はてなキーワード: 敷地とは
「ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコーストを否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米は否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようである。Twitterなどで状況が意外と簡単にわかる。
だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないからである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的か無自覚であるかは別として「詐術」なのである。しかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。
「アウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、親衛隊員や囚人が水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所は地獄のような過酷な収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プールが存在し、元囚人の手記によると親衛隊や囚人が水球などで楽しんでいたようである。
先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所が地獄のような過酷な収容所であった事実は変わらない。登録囚人に限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プールの存在は思っていたアウシュヴィッツのイメージと全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所のイメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。
あまりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単に解説する。アウシュヴィッツ収容所はポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的にスタートした強制収容所である。最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯を主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人やポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初のガス室での殺害犠牲者はこのソ連兵捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所から三キロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所の建設が始まると、そのソ連兵捕虜が建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連兵捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである。
ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人の絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初の一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所のガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室の使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人のガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年の10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。
もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的に囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラックで注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法も親衛隊の選別の担当長が適当に恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行も日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。
……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プールの存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツの悲惨なイメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。
このプールの詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプールは絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的は防火用であり、完成したのは1944年8月ごろであると推定される(フランクフルト・アウシュビッツ裁判の証言にある)。収容所の親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである。上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷な労働をしていなかった囚人長であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人が毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのである。ビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラに演奏会をさせたり、囚人に劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人の食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的に食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰な処分が下される)。
もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活を謳歌している姿も知っていた。だから戦後の地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊員被告の非道ぶりを存分に告発したのである。
ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないか。アメリカの死刑用ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国の死刑専用ガス室の写真とともに出回っている。
えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンBは害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものである。アウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室が複数存在し、現在も現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけである。チクロンBの製造元であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室でしか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。
「じゃぁ何故米国の処刑ガス室があんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから、米国の処刑用ガス室の構造は、アウシュヴィッツのガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツのガス室を否定する理由になるのか?
今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しかし最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突の位置が正確なのも素晴らしい。未完成で監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像を繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所をロケ地に使っていた映画が存在したというのも発見だった。
PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)
リーマンの喫煙者が便所より多く喫煙所に行くノリで屋外でタバコふかす。そして隣接した自分の部屋の窓から煙入ってくる。煙い、煙いんだよ、咳がでちゃうだろうが。
夏だから常時窓開けてるわけじゃないけど、掃除とか料理中とか換気するだろうが。というか軽量鉄骨は換気窓が必ずついてて換気推奨だろうが平素から。そうでなくとも、このご時世だから換気するだろうが。ご時世の話するならタバコの煙と判別できる距離に他人が居るの不快の極みなんだが?住人じゃなくて工務店の野郎なのが本当に腹立ちますね。
一歩でも横にズレてくれれば公道なので嫌らしく証拠写真を撮って大家を罵倒してストレス発散してやるのに。
小賢しくも公道に出ない。
あと個人の工務店なのか車に店舗名とか何も書いてない。お掃除本舗とかはフランチャイズ?だけど必ずそれと分かる車に乗ってるので、それだけで好感度が上がって自分も何かあったら頼もうと思える。実情がどうであれ広報が上手いのは評価高くつけがちになる庶民感覚。
この喫煙工務店は下請けで、元請けはソレナリの規模の業者という所まではアパートの大家に聞いた。
闇深い建設業界を見習って元請けの名前入のヘルメットつける下請けのノリで車に元請けのステッカー張るのが常識ですくらいに世の中が変わればいいのに。そもそもオマエの会社名を車に入れろという。
どうせ会社名わからないと思うから人様に迷惑をかける事を平気でやるんだ。タバコの煙なんてご近所トラブルの代名詞だろうが。あと騒音。
モーター音が出る工具を使うなら工事だと思うので大家は隣の棟の住人にも工期予定を知らせてください、会社とスカイプ的なアレしてる最中にギャイーンってなって驚かれたし仕事できる環境なのかと心配されたじゃないか。工数通りに成果物もレポートも上げてるしバッファも侵食してないので仕事は出来てます、環境については指摘しないでくださいむしろ貸与のパソコンのスペックとモニタ解像度を心配してくださいと言いたいけど社会人はそんな事言わない。通勤地獄から開放されて幸せに引きこもっている人間を引きずり出す手伝いをしないで。
こっちが窓閉めてても工事元が窓全開どころか隣接する庭部分でフローリングみたいなのカットしてるのが目に入るんだが。せめて部屋の中でやって、できれば部屋の窓を閉めて、平日の昼間なのよ?熱中症?クーラーついてるでしょその部屋って笑いながら言い放ちたい。大家は電気代負担して上げてくださいって半笑いでお願いしたい。ところでそのモーターがついてるっぽい工具の電源はどこですの?アパートのコンセントですの?コード見えてるわりに発電機は見えませんけど。クーラー使わせてあげてって笑いながら土下座したい。
工務店どころか大家もダメだ。タバコは住人トラブルの元になるんですよ。事実、今回は自分のような神経質な人間にわざとらしく噎せながら話しかけられるという苦行を強いられてしまったじゃないか。別に咳はわざとじゃないしマスクもしてましたけけど。好き好んで汗ばんだデブのオッサンに近寄る趣味もないので距離開けてましたけど。むしろデブのオッサンが近寄ってきてキモかったですが。是非オッサンもこちらをキモがって距離をとって欲しい。
しかも工事部屋の隣の住人まで合流してきちゃったじゃないか。密ですねって笑いながら罵倒したい。
工事部屋隣家の住人は庭でタバコ吸われたので洗濯物干せないし窓も開けられないって、溜まったウップンを恨みがましく吐き出しちゃったよ。認知したかぎり一週間も工事入ってたもんな、もっと早くキレてくれれば自分がデブのオッサンと会話する必要もなかったんだけど二人掛かりで大家対応できたのは良かった。
ところで共用部分は屋外でも施設内じゃなかった?条例の解釈的にどうなるのか知らんし該当したとしてもお縄にはならないわけだが。
時節柄、行政の受付が早じまいだったし勤務時間中なので問い合わせも出来なかった。というか行政に問い合わせようというまでに思い詰める繊細な人間も居るので共用部分でタバコ吸うのはヤメてくれないか。
というか灰皿無いので吸い殻どうするつもりですか。灰が散るのは放火にならないんですか。すれ違うと火がぶつかりかねないし化繊の服なら割とアッサリ燃えるか溶けるかしますが傷害か器物損壊みたいなものにならないですか。
工事部屋の隣も気の毒だけどウチにも煙くるので洗濯物が臭いんですけど、ベランダに出ると高確率でタバコふかしてるって、どんだけ休憩時間が長いんですか恨めしいって半笑いになるので止めて欲しい。
しかも今日は土曜日で自分、休日なので仕事中よりもむしろ音とか煙が気になります。仕事中は無心というかオフィスだったらもっと煩いから意識の切り替えが出来て我慢できる。タバコ臭いオッサンとかお嬢さんも居るので内心で罵倒するだけで済ませられる時もある。
でも休日はダメだ。だって休日だから。体休めてるから。タバコの煙は体が休まらない。
あと工務店はマジで元請けを明かせ、元請けにお願いのお電話してやるから、コールセンターのお嬢さんリスペクトの声色で丁寧に現状を説明して配慮をお願いしてやるから。
私は神奈川県内で自営業を営む、しがないIT屋である。過去にはオウム真理教(現アレフ)の事件を追う無名のフリーライターとして糊口をしのいでいた時期もある。
以下は、今年7月に私の身に起こった出来事の記録と、国家権力の象徴である警視庁と公安調査庁の手により、かつて未曽有の化学テロを起こしたカルト宗教団体オウム真理教の後継団体として公安調査庁の監視対象となっている宗教団体「ひかりの輪」に罪なき一般市民である私の個人情報がリークされた問題に関する告発である。
オウム真理教は麻原彰晃(松本智津夫)によって設立された新興宗教団体である。設立当初はヨガを中心とした修行による神秘体験の会得を目標とする比較的穏当な宗教団体であったが、1989年に教団施設内で発生した信者殺害事件とその隠ぺい工作をきっかけに急速に犯罪傾向を強め、以後、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめとする凶悪事件に手を染めていく。
1990年には真理党を結党して衆議院議員総選挙に出馬するが全員落選、教団はこれを国家による陰謀と考え、無差別テロに傾倒していく。上九一色村の教団施設であるサティアン群は毒ガス工場に改造され、サリン・VXガスなどの化学兵器の製造のための研究が進められた。ちなみにサリン製造プラントの初代責任者は上祐史浩である。
教団は95年の地下鉄サリン事件後、教団の拠点である上九一色村のサティアン群に警視庁による強制捜査が行われ、教祖である麻原彰晃(松本智津夫)を始めとする教団幹部の逮捕によって壊滅した。その後2000年には後継団体アレフ(現Aleph)が発足するも、麻原への帰依を続ける主流派と旧オウム真理教からの脱却を図る代表派の対立が勃発し、上祐史浩率いる後者(代表派)はアレフを脱退し、新団体「ひかりの輪」を結成した。
今なお信徒数約1,650人、拠点施設32か所、資産約12億9,100万円(2019年(令和元年)10月末時点)*1の勢力を誇るアレフに対し、上祐史浩代表率いるひかりの輪は信徒数約150人、拠点9か所、資産約700万円*2と非常に貧弱であり、表面上は国家や市民への脅威は全くないように思える。しかし「旧オウム真理教のシヴァ信仰から完全に脱却する」という上祐史浩代表の宣言とは裏腹に、今なお「オウム真理教の修行体系の最も本質的な部分を継承」*3している団体として、団体規制法に基づく公安調査庁の観察処分対象となっている。
今年7月某日、私はひかりの輪が拠点を構える世田谷区南烏山のマンションのエントランス前に立っていた。アレフ信者13人がこのマンションの2階に続々と入居し、事実上の拠点としたのは2000年12月のことである。以降、2007年の教団の分裂騒動以後は上祐史浩代表率いる「ひかりの輪」の拠点としてオウム真理教の残党はマンションの2階に居座り続け、3階より上の住人や烏山地区の近隣住民から強い警戒心をもって監視されている。
彼らの突然の入居から20年余り、近隣住民によって結成された対策協議会*4による戦いもむなしく追放に至っていないオウム真理教後継団体「ひかりの輪」の現状はどうなっているのか、かつて匿名でネット上に記事を書き散らしていた私の血は密かにたぎり、その足は知らず知らず私の体をこの地にいざなったのだ。
建物の前は、いくつかの鋼鉄製の小さなバリケードと警察の詰所があること以外はただの砂利敷きの駐車場と変わらない。どんよりと曇った平日の昼下がり、監視小屋に人の気配はなく、しかし敷地に足を踏み入れると砂利がかすかに音を立てて緊張感が走る。
エントランスのガラス窓には「関係者以外立入禁止」という、どのマンションにもある注意書きが貼ってある。これを無視してエントランス内に一歩でも立ち入れば、住居侵入罪として罪に問うことができるというものである。実際オウム真理教の信者や左翼団体のメンバーなどがこの微罪で逮捕された例は枚挙にいとまがない。じゃあ不動産屋やらピザ屋の広告のポスティングはどうなのかという疑問は持ってはいけないらしい。
私は開け放たれているドアを通ってエントランス内に足を踏み入れた。マンション内では多くの猫が放し飼いにされているようで、集合ポストの下にはエサ皿が置かれ、猫の尿のにおいが鼻を突く。集合ポストの最上段には、「201 上祐・水野 ひかりの輪」と書かれたボックスがあり、確かにここが「ひかりの輪」の本拠地であることがわかる。2階の他の部屋のボックスは「空室」と書かれたガムテープでふさがれていた。
集合ポストの写真を撮り、長居は無用ときびすを返しかけたその時、黒いシャツを着た短髪の男がエントランスにやってくるのがちらりと見えた。男は無線機のようなものを所持しており、一目で私服の警察官であることが分かった。このマンションの住人でもひかりの輪のメンバーでもない私を訝しんで職務質問をしようと接近してきたのは明白であった。
このとき私はたまたまダイソー千歳烏山クレア店にて500円で購入した水鉄砲「アクアレーザー」(未開封)を所持しており*5、そのことが警察官との喜劇的ひと悶着に発展していく。
商品番号:4549131780017
https://jp.daisonet.com/collections/party0105/products/4549131780017
「何の用ですか?ここの住人じゃないですよね?」
どうしたものかと考えるより早く私服の警察官は話しかけてきた。とりあえずお約束の「任意ですか?」という挨拶をしてみたものの相手が引き下がる気配はみじんもない。「いやその」「とりあえず身分証見せて」「はい」変に事を荒立てても仕方がないと思い、素直に財布から運転免許証を取り出して男に手渡す。男は無線に向かって免許証に書かれた名前を読み上げ、やがて近くの交番からやってきたと思しき警察官たちが集まってくる。これは困ったことになった、今日はこれから仕事の打ち合わせがあるのに、と困惑しつつもなぜか冷静になりあたりを見回してみる。既にパトカーまでやってきており、さながら何か大きな事件の現場の様相を呈しているが、GSハイムの一般住戸はおろか向かいの戸建てからも野次馬の気配は全くない。つまりここではこの程度のことは日常茶飯事なのだと合点しながら警察官からの質問に答える。そのうち彼は私のぶら下げているダイソーのレジ袋に気付いた。
「その袋の中身を見せてください」
しぶしぶ袋の中に入っていた未開封の水鉄砲(500円)を取り出して警察官に見せると、彼の目つきが一変した。「これを何に使うつもりだったの?」「いえ何にも」「そんなわけがないでしょう」「いや本当に何でもないんです」といった不毛な押し問答が始まった。折しも水戸で聖火ランナーに水鉄砲を発射した女性が逮捕された事件があったばかりだ、警察官のテンションが上がるのも無理はないだろう。そのうち「こんなところで水鉄砲持ってて何にも使わないわけがないでしょう!」と、いくらか統を失したような状態になっている警察官を私が必死でなだめるような展開になっていった。
そのうち雨が降り始め、一人の警察官が詰所からビニール傘を持ってきて、職務質問に当たっている警察官に手渡した。私を都会の酸性雨から守ってくれるというのである。素直にしている限り警察官というのは案外親切なものだと思った。やがて聴取の算段が付いたらしく、私は促されてパトカーの後部座席に乗り込んだ。
警察署に着くまでの間が、この事件における私にとって最も苦痛に満ちた時間となった。同乗した警察官にとっては私が他人の住居に侵入を図ったことよりもダイソーの水鉄砲(500円)を所持していたことの方が重大だったらしく、いつまでも「その水鉄砲でひかりの輪を襲撃するつもりだったんだろう」と因縁をつけられ続けた。当然私にそんな意図は露ほどもなく、ただダイソーで見かけた500円のポンプアクション水鉄砲に感心し(トイザらスなら同等品が3000円は下らないはずだ)、自宅に帰ってからその威力を試してみたかっただけだったのだ。頼むから信じてくれ。しかし、降り際に言われた「刑事には嘘をつくんじゃないぞ。嘘はあとで全部わかるからね」という一言は、この難局を切り抜けるための示唆を多く含んでいた。
成城警察署4階の取調室に着いた私は、徹底的に所持品の検査を受けることになった。カバンの中身は言うまでもなくポケットの中身(尻ポケットを裏返せとまで言われた。構造的に無理である)やズボンの裾の裏までひっくり返させつつ、「こちらもケガはしたくないからね」などと物騒なことを言う。靴を脱ぎながら「中敷きがあるので調べてください」と言ってみたが、そこは調べられなかった。くそっ、俺の足の臭いを警察官に嗅がせるチャンスだったのに、と思いながらも無言で靴を履き直して促されるまま椅子に腰掛けた。
やってきた刑事は眼光鋭く「どうしてこんなことをしたんだ」と切り出してきた。そんなことを言われても単に興味本位だったとしか答えようがないのでその通りに答えるが全く納得してくれる気配はない。次第に調子に乗って「我々は地域住民に委任されて地域の平和を守る義務があるんだ、外部の者が不穏を与えることは許さない、わかるか」などということを演説し始める。(テロ組織の残党と20年以上も慣れ合ってきてその体たらくは何だ)と喉元まで出そうになるがぐっとこらえつつ、話せることだけ話してあとは黙り込む。後になって気付いたが、彼らは私のことを極左テロ集団と関係のある何者かと思っていたらしい。こちらには検挙歴も何もないものだから彼らが私について知っていることは当然何もなく、必死になって思想的背景を聞き出そうとしていたのだ。
やがて私が極左でもオウム真理教関係者でも何でもなく、ただ興味本位でGSハイムを覗きに来たことが明らかになってくると、急に刑事たちのテンションが下がってくるのを感じた。取り調べの前に預けた所持品の返却願いを次々と書かされ、左の人差し指で拇印を押し、返却された品々をカバンやポケットに詰め込むと、まるで放り出されるように成城警察署を後にした。
事件後しばらくして、オウム真理教ウォッチャーの友人のもとにひかりの輪広報のツイッターアカウントからダイレクトメッセージが届いた。そのメッセージには、上述の侵入事件に対する不満とともに、警察署での事情聴取の際に明かした私の本名が、名字だけではあったが記されていた。
これは一体どういうことだ。
当然、私はGSハイムに立ち入ることを誰にも予告していないし、事件後にも一切そのことは話さなかった。それにこの事件に関して私は厳重注意を受けただけで、逮捕もされていないし、この事件があったこと自体マスコミに公表されてもいない。にもかかわらずひかりの輪の広報が私の名前を知っているというのだ。
私がGSハイムのエントランスに立ち入ったことを知っているのは、成城警察署の警察官や刑事、それにそこから連絡が行っているであろう公安調査庁だけだ。
つまり、「犯罪を犯したわけでもない一般人である私の氏名(もしかしたら住所も)を、警察がひかりの輪にリークした」以外の可能性が考えられないのである。
上述の通り、宗教団体「ひかりの輪」は、かつて一般人に対する殺人やテロ行為を繰り返してきたオウム真理教の元幹部である上祐史浩を代表とする、「テロ組織オウム真理教の後継団体」である。その規模はかつての全盛期に比べれば見る影もないとはいえ、その強い反社会性を懸念して公安調査庁の監視対象ともなっているわけである。
かつてオウム真理教は、TBSテレビ「3時にあいましょう」のスタッフから「オウム真理教被害者の会」の代表を務めていた坂本堤弁護士に関する情報を提供され、同弁護士を家族もろとも殺害し山中に埋めた*6前科を持つ。今回のリーク事件に関して、そのような組織の後継団体に教団に批判的な行動を行った一個人の個人情報を与えることがどのような危険をもたらすかを、警察は全く理解していないと言わざるを得ない。
もし、現在でもひかりの輪に殺人などの実行部隊が存在し、彼らが私を拉致し、あるいは殺害して山中に埋めるようなことがあったとして、日本国警察は一体どうやってその責任が取れるというのだろうか。そういったことが皆無であると、彼らを長年監視してきた警察は断言することができるのだろうか。
警察と公安のひかりの輪への監視活動も近年はマンネリ化し、ひかりの輪スタッフと警察官の間での立ち話も見られるという。そういったたるんだ状況の中、「警察によるテロ組織の後継団体への個人情報のリーク」という一大不祥事が発生した。警察には事態の重大さを認識するとともに猛省を促したい。
*1 国際テロリズム要覧2020 http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/aum.html
*2 日本経済新聞2019年2月28日付 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41879540Y9A220C1CR8000/
*3 産経新聞2021年5月19日付 https://www.sankei.com/affairs/news/210519/afr2105190020-n1.html
*4 烏山地域オウム真理教対策住民協議会 http://www.kyogikai.jp/
*5 この事件の少し前に聖火ランナー水鉄砲襲撃事件が発生していることとは全く無関係である。
*6 TBSビデオ問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/TBS%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA%E5%95%8F%E9%A1%8C
日光はせっかく遠足で1回は来て貰えてるのに、また来たいと思わせる体験を与えられてない。
東照宮と華厳の滝をルートに入れてしまうと、高原や湿地帯の魅力を伝えられないままタイムアップ。それに、神社仏閣が主力にも関わらず、外国人を増やそうとする意識が少ない。
那須はアクセスがいいせいで日帰り客をターゲットにした安直な施設、アウトレット、土産物屋、民家を改装したペンションばかり。
首都圏から行きやすい温泉付きの渓谷としては優秀なはずなのだが、スキー客を那須と日光と奪いあい、スキー人気の低迷と同時に廃墟群になりつつある。
鬼怒川、那珂川は立派な観光資源だが、現在のところ釣り人の集客しか考えてないのは視野狭窄だと思う。
首都圏から行ける観光やなは貴重だし、温泉もあるんだからプラスアルファがあればもっと集客出来るはず。
ツインリンクもてぎがあるのに、その周辺が観光が弱い。那須ハイランドパークとサファリパークが立地や敷地面積はなかなかなのに、バブル期以降投資してないのでしょぼい。立地にかまけてる感が強い。
食べ物は美味しい。
イチゴや餃子以外にもご当地グルメはあるが、全くアピールしていない。
まとめると、観光資源は悪くないが、日帰りでは伝えきれてない。
プロ野球かプロサッカーチームでもあれば、あるいはガルパンやあの花みたいなアニメコンテンツでもあれば、リピーターが続出、栃木県の魅力が伝わり、箱根や京都と肩を並べる観光地になれるだろう。
一番の理由は親族が土地を持っていたから(最寄り駅が都内ターミナル駅15分圏内。最寄り駅徒歩5分)。
お金に余裕があればマンションが良かったなーと思っています。(都内の4LDKマンション価格を見ているととても買える気がしません)
元々駅直結マンション、2LDKに夫婦+未就学児の3人で暮らしてましたが、2人目が産まれ2LDKが手狭になったので引っ越しを考え始めました。
マンションの利点は立地と、管理をお金を払って外注できることだと感じました。
ただ購入する場合、管理組合の存在がコミュ障の私にはハードルと感じていました。共用施設の運用や修繕等のメンテナンス、そういったことを決めるのに管理組合で決めなければいけないことを想像すると…私には難しいかもしれません(短期間で住み替える前提であれば良いのですが)
でも24時間ゴミ捨てができるのは最高でしたし、駅チカの恩恵はすごかったです。
賃貸購入問題は家に対する価値観が「終の棲家」だったので購入一択です(どっちが正解とかなく価値観の問題)。
土地について
・立地:郊外だけどそこそこ商業施設もある地域。通勤ドアドア1時間以内だったので良しとしました。(コロナで夫は今後もほぼフルリモートになった)
・子育て環境:大小公園がそこそこある。中学卒業まで医療費無料。若い世帯も増えており保育園も多い(足りてはいないが)。小学校が近い(中学校は遠い)。」
・土地:60坪程度の変形地。接道は所有権有りの私道。第一種住居地域。
ただ、SUUMOに掲載されていたら選ばなかったと思います。(金額的に買えないというのもある)
メーカー選定の流れ
ざっくり予算を設定してハウスメーカーや工務店に見積もりを貰いに行きました。
何も知らなかったので、ふらっと住宅展示場へ行きましたがスーモカウンター等からの紹介の方が良い担当が付くという噂を聞き後悔…(結果的に良い担当に出会えましたが)
さっくりと要望はこんな感じ。
・建坪40坪~の2階建て
・1F LDK+和室+水回り 2F 主寝室+子ども部屋+書斎
・洗濯は室内で完結させたい。
・パントリーがほしい
複数社から見積もりをもらって、どこにするか決める流れです。(メーカーによって見学会があったり、色々お金がもらえたり…)
ハウスメーカーの決め手
某大手ハウスメーカーには私達の属性や土地代が必要ないことを理由に予算を大幅に超えた提案をされたり、某SNSで人気のハウスメーカーにはとにかく性能アピールをされて要望が聞かれなかったり…そんな中、ふとした一言すら覚えて提案してくれる担当に出会えたので決めました.
結果としてその判断は間違ってなかったと思います。なぜなら、注文住宅は本当に決めることややることが多くて絶対になにかが抜けてしまったり、あれ?って思うことが発生します。これがあのハウスメーカーの担当だったら…と思うとゾッとします。シビアな話(間違いの指摘とかお金とか)でも遠慮なく話せる担当を選ぶことは大事だと思います。
営業担当なんて家造りで関わるうちのたった一人…というのも正解だと思います。でも例えば設計担当が気に入らなかったら、誰に交代をお願いするか?営業担当です。営業担当さえ誠実に対応してくれれば、大凡のトラブルは解決できたりする、それがハウスメーカーの営業担当だと思います(大変な仕事だ)。
※個人の感想ですが、同じメーカー内だと皆人柄は何となく似通っていました。(支店長、設計、IA、現場担当、庶務etc)
・アフターサービス の充実度
建てて終わり!というのはイヤだったので、ある程度大手でアフターサービス専門部署があるメーカーを選びました。
保障もできるだけ長い(60年)メーカーを選びました。もちろんメーカー経由だと何でも高いし、メンテナンスにもお金がかかることは承知の上です。それも込みで予算を設定しました。
・予算
契約後に仕様を詰める中でかなり総額は上がりました。…なのでそれも含めて最初に予算を伝えるべきだと思います。(500万くらい上がった。建坪アップと外構のせい)
ローンをどこで借りるかという問題もあるので、月の支払いイメージをしっかり持っていたのは良かったかなーと思います。
良かったこと
・こだわりを実現できる
1階で生活が完結できる間取り、を目指していました。特に洗濯動線は、洗う/干す/収納 が一部屋で完結する間取りが実現しました。これズボラには最高!
夫は書斎を好きなように出来ててとても嬉しそうで良かったです。(書斎に引きこもられると寂しいですが…)
・子供が嬉しそう
走り回っても怒らなくて良いし(破壊されそうな時は怒るけど)、公園に行かなくても庭で楽しく遊べるし、楽器の演奏も気兼ねなく出来る(防音性能が高い)。
良くなかったこと
ハウスメーカーの方も配慮してくれて自宅に来てもらって打ち合わせしてたけど、実物を見るためにはショールームや展示場に行かなくてはいけなくて、赤ちゃん連れだと本当にしんどかった…
間取り、キッチンやお風呂等の設備を決めて、内装の打ち合わせ(それこそドアの取手や手すりの金具の色迄自分たちで決めるので本当に長かった。私達は合うIAさんだったので、ある程度お任せしましたが)、照明やカーテンを選び、外構も打ち合わせをして家具も選び…並行してローンの事前審査をしたり、毎週末打ち合わせしてました。
次は施工が始まるので可能な限り現場を見に行って、差し入れもして…振り返っても本当に疲労困憊でした。
子供が産まれる前に建てた方がそういう意味では楽かもしれません。
・高い
建売と比べると高いです。やっぱり。私達も土地がなければ今のメーカーとはご縁がなかったかも…?
でも敷地内に2台分駐車場もあるし、都内賃貸時代と比べると月々の支払いは半分以下になりました。(固定資産税等の税金や修繕費の積立分を考えても)
工法によっては実現できない間取りや構造もあります。本当にこだわりを実現するなら、ハウスメーカーでめちゃくちゃお金を掛ける(展示場の建物は高額オプションだらけ)か、工務店や設計士さんとゼロから創り上げる必要があります。
ハウスメーカーはある程度標準品があり、その中で選ぶことを前提としているので、壁紙でも気になるメーカーがあれば自分で探したりする必要があります。(が、標準品でも我が家は十分満足でした!)
総括
総じて大満足です。
子供がいる場合の注文住宅、ということでは保活問題は大きかったです。区外への転園、しかも二人同時、という高難易度ミッションでした…
共働きで頑張ってローンを返済していきたいですね。
(いくら?っていうのが一番気になると思うので参考までに、我が家の場合は約100万/坪でした(外構・諸費用込)。高い!。これに土地の価格を入れると…親族に感謝です)
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
人口数について簡単に解説したけど、そのついでというかこんな話も。
ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人にありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツがドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育の世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所と絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊(映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である。現実の現地虐殺は映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。
そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラー・ナチスドイツは計画的にユダヤ人を大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的」とあるから、何やらナチスドイツはユダヤ人絶滅のために綿密なプランを策定してから絶滅計画を推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ、最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家が同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的=意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅を引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅がヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。
しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からのユダヤ人の排除だった。そして当初のユダヤ人排除のマスタープランであったマダガスカル作戦がバトル・オブ・ブリテンでのドイツの実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ人地域を東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約を勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパのユダヤ人をソ連地域へ追放するという東方移送計画が生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから、最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。
しかし、ユダヤ人のポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットーは悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さらに移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである。現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域のユダヤ人は危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。
このような流れの中、1939年頃から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮が実施されていくのである。だから、毒ガスの代表格であるとされる青酸ガス=チクロンBは最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンベから始まったのだ。もっとも、最初はポーランド・ポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域のユダヤ人殺害に転用しただけのことである。そのうちに、ガスボンベ積載車で地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジンの排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。
このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初の絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのである。リッツマンシュタット・ゲットーのユダヤ人を絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年に短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人が虐殺されたと言われる。
これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的なものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツはラインハルト作戦の収容所ではなく、そもそも一般の強制収容所・捕虜収容所であり、絶滅の機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘスの証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初のガス室はアウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのである(チクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態が不明瞭ではっきりしない)。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所のガス室(観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月頃から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人が虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所の第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力に問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室は1942年末で使われなくなった。
では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋にビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘスが自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』である。
ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題を引き起こしたので親衛隊トップのヒムラーの命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしまう事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺の情報は外部へ漏れてワルシャワの地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。
実は、ビルケナウのクレマトリウムにガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点で問題がありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所のガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連やアウシュビッツ博物館の資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュートが1942年12月19日の図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。
修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室を否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッド・ロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダの修正主義者、エルンスト・ツンデルの扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しかし裁判所から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツのガス室とされる場所の採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンBの合法的な使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ)駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味である。しかし、これは分析のルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。
その数年後に、ポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフの調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず、死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。
そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコーストを勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通のホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害がホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。
地方のどでかい家に住んでるけど、建ぺい率問題もあって、敷地内外ともに広くて管理は正直大変だよ。お金があるなら、地方でマンション2部屋買ったほうが便利かもなと思うくらい。ただ、気兼ねなく物買っても置き場所は作れるし、ゲスト泊まれるし、窓を開けたら庭が広がってて視線気にならないし、騒音オッケーバーベキューオッケーで、当たり前に享受してるありがたい点も多いんだろうなと思う。自分ちよりもさらにどでかい家に住んでる自営業友人宅は山の斜面一帯買って3階建ての7LDK書斎エレベーター付きっていう家にしてて、敷地から一歩も出ずに快適そうではある。完全にライフスタイルによる。
なお、日本の学者・医者どもはニュースで取り上げられるレベルの論文、科学読み物で取り上げられるレベルの論文に目を通していない、
海外の学会の見解/動向/共有を無視どころか、 日本の国内の学会の見解/共有とすらも一致してない発言繰り返してる(anond:20210125115242)のであげきれない
本当、国際学会や著名な学術誌で是非ともそれやってみて欲しいと常々思ってるわ
直球でネトウヨ大学教授もいるし(例: 東大最年少准教授、藝大、音大)
ちなみに後世に名を残す偉大なエンジニアだけど、どうしようもない人の例
イアン・マードック(Ian Murdoc)
5:13pm: 俺は今夜自殺する…話すことがたくさんあるんだ、介入はしないでくれ、彼らに一緒に死んで欲しいとは思わないでくれ
5:14pm: 後でブログを見て欲しい http://ianmurdock.com
5:17pm: https://t.co/I1CSCJErWf
5:20pm: 後でブログにもっと書く予定だ。でも隣の家をノックしただけで警察に殴られたんだ…彼らは俺を病院送りにした
5:20pm: その後も何回も殴られた
5:21pm: 「警察に暴力をふるった」事への保釈金は$25,000だった
5:22pm: 後でもっと詳しく書く。警察にはいまだにカメラが無かった。これを止めるために私はちょっとだけ地位を利用するつもりだ。
(※警察が好き勝手に殴るためにカメラを置かないのはよくあるらしい)
5:23pm: 「俺たちは警察だ。俺たちはいつでも勝つんだよ」
5:25pm: 私のキャリアは終わってしまった。もうすぐ逝こうと思う。
5:27pm: 私はある程度成功したビジネスマンでニガーではない、自殺は注目されるかもしれない
5:30pm: 今日はまだ自殺しない。まずはこれをすべて書き上げ、警察の蛮行を自由の国に知らしめる
5:34pm: 誰かが私のところへ警察に何をされたのか聞きに来てくれたらとても嬉しい
5:35pm: 彼らは私を二回殴ってバッテリー代として$25000を課した
5:36pm: 病院に行かなければいけない
5:36pm: 彼らは家までついてきた
5:36pm: そして彼らは私を家の外に引きずり出して更に殴った
5:37pm: 私は意見を変えなければならなかった
5:37pm: 彼らはそこから家まで追ってきたんだ
5:38pm: 私はカメラは無いのかと訪ねた
5:38pm: 答えはnoだった
5:45pm: 警察に抵抗して出来たアザの写真を上げようか?
5:45pm: 小便で床に文字を書く事以外何も教えずに独房に押し込めるのはどこだ?
5:48pm: 私の経験を書き上げることで警察の虐待を防ぐことになり再び同じことを聞かなくなるといいのだが
6:00pm: @jacksormwriterは私に死んで欲しがっている
6:06pm: ブログに私のケースを書こう…誰かがhacker newsとかに投稿してくれたら感謝する
6:31pm: (1/2) 私の残りの人生は警察の職権乱用と戦うことに費やす…俺は白人で去年は一億四千万稼いだんだ
6:33pm: (2/2) 彼らは無教養で、自分のための力にしか興味が無い。助けになってくれる人は連絡をくれ imurdock@imurdock.com -ian
6:41pm: 警察は無教養で邪悪でサディスティックだ。奴らを信じるな。
6:42pm: 残りの人生は警察と闘う…奴らは友達ではない、決して信じるな。
6:49pm: 友に聞いている、なんだって賢い教育を受けた奴が警察になんかなるんだ
7:03pm: 「俺たちは警察だ, 俺達がやりたいことはなんでも出来る」
7:08pm: これは女性警察官が私のパンツを下ろした後の事だった…もしあなたがレイプされた女性でなければこれはレイプとは思われないかもしれないが。
7:12pm: 俺は白人だ。たくさん稼いでたくさん税金を払った。でも彼らの虐待は同じくやってくる。一線を超えるな!!
警察とトラブルになった理由:隣の家にレイプ目的で侵入と通報された模様
ちなみに騒ぎを起こしたのは三度目で
二度目(2015年8月頃)も同じく酔って、その時は別の家の庭に半裸で侵入し、
三度目で、しかも裁判所命令に従ってもいないようだったので、警察も マークしていたらしい
またそのフォロワーが12月始めに自宅に行った際、弁護士とも口論していた、と
世の中にはこんなにも猫が好きな人が多いとは思わなかったし、猫の話題や画像がみんな好きだと考えてる人がこれほどたくさんいるとは考えてなかった。
猫に嫌悪感を持つ人はいないのだろうか。発言しないだけなのだろうか。
両親が一生懸命整えた庭の植物を野良猫が荒らし、フンをしていった。猫除けシートや忌避剤を使ってもすぐ侵入してくる。
自治体に頼んでも駆除はできないうえ、直接傷つけることは許されない。見かけたら追っかけまわすことしかできなかった。
両親はずっと野良猫の対策に苦しんでいた。それを見て育ったのだから猫を嫌いになるのは当然だ。
猫=害獣という意識は大人になっても無くなることはなく、今でも猫に触ることすらできない。
似たような境遇の人はたくさんいると思っていた。どこの自治体ホームページにもだいたい野良猫の対策について記載がある。多くの人が野良猫の被害に苦しみ、猫自体を嫌悪していると思っていた。
しかし実際は違った。テレビもネットも猫が可愛い、好きという人ばかりだ。
友人や同僚達も、猫の画像や動画を見つけては可愛いと話している。それは本心で言っているのだろうか。猫嫌いを悟られたくなくて言葉を選んでいるだけなのだろうか。
猫に嫌悪感を持つ人間は自分しかいないんじゃないかと不安になる。
先日も実家に帰って野良猫対策の修理をした。最近子猫が生まれたらしい。考えるだけで気味が悪くて怖くなってくる。いつまで対策を続けなければならないのだろうか。
猫好きな人、猫を飼っている人には、これ以上野良猫や猫の被害を増やさないように対応をお願いしたい。
自分は猫が嫌いだが、猫に暴力をするようなことはしたくない。というよりも関わりたくない。
放し飼いをするのは勝手だが他人の敷地に入らないように注意してほしい。みんながみんな温かい目で猫を見ているとは限らない。侵入された側は野良猫だろうが飼い猫だろうが追い出すしかなく、常習ともなれば、対策をせざるを得ない。
07/07 07:00
北海道新聞社は、旭川医科大の校舎に許可なく立ち入ったとして、旭川支社報道部の記者が建造物侵入の疑いで逮捕された事件で、この記者と現場で取材していた報道部の3人の記者、担当の部次長らから事実関係について聞き取り調査しました。確認した内容を読者の皆さまに説明します。
■事実経過
旭医大は6月22日午後3時から、吉田晃敏学長の解任問題を議論する学長選考会議を校内で開きました。
節目の会議だったため、北海道新聞の4人を含む報道各社の記者が、会議を終えた選考委員に取材するため大学の敷地内で待機していました。
午後3時50分ごろ、旭医大は報道各社にファクスで、会議終了後の午後6時に同大中央玄関前で記者団の取材に応じることを通知。文書には新型コロナウイルス感染防止のため、構内への立ち入りを禁止していることも記載していました。
大学から通知を受け取った報道部では、現場取材の責任者(キャップ)ら3人の記者に通知をメールしましたが、現場に入社1年目の記者もいることを把握しておらず、この記者には送りませんでした。
午後4時ごろ、キャップはこの記者に対し、校舎内に入って出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示しました。
キャップは、通知の後段にあった「入構禁止」の要請を見逃しており、「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」としています。
記者は午後4時25分ごろ、会議が行われている可能性がある4階に向かうよう指示されました。電話や無料通信アプリのLINE(ライン)で複数のやりとりがあったため、キャップがこの指示を出したのか、別の記者なのか、はっきりしません。
その後、記者は会議が行われているとみられる部屋を見つけてドアの前に立ち、スマートフォンをドアの隙間に近づけて録音しました。
数分後、会議室から出てきた職員に見つかり、身分を聞かれましたが、あいまいな返答を繰り返しました。後ずさりするような行動をして職員に取り押さえられ(常人逮捕)、身柄を旭川東署に引き渡されました。記者が北海道新聞の名刺と腕章を示したのは警察官が駆けつけた後でした。
北海道新聞社は22日の旭医大の取材で、情報共有や取材手法、記者教育の点で、以下のような問題があったと考えます。
この日の会議に先立ち、18日に行われた学長選考会議の際、報道各社が旭医大の取材対応に不信感を抱き、会場の4階に行って事務局とトラブルになり、旭医大が許可なく校舎内に立ち入らないよう報道陣に強く抗議していました。北海道新聞も22日とは別の記者が4階の現場にいましたが、18日のトラブルの情報は北海道新聞の記者の間で十分に共有されず、逮捕された記者も知りませんでした。
新人記者を単独で校舎内に立ち入って取材させたことにも問題がありました。この記者が旭医大問題を取材するのは22日が初めてで、取材経験の浅い記者に校舎内に入るよう指示した理由について、キャップは「経験を積ませたかった」としています。
的確な指示がなかったため、記者は一部の先輩記者から聞いた体験談をもとに、自分の判断で会議内容をスマートフォンで無断録音していました。北海道新聞は取材のルールを記した「記者の指針」で、記者の倫理上、無断録音は原則しないと定めていますが、指導が徹底されていませんでした。
職員に見つかった際も、すぐに北海道新聞記者と名乗り、取材目的であると告げるべきでしたが、動揺していたこともあって、できませんでした。キャップや別の記者から、校舎内で身分を聞かれても、はぐらかすように言われていたことも影響しました。
一連の経過をみると、取材方法を指導するべき報道部の部次長や、報道部の業務全体を統括する部長の関与が不十分だったと考えています。
私たち新聞社は憲法で保障された表現の自由を守り、国民の「知る権利」に奉仕することが責務です。国立大学法人である旭川医科大の学長の進退を巡る問題は公益にかなう取材テーマであり、北海道新聞は全力で取材に当たってきました。
全国的にも関心の高いテーマにもかかわらず、メディアの側からすれば旭医大の取材対応は十分とは言い難いものがありました。そのため、会議の出席者に個別に取材して事実関係を把握するなど、さまざまな取材手法を駆使してきました。こうした中で、取材中の記者が旭医大に常人逮捕されるという事態が生じたことは遺憾と言わざるを得ません。
ただ、記者が逮捕された6月22日の取材の状況を検証する限り、反省すべき点もあり、取材部門を統括する責任者としてこの事態を招いたことを重く受け止めています。記者教育や組織運営のあり方などを早急に見直し、再発防止に努めます。
北海道新聞社は、一線の記者たちが安心して取材できる環境をあらためてつくるとともに、今回の事件にひるむことなく、国民の「知る権利」のために尽くしてまいります。
07/07 07:00
北海道新聞社は、旭川医科大の校舎に許可なく立ち入ったとして、旭川支社報道部の記者が建造物侵入の疑いで逮捕された事件で、この記者と現場で取材していた報道部の3人の記者、担当の部次長らから事実関係について聞き取り調査しました。確認した内容を読者の皆さまに説明します。
■事実経過
旭医大は6月22日午後3時から、吉田晃敏学長の解任問題を議論する学長選考会議を校内で開きました。
節目の会議だったため、北海道新聞の4人を含む報道各社の記者が、会議を終えた選考委員に取材するため大学の敷地内で待機していました。
午後3時50分ごろ、旭医大は報道各社にファクスで、会議終了後の午後6時に同大中央玄関前で記者団の取材に応じることを通知。文書には新型コロナウイルス感染防止のため、構内への立ち入りを禁止していることも記載していました。
大学から通知を受け取った報道部では、現場取材の責任者(キャップ)ら3人の記者に通知をメールしましたが、現場に入社1年目の記者もいることを把握しておらず、この記者には送りませんでした。
午後4時ごろ、キャップはこの記者に対し、校舎内に入って出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示しました。
キャップは、通知の後段にあった「入構禁止」の要請を見逃しており、「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」としています。
記者は午後4時25分ごろ、会議が行われている可能性がある4階に向かうよう指示されました。電話や無料通信アプリのLINE(ライン)で複数のやりとりがあったため、キャップがこの指示を出したのか、別の記者なのか、はっきりしません。
その後、記者は会議が行われているとみられる部屋を見つけてドアの前に立ち、スマートフォンをドアの隙間に近づけて録音しました。
数分後、会議室から出てきた職員に見つかり、身分を聞かれましたが、あいまいな返答を繰り返しました。後ずさりするような行動をして職員に取り押さえられ(常人逮捕)、身柄を旭川東署に引き渡されました。記者が北海道新聞の名刺と腕章を示したのは警察官が駆けつけた後でした。
北海道新聞社は22日の旭医大の取材で、情報共有や取材手法、記者教育の点で、以下のような問題があったと考えます。
この日の会議に先立ち、18日に行われた学長選考会議の際、報道各社が旭医大の取材対応に不信感を抱き、会場の4階に行って事務局とトラブルになり、旭医大が許可なく校舎内に立ち入らないよう報道陣に強く抗議していました。北海道新聞も22日とは別の記者が4階の現場にいましたが、18日のトラブルの情報は北海道新聞の記者の間で十分に共有されず、逮捕された記者も知りませんでした。
新人記者を単独で校舎内に立ち入って取材させたことにも問題がありました。この記者が旭医大問題を取材するのは22日が初めてで、取材経験の浅い記者に校舎内に入るよう指示した理由について、キャップは「経験を積ませたかった」としています。
的確な指示がなかったため、記者は一部の先輩記者から聞いた体験談をもとに、自分の判断で会議内容をスマートフォンで無断録音していました。北海道新聞は取材のルールを記した「記者の指針」で、記者の倫理上、無断録音は原則しないと定めていますが、指導が徹底されていませんでした。
職員に見つかった際も、すぐに北海道新聞記者と名乗り、取材目的であると告げるべきでしたが、動揺していたこともあって、できませんでした。キャップや別の記者から、校舎内で身分を聞かれても、はぐらかすように言われていたことも影響しました。
一連の経過をみると、取材方法を指導するべき報道部の部次長や、報道部の業務全体を統括する部長の関与が不十分だったと考えています。
私たち新聞社は憲法で保障された表現の自由を守り、国民の「知る権利」に奉仕することが責務です。国立大学法人である旭川医科大の学長の進退を巡る問題は公益にかなう取材テーマであり、北海道新聞は全力で取材に当たってきました。
全国的にも関心の高いテーマにもかかわらず、メディアの側からすれば旭医大の取材対応は十分とは言い難いものがありました。そのため、会議の出席者に個別に取材して事実関係を把握するなど、さまざまな取材手法を駆使してきました。こうした中で、取材中の記者が旭医大に常人逮捕されるという事態が生じたことは遺憾と言わざるを得ません。
ただ、記者が逮捕された6月22日の取材の状況を検証する限り、反省すべき点もあり、取材部門を統括する責任者としてこの事態を招いたことを重く受け止めています。記者教育や組織運営のあり方などを早急に見直し、再発防止に努めます。
北海道新聞社は、一線の記者たちが安心して取材できる環境をあらためてつくるとともに、今回の事件にひるむことなく、国民の「知る権利」のために尽くしてまいります。
07/07 07:00
北海道新聞社は、旭川医科大の校舎に許可なく立ち入ったとして、旭川支社報道部の記者が建造物侵入の疑いで逮捕された事件で、この記者と現場で取材していた報道部の3人の記者、担当の部次長らから事実関係について聞き取り調査しました。確認した内容を読者の皆さまに説明します。
■事実経過
旭医大は6月22日午後3時から、吉田晃敏学長の解任問題を議論する学長選考会議を校内で開きました。
節目の会議だったため、北海道新聞の4人を含む報道各社の記者が、会議を終えた選考委員に取材するため大学の敷地内で待機していました。
午後3時50分ごろ、旭医大は報道各社にファクスで、会議終了後の午後6時に同大中央玄関前で記者団の取材に応じることを通知。文書には新型コロナウイルス感染防止のため、構内への立ち入りを禁止していることも記載していました。
大学から通知を受け取った報道部では、現場取材の責任者(キャップ)ら3人の記者に通知をメールしましたが、現場に入社1年目の記者もいることを把握しておらず、この記者には送りませんでした。
午後4時ごろ、キャップはこの記者に対し、校舎内に入って出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示しました。
キャップは、通知の後段にあった「入構禁止」の要請を見逃しており、「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」としています。
記者は午後4時25分ごろ、会議が行われている可能性がある4階に向かうよう指示されました。電話や無料通信アプリのLINE(ライン)で複数のやりとりがあったため、キャップがこの指示を出したのか、別の記者なのか、はっきりしません。
その後、記者は会議が行われているとみられる部屋を見つけてドアの前に立ち、スマートフォンをドアの隙間に近づけて録音しました。
数分後、会議室から出てきた職員に見つかり、身分を聞かれましたが、あいまいな返答を繰り返しました。後ずさりするような行動をして職員に取り押さえられ(常人逮捕)、身柄を旭川東署に引き渡されました。記者が北海道新聞の名刺と腕章を示したのは警察官が駆けつけた後でした。
北海道新聞社は22日の旭医大の取材で、情報共有や取材手法、記者教育の点で、以下のような問題があったと考えます。
この日の会議に先立ち、18日に行われた学長選考会議の際、報道各社が旭医大の取材対応に不信感を抱き、会場の4階に行って事務局とトラブルになり、旭医大が許可なく校舎内に立ち入らないよう報道陣に強く抗議していました。北海道新聞も22日とは別の記者が4階の現場にいましたが、18日のトラブルの情報は北海道新聞の記者の間で十分に共有されず、逮捕された記者も知りませんでした。
新人記者を単独で校舎内に立ち入って取材させたことにも問題がありました。この記者が旭医大問題を取材するのは22日が初めてで、取材経験の浅い記者に校舎内に入るよう指示した理由について、キャップは「経験を積ませたかった」としています。
的確な指示がなかったため、記者は一部の先輩記者から聞いた体験談をもとに、自分の判断で会議内容をスマートフォンで無断録音していました。北海道新聞は取材のルールを記した「記者の指針」で、記者の倫理上、無断録音は原則しないと定めていますが、指導が徹底されていませんでした。
職員に見つかった際も、すぐに北海道新聞記者と名乗り、取材目的であると告げるべきでしたが、動揺していたこともあって、できませんでした。キャップや別の記者から、校舎内で身分を聞かれても、はぐらかすように言われていたことも影響しました。
一連の経過をみると、取材方法を指導するべき報道部の部次長や、報道部の業務全体を統括する部長の関与が不十分だったと考えています。
私たち新聞社は憲法で保障された表現の自由を守り、国民の「知る権利」に奉仕することが責務です。国立大学法人である旭川医科大の学長の進退を巡る問題は公益にかなう取材テーマであり、北海道新聞は全力で取材に当たってきました。
全国的にも関心の高いテーマにもかかわらず、メディアの側からすれば旭医大の取材対応は十分とは言い難いものがありました。そのため、会議の出席者に個別に取材して事実関係を把握するなど、さまざまな取材手法を駆使してきました。こうした中で、取材中の記者が旭医大に常人逮捕されるという事態が生じたことは遺憾と言わざるを得ません。
ただ、記者が逮捕された6月22日の取材の状況を検証する限り、反省すべき点もあり、取材部門を統括する責任者としてこの事態を招いたことを重く受け止めています。記者教育や組織運営のあり方などを早急に見直し、再発防止に努めます。
北海道新聞社は、一線の記者たちが安心して取材できる環境をあらためてつくるとともに、今回の事件にひるむことなく、国民の「知る権利」のために尽くしてまいります。