2020-09-09

朽ちていく 5

anond:20200829175900

私は閉め切られたビジネスホテル廊下にある非常扉を、こっそりと開けてみた。扉を開け放つと、目が痛いくらいの光とともにホテルの中の冷涼で清潔な空気とは違った、埃っぽいけど暖かい空気が私の身体をいっぱいにした。八階の非常階段の柵越しに街を展望すると、几帳面建築されたビルの群と端正に植えられた街路樹、そして、人々の営みが、穏やかな陽に照らされていた。

ミニチュアみたいに縮小されたビルオフィスを窓越しに観察することもできた。スーツを着た男が、パソコンの置かれたデスクの前に二人居た。なにか話し合っているようだった。じっと見ていたら、そのうちの一人の男が、まるで私に気づいたかのように、おもむろにブラインドを下げた。なんだか、見てはいけない気がして、人ではないものを見ることにした。

比較的近いビル屋上に、植木鉢が無数にあるのを見出した。大きさが全て違っていて、植えられている植物バラバラであった。けれど、陽のよくあたるところにみんな行儀よく密集して、ある種の一体感を醸していた。私はなんだか懐かしいような羨ましいような気持ちになった。

動く人々に目を移した。私が先ほどまで散歩していた道が、本に印字された文字の余白のように小さくなっていた。さっきまで私はあの道の先の、公園まで散策してみていた。日陰を探し求めて歩いて、木々が織りなす濃い影の中にあるベンチを見つけてそこに腰掛けていたのだった。私と数メートル離れたところに座るサラリーマンの間のベンチの上を、登ったり降りたりして遊んでいるカラスがいた。カラスは、豊かに蓄えた玉虫色に光る黒い羽を太陽の光で透かせていて、私の心を惹きつけた。じっと見ていたら、カラスが私を警戒したのか、私の視線から逃れるように、木の陰へと隠れて行った。カラスを追うのをやめると、アゲハ蝶が飛んで行った。

旅鴉。

この街にはアゲハ蝶が多いらしかった。これは、この間喫茶店で隣の客たちがアゲハ蝶の話をしていて分かったのだった。蜜柑の木を植えたら、アゲハ蝶の幼虫の害にあって大変という話をしていたのだ。確かにこの街では、街中であってもアゲハ蝶を何回も見かけた。そんなことを、ふと思い出していた。

カラスはいつの間にか何処かへ飛んで行ったようであった。ベンチに座って昼食を食べていた人々も居なくなっていた。

そして私は今、ビジネスホテル非常階段から、外を眺めやっているのであった。

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      • なにこの臭い文章

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