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2020-12-15

公園ってさぁ

遊具フェンスは錆び付いてるし

ベンチもトイレも汚ねえし

草がボーボーだったり落ち葉がたくさん落ちてたりするし

気持ちが悪いイメージしかないんだけど

なんとかならないのかな

2020-12-01

垣根の垣根の曲がり角

焚き火焚き火落ち葉焚き

野焼きは法律禁止されているんですよ!

全くマナーがなっていない連中だ!

北風ぴいぷう吹いている

2020-11-24

坦々うどんの季節がやってきた

道路落ち葉が重なり、空気が冷たく乾いてくるとようやく自炊しようという気が起こってくる。夏はあまり火を使う気になれないから。

いくら流行っているとはいえ、今年の夏はオメガラーメンを食べに行き過ぎたという反省もあって、今週からできるだけ夜は自炊することにした。

駅の改札を出てそのままアーケード下のスーパーに入り、チルド麺のコーナーに直行する。

ここで2食パックになっているチルド麺の担々麺セットは買わない。

目当ては、小分けで売っているタレだ。冬になると担々麺のタレが売っているのでこれを買う。

それから、袋入りのうどんを買う。

これは好みの問題だけど、生ラーメンかん水臭いが苦手なので、うどんを買うことにしている。

あと、生ラーメン場合は、麺とスープに別々のお湯を用意しておかなくてはいけなくて面倒くさい。

うどんならごった煮でも気にならない。

この2つを手に入れたらあとは家に帰って適当材料調理する。

ひき肉の残りがあったらフライパンごま油を引いて軽く炒めておく。

お湯をはった鍋の中に野菜うどんをぶちこんで適当に茹でる。

いい感じになったら担々麺スープと混ぜて、丼に移してからひき肉をのせてできあがり。

すりごまが袋に残っていれば、かけるとさら香りが立つ。

この坦々うどんだけでかなりお腹たまる

これを食べたくなってくると、冬だなと思う。

2020-11-21

めちゃくちゃ風が強かったので玄関前の落ち葉が誰かが丁寧に掃除したのかってくらいに見事に綺麗さっぱり無くなってたw

まあこれでまた一つ近所付き合いがしずらくなったわけだがもともと近隣住民から嫌われてるので今更罪悪感とかもまったくないwww

面倒な掃除しなくて助かったwww

2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

 

2020-11-15

都市緑化植物園

昨日はひさしぶりにちょっと出かけて、都市緑化植物園なる場所を訪れた。

ひと駅の近場にも同じような名前施設があるが、そこははっきり言ってショボい。植物園と言いながらほとんど温室だけの存在で、その温室も2〜3部屋くらい、チョロっとあんまり華のない植物があるだけ。デザインもそんなに洗練されてなくて、逆にそこが魅力といえば魅力なんだが、とはいえまあショボいものはショボい。無料なのはひとつの強みだけど!

それにたいして、昨日の都市緑化植物園は立派だった。敷地が広くてハーブ園なんかも併設しているし、温室だって二階建てデカかった。ガラス張りの大部屋が吹き抜けになっていて、開放的空間・絶え間ない水音・ガラスで弱まった陽光エキゾチック植物が織りなす最高の雰囲気がそこにはあった。

カフェ風の椅子と机なんかも置かれていて、その気になれば数時間ボケっとしてられそうだった。温室の外にはちょっとした池、ちょうど紅葉した背の高い木から落ち葉が舞い散るのをベストアングルで見られるテラス席なんかもあり、マジで超よかった。西日を浴びていっそう黄色紅葉

 

植物園は安い。

広くて、温室では空間トータルコーディネートみたいなものを楽しめて、全体的に人が少なくて、落ち着ける。

そしてアホみたいに安い。

終の住処を選ぶなら植物園そばにしたい。

そう強く思った。

2020-11-06

家事育児の分担量が納得いかなくなってきた

私は役所事務職員、相方公立病院勤務医、子は認可保育園に通園中の2歳児、の3人家族

夫婦二人とも正職員としてフルタイムで働いてて、18時までに保育園に行けることは滅多にないので、私の実家が近いこともありほぼ毎日私の両親に保育園の迎えに行ってもらい1時間ほど預かってもらっている。

二人とも帰るのが早ければ手が空いてる方ができることをやるという形で、毎日家事育児はほぼ同量で分担してる。

 

相方が当直やオンコールで一晩中帰れないことが週に2日あり(これでも子供が産まれる前に比べれば減らしてもらっているが、全体的に人手不足でこれ以上減らすと同僚の負担が重くなりすぎ、完全になくすのは正職員である限りは無理なようだ)、

そのときは私の実家で私の母に作ってもらった晩御飯をみなで食べ、家に連れ帰って入浴させて歯磨きして寝かしつけ。

子供が寝たら洗濯機をまわし、前日から干してあった洗濯物を取り入れてたたみ、翌日の保育園の準備をして、洗濯物を干して、それからメールチェックしたりネットニュースを見たりして、寝るのは12時ごろ。

相方帰宅が朝方になると、翌日が休日だと日中はグタッとしてる。

 

相方は家を綺麗に保つことに関心がなくて、週末の各部屋の掃除機かけ、玄関前や門前道路落ち葉掃除、布団干し、月1のトイレ掃除などはほぼ自分役割。その間に相方子供と一緒に公園に行って遊んでいる。

相方の帰りが遅かったり帰れないことに、最初は「医師多忙から私の家事育児負担が重くなるのは仕方ない」と思って納得していた。

子供毎日毎日かわいくなっていって言動を見ているだけで笑えたり楽しいので地獄育児というわけではないし、

私の両親も初孫ということもあり毎日「ほんとかわいいねぇ」と言ってニコニコ子供を見てくれるので負担にもなってないと思う。

でも、だんだんと「なんでこっちばかり家事育児負担が重いの」と不満を覚えることが多くなってきた。

仕事から帰ってきた相方が「疲れた」とソファーで目をつぶってる横で子供相手しながら夕食作ってると「こっちだって仕事帰りで疲れてるのに」と思ってしまう。

私の両親のサポートが得られてたり、私の今の配属先は残業少なめで7時前には必ず帰れたり、世間育児家庭より恵まれてる点があるのは自覚してる。

でもね

 

相方多忙なぶん稼いでいて(年収だと私は500万ちょっと相方は当直・オンコールの量によるが1200~1500万)、

それに見合う家計負担をしているのならまだ納得できるんだけど、お互い社会人からってことで家や車を買うとき折半で出して、光熱費なども折半

稼いでるのに普通の消費しかしてないから貯めこんでるはずだが、それ将来子供学費に使うんだろうな?と心配

月々の保育料は相方収入の高さゆえ一番上のランクになり高額なので相方負担してるのと、

休日に3人で外食したりお泊りに行くとき相方が全額負担してるけど、

掃除機などの家電は私が必要に迫られて買ってるので相方ばかり負担してるというわけではない。

 

先週の日曜、私が家の周りを掃除してる間に子供公園から帰ってきた相方に「ゴミ箱ゴミ集めといてね」と言うと「自分は好きなことやってたくせに」と言われてイラときた。

いや、掃除好きでしてないから!家の周りの掃除しないと近所迷惑から

うちの周りだけ平日は掃除してないか落ち葉が多めなの見えるでしょ?って。

 

これまで何度か家事分担をめぐってケンカしたこともあって、相方から家事代行サービスや家政婦を頼もうかという話も出たが、

知らない人を家の中に入れるのは抵抗があって拒否した。

 

たぶん子育てが大変なのは子供が小さいうちで、成長するにつれ楽になってくると思うけど、このまま数年何事もなくすごせるのか不安になってくる。

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-09-28

垣根の垣根の曲がり角ォ・・・

たき火だたき火だ落ち葉焚きィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!

2020-09-27

[]9月26日

ご飯

朝:なし。昼:餃子二人前。ビール。夜:考え中。間食:とりあえずドーナツ

調子

むきゅーはややー。仕事おやすみー。

お酒飲んでしまうと何もできないね。なんとか洗濯はした。それとグラブル期間限定イベントクリアも。

グラブル

バブバブの塔16-1の全員生存クリアを達成できた。

装備が、どうして空は蒼いのかの楽器、シュヴァ剣五凸一本、シュヴァ剣四凸五本、マグナ終末四凸(上限アビつけ忘れてたの今気づいた)、ゼノコロ剣、コスモス剣。

石が、両面シュヴァ石、サブがノビヨ、サンダルフォンフレイゴールデンぴにゃこら太。

第一陣が、

ランバージャックジータ(ディスペル、安らぎの木漏れ日落ち葉焚き)、リミテッドイオ、恒常レ・フィーエ、銃ゾーイ。

第二陣が、

コリーヌ、SSRソフィアリミテッドヴィーラ、最終前ふんふ。

第三陣が、

最終前ソーン、恒常光SSRジャンヌリミテッドノア、恒常SSRアルベール

とにかくリミテッドイオが強かった。久遠捧げた価値を感じられて大満足。

難易度をやると、その属性の欲しいものが見えてくるね。

まず、リミテッドイオもっと活かすためにアビリティのおかわりができる黒麒麟石が欲しい。よんぞうは来月あるんかなあ。

次にランバージャックで握れる武器が色々欲しいな。光だとリミテッドヴィーラの解放武器が強そうかしら。

2020-09-11

今日あったちょっと良いこと。

郵便局切手を買いに行ったら、落ち葉どんぐりの柄のかわいい切手が売っていた。

わず2シート買っちゃった。

これでヤマザキ「秋のわくわくプレゼント」にたくさん応募するんだ!!

みなさんも、ちょっと良いこと、あったら教えてください。

2020-07-21

anond:20200721105946

あっ昭和でいっぱいみたやつ!将来「濡れ落ち葉コースだ!

まあ生んであげたし働いてるしでいいんじゃないですかね

旦那給料だけでやれるんなら専業でていねいな暮らしやってみてもいいだろうし

好きなことして自己実現して生き生きしてればなんでもいいとおもうよ

子供ゲームは昨今好きなだけやらせてあげてもいいとおもうけど

2020-07-04

anond:20200703132044

ほんこれ。よく言った

ただ日曜にゴロゴロしてるお父さんは「粗大ごみ」ですな

定年後「濡れ落ち葉」になる

2020-07-03

anond:20200702190642

終戦後の食糧難で常に空腹

・級友の何人かは普通に感染症栄養失調で死んでる

・全国のいたるところで公害

・一部の裕福な家庭を除き、大学へは行きたくても行けない(男子

・「大学へ行くだと?女が大学に行ってどうするんだ?アタマおかしいのか?」(女子

就職先は学校が決めて集団就職選択肢はない

夕方には帰宅して、家族みんなでテレビ見ながら晩ごはん ←深夜営業外食コンビニ電子レンジも普及してないから、そうするしかなかっただけ

映画、歌、テレビ、みんなで同じものを見て、同じものを楽しんでいた ←野球クルマが好きで酒・タバコバクチ・買春をたしなまないと男は社会的に死亡

会社学校家族、誰もが帰属先を持てて、アイデンティティ確立できた ←今だって趣味、住所、政治的立ち位置あたりに誰もが帰属意識持てるし、アイデンティティをふりかざしてる人は多い

男と女役割分担がはっきりしていて、変な軋轢がなかった ←軋轢はあったよ。役割を分担してた分、男は稼ぎが少ないのをなじられ、女は炊事洗濯が出来ないとイビられる地獄軋轢が。

・6日間必死に働いて、日曜にようやく休息してたら「濡れ落ち葉」と邪険にされたのが昭和のお父さん

普通に働いていれば、それだけでいい ←と思ってたら、子はワープア自分介護は無理そうで、政府はアテにならず、あげく戦後食糧難や公害といった苦労を知らない若造から昭和時代にサラリーマンをやりたかった」などと言われ……

2020-06-05

気をつけま

車を運転して帰宅中、カーブで旋回しきれず誤って道路脇の堆積物(落ち葉とか石ころ)と絡み合ってしまった。

タイヤ全周に擦り傷と泥汚れがついたけど、ホイールに目立った傷はない。フロントバンパーとかフェンダーとかサイドスカートにも特に傷はない。直進も問題なく、特に異音もない。ハンドルセンター微妙にずれている気がするけど気のせいだろう。

なのでサスペンションや骨格に損傷は及んでいないとみているんだけど、車屋で診てもらったほうがいいだろうか。

前後記憶ちょっと怪しい。道路脇堆積物に突っ込んだのは確かだけど、実は山肌にもこすったかもしれない。

なお、超絶くそ田舎なので、歩行者はおろか対向車も後続車もいなかった。

2020-03-22

ハトを騙す

落ち葉を細かくちぎってパンくずみたいにして、ハトの目に入るところで餌やりっぽくばらまく

それをみたハトはアホなんでエサだと思ってやってくるし、他のハトが集まるのをみた遠くのハトも寄ってくる ちょっとした饗宴状態

でも落ち葉しかないので困惑する その落ち葉をつついてみたりもするが、なんの変哲もない落ち葉だ 馬鹿めと思いながらもう一回落ち葉を撒く ハトはアホなんで律儀にまた落ち葉たか

この辺りであたりの視線が痛くなってくるので立ち去る これが俺の流儀

ネットいくら検索をかけても同じようなことをやってるって話がヒットしないから、ここに一人いるぞということを示したくて書いた(増田は木っ端記事でも検索上位に来がちだし)

同好の士よ 君は一人じゃないぞ!

2019-12-15

anond:20191215204305

1. 鳥の糞や落ち葉をモップほうきでふき取る

2. 発電量が過剰になったら、パネルブルーシートかぶ漬物石で固定する

3. 天候が悪化したらパネルトラックに積んで倉庫に戻す、あるいはその逆

2019-11-07

anond:20191107163749

古来昭和では「濡れ落ち葉」「亭主元気で留守がいい」といわれましてな

2019-10-15

近場の公園

冬になると近所の公園コスプレ撮影にやってくる人たちがいる。

一部には有名みたいで、枯れた木々落ち葉の感じが撮影に良いみたいだ。

ただ、オタクとかコスプレを知らない人が見てぎょっとしているようなのでなんとかしたい。

足とかお腹周りの露出が多い衣装だったり、ローアングルから撮影をしたり、その様子が傍目から見てていかがわしいのが問題

撮影時間明け方とか夕暮れに多いので余計に不安になる。

いまのところ「変なこと」をする連中はいないけどトイレで着替えてるみたいだし何か起こってしまいそうで怖い。

2019-09-27

[]2019年9月26日木曜日増田

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2019-09-26

anond:20190926125620

「宙を舞う落ち葉を片手で複数枚掴む」の時点ではじめの一歩が想定されているぞ

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