わかるわ、うんち増田つくとやったーって思う
政治家がまともだときっと生きやすくなるんだろうなと思うけど、今って賢い人ほど政治から距離を置くみたいな雰囲気がある気がする
正直わかる気がする
嘘ついて当たり前、やじ飛ばして当たり前、金横領して当たり前、職権乱用して当たり前な世界の住人と同類だと思われたくないもん
でもそんな空気だといつまでたってもまともな人は政治家にならなくない?
まともなのにどうして政治家になろうと思ったの?
世の中のためなの?仏様なの?
妻は俺の顔を見ると何故か怒りスイッチが入るので、まともなコミュニケーションは不可能。
また、家にいるときと会社にいるときでは、IQが20くらい違う。
蟲師のわりと初期のエピソードのラストあたりに出てくるセリフ。
色々あって自分を犠牲にして地域を救おうとする同業者の爺さんを主人公は「なんかあんだろ!こんなのよりゃよ!」と勇ましく止めるんだが、結局なにも出来ず爺さんは消えてしまう。
爺さん亡き後、超のどかな景色の中、山を見つめて主人公はこぼす。「ないねえ 残念ながら」
蟲師、単話完結型でビターエンドも多めなんだけど、基本的に主人公は優秀だしわりといい感じの解決策を出せることが多いんだよな。ビターな終わり方をする場合は問題の当事者たちの精神面とかに原因があり、主人公はよくやってたってことが多い。
この話でもまあわりとよくやってるんだけど、でも何かが出来たかっていうと実際なにも出来てなくて、爺さんの自己犠牲を止められずじまいだった形になる。
それでこう、自嘲するのがいいんだよなあ。自嘲つってもそんなに卑屈にならず、サラッとしつつも悔しさをにじませてるくらいなのが丁度いい。
誰かの犠牲によって確立された平和の中で主人公がひとり悔やむっていうシチュはけっこうよく見る気がするけど、セリフ回しあたりはこの話が一番好きかもしれない。
そういや小学校の頃、クラスに転校生が来たとか新人が入ってきたときに先生が
「新しく来た○○さんです。皆さん仲良くしてくださいね。」
とか言ってるのを聞いて、すごく違和感を感じていた。
仲良くすることは、できないんだよ。
ケンカしないようにすることは、できる。
仲間外れにしないように気を配ったり、意地悪したくなった時に自制するのは、できる。
でも、頑張って仲良くなるっていうのは、無理だ。せいぜいが紛争しないように気をつけるだけだ。
争いなく付き合ってるうちに、気が付いたら仲良くなってるのはあっても、仲良くするのは無理。
これ見て思い出した。
許すことができない人間がある日突然ぱたりと死んだとして。
たぶんわたしは彼が死んだらさした葛藤もなく彼を許せるのだろうなと思った。
「どうしてあんな小さなことを気にしていたのだろう」、と。そういう想像力があるから人間は人間を許せるし愛せるのだろう、とか、そういうことを考えた。
確固たるなにかがあって今感じている憎しみや嫌悪感や絶望があるわけではないのかもしれない。そうなのだろう。その人が死のうが、苦しもうがどうしようが絶対に許さず同情せず憎み続ける。そんな意思すら持てない。
持たないほうが生きやすいのだろう。生きやすいからなのか、本能としてそういう頭のつくりになっているのか、いやそんなことはどうでもよくて。
わたしが死んだほうがいいのだ、というところに帰結してしまうのは思考停止でしかないんだよなあと思う。
こういう思考はあと10年も経てば風化するのだろうか。時間が解決するってほんとくそだな!!!!!!世界で一番あほらしい。
わたし自身のちからで憎みたいし嫌いたいし許したいし愛されたい~~。はあ。
などということを2018年のわたしはevernoteに書いていて、2020年のわたしはそれを読んでありありとそのときの気分をなぞることができたのだった。
ペットボトルを枕にすると近未来の寝心地がする。無機質な部屋ですらない境目のない空間に君だけが見える。君はどこにもいけない。とても都合がいいが、どこか居心地が悪い。自分にも逃げ場がない。またとない機会なのに見つめ合っておしゃべりという気持ちにはなれない。せめて椅子くらいほしいなと思うと、えらく気取って座りにくい、人間工学に基づいているといいたげで、ただし芸術や消費者心理には基づいていない奇妙な椅子が現れた。
背もたれを前にすれば座りやすい気がして試してみたが、何か気恥ずかしいので組んだ手で顔を少し隠しながら、君の向かって左の肩の上を見つめた。何か話したような気がしたが恥ずかしいのでどんどん下を向いた。ついには一回転、でんぐりがえしをしたところで目が覚めた。
部屋に君はいなかった。洒落臭い椅子もなく、ゲーミングチェアのなりそこないと散らかった机だけがあった。有象無象を滑り落とし、PCを立ち上げ、なるべく安っぽいSFを探した。