今は家で腕立てを500-600回ほどしたり、会社の屋上にある非常階段で懸垂をしたりしている。
正直、つまらん。やる気が起きない。重い物を持ち上げたりするのが楽しい。いまの筋トレはただの作業。楽しくない。でもやらないとなんとなく気分が悪い。
いっそ、すぱっとやめたほうが気が楽なのかなーと思う。
仕事も忙しいし、家のこともあるし。でもそうすると趣味は酒とスマホで漫画読むくらいしかない。
どうしたもんかな。
漠然と子供に興味のない人生だったが、いつからか「恐怖」になったので気持ちを書き留めておく。
長いので暇な人だけ読んで欲しい。
思い出せる限り、私には(運の悪さによる事故以外で)死にかけたと思っている経験が二つある。
自転車を停めていると、近くに若めの成人男性が立っており、隣の駐車場の方に手招きされた。
陰鬱な雰囲気で声が小さい人で、なんと言って呼ばれているのかわからなかった。
何か用があるのかと途中までついて行ったが、変だと思ったか、予約を思い出したかで歯科医院に戻った。
あの時車までついて行ったら、良くてその場での性犯罪被害、悪くて殺されていたと思う。
実家はマンションの中層だったが、ある日鍵を忘れて、学校からの帰宅後、親が帰るまで待つしかなかった。
そういうことはたまにあり、慣れていたが、その日はどうしても家に入りたかった。
実家は角部屋だったので、玄関脇に非常階段があり、その塀がそのまま連続して、実家のベランダに続いていた。
(その間に、両腕を広げたより大きい幅の、薄い衝立が塀の上に沿って設置してある)
当時の私は、塀に立って衝立を辿りベランダに侵入できないだろうかと考えた。
実行直前まで行ったが、ベランダに入っても窓の鍵が開いてなかったら意味ないじゃんと気づき、やめた。
実行していれば、階数的に甘く見ても7割くらいの確率で死んでいた。2割は大怪我。
衝立はどう考えても脆弱だったし、太め中学生の体重の大半を支えられるつくりのはずがなかったからだ。
前置きが長くなったが、この二つは大人になった今でも怖い。
だが、本当に恐ろしいのは、この裏にもたくさん死にかけた経験があるだろうと容易に確信できることだ。
一体どのくらいの確率をすり抜けてここまで成長できたのか。
そしてきっと私が特別というわけではない。
私は頭のいい子供だった。
勉強は飛び抜けてできたし、同級生の軽率な行動も「そんなことしたらどうなるかわかるのに」と比較的大人の目線を持っていた。
そんな子が、中学受験を総なめにし希望の中学に入った子がその先で大真面目に考えることが、「5階の塀をつたってベランダに入れないだろうか?」である。
1件の重大事故には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常があるというハインリッヒの法則は、子供の日常にもある。
判断力に欠け、好奇心が強いことを考えると、もっと異常の裾野は大きいだろう。
私も特別怖いのがあの二件というだけで、ボールを追って車道に飛び出したこともあるし、携帯を持っていなかった小学生の頃、塾帰りに迎えの親との連絡がうまく取れず、21時過ぎに暗い神社裏で1人ずっと待っていたこともある。
覚えていない危険もきっと無数にあったと思う。
子を持ってしまうと、親としてこれらの危険を18年回避し続けなければならない。
その責任の重さが、命が傷付けられ失われる可能性の高さが恐ろしい。
確かに良くない結果を招くと私も思う。
でも子供の遭遇しうるものを考えると、気持ちはわかってしまう。
ある程度自由にさせつつ、これらを予測して全回避なんて絶対不可能だよ、って思っちゃう。
再婚は考えていないけど、もし機会があっても、この恐怖がある限り、子供は持てないかもしれない。
子供が引きこもりになるかもだの発達障害かもだのの怖さ以前にこれがある。
みなさんは怖くないのですか?
声優がバンバンテレビに出て、アニメの特番も組まれまくって、全国どこでもグッズが買えるようになる、こんな世の中が来るとは思わなかったな。
あの日夢見てたはずの未来にいるはずがなんとなく物足りなさを感じてる自分が不思議だ。今思えば、コソコソ作品を楽しんで、教室の隅どころか非常階段でヒソヒソ語り合ってたあの頃のほうが楽しかったように思う。きっと、世間的に好ましくないことをしてるというある種の後ろめたさが最高のスパイスになってたんだろうなあ。
便利になりすぎた、理解が進み過ぎた現代で不自由から生まれる楽しさを得るためにはどうすればいいんだろうなんて思った土曜の朝。
20世紀(2000年)までに出たアルバムを「古典」としています。
1.Revolver / The Beatles
2.Beggars Banquet / The Rolling Stones
4.Led Zeppelin 2 / Led Zeppelin
5.Paranoid / Black Sabbath
6.Trout Mask Replica / Captain Beefheart
7.Live at the Harlem Square Club / Sam Cooke
8.Red / king Crimson
9.Tarkus / Emerson, Lake & Palmer
11.Piper At Gates Of Dawn / Pink Floyd
13.Future Days / Can
14.Stand By / Heldon
16.White Light White Heat / The Velvet Underground
18.Radio Ethiopia / Patti Smith
19.End Of The Century / Ramones
20.Blank Generation / Richard Hell & The Voidoids
21.Remain In light / Talking Heads
22.Buy / James Chance & The Contortions
23.Never Mind The Bollocks / Sex Pistols
24.Damned Damned Damned / The Damned
26.Inflammable Material / Stiff Little Fingers
27.No More heroes / The Stranglers
30.Dameged / Black Flag
31.Rock For Right / Bad brains
33.Heaven Up Here / Echo & The Bunnymen
34.Substance / Joy Division
36.Killing Joke / Killing Joke
38.Cut / The Slits
39.Songs About Fucking / Big Black
40.Y / The Pop Group
41.Metal Box / Public Image Limited
43.In"Jane Fron Occupied Europe" / Swell Maps
44.Heroes / David Bowie
45.Purple Rain / Prince & The Revolution
46.Our Favourite Shop / The Style Council
47.Psycho Candy / The Jesus and Mary Chain
48.Kollaps / Einstürzende Neubauten
49.Daydream Nation / Sonic Youth
50.Appetite For Destruction / Guns N' Roses
53.Green Mind / Dinosaur jr.
54.Loveless / My Bloody Valentine
55.Screamadelica / Primal Scream
56.The Comforts Of Madness / Pale Saints
57.Siamese Dream / Smashing Punmpkins
58.Odelay / Beck
62.Weezer (Blue Album) / Weezer
63.Satori / Flower Travellin' Band
65.EVE / Speed, Glue & Shinki
68.風街ろまん / はっぴいえんど
70.燃えつきる キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13. / CAROL
71.Public Pressure / Yellow Magic Orchestra
72.Welcome Plastics / Plastics
73.虫 / The Stalin
75.蔵六の奇病 / 非常階段
78.THE ROOSTERS / THE ROOSTERS
82.GOOD EVENING WONDERFUL FIEND / THE WILLARD
83.Shambara / Dead End
85.DETESTation / G.I.S.M
88.THE BLUE HEARTS / THE BLUE HEARTS
89.ヘッド博士の世界塔 / Flipper's Guitar
94.C.B.Jim / Blankey Jet City
95.ココロに花を / エレファントカシマシ
96.GEAR BLUES / thee michelle gun elephant
97.Kocorono / Bloodthirsty Butchers
追記2/21
すみません。Jimi Hendrixを完全に入れ忘れてしまいました。
追記② 2/21
Sonic Youthの綴りが違う、ご指摘感謝。訂正しました。
Stone RosesやSmithsあたりはTOP110なら入ったと思います。
追記③ 2/22
四人囃子も「一色即発」と書いていたので
順位ではありません。
身体に症状が全くないのだが、「気疲れ」も溜まりに溜まって明日からでも半年くらい休職したい。
何もかも疲れた。メール一本返すのに心が抉られて何かを失った気分になる。毎朝行きたくない。残業のたびに退職が頭によぎる。時々非常階段で、「ここで倒れたら病院に運ばれて、何日か会社を休めるかもな、、」なんて考えてる。
だけど毎朝問題なく起床して通勤しているしメールだって返してる。パフォーマンスも悪くない、寧ろ評価は上がってる。デスクで突然泣いたりとか会社のトイレにこもって出られなくなったりとかもない。休みの間に溜まった仕事を処理するのがしんどいので有給はよっぽどでない限りは取らないのだが、心身が絶妙に「よっぽど」まで達しない。多分クリニックに行ったところで何にもなれないだろう。
絶対悲壮感のある顔で働いているのだけど、上司とは在宅で半年くらい会ってないし、周りに心配されるとかもない。
ちょっと話ずれるけど在宅の影響でいままで顔色見て周りから「調子悪いの?今日はもう帰りな?」とか、「最近元気ないね、ちょっと面談しようか」とか言われてたのが一切なくなって、自分で申告しない限り問題なく働いてるんだろうと思われてるのがまたな。
もう、心は限界なのだ。いつポキっと折れるか分からないから、折れる前に半年くらい休みたい。取り返しがつかなくなる前に。
教えて!人事のプロの人!